無源の秋 〜竜の翼は風雲に舞う〜【第二章鋭意執筆中】 作:くコ:彡の本棚
第二章に先駆け、三話程度の断章を投稿していきます。本編の裏で起こっていた出来事、構成の都合で言及できなかった事柄を描く、幕間劇となっております。
更新日時については不定期となりますので、ご了承ください。
涯て無き使命の道を往け 前篇
引き攣った顔の賊を、
紛い物の霧を真っ直ぐ突っ切り、迫り来る者がいるとは思いもしなかったものか。
異変を叫ぶこともできず固まっていたところを、剣を奪って首を刎ね飛ばす。
骸を隠し、物陰に潜んで気配を探った。仙遺物の放つ仙気の軌跡、その力を不当に振るう者の軌跡だ。近くの廃砦に続いている。
ここまで近づいたというのに、微かにしか伝わってこない。仙術による高度な隠匿が施されていること、疑いようもなかった。
十日前のことがあって初めて、察知し得た代物である。
廃砦には、襲撃を恐れて避難を試みた者達も集っているらしい。関わりないことと切り捨てるのは容易いが、巻き込まれる民草を可能な限り救うのも、"一族"の務めだった。
心気を研ぎ澄ます。唸りを上げて高まる仙気が、
籠手と脛当、胸甲だけの小具足姿が、小気味良い音と共に装甲に覆われていった。折り畳まれていたものが、展がるようにだ。
両手足、胴、そして顔まで覆われた
────────
引き連れた皆が本丸に駆け込んだのを認め、
皆、一様に焦りと動揺を顔に滲ませている。賊の襲撃が迫っているのだから当然ではあるが、彼らはもっと迷信じみた恐怖に囚われているように思えた。
全ては、砦を囲繞する不気味な霧のためだ。
突如として垂れ込める霧から、幽鬼の如き賊が湧いて出る。そうした噂がまことしやかに囁かれ始めたのは、十日前に一つの村が潰されてからだった。
村の生き残りによれば、数千を下らない賊が一斉に襲ってきたという。
近隣住民が城への避難を懇請していると聞いた
そして最後の一団が進発しようとしたその時、晴天に霧が出たのである。
擦れる武具の音、凶暴さを剥き出しにした喚声が四方から押し寄せ、住民達が首をすくめた。
こちらを囲い込んだ優越感と、無防備な相手を嬲る嗜虐性がない混ぜとなった、悍ましい大音声の壁が迫る。
耳を聾さんばかりの喧騒の中、
付近の廃砦に一時退避したはいいが、噂を聞いて萎縮する住民達では水際での防戦など覚束ないと、一気に本丸まで退がった。
その判断自体は誤りだと思わないが、敵は間近の曲輪にまで迫り、こちらの喉元に刃を突きつけている。
援軍が来れば打開のしようもあろうが、期待できそうもない。避難に先立って戦備えを各地の軍に進言したが、まるで他人事のように反応は薄かったのだ。
好転の見込みもない危地。しかし
賊数千とはいうが、それだけの軍勢を霧だけで隠し遂せる訳もない。移動の痕跡ぐらいあって然るべきだが、そんなものは何処にも無かったという。
そして、この喚声。風の防壁は四方からの空気の揺らぎを受け止めているが、生けるものの声にあって然るべきばらつきが無い。どこか、わざとらしいのだ。
全てはまやかしだ。そう結論づけるのに時を要さなかった。
霧を発生させて軍勢を隠すなどと、生半なものではない。いる筈もない敵の存在を信じ込まされる、仕掛けられているのはそうした術だ。
賊風情がそれ程の術を操る所以は、確としない。ともかく、戦況を覆すには術の源を断つしかない。それが唯一の、そして最善の道であると知りながら、動きようもないのが辛いところだった。
術の心得など無い、混乱の只中に在る住民達に説明しても、理解してはもらえまいというのもある。
「援軍はまだか」
もどかしさから詮無いことを初めて口にした、その時。
勝ち誇った敵の喚声に悲鳴が混じり、戦場は一瞬しんとなった。直後の、どよめき。
防壁を形成する術の性質を少し変え、音を集めてみる。困惑に満ちた怒号が連鎖して一方に向かい、斬撃と殴打の音がそれに重なると、呻きに変わる。
闖入者が現れたのだ。優位を誇っていた賊から、一時に余裕を奪い去る程の力を持った、何者かが。
渾然とした音の坩堝。近づいてくる。戦場が少しずつ本丸の近くに移っていき、逃げ惑う賊の足音までが音高く響く。
駆け去っていく多くの気配。本丸の眼前まで肉薄していた敵が、何者かを迎撃せんと移動を始めていた。
「出ずに待っているのだ」
防壁を張ったまま、
あれは、何か。砦を覆う重苦しい霧を貫く、一つの光点。
それは見る間に膨れ上がったかと思えば、眩い光の波となって八方に奔った。垂れ込めていた霧を、初めから無かったように晴らしながら。
眼下の明瞭な彩りは、今日が晴天であったことを今にして思い出させる。廃砦の表面に生している草の群れ。緑の敷物の上には死せる賊の骸が横たわり、生ける賊が呆然と立ち尽くしている。
両者を合わせて、百に届くかどうか。霧に覆われていたまやかしが、文字通り白日の下に晒されたのだった。
そして、その者がいる。顔から両手足に至るまでを覆い隠す、白銀の具足。陽光の欠片が地上に降り立ち、人の形を取っているような印象があった。
光の源はこの武者だろう。滅多に見聞きしない気配がその具足からは立ち昇っていて、それが賊の術を根本から打ち消したに違いないのだ。
忘我から立ち直った賊が怒りを露に、得物を振り上げ白銀の武者に向かっていく。武者の方はといえば、特段足を速めることもせず、無造作の体で歩き続けるのみである。
二人の賊が進む勢いのまま倒れ込んだ。賊が携えていた筈の剣が武者の手にあり、それで一薙ぎにされたのだろう。いつの間に奪ったものか、目を疑う程の早業である。
不要とばかりに擲たれた剣が、横合いから迫る賊の喉笛を貫く。直後に矢が射掛けられるが、武者は当たりそうなものを片手で掴み取っていた。
潜んでいた十人近くの賊がどっと湧き出し、恐るべき闖入者の背後から迫る。武者は一瞥もせず、右手を肩越しに背後へ翳した。掌から迸る光。青い波動が武者の背後を浚い、群れなす賊を木の葉のように吹き飛ばす。
仙気の衝撃波は皮膚をすり抜け、骨や臓腑にまで威力を伝える。直撃すれば二刻(四時間)は立ち上がれまい。苦悶に呻く敵の群れに目もくれず、武者は進み続けた。
得物を奪い、斬っては突くを繰り返す。敵の腕を掴んでは捻じり上げ、背を蹴り飛ばし、顔面に拳を打ち込む。一連の動きは流れるようと形容する他なく、人無き道を歩き続けていると錯覚させられる程だ。
気が付けば、一対一だった。白銀の武者と、賊の頭目と思しき男。
いずれかが一騎討ちを仕掛けた訳ではない。殊に賊の方は、下っ端が討たれたか逃げ出したために、望まぬ対峙を強いられた形である。
頭目は首飾りを提げていた。似つかわしくない程に、高度な装飾の拵えられた古風なものだ。
あれか、とすぐに分かった。首飾りが術を制御していた祭具であること。そして、武者はこれを目的として来たのだということが。
「渡せ」
武者が初めて口を開いた。くぐもった男の声色である。総面の真中には目を思わせる意匠があり、未だ虚勢を張る頭目を睥睨していた。
「お前の下らん遊びに使っていい玩具ではない。大人しく投降すれば、五体は無事のまま残してやる」
忠告を最後まで聞くことなく、頭目は喚き散らしながら得物の斧を振り上げ、武者に向かっていく。
破れかぶれの突進に見えて、仙気の防壁を纏っていた。本丸で
怒気を放ちながら近づく頭目を認めた武者は、徐に右手を顔の高さに上げた。"目"が煌めく。右手を覆う籠手が生けるものの如く形を変え、分厚い諸刃が飛び出すように現れた。
振り下ろされる刃。見えざる壁に触れ、火花を思わせる仙気の残滓が飛び散る。影を縫い付けられたように、頭目の動きが止まった。
その顔に驚愕が張り付いている。仙気で勢いが上乗せされた突進が、容易く止められた。だけではない。刃が食い込んでいる障壁の輪郭が現れ、じりじりと溶け出しながら消えてゆくのだ。
馬鹿な。言葉ではなく表情で頭目が叫んだ直後、斧を持ったままの右手が、赤い尾を曳いて宙を舞う。
のたうち回る頭目に向けられた武者の掌から、光が迸った。
────────
"一族"の手の者が現れ、隻腕と化した賊の頭目を護送してゆく。廃砦に討ち入るのに先立って待機していた彼らは、逃げ出した賊の掃討も終えていた。
流出した仙遺物の回収にあたって、可能な限り敵を生け捕りにしている。口を割らせて仙遺物の出処を探るためであったが、これといった成果は上がっていない。
使い走りから尻尾を掴まれぬよう、術による記憶操作まで黒幕はしているのだ。
「かたじけない。来てくれなければ、今頃皆はどうなっていたことか」
廃砦を脱し、城へと移動する一団を見ながら歩いていると、自分とそう変わらない齢の男に声をかけられる。住民を廃砦の本丸まで導き、守るために術を発動していたと聞いた。術士か。
「礼を言われる筋は無い。察しの通り、奴が携える祭具を奪うついでだった」
「命を助けられた。それは、純然たる結果だろう。城まで送ってくれるというので、皆も安心している」
それも、監視のためだった。黒幕の間者が住民に紛れ込んでいるとしたら、捕える機会は逃すべきではない。もっとも、此度は外れのようである。
離れた処で諍いの声がする。近くに駐屯する国軍の部隊同士が、賊の遺棄した荷駄の取り分について揉めているらしかった。
賊との交戦時には、一兵の加勢もしなかった者どもである。それが戦が終わると当然のような顔で現れ、小さな利益ばかりを得ようとしていた。
腐肉獣が具足を着て蠢いている。そうした印象が拭い難い。
今の国軍は多くがこうなのか。忸怩たる表情で溜息を吐く術士に聞いてみたかったが、やめた。
少なくともこの男は、懸命だった。孤立無援の中で最善を尽くし、自分が来るまで住民を守り抜いたのである。
己が責務を捨てなかった者を苛むことは、士の道ではない。
いつしか、城の大手に辿り着いていた。先だって避難していた住民が犇めいており、同胞が無事に合流してきたことに歓声を上げている。
「兄ちゃん」
去ろうとした足を、意図せず止めていた。
城から飛び出した小さい影。それは齢にして四、五程の少年で、十歳は年長の青年に抱き着いている。避難の中で離ればなれになっていたものか。
目を潤ませて互いの無事を祝する姿を、
「兄弟か」
しみじみと言った術士はこちらに話しかけたのではなく、独り言を零したらしかった。己の身の上に、何か通ずるものでもあるのだろうか。
「待ってくれ、私は
纏わりつくものを振り払うように踵を返すと、術士が名乗りつつ呼びかけてくる。
「恩人の名を、聞いておきたいのだ。二度と会うことは無いかもしれんし」
「確かに、無かろうな。だが、俺とて知らぬものを教えることはできん」
振り向きもせず、
兄か。足早に《
自分から捨てた筈ではないか。五つの頃、生まれて半年に満たぬ弟を捨てて《
未練は、執着と言い換えてもよかろう。未だそれに振り回される自分が半端な存在に過ぎない事実から、目を背けることができそうもなかった。
────────
《
千年に及ぶ資料や仙遺物の宝物庫が構える奥陣は、"一族"でも相応の立場に在る者しか立ち入りを許されない、心の臓とも呼ぶべき処だった。
頭領が臨席する評定や伝達の場となる広間も、重要な施設の一つである。大陸各地に散る"一族"が精神だけを飛ばして、参上することもあった。
広間に入り、頭領の座す席に着く。やや高くなってはいるが、座り心地は普通の座布団と変わらないし、大仰な意匠も無い。貴顕のために設けられた玉座とは違うのだ。
頭領の座を決するのは血筋でも、術を振るう腕でもない。頭領が自らの次を襲わせたいと望む者について幾人かの候補を発議し、頭領たる器の有無を皆で諮るのである。
実際、
頭領に選ばれ、その立場の重さに苦しんでいたものだが、今はそういうこともない。飽きたと言ってもいい。
「罷り越しました」
広間に入ってきた小具足姿。二十代半ば、武者盛りに入りつつある
が、それも自然体であろう。あらたまった場で己を保つことができるというのは、強さの一端には違いない。
広間に在るのは、"一族"の男が二人だけだ。互いに生身で向き合っている。
「
記憶が欠落している訳ではない。皇都付の武官の子として生まれたこと。父の死に伴い、母の故郷である《
これは
にも関わらず、諱(本名)だけはどうしても分からないというのだ。亡き両親に与えられた、己が己であるという証の一つを。
一度ならず調べたが、虚言を弄している訳でも、術により心に枷がかけられている訳でもなかった。
「新たな任をお前に与えたい。わざわざ来てもらったことで察していようが、些か表に出し難い側面がある」
「我らの使命は、常に裏向きのことです」
「その裏に、表の者どもを巻き込むこととなった」
任というのは、亡命の護衛だった。とある一族が皇都を落ち延び、《
代々力量豊かな術士を輩出し、皇都での役儀も有する名門だった。
「それが皇都での地位を投げ出し、半ば独立している《
「うむ。一族の存亡に関わる、何事かがあったというのだろう。皆目見当はつかんが」
実のところ、
「仙術に纏わる累代の秘伝、彼らはそれを受け継いでもいる。守り手を見捨てて散逸することがあれば、仙遺物の流出など及びもつかぬ被害が齎されよう」
「万事、心得ました。拝命仕りまする」
「頼む。お前達を苦しい立場に置くこととなるやもしれぬが」
皇都の重鎮の出奔を見過ごすどころか、手助けまでするのだ。とかく体面に重きを置く朝廷の、不興を買うことは間違いあるまい。
そして、体面の裏で朝廷を牛耳る者が、それを口実に何を仕掛けてくるものか。
皇都とは付かず離れず。それが《
そのため、任に当たる
それとて、最後の手段だ。配下を切り捨てて保身を図る、さもしい真似をするために頭領の座を襲ったのではない。
「合力を命じた者との合流場所は、追って伝える。抜かりなくな」
小さく頷き、
誰も見ていないことを確かめ、大きく伸びをした。頭領としてはあまりにみっともない所作の中で、取り留めもないことを考える。
《
自分が頭領に推されたのは、
それだけに、諱を知ることのできない現状には、己の無力さを嘆くばかりだった。
《
あるいは、存外自分は感情に振り回される性質の人間であるかもしれぬ。名がどうだろうと、
この体たらくでは、偉そうに
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