無源の秋 〜竜の翼は風雲に舞う〜【第二章鋭意執筆中】   作:くコ:彡の本棚

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涯て無き使命の道を往け 後篇

 

 その砦に辿り着いた頃、陽の大半は西の縁に隠れていた。

 

斬穢関(ざんえのせき)》以西に入り込む、長大な入江……《邇倭須江(にわすこう)》の南岸には、皇都から南へと下ってゆく形で大小の街が点在し、南北に跨る一本の線を描いている。

 

 集結地点とされた《浜床砦(はまどことりで)》は、線の南端となる一点であった。三月前に築かれたばかりだという。

 

 皇都の南東に蟠踞する反抗勢力……在地の土豪や派遣された役人などであるが、それらの抑えとしてだ。

 昔より叛服常ならぬ地域であったが、近頃は皇都に対し明確な敵意を向けている。各勢力が緊密な連携を取っている訳ではないだけに、かえって一挙撃滅は難しいのだろう。

 

浜床砦(はまどことりで)》はそうした者達の背後を扼し、海に出る道を塞ぐ役割を帯びているようだ。国土を東西に分かつ《斬穢関(ざんえのせき)》とも海路によって連携の線で繋がり、構えとしては盤石にも見える。

 

 しかし、砦の搦手(裏門)に踏み入った時、(がい)が肌で感じたのは、最前線に在る緊張と使命感とは真逆のものだった。

 

 (がい)を誰何し、中へ導いた物見からしてそうだが、兵の顔を不満と諦念が覆っている。理不尽な境遇を押しつけられ、それに逆らうことができないと知っているような。

 

 兵に自信をつけさせる徹底した調練が、そもそも不足しているのではなかろうか。

 門外漢に過ぎぬ自分が、聞いたような口で忠告する筋ではないが──。

 

「この砦は、漂っている気からしてよろしくない。そうは思いませんか、"破仙"殿?」

 

 内心の声を聞き取ったような言葉の方を見ると、薬草の籠を持つ痩身の男がいた。

 法衣に錫杖という出立ち。俗世を離れた求道者にも見えるが、薄緑の双眸には俗塵の中で生き抜いてきた強かな光がある。

 

壁融(かべとおし)

 

"一族"において特に医の道に長じる壁融(かべとおし)が、静かに頷いた。会うのは半年ぶりだが、薄い顎髭はあの時のままだ。

 

「俺と組むのは、あんたか」

「今一人、"影鰐"さんも着到していますよ。差し当たり、身軽な者が集められたというところですか」

 

 壁融(かべとおし)はきわめて人当たりの良い穏便な性質の持ち主だが、誰に対しても一線を引きたがるところがある。"一族"の同胞を、異名で呼ぶのはその現れであろう。

 

「そうだ。着到早々に頼むことでもありませんが、如何です?兵達につける薬を共に煎じませんか」

「請け負った務めはあくまで亡命の護衛だ。やれと言われればやるが」

 

邇倭須江(にわすこう)》に面するこの砦は、安全な海路で補給を受けられる筈だ。わざわざ煎じてやらねば、薬も枯渇するような窮状になるとも思えない。筈なのだが、曲輪を軽く見渡してみれば、確かにどこか閑散としている。

 

 在るべき処に、在るべきものが無い。そうした居心地の悪さだった。

 

「何なのだ、この砦は?亡命の集結地点が前線の砦というのも、そもそもおかしな話だ」

「それは──」

 

 その音が聞こえた刹那、(がい)は具足を展開させていた。白銀の蛇腹に覆われた手足は、早くも戦に向けて温まっている。

 

「あちらも手の込んだ歓迎をしてくれるものです。この国では珍しい小道具まで持ち出して」

 

 壁融(かべとおし)の顔つきもまた、剣呑な武者のそれに変わっていた。それでいて、穏やかさが消え失せた訳ではないのが、この男の変わったところである。

 

 唐突な攻勢は、南からだった。元よりこの砦の敵と想定されている、反攻勢力のものであろうことは、威勢は良いが統一されていない鬨で分かる。

 

 鋭く乾いた音が幾つも谺し、黄昏の空を揺るがす。紛れもなく雷火(らいか)の発砲音だった。それらが矢玉避けに遮られる音も、連鎖している。

 敵襲を告げる上擦った叫びは、そうした喧騒に掻き消されがちだ。

 

 直後に湧き起こった喚声を聞く限り、砦に迫る軍勢は五千を下るまい。整然と陣を組む気配は無く、勢い任せに群がり来ている印象が強かった。腰が定まらない部隊には、実相以上の脅威として映るかもしれぬ。

 

「ここは小生に任せ、東の渡しへ向かってください。停泊している船を焼かれると、後々面倒でしょうしね」

 

 壁融(かべとおし)が言い終わる前に、総面越しに頷いた(がい)は東へ駆け出した。

 

 疾走する中、幾十人もの兵とすれ違った。右往左往という表現に尽きる有様で、日中から夜に切り替わる警戒の隙を突かれたことがありありと分かる。

 しかし、一部ながらきちんと固まって構えを取り、南を向いて警戒を強める者達もいる。守将の旗本であろう。大手は彼らに任せていればよい。

 

 渡しに辿り着いた(がい)が感じ取ったのは、幾つもの異質な気配だった。

 砦に押し寄せる有象無象はめいめいに集った土豪の手勢だろうが、その者どもはじっと物陰に潜み、こちらが隙を晒す時を狙い澄ましているのだ。奇兵たるの心得を、髄まで叩き込まれた敵と言ってよい。

 

 銃口、木々の隙間からこちらを狙っている。気づきながらも(がい)は動かない。慌てて避けて体勢を崩したところに、本命の攻撃が来るのは分かっていた。

 発砲するかしないかの瞬間、撃ち手に向かい駆け出す。飛来する弾丸。僅かな動きで身を捻り、具足の表面で弾き逸らした。

 

 眼前に捉えた。その顔。叫ぶのを堪えるような顔で向けてきた銃口を左手で持ち上げ、右手で波動を叩き込んだ。

 

 昏倒する撃ち手から武器と玉薬を剥ぎ取り、戦場を見渡す。先手を取り損ねたと悟った敵が、潜伏を解いて現れる。十二、三人。得物は剣と、急戦向きの短弓。

 

 互いの位置は既に割れている。船を焼くにしても、こちらを討ち取ってからと考えた筈だ。

 

 雷火(らいか)に残っていた弾丸を部隊長らしき敵に向けて放ち、命中の成否も確かめず敵前に躍り出た。敵の数は減っていない。使い慣れていない武器で狙ったところで、そうそう当たる訳もなかった。

 

「下手糞め」

 

 突如降りかかった声と共に、光の塊が戦場の真中に突き刺さる。

 

 それは片手持ちの鉄鞭であるが、打撃部が爛々と輝いているために、輪郭を捉えることも容易ではない。既に太陽の去った空の下、目を盲さんばかりの閃光が、敵味方の黒々とした影を描き出す。

 

 その直後、一人の敵から伸びる影に二つの紫光が走った。

 

 そして、湧き出す。影から何かが。あるいは、影そのものが。

 いずれの表現も正鵠を射ている。現れたのは、影という水面を断ち割って躍り出る、やはり影の鱗を纏った大鮫の如き異形なのだ。

 

 影の大鮫が放物線を描き、唖然として立ち尽くす敵の群れに飛び込んでゆく。開かれる、びっしりと牙の並ぶ大口。一人の上半身を飲み込んだ瞬間、異様な音を立てて閉じられた。

 

 その敵は、未だ立っている。残された下半身だけで、噛み口から血を噴き出しながら。

 それを尻目に、大鮫は影の水面に消えた。

 

 しかし他の敵の目は、無惨な骸ではなく、唐突に現れた人影に集中している。大の男のそれではない、華奢な少女の輪郭。何奴、と浴びせられた怒号に、ふてぶてしい笑みで返答していた。

 

「知りたきゃ、死ねよ」

 

 大鮫。再び跳び上がった。敵の影から影へと「泳ぐ」ことを繰り返すその背に、少女は飛び乗る。敵の頭上に降りかかる黒い飛沫。

 その光景を睥睨して哄笑する少女は剣を抜き放つと、切先を敵の一人に向け、大鮫をけしかけた。

 

 一人を丸呑みにした勢いのまま、少女ごと大鮫は消える。足元を見て慌てふためく敵。

 大鮫の鼻面が影から出た時、その元である敵は得物を突き刺そうとして、少女が振るう剣に腕を斬り飛ばされた。苦悶の裡に足に食い付かれ、影に引きずり込まれてゆく。

 

 この場は任せてよいと判断した(がい)は停泊する船に向かい、様子を確かめた。敵の伏勢も、破壊工作の痕跡も無い。まず、守るべき一線は守れた。

 

 南はどうか。守将の旗本が中心となって、大手に寄せる敵を引き剥がしたらしい。雷火(らいか)の斉射も止み、矢玉避けを展開していた術士も反攻に転じたようだ。

 

 自分の影が湧いていることに、(がい)は気づいた。

 

「こっちの始末はついた。そっちは一人の敵も無しかよ、楽で良かったな」

 

 背中だけを浮上させた大鮫の背中から、語りかけてきた。左手に持った首級からは、血が滴っている。

 戦場となっていた方向は、見なかった。見なくても分かる。垂れ込める血煙に覆われた、さぞ凄惨な光景が広がっていることだろう。

 

「そうだな」

「できれば大手の方に行きたかった。せっかく"影鰐"のお胡兎(こと)様の見せ場なのによ」

「そうか」

 

 気のない返事に興が醒めたものか、胡兎(こと)は不貞腐れたように鼻を鳴らした。

 

 ────────

 

 傷口を水で清め、薬を塗り、仕上げに仙気を照射して塞ぐ。

 

 壁融(かべとおし)の流れるような手当の腕は、やはり目覚ましいものだった。深傷を負った兵の多くが、死の淵から引き上げられている。

 

 しかし真に驚くべきは、身に食い込んだ弾丸を取り除く際の手法だった。

 薄緑の瞳を輝かせ、壁融(かべとおし)が触れるか触れないかの具合で兵の体を撫でる。すると、手の中に弾丸が握られているのだ。具足や皮膚を切り開くこともせずに。

 

 横たわる兵が痛みすら忘れ、目を剥いて驚愕していた。

 

 壁融(かべとおし)が振るう融徹(とおてつ)の術であれば、容易いことだった。生物の体から密閉された箱まで、手をすり抜けさせて中の物を取り出してしまう。

 一度見せてもらったが、器の中の海水から塩を取り出し、真水に変えるという芸当までやってのけていた。飲み水の確保に重宝するらしい。

 

「おっさんも余計な気を回すよな」

 

 手当の光景をぼんやりと眺めている(がい)の隣に、胡兎(こと)が背を向けて座している。先程まで敵味方の本隊がぶつかり合った、南を見ているのか。

 

「生き延びたら生き延びたで、またろくでもない戦に駆り出される。お勤めの身は不憫なもんだ」

 

碧奏殿(へきそうでん)》奥陣への出入りが許される"一族"の実力者の中で、胡兎(こと)は二番目に若い。齢二十にも達していなかった。

 刃のような目つきと、この世の全てに対し斜に構える振舞いが、子供らしい無邪気さを何処かへ追いやっている。

 

「まして、こんな掃溜めみてえな任地じゃあな」

「ここも一応は最前線だろう?」

「その最前線とやらに送り込まれるのは、調練で弾かれた落ちこぼればかりさ。術士隊なんてご大層なもんはいないし、搬入される荷駄の一部も中抜きされてるんだと」

 

 術士なら先の戦でいたではないか、と言おうとしてやめる。何処で仕入れた噂か知らぬが、ここを訪れて以来の違和感を打ち消す説得力はあった。決して愉快な納得感ではない。

 

「腐っているな、深い処が。その皺寄せが前線に及んでいるのか」

「そんな隙があるから、地方の跳ねっ返りどもも幅を利かせられるんだろうよ。あの裏切者の阿婆擦れにしたって──」

 

 胡兎(こと)の頭で鈍い音が鳴った。朱の差し色が入った髪を押さえ、忌々しげに振り返っている。手当を終えた壁融(かべとおし)の姿。

 

「痛てえな。殴るために持ってんのかよ、その杖」

「汚い言葉を口にすれば己が魂まで穢れる。常々言っているでしょう」

 

 他者と一線を引きたがっているが、年少の同胞を何かと気にかける男だった。その矛盾も、らしいといえばらしい。

 

「それはともかく、二人とも同行願えますか。我らと話をしたいという方が、本丸にて」

「本丸だと?」

「ええ。察しの通り、この砦の守将殿です」

 

 言われるままに足を運んだ《浜床砦(はまどことりで)》の本丸は、これといって強力な防備が施されている訳ではない。砦の規模そのものが、小さいのだ。

 

 営舎の外には焚火、傍らに人影が一つ。立ち上がり、右手を挙げてこちらを呼んでいる。

 

燿謙(ようけん)と申す」

 

 先に名乗らせてしまったが、三人で頭を下げる。胡兎(こと)の頭は壁融(かべとおし)が押さえつけていた。

 

 燿謙(ようけん)の佇まいは穏やかながら、質実な武の気配が確かにある。相当な修羅場を潜り抜け、培ったであろうことは疑いない。

 ただ、積み重ねているのはそれだけではないような気もした。敢えて言えば疲れを蓄えていて、それも体でなく心にだ。

 

 皮肉なことだが、今の《聖華(しょうか)》で行き辛いということは、信の置ける人品ということであろう。

 

「御苦労をお察しします。着任早々に大規模な敵襲とは」

「せめて一週間、それだけの時があれば備えも整え得ただろうが。まあ、繰り言はよそう」

 

 聞けば燿謙(ようけん)は、砦に着陣してまだ三日目なのだという。それまでに守将が三度も交代しているというのだから、呆れるしかなかった。

 築かれて三月でその現状とは、人事の秩序と節度が崩れている証左ではないか。

 

 詳しい事情は知りようもないが、燿謙(ようけん)は敵以外のものとの苦闘を強いられているのだろう。

 

 大鍋が運ばれ、焚火にかけられた。野菜と肉が入った雑炊で、兵達と同じものらしい。

 椀によそわれて一口啜ると、肉の出汁によるものか、濃厚な旨味が口一杯に広がった。

 

 日頃から医食同源を説く壁融(かべとおし)は、いたく感心して破顔している。

 

「戦の後には沁みますな、これは。初めて口にする味です」

「実はな、これは《久々鱗(くくり)》の地竜の肉なのだ」

 

久々鱗(くくり)》と聞いて、(がい)は箸を取り落としそうになった。

 

「うん、驚くのも無理はない。兵糧の足しにせんと市場を回っていれば、目についてな」

 

 それから、燿謙(ようけん)は騎竜武者の陣借りと共に、《鳴蒙川(めいもうがわ)》で《金號(きんごう)》の軍勢を撃退した話を始めた。

 誰とも分かちようがない気まずさに耐え、(がい)は雑炊をかき込む。

 

 自分が捨てていった弟も、彼の地で同じものを食べているのだろうか。肉の歯応えが、ひどく重かった。

 

「……腹も満たされたところで、本題に移ろう。貴殿らと、亡命の手筈を諮っておきたい」

 

 顔を引き締めて燿謙(ようけん)が切り出す。わざわざ営舎の外を選んだのは、万が一にも間者に聞かれぬようにか。

 

「決行は」

「明日、正午」

「陽が昇りきってから、ですか?」

 

 土豪の手勢ならまだしも、先だって一戦交えた者達……反抗勢力の背後にいると思しき往疋(おうそ)の手の者は、夜陰に乗じた程度で目を眩ませられる訳もないだろう。

 とはいえ、敢えて日中を選ぶ理由としては弱い。

 

「貴殿らが守り通してくれた渡し、大小の船が泊まっているだろう」

「あれらに皆様方を分乗させ、対岸に渡すものと思っておりましたが」

「敵も当然そう考える。そこに、一つ目の仕掛け処がある」

 

 ほんの一瞬だが、燿謙(ようけん)の顔から疲労の靄が消えた。

 

 船はその多くが老朽化しており、航行はともかく水戦に投入するには心許ない代物だという。いらぬ警戒をされないよう集められるのは、それぐらいだったということだろう。

 

「まず、船は渡りを発つ。というより、何も乗せずに流すだけでよい。我らは船影をこそ欲しているのだ」

「そういうことですか」

 

 (がい)にも得心がいった。壁融(かべとおし)は点頭すると、歳若き同胞の肩を叩いて声をかける。

 

「入江での護送は頼みましたよ。君の影鰐でね」

「あ!?」

 

 焚火を挟んでやり取りをしていたのは、燿謙(ようけん)壁融(かべとおし)だけだった。そこに、胡兎(こと)の高い声が割り込んでくる。

 

「あたいに荷運びをやれってか、術を使って?」

「船の影から影へ伝って、対岸に渡る。それ程の困難もありますまい」

 

 胡兎(こと)の代名詞たる影鰐の術。影さえあれば、仙気で形成された大鮫を駆って思うがまま行き来できる。敵の妨害を受けずに入江を渡るのに、これ以上の手立ては無いだろう。

 

「何卒、お願いする。貴殿らの御頭領に聞いてより、これあるのみと思い定めておったのだ」

 

 面倒な任だと渋い顔をしていた胡兎(こと)だが、深々と頭を下げる燿謙(ようけん)を見て目を剥き、ばつが悪そうに頬を掻いた。

 

「……口の中に入れてやるけど、それでいいな?狭くはないだろうよ」

 

 決して恵まれた生まれでない胡兎(こと)は、権威にまつろわぬ態度を隠そうとしないところがある。それだけに、立場を問わず誠実に接してくる相手には弱かった。

 

「して、燿謙(ようけん)殿。二つ目の仕掛けについてお聞きしても?」

「うむ。先の戦で敵を追い散らした際、一つ分かったことがある。すなわち敵の集結地点だが──」

 

 更けてゆく夜の中、四人の武者は焚火の揺らめきを受け、話を重ねていった。

 

 ────────

 

 払暁の空気は、清冽なものだった。風には微かな潮の匂いが混じっている。

 

 潮の匂い。昨日は血の臭気が一帯を覆っていたために、気づかなかった。今日も、そうなるだろう。

 罪深いことだ、などと悟り澄まして言うつもりは無い。

 

 (がい)の背後に、近づいてくる気配があった。

 

「皆の支度が整った。決行は定刻通り、そのつもりでいてくれ」

 

 天下とは存外狭いものだ、と思わずにいられない。亡命を企図する一団というのは、先日仙遺物を奪還した際に民を守っていた、あの術士の親族だったのである。

 

 術士……風笑(ふうしょう)の振舞いは、《浜床(はまどこ)》においても変わることが無かった。術士隊不在の砦にて一族を指揮し、守兵に加勢していたのだ。

 

「承知した」

「しかし、燿謙(ようけん)将軍も豪気な御方よ。守る立場に在る我らが、敢えて敵陣に攻め入ることになろうとは」

 

 二つ目の仕掛けというのが、それだった。昨日の戦で判明した、反抗勢力の前線拠点。そこに攻勢をかけ、敵の妨害を根から断ってしまおうという訳である。

 悪くはない、と思う。昨日の攻勢が不首尾に終わって敵が浮足立つ中、畳みかけるのは妙手と言えよう。不意を突く、という一点においても敵の優位に立てる。

 

 ただそれとは別に、燿謙(ようけん)には心に期するところがあるようだった。

 

「皇都の人間からすれば、将軍の展望に活路を見るものなのか?」

 

 風笑(ふうしょう)の顔には、耐え難い恥に直面する時の痛みが滲んでいたが、それから決して逃げないという決意もあると見えた。

 

「まず、私にとっては。これから先、将来を悲観して国を脱しようと望む者は、次々現れるだろう。望みながら、その伝手や手段を持たぬ民もだ」

 

 燿謙(ようけん)は《浜床砦(はまどことりで)》を、そうした者達の拠りどころにしようと語っていた。日を追うごとに危うくなる国を救う、そんな人材をあたら失うことがないように、と。

 

 此度の戦いは、そのために危険を除く思いがけない好機だということだ。

 

「私は堅物だとよく言われる。正直自覚は無かったが、以前の私であれば将軍を糾弾しただろうな。武士はあくまで皇都の秩序に従うべきだと」

「今は違うか」

「敢えて命に背く忠義、そういうものもあるのではと思うようになった。一つの使命として、私の中で芽生えつつあるのだ」

 

 使命。目には見えぬもの、形も分からぬもの。燿謙(ようけん)風笑(ふうしょう)は、その輪郭をしっかりと見据えているようにも思えた。

 

「あんたは残ると聞いた、家族を逃がして」

「ああ。父も母もしっかりしているし、《臣廼湖(おみのこ)》に達したら弟に後を託そうと思う」

「弟か。何故、一人で《斬穢関(ざんえのせき)》を越えた先に?」

 

 心持ち身構えたのを悟られぬよう、(がい)は問いを重ねた。

 

「昨年のことだ。空読み見習いである弟は賊に拐かされて船に乗り、降りた先でとある軍閥に救われた。そのまま、弟はそこに仕えている」

 

 そう言うと風笑(ふうしょう)は懐から文を取り出した。紙はくたびれていて、何度も読み返したのであろうと分かる。

 弟による、共に来ないかとの誘いだったという。自分にその資格が無いような気がして、(がい)は文を読まなかった。

 

「誘いは拒んだのだな」

「以前と今では理由が少し違うが、結果としては話を蹴ってよかった」

 

 風笑(ふうしょう)は遥か東を見晴るかしながら、双眸に強い意志の光を湛えている。奥底に秘めている強さ、その一端を覗かせているかのようだ。

 

「故国がより良い形に変わっていくのを、弟にも見せてやりたい。帰る故郷がありながら、帰らないという覚悟を決められるか。それを乗り越えれば、あいつは本物になる」

「佳い兄貴だよ、あんたは」

「よさないか」

 

 照れてはにかんだ風笑(ふうしょう)が去った後も、(がい)には持て余す程の時があった。見せかけの「船出」が始まるのは、三刻(六時間)後である。

 

 無聊をかこつのは好きではなかった。取り留めのない、答えの出しようもない思案ばかりが浮かび上がってくるためだ。

 それでも、敢えて思案の淵に飛び込んでみようと(がい)は思った。

 

 齢五つの頃。母の死によって両親を喪った(がい)だが、家族と呼ぶべき者達はいた。母の夫となった《久々鱗(くくり)》の男と、母の忘れ形見である赤子の弟。

 

 それらに背を向け、弔問に来ていた碧酈(へきれき)と共に故国へ戻ることを、(がい)は選んだ。

 

 今にして思えば、実に幼稚な情動の結果である。弟を産んですぐに母が亡くなったこともあり、種違いの弟に母の命を持ち去られた、などと思い込んでいた。悲しみと寂寥を紛らわすために。

 

 しかし、それは弟とて同じことではないか。共に《久々鱗(くくり)》に渡り、心の痛みを分かち合う道を、どうして選べなかったのだろう。

 

 あの日以来ずっと心の奥に居座る悔いを忘れようと、《碧奏殿(へきそうでん)》での修行に没頭した。

 仙術の素養こそ皆無だったが、他の武術体術で負けたことが無かった。同輩の中でも頭一つ抜けた存在となり、頭領直々の命を受ける立場にまでなっている。

 

 それでも、内なる呵責が消えることはなかった。諱が分からないなどという奇妙な症状も、きっとそのためなのだろう。それが罰なのか、あるいは逃避なのかは分かりようもない。

 いずれにしても、自分には大きな穴が空いている。ということだった。

 

 刻限が来る。

 

 東に舳先を向けた船影が、渡しを発ってゆっくりと動き出す。中天に達した陽を受け、長い影を水面に描きながら。それは、新たな天地を目指す者達が進む架橋だった。

 

 働きどころは目前、(がい)は具足を展開してその時に備えた。破仙之具足(はせんのぐそく)。銘の通り敵の仙術を打ち消す力を帯びたこの具足は、碧酈(へきれき)より授かって以来、数多の任に当たる中で体の一部も同然となっている。

 

 獲物をみつけた獣の群れが叢から飛び出すように、船隊が入江を北上してきた。渡り始めたこちらの船を、沈めるか拿捕するために接近してきているのは明白である。

 

 そうなるという確証が、あった訳ではない。敵の目的は砦を陥とすことであり、亡命のことを知っているかも判然としてはいないのだ。

 見過ごすというならそれでもよかったが、敵は船を追うことを選んだ。風の術で押されるまま進むだけの、がらんどうの船を相手に、戦力を分散させた形と言える。

 

 そのために敵の拠点が手薄になっていることは、木々や地面の起伏に身を潜め、にじり寄る(がい)にははっきりと分かった。

 油断を誘う見せかけではない。敵陣を指呼の間に望む位置に到っても、警戒の気がこちらを刺してこないのだ。高櫓や土塁の上に詰める物見が、所在無さげに遠くを見ているのみである。

 

 足下の死角を縫うように進む。陣の備えを検めた。櫓と土塁の他は、二重の柵と逆茂木。土塁の外縁は、平地に偽装した空堀だろう。

 

 火をかければ、崩せる。延焼を防ぐ火避けの術がかけられていれば、具足の力で引き剥がすつもりだったが、それも不要だろう。

 携えてきた装備。"一族"が常用する、先端を擦って火を点ける発火筒。それから、風笑(ふうしょう)より預かった仙術の種。投げ込めば巨大な竜巻が起こり、取り込んだ火種を陣すら呑みこむ炎の渦に変える。

 

 敵味方の船は、その距離を見る間に詰めている。風向きは南。追い風を受ける敵の船足は速いのだ。それだけに転進も、自陣の救援に向かうことも難しい。

 

 機は熟していた。

 

 発火筒を左の籠手で擦った。掌に収まる小さな火種が灯った筒を、(がい)は敵陣目掛け放り投げる。空を裂いて描かれる緋色の弧は、攻撃開始を味方に伝える烽火でもある。

 畳みかけるように、仙術の種を飛ばした。二つの軌跡が、敵陣の真上で交錯する。

 

 光と熱が、激烈な過流となって膨れ上がった。何事かと目を向けていた敵の物見が、熱風に吹き飛ばされている。渦巻く勢いのままに飛び散る炎が柵に燃え移り、燃え盛る壁が陣を囲繞した。

 

 敵兵の群れが、転げるようにしてこちらに飛び出してくる。風向きのために、南には逃げようがないのだ。我先にと外を目指すあまり、同士討ちさえ起きているらしい。

 

 谺する悲鳴を覆い隠すように、空を揺るがす鯨波が上がる。炎から逃げ出す敵に止めを刺すため、砦を出て待ち伏せしていた味方の攻撃が始まった。

 

 それも、漫然と四方を囲むような甘いものではない。燿謙(ようけん)自ら率いるであろう主力が、敵の群れを二度も貫き、纏まった反攻などしようもない程に寸断する徹底した攻めだ。

 

 燃え盛る陣を背に、敵が薙ぎ倒されてゆく。味方は散り散りとなった敵を各処で囲み、追い詰め、斬り伏せていた。

 燿謙(ようけん)の旗本は無論だが、昨日までは動揺に囚われていた兵達も、統一された動きによって、抗し難い圧力を敵にかけている。

 

 渾然とした戦場を突っ切る殺気を悟り、(がい)は駆け出した。

 昨日相対した刺客と同じ気配、それが五つ。ただ一点、燿謙(ようけん)の首目掛けて殺到しているのか。

 

 陣が炎に巻かれ、混迷そのものの乱戦となっている現状は、かえって好都合だと見たのだろう。不甲斐ない味方が其処彼処で制圧されるのを問題にもせず、最大の獲物に肉薄せんとしていた。

 

 まず一人。捉えた。落ちていた槍をひっ掴み、ひた駆ける敵の背を狙い投擲する。

 槍の突き立った影が崩れ落ちるのを見る暇とてなく、もう一人が現れ剣の切先を向けてきた。身を捻って避け、ようとして、咄嗟に間合いを詰めた。

 

 さらにもう一人が、雷火(らいか)の銃口を向けているのを察したのだ。組み合った一人の腹に膝を食らわし、腕を捻り上げて目の前に突き出した。

 肉と具足の楯が、寸前に迫っていた弾丸を止める。

 

 離脱せんとした撃ち手に、奪った剣を投げつけて仕留めると、改めて燿謙(ようけん)の方を見る。

 派手に跳躍して得物を振り上げ、頭蓋から両断しようと迫る刺客の姿。

 

 あれは、陽動だ。本命は。

 

「将軍、下だ」

 

 叫んでいた。両手は(がい)と違う意識を有しているように動き、雷火(らいか)に弾丸を籠めている。

 

 燿謙(ようけん)がこちらを見、小さく頷いたようだった。呼びかけるまでもなく、刺客の意図を悟っていたかもしれぬ。

 現れた、予想通り。奇襲に備える兵の壁をすり抜け、剣を抜き放つ最後の一人。

 

 天地両面から迫る刺客に、燿謙(ようけん)は微塵も狼狽えない。槍を捨て、太刀の柄に手をかけている。

 

 (がい)もまた、弾籠めを終えた雷火(らいか)を携え、機を待っていた。昨日の戦の後、幾度も試し撃ちを行ったのだ。とうに癖は掴みきっていた。

 

 燿謙(ようけん)が一歩、踏み込む。(がい)が、銃口で天を差す。

 勢いのまま鞘から飛び出す白刃。高らかな音と共に放たれる弾丸。奔る光が交錯した。

 

 得物を振るわんとして、体を上下に両断される。空で撃ち抜かれて体勢を崩し、槍衾に突き落とされる。

 二人の刺客はほとんど同時に、そのような最期を遂げたのだった。

 

 それを見た敵勢全てに、恐怖と敗北感が漣の如く広がるのがはっきりと分かった。

 

 ────────

 

"一族"の三人で、血の匂いが染みついた戦場を後にした。

 千に届こうという敵の骸が見渡す限り散らばっていたのも昨日までのことで、既に埋葬は済んでいる。

 

「あーあ、つまらん務めだったな。御守りをしてたせいで戦もできなかった」

 

 不平を述べながら唇を尖らす胡兎(こと)だったが、不満と責任感は別の話だった。

 影から影を伝って対岸に至った後も、万が一の襲撃が無いか八方に気を配り、《臣廼湖(おみのこ)》からの迎えが来るまで、皆の楯で在り続けたという。

 

 そうした事情を知悉している壁融(かべとおし)は、偽悪的な振舞いに微笑ましげな視線を向けていた。睨まれても、涼しく受け流すだけである。

 

「今後も《浜床(はまどこ)》への加勢に赴く任は、あるだろうか」

「どうでしょうね。あくまで、仙遺物に関わりあるが故の特別な事例、という体裁ですから」

「だけど、お偉いさんが大好きな前例ってのはできた訳だ」

 

 皇都とは付かず離れず。碧酈(へきれき)がいつも言っているそれは、"一族"にとって不動の方針でもある。

 此度の務めが、そうした建前に沿うものであったと断言し難いのは、否めなかった。

 

 終わってみれば、微妙な均衡が崩れかねないような出来事ではあった。碧酈(へきれき)はそれも已む無しと此度の戦に踏み切ったのか、それとも、他に何らかの展望を有しているのか。

 

 ふと、近づいてくる気配に気づき、(がい)は足を止めた。

 

「何だよ、敵か?」

「構わず行ってくれ」

 

 訝しむ胡兎(こと)を、壁融(かべとおし)が先に進むよう促す。

 

「先に行っています。合流は所定通りの場所で」

「すまん」

 

 歩き去る二人の後ろ姿が視界から消えてから、十数えた。振り返る。手を振りながら駆け寄ってくる麒影は、やはり風笑(ふうしょう)だった。

 

「立て込んでいたために、ちゃんと礼を言いそびれた。間に合ったな」

「そうか」

 

 風笑(ふうしょう)白麒(はくき)を停めて鞍を下り、洗練された動きで沓を取る。

 白麒(はくき)を駆るのに長けた者が、"一族"には然程多くはない。流石に頭領たる碧酈(へきれき)は相当の乗り手であるが、それにも匹敵する技量を有すると見えた。

 

「既に聞いていると思うが、皆無事に湖へ向かったぞ」

「ああ、お前達には感謝の言葉も無い。活路を見出させてくれた、と思っている」

「大仰な」

 

 それだけ言葉を交わし、別れようと思っていた。その筈なのだが、(がい)の口からは余計とも評しうる問いが、意図に反して飛び出す。

 

「どうするのだ、これから。砦入りして将軍に加勢するか」

「それも考えたが、私を側に置いているという事実が、将軍に禍をなさぬとも限らん。頼るべきもう一つの存在について、真剣に考え始めたところだ」

「誰だ、それは?」

 

 以前、一度だけ沓を並べて戦った軍勢だという。知己とすら言い難いと風笑(ふうしょう)は言いつつも、訪ねてみるに足る相手だとの意識が、口調には滲んでいる。

 

 頷きつつも、(がい)は外から覗き込むようにして、己の内心を省みた。聞きたかったことが、他にあるのではないのか。

 

 たとえば、使命についてであるとか。

 昨日、敵陣に火をかける前に聞いた使命という言葉は、確かに自分の奥底で根を張っていた。

 

 それが憚られたのは多分、何故それを聞きたいのかすらも分からなかったためだろう。

 使命とやらを、自分も見出せるか否かを知りたかったのか。それとも、やはり自分には縁の無いものだと改めて認識するためか。

 

 気がつけば、風笑(ふうしょう)は鞍に跨っていた。

 

「また、道が交わることがあれば」

 

 南へと駆け去ってゆく姿を、(がい)は視界から消えるまで見続けた。

 

 別の方へと、歩き出す。それでも、遠からず道が交わる日が来るという、朧げな予感があった。

 

 その時こそ、聞くことができるだろうか。

 




 いつも応援してくださる読者の方々に、改めてお礼を申し上げます。

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