無源の秋 〜竜の翼は風雲に舞う〜【毎週金曜12:00&日曜19:00更新】   作:くコ:彡の本棚

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邂逅の湖畔

 

 陽に照らされて煌めきに満ちる湖を、双竜之丞(ふたつのじょう)は暫し無言で見つめた。

 

 瑞王(ずいおう)に跨って高度を取れば、《臣廼湖(おみのこ)》の全容はようやく見えてくる。天地を映し出す鏡の如く澄んだ湖面の上を、幾つもの船影が行き交っていた。

 

 この湖を源とする《臣廼川(おみのがわ)》の雄大な流れが海に注ぎ込む途中、網の目のような支流が《聖華(しょうか)》東部に張り巡らされている。それは、そのまま交易の道となって膨大な金と産物を動かすのだ。

 

「やあ、相変わらず海と間違えそうなでかさよ」

 

 巌徹(がんてつ)が感嘆の声を上げる。《久々鱗(くくり)》から直接《聖華(しょうか)》に来たのだから、当然湖を渡ったことだろう。

 

 双竜之丞(ふたつのじょう)巌徹(がんてつ)。二人は同道してここまで来た訳だが、その理由は各々異なっていた。

 

鳴蒙川(めいもうがわ)》での戦いが終わった後、双竜之丞(ふたつのじょう)燿謙(ようけん)に呼び出された。個人的な依頼のためである。

 

「《臣廼湖(おみのこ)》の水運を担い、湖を守ることを生業とする者達は知っていよう。その中に私の古い知り人がいて、《久々鱗(くくり)》の騎竜武者に力を借りたいと頼んできたのだよ」

 

 妙な頼みもあるものだと思ったが、不都合も無かったので受けることにした。《金號(きんごう)》の南下はひとまず止み、陣借りの働きどころも多くはなさそうなのだ。

 

「内陸の人間であれば、勘違いもしような。海とは匂いがまるで異なるのだが」

「生まれは海の近くか?」

「いや、親族の住まいが《珠幸(じゅこう)》に。海を見る機会が少なくなかっただけさ」

 

 巌徹(がんてつ)はというと、《久々鱗(くくり)》に戻って帰参するつもりでいるようだ。肩身の狭い思いをしている郎党の側に、いてやりたいと思ったらしい。

 良き主君に拾われれば、持っている以上の力を出せる男だろう、と思う。燿謙(ようけん)の下に残るのも悪くないと思うが、彼自身で選んだことに口は挟めない。

 

「楽しかったぜ、双竜(ふたつ)。できればまた同じ戦場で会いたいな」

「ああ、敵でなければ言うことは無い」

「まったくだ。お前を倒すとなると骨が折れそうだし」

 

 剃った頭を光らせて飛び去る巌徹(がんてつ)の影が見えなくなってから、双竜之丞(ふたつのじょう)は進み始める。

 

 一番近い泊が見えた。着陸して船を出してもらおうと思った時、誰何の声を投げられる。

 右手には湖の南岸に面した小高い山があるが、その裾に物見台らしきものがあって、そこに幾人かの影が見えた。

 

「面妖な。どうして皇都の方角から《久々鱗(くくり)》の騎竜武者が来るのだ」

「竜に乗った陣借りならば、今では大陸の何処にでもいるぞ。それより、船に乗りたいのだが」

「逃げるなよ、そこで待っていろ」

 

 物見台、それから泊から人の群れが現れた。取り囲まれるに任せる。二十人は超えるだろう。具足は着ているが、武士の物々しさ、賊の凶悪さ共に、彼らからは感じられない。

 

「船に乗りたいと言ったか。飛竜の翼であれば、《久々鱗(くくり)》まで飛んで帰ることもできよう。お前の連れがそうだったように」

「かなり前から見ていたのだな」

 

 声を張り上げる大柄な男は、纏め役であることを誇示するように振舞っている。そこに、微かな違和感を双竜之丞(ふたつのじょう)は抱いた。

 

三方師(さんぽうし)殿というお人に会うため、ここまで来た」

「あの方とどういう関わりがある」

「《聖華(しょうか)》国軍の燿謙(ようけん)将軍に頼まれてね」

 

 国軍の名を出せば警戒も解けると思ったが、逆効果だったらしい。大柄な男が胡乱げな目付きのまま、目玉を右に動かしている。

 

「悪いが信用できんな。向こうで検める。得物を預けてもらおうか」

「それは構わんが、聞きたいことがある」

「何だ」

 

 双竜之丞(ふたつのじょう)は大柄の男から目を逸らし、左に真横を向いた。すげ笠を目深に被った簑衣姿。それ自体、他の大多数と変わるものではなかったが。

 

「あんた達は何者だ。商人の私兵という訳でもなさそうだが」

 

 囲みがどよめきに満ちた。

 

「おい、何のつもりだ」

「見せかけの頭領には聞いていない。気持ちは分からんでもないが、見え透いているな」

 

 一騎討ちでも軍同士の衝突でも、肝心なのは敵の意識が何処に向いているか知ることだ。

 その点、この者達は分かりやすい。双竜之丞(ふたつのじょう)の目の前にいる者、それを警固するように集結し、反応を常に確かめられるよう注意している。

 

 それを隠す術を知らない辺り、やはり場慣れしていないのだ。

 

「おのれ、戯けたことを──」

「やめな石騒(せきそう)。あんたの演技が至らなかったのさ」

 

 目の前の人間が声を上げた時、今度は双竜之丞(ふたつのじょう)が驚かされた。到底、男の喉から出せるような声ではない。

 すげ笠に手がかけられた。

 

「試すような真似をして悪かった。質問には船の上で答えようじゃないか」

 

 黒い短髪の隙間から鉢金を覗かせた女が、双竜之丞(ふたつのじょう)を泊へと導く。

 

 ────────

 

 蓑衣を脱いだその女は、自らを火鵺(かぬえ)と名乗った。

 

「せっかく佳い女と相乗りなのに、二人きりの舟遊びとはいかずで悪いね。そいつはガタイが良い割に細かい奴でさ」

 

 切れ長の目を双竜之丞(ふたつのじょう)に向けてくる。具足を着込みながら、唯一曝け出している白い両腕が妙に眩しかった。

 今船上にいるのは二人の他に、船頭と、纏め役のふりをしていた石騒(せきそう)という男である。むくれたように黙り込んで、じっとこちらを見てくる。警戒を完全に解いてはいないらしい。

 

 それから、瑞王(ずいおう)は船と並ぶ形で湖を泳いでいる。元々、飛竜は地竜から派生した種族とされるが、その頃から川や海を泳ぐことができるのだ。さらに水中での生存、活動に特化した海竜という派生種もいる。

 

「で、あたしらは何者だと思う?」

「佳い女だろう」

「物覚えが良いね」

「そして……鍛冶でもあるか」

 

 槍と鏢を預けた時、刃の扱いが実に手慣れたものだった。それでいて戦の場数を踏んでいないとなると、やはり鍛冶ではなかろうか。

 

「やっぱり分かる奴には分かるか。確かにあたしは鍛冶場の娘さ。ちなみに石騒(せきそう)はたたら場の出で、細工職人の一族もいたかな。だから、こんなものだって」

 

 火鵺(かぬえ)が船に積まれた櫃の蓋を開けると、先の戦ですっかり見飽きたものが現れた。雷火(らいか)を一挺取り出し、慣れた手つきで構えている。

 

「鹵獲品か?」

「《金號(きんごう)》から流れてきたのはとっくに分解(ばら)したよ。構造が知りたくてさ」

 

 近くでよく見せてもらったが、《金號(きんごう)》のものをほぼ完璧に再現している。職人達の腕もあるだろうが、そもそもの造りが単純なのだろう。それはつまり、設備に乏しい前線でも修繕が可能ということだ。

 

 船が停まった。瑞王(ずいおう)も命じるまでもなく休み始める。前を横切るように現れる大型の船には、交易品と思しき積荷がある。

 彼我の船頭が様々な組み合わせの合図を交わし、再び船は動き出した。湖に道があるようには見えないが、通行には細かい取り決めがあるのだろう。

 

 しかし双竜之丞(ふたつのじょう)が気になったのは、その船に明朗とは言い難い雰囲気が纏わっていたことだ。《金號(きんごう)》から《聖華(しょうか)》入りした双竜之丞(ふたつのじょう)には、その辺りの事情がよく分からぬ。

 

「《聖華(しょうか)》の東には賊が跋扈していてね」

 

 紅の引かれた火鵺(かぬえ)の唇が歪んだ。それは怒りの形だった。

 

「賊どもが暴れ始めた時、奴らは鍛冶場やたたら場にばかり狙いを定めて潰した。どうしてだと思う?」

「武器を敵に渡さないため……」

「そうじゃない。賊にそれを命じた黒幕がいるからさ」

 

 乾いた音。石騒(せきそう)が悔しげに唇を噛みながら、船縁を拳で叩いたのだ。

 

「まあ、三方師(さんぽうし)殿に諸々聞くといいよ。あたしよりずっと物知りだから」

 

 いつの間にか、目的地は目と鼻の先だった。《臣廼湖(おみのこ)》北東、最も大きな泊である。

 

 上陸すると、静かな湖面とは対照的な賑わいがあった。多くの建物と桟橋が並び、行き交う人々は忙しく足を回転させている。荷揚げをする者、船を整備する者、彼らの腹を満たす食事の支度をする者。

 一所懸命。目の前の務めに没頭する彼らの働きが、巡り巡って何かを求める人の望みを叶えるのだろう。

 

 感心しつつも、火鵺(かぬえ)に聞いた話を忘れられそうもない。探るような目をしそうになるのを抑えながら、双竜之丞(ふたつのじょう)は館を訪った。

 

三方師(さんぽうし)と申す。ご足労をおかけしましたな」

 

 館の主はわざわざ正門で出迎えてくれていた。歳は五十になるかどうかといったところか。小柄で、肌の灼けた男である。招き入れられるまま、中に入る。

 

火鵺(かぬえ)殿らとは、どのような?」

「賊に仕事場を潰された彼女らのために、小さいながら代わりを宛てがって差し上げましてな。その礼だとのことで、巡邏を買って出てくださるのですよ」

 

 その賊が、大挙して《臣廼湖(おみのこ)》の襲撃を図っている、と三方師(さんぽうし)は告げた。今まさに集結している只中で、数にして一万を超える勢いだという。

 

「それだけの数が動くとなれば、まず《斬穢関(ざんえのせき)》に詰める軍が動きそうなものですが」

 

聖華(しょうか)》中央を南北に縦断する形で築かれたその長城は、《臣廼湖(おみのこ)》と共に巨大な壁を形作り、国土を東西に隔てている。

 そこには平時でも数万の兵が詰めているだろうから、賊の群れを容易く撃退できる筈だ。

 

「出払っているのですよ。将も、兵の大半も。折悪しく、軍揃え(閲兵式)のためにと召還の命が下ったようで」

 

 話がきな臭くなってきた。じっと見つめてくる三方師(さんぽうし)の目は、最後まで聞く覚悟を決めろと言っているようでもある。

 

火鵺(かぬえ)殿からお聞きになってはいませんか。鍛冶場やたたら場に賊が押し寄せ、潰されたという話。あの時も各地の守将が突然《斬穢関(ざんえのせき)》に呼び出され、不在だったと聞き及びます」

「まさか」

「思い過ごしだと自分も思いたい。国の血肉たる職人を迫害する動きが中枢にあるなど、恥に他なりませんから」

 

 国軍の名を出した時の、石騒(せきそう)の不信を湛えた目。さらに時を遡り、疲労に満ちた燿謙(ようけん)の顔。波のように去来する。

 

 大陸最大の皇国に、不快で危険極まりないものが渦巻いているのだ。

 

「……それで、私をお呼び立てした理由は、奈辺にあるのでしょう。賊の撃退とか」

 

 槍を振るって賊を斬り伏せるだけなら、不穏な情勢に干渉するより余程気楽な仕事である。三方師(さんぽうし)は答える代わりに、卓の上に何かを積み上げた。

 布地である。民草の服に使われる生地とも、王侯貴族が贔屓にする反物とも違う。促されるまま、手で触れる。

 

「これが何か、貴方に分からぬ筈はない」

 

 確かに、その通りだった。双竜之丞(ふたつのじよう)は嫌というほどこれを知っている。

 地竜の内皮から作られる、厚手の布。《久々鱗(くくり)》では天幕に使われるものだ。

 

 何故、こんなものがここにある。隠しきれない疑問が双竜之丞(ふたつのじよう)の瞳に浮かんだ時、三方師(さんぽうし)は語り出した。

 

 ────────

 

 数にして、一万二千。集結した賊は《臣廼湖(おみのこ)》に攻め上がる態勢を取っていた。《斬穢関(ざんえのせき)》の東、眼前である。

 

 守兵の大半が出払っているという情報は、やはり真だった。賊の側面を突くという指示ができるような指揮官は、悉く召還されているのだろう。ならば、こちらも好きにやらせてもらうまでだ。

 

修伍(しゅうご)隊長」

 

 呼びかけると、右目の潰れたむくつけな顔が現れた。無源(むげん)の立ち上げた軍を、一端の組織として育て上げた男である。優れた武人であり、指揮官であり、指南役でもあった。

 

 性急に賊の数を減らすのでなく、自軍が大きく動く余地を確保するような戦。旗揚げの時、修伍(しゅうご)に説かれたことである。それを忠実に守り続けてきたことは、やはり正しかったと思わずにいられない。

 

「首尾は、どうだろう」

「はっ。途上の中継点全てを押さえ、荷駄の搬入も滞り無く完了しているとの報せが」

 

 敵が集結する途上で強襲し、破砕することもできた。しかしそれでは、敵は四散して捕捉するのが難しくなる。同時多発的に村や街に牙を剥き、潜伏するのを反復されたのでは、厄介この上ない。

 

 賊を纏めて捕殺する、効率的な術を詰めた末に至った答え。それが、進撃する敵の側面にぴったりと付いて、散る暇を与えないという戦法だった。

 

 営舎の中、卓に広げられた地図には十幾つかの目印が刻まれており、それを一つの線で結ぶと、西に弧を描きながら《臣廼湖(おみのこ)》の南端に続いていた。

 布陣の支度が済んでいるこれらの地点で離着陸を繰り返し、騎竜隊は前に進む。敵を左に捉え、足並みを揃えながらだ。

 

善右衛門(ぜんえもん)がよくやっております。進軍の膳立てから、各地の守兵との折衝まで。伝手も少なくありませぬし」

「折を見て、直接伝えてくれると嬉しい。奴は自分の重みを今一つ計りかねていると、度々思う」

「心得ております」

 

 いざ挙兵となった時、両親の復仇に燃える善右衛門(ぜんえもん)は真っ先に徒士に志願したものだが、悲しいことに前線で戦う素質を、まるで持ち合わせていなかった。

 

 それ自体は恥ではないのだが、修伍(しゅうご)が強い言葉で止めるのも聞かず独自の鍛錬などを続けた善右衛門(ぜんえもん)は、ついに倒れてしまったのだ。

 あの泉花(せんか)が泣きはらして善右衛門(ぜんえもん)の枕頭についていたことは、今でも覚えている。

 

 波守(なみのかみ)も交えた相談の末、善右衛門(ぜんえもん)に与えられたのは、矢玉が飛び交うことのない戦場だった。

 

 軍の兵糧や武具を確保し、消耗に応じて各部隊に分配する。荷駄の集積地と、それの警固にあたる兵の配置を考え、調練の日程も立てる。

 これは商館の備蓄や交易の予定とも擦り合わせを行う必要があるから、商館の仕事の一部と重なってもいた。

 

 善右衛門(ぜんえもん)の才は花開いた。膨大な文字と数字の濁流が押し寄せる務めを、大過無くこなすようになったのだ。

 此度の作戦でも、進軍路に沿って荷駄を運搬する計画をそつなく立案し、実行している。

 

 それでも、両親を理不尽に奪われたことへの無念さは、まだ拭いきれていないだろう。暴走する前に、どこかで解き放つ場を作ってやらねばなるまい。

 

「荷駄を狙う賊は狩り出したか」

「抜かりなく。指揮官は処断し、解放した兵の後は密かに尾けてあります」

 

 統率の甘い賊にはありふれたことだが、本隊を離れて荷駄を略奪しようとする動きがある。とある目的のため、修伍(しゅうご)にはそれを囲んで虜にする指揮を任せていた。

 

 風喜(ふうき)が齎した情報、海沿いにある賊の補給拠点。凡その位置は掴んでいるが、より正確なところを把握すべく、逃した兵の半分を獣のように追い立て、《臣廼川(おみのがわ)》を東へ越えさせたのだ。

 

 その後を追跡すれば、拠点に至る道筋が明らかとなるだろう。牙城たる《解軛門(かいやくもん)》への中継点ともなる、要地への道である。

 

 そしてもう半分は当然、本隊に逃げ込む。解放する際、次のように吹き込まれた兵だ。

 補給拠点に攻め寄せる動きが、今まさに進められている、と。

 

 陳腐な流言。頭では承知していても、心の一部は後方に置き去りになる。背中に不安を抱えたままでは、正面に向ける鋭峰が鈍るのは当然だ。

 帰り道を失う恐怖に駆られた部隊が逃げ出すとなれば、それを追跡して道を見定める。

 

「我らが何者かを知らしめる戦、他に累を及ぼすことにはしたくない。互いに、遺漏無くやろう」

 

 敬礼を残して駆け去る修伍(しゅうご)の顔に複雑な色を見て取ったのは、あるいは偏見によるものかもしれぬ。

金號(きんごう)》で指揮官を務めていながら、無軌道な出兵を繰り返す祖国の方針がいたたまれなくなり、飛び出した経歴のある男だった。

 

 新たな国を樹てるという無源(むげん)の志にも、内心では微妙なものを抱いている筈だ。

 当然のことである。力で何かを為さんとする存在に対して、必ず向けられる疑念。何者かを知らしめるとは、行動によってそれに回答するということに他ならない。

 

臣廼湖(おみのこ)》に生きる人々に対してそれを行うのが、此度の戦だった。波守(なみのかみ)の後援を得て《久々鱗(くくり)》の産物を交易に出している意味の一つは、湖の守り人に渡りをつけることなのだ。

 

 こちらが接触を望んでいることを、薄々ながら感じてくれているだろう。賊が跳梁し、その裏で陰謀が蠢く情勢下、水運の道を守るために気を張っている彼ら。

 

 実りある取引相手、そう認識されれば良し。今の処はだ。いずれは、離れ難い同志と思われたい。思わせてみせる。

 

 一処に固まっている敵を遠望する。偽りの報せを土産にした兵がそろそろ戻っている頃だ。敵陣に走る揺らぎを見た気がした。

 待っていろ。無源(むげん)は口の中で呟いた。

 

 ────────

 

 瑞王(ずいおう)の翼が空気を圧し、視界が迫り上がってゆく。

 

 眼下に点在する街、村。それらの大半から、人の気配が消え失せているように思えた。今は早朝、各々が日々の生活を送るために動き始めている筈の時間である。

 

 同じような光景を《金號(きんごう)》の北で見たことがある。海賊の襲撃を受ける沿岸の集落では、その兆しがある度に内陸へと逃げ込んで軍の救援を待つのだ。

 

「どの城も逃げ込んだ皆でごった返してるみたいだね」

 

 背後からかけられる言葉に、双竜之丞(ふたつのじょう)は軽く頷いた。

 高い土塁、川の流れを引き入れた水堀、組み上げられた櫓。各地に点在する城や砦に避難する住人も多い。上空から内側を窺うと、民を防戦の邪魔にならない方へ導いている兵の姿も見える。

 

 それぞれの城砦の主は現地の土豪達だった。かつては皇都から派遣された国軍の将兵が詰め、土豪がそれを補佐するという形が取られていた。

 

 ところが、以前より赴任していた部隊は全て呼び戻され、今では兵ばかりが送り込まれているという。その大半は新兵か、負傷で前線を離れていた者ばかり。

 それを調練し、再編する手間を土豪達は押し付けられている形だ。

 

「故に、彼らにできるのは各々の城と逃げ込んだ者らを守ることくらいだ。賊を叩くために動き、まして《臣廼湖(おみのこ)》の助勢に駆けつけるなど無理な話さ」

「あたしらも腹括らないと、だろ?」

 

 初めて空に上がったと思えない程、火鵺(かぬえ)の態度は落ち着いたものだった。何が琴線に触れたか知らないが、同乗させてほしいと頼んできたのである。

 

 確かに飛竜は具足を着込んだ人間を二人乗せることぐらい容易いものだが、瑞王(ずいおう)が受け入れるか否か。

 そう思ったのは杞憂だった。双竜之丞(ふたつのじょう)以外の人間を乗せるという初めての体験を、結構楽しんでいるようだ。

 

「さあ、そろそろ仲間の下に戻ってやれ。弟分は相当気を揉んでおるようだぞ」

 

 火鵺(かぬえ)を下ろしてやると、石騒(せきそう)が大慌てで駆け寄ってくる。その肩を火鵺(かぬえ)が叩くのを見て、双竜之丞(ふたつのじょう)は再び高度を取った。

 

 かき集めた義勇兵二千弱が、《臣廼湖(おみのこ)》の南東に進出して防衛線を敷いている。小山が作り出す入り組んだ隘路で、正面の敵を堰き止めやすい地勢だ。

 

 義勇兵は湖の商人が抱える私兵から募ったもので、実力にもばらつきがある。みだりに白兵戦に投入したくはない。

 道を堰き止めておき、矢の雨を降らせ、火鵺(かぬえ)らの雷火(らいか)を撃ち込んで敵を撃退することに注力するべきだろう。

 

 そこを突破されたら、湖まで後退して守りを固めるしかない。双竜之丞(ふたつのじょう)が出るのは、その時だった。殿となって賊の追撃を撥ね退け、皆が退がる時を稼ぐのだ。

 

 緊張の面持ちで、敵が現れるであろう前方を見据える。賊の群れを恐れる道理は無い。撫で斬りにするならまだしも、先頭を薙ぎ倒して追撃を断念させるくらい、単騎でも難しくはないだろう。

 

 三方師(さんぽうし)に聞かされた、真の依頼。双竜之丞(ふたつのじょう)をして張り詰めた心持ちにさせる原因は、まさにそれだった。

 

「来たな」

 

 土煙が上がった。と見えた瞬間、一気に膨れ上がって視界の片隅を染め、喚声が空気を揺るがす。その段になり、地上から敵接近を告げる大声が上がっていた。

 

 心気を統一し、瑞王(ずいおう)との紐帯を強めた。人間より遥かに鋭敏な飛竜の感覚を借り、敵の勢いを見極める。意気も盛んに攻め上がってくるか、それとも。

 

 浮き足立っている。としか言いようがなかった。追い立てられている。形あるもの、もしくは無いもの。あるいは両方に。

 その時、東風が吹いて草木を揺らした。土煙が取り払われ、覆われていた光景が露わになる。

 

 二つだった。白刃の輝きを湛えた二つの群れが、並走しているのだ。

 

 敵は戦力を分けているのか。違う。両者の間でひっきりなしに飛び交うものは数百の矢だ。向きといい勢いといい、反対側の相手を殺すためのものに他ならない。

 既に戦は始まっているのだ。一点を目指す二つの軍勢が、駆けながら側面の敵に対している。同じ方向に這い進む巨大な二匹の蛇が、鎌首をもたげて食い付き合っているような態勢。

 

 向かって左側の軍、その弓勢は凄まじいものだった。降り注ぐ矢の雨が右側の軍……賊の群れを容赦なく射貫き、外側を削り取ってゆく。思わず、矢の軌跡を目で追っていた。

 

 賊の頭上より矢を放っているのが確かに《久々鱗(くくり)》の騎竜武者であることを悟った時、双竜之丞(ふたつのじょう)は心のざわめきを抑えられなかった。それが伝わって瑞王(ずいおう)が短く唸る。

 

 斉射で穿たれた穴を見て取った騎竜隊が波のように押し寄せ、勢いそのものを武器として敵を薙ぎ倒す。刃を打ち交わす音と悲鳴が競うように響き、赤い渦が戦場に巻き起こるのだ。

 

 賊を討つだけ討つと、百騎あまりが行手の丘に着陸して態勢を整え始めた。初めからそこに翼を休める処があると分かっているような、悠々とさえ表しうる様子だった。

 あの軍はずっと、このように進んできたのか。行手の丘や高台、飛竜の休める地点を周到に押さえ、縫うような進軍で。

 

 賊の群れから塊が飛び出した。二千ないし二千五百の徒士。勢いこそあるが、統制の取れた鋭さは無い。空からの熾烈な攻勢に耐えかね、暴発したというところか。

 丘に押し寄せる賊を前に、騎竜隊はこれといった動きを見せない。慌てて離陸すれば矢の好餌となるのは当然だが、このまま取り囲まれるに任せるのか。

 

 地が、湧いた。空から見ると、その様がありありと見えた。

 

 騎竜隊が飛ぶ下を、巧みに死角を利して進む数千の徒士がいた。存在こそ認識していたが、ここまでの数だったとは。空から見下ろす双竜之丞(ふたつのじょう)でさえそうなのだから、地上の賊どもはさぞや驚愕していることだろう。谺する呻きがここまで聞こえてくる。

 

 突出した賊は押し包まれた。壁となるよう現れた、長槍を構えた徒士。天を差していた穂先を一斉に振り下ろす。賊の頭上に落ちかかる白刃の群れは巨大な鎚の如き勢いを帯び、その動きを完全に封じてしまう。それを狙い澄まし、剣を抜き放った部隊が賊の群れに斬り込んだ。

 

 はっとする。戦の趨勢を見るのに没頭し、半ば自失していた自分に双竜之丞(ふたつのじょう)は気づいた。既に日は中天にある。

 賊の本隊は突出した味方を救うことを断念し、再び進み始めていた。逃げ出した者もいるだろう。並行する軍の騎竜隊も万全の状態で飛び、側面につけている。徒士の方は囲んだ敵の掃討を終えたようで、潜みながら騎竜隊の後に続いていた。

 

 いずれも、進んでいる。つまり、こちらに来る。それに思い至った時、瑞王(ずいおう)の騎首を地上に向けていた。義勇兵が交代で昼餉を取る中、飛び降りるように着陸する。

 

「おい、戦況はどうなっている。何と何が戦っておるんだ」

 

 詰め寄る石騒(せきそう)を抑えておいて、双竜之丞(ふたつのじょう)火鵺(かぬえ)に向き直った。

 

「配置を変えてくれ。雷火(らいか)の撃ち手を集めて、出撃できるようにしておくのだ」

「何だって?」

「詳しくは私にも言えん。しかし、勝てるかもしれない」

 

 火鵺(かぬえ)は余計な詮索をしてこなかった。腑に落ちぬ様子の石騒(せきそう)もそれに従い、数人に命じて人を集めさせている。陣はにわかに騒がしさに包まれた。

 

 再び空に上がり、戦場を遠望する。確実に近づいてきている。賊は勢いの絶えぬ騎竜隊の射撃を受けて数を減らしながら、再び無謀な突出をすることなく、前方に精強な部隊を集めているようだ。

 勢いにまかせて前方、つまりこちらの防衛線を抜くつもりらしい。

 

 音による地上からの合図。雷火(らいか)を手にした火鵺(かぬえ)と、五十あまりにのぼる撃ち手が整列していた。双竜之丞(ふたつのじょう)が槍に結んだ布を振る時、陣を出ると取り決められているのだ。

 再び前方を向き直ると、二つの軍勢は目と鼻の先に迫っていた。出撃の機を計るために心中で拍を刻み始める。

 

 影が、一つ現れた。

 

 翼をはためかせ、空を舞う影。騎竜武者が一騎、こちらを向いていた。

 そう、こちらを向いているではないか。双竜之丞(ふたつのじょう)が戦況を見ていたことを、承知しているように。

 

 目と目が合った。無根拠に、しかし実感を持ってそう思う。

 影の動きが変わった。円と球、それから直線を組み合わせた動きには、明確な規則性がある。双竜之丞(ふたつのじょう)はそれを知っていた。

 

 飛竜の動きによって、遠方の相手に意思を伝える、《久々鱗(くくり)》独特の符牒。

 

 我、攻むる時、横撃、願いたし。

 

 双竜之丞(ふたつのじょう)が槍を天に差し上げると、影は味方の下へ消えていった。

 高度を下げ、賊からは見えないように槍を振る。それに合わせて、布が白い軌跡を描く。

 

 雷火(らいか)隊が出た。ひっそりとだ。隊伍を組み、山裾の窪地を縫うようにして、身を隠し進み続ける。

 

 指呼の間。賊がこちらの間合いに入った。そう思った瞬間、前に飛び続けていた騎竜隊が真横を向き、賊の先頭に右から突撃を始めた。生ける巨大な鏃。風を裂く。

 

 賊。先頭が右を向いた。咆哮と共に刃を掲げ、弓を騎竜隊に向ける。後続もまた、それに合流せんとしていた。

 脇腹を見せる、賊の先頭。はっきりと見えた。頭で考える前に、皆が伏せていた身を起こした。

 

 引金が呼ぶ雷轟が、戦場を貫いた。

 

 空から見れば明瞭である。青白い怒涛が敵の側面に押し寄せ、飲み込まれた敵を文字通り撃ち砕いてゆく光景が。

 直後に響く雷火(らいか)隊の鯨波は、斉射時の轟音すら上回るかと思われた。

 

 射界に在りながら、壮絶な火線の中で生き永らえた者がいたらしい。憤怒に任せ、雷火(らいか)隊に突っ込んでくる。

 双竜之丞(ふたつのじょう)は飛んでいた。飛勢を槍に籠めて二、三度薙ぐと、賊だったものが計十人分は散らばっている。

 

 戦場を見る。斉射によって僅かな秩序すら失った賊の先頭は、騎竜隊に蹂躙されるままとなっていた。積み重なる骸の中には指揮官もいるだろうが、とても分かるものではない。

 後続も徒士の重囲に取り込まれ、武器を捨てぬ限りは悉く首を飛ばされている。

 

 暫く、見つめていた。勝った者と負けた者、両者を分つ線がはっきりと引かれる様を。

 

 陽が、沈みかけていた。先程までの喧噪が嘘だったように、戦場は静まり返っている。溢れる血腥さも、いずれは霧消するだろう。

 

 味方の下へ戻ろうとする。

 

「よう」

 

 固まった。瑞王(ずいおう)が不思議そうに見つめてくるのを感じながら、動くことはできなかった。それは恐怖に近いが、決定的に何処かが違っていた。

 

 首を動かし、続いて体を動かして振り向くと、そこには騎竜武者の姿があった。

 若い。自分より五つ以上年少だろう。先程、符牒を送ってきたのは、この青年に違いない。

 

「俺は、無源(むげん)。まず、援護に感謝させてくれ」

 

 この男だ。間違いなかった。三方師(さんぽうし)が寄越してきた真の依頼。それは、この男に関わることなのだ。

 

双竜之丞(ふたつのじょう)だ」

 

 いつの間にか、名乗っていた。

 

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