無源の秋 〜竜の翼は風雲に舞う〜【第二章鋭意執筆中】 作:くコ:彡の本棚
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彼の地の南は万里の沃野を望み、北は終わるを知らぬ大海に通ず。
あな輝かしきは
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建国伝説の一節が、ふと
皇都で生まれ育った者ならば、誰でも知っている。童に文字と地理を教える段には、引用されるのが当たり前なのだ。
長き苦難の旅、数多の同胞の死を背負って進み続けた末に辿り着いた《
千年に及ぶ歴史が、その礎を築くことに身を捧げた人々の叡智と勇気が眠る、大陸一の都。累代の栄光を伝える皇都を守る武者として生まれたことに、
その矜持と憧憬に曇りが見え始めたのは、いつの頃からであったろう。《
頭を振る。詮無きやるせなさを心から追い払うと、
布陣や進軍の調練を行うに相応しい広さを有する一帯で、各部隊が整列していた。
(皇都全景)
法螺が吹き鳴らされ、始まりを告げた。一斉に動き出す兵と煌めく白刃の群れが、豪雨に打たれた水溜りに広がる波紋を思わせる。
散ったと見えた兵が再び集まり、前方に槍衾を敷く。それと並行して、術士隊を囲む形で側面の防御が固められた。
散開と集結、各々の役目を把握しての布陣。軍の動きとして最も基本的なればこそ、戦場で立つか斃れるかの境を分かつ、重要な調練だった。
繰り返し繰り返し、徹底して集団行動を叩き込まれれば、下知一つで体が勝手に動いてくれる。それが長じれば、次に如何なる命が下るか何となく分かるようにすらなるものだ。
そうした見方をするなら、目の前の光景はまだまだ満足し得るものではない。配置に就くのが数拍遅れる部隊が散見され、敵に付け入られそうな陣の隙間が生じていた。他の部隊の動線を遮り、円滑な移動を妨げている光景も見られる。
総括すれば、腰が据わりきっていない。攻めはともかく、敵の攻勢を受け止める段となれば、心許ないところがあった。
各軍を率いる将が手塩にかけて育てた麾下を旗本とし、皇国直属の部隊を戦況に応じ指揮下に置く。《
旗本を各隊に配置して制御するという手法も、選択肢の一つではあった。ただし、その場合は旗本を後詰の切札として運用するのは難しくなろう。
より新しい、効率的な軍の動かし方を考えるとなると、長い軍歴は必ずしも役に立つとは限らない。齢五十を幾つか過ぎた
調練に十数の麒影が闖入してきたのは、その時である。
「何たる無礼か」
怒りの呻きを上げたのは、櫓の下に並んで調練を見守っていた配下の者達である。
言わずもがなこれは相当に危険で、なおかつ侮辱的な振舞いである。敵陣に踏み込み、挑発を加えるのと大差無い。将兵が色めき立つのがはっきりと分かった。
武士としての気位も感じさせず駆け回る背に、旗指物が見えた。風、炎、雷。仙術の三属性があしらわれたその旗は、
強い不愉快を伴った納得が、
響く蹄音。旗本より五麒が飛び出してきた。先頭を往く武者は最も小柄ながら、周囲を弾き飛ばさんばかりの勢いである。
「姫様」
「お
配下の視線が一斉に向けられるのを感じながら、
唐突に躍り出てきた五つの麒影を見、調子に乗っていた闖入者どもは明らかにたじろいでいた。先頭の武者に二麒を叩き落とされると、数の差を恃むこともできぬまま追い散らされてゆく。
尻尾を巻いて逃げ出すその背を見送るまで、
調練の最中に起きた、偶発的な諍い。そうした体裁を保つ要件は整った訳である。
面目を施した皆が鯨波で空を揺るがすのを感じながら、
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北と東に大きく突き出た、屏風のような形の山塊を取り込む形で、皇都の縄張はなされている。
東端の山上に築かれた《
呼び出された理由は嫌でも分かるが、今一つ腑に落ちぬのはその時期である。一悶着あった調練からは七日、さらに市街での一件からは十五日も過ぎていた。
屋敷の表に辿り着くまで考え続けたが、結局答えは見出せなかった。
流石に、立派な造りの屋敷だ。それでいて不必要なまでに華美という訳でもなく、万一の実戦も想定した武骨な様式である。
それも、当たり前ではあった。
「あほらし」
右から上がった、短くも痛烈に毒づく澄んだ声。いずれ父の座を襲い、十六代目の当主として軍権を引き継ぐであろう、女性のものだった。
「姫様、話の前からそうお怒りなさいますな」
「ふうん、ほな少しは心弾むお話を期待してもよろしおすか?あの下郎どもを笠懸(麒上からの射撃稽古)の的にするとか」
来年で、齢二十の節目である。小柄な体躯と子供っぽい態度が災いしてか、大人の女性であると周囲には認識されていない。威勢の良い御転婆娘と家臣や兵には親しまれているが、当人にはやや不本意のようだ。
「殿ともあろうお方が、彼奴らの専横をいつまでもお許しになる筈はござらぬ。ただ、立ち上がる機を待っておられるのでしょう」
「
そう言いつつ、懐から取り出した鉄扇を両手で弄っている。心がささくれ立っている時の癖だった。
立場上、主君の娘がいきり立つのを諫めねばならぬ身の上である。しかし偽らざる本心を言えば、
それ程に
十五日前、
ひっきりなしに往来を行き交う人の群れ、方々で谺する威勢の良い声。皇都に初めて召し出されたのは十年前であったが、圧倒されて道端で立ち尽くした時の胸の高鳴りは、今でもはっきり思い出せる。
人口二百万に上る、大陸一の巨大都市。皇都の繁栄ぶりを表現するのに、その謳い文句があまりに力不足である事実を突きつけられた。貴賤を問わぬ人々の営みが綾をなし、ぶつかり合う熱気の坩堝となっているのだ。
「やあ、相も変わらず賑やかさんやなあ」
気に入っているという緑の小袖に身を包んだ
自分と違い、幼少より絢爛な皇都で過ごしてきた令嬢である。晴れがましさと共に、郷愁の念も胸中にあることは疑いない。
北市街の華やかなるを内外に伝える光景といえば、沿道を埋め尽くすように軒を連ねる数多の商店である。二つの主要街道が交わる辻《
食料品に暮らしの道具の問屋、書肆(本屋)に刃物屋、庶民に親しまれる軽食の屋台から名門御用達の仕立屋まで、内実は多岐にわたる。内陸に引き込んだ貿易港《
「また香料?こないだ来た時も買うてたやないの」
「あれは魚の臭みを消すためのもの。こちらは肉を柔らかくするための粉にござる」
本来は山深い処でしか見られないような薬草の類が、近頃多く店頭に出ている。
「……あら、お久しゅう!お勤めご苦労
顔見知りである民部省(租税、土木等の管轄)の役人と出くわし、挨拶を交わす。彼の後ろに続くのは
その正体が何であるかは質すまでもなかった。皇都に住まう皆の生活に関わる一大事として、強く記憶に刻まれていたことである。
「いつ収まってくれはるんかな、水涸れ」
「地下水脈が断たれているのは確かですが、それが何処であるか未だ特定できていないという話ですからね」
輜重車が去ってゆく後ろ姿を見送りながら、つい不安が口をついて出る。
半月前より皇都全域は水涸れに見舞われており、井戸や厠の使用にも事欠く状況が続いている。そこで復旧までの間、皇都各処に海水の濾過設備を設け、生活用水を確保する取組みが進められていた。
「千年の歴史の中で、初めてのことというやないの。最初で最後いうんなら、耐えようもあるんやけどな」
「これより起こる変事の、先触れに過ぎぬとお考えで?」
「わたくしかて、ただの考え過ぎで済まし──」
市街の喧騒に異様な響きが混じるのを、はっきりと聞いた。蹄音。数にして三麒前後か。
「下品な音」
眉を顰めつつ、
やがて推察通り三麒が、土煙を巻き上げながら街道を疾駆してくるのが見えた。歩いていた民や商人が、慌てて頭を押さえ飛び退る。
逃げ惑う皆の姿を見て哄笑する麒上の者どもの顔は、なんと見苦しく悍ましいものであろうか。無理矢理二本足で立たされ、具足を着せられた獣、その言葉が脳裏に浮かんだ。
「あの旗」
暴走する者どもの背に挿さる旗指物に、
「彼奴らが向かう先、民の住まう長屋があるのでは」
「ああ、もうっ。やはり考え過ぎで終わらんかった!」
二人で駆け出した。差し迫った嫌な予感に、突き動かされるようにだ。
あの旗。本来崇高な伝統を有する筈の旗が、胸中に蟠る不安を否応にも強いものとしている。
長屋の立ち並ぶ区画まで、あと曲がり角一つ。品性とまるで無縁な哄笑に、物が撥ね飛ばされる音が混ざる。悲鳴をも耳にしながら、二人で長屋の前に飛び出した。
その光景は、現実よりも緩慢に流れる時の中で見せつけられているように思われた。
蹄にかけられ、宙空に突き上げられる影。敵兵のそれではない。何ら変哲もない、平穏な日常を送っていたであろう市井の男。
ごく当たり前の営みを、理不尽にも壊された瞬間を見た。
「父ちゃん」
罅割れた幼い声が響く。尻餅をついた体勢のまま、目を見開いて震える少年。撥ねられそうな少年を助けんとした父が身を擲ったのだと、一見してすぐに分かる。
ぴくりとも動かず往来に横たわる父親の周囲に、長屋の住民が次々と集まってきた。それを麒上から睥睨する者達。
長老と思しき老人が怯えを隠しきれないながら、不当に同胞を傷つけられた怒りを、猛悪の輩に必死に訴えている。
「御侍様、神の御恩寵厚き皇都で、何の故あってかような無体をなさいまするか!?」
無辜の民を撥ねた武者は鞍も下りずにそれを聞いていたが、取り巻き二人と共にせせら笑う有様だった。濁りきった目には、特権を持たぬ存在を塵芥と同一視する傲慢さが垣間見える。
「賤民どもの蔓延る掃き溜めなど、皇都の一部に数えるものか。好きに駆けて何の不都合がある」
終いには、父親の体を揺すって必死に呼びかける子供を一瞥し、唾まで吐いて駆け去ったのである。
「おのれっ……!」
得物を抜こうとする
二人で駆け寄っていくと、手の施しようもなく狼狽する住民の声が聞こえてくる。
「心の臓が止まっとる!」
「医者だ。おい、向かいにある先生を誰か呼んでこい」
「あの人は先週追い出されたばかりで──」
隣を走る
「おどきなはれ、早よおどき!」
鬼気迫る
小袖が土で汚れることも厭わず、倒れる父親の傍らに座り込んだ
直後、渦巻く雷を帯びた仙気の衝撃波が炸裂した。弓形になって跳ねた父親の体。胸に耳を当てて検めた
「戻ってきなはれよ。あないに下衆な輩のために死んだとあっては、死出の川もよう渡れまへんえ」
再びの衝撃。天よりの稲妻が落ちてきたかと思える程、強烈な輝きだった。
そして、聞こえてくる微かな呻き。死者ではなく、生者のそれだ。父親の瞼がゆっくりと上がっていくのを見た皆が、声にならない歓声を上げた。
「父ちゃん」
少年の叫びは、今度は安堵によるものだ。抱き着いてきた少年を右腕で迎えた父親は、満身創痍ながらも確かに微笑んでいる。
「おお、おお……!なんとお礼を申し上げるべきか。この大恩、我ら決して忘れはいたしませぬぞ」
老人に続き、親子が、住民皆が深々と頭を下げた。人命のみならず、皆の尊厳をも救ってくれた、と言わんばかりに。
「いややわ、当たり前のことやないの。武門の名跡を継ぐ者にとっての、崇高な務めいうもんどす」
淑やかに言い残した
それに従う
「まだ市街におりましょうか?」
「おる。間違いあらしまへん。こうも痕跡をくっきり残したまんまなんは、自分らが大きい顔できると心得違いしとるからや」
「つまり、逃げ去ろうというつもりすら連中には無い、と」
果たしてその通りであった。店の立ち並ぶ一角に我が物顔で三人が屯し、周辺住民が困惑と怯えを見せているのを嘲笑いながら、盃を呷っている。
「あな珍しい、こない街中にお猿さんどすか」
小柄な体躯から気迫を迸らせる佇まいは、音高く空を震わせる雷球を思わせる。
「飼い主
傍若無人をきわめる三人だが、それだけに己に向けられる嘲弄には過敏であるらしい。いきり立ち、濁りきった目で睨めつけてくるが、
「せやけど、躾の方は徹底しとらんようどすな。野山と違うて、市中の往来は譲り合いが当たり前やで。
「黙れ、小娘!何処の木端武者の息女か知らぬが、無礼を働く相手を間違えておるぞ」
威圧のつもりか、その旗を見せつけてくる。大きなものの権威を笠に、横暴を繰り返す見苦しさと虚しさを知らぬ者の態度に他ならなかった。
「我らは
不逞の輩ならば、今目の前にいると
そもそも、市街の治安維持を務めとする部隊は各役所に駐在している。この者達がしていることは聖任などではない、単なる越権行為ではないか。
「その我らの任を妨げ、剰え謂れのない誹謗までも弄ぶか。それが国の柱石に仇なす行いであると──」
「怖じてはるの?」
「何と」
「そちらは三人、こちらは二人。それも片方は可憐にしてか弱い女子や。せやのに、向こうてくる勇気も無いとお見受けしますわ」
止めねば。頭ではそう思っていながら、
「民にはあれだけ横柄になれるくせして、相手が武家ではここまで腰が砕けるやなんて。お里が知れるいうもんやなあ」
鞘走る音が三つ連なった。向こうが剣を抜き、やむなく迎え撃ったという事実はできたことになる。
周囲に人影は無い。皇都では辻斬りを始めとする刃傷沙汰も少なくはないため、その兆しが僅かでもあれば皆は退避するものだ。
斬りかかってくる。隙を突かんとの意識も無く、数を恃んで押し切ろうとしているのが明らかだった。戦う術も持たぬ相手を甚振る、そんなことを繰り返す者は往々にしてこうなる。
剣の柄にかかっていた
剣を抜いたのではない。懐から取り出したもの、愛用している鉄扇だ。
それは早くも仙気の雷を帯び、空気に罅を入れている。次の瞬間、向かってくる相手に投げつけられた。
響きわたる絶叫。額に扇が直撃した一人が、強烈な稲妻に貫かれた。白目を剥いて痙攣する同僚を見て、一人は立ち尽くし、一人は構わず剣を振り上げる。
向かってくる一人を認め、
赤い弧を描いて地に落ちた首に張りついた、その表情。己が過ちを悔いるだけの時が、与えられたかどうか。
立ち尽くしていた一人が甲高い悲鳴を上げて崩れ落ち、這いずって自分の
「飼い主
剣を逆手に握り直し、切先が地面を向く。痺れが抜けず横たわるままの一人が、恐怖に目を剥いた。
「恐れ多くも主上を誑かし、皇都を思うが儘にせんとする奸計、わたくしらの目が黒い内はゆめ許しませんと!!」
刃は深々と突き刺さった。
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「あの時、神皇陛下の御名を出したのは、流石にまずかったのではありますまいか」
屋敷の広間に通され、
「繰り言をしはるわ」
「複雑な気分ではあります。お止めできなかった後悔は無論ですが、武士としては当然の仕儀であるとも」
「せやったら、どーんと構えたらええ。道理を曲げとったんはあちらさんや」
小柄な
「最後の言葉はな、わたくしとしては諫奏のつもりやったんどす」
「諫奏、にございまするか」
「そ。主上が毅然とした振舞いをなさらんよってに、佞臣どもが幅を利かせる今があるんや。一人の廷臣として──」
直後に部屋の外から声が上がって、入室した
期せずして、表情を窺った。怒りを湛えてはいないようだが、では如何なる感情が胸の内に渦巻いているのか、今一つ判然としない。
長く皇国の将軍として戦場に立ってきたが故の、深慮があるには違いないが。
「ご機嫌麗しゅうございます」
「さて。ここに呼ばれた理由について、各々予想を立てていることと思う」
「しかしな、それではないのだ。私はあの件についてさらに責めを負わす訳でも、さりとて許しを与えようというのでもない。……
諭すような声を聞き、
「言うまでもないこととは思うが、これより話すことは一切他言無用である。遠くない先、その見通しについてのことだ」
「真っ二つに割れるぞ。この国は」
いつも応援してくださる読者の方々に、改めてお礼を申し上げます。
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