無源の秋 〜竜の翼は風雲に舞う〜【毎週金曜12:00&日曜19:00更新】   作:くコ:彡の本棚

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曇天の二人

 

 約束の期日が来た。

 

 既に五日が経っているが、《臣廼湖(おみのこ)》は未だ先の戦の話でもちきりである。ささやかながら、義勇兵が賊に一矢報いたことを誇る声もあった。

 

 それにしても、あの軍勢は。館の裏手にある櫓から戦場を遠望していた三方師(さんぽうし)は、目を見張らずにいられなかった。

 

 果敢な戦ぶりの裏に、周到かつ細やかな荷駄の動きが見える。

 進軍の途上、特定の地点に兵糧や替えの武具が集積され、着陸した騎竜隊は休みながら、次の戦闘に備えた準備を整えられるようになっていたのだ。

 

 事前に地形を精査し、荷駄の搬入路を決め、おそらくは各地の土豪とも折衝して進軍の膳立てをする。そこまでの積み重ねがあって初めて、実現しうることだろう。

 

 そうした軍の総帥と、話をする。思いきった決断をしたものだと、我ながら思う。

 

 気付かされたのは、三年前のことだ。《聖華(しょうか)》東部における賊の暴虐が続き、川の交易路の存続まで危ぶまれていた頃。

 

 かなり希少な産物が、続々と荷揚げされてきた。薬膳料理の具材となる山の獣肉、肺腑の病に効く散薬の材料と珍重される茸。いずれも、山の奥深くに分け入らねば得られない筈のものばかりで、皇都の市場でも中々出回ることはない。

 

 特に目を惹いたのが、岩塩と木の防腐剤だった。塩の産地である《金號(きんごう)》には塩止め(塩の輸出を止めること)を仕掛けられており、《聖華(しょうか)》各地で塩が不足している。

 また、長い歴史を誇る《聖華(しょうか)》では多くの歴史的建造物が保全と再建の必要に迫られており、防腐剤の使い処は少なくない。

 

聖華(しょうか)》で高い需要がある品が、揃って出回り始めるという偶然が、果たしてあるだろうか。明確な展望、交易の中で大事を進めんとする意志の力を見た気がした。

 

 三方師(さんぽうし)は人を放って調べ、そして知った。各地で賊を討って回る《久々鱗(くくり)》の騎竜武者達の存在を。彼らはとある商館に雇われる部曲であるように見えるが、単なる警固に留まらず、《臣廼川(おみのがわ)》の交易路全てを守るように動いている。

 

 突如流れ始めた山の産物と、謎の騎竜隊。無関係であるとはどうしても思えなかった。一度接触し、真意を質したいと望むようになった。とはいえ、三方師(さんぽうし)には湖と、そこに生きる皆の面倒を見る責任がある。思いに反して、腰は中々上がりそうになかった。

 

 考えついたのは、旧友たる耀謙(ようけん)を頼ることだった。《聖華(しょうか)》にも数多い騎竜武者の陣借りに、信ずるに足る者がいれば、どうか招かせてほしい。同じ騎竜武者に窓口となってもらうことで、対話の糸口になるのではとの希望を抱いたのだ。

 

 早ければ、五日後に会談を。双竜之丞(ふたつのじょう)を通じて伝えた要望は、意外な程あっさりと受け入れられた。五日という期間は、三方師(さんぽうし)自身が腹を決めるためのものだったかもしれぬ。

 

 川を遡上する五艘の船がやってきた。四艘には多くの荷が積んであり、またも山の産物を運んでいるものと見える。いわば、彼らの力の根源だった。

 

 接舷する船の下へと足を運んだ。どのような思いがそうさせるのか分からないが、秒を追うごとに足は速まる。

 

 使者の一行は先頭の船にいるらしい。総帥…… 無源(むげん)という青年は、軍の撤収などもあって、数日遅れて来ることになっている。

 

 どのような集団でもそうだが、使者と言葉を交わせば、常日頃から如何なる雰囲気に身を置いているかが分かるものだ。まずは、それを見極めたい。

 

 現れたのは二人の男である。一人は四十半ば、際立った目鼻立ちと整えられた口髭が特徴的な伊達男だった。もう一人の若者は、まだ二十にも達していないだろう。

 

「此の度、 三方師(さんぽうし)殿におかれましては貴重な機会を設けていただきましたこと、感謝の言葉もありませぬ」

 

 恭しく一礼する二人の作法には一点の瑕瑾も無い。というより、皇都の空気に触れていた者の振る舞いそのものだった。装束も術士のそれである。

 

 二人を客間に通し腰を下ろすと、儀礼に固まっていた雰囲気はやや和らいだ。

 

筆麻呂(ふでまろ)と申します。こちらは空読みの風喜(ふうき)。以後お見知り置きを」

 

 これから長く関わることになるのだから、と聞こえたのは、考えの巡らせすぎだろう。

 

「詳しい事情は存じ上げないが、ご多忙の折にここまで足をお運びいただきました。こちらこそお礼を申しますぞ」

「そんなことは。私としても、会談のついでに知り人を訪おうと思っておりましたので。文字通り渡りに船でございます」

「ご家族ですかな?」

「いえ、情婦です」

 

 ゆったりと微笑む筆麻呂(ふでまろ)を相手に、どう返答していいか分かりかねた。風喜(ふうき)の方は少し呆れているようだ。

 

「皇都で情を通わせていた者が数人。長らく放っておいたので、愛想を尽かしてはいないか心配でなりませんよ」

「奥方は……」

「妻帯はしております。妻の名は"学術研究"と申しましてね。いずれは子供らもお目にかける時が来ればと」

 

 茶が運ばれてきた。お近づきの印に、と彼らが持ち込んだものである。これまで飲んだことのない不思議な味だ。指の先までじんわりと温かくなってくる。

 

「……これはしたり。私の身の上話ばかりしてしまった。聞かれたことに答えるために、私どもはここへ来たというのに」

「それは?」

「失礼ながら、三方師(さんぽうし)殿は我らが何者であるかを、知りたがっておいでではありませんか。全て、とは参りませんが、お教えするつもりですぞ」

 

 口に運びかけていた椀を置いて考え込む。彼らを知りたいという思いは確かに強いが、具体的に何を聞くかというと、中々に難しい。

 

「では……貴方がたは《久々鱗(くくり)》の産物で交易を行っておられるようだが、それらの出処は?」

「海沿いにある《珠幸(じゅこう)》はご存知ですか。《久々鱗(くくり)》の内のみならず、海路を通じて《金號(きんごう)》との交易を担う街です」

「それを仲立ちするのが、無源(むげん)殿」

「まさしく」

 

 さらに詳しい経緯も知ることができた。九年前、住処を追われた無源(むげん)は暫く《珠幸(じゅこう)》に身を寄せていたが、その後波守(なみのかみ)の商館に亡命している。

 そうした来歴があって、無源(むげん)は両者の鎹となったようだ。

 

 波守(なみのかみ)については、よく知っている。己の利のみを追って他を蹴落とす悪どい真似はせず、堅実な積み重ねで大きくなってゆく類の商人だった。新興の商人に、援助をしたことも再三だという。

 

 その波守(なみのかみ)は、亡命してきた青年に何を見出したというのか。渦に巻き込まれる、否、自ら渦を巻き起こす側に回る決意を固めるだけの希望を、感じたというのか。

 

「次は、目の前にいるお二人のことですが」

「どうぞ」

「その立ち居振る舞い、恐らくは皇都におられたのだと拝察いたしますが、どのような事情で?」

 

 二人は少し顔を見合わせると、周囲を探るような仕草をした。

 

「ご案じめさるな。ここには我が心利きたる者しかおりませぬ」

 

 頷いて語り始めたのは、風喜(ふうき)という若者である。目には張り詰めた光があった。

 

「私は賊に拐かされ、蛮行の片棒を担がされそうになったことがあります。そのやり方というのが、私にその場所へ行くよう命じた上役の手引きを、感じずにはいられないものでした」

「なんと……」

「今思い返してみれば、その上役は羅聖近衛(らしょうこのえ)と懇意の人物であったと」

 

 その名を聞いて、微かな息苦しさを覚える。外に漏れる心配は無いと自分で言ったのだが、やはり体は強張った。

 

 羅聖近衛(らしょうこのえ)。彼らを《聖華(しょうか)》の真なる支配者と呼ぶ声も少なくない。

 

 遥か千年の昔。海を越えて大陸へと渡来した人々がいた。上陸した島で遺跡を発見した彼らは、遺されていた古文書や碑文を解読することで、超常の力を手にしたのである。

 

 これこそが仙術の興りであり、《聖華(しょうか)》建国の説話として今に伝わっている。

 

 そして、解読に携わった知恵者達の嫡流こそが、羅聖近衛(らしょうこのえ)なのだ。朝廷の祭祀を司り、千年に届かんとする遺跡や祭具を守り伝える、仙術の殿堂。その権威は、皇室に次ぐものと言われていた。

 

「彼らは自らの振る舞いによって、先祖の令名を辱めていると、私には思えてなりません。その事実から目を背けていた一人として、私も罪を問われるべきかもしれないのですが……」

 

 皇室の外戚となって権勢を振るい、国政を壟断する。国軍に干渉して息のかかった将軍を取り立てたり、意に沿わぬ者を更迭する。己を弾劾する廷臣を真実の罪で処断させ、後釜に自らの親族を据える。

 

 奸臣とは何かを例示したようなこれらの事柄は、全て現実における羅聖近衛(らしょうこのえ)の所業だった。

 あくまで俗世を離れた権威だった筈が、いつの間にか私欲と我執に塗れた権力に変質しているのだ。

 

 もし、《聖華(しょうか)》東部の賊を操る黒幕が彼らであったとすれば、色々と合点がいく。新たな技術の礎となる職人、その成果を流通させる商人。己の権勢を脅かす、目障りな存在に他ならないと考えるだろう。

 

 風喜(ふうき)は、おそらくは陰謀により賊の手に落ちたと言っていた。筆麻呂(ふでまろ)にも、同じような事情があるのだろう。

 

「お許しあれ。そのようなつもりでは」

 

 好き好んで、己が故国の恥を述べる者が何処にいようか。図らずも残酷なことを強いてしまった気分に襲われる。

 それから逃れようとして、三方師(さんぽうし)は話題を転じた。

 

「最後にお聞きいたしまする。貴方がたは一体、何を為さんとお考えなのですか?」

「それについては、確としたものを申し上げられます」

 

 筆麻呂(ふでまろ)が心持ち威儀をただす。

 

「我らが主は、国を樹てんと考えております」

「国」

 

 澱みない口調を心中で反芻しながら、二人の目を見る。瞳の光は強いが、静かなものでもあり、狂信的な熱に浮かされた様子は無い。

 

 堕落し、往時の輝きを失った故国に愛想を尽かして、新天地を求めている訳でもなさそうだ。

 

「国は、樹てて終わりではございませぬよな」

「仰せの通りです。我らが新たな国の下で何を為すかは無論のこと、それを見た他国が如何に動くかも、我らは考え続ける所存にて」

 

 新たな国。そんなものがこの大陸に生まれたとしたら、既存の勢力は黙ってはいまい。

 というより、決断を強いられる。融和にしろ敵対にしろ、新たな国と対するために、これまでのやり方を変えることを迫られるだろう。

 

 変えようとしている。彼らの新たな国づくりに他を巻き込んで、停滞の只中にある大陸の秩序に、風を吹き込まんとしているのだ。

 その風は春の訪れを告げる穏やかなものでなく、有象無象を吹き飛ばす大嵐かもしれぬ。

 

 危険なことを、打ち明けられた気がした。しかし、それを聞かなかったことにしようと、三方師(さんぽうし)にはどうしても思えなかった。

 

 ────────

 

 曇天である。穂先に切り裂かれた風が鳴く音を聞きながら、双竜之丞(ふたつのじょう)は槍を振るっていた。

 

 鍛錬は、いつでもできる。何処でも。住む場所や食うものが無くともだ。だから、幼少より欠かしたことはない。何を望むでもなくそれを続けていたら、周囲より少しは腕が立つようになった。

 

 ただ、無心にはなれなかった。己の内から出てくる取り留めのないものが、浮かんでは消える。虚しさ、と呼ぶのが一番近いだろうか。

 それを打ち消そうとして槍を振るえば、また別の虚しさが頭をもたげてくるのだ。

 

 小休止。槍を下ろし、呼吸を整える。

 

「よう」

 

 あの日と同じ声、同じ呼びかけ。何かを転がすような音も聞こえる。

 

「鍛錬は終わったのか?」

 

 そして、あの日と同じ男だった。

 

「ああ」

「ならば、話をしないか」

「すまんが、その気は無い。ではな」

 

 行くぞ、瑞王(ずいおう)。呼びかけたのに、後をついてくる気配を一向に感じない。

 

「おい、どうした?」

 

 瑞王(ずいおう)は止まっていた。目の前の男、無源(むげん)が運んできた輜重車。そこに積まれている荷を見て、興味深げに頭を近づけているのだ。

 

「立派な飛竜だ。名持ちというのも珍しい」

「余計なことをしてくれたな。そうなれば瑞王(ずいおう)は暫く動こうとせん」

「悪かった。まあ、飽きるまででよいから話をしよう」

 

 観念して木陰に腰掛けた。瑞王(ずいおう)はまだ輜重車に向けて鼻を鳴らしている。

 軽く周囲の気配を探ってみたが、護衛なり監視役なりの存在は感じられない。軍の総帥が単身で、一介の陣借りと話をしに来たというのか。

 

「話をする前に、確かめてもよいか」

「と、いうと」

「かくも砕けた話し方で、障りは無いかな」

 

 問われた意味を咄嗟には理解しかねた。

 

「お前は俺よりも年長であるようだが、それを意識しない話し方が良いかと思った。それが見当外れであったというなら、改める」

「いや、そのままでいい」

 

 破天荒に見えて、年長者には一線を引いて接する側面があるらしい。それでいて、相手によっては違う対応で接することも知っているようだ。

 

三方師(さんぽうし)殿との会談は済んだのか?」

「ああ。長きに渡って湖を守ってきたお人だけに、言葉が重かったな。問答を続ける中で、試されているような気がした」

 

 それを楽しんでいるような気配が、言葉の端々から滲み出ている。会談自体は望ましい形で終わったようだ。おそらくは三方師(さんぽうし)にとっても。

 

「それから、その後の昼餉では地竜の肉をお出しした」

「……あれをか?」

「入念に筋を切って、何刻も煮込んでな。柔らかくなってよかった」

 

 三方師(さんぽうし)に見せられた布地のことを思い出した。目の前の男には、《久々鱗(くくり)》の物産を交易に出した発起人、という顔もある。

 

「山が産するものを熱心に流しているようだが」

「ああ。大陸中で通用する品が、《久々鱗(くくり)》には数多くある。驚く程の値がつくものもな」

 

 言葉に熱が籠り始めるのが、はっきりと感じられる。

 

「しかしだ。その価値に一番目を向けていないのは誰かというと、《久々鱗(くくり)》に生きる者だと俺は断じざるを得ない。《珠幸(じゅこう)》と《紅髭(こうぜん)》を介した《金號(きんごう)》との交易は、大半がこちらが出すものを安く買い叩かれている有様だった」

 

 無源(むげん)は一度言葉を止めた。憤りさえ滲んだ口調に、恥じ入っているようでもある。

 そして、双竜之丞(ふたつのじょう)には気になることがあった。

 

「まるで、外から見ていたような物言いだな」

「そうだったか。確かに、俺は《久々鱗(くくり)》の地で生まれた訳ではないし、血も半分しか流れていないから」

 

 驚いた。告げられた事実にではなく、あまりにさり気ない口調にだ。

 

「《金號(きんごう)》で生まれ、三歳の時に父の故郷へ移った。《久々鱗(くくり)》にな。……ここから先は、容赦してもらえるとありがたい。父母はもういないとだけ言っておく」

 

 勝手に想像しろ、ということだった。大方の推測はつく。ミズ族侵攻の惨禍に曝され、両親も、住処も失ったのだろう。

 癒えない傷など、誰にでもある。それを感じさせない活力を見せるのは立派だ。それで済む筈の話だった。

 

 しかし、気になるのだ。辛い記憶を呼び起こさせる《久々鱗(くくり)》という地を、盛り立てるように動いていることが。

 過去を捨てて安穏と暮らすだけなら、周囲の賊を平らげて終わりにしてしまえばよいのに。

 

「話は変わるが、双竜之丞(ふたつのじょう)よ。俺に力を貸してくれないか」

 

 無源(むげん)が懐から取り出した地図には、《聖華(しょうか)》東部の要所と地形が描かれていた。

 

「《解軛門(かいやくもん)》は知っていると思う。城が築かれ、賊の本拠と化しているそこを俺は陥し、手中に収めるつもりだ。決行は二十日後」

 

 ちょうど、双竜之丞(ふたつのじょう)が《臣廼湖(おみのこ)》を発つつもりの日だった。

 今は三方師(さんぽうし)の依頼を受けて、船の護衛と義勇兵の調練を受け持っているが、その約定が期日を迎えるのだ。更新する気は無い。

 

「秘策故に話せんが、城を陥す算段はある。問題はその後なのだ」

 

解軛門(かいやくもん)》を指していた無源(むげん)の指が、南に下って海沿いの一点で止まる。

 

「海路で運ばれる兵や荷駄を集積する補給拠点だ。《解軛門(かいやくもん)》を攻めるとなれば、敵はここにも戦力を展開させて我らの後背を脅かすだろう」

 

 増援でもって城を攻めている軍の背後を取り、城からも出撃して一網打尽にする。いわゆる後巻きと呼ばれる戦法である。

 それを破るには如何にすべきか、双竜之丞(ふたつのじょう)は少し考えてみた。

 

 城を攻める、あるいはそう見せかけて後巻きを誘い、一気に反転して増援から叩く。際どい判断が求められはするが、城の敵を防備から引き剥がし、纏めて野戦に持ち込むこともできる。

 

 あるいは、最初から増援を集中的に叩いておき、背後を安んじてから腰を据えて城を攻める、という方法もある。攻められた敵は海に逃げるだろうが、無源(むげん)は騎竜隊を擁しているのだ。船上の敵を攻めることは容易い。

 

 その程度のことは賊……その黒幕も考えているだろう。となれば、敵が打つ手は一つだった。

 増援を動かさないのだ。最後の最後まで、じっと守りを固めて時を待つ。

 

「海沿いの敵が動くのは、我らが城を陥としてからだ。疲れきり、緊張の糸が切れた我らの背を突くために」

 

 陥とした城に篭って凌ごうにも、戦闘によって防備は大半が破壊されているだろう。防備を残そうとして攻撃の手を緩めれば、城の攻略そのものすら覚束なくなる。

 

「これからが本題だ。お前に頼みたいことというのは」

 

 指が《臣廼湖(おみのこ)》を指し、地図の上で東へと滑って川を渡り、海沿いと《解軛門(かいやくもん)》の間で停止した。

 それが、誰の動きを指しているのか。

 

「攻め上がってくる敵の横腹を突いてくれ」

 

 否。そう言い切ってしまえば、この話は終わる筈だ。だのに、そうすることが何故か憚られた。

 

三方師(さんぽうし)殿には協力を約していただいている。湖の義勇兵を、増援として派遣してくださると。その指揮を頼みたいのだ」

「筋違いだな。余所者の私が何故」

「過日の戦、義勇兵はお前の下知に従っていた」

「ただの成り行きさ。私はどこまでも、ただの陣借りだよ」

 

 無源(むげん)が身を乗り出して、熱心にこちらを見つめてくる。目を逸らし、気づかないふりをした。

 それは卑怯なことではないかと思う自分が、心の奥底に確かにいる。

 

 腰を上げる気配。

 

「待っている、その日までな。しかし、来なくとも俺達は戦い抜く。それは確かなことだ。何処かで、見ていてほしい」

 

 断られることを承知で、この話を持ちかけてきたのか。とても、面と向かって検められることではなかった。

 

「積荷に関しては、お前と懇意だという鍛冶の女性(にょしょう)に預けておく。気になったのなら聞いてみるといい。ではな」

 

 ちょっとした誤解を解こうとする前に、無源(むげん)は背を向けて木陰から消えてゆく。

 肩に首を伸ばしてくる瑞王(ずいおう)の頭を撫でながら、双竜之丞(ふたつのじょう)は空を見上げた。

 

 まだ、曇ったままだった。

 

 ────────

 

 徒士に山を駆けさせる。《久々鱗(くくり)》南端、自軍の騎竜隊の拠点となっている山だ。

 

 長く続けているこの調練は、《解軛門(かいやくもん)》攻めを見越して行われた特別なものではない。

 平地と比べられない程に峻険で、空気も薄い山上での活動は、足腰と持久力、そして肺腑と平衡感覚を一時に鍛えてくれる。

 

 さらに、視界を遮る地形や要素に満ちた一帯で、各隊の指揮官は判断力も養うこととなる。死角に敵の伏勢がいないか。逆に味方を潜ませ、敵の不意を突くことはできないか。そうした思考を肌で学んでゆくのだ。

 

久々鱗(くくり)》での戦いに限れば、空から襲い来る騎竜武者との戦い方も想定した調練になる。

 

 突撃、あるいは騎射を避けて矢を射込む、槍衾に捉える。いわゆる後の先を取るには周囲の地勢を把握し、素早く展開しなければならない。無論、袋小路に追い込まれぬよう十全な警戒をしながらである。

 

解軛門(かいやくもん)》を陥としたら、次は《久々鱗(くくり)》だろう。修伍(しゅうご)無源(むげん)の覇業をそう見ていた。

 勢力基盤が《久々鱗(くくり)》を巻き込んだ交易の線である以上、その情勢を盤石なものとするのは当然だ。

 

 無秩序な拡大主義の影は何処にも無いように見える。今は。そうでなくなった時、己は如何に身を処するのか。

 考えかけた自分を滑稽に思う。起きてもいない事態について悩むのは、目の前の戦が終わってからでいい。

 

 無源(むげん)善右衛門(ぜんえもん)を伴って営舎に来た。

 

「此奴も随分見違えたと思わんか、隊長。以前は息が上がって動けないのを、俺が運んでやったものだが」

「当然……ですとも。最後までお供仕ると決めているのに……山ぐらいで折れて何とします」

 

 無茶な鍛錬は強いてやめさせ、山を走り込むことだけを善右衛門(ぜんえもん)には許している。始めた頃は限界を迎えるのも早く、行程の半ばで倒れ込んでいたものだが、今では大幅に伸ばした距離を走破していた。

 

「さあ、軍議だ。地図を広げてくれ」

 

 総大将の無源(むげん)。それぞれ実戦と後方を与る修伍(しゅうご)善右衛門(ぜんえもん)。嚆矢となる軍議を行う面子がそれで、大筋が決まれば、各指揮官に下ろして細部を詰める。

 

 今より軍の規模が大きくなれば、顔触れも増えることとなろう。それもまた、先走った考えだった。

 

「城に篭るは一万。この内、半数となる五千が本曲輪を守り、他は周囲に分けて配されている。まず、間違いありますまい」

 

解軛門(かいやくもん)》の城は、本曲輪の西から南にかけ、四つの小曲輪が取り囲む形で縄張りが為されている。一つだけ抜いて本曲輪を狙ったとしても、本曲輪と残る三つに囲まれ、揉み潰されてしまうのだ。

 

 故に、小曲輪全てを陥とすことがまず求められるが、それぞれを攻め口は狭く、おまけに大きく離れていて、戦力の分散を強いられることとなる。

 総じて、小規模ながら攻めるに難い要害と言えよう。やはり、賊の知恵で築き得るものではなかった。

 

「活路は、やはり北ですか」

「ああ。敵も《落冠川(らっかんがわ)》の対岸まで手を伸ばしはしなかったらしい」

 

解軛門(かいやくもん)》の北を東に流れる、《臣廼川(おみのがわ)》の分流である。本曲輪の北はその川に面し、天然の水堀としていた。

 

 対岸にも《解軛門(かいやくもん)》と同様、山岳地帯が広がっている。最早《久々鱗(くくり)》の一部と言ってよい地域だが、南端の丘は本曲輪と同じ高さで、川の流れを挟み向かい合っている。

 

 小曲輪を経ずして、本曲輪を窺える唯一の場所だった。

 

 とはいえ、攻めの足掛かりとするには地勢が悪い。互いの矢がぎりぎり届かない距離が開いており、弓の斉射で初撃を与えることができないのだ。

 おまけに《落冠川(らっかんがわ)》は底が深く、船を持たぬ以上、徒士の渡渉は到底覚束ない。こちらに締め上げられて数を減じている敵が、敢えて無視するのも当然だった。

 

「北からの攻勢があるとすれば、騎竜隊で来ると敵は考えるだろうな。いざそうなれば、射手を北に集中させる」

「そこに、楔を打ち込む」

 

 しかし、こちらには手立てがある。《臣廼湖(おみのこ)》の者達と誼を通じたが故の賜物だった。

 それによって開いた僅かな差を幾十倍にも広げ、趨勢を決する。要諦はそこにあるのだ。

 

「そのためにも西の小曲輪を陥として、敵の耳目を集めねばならん。頼むぞ善右衛門(ぜんえもん)。憎き仇を存分に虚仮にしてやれ」

 

 通常の攻め口から迫る主力に善右衛門(ぜんえもん)は加わる。大音声で悪口を連ねて敵を挑発する、いわゆる言葉戦を仕掛ける役を無源(むげん)は与えていた。

 

「戦が終われば、お前には後方の運営を担う部隊の統括をしてもらう。つまりはその前哨だ。頼むぞ」

「必ずや。任を全うし、生きて泉花(せんか)様の御許へ戻ります」

「それはお前と俺の間で交わされた約束でもある。絶対に違えるなよ」

 

 善右衛門(ぜんえもん)が戦場に立つ最初で最後の機会となる。彼の中に眠る仇への憤りを晴らしつつ、前線との摩擦が起こりがちな後方の責任者に箔を付けておく。

 

 総大将が考え抜いたであろう決定に、異存は無い。今では手綱を握る必要も無い程度に、善右衛門(ぜんえもん)は自制というものを心得ている。

 

 万感の思いを顔に浮かべて退出する善右衛門(ぜんえもん)の背を見送った後、残る二人は再び地図を見下ろした。

 

「こちらの戦力は徒士が六千、騎竜隊二百。そうだな」

「はっ。万一に備え、商館でも退避の準備は既に整っております」

 

 これまで積み重ねてきた戦いが功を奏したか、戦力は着実に増えつつあった。一万が籠る城を攻めるには如何にも少なく見えるが、敵は城に拠るだけに戦力を集中できない。

 攻め口の制約を無視して曲輪を叩くことができる騎竜隊がいる以上、一点における戦力比はこちらが優位となる筈だ。

 

「海沿いの敵がどれだけ集まるかだが」

「少なく見積もっても、一万。多ければ二万には達するかと」

「ならば、二万を迎え撃つ覚悟を決めておくだけだ」

 

 城攻めを終えた直後に、海沿いの拠点に集結した敵が襲ってくる。その危険性は《解軛門(かいやくもん)》攻めを考え始めた時から、常に二人の念頭にあった。

 

 しかし、無源(むげん)の顔に不安の色は無い。その目は地図上の《臣廼湖(おみのこ)》を見つめている。

 

「真に来るでしょうかな、湖からの援軍が」

「必ず来るとも。三方師(さんぽうし)殿がそう約束してくださったのを、俺は信じる」

「確かに、彼らにも益のある話ですが」

 

臣廼湖(おみのこ)》に集結した義勇兵、陣借りが到来して、海沿いから攻め上がる敵に側撃を加える。

 正直なところ、修伍(しゅうご)はそこまで当てにしてはいない。来るならばそれで良し。来なければ当然のこととして、対策を考えるのみだ。

 

「それも大事だが、より根本の話さ。武士同士の誓いを軽く見るものではない」

 

 そう言いつつも、来ない場合には《解軛門(かいやくもん)》を脱し、態勢を立て直す手筈を整えさせている。心から信じるが、それが実らなかった時の手段も講じているのだ。

 そうした距離の測り方は、掛け値無しに無源(むげん)の秀でた側面だろう。

 

「……ところで、湖では面白い男と知り合った。まず何が面白いかというとな、俺との窓口になってくれと三方師(さんぽうし)殿に頼まれたらしい」

 

 軍の指揮以外のことで話を振られたのは、おそらく初めてだった。

 

「なるほど。それから?」

「強い。相当に。俺が知っている中で、陸で一番強いのはお前だが、空では奴だろう。連れている飛竜も立派なもので、まさしく人竜一体だったな」

 

 捲し立てるように語る無源(むげん)の声色には、少年じみた熱っぽささえある。

 

「そこまで賞されるとは珍しい」

「しかもだ、戦機を見る目もずば抜けている。以前の戦い、奴のおかげで最後は決まったようなものだ」

 

 軍議の終わりにそうした話をするのだから、察せられるものはあった。その男にも、来てくれないかと請うたのだろう。

 

「拒まれましたか」

「無理からぬことだ。陣借り生活も長いようだったから、できぬことはできんと断るのは当然であろうし。本当は──」

 

 何かを続けようとした口を噤み、無源(むげん)は瞑目して首を張った。何かを諦めたようにも、それを装った顔にも見て取れる。

 

「長話に付き合わせた、調練の指揮に戻ってくれ。俺は商館に戻る」

 

 足早に飛竜に跨った無源(むげん)は飛び立ち、少し数える間に影も見えなくなった。

 

 本当は。本当は、その男を同志にと誘いたかったのではないか。そちらもおそらくは断られただろうが、それを承知しつつも、望みを捨てきってはいないのかもしれない。

 

 修伍(しゅうご)は掌に拳を打ちつけ、雑念を頭から追い払った。考えが飛躍するのは、やはり自分の悪い癖だ。

 

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