無源の秋 〜竜の翼は風雲に舞う〜【毎週金曜12:00&日曜19:00更新】   作:くコ:彡の本棚

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 今回から新たな試みとして、戦況を説明する挿絵を使用いたしました。

 地形や縮尺は必ずしも忠実とは言い難いですが、敵味方の動きを理解する一助となろうかと思います。是非ご覧ください。


武士達の暁明 前篇

 

 常と異なる喧騒と慌ただしさに満ちる《臣廼湖(おみのこ)》にあって、双竜之丞(ふたつのじょう)は居心地の悪さに耐えていた。

 

 男達が長蛇の列をなしている。蛇の頭を見てみれば、商人らしき数人から、順番に武器や具足を受け取る男達の姿があった。

 そのまま右に動けば、さらに携行の兵糧と前払いの報酬を与えられる。

 

 東での戦に加勢する兵の出来上がりだ。

 

 湖を守っていた義勇兵と、《聖華(しょうか)》各地から集った陣借り達が、戦支度を整えている。前者は双竜之丞(ふたつのじょう)自身が三方師(さんぽうし)の依頼を受け、調練を施した兵だった。

 

 大したことはしていない、と自分では思う。作戦に従って進み、退く。その合図を聞き逃さない。複雑な技よりも基礎の体力を磨き上げる。かいつまんで言えばそういうことだ。

 

 強くなること以上に、指示を過たず遂行することを叩き込んでいる。許しを得ていたので、調子に乗って命に背く者は容赦なく打ちのめした。斬り捨てた者も二人いる。

 

 国軍の一部隊としてもやっていける程になった、と三方師(さんぽうし)は評してくれた。同等に調練を監督できる者も幾人か育っており、集った陣借りには彼らが心得を叩き込んでいるらしい。

 

 所詮は、己と関わりの無いことだ。双竜之丞(ふたつのじょう)はそう思い定めようとした。

 

「我儘はやめろ、瑞王(ずいおう)。行くぞ」

 

 ここ数日、瑞王(ずいおう)の様子がおかしかった。

 

 体を病んでいるというのではない。義勇兵が調練をしているところに近づこうとしたり、双竜之丞(ふたつのじょう)が止めるのを聞かず、東へ翔け出そうとしたりするのだ。

 今も東の方をじっと見つめたまま、動くのを拒否し続けている。

 

 決して狷介な飛竜ではない筈なのだ。強硬に命を拒否したこともない。なのに面と面を突き合わせて注意した時、不服とも、憐れみとも取れる眼差しでこちらを射貫いてきた。

 

 付き合いは二十年を超えようとしているのに、こんなことは初めてだった。それは己が内で整合しきれない蟠りを暴かれているようで、双竜之丞(ふたつのじょう)としては穏やかではいられない。

 

「何だい、シケた面してさ。佳い男が台無しだよ」

 

 そんな状態だから、こうも容易く捕まってしまう。火鵺(かぬえ)はこちらの返事も待たぬまま、馴々しく腕を絡めてくる。

 

「放せ」

「いや。御託はいいからこっちにおいで」

 

 白い腕から考えられない力で引っ張られてゆく。ついてくる瑞王(ずいおう)。先程までの強情が、まるで嘘のようだった。

 私は何をしているのか。引き摺られる間、景色も見ずそればかり考える。

 

 気がつくと、そこにいた。立ち昇る熱気、小気味良く鉄を打ち付ける律動的な音、噴き出す汗に堪える素振りもなく動き回る、むくつけな男達。

 

「あたしらの城へようこそ。前にも言ったけど、三方師(さんぽうし)殿がわざわざ用意してくれたのさ。あっちが鍛冶場で、そっちがたたら場」

 

 火鵺(かぬえ)が指した時、たたら場から石騒(せきそう)と幾人かが水を呷りながら出てきた。

 

石騒(せきそう)!一服する前にあれ持っといで。両方ね」

 

 石騒(せきそう)が走り去っていくのを見送ると、火鵺(かぬえ)が鍛冶場前に置かれた長椅子に導いてくる。

 二人で腰掛けた。瑞王(ずいおう)も翼を畳んで地に座り込んでいる。鍛冶場の中から聞こえる人や鉄の声が興味深いようだ。

 

「まあ、大した時間は取らせないよ。少し見せたいもんがあるだけ」

「ここ、ではないのか?」

「飛竜に乗った坊やの土産。興味ある?」

 

 無源(むげん)が輜重車に載せていた積荷。既に十日が経っていたというのに、あの日のことを鮮明に思い出した。

 

「奴と会ったのか?」

「うん。よくは知らないが、妙なおっさんも一緒だったね。学者だとか名乗ってたよ」

 

 あの男の幕下であれば、そうした変わり種もいて当たり前だという気がする。ただ強く忠実な者ばかり集めて、あのような軍ができる訳もないだろう。

 

「あれは相当の好き者に違いない、あたしも口説かれちゃった。ま、女を見る目は認めてやってもいいかな」

 

 石騒(せきそう)が二つの櫃を運んできて、去ってゆく。初めて会った時の胡乱げな目つきは、なりを潜めていた。余暇に度々調練を見物に来ていたので、やましい処は無いと分かってもらえたようだ。

 

 櫃の一つを、開けてみる。光沢を放つ暗灰色の砂が満ちていた。

 

「砂鉄だろう。お前達のために持参したのではないのか」

「もっとよく見てごらん。あんたならこいつが何か分かる筈だよ」

 

 促されるまま覗き込む。両目を剥いていた。己が意思ではどうしようもない、心のざわめきの現れ。

 はっとして横を向くと、どこか懐かしそうな顔で櫃を見る瑞王(ずいおう)と目が合った。

 

 飛竜の鱗。それを細かく砕いたものに相違なかった。

 だが、それは《久々鱗(くくり)》で生きる者として、常識の埒外にある事物に他ならない。度々剥がれ落ちる飛竜の鱗は、半日もせず土や空気に溶け込んで消えてしまうのだ。

 

「例の学者、皇都の生まれなんだけど、《久々鱗(くくり)》の研究に大層首ったけらしくてさ。何年か暮らしてたこともあるらしいよ」

 

 それで、現地の人間すら知らない保全の術を見つけ出したのか。つまり、今の時点で天下の何人も知らない素材ということだ。

 そんなものを《臣廼湖(おみのこ)》の職人達の下に持参した。それにはどういう意味があるか。

 

 いつの間にか、もう一つを開けていた。こちらには入っているのは、土だ。何処かで採集したものをそのまま納めた印象である。

 この土を、知っている。それは確信とも言うべき直感だった。

 

「飛竜って、土に頭を突っ込んで糧を得るんだろ?その後の土を集めたんだって言ってた」

「何のために」

「学者は仙術が使えるらしくて、この土に雷の術をかけたんだけど──」

 

 火鵺(かぬえ)が差し出した石を、双竜之丞(ふたつのじょう)はしげしげと眺める。半透明のそれを瞳に映したまま、どれ程の間固まっていたのだろう。

 

煌石(こうせき)といったら、まず掘り出すもんだと思うよねえ。作り出しちまうなんて、どうしたら考えつくんだろ」

 

 それを知りたければ訪ねに行け。そう言われている気がした。

 

 東への、無源(むげん)への関心を向けるために、わざわざここまで連れて来たのではないか。いや、かねてより鬱屈した心持ちでいるから、そんな偏った見方をしてしまうのかもしれぬ。

 

 心中に湧き上がるものを整理できないまま、澄ました火鵺(かぬえ)の横顔を見る。長い睫毛だ、と思った。

 

「此度の戦、お前達も多忙なのではないか?始まる前も終わった後も、鍛冶の働き処は多かろう」

「そりゃあもう、皆大張り切りさ。賊を纏めてぶった斬る刀に打ち直してやるんだ、なんて息巻いて。出立前だから時間も押してるし」

 

 火鵺(かぬえ)が長椅子を立った。視線の先には、たたら場で生み出された鉄を鍛冶場に運んでいる姿がある。

 

「出立とは?何処か行くのか」

「戦に決まってるだろ?あんたみたいに翼でひとっ飛びとはいかないからね。第一陣は昨日ここを出たそうだし」

 

 気後れか、あるいは置いていかれる不安か。確かめようとして、双竜之丞(ふたつのじょう)火鵺(かぬえ)と目を合わせる。

 

「あたしも、皆を連れて行くよ。完璧に手直ししたあたしらの作品で、奴らに弾丸(たま)の雨を降らせてやる」

「本気か」

「教えてくれたのは、あんただよ」

 

 互いに目が合ったまま、火鵺(かぬえ)は膝を屈めて高さを合わせてくる。子供と目を合わせるような仕草でもあった。

 

「あたしらが、ただ殴られるだけの存在じゃないって。抵抗できる力、現状を変える術を持ってるんだって。誇らしかったな、あたし。きっと、皆もそう」

「私は」

「だから、出る前に話がしたかった。気づかせてくれたことに、お礼だけは言いたかったんだ」

 

 片目を瞑った火鵺(かぬえ)は、しゃなりとした足取りで鍛冶場へと消えていった。

 

 恥。双竜之丞(ふたつのじょう)の心はそれで一杯だった。

 

 あの女の言葉こそ、まさしく真ではないか。下らぬ邪推でそれを疑い、捻くれた怯懦を晒し続けた。恥。その一言はどこまでも双竜之丞(ふたつのじょう)の自尊心を灼き、苛んでくる。

 

「翔けようか、瑞王(ずいおう)

 

 この痛みから逃げるために、翔けるのだ。気づいていながら、そうせずにはいられない。

 飛竜に考えを伝える時、本来は言葉を口にする必要さえない。一時、そんなことさえ忘れてしまっていた。

 

 鞍に跨り、瑞王(ずいおう)が羽ばたくのに身を任せる。己の鬱屈に付き合わせてしまった負目もあったので、好きにさせてやりたかった。

 上がり続ける。拍を刻むごとに、地面が遠くなってゆく。飛竜が騎手の指示を受けずに、ここまで高度を取るのは珍しいことだ。

 

 皮膚が微かな寒さに曝され始めた時、眼下に現れたのは《臣廼湖(おみのこ)》の全容だった。

 

「これを、見せたかったのか」

 

 巌徹(がんてつ)と別れた時に見た湖。火鵺(かぬえ)と共に船で渡った湖。あれから二十日あまり、その景色が大きく変わる訳も無い。

 

 しかし、湖面から立ち昇る気とも言うべきものは、明らかに以前と様変わりしていた。身を縮こませて逼塞するような暗さは無く、前へ前へと進まんとする熱い意志が渦を巻いていると思える。

 

 船は交易品と共に、兵や荷駄の輸送も行っているのだろう。《臣廼湖(おみのこ)》そのものが、賊の脅威を脱するために動き始めている。

 

 動きがあるのは湖だけではない、空もだ。やや下方、風を切り裂いて東へ翔ける騎竜武者は、間違いなく自分と同じ陣借りだった。

 

 感じる。伝わってくる。騎手と飛竜に心の結びつきがあるのと同様、飛竜同士も見えざる波を発して交感している。だから、時として他の乗り手の感情が伝わってくる場合があるのだ。

 

 喜び。武士としての場を与えられたことへの喜びだった。割りの良い仕事にありつけた、などというものではない。騎竜武者の矜持を取り戻す機を得たと、昂っているようだった。

 

久々鱗(くくり)》の太陽。《鳴蒙川(めいもうがわ)》での本戦前夜、焚火を囲んで話したことを思い出す。

 

 失望を伴って故郷を離れた騎竜武者達。《久々鱗(くくり)》を覆う猜疑の暗雲に差し込む陽光として、 無源(むげん)に希望を見出しているというのか。

 あやふやなものに縋ろうとしている。言葉を選ばずに言えば、そういうことだ。勝手な期待を裏切られることもあるだろうに。

 

 それでも、確かに馳せ参じている。座して悲観を続けるより、よほど立派なものではないのか。湖の畔に降りつつ、そればかりを考えた。

 

 水を飲んでいる瑞王(ずいおう)の側に、双竜之丞(ふたつのじょう)は座り込む。首元をゆっくり撫でてやると、瑞王(ずいおう)は頭を振って口元の滴を払った。

 

 あの時、自分は何故無源(むげん)の要請を拒んだのか。湖を見はるかして考える。

 あれは、ただの仕事の依頼ではないか。槍を振るって賊を討つだけ。一介の陣借りとして、身構えたり、穿って考えるようなものでもない。

 

 ここまで深く思い悩むのは、やはり十年前の傷が塞がっていないせいか。

 

「あの日も共に逃げたよな、瑞王(ずいおう)。私を乗せて、翔け抜けてくれたよな」

 

 両親を失った自分を育て、自分と瑞王(ずいおう)を引き合わせてくれた叔父との、山での日々。裏切者と指弾され、生き延びるために叔父を斬って逃げ出したあの日。

 

 後に《久々鱗(くくり)》史に残る暴虐とされたミズ族の南下も、北に生きる多くの民の目には壮挙に映っていた。若き双竜之丞(ふたつのじょう)は幾度も叔父に反対されながら、それに参じようとしたのである。

 

 結末は凄惨なものだった。叔父は郎党を動員して、双竜之丞(ふたつのじょう)を討ってでも止めようとし、双竜之丞(ふたつのじょう)は包囲を突破する中で叔父を殺めてしまった。

 

 双竜之丞(ふたつのじょう)は帰る処を失った。ミズ族の快進撃も、宗家の当主が配下に討たれたことで水泡と化している。

 

 何も、残らなかった。誰も、幸福にならなかった。その事実が、双竜之丞(ふたつのじょう)の心に影を落としている。

 

 瑞王(ずいおう)にもたれかかった。瑞王(ずいおう)は拒まない、包み込むこともない。ただ、そこにいてくれるだけだ。

 十年間、その事実にどれだけ救われてきたことか。

 

「けじめを、つけたいな」

 

 取り留めのない思いが交錯する心中から、ようやく引っ張り出した明確な言葉。

 

 その日暮らしの陣借り暮らしを続けることで、叔父を手にかけた痛みから逃がれようとした。しかし、その前にすべきことがあったのではないか。

 

 叔父をして抹殺という手段を決断させた、大事に身を投ずるという意志。それが正しきか否かを自省することすらなく、十年の昔に置き去ってしまっていた。

 

 無源(むげん)。何かを変えるため、大事を為さんとしているであろう男。

 

 初めて顔を突き合わせた時、捨てた筈の意志は確かに首をもたげてきた。ならば、それとけじめをつける機から、逃げてはならないのではないか。それは叔父への手向けであり、己を取り戻す手立てでもある。

 

 湖面を見つめながら、考えが一つの方を向き始めているのを感じた。

 

 ────────

 

 先鋒が川を渡るのを見ながら、無源(むげん)は胸の高鳴りを抑え込まんとする。

 

 逸るな、無源(むげん)。ここで逸ってどうする。《解軛門(かいやくもん)》を手に入れてからが、始まりではないか。

 敵を撃滅し、共に戦う皆の損耗を減らす。逸って仕損じる訳にはいかないのだ。

 

 無源(むげん)は中軍、徒士主力の中に身を置いていた。幾つかある作戦の段階に応じて騎上の人となり、それ自体が全軍への合図ともなる。

 大将なのだ。自分が浮き足立っては全軍に波及してしまう。

 

 二つの渡しから渡渉する。先鋒と中軍は下流、遊軍である騎竜隊は上流からだ。

 先鋒は、まず南に進路を取る。海沿いの拠点を狙うような動きで。その様を城に篭る敵に見せつけ、揺さぶりをかけるのが端緒である。

 

 

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 無論のこと、これは敵の判断を惑わせる陽動だ。どちらかの敵がつられて飛び出してくれば、騎竜隊を急行させて野戦を仕掛けるつもりだったが、流石に出てくることはなかった。

 

 敵も慎重を期しているのだろう。こちらを本拠にまで引き込み、乾坤一擲の決戦を挑む気でいるらしい。故に、最後の最後の攻勢をかける機が来るまで、堅守の姿勢は崩すまい。

 

 川を越えて、六日目になった。

 

 平地から山岳に変わる境、丘が連なって道が入り組む一帯。息を潜める気配を感じて、進軍を止めた。修伍(しゅうご)が側に駆け寄ってくる。

 

「伏兵を狩り出します」

「頼むぞ」

 

 十組の軽兵隊が、丘と丘の間に分け入ってゆく。半刻(一時間)程すると、方々で刃を打ち交わす音が響き、飛竜の羽ばたきが重なった。

 徒士で伏兵の潜伏位置を暴き、騎竜隊で上空から襲撃する。此度はその戦法が当たった。露見したことに動揺し丘へ駆け上った敵に騎竜隊が急迫し、容赦無く揉み上げる。

 

 城へ逃げ帰る敵は五百あまり。千を下らない数が伏せていたということか。こちらが城に攻勢をかけた時、城の内外で呼応して挟撃する肚だったのだろう。

 伏兵に気づかぬふりをし、城内の敵の出撃を誘うという手もあったが、緒戦から際どい賭けは避けるべきだった。

 

 二つの丘に陣を張り、城を睨む。眼前には小曲輪の一つがあり、まずはこれを陥として本曲輪の眼前に出る。

 じっくりと締め上げる、ということにはならない。そこまで進めば、一気に勝負を決めるつもりでいた。

 

 ここまでは、筋書き通りだ。これからはどうか。作戦に遺漏は無いか。そんなことばかり考えていると、いつの間にか頭上に星が現れていた。

 

 夜襲の気配は無い。敵も味方も明日の激突を前にして、静穏な眠りを享受したいと考えているようだった。これが最後の眠りになるかもしれないのだから。

 

「殿、不自由はございませんか?」

 

 静寂が耐え難い、不安に思えてならない時、決まって善右衛門(ぜんえもん)が顔を出してくれる。知り合った時からそうだ。

 

「俺は大丈夫だ。お前こそ、ちゃんと寝ておけよ。明日になって倒れられては困るからな」

「勿論です。真正面から啖呵を切ってみせます」

「そして、無事で帰ることだ。でなくば俺が泉花(せんか)に恨まれる」

 

 波守(なみのかみ)泉花(せんか)には、出立前の挨拶を済ませている。

 気負いの無い、常と変わらぬ様子で対したつもりだったが、波守(なみのかみ)には肩の力を抜けと励まされた。やはり、年長者には分かってしまうものらしい。

 

 泉花(せんか)の方はというと、善右衛門(ぜんえもん)の肩を張りながらこう言ったのだ。

 

「せいぜい無理をせず、無事に帰ってくるのですよ。そして身の丈に合ったお相手を探すのです。でなくば、縁もこれきりですから」

 

 さり気ない優しさに、自分達は生かされている。戦陣に在ってそれを顧みられるのは、すなわち幸福に他ならなかった。

 

 気がつくと、降り注ぐ朝の陽光を浴びている。具足姿のまま、眠ってしまっていた。

 軽く身繕いをしながら、所定の位置につき始める将兵を見守る。

 

 善右衛門(ぜんえもん)の声が空を震わした。

 

「匪賊共に告げる!」

 

 右手に旗を掲げ、胸を反らして丘の頂に立つ姿。逆光を浴び、漆黒の輪郭となっている背中が、これまで覚えが無い程に凛然として見えた。

 

「十年間、お前達の行いを省みるがいい。略奪を恣にし、罪無き者を手にかけ、暴虐の限りを尽くしてきた。さぞや楽しい日々であったことだろうな」

 

 曲輪が俄かに騒然とし始める。敵意と、殺意とか無形の矢となって射掛けられているだろう。善右衛門(ぜんえもん)は一歩も退かない。

 負けるな、と無源(むげん)は呟いていた。

 

「しかし今やお前達は一つの城に押し込められ、滅びを待つ身となっている。お前達の所業が、自らを貶めたのだ。最早手を下すまでもないが、敢えて我らは戦う。二度とこの地を踏まぬと誓って去らぬ限り、お前達に存える道は無いと知れ!」

 

 全軍の鯨波が連なり、大音声の怒涛が《解軛門(かいやくもん)》を飲み込んだ。天に向かって響く始まりの合図。

 

 小曲輪の門が開け放たれ、殺気を立ち昇らせた賊の群れが、雪崩を打って押し寄せる。頭に血が上りつつも、城を守らねばならぬという前提との板挟みになり、攻勢はどこかで甘くなる筈だ。

 

 面目を施した善右衛門(ぜんえもん)に頷きかけ、無源(むげん)は鞍に跨った。飛竜の嘶きを聞きながら戦場を見下ろす。

 

 味方の徒士が数段の横陣を敷き、迎撃の構えを取っているのがよく見えた。中央を凹ませて敵の勢いを殺し、左右から攻め立てる動き。調練の成果が如実に現れている。

 

 そう長くはない衝突を経て、敵は退き始める。曲輪から射掛ける弓の射程に、誘き寄せるための動きだということはすぐに分かった。うかうかと乗せられ、突出するような真似はしない。

 

 苛立った敵は再び寄せてきて、退がることを繰り返している。やはりこちらも動くことなく、暫く様相は変わりそうもなかった。

 

 他の小曲輪に詰める敵も、加勢する動きを見せていない。いずれか一つを抜いて進もうとする相手を、本丸と呼応して一網打尽にする城の構造なのだ。こちらはそれを逆手に取っている。

 

 ふと、視線を北に転じた。昨晩早くも《落冠川(らっかんがわ)》を渡った部隊は、目標の丘に到達している頃だ。数にして三百という小勢だが、切札の一つと言うべきものを携えていた。

 

 陽は中天に在り、寄せる敵にも焦りが滲んでいる。そろそろ、仕掛け時だ。

 

「騎竜隊を前に」

 

 百を超える飛竜の羽ばたきが空気を圧し、隊伍を組んだ騎竜隊は巨大な錐となって、小曲輪目掛け進み始めた。

 空から直接陥としにかかる動き、それを認識した敵は慌てて戻ろうとする。

 

 迎撃に徹していた徒士が、突撃に転じたのはその時だった。

 

 静から動、横から縦の急変に対応できない敵を突破した。否、すり抜けた。困惑のまま停止する敵に目もくれず、徒士は小曲輪を目指し疾駆する。

 

 門に取り付くまでに飛来した矢は疎だった。強襲の態勢を見せた騎竜隊に、大半が指向されていたのである。

 おまけに、出撃している兵がいたため、門も完全に閉ざされていた訳ではない。守りの全てが半端だったのだ。

 

 忽ち門を破り、内へと斬り込んでゆく徒士隊を認めつつ、無源(むげん)は騎竜隊と合流する。足下には、南へと逃げ去ってゆく敵の群れ。

 混乱から立ち直り、小曲輪へ戻らんとする敵を、騎竜隊は側面から攻めに攻め立てたのだ。これで、徒士隊の背後に不安は無い。

 

「行くぞ」

 

 北へ、北へと翔けてゆく。小曲輪の制圧は必ず成ると疑いもせず、騎竜隊は《落冠川(らっかんがわ)》の流れを越えた。

 

 

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 所定の丘。運び込まれた荷駄と、配置を終えた味方の姿が見える。迎え入れられるままに着陸し、飛竜の翼を休めた。

 眺望という一点だけを見ても、この丘を押さえた意義は大いにあると分かる。本曲輪も、最前線となっている小曲輪の戦況も、掌の上だ。

 

 雄々しい八の字を描く自軍の旗も、はっきりと見える。陥とした。各処の味方が連動して、着実に戦を進めている実感。ようやく湧いてきた。

 

「よし、飛ぼう。敵の耳目をこちらに集める。派手に動き回って、ただし射線は遮るな」

 

 空に出て、皆で一斉に鬨を上げる。俺の方を向け。その思いを籠めて声を張り上げれば、果たして敵の殺気は方向を転じてきた。これ見よがしに騎竜隊の陣形を再編し、突撃の構えを取る。

 

 射手が本曲輪の北に集結しつつあるのが、ありありと分かる。塀に据え付けてある弩も、こちらを向いていた。寄せてきた騎竜隊に斉射を加えて、尽く撃ち落とそうというのだろう。

 

 一方で、敵の大半は西の門に集中している。小曲輪を陥とした徒士が攻め上がるのを警戒しているのだ。騎竜隊で攻めると見せかけ、徒士で門を抜いた先刻の例がある。他三つの小曲輪に詰める敵も、本曲輪に呼応して動きを見せていた。

 

 隊伍を組む騎竜隊の最前に、無源(むげん)は躍り出た。戦場に横溢する殺気が肌に突き刺さり、びりびりとした感覚がある。武者震いを起こす手に力を籠め直し、長巻を握りしめた。

 丘に展開する徒士も、列を整えている。敵の視線を覆い隠す人垣の向こうに、黒光りする筒を構える者達の姿。

 

 風が止んだ。そう感じた時、既に翔け出していた。目の前の本曲輪がどんどん大きくなる。射手の顔、動作。番えた矢が放たれんとした直前、全騎が方向を転じて離脱した。

 矢玉避けの術は、かかっていなかった。丘には風喜(ふうき)も伴っており、状況によっては術の解除を頼むつもりだったが、その必要もあるまい。

 

 その風喜(ふうき)からすれば、初めて無源(むげん)の騎竜隊を見た時と、同様の動きをしていると見えるだろう。敵が斉射を行う直前に反転し、執拗にそれを繰り返す。焦りと苛立ちを誘う。

 その機は、まさに熟しつつあった。

 

 無源(むげん)は長巻の切先を天に差し上げ、反射する陽光で戦場を照らした。敵と味方、双方への合図。

 

 騎竜隊は心持ち高度を取り、降下攻撃を加える態勢を見せた。敵としては、塀に穿たれた狭間(射撃用の穴)からでは狙いようがない。

 しつこく挑発されて気が立っている敵は、塀から上半身を乗り出してまで射落とさんとしてくる。

 

 その時、青い雷光が本曲輪を貫いた。

 

 空から見下ろせば、よく分かる。弾丸を食らい、塀の内側に落ち込む兵。それを見て色を失い、弓を取り落とす兵。人だったものが、ばたばたと倒れ込んでゆく。

 轟音が過ぎ去った後に広がる惨状。北に集まった射ち手に、物心両面の罅が走っていた。

 

 百八十梃もの雷火(らいか)。開戦の数日前、密かに丘に運び込んでいる。その時に無源(むげん)は、地図の上で何度も確かめたことが正しかったと、肌で実感した。

 

 矢の届かない間合いだが、雷火(らいか)ならば届く。一方的に撃ち掛けられる。

 

「それであんたらが勝てば、雷火(らいか)を造った皆で賊を倒したことにもなる。そいつらから先に、連れて行っておくれよ」

 

 保有する雷火(らいか)の提供を快諾してくれた、《臣廼湖(おみのこ)》の鍛冶達を纏める女の言葉を思い出した。

 

 自分達に、命運を賭してくれる者がいる。力を貸してくれる者がいる。その根幹は、決して忘れまい。勝利をもって、それが嘘ではない証としてみせる。

 

 雷火(らいか)の本場である《金號(きんごう)》出身の修伍(しゅうご)が、組撃ちという戦法を教えてくれた。

 

 弾丸を籠める、撃つ。㮶杖を銃口に差し込み銃身を冷やし、次の弾丸を籠める。雷火(らいか)を撃つ工程とはこの繰り返しで、故に連射が効かない弱点があった。

 それを補うために編み出されたのが、組撃ちであるという。三人が一組となって三梃の雷火(らいか)を扱うが、敵に向ける銃口は各組一つずつだ。

 

 各々が弾丸を籠める、撃つ、銃身を冷やすことのみに没頭し、常に敵を撃てる状態にしておく。それこそが組撃ちの眼目だった。覚える作業が少ないから、習熟も早い。

 

 六十の銃口が本曲輪を狙い、間断無い射撃が続いていた。空から見下ろせば、凄まじさがよく分かる。引金を引くだけで、ここまでのことができるものか、と思った。

 

 事態を理解する暇も無く、轟音と共に迫り来る光の波濤。敵兵からすれば恐怖に他ならない。実態を超える脅威を感じて、敵の戦意は急速に阻喪していた。耳を塞いで座り込む者さえいる。

 

 逡巡は無かった。無源(むげん)が咆哮を上げると、人竜の鯨波が湧き起こって空を揺るがした。

 飛竜の翼を畳み、一息に降下する。挑発でも、見せかけでもない。本気で敵を崩すための突貫。

 

 逃げ散る敵には目もくれず、矢を向けて抵抗してくる敵を斬り伏せる。敵意の呻きを聞きながら長巻を振るうと、強かな手応えがあった。刃から滴る赤を拭う間も無く、背後から近づく敵を両断する。

 見回せば、味方が圧倒的だった。遠距離の間合いに特化した射ち手は、懐に潜り込まれると弱い。弩から慌てて射ち出される矢も、空を切るのみである。

 

 弓を持つ骸が山になった頃、敵の新手が現れた。こちらの徒士を警戒して門の守りを厚くしたために、対応が遅れたのだろう。勢いに乗る騎竜隊の敵にはなり得ない。それがすぐに分かった。

 

 それからは、蹂躙である。西に注意を向けていた敵を包囲し、容赦の無い騎射の豪雨を浴びせかけた。一射で一人、三射で三人を討つ勢いの前に、敵の内外が見る間に削られてゆく。

 秩序だった反撃ができなくなったのを見計らい、斬り込んだ。各騎が得物を振るう度に、乱舞する敵の首や腕。怒号と悲鳴がその大きさを競う。

 

 皆が、血に酔っていた。人も飛竜もだ。刃が擦れ合う音に混じって、哄笑さえ聞こえる。

 大将として、それに溺れてはならない。旗揚げ以来、無源(むげん)は自らを固く戒めてきた。それでも、少し気を抜けば自分を見失いそうになるのだ。

 

 敵が瓦解した。そして、溢れた。圧力に耐えかねた敵が内から門を開け放ち、外に逃げ道を求める様は、破れた堰から濁流が溢れる光景を思わせる。

 本曲輪と各小曲輪を繋ぐ通路は、一段低い所を走っていた。攻め込んだ敵に対する備えの一環だが、今はそれが仇となっている。小曲輪を占拠したこちらの徒士隊に、頭上と背後を取られることとなるのだから。

 

 血腥さの中で無源(むげん)は鞍を下り、一息ついた。頭に返り血を浴び、視界が狭まっていたことに気づく。拭っても、じっとりとした熱さまでは消えない。

 

 小曲輪に取り付こうとした敵を、徒士隊は長槍と弓の斉射で叩き落していた。最早反撃すること能わず。悟っただろう敵が逃げ始めた。飛び出した徒士隊がその背を強襲する。他の曲輪の兵と鉢合わせ、混乱してごった返すところに斬りかかったのだ。

 

 城での攻防は、これで終わるだろう。抜け目の無い修伍(しゅうご)のこと、城の出入口に兵を伏せて逃げる敵を掃討するぐらいは、抜かりなくやるに違いない。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 だが、《解軛門(かいやくもん)》を手にしたのだとはまだ言えない。南から攻め上がる敵を蹴散らし、賊の脅威を一掃して初めて、それを主張できるのだ。

 次々に入ってくる報告を聞く限り、少ない損害で城を破れたようだ。それは、重畳である。

 

 無源(むげん)は沈み始める陽を目で追いかけながら、明日のことを考えた。払暁には、眼前に敵の本隊が姿を現しているだろう。

 地形を、思い浮かべる。少しでも、敵の展開を遅らせることはできないか。数の利を潰せる場所は無いか。

 

 考えを巡らす中で、熱に浮かされた頭は少しづつ冷えていった。

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