無源の秋 〜竜の翼は風雲に舞う〜【毎週金曜12:00&日曜19:00更新】   作:くコ:彡の本棚

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武士達の暁明 後篇

 

 自分で決めた。だから、ここにいる。双竜之丞(ふたつのじょう)は飛び越えた《臣廼川(おみのがわ)》を振り返り、そう思った。

 

 振り返ってみても、あれ程までに逡巡していた感覚を思い出すことはない。何を迷っていたのか、と他人事のように思う。一歩踏み出してみれば、そこには己のあるべき姿がある。

 

 実の処、その一歩を踏み出す勇気が、十年で擦り切れていただけだったのだろう。手にかけてなお敬慕する叔父の死まで、自分は言い訳にしていた。

 

 己を乗せて羽ばたく瑞王(ずいおう)の背中。つかえの取れた心を映す鏡のように、輝いている。

 

 東へ、東へと向かう瑞王(ずいおう)の飛勢は尋常なものではなく、心の昂るままに空を翔けていることがよく分かった。

 鞍の上で風を浴びながら、己が選択が誤りではなかったと、双竜之丞(ふたつのじょう)は実感したものだった。

 

 賊が動き出したとの報が、齎されていた。聞けば海沿いの拠点から《解軛門(かいやくもん)》までは、通常の(徒士中心の)軍で八日の道程だという。

 

 無源(むげん)の軍は昨日進発したらしい。こちらは、十日あまりを要する距離を進まねばならない。騎竜隊のみを先行させれば半分もかかるまいが、空陸一体の構えを崩してはいないようだ。

 

 賊軍としては先んじて到達し陣を構え、城を陥とした直後を狙いたいところだろう。それにしては鈍重な足取りに見えるが、万が一にも城より先に討たれることを警戒し、用心を重ねているのだ。

 そこまでの脅威を、無源(むげん)らは五年間で与えてきたということである。

 

「よくまあ、海沿いにこんな数を隠してたもんだ」

 

 火鵺(かぬえ)は右手を翳して南を遠望し、呆れたような声を出した。瑞王(ずいおう)に同乗しているのは、あの時と同じである。

 

 双竜之丞(ふたつのじょう)が合流した時、何となしに降りた陣営には火鵺(かぬえ)がいた。無意識に探していた、ということはない筈だ。

 火鵺(かぬえ)は大仰に喜ぶことも、驚くこともせず、泰然と微笑んでいた。来て当然のものが来た、と言わんばかりに。

 

 《臣廼川(おみのがわ)》以東には、空からの視界を遮る高峰は無い。高度を取れば、《解軛門(かいやくもん)》に至るまでの地形を、具に見渡すことができた。

 

 そして、眼下には拠点を発して東に進路を取る敵勢の姿がある。一万五千を優に超しているだろう軍が動く様は、地を這う大蛇を連想させた。

 

 陣触れに応じた義勇兵や陣借りは、徒士が四千五百にまで達している。

 彼らは《臣廼湖(おみのこ)》を船で発ち、川を下りつつ《落冠川(らっかんがわ)》の流れに入り、南岸に上陸。察知されぬよう各地に散らばって、潜伏する算段となっていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 位置関係からして、川を渡って東進する無源(むげん)の軍を出迎え、城攻めに向かう背を見送ることとなる。

 

「いや、違うか。海路で新しく運んできたんだね」

「分かるのか」

「先頭と一番後ろにいる部隊、具足と得物の光り方が違う。賊のはあんなに手入れされてないよ」

 

 火鵺(かぬえ)は装備で、双竜之丞(ふたつのじょう)は動きでそれを見抜いていた。賊の黒幕が業を煮やし、己が抱える戦力の一部を、主力として差し向けてきたのだろう。

 

 数にして、七千あまり。二つに分かれ、賊で構成される雑多な部隊を挟み込んでいる。督戦のためだということは、すぐに分かった。

 いざ戦となれば、賊の人垣で勢いを殺した相手を、主力で突くという戦をするつもりか。

 

 そして、黒幕の立場を考えれば、術士も当然軍の一角を占めている筈だ。

 騎竜隊を擁しながら、無源(むげん)軍は海沿いの拠点を発見するのに時をかけたらしいが、それも仙術による隠匿が行われていたために違いない。

 

 何か、もう一手を仕掛けられないか。一度戦に身を投じたからには、出血を少なくするための手を、講じずにはいられなかった。

 

火鵺(かぬえ)、私を信じることができるか?」

 

 微妙な視線を火鵺(かぬえ)は向けてくる。怪訝としたという訳でもなさそうだが、具体的には何か測りかねた。

 

「何をするつもり?」

「敵陣に潜って術士を討つ。でなくとも、皆が戦場に出る時には、術の発動を封じておきたい」

「矢玉避けがあると雷火(らいか)も形無しだもんね」

「そういうことだ」

 

 潜入して標的の首を頂戴する。まるで忍び働きだと双竜之丞(ふたつのじょう)は思う。

 

 一対一万五千の、無謀な戦を仕掛けるつもりはない。術士を率いる幾人かを斬れば、敵は大規模な術を展開できなくなる。仕損じたとしても、位置を割り出せばその後の戦に明確な指針ができるだろう。

 

「いずれにしても、戻るのに時はかからぬと思う。その間相棒を預かってほしい。いいな、瑞王(ずいおう)

 

 瑞王(ずいおう)は細い頭を垂らして、火鵺(かぬえ)に寄せた。世話になる、とでも言うように。火鵺(かぬえ)も嬉しそうに鼻先を撫でている。

 初めて同乗した時から薄々思っていたが、瑞王(ずいおう)はこの女を殊の外気に入っているらしい。

 

「いいよ、行っといで。味方の本隊とは七日もしたら合流できるだろうけど、話通しておく」

「助かる。手間をかけさせて、すまない」

「ま、許したげるよ。あたし、今すこぶる機嫌が良いからね」

 

 これまでの短いやり取りの中で、何かあっただろうか。その疑問を率直にぶつけてみると、火鵺(かぬえ)は血色の良い唇の端を持ち上げた。

 

「名前」

「ん?」

「あたしの名前、初めて呼んでくれた。気づいてなかったのかい」

 

 瑞王(ずいおう)が短く嘶いた。何かに似ていると思えば、それは笑い声だった。

 

 ────────

 

 徒士と騎竜武者の軍装は、まるで違う。当たり前の知識ではあったが、着てみれば本当の意味でそれが分かる。

 重さ、質感、可動域。それらの差異に双竜之丞(ふたつのじょう)は早くも慣れ始めていた。

 

 徒士の潜伏から注意を逸らすため、騎竜武者の陣借りは物見を大々的に行っている。敵からは、無源(むげん)が後方に残していった戦力に見えるだろう。

 呼びかけた側、応じた側。双方にとって利のある状況という訳だ。

 

 それに混じり、瑞王(ずいおう)に乗って敵に近づいた。そして敵の死角で着陸し、単身陣に潜り込むことに成功する。それが、五日前である。

 瑞王(ずいおう)は己の考えをよく分かってくれており、素直に味方の下へ戻っていってくれた。戦端が開かれると同時に放すことを頼んでいるので、その時再会することとなろう。

 

 愛用の槍は瑞王(ずいおう)と共に預けた。湖畔での戦で振るっており、あの時の槍捌きを覚えている敵でもいれば、企みが露見する恐れがある。警戒は、いくらしてもし過ぎるということはない。

 

 鏢と佩剣。当座の得物はそれで、必要に迫られれば敵から頂戴すればいい。

 

 そして、今身につけている徒士の装いは、自分が潜入すると聞いた味方が貸与してくれたものだ。賊に住処を追われたという、具足職人である。

 術士が身を置くであろう本陣の付近に近づくには、それなりに身綺麗でなければという気遣いだった。小さからぬ期待を、寄せてくれているらしい。

 

 有り難くそれを受けたことが幸いし、現時点では怪しまれることなく陣中を動き回っている。

 それに加え、一万を超える軍勢である。砂粒の如き一人が混じったところで、そう気付かれるものではない。一度停止すれば営舎の群れが地の一角を埋め、あたかも集落のようですらある。

 

 一日目は、敵を覆う雰囲気を読むことに専心した。一帯に蔓延る賊と、黒幕が送り込んだ指揮部隊の混成。その関係性の把握から、事を進めんと考えたのだ。

 

 賊の群れの前後を指揮部隊で挟み、督戦している。それは、空から見た通りだった。

 共に進軍しつつも、両者が交わることは殆ど無い。朝に一度、一日分の兵糧を積んだ輜重車が、賊の下に来るぐらいだ。双竜之丞(ふたつのじょう)は、さり気なくそれに同行した。

 

 指揮部隊は、まるで軒下の鼠を見るような目を賊に向けている。小さからぬ支援を続けているというのに、近頃負け続きの賊を、無駄飯食いと侮蔑しているのだろう。聞こえぬようにだが、実際そう呟いた者もいた。

 

 賊の方もおざなりな礼を述べながら、敵に対した時と変わらない目でこちらを見ていた。食いはぐれないために従っているだけ。態度でそれを雄弁に語っている。

 

 この寒々しい光景には、二つの重要な示唆があった。

 

 まず、賊を完全な制御下に置く形で各隊を再編し、一つの軍として動かしている訳ではないということ。所詮現地での数合わせと割り切り、指揮部隊のみで動いた方が効率的と見たのだろう。

 

 そして、指揮部隊は賊を完全な隔離下に置いているということだ。拒絶していると言ってもいい。触れてはならぬもののように遠ざけ、接触も最低限のものだった。

 

 術士がいるのは、先頭か最後尾のどちらかに違いなかった。

 

 五日間。陣中の人の動きに、ひたすら注意を向け続けている。

 馬鹿正直に、営舎を一つ一つ検めるようなことはしない。そのような振る舞いで露見する恐れを高めるより、ずっと要領の良い手段があるのだ。

 

 人の、動きを見る。意識の行方を見る。部隊や荷駄が移動する時、当然、定められた方向へと導かれるものだ。それを辿れば、一定以上の地位を持つ者しか立ち入れない営舎が、自ずと分かってくる。

 

 振り返れば、《鳴蒙川(めいもうがわ)》でもそうだった。燿謙(ようけん)は自分達に陣中を歩き回ることの許可をくれたが、その範囲内に術士の気配は無かったように思う。

 万が一にも、術士の位置が漏れないようにしていたのだ。一軍の将たる者として、譲れぬ線引きということだろう。

 

 今一つは、仙気の流れを感じ取ることだ。空間に満ちる仙気を操って術を発動するということは、明確な流れとも言うべきものが生まれることを意味する。

 

 これも《鳴蒙川(めいもうがわ)》での戦で気づいたことだが、飛竜と交感する者は、仙気の流れを僅かながら感知できるらしい。あの時は煌炉(こうろ)から川の北岸へ張り巡らされた仙気の導線を、確かに知覚したものだった。

 

 地竜が掻き回した土から、飛竜は仙気を吸い上げているのだと、叔父に聞いたことがあった。

 何故、叔父はそのような知識を有していたのか。今となっては知る由も無いが、ともかく飛竜は仙気の流れに敏感だということだ。

 

 飛竜と心を重ねた恩恵として、乗り手に齎される能力なのだろう。

 

 二つの手掛かりを重ね、既に候補は片手で数えられる程になっている。もう一押し。そういう時こそ足踏みを厭わず、慎重を是とせねばならない。

 

 そう考えながら、陣に立ち昇る幾つもの炊煙を見る。それらが空の果てに達する前に、断ち切られるように消えていた。

 これも、術だろう。炊煙から軍の位置、様子を悟られないようにするのが、習慣づいているということか。

 

 急報が飛び込んできた。

 

「敵が《解軛門(かいやくもん)》の眼前にいるだと?騎竜隊がか」

「徒士も含めて、全軍だと。丘では既に始まってるらしい」

「馬鹿を申せ、我らより一日早く出ただけだろう。達するまで、あと五日はかかる筈だ」

 

 動揺のざわめきが全軍に波及するのに、然程時を要することはなかった。

 

 無源(むげん)の軍。行程を、予測の半分で踏破している。

 並外れた迅速さには違いないが、双竜之丞(ふたつのじょう)が覚えたのはむしろ、確かな納得感だった。

 

 あの日、初めて会った時の戦。無源(むげん)軍は進軍先に点々と拠点を作っておき、騎竜隊の継戦能力を飛躍的に高めていた。

 

 それと同じことを、此度もしたに違いない。《落冠川(らっかんがわ)》で義勇兵と共に荷駄や兵糧も運んだのだ。

 それを進軍路に沿って各処に集積しておけば、軍は輸送の負担から解き放たれる。陣の設営にも無駄がなくなる。それらが積み重なり、大幅な日程の短縮を実現しているのだろう。

 

「まさかこのまま城まで抜かれたりしないよな?どう急いでもあと二日はかかるんだぞ」

「あっちに着いた連中、えらく張り切っているらしい。俺の顔見知りも向こうに行くと言っていた」

「金払いは悪くないらしいが」

 

 指揮部隊に属する陣借り達である。調練の充実度は賊と比べるまでもなく、主力をなす戦力として数えられていた。

 

「それにしてもよ、あいつら知ってるのか?賊と戦うことで皇都に喧嘩売ってるのを。端金でそんなことに付き合うなんざ御免だね」

「全くだ。陳腐な物言いだが、長いものには巻かれるに限る」

 

 双竜之丞(ふたつのじょう)は鼻で笑いそうになるのを堪えた。呆れの現れである。

 

 巨大な権力の庇護の下で安寧を求めるのは、確かに立派な選択の一つである。しかし、寄りかかる大樹が根から折れて、道連れになることもあるのだ。

 

 長いものに巻かれる生き方は、印象に反して相当に難しい。軍の規模だけで雇い主を測り、負け戦に巻き込まれる陣借りは、失敗と破滅の一例だろう。

 大陸随一の大国を牛耳る者に与したとて、それから逃れられる保証がどこにあるというのか。

 

 そこまで考えて双竜之丞(ふたつのじょう)は、今度は自分自身に呆れた。信じて付き従った末に、破滅が待っているかもしれないというのは、味方とて同じ筈ではないか。

 軽率きわまる話だが、無源(むげん)が勝つことを疑っていない自分が、確かにいる。

 

 ────────

 

 進軍の様態を大きく変えるという下知は、その日の内にあった。

 

 先頭と最後尾が合流し、指揮部隊が一つとなる。賊を軍にとっての贅肉だと看做して切り捨て、身軽になって《解軛門(かいやくもん)》に急ぐというものだった。

 

 なけなしの兵糧と共に放り出された賊の群れを追い越し、最後尾が追いついてくる。進軍しながら、休息もそこそこに行われる慌ただしい再編。

 各処で声を張り上げて指示を出す部隊長らの顔に、隠しきれない焦りが滲んでいる。

 

 間に合わぬかもしれない。その不安が、確かな実体を持って彼らの眼前にあるのだ。

 

 日が改まり、駆けつつの進軍になった。切迫した空気は末端にまで広がっている。物見からの伝令が、その理由だった。

 

 昨日の今日で、城攻めが始まっている。前面に足掛かりを与えない備えはあっただろうが、半日で蹴散らされたようだ。徒士と騎竜隊が一体となり、曲輪に取り付かんとしているらしい。

 

 指揮官の焦燥は、兵に伝わる。乱れを生む。急ぎつつも一応は保たれていた秩序が崩れ始め、渾然とした様相を呈し始めた。

 

 その状況下で見えるもの、感じられるもの。双竜之丞(ふたつのじょう)は駆けながら捉える。幾つもの川の流れが一つに収斂していくかの如く、仙気が一処に集まっているのをだ。

 日が落ちてなお駆け通し、ようやく横になるまでの間、ずっとその流れを追い続けた。

 

 そこか、と心中で呟く。どこから近づく、いつ仕掛ける。星を見ながら考える内に、いつの間にか空が白み始めている。

 

 双竜之丞(ふたつのじょう)はやおら立ち上がって、軍の行手を見遣った。西は、義勇兵が潜んでいる一帯。東には《解軛門(かいやくもん)》の城。

 城を覆うのは静けさだ。とても、敵と味方が対峙している剣呑な気は感じられない。

 

 あの男がやったのだ。

 

 薄明の中で攻撃準備が進む陣中を、双竜之丞(ふたつのじょう)は闊歩する。それでいて、指揮官と見れば脇に捌けて俯く。

 十年の陣借り生活。所作は体に染み付いている。

 

 それを繰り返していけば、密度が変わってきた。統一された軍装を纏う、正規の将兵の密度だ。その光景が、己が見たものの正しきを教えてくれる。

 

 そんな中、視界の端に見える人だかり。将も、兵も、陣借りまで集っている。

 彼らが熱心に見つめる先に、立ち昇る二つの火柱があった。篝火は焚いていない。薪が燃える音も無い。

 

 台の上に立つ壮年の男、その両手から火が噴き上がっているのだ。術士の装束。同じ格好をした四人が侍っているが、装飾はより豪奢に見える。

 

「見るがよい、我らが天より授かりし聖炎を。その輝き、揺らめきを眼に映せ。さすれば心中に怯懦の残ることがあろうか」

 

 言われるまま、無言の裡に炎を見つめる人々。安らぎに身を任せる者の表情だった。恐怖を和らげる手段として、《聖華(しょうか)》の軍では当たり前のものかもしれない。

 

 炎の揺らめきが見る者の心を鎮めるというのは、野営で火を起こしていれば何となく分かる。

 いわば当たり前の事象に、天という言葉を持ち出しているのには、少し引っかかった。どこまでも個人的な感傷に過ぎないが……。

 

「聖炎に天意を見よ。我らが故国に跳梁す凶徒どもを平らげ、静謐を取り戻すことこそ──」

 

 その時、陣の各処で響く鉦の音が朝を貫いた。敵襲。谺する叫びは量感すら有しているかのようである。屯していた将兵は血相を変え、各々の持ち場へと走ってゆく。とうに起きてはいるが、叩き起こされている印象があった。

 

 あの男、天意とやらを説いていた男は周囲の術士に何事か指示すると、皆を引き連れ去っていった。やはり、術士達の長で間違いあるまい。

 狙うべき相手。殺気を、意識の一欠片をも向けることなく、双竜之丞(ふたつのじょう)は歩き出す。

 

 目指す処まで、あと少しだった。戦闘態勢に移って駆け回る兵達に紛れているから、誰何されることもない。

 

 その中で、何が起こっているか断片的に聞こえてくる。

 無源(むげん)の軍は陥とした城を出て、早くも陣を敷いているという。攻撃が始まるまで、半刻(一時間)あるかどうか。

 

 城を陥とし、疲れきった処を狙うつもりが、逆に先手を取られている。賊を盾にして反撃を躱すというやり方も、この軍は自ら捨て去ってしまっていた。

 

 狼狽の一字が、軍を覆い始めている。その陣舎に至った時、よく分かった。

 

 規模は、周囲のそれとは比較にならない。番をする兵も多い。だが、厳重な警固がはっきりと乱れている。

 いつ、ここまで攻め寄せられるか分からない。その恐怖が彼らを浮き足立たせていた。

 

 これならば、やれる。頭より前に、肌でそれを理解した。躊躇とは無縁の足取りで、双竜之丞(ふたつのじょう)は中へと飛び込む。

 

 平伏し、叫んだ。

 

「急報、急報にござりまする」

「何事ぞ。早くも敵が動き出したか」

 

 問う声があの男のそれだと気づいた時、地を蹴っていた。

 顔を上げる。人の群れ。術士が十人と、それを束ねる長。硬直した顔がすぐ目の前にある。

 

 剣を引き抜いた。横一文字に光が走って消えたと思った時、首が二つ宙を舞っている。大口を開けて固まるもう一人の胸を刺し貫いた。

 引き抜いた刃にべっとりと付いている血を、袖で拭う。

 

「曲者」

 

 声が叫びとなる前に、四人目の胴を両断した。勢いのままに手首を翻し、もう一人の首を飛ばす。

 殺気を感じ、双竜之丞(ふたつのじょう)は跳躍してその源に飛び込んだ。術式を組み上げている二人を、その前に叩き斬る。

 

 斬りながら、営舎の出口へ駆け出す三つの影を捉えていた。追いながら、鏢を投げつける。鏢は意思あるもののように飛んで、三人の首筋を貫いた。

 

 命ある者は、営舎の中で二人だけになった。

 術士の長は憎悪に満ちた目をこちらに向けながら、動揺を隠しているように見える。普通に歩いて十歩の距離、つまり一瞬で詰められる。

 

「ここを突き止めるとは、そこそこに頭は回るようだ。しかし、雇い主を選ぶ知恵は無いな」

 

 双竜之丞(ふたつのじょう)は返事もしない。救援が駆けつけるまで時を稼ごうとしているのは、見え透いていた。

 喚声が聞こえる。弓を構え、空と陸からの攻勢に備える指示が方々で下っている。既に戦端は開かれているのだ。いつ、どれだけの増援がここに来るものか、読み切れないところがある。

 

 

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 とにかく、この男と対していれば、術士の指揮系統が乱れる。可能な限り、それを長くすることだ。

 

 男の両手から炎が奔る。火を恐れる生物としての本能も忘れ、双竜之丞(ふたつのじょう)は躱しながら間合いを詰めた。

 力のまま、剣を横に薙ぐ。確かに首を捉えたと思ったが、確かな力に阻まれた。泥濘に剣を突っ込んだ感覚にも似ている。

 

 強烈な熱の発散を知覚し、咄嗟に飛び退った。勝ち誇ったように笑う男の姿が、揺らめいている。立ち昇る陽炎が、男を守る壁となっていた。

 炎に巻かれた刃は未だ熱を帯び、ぶすぶすと音を立ててはいたが、剣として死んではいない。

 

「無駄はよせ。炎の楯に守られし我が身に、下郎の刃が届くものか」

 

 立て続けに浴びせられる炎を走りながら避けつつ、繰り返し鏢を投げつける。相手を中心とした円を描いているのだ。

 鏢が静止し、黒焦げになって地に落ちる。その時だけ炎の壁は見えるのだ。男の全方位を守るように張られている。

 

 次々と迫る熱の塊に追われながら、足は止めない。組み上げられた術式の隙。それを探している。

 術士が空間中の仙気に干渉する以上、両者を繋ぐ結節点と呼ぶべきものが、確かに存在する。そこを叩けばたちまち術式は崩れ、刃はこの男に届くだろう。

 

 それを、探り出すのが肝心だった。今にして思えば、術士の営舎を探し出す方法は、これの規模を大きくしたものに過ぎない。

 

久々鱗(くくり)》と《聖華(しょうか)》。両国が干戈を交えていた時代に生きていた訳ではないが、術士に対する術は今にも伝わっている。

 それを授けてくれた人を、双竜之丞(ふたつのじょう)は手ずから殺めたのだった。

 

「不遜にも挑んでおきながら、その有様は何だ?鼠のように逃げ回ったところで、時が経って来るのは我が味方だぞ」

 

 東からは戦の音が絶えず響いてくる。後退、増援を、死守せよ。断片的に聞こえる言葉が、激戦を伝えていた。

 目の前の男は術士を統括する立場にあるが、総大将ではないようだった。それだけに、変則的な一騎討ちに注力している印象である。

 

 そのためだろう、中々隙を晒そうとしない。狙うべき点は度々見えるのだが、すぐに覆われてしまう。投げつけた鏢は火球で撃ち落とされる。

 

 残る鏢はあと一本。潮時、その言葉が脳裏に浮かぶ。

 

 その時、西が湧いた。これまで戦が続いていたのと真逆の方角から、鯨波が上がったのだ。

 

 兵が次々と逃げ込んでくる気配を感じる。西に新たな敵、悲鳴に近い叫びも聞こえた。

 西からの新手の咆哮に、雷火(らいか)の発砲音が混じっている。お待たせ、と言われた気がした。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 目の前の男、その余裕が初めて崩れた。西に目を向け固まっている。眼前に見える、はっきりと。死命を分かつ一点。

 鏢、最後の一本を構えた。我に返った男が、それを迎撃しようと火球を生み出す。

 

 投げつける。そのふりをして、鏢を真下に落とした。火球が空を切るのと同時に、鏢を思い切り蹴りつけた。

 

 触れてもいないというのに、強かな手応えが伝わる。彼我の距離を飛び越えた鏢は、確かに貫いていた。宙空に罅のようなものが走り、炎の壁が霧のように掻き消えてゆく。

 

 体は勝手に動いていた。考える前に剣を振り下ろす。男は目を剥きながら必死に横に避ける。遅い。

 

 すれ違った後、二人の間には右腕が落ちていた。

 

 剣に付いた血を払い、鞘に収める。男は片腕を失いながら、顔に浮かぶ敵意を消そうとはしない。青ざめてはいるが。

 

「私の、勝ちだな」

 

 初めて、かけた言葉だった。暫し沈黙していた男は、にわかに口の端を吊り上げる。術式を組み上げるどころか、逃げる力も残っているようには見えない。

 

「それはよい、認めてやる。確かにお前は勝った。だが、私は決して負けはせん」

 

 戦の喧騒が、少しずつ遠ざかってゆくのを感じる。その中にあって、男の両目には異様な光があった。

 

「何故と問うか?私はお前の剣によって死ぬ訳ではないからだ。我が最後をお前の恣にされて、たまるものか」

 

 見開かれた目が、血走っている。そして、熱。先程までとは比べ物にならぬ程、激しい熱の高まり。

 視界が赤く霞む。斬り口から滴る血が、沸き立って霧と化していた。やがて、地面そのものを熱が侵食し始める。

 

 その時、西からの飛影。双竜之丞(ふたつのじょう)が預けてきた、半身だった。

 

羅聖(らしょう)の輝きに──」

 

 瑞王(ずいおう)。己を呼んでいる。飛び乗った。景色が下へ、下へと流れてゆく。熱を、振り払う。

 

「殉ずるべし!」

 

 男は片方が失われた両手を掲げ、叫んだ。

 

 上空から、自ら巨大な火柱となって爆ぜた男の、痕跡を見る。

 亡骸などは無い。強いて挙げるとすれば、未だ一帯に溢れる高熱と、黒く煤けた地面そのものが、亡骸だった。

 

 名ぐらい、聞いてよかったかもしれない。

 

「助かった、瑞王(ずいおう)。礼を何度言ったものか、私もお前も覚えてはいまい」

 

 誇らしげに嘶く瑞王(ずいおう)の首を撫でながら、戦場を見下ろす。

 静寂に包まれた原野に、数千を超える骸が転がっている。大半は、敵のものだ。味方とて無傷とはいかず、力尽きて横たわる飛竜もいた。

 

 一処に埋葬し、弔うこととなろう。これから先、ここを通ることがあれば、黙祷を捧げようと双竜之丞(ふたつのじょう)は思った。

 

 大音声の波が押し寄せてくる。勝鬨。各々が腹から張り上げているであろう声は、戦の疲れなど無いかのように力強い。

 瑞王(ずいおう)まで、それに和して咆哮を上げている。

 

 東から、そして、西から。自分達の住処と生業を脅かした力を跳ね除けたという感慨は、一入であろう。

 

 横合いから差し込む光の眩しさに、双竜之丞(ふたつのじょう)は一瞬目を瞑る。その源を見てみれば、《解軛門(かいやくもん)》の山並みを越えた太陽があった。

 

 暁だ、と思った。

 

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