無源の秋 〜竜の翼は風雲に舞う〜【毎週金曜12:00&日曜19:00更新】   作:くコ:彡の本棚

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真なる胎動

 

 戦勝の宴から一夜明ければ、やるべきことは山積みだった。

 

 善右衛門(ぜんえもん)の寝所に向かう途中、無源(むげん)泉花(せんか)に出会した。泉花(せんか)は一瞬身を硬くしたかと思えば、挨拶を残し去ってゆく。

 

 その後ろ姿を見ながら、《解軛門(かいやくもん)》攻めに商館を発つ前夜を思い出した。

 敷地の東にある櫓。そこに一人で立ち、貝殻の首飾りを握り締めて瞑目する泉花(せんか)

 

 きっと、祈りだったのだろう。決して失いたくない者の、無事の帰還をひたむきに願う祈り。それが川を越え、遠く東へと届いたことは疑う余地も無い。

 

「おい、起きているか?」

 

 善右衛門(ぜんえもん)は、上半身だけ起きていた。何処か様子がおかしい。呆けたように口を開け、ぼんやりと一点を見つめている。寝巻きも、不自然なまでにはだけていた。

 

 肩を揺すり、現の世界に引き戻してやる。慌てて挨拶をする善右衛門(ぜんえもん)の上気した顔から視線を転じ、褥(布団)を見た。

 まるで、一処に二人が寝ていたかのようだ。

 

「お前、酒は強いと思っていたがな。二日酔いを抜くために、少し今後の話をしよう」

 

 蒙昧なふりをして、話を進める。多分、喜ばしい何かが起こったのだろうが、それは波守(なみのかみ)にも諮るべきことに違いない。

 

 身繕いをして二人で入ったのは、単に書庫と呼ばれる地下の一室だった。善右衛門(ぜんえもん)にとっては、根城と呼ぶべき場所である。

 

 商館が取り扱う物産の数、貯蔵状況、交易相手の名前、泊の位置や荷下ろしの場所。それから軍の荷駄や兵糧の集積地、周辺の地勢や農地の現状。

 商館の、そして軍の内情全てを克明に記した書類が収められていた。

 

 書庫の事物を外に出すべからず。それは、旗揚げ以来の鉄則だった。必要に迫られればその都度写しを取り、使い終わればその場で焼き捨てるという徹底ぶりなのだ。

 

 波守(なみのかみ) の補佐を任された善右衛門(ぜんえもん)が初めて着手した仕事が、この書庫の整理だった。

 書類を分野や時系列に合わせて整然と並べ、さらにその過程で内容の多くを頭に入れたという。いわば、後方の統括たる男の原点である。

 

 無源(むげん)が口にする言葉を、卓の上に広げられた紙に善右衛門(ぜんえもん)が記してゆく。それを続けていると、決して大きくない紙が、以下の文言で真っ黒になった。

 

・新兵を加えた軍の再編と調練

・土豪と協議しての農地復旧

・賊の残党に対する仕置

・《聖華(しょうか)》の侵攻を想定した防備案の策定

・《解軛門(かいやくもん)》の第一次整備開始

・《久々鱗(くくり)》の地形、物産、商業の再調査。並びに、各勢力との折衝

 

「……差し当たり、こんなものだ」

 

 一つの目的を達し、次の段階に進むため何を為すべきか。善右衛門(ぜんえもん)に書き写してもらいながら、無源(むげん)は己が考えを整理した。

 

「軍の規模は以前に輪をかけて大きくなりました。義勇兵は徒士(歩兵)二千五百を編入、騎竜武者はほぼ全員がこのまま残りたいと」

修伍(しゅうご)隊長は頭が痛いかもしれんな。仕事を増やして申し訳ないことだ」

 

 徒士が八千、騎竜武者が四百。力を均す形で新兵を加え、部隊を組み直す。そして、調練に次ぐ調練。

 

 新たな指揮官の人事も行うこととなる。旗揚げ時より部隊長を務める者には老境に入り、後方に下がるか、帰農を望む者も少なくない。

 立場を繰り上げる者の候補は修伍(しゅうご)が幾人か挙げており、新たに参じた者も適性があれば、隊長に据えるつもりのようだ。

 

「俺としては、対術士部隊の編成も早く進めたいな。挙げた通り、《聖華(しょうか)》と事を構える事態を考えておかねばならん」

双竜之丞(ふたつのじょう)殿が先の戦で行われた、あれですね?仙気の流れを探るという」

 

 仙気の流れを読んで、術士の詰める営舎を探り当てたという話を聞いて、一つ得心がいったことがある。

 

 風喜(ふうき)を拾った戦いにおいてのことだ。あの時、無源(むげん)は敵の中に術士がいることに、何となく気づいていた。

 さらに麾下の騎竜武者には、同じように存在を知覚するのみならず、大まかな位置さえも読んだ者がいる。そのおかげで、賊の巻き添えにして殺さずに済んだとも言えよう。

 

 決して、一握りの者にのみ許された異能ではない。適切な調練を施せば、部隊を組むだけの要員を確保できる筈だ。

 術士の位置を暴き、その中枢を叩く。戦での選択肢は多いに越したことはない。

 

「賊の残党についてですが、内紛が起きて半数を割り込んでいる模様です。それから、調査を重ねてあるものを見つけまして」

「それは?」

「賊の開墾した田畠です。争いに倦んでいる一派が、未だ耕作を続けているようですね」

 

 海路での補給のみならず、現地での調達も行っていたようだ。考えてみれば自然なことである。規模を聞けば、相当に広大であるらしい。

 

 賊と一括りに言っても、穀物や野菜を育てる術を知る者がいる。かつて鎌や鍬を持って糧を齎してきた民が、武器を手にして同じ民の暮らしを脅かしていた。

 

 賊の手にかかった者、住処を奪われた者を思えば、おいそれと同情はできぬ。しかし、彼らを撃ち破った者として、その事実を忘れる訳にはいかなかった。

 

「彼らを取り込めれば、大きいと思います。今は商いで兵糧を購っていますが、自給する道も同時に探るべきです」

「お前」

 

 まさしく、無源(むげん)が考えていることではあった。しかし、両親を賊に奪われた善右衛門(ぜんえもん)がそれを口にするとは。

 

「いいのか?」

「殿の大志を果たすために、やれることは全てやる。自分が今生きている意味とは、それだと思い定めておりますから」

 

 ようやく、吹っ切れてくれた。家族を失いながら生き残ってしまった、負い目と呼ぶべきものが綺麗に消え失せている。《解軛門(かいやくもん)》攻めの死地に立つ中で、そんなものは捨ててきたのだ。

 

 最早、前線に立ちたがる気配も無く、後方を担う大きな使命を全うする熱意に満ちていた。最初で最後の戦に出して良かった。心からそう思える。

 

「それにしても、昨日の今日で再びの《解軛門(かいやくもん)》とは。一日ぐらい休まれればいいのに」

「空で休むさ。疲れを取るには騎上の風が一番だ」

 

 先に列挙した最後の二つ。やらねばならぬことであったが、やりたいと切望してやまぬことでもあった。

 せめて端緒だけでも、自ら携わりたい。

 

 話が終われば、すぐに発つつもりでいた。そのために、昨日の宴では酒を一杯しか飲んでいない。酔っていると手綱捌きが怪しくなるのもあるが、何より飛竜は泥酔した人間をひどく嫌う。

 

「よし、行ってくる。これからが真の始まりだ」

 

 地上に出ると、頭上には既に蒼穹が広がっていた。《臣廼川(おみのがわ)》が陽の光を照り返し、輝きは絶えず流域を包み込む。

 えも言われぬ昂りを感じて、飛竜を繋いでいる処へと駆ける。

 

 鞍を乗せようとした時、傍らに立つ人影に気づいた。

 

波守(なみのかみ)様、まさか俺を見送りに?」

 

 率いる軍の規模がどれだけ変わろうと、無源(むげん)波守(なみのかみ)に対し、礼節を欠いたことはない。家族を失った自分に、今の道を教えてくれた恩人だった。

 

「畏れ多いことです。商館の主たる方がわざわざ」

「なに、早うに目が覚めてしまってな。わしも気が昂っておるのやもしれん」

 

 離陸態勢を整えた無源(むげん)に、波守(なみのかみ)は眩しそうな目を向けてくる。何処に向かうのか、昨日既に伝えてはいた。

 

「出立だな」

「はい」

 

 おそらくは、自覚しているだろう。交易によって無源(むげん)を支えてきたこれまでの日々が、どのように結実するのか。見定める時が近づいていると。

 

「……そなたは、強い。若さ故に抱く望みに、挑み続けるという強さだ。わしは若い頃からして、そんな強さを持つことはできなんだが」

「歳を食ったからこその知恵に、救われた者がここにいますよ」

「賢しい口を利くのう」

 

 笑顔を交わして、飛び立った。

 

 川を越えて、東へ。先日の進軍路をなぞる形で翔けた。あの時無源(むげん)は徒士に混じって進軍していたが、それは実戦における騎竜隊との連携を、開戦直前まで検めたかったためだ。

 

 川の流れによって運んだ荷駄が空陸の部隊に行き渡るか、それを測っていたというのもある。激戦が予想されたからこそ、直に確かめる機会は逃したくなかった。

 

落冠川(らっかんがわ)》。自軍に勝利を齎した流れを、目で遡る。

 

 平野から山岳へと移り変わる境界、高地と窪地が斑を描く一帯を、南北に分けている。川を左に見ながら山を伝っていくと、無源(むげん)軍の騎竜隊が詰める《久々鱗(くくり)》南端の山々があった。

 

 不毛の地という訳ではない。地竜が好む状態の土壌で、飛竜が土を食むのに向いている。

 ただし、植物が自生するには厳しい地勢だった。木の一本も生えてはおらず、山草や茸、山の獣といった恵みに乏しいのだ。

 

 だから、どの氏族もこんな処に営地を設けたりしない。畑にできそうな平らな場所は多いが、広さだけあっても虚しいだけである。

 

 改善するには、外から、より遠くからの地竜を呼び寄せ、その繋がりを保ち続けることだ。植物を育む滋養を、運び込むのである。

 《久々鱗(くくり)》の内だけでそれは不可能だった。地竜の渡りを追うと共に、自らの生活に合わせて誘導するのが、当たり前なのだ。地竜もその周期に慣れているから、わざわざ南端の僻地になど来はしない。

 

 それを変えてやろうというのが、《解軛門(かいやくもん)》を手に入れた意味の一つだった。

 

 北岸の各処を検めるために寄り道を繰り返したが、替えの飛竜を行先で用意していたため、三日目の昼には目的地に着いた。先の戦いで布陣した丘である。

 

 上空を舞う幾つもの影。それらが寄り集まったかと思えば、整然と隊伍を成して翔け始めた。そこから十騎単位に分かれ、縦列へと変じ、弾けるように散開する。

 

 新参の皆を加えた騎竜隊の調練は、早くも様になってきていた。

 陣借りとして、《聖華(しょうか)》や《金號(きんごう)》で実戦を重ねてきた者が多く、技量に不安は無い。後は、抜け駆けを厳に戒めることだ。

 

 調練の指揮を取っていた一人が、降りてくる。青灰色の煌めきを纏いながら。それは、男の駆る飛竜の鱗が照り返す光だった。

 無源(むげん)は、目の前に立った男に声をかけた。

 

「よう」

 

 双竜之丞(ふたつのじょう)にそう呼びかけるのは、三度目である。

 

「調練を見に来た、という風ではないな」

 

 単身で敵陣に潜り込んで、術士長を討ち取った。その活躍は戦終わりの軍に瞬く間に知れ渡り、腕試しを挑む者が続出した。以前に《聖華(しょうか)》の戦場で沓を並べた者もいる。

 

 二十人あまりの全員が、十合と保たなかった。八人は一度馳せ違っただけで、鞍から打ち落とされている。皆が囃し立てる声は、息を呑む気配に塗り替えられた。

 皆が教えを請いたがった。自然の成り行きと言うべきか、陣借りである筈の双竜之丞(ふたつのじょう)は調練を統括するようになる。

 

 流されるままに、という体でありながら、調練は激しくも理に適ったものだった。突出せず、皆と呼吸を合わせることで、各々の力は何倍にも引き上げられる。それを、体に教えているようでもあった。

 

 軍に、加えたい。熱い思いが無源(むげん)の心中で首をもたげてきた。

 抑え難く湧き上がるそれを、先日ぶつけた。以前《臣廼湖(おみのこ)》の畔で、言いたくとも言えなかったこと。断られる覚悟をしていたつもりではあったが、果たして本当にそうだったのか。

 

「仕える気は無い。しかし、雇われてもよい」

 

 それが、返答だった。

 

 その時に結んだ契約が、今は続いているという格好である。次に大きな戦いが終わった時、改めて継続か解消かを考えることとなっていた。

 

「話しておきたいことがあってな。調練が終われば、向こうに来てくれ」

「いや、俺がいなくとも続けるように言ってある。行こうか」

 

 主君と家臣ではないから、人の目が無い処では砕けた話し方になる。

 二つに分かれ、交差しながら翔ける調練に入った騎竜隊を頭上に見ながら、物陰の岩に二人で座り込んだ。

 

「で、だ。話したいことというのは、《解軛門(かいやくもん)》の使い道についてだ。賊の牙城が如何というのに関わりなく、俺はここが欲しかった」

「城でも築くのか?」

「いいや。宝の山にする」

 

 瑞王(ずいおう)が興味深げに首を寄せてくる中、無源(むげん)は地図を広げた。《解軛門(かいやくもん)》から《久々鱗(くくり)》南端が大写しになっている。

 

「飛竜の停留地を、《解軛門(かいやくもん)》に作りたいと思っている。というより、全体をそれそのものにしたい」

「飛竜の恵みを集めるためにか。牧場のように」

「確かに、近いな。ただ、俺としては《久々鱗(くくり)》の伝統に則る形で進めたい。何しろ、竜の民の伝説が息づく地だ」

 

 そもそも《解軛門(かいやくもん)》は、《久々鱗(くくり)》に生きる皆にとって縁ある地だった。

 

 八百年の昔。その者達は遥か東より、長い長い空の旅を経て大陸へとやってきた。「大いなる禍」を避けるために、飛竜発祥の大山岳地帯を目指して、民族全てを挙げての大移動を始めた。

久々鱗(くくり)》の子供達が必ず、呪い師に聞かされる伝承の一節である。

 

 その中継地点となった《解軛門(かいやくもん)》には、彼らが設けた営地の痕跡が幾つもあった。飛竜が土を食んだ跡、地上に地竜が飛び出した際の穴もだ。

 即ち、今に続く《久々鱗(くくり)》の民の暮らし、その起源を今に伝える一例である。

 

「今、《解軛門(かいやくもん)》に地竜の気配は無いようだな」

「俺も気になって、筆麻呂(ふでまろ)先生に調べてもらった。先日報告が届いたのだが──」

 

 かいつまんで言えば、《解軛門(かいやくもん)》東部に莫大な量の仙気が炸裂した形跡があるとのことだった。戦略級と評するべきものが、二百年程前に。

 

 現在その影響は消えて久しいらしいが、地竜は世代を経てもその事実を忘れず、避けているようなのだ。飛竜と同様、互いに交感して生きる高い知性を持った生物なのである。

 

「大地そのものに問題は無い。むしろ、地中の滋養も仙気も、相当に富んでいる。我らの手で一度呼び寄せてやることだ。《久々鱗(くくり)》からな」

 

 自分の内心を地図に写すつもりで、無源(むげん)は地図をなぞった。

 《久々鱗(くくり)》南端から《解軛門(かいやくもん)》、《落冠川(らっかんがわ)》を渡りつつ斜行する道。

 

「このようにして、地竜の群れを導く。一つの、確固たる道を啓くのだ。繋がりを作れば、そこから全てが始まる」

 

 大規模な地竜の群れが、秋には南下してくる。今の内に、その道標を立てておきたかった。

 天地を問わぬ竜同士の結びつき。その情報網は驚く程速く、隅々まで糧の在処を広める。それは、信ずるに足るものだとよく分かっている。

 

 地竜が訪れては去る処に、飛竜は喜んでやってくる。土を食み、生え替わる鱗を落とす。双竜之丞(ふたつのじょう)にも見せた新たな二つの資源、それが得られる宝の山が出来上がるのだ。

 

「地竜が通るには、良い地勢だと思う。だが、お前達には《珠幸(じゅこう)》との交易もあるだろう。その道は大丈夫なのか」

「心配いらん。先の戦で城をどうやって陥としたか、話したことはあったかな」

 

 荷を積んだ船で《落冠川(らっかんがわ)》の下流を遡るという、新たな交易の道。その起点となる泊を、《解軛門(かいやくもん)》北の丘近くに設けた。

 雷火(らいか)隊と共に陣取った、あの丘である。実を言えば、丘そのものがより効率的な交易路を探す中で、見出したものである。

 

「必要な人足は、波守(なみのかみ)様を通じて《珠幸(じゅこう)》に頼んである。お前にも大事な役目を託すぞ。まず、日程は」

 

 胸の奥底から湧き上がってくるものがある。無源(むげん)はそれによって言葉が上滑りするのを、どうにか抑え込んでいた。

 

 それは熱意、あるいは希望と呼ぶべきものだった。

 

 ────────

 

 声がする。人の声、竜の声。それに木の声、土の声、風の声に獣の声。

 森を抜けて開けた場所に出ると、波の声と船の声もそれに重なった。見はるかす先に《珠幸(じゅこう)》の港街がある。

 

 潮の匂いと共に鼻から吸い込んだ息を、覚承(かくしょう)は静かに吐き出した。

 

 知り人を訪うために、ここまで来た。いつもは飛竜の背を借りるところ、此度は自らの足で《久々鱗(くくり)》の山々を踏みしめている。

 土中を行き交う地竜の動きを知りたく思った時、そうするのだ。

 

珠幸(じゅこう)》は賑わっていた。遠くから見下ろすだけでもそれが分かる程だから、街は咽せ返るような熱気に包まれているだろう。

 

 漁から戻ってきた船と、交易の荷を積んだ船。それぞれ違う泊に導かれ、待機していた者達に取り付かれていた。荷揚げに勤しむ威勢の良い掛け声、一仕事終えた充足感を湛える笑声が、潮風と共に届いてくる。

 

 それに耳をくすぐられながら、多くの櫃を積んだ荷車が南へと向かうのを、覚承(かくしょう)は目で追っていた。

 

覚承(かくしょう)さん」

 

 呼びかけてくる声はあどけない少年のものだったが、以前聞いた時より少し低く思える。

 

「やあ、わざわざ迎えに来てくれたのかい?」

「はい。前に貸してくれた本、読み終わったことを早く伝えたくて」

「それは貸した甲斐があるというものだね、星慈(せいじ)君」

 

 星慈(せいじ)はえくぼを作りながら、照れ臭さを堪えるように笑った。細められた目が元に戻ると、瞳が黄金に輝いている。

 

 ちょうど、星の光を磨き上げたような。

 

 目的とする庵までの道のりを二人で歩く中、《珠幸(じゅこう)》を見下ろす丘陵地帯に入った。一面に天幕が広がる営地ではなく、定住式の家々が連なっている。

 

 山の産物を加工し《珠幸(じゅこう)》の市に卸す者達が、主に暮らしている。先程、飛竜に乗って丘を出入りする者達がいたが、山で採れた茸を抱えていたり、山に仕掛けるのであろう獣用の罠を携えていた。

 休漁期の仕事として、そうしたことを行なっている者も少なくない。

 

 これらは紛れもなく、かけがえのない《久々鱗(くくり)》の色彩だった。天と地。空を翔ける者と地に根付くもの。互いを補い、支え合うことで生きている。

 

 それに目を向ける者が、今はあまりに少なすぎた。

 

 丘陵地帯を抜け、入り組んだ岩場に入った。苔むした岩肌はどれも同じに見えて、きわめて小さな、しかし確かな違いがある。

 それを見定めつつ、迷路のような道で曲がることを繰り返しながら進むと、渡廊下で繋がる二つの庵が見えてきた。

 

「彼は、庵にいるのかな」

「昨日まで、港に泊まっていたんだよ。朝に戻ると言っていたから、もういる筈なんだ」

 

 戸口に立つと、何やらどたどたと走り回る気配が伝わってくる。二つの声。少女が男を咎め、追い回している遣り取り。

 

星凛(せいりん)?お連れしたよ」

「嘘……もうっ!覚承(かくしょう)さん来ちゃったじゃない」

 

 戸口が開かれると、手に剃刀を持った少女の笑顔があった。星慈(せいじ)と同じ顔立ち、栗色の髪、そして黄金の瞳。

 

 星凛(せいりん)星慈(せいじ)は姉弟である。母親が違うと聞いてはいるが、異腹と信じられぬ程に二人はよく似ていた。

 一つ年長の星凛(せいりん)は気が強く、星慈(せいじ)は控えめかつ穏やかである。互いをよく補い合うといえば、この姉弟もまさにそうだった。

 

「相変わらず苦労しているね」

「そうなの。お客様が来るという日に、髭を剃ろうとすらしないなんて」

「いいんだよ、そんなもん気にする仲じゃねえんだ」

 

 刺々しい髪を後ろに纏めた男。無精髭に覆われた顎を撫でつつ、呆れたような目線を星凛(せいりん)の手元に向けている。

 

 名を、遼兵衛(りょうべえ)という。齢にして三十半ば、年長の友人を訪うために覚承(かくしょう)はやってきたのだ。

 

「誰に会うにも身綺麗にするのは当たり前でしょ?だから私がやってあげるっていうのに」

「剃ってもらう代価に、顎が血塗れになるのは御免被る。一度だけでたくさんだよ」

「失敗は、ただの一度じゃない。大人の繰言は本当にみっともないったら」

 

 遼兵衛(りょうべえ)はこの姉弟の後見人である。庵で三人、静かな暮らしを送っている。詳しい経緯は知らないが、大事なのは、互いを深く思いやりながら生きているということだ。

 

 昨今の《久々鱗(くくり)》の情勢を聞くだけで、気が塞ぐことも少なくない。笑い合う三人を見れば、尚更和むというものだった。

 

 昼時には皆で囲炉裏を囲み、遼兵衛(りょうべえ)が包丁を振るった雑炊を皆で啜った。白身魚の切り身と貝をふんだんに使ったもので、食欲をそそる海産の匂いが、湯気と共に立ち昇っている。

 

 出汁の効いた米、ほろほろと崩れながら旨味を醸す切り身を口にしながら、他愛も無い話に花を咲かせた。姉弟の身長が伸びたこと、市場に出回り始めた手の込んだ装飾品を、星凛(せいりん)が欲しがっていること。

 

「港への仕事にもっと連れて行ってよ。薬草乾かして書類と睨めっこには、飽きちゃった」

「慣れない餓鬼にちょろちょろされてもな」

「だったら、術で芸をして見物料を貰うとか」

「馬鹿を言え。自分から見せ物になりにいく奴があるか」

 

 遼兵衛(りょうべえ)は《珠幸(じゅこう)》を起点とする交易を助けることで、日銭を得ている。

 それも荷揚げや船の整備といった力仕事以上に、出し入れする荷の数量把握に、運搬に必要な人足の計算と確保、道の状態把握といった、知恵が求められるものだ。

 

 外から見ていても、働きぶりは実に見事だった。街の商人や漁師達も、それを認めている。雑炊の具材である海産物は上質なものばかりで、普段の貢献の返礼として贈られたのだろう。

 

「もっと、大きなことができる人だと思うんだけどな」

 

 星慈(せいじ)がぽつりと呟いたのが聞こえた。星凛(せいりん)を宥める遼兵衛(りょうべえ)には聞こえていない。

 否、聞こえないように言ったのだろう。あるいは、覚承(かくしょう)にだけ聞こえるように。

 

 ────────

 

 昼餉が終わり、覚承(かくしょう)はぼんやりと岩に座り込んで、海の方角を見遣っていた。

 隊商を、目で追う。多くの荷が列をなして向かっているのだ。南へと。

 

「南へ行くのが気になるのか?」

 

 遼兵衛(りょうべえ)が隣に腰を下ろしてきた。姉弟はそれぞれ鍋を洗い、衣服を物干竿にかけている。炊事洗濯は、三人の持ち回りなのだ。

 

「最近、《珠幸(じゅこう)》から南への交易路が変わった。今まではまっすぐ南下して《落冠川(らっかんがわ)》を渡っていたんだが、東に折れて下流に向かうように」

「そうなのか?」

「船で、川を遡るんだろう。その方が一度に多くの荷を運べるし、そこに至るまでの道も、今までよりずっと平坦だ」

 

 南との交易が始まって、まだ十年にも達していない。これまで《珠幸(じゅこう)》は、海路で《金號(きんごう)》との決して有利と言えない交易を続けていたのである。

 

 それが、突然南への道が啓かれた。取り扱われる山の産物の量も、種類も飛躍的に増え、卸す者達は少しずつ潤い始めている。

 覚承(かくしょう)も、ずっと気になっていた。此度の訪いは現地で実情を確かめ、主にそれを言上する意味合いもあった。

 

「ところで、星慈(せいじ)に何か言われたか」

「と、言うと」

「いいんだ。大方、わしにもっと働けと言っていたのだろうし」

 

 庵に住まうようになる前の遼兵衛(りょうべえ)を、覚承(かくしょう)は知っている。

 陣借りをしていたのだ。それも、勇を振るうのでなく、知をもって戦に身を投ずる陣借りである。

 

 奇襲知らず。それが当時の異名だという。空を越えて襲い来る敵や賊の襲撃を予見し、主力を退避させる。あるいは奇襲を受けたふりをして、誘い込み撃滅する。

 

 その頃覚承(かくしょう)は、今の星慈(せいじ)と変わらぬ少年である。山頂から見物した戦で繰り広げられたのは、まさしく変幻の用兵だった。

 

 戦での知略は図抜けていたし、それに先立つ補給や輸送に関する計画の立案も、きわめて緻密なものだったらしい。

 彼なりの熱意や希望が、その時にはあったことだろう。

 

 今から、七年前か。庵に住処を移した遼兵衛(りょうべえ)と初めて知り合った時、夢破れたといった風情で佇んでいた。

 いや、違うだろう。変質し始めた《久々鱗(くくり)》を見限ったのだ。

 

「姉も弟も、余計な気を回しすぎる。わしが餓鬼の頃は、如何に大人を食い物にしてやろうかといつも考えていたし、子供なんてそれでいいんだ」

 

 二つ繋がった庵。一方は先程昼餉を共にした皆の生活の場であるが、もう一つは遼兵衛(りょうべえ)の私的な空間だった。

 

 他国で購った軍学書、知り人から仕入れた噂や情報を書き連ねた書類、地形がびっしりと描き込まれた独自の地図。そうしたものに満たされている。

 過ぎ去った夢の名残ではない。つい最近、地図に加筆された跡があったと、前に訪った時星凛(せいりん)が話していた。

 

 世話になっている身として、弟共々気にせずにはいられない。そうも、言っている。

 

「話は変わるが、近々地竜の動きがありそうだぞ」

 

 覚承(かくしょう)は怪訝となった。地竜の群れが渡りを行う時期まで、まだ少しある筈だ。

 

「十日あまり前だったか。土行衆(どこうしゅう)を集めてほしいと《珠幸(じゅこう)》に要請が来てな。俺から連絡を回して、一昨日揃ったところだ」

 

 土行衆(どこうしゅう)とは、地面の状態から地竜の溜り場や行先を予測し、望む進路に導くことを生業とする者達である。

 地竜を導くことを、考えている勢力がある。それも、《久々鱗(くくり)》の外にだ。

 

「目指す先は、何処なのだろう」

「《解軛門(かいやくもん)》だ。聞かされた訳じゃないが、間違いない」

「今の時代にその名を聞くことになるとは」

 

 それにしても、驚くべきは土行衆(どこうしゅう)が十日で集まったという事実だった。

久々鱗(くくり)》の山々、その各地に散って依頼を待つ彼らだ。纏まった人数を呼び寄せるのに、本来三十日以上かかる筈である。

 

 遼兵衛(りょうべえ)が連絡を回したのは、《珠幸(じゅこう)》に要請が来るより、ずっと前だったのではないか。

 何ら根拠も無く、しかし確かに覚承(かくしょう)は思った。

 

 ────────

 

 飛び起きた。

 

 庵に宛てがわれた一室に宿泊していた覚承(かくしょう)の耳に、いや心に声が響いている。

 それは全てを押し流す暴れ川を想起させる程、猛々しいものだった。

 

 姉弟を起こさぬように気をつけつつ、それでも急いで庵を出た。東、水平線の向こうから、太陽が姿の半ばを現している。

 港町は、とっくに動き出している時刻であろう。

 

「おっ、来たな」

 

 昨日と同じ、見晴らしの良い高台の岩だった。遼兵衛(りょうべえ)が既にいる。

 

「面白いものが見られると思って、ここにいた。これ程早くにとは思わなかったが」

「何か起ころうとしている。悪しきこととは思えないが、それにしても激しい」

 

 気配を感じて振り向くと、瞼が完全に開ききっていない星慈(せいじ)の手を、星凛(せいりん)が引っ張っている。大人二人が庵から消えているのに気づき、不安になったものか。

 

 朝日に照らされる空に、幾つもの影が舞っている。騎竜武者。滑らかな動きで、空を翔けている。《久々鱗(くくり)》南端、どの氏族も使っていない遊休地だ。

 

 そこを拠点とする一団の存在は、かねてより知っていた。昨日遼兵衛(りょうべえ)に聞いたところ、《聖華(しょうか)》東部の軍閥に属する存在であるという。

 

 その軍閥は賊徒の牙城と化した《解軛門(かいやくもん)》を陥とし、一帯から賊を駆逐していた。《珠幸(じゅこう)》との交易を盛んに行っているのも、彼らであるようだ。

 

 そこまで考えた時、大地を打ちつける音が空を揺るがした。

 

 力強く、律動的な音。一つ一つの音が反響し、高まり合い、山肌にそれがぶつかることで、地の涯てまでも谺するように思えた。

 

 姉弟にとっては、初めての体験に違いない。自分達を囲む巨大な音の塊に怯え、相手を守ろうと身を寄せ合っている。

 怖がることはない、と遼兵衛(りょうべえ)は二人に言った。

 

「何?一体、何の音なの」

「あれはね、鎚打ちというのだよ」

 

 土打ちとも呼ばれる、地竜を導くための《久々鱗(くくり)》伝統の業だった。

 

 地竜は光など差さない地中を生息圏としているため、目ではなく音で周囲を認識する。

 だから、地面や山肌に鎚を打ちつけることで、地竜を刺激し、望む方向へと導くのだ。

 

「出てくるぞ」

 

 遼兵衛(りょうべえ)が呟いた直後、一匹が地面を破って現れた。巌のような体表、土を掘り進める巨大な両腕。

 《久々鱗(くくり)》の暮らしの根幹をなす、地竜の姿である。

 

 さらに、二匹、三匹。五匹、十匹。五十、百、二百、四百……。荒涼とした山肌に姿を現した地竜の群れによって、山の一画が焼け焦げたようにすら見えた。

 

 姉弟は、もう怯えてはいない。黄金の目を見開き、その光景を見守るだけだ。数百の地竜が列をなして山を下り、《落冠川(らっかんがわ)》北岸の、山と平地が錯綜する一帯に向かうのを。

 

 飛竜の行手に、際立って立派な騎竜武者がいた。駆る飛竜の鱗は煌びやかな青灰色で、その威風が地竜を引き寄せていると思える。

 

 北岸には十幾つもの陣営があり、それぞれに騎竜武者が待機している。やがて、地竜の列が進むのに合わせて大地を打つ規則正しい音が、風と共に響いてきた。

 

 感心している自分に、覚承(かくしょう)は気づいた。鎚打ちは複数の組を作って、道筋を作りながら行うことが求められるが、いずれか一つでも先走ると、音が乱れて地竜の怒りを買うのだ。

 

 今行っている彼らは、それを知悉しているようだった。それを遵守しながら実行する、各々の連携もよく取れている。

 軍としても、きわめて高い水準の力を有していると言うべきだろう。

 

 地竜の列、ないし流れは僅かな滞りも見せず、もう一本の大河となって東に注ぎ込むようだった。数日をかけ、《解軛門(かいやくもん)》に至る筈だ。

 

 形容し難い充足感を覚えながら遼兵衛(りょうべえ)の方を見て、思わずはっと息を呑んだ。

 

 その両目に、失って久しい筈の光が灯っているように、見えたためである。

 

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