死を忘れることなかれ   作:つけちゃん

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死を忘れることなかれ / 墓杜芽々

 

 

 

 目の前の友が、選択の結果から目を背け、人生を投げ出そうとしている。

 瞬間、飢えを自覚する程の羨ましさと──。

 

 

     ◇

 

 

 吸っていた紙煙草を乱暴に灰皿へ押し付け、舌打ち一つ。

 自分が社畜であることを、こんなにも腹立たしく感じたのは久々だ。

 MVPは私だが、どうせなら越権ついでに、別方面の提案でもして、追加契約の目でも仕込んでやればよかったか。

 そんなことをしたところで、業務量ばかりが増え、基本給アップやボーナスの反映すら微々たるものなのだから、やるだけ無駄なのだが。

 両親が蒸発前につくった借金の残額……いくらでしたっけ。

 エンベデッドエンジニアは高収入だし、プログラミング言語と戯れるのは愉しいのに。

 

 ああ、思い返しても腹立たしい。

 京都のクライアントへ納品した組み込みシステムが好評につき、追加契約とのニュース。

 それは別にいい。

 それなりの広さのオフィスを抱える、一社丸ごとの大型案件のため、ここで不興を買い、契約を逃すわけにはいかないのもまあ分かる。

 分からないのは、私に、愛知から京都への出張命令が下されたこと。

 私はプログラムを組む役割であって、営業でも、インフラ整備担当でもない。が、なんでも先方より「どうしても私に直にお礼を言いたい」との強い要望があったそうで。

 私の出張を会社に掛け合うことで、ようやく契約をまとめられたうちの会社の営業担当は、さぞかし、仕事ができる方なんでしょう。

 

 確かに、私のプログラムが受注のきっかけとなる成果を上げた。

 具体的には、顧客側の社員が、社外秘情報を私物パソコンへ転送したのを検知し、情報の漏洩(ろうえい)を未然に防いだ。

 社長は殊(こと)の外(ほか)喜んで、お礼の言葉に留まらず、感謝を大口契約という金銭で表したというわけだ。

 社員への教育を怠っただけでしょう。

 それを棚に上げた発注元の社長曰く、「多少経費がかかるが、墓杜さんのような美人が我が社のことを考えて組んでくれているかと思うと、より効果がありそうな気がするよ」。

 

 そう。あの社長。

 発注の理由はシステムではなく、偶々(たまたま)説明の際にテレビ会議に映った自分に会い、あわよくばお近づきになりたいとの下心からではないか!

 

 これみよがしに高額な契約をちらつかせ、「君の会社のお得意さんになれるといいと思っているよ」との挨拶(あいさつ)から始まった会議。

 プライベート番号の押しつけ、握手、夕食のお誘いと続き、襟口から服の中に手が入り込んでこようとした時には、ノートパソコンの角でその頭を殴りつけてやろうかと真剣に考えた。

 会社は営利団体だ。

 愛知へ戻れば、鼻息荒く迫ってくるヒヒ爺の会社を守るべく、健康と睡眠時間を犠牲にする日々の始まりだ。

 Damn it!!

 

 

 借金完済借金完済。こんな会社とはあと数年でおさらばよ。

 ゴールまでのカウントダウンを呪文の如く唱えつつ、近くのスーパーの自動扉を潜る。兎にも角にもこんな日は、飲むに限ります。

 一人で抱え込むより、聞いてくれる誰かがいると尚良し、なんですよね……。

 …………。

 やや考え、LINEを起動する。「京都に来てます。今から向かいます。酒はある」と打ち込んで送信した。

 送信相手は、家元虎之介。

 腐れ縁の友達であり、ここ京都で、小さいながらも観光客向けの忍者教室を開く傍ら、忍者文化の布教を兼ねて、劇団員として舞台に立つこともある。本物の忍者の家系の末裔だ。

 そして──共に、共通の友人との永遠の別れを選択した、共犯者でもある。

 適当に何種類かの地酒とつまみを引っ掴んでいる間に、苦笑いのスタンプと、隣家が改築工事中のため、自宅周辺がやや騒がしい旨が返ってきた。

 ……最近は昼間でも夜でも、レスポンスが早いが、忍者教室に集中出来ているのだろうか。

 通りでタクシーを拾い、スーツケースを後ろのトランクに入れてもらうようお願いする。逆に感心された。なんでも、座席の上に乗せる客がいるそうだ。スーツケースの車輪や、杖の底を。

 どこでも嫌な話は転がっているものだわね。

 

 

     ◇

 

 

 京都観光の中心地から、少し外れた地域。

 隣家の工事のことは聞いているため、手前でタクシーを降りて歩いて向かうことにする。普段いる愛知のアパートと違い、山が見えるというのは、なんだかちょっと新鮮だ。

 山肌は、枝のくすんだ茶色の中に、山桜がちらほら咲き始めたばかりの淡い白。

 ゆっくりと、深呼吸してみる。

 ほんのりと暖かさが混ざり始めた空気が肺に飛び込んできて、少しだけ、落ち着いた。

 

 目的の家のひとつ手前の、かなりご立派な日本屋敷の庭に、複数台のトラックが停まっているのが目に入る。一部を囲み始めている金属の足場が、景観としてミスマッチだが、改築工事というのは、この邸宅のことだったようだ。金属音と大工らしき人の声が住宅街に響く中、近くのトラックに来た大工の方と目が合い、会釈を返した。

 そのまま通りを先に進むと、家元さんの姿。私を出迎えに、表に出てきていたらしい。

 複数の酒缶を引っ提げた私が草臥れているのを見て、あからさまに苦笑いしてみせると、スーツケースと酒の入ったスーパーの袋を受け取ろうとしてくる。軽口を叩きあえる仲の相手の顔を見て、ようやく肩の力が抜けたのか、私も自然に袋を差し出した。

「何があったのかは、情報漏洩(ろうえい)にならない範囲で、後程愚痴に付き合うでござるよ」

「感謝します。……ごめんなさい、出張で来る件も日程も何も連絡していなかったのに、突然こんな」

 笑って、私の暴挙ともいえる行動を受け入れる家元さんに、こちらも素直に頭を下げる。

 「思い立って即行動するのは芽々殿らしいでござるが……まあ、多少は驚いたでござるな」と続けられたが……私、そんな風に見られていた……んでしょうね、仲間の前では、つい素が出てしまっていた自覚はあります。

 そんな会話の途中で、何気に隣家へ視線をやった家元さんの顔が瞬間、強張り。どうしましたかと尋ねるより前に、その姿が消える。

 受け取る手を失い地面に落ちた袋から、酒缶が溢れ、ごとりと重い音を立てた。

「な、なんだあっ!?」

 声の方向につられ隣家を向く。

 家元さんが、空を跳んでいる。

 

 

 工事車両の車体を蹴り、組まれた足場へ。

 鉄パイプを基点に、上の階層へ。

 風が駆ける。忍が跳ぶ。

 

 

 

 ガッシャアァン!!──がららん、がらららん!!

 

 

 

 大丈夫か、何があった。声が飛び交い始め、はっと我に返る。

 人様の敷地内であることを無視し、現場に踏み込んだ。

 

 目に飛び込んで来たのは、呆然(ぼうぜん)とした様子の作業員。付近に散乱した建築材、パイプ。

 割れた硝子と、その近くで蹲(うずくま)る家元虎之介。

 

 

 上を見る。一部抜けて空が見える足場。

 地上に視線を戻す。足場の資材という凶器。

 呻(うめ)く家元さんと腰を抜かした若い土方作業員。

 

 

 ……大まかに想像はついた。

 家元さんに近付き、声をかけてみる。

「大丈夫ですか」

「…鈍っているでござるなぁ…着地もまともに出来へん」

「受け身失敗したんですか」

「間に合ったでござる……が、急に激しく動いたから……世界が回っとぉ……」

 ああ、怪我はないんですね。動きのキレに不満でもあるんでしょうか。顔も上げずに落ち込んでいますが……十分、忍者では。

 大工の方々が家元さんを呼びに来た。労災申請か何かでしょうか。移動しかけた彼を呼び止め、手を差し出す。

「家元さん、上着をこっちに貸してください。落下地点付近には割れた硝子が散らばっていましたし、細かな破片が付着しているかもしれません。

はたいてから持っていきます」

「……よろしく頼むでござる」

 手を差し出せば、素直に脱いで渡してくる家元さん。

 

 一瞬、何かが引っかかる。

 『違う』

 

 ばさばさと上着を振りつつ、違和感の正体を追う。

 何でしょう……なーんか違うんですよ。

 ……はっ、もしや、立ち上がる際にお腹に力を入れたことで、この周辺で放屁!?

 いや、いくら怪我がなさそうで安心したからといって、何をくだらないことを考えているんですか私は。大体、違和感を感じたのは、臭気ではなく、外見のほ、う………。

 

 

 かちりと、ピースが嵌まる音がした。

 

 

「かえって手を煩(わずら)わせてしまったようで、申し訳ないでござるな」

「いや礼を言うのはこっちだ。凄(すご)いな、この家の人から、隣には忍者が住んでいるんだと聞かされちゃいたが、忍者というより仮面ライダーだぜ」

 棟梁(とうりょう)ー、遂に目覚めてくれたんすか、シリーズ何から視聴しますか。馬鹿野郎男は黙ってダイ・ハードとシュワルツネッガー履修(りしゅう)しろ。

 声が、縁側にほど近い位置の庭の一角からしている。

 そこか。

 怪我人が出なかったことからか、安堵感(あんどかん)に包まれている現場に、ずかずかと割り込むと、ブルーシートの上に座っている家元さんの身体を跨(また)ぎ、逃げ道を塞(ふさ)いだ。

 思ったより重い一撃となったらしい。ヒールがドスッという音とともに、シートを突き破って地面までめり込んだ気がしたが、どうでもいい。

「芽々殿?……ぅぐっ!」

 ううん、立ったままでは手が届かない。腰を降ろせば、下の緑が蛙のような鳴き声を上げたような気もするが、一度だけで、静かになった。

 がっ。腰を掴む。脇腹、胸板へと、視線を這(は)わせる。……ううん、インナーの上からだと、まだ、信憑性(しんぴょうせい)が低いですね。

「いやちょ、ちょお!ストップ、芽々殿、何を!?」

 総ゴムのウエストからインナーを引っ張り上げ、胸の辺りまでがばりと上に上げてしまう。

 ……信じられない。

 ぴたり、ぴたり。

 這(は)わせていく手に伝わる感触は、私の目が何らおかしくなかった事実を裏付けてくるだけ。

 

 なんなの、これは。

 これは、一体、誰の。誰の、身体?

 

「大胆だねぇ彼女さん」

「ちが、芽々殿、芽々殿っ。手を、手を離して上から退くでござるっ」

 知らず、手が震える。何故だか息まで苦しい気がする。

 ──以前、皆で家元さんのところの忍者教室へ、生徒として参加させてもらった時、体術を見せてくれたことがある。

 一瞬でこちらに迫ったかと思えば、瞬間的に自分を見失わせ。私達が混乱している隙(すき)に、さらりと頭上を越えて、目的の『じゅうようきみつ』を入手していた家元さん。

 それらの動きを支えてきた、彼の努力の証。

 あの靭(しな)やかなバネを生み出すための、鍛錬(たんれん)の上に積み重なった結晶。

 

 

 あのときの貴方は、こんな。

 ──こんな骨の浮いた、薄っぺらい肉体なんかじゃ、なかったのに。

 

 

「おいおい彼女さん、心配だったのは分かるが、逢引(あいびき)にゃまだ時間が早えぞ」

「本当に、本当にそんな関係では無いでござるからっ。芽々殿、このままだと取り返しのつかないことに!」

 何ですかその圧倒的不名誉は。健康管理すらまともに出来ない男と私が何ですって?選ぶ権利はどうしました。

 自分の失態を棚上げして、こちらに責任を擦(す)り付けてくるふざけた男の顔を睨(にら)み付け。

 …………顔。そう顔だ。

「お、手が止まったな。兄ちゃん、どれだけ飢(う)えさせてたんだ。ほら早く抱きしめてやらねえと」

「誤解でござるううぅ!」

 

 楽しい記憶を夢に見る。

 この手で誰かを殺めた日のことを夢に見る。

 

 記憶は、声から喪(うしな)われるという。

 あのエメラルドグリーンの彼女の朗らかな声色を。引っ込み思案に見えて言うべきところは決める青年の声を。ついついお節介を焼くたくなる、甘え上手な妹分の声を。

 私は、いつ、忘れてしまうのだろう。

 そうしてある朝、唐突(とうとつ)に気がついた。

 

 私に生きる理由なんて、元々ない。

 

 

「芽々殿、芽々殿からも否定をお願いするでござる。このままでは芽々殿は、自分と付き合うとることに!自分、そないな恐怖は望んでへんっ」

「しーっ。黙ってて下さい」

 人差し指を唇に当てると、何故か頬を染めてぴたりと静かになった。そうそう、それで良いんです。

 両頬を手で包んで持ち上げる。困りきった、へにょりと下がった眉と目尻。元々垂れ目気味の彼の眼差しを覗き込み。

 ──ぞわり。肌が粟立(あわだ)った。

「おお、一発濃いのぶちかますかい、彼女さん」

「棟梁(とうりょう)、俺撮影しておきましょうか」

「馬鹿野郎、野暮だ。心のアルバムに仕舞っておいてやれ」

 ふつふつ。腹の底の怒りに着火して、沸騰(ふっとう)が始まる。

 私が。

 この、私が。

 世界にひとりぼっちだった私を救ってくれた友人を、あの世に見送ってでも、私が私であることを選んだ結果を、認めて受け入れようと。

 生きなくてはと。

 意味なんかない人生を、呼吸しているだけだとしても、生きているから生きようと。

 正しくなくても、傲慢(ごうまん)でも、独り善(よ)がりでも。死にたくないという本能が、無様(ぶざま)に。

 我儘(わがまま)で人を殺した事実から、逃げ出そうとして捕まって……溺(おぼ)れかけて。

 だというのに、この忍者は。影に生きる者として、己ごと墓に沈めるとでも言わんばかりに。

 逃げようというのか。自分の生から。

 表向き平気なフリをして、緩(ゆる)やかに、緩やかに。生を嗤(わら)って、自死したいだなんて。

 茶子さんや善君、沙耶ちゃんの生きる未来を奪った私達が、そんな。羨(うらや)ましいことこの上ない死に方を、選べる立場だとでも!!

「芽々殿……本当に、如何したんでござるか」

 怒りで身体が震えるなどという現象を、初めて体験する。口が戦慄(わなな)くも、明瞭(めいりょう)な言語に出来ずに、ただ呻(うめ)く。

 今私を支配する怒りは、家元さんが無意識の自殺をしようとしていることではない。ほんの今朝まで私もこうだった。人のことは言えやしない。

 私が。私は。

 生きたい。死んでたまるか。

 あのセクハラ爺(じじい)が生を謳歌(おうか)しているというのに、この私が死にたいと!何故、そう思わなくてはならない!

 ああ、ああ、悔(くや)しい。こんな最低な事実はあり得ない。認めたくもない。

 この怒りで私は助かった。

 けど。ああ、だけどそれは。

 

 

 

 

 私、セクハラ爺に、命を救われてる……!!!

 

 

 

 ぎりりと音が鳴るほどに歯を食いしばって、感情の出口を無理矢理塞ぐ。

「芽々殿?」

 嫌だ、泣きたくない。

「…………っおあ」

 泣きたくない。

「……あ、あ、ああああ、あああああああ!!」

「は、え、芽々殿、芽々殿!?」

 拳を振り上げる。

 我武者羅(がむしゃら)に、目の前の緑に対して振り下ろす。

 酷(ひど)い。

 酷(ひど)い。

 酷(ひど)い。

 家元さんの筋肉が行方不明になっていなかったら、私も、何も気付かなくて済んだのに。

 よくも、よくも。

 手が震える。視界が何かに邪魔をされてぼやけ、拳を振り下ろす位置がよく見えない。

 ぼたりと何かが落ちて、一瞬目が軽くなると同時。尻の下にあるクッション性を失った出涸(でが)らしの茶が、何やら動揺したようにビクリと跳ね、わたわたと周囲で腕が動く気配がした。

 そろそろと、頭に掌(てのひら)が触れてくる。

 何のつもりですかこの手。どうせ家元さんなんか、私の愚痴(ぐち)へ、一般的な感想を返すばかりで、一緒に怒って一緒に笑い飛ばしてくれもしないくせに。

 あのヒヒ爺こそが泥になって溶けていればよかったんです。どうしてアレが生きていて、茶子さんと善君と沙耶ちゃんがいないの。

 酷い。

 死にたくない。生きていたい。感謝なんかしたくない。

 私がこんなに泣いているのに、髪を撫(な)ぜる手はごついままで、柔らかくも細くもならない。

 いつもそう。

 一歩引いて状況を見ている忍者は、叩かれ続ける理不尽にも、ただ困ったように、こちらが落ち着くのを、辛抱(しんぼう)強く待ってくれているだけ。

 

 

 

「あらまあ、どないしはったん」

「あ。大家さん」

「おう、どうも。施工主(せこうぬし)のご主人にゃ先程説明させてもらったとおりなんだが、彼氏さんに怪我が無かったと安心したら、彼女さんの緊張の糸が切れちまったみたいでな」

「そないな関係とちゃいますて。本当にもう、堪忍(かんにん)やで……」

 隣にしゃがみこんで、女性が話しかけてくれている。顔は涙でよく見えませんが、白が混ざった髪を綺麗(きれい)に結い上げた、身なりのよい方であるのは、ぼんやり分かる。

 奥様らしきその人影から、よしよしこちらへおいでと手招きを受け、胸元へ遠慮(えんりょ)なく移動する。

 罪人忍者を指しながら。

 そうやなぁ、怖かったな。嫌な思いしはったんやな。同調してくれる言葉とリズムに、こくこくと首を縦に振る。

 落ち着かねばと思うものの、深呼吸しようとする度に息が詰まり、しゃくりあげるばかり。

 おのれ、言葉すらまともに紡げないとは、なんたる不覚。しっかり体重を乗せた一撃を、あのお茶のボディにめり込ませてやらねば、気がすまないのに。

「事情なんか聞かへんでも、娘さんがどうして怒りはったかは一目瞭然(いちもくりょうぜん)でっしゃろ。

なんですのん、家元はん。そんなご飯もまともに食べれとらん、辛そうな姿は。自分の息子より年若い子ぉが、こんなやせ細って。婆(ばば)は心配で心配でかなわんわ」

 我が事のように、こないに怒ってくれはるご友人がいはって、よろしおすなぁ。ご婦人がそう言っているのが聞こえて、瞬時(しゅんじ)に胸内で否定する。

 いいえ奥様。そう言ってくださってますが、私が抱(いだ)いているのは心配ではありません。

 明確な殺意です。

 奥様の言葉を受け、大工さん方からもインナーをめくりあげられて、痩(や)せ具合が暴(あば)かれはじめた忍者は、往生際(おうじょうぎわ)が悪くも、今調子が悪いだけだから問題ない、と言い逃れようと試みている。

 

 

 ふう、と溜息(ためいき)をついた奥様は、急に、そういえばと話題を変えてきた。

「家元はん、先日うちの孫宛にいただいたチケットの公演。合同上演する千葉の劇団員に、突然の欠員多数ということで、中止になってはりましたな」

「千葉、千葉……え奥さんそれいつ頃の公演っすか。演目、ライダーだったりしませんか?」

 千葉。

 私達にとって、鬼門(きもん)の都道府県の名称(めいしょう)。

 先程(さきほど)特撮ヒーローを推していた方が、その劇団と予定公演をご存知だったらしい。事前告知PV映像で、動きが子供向け戦隊ヒーローショーのレベルを超えているショッカーがいた旨。これは見に行かねばと、自分もチケット購入していたため、中止になったのがとても残念である旨を早口に並べ。そして、件(くだん)のショッカーの正体が、家元さんではないか、と問いかける。

「悪役を強く、迫力のある上手い人が演じてこそ、舞台上のヒーローは映(は)える事ができるってもんです。いやぁ、あのPVの中の人の、モノホンにお目にかかれるとは思ってなかった。

でも本当に悔しいスよね、原因不明の変死事件の犠牲者が、劇団員にもいたとかで」

 かひゅ。

 飲み込むような、言葉を吐き出すのを拒むような、おかしな呼吸音とともに、家元さんが喉(のど)元を抑(おさ)え、身体を丸める。

 棟梁(とうりょう)さんから、お知り合いの方が犠牲になられているんだぞとどつかれ、失言に気付いた特撮ファン氏が、慌てて御冥福(ごめいふく)をお祈りしてますと、家元さんへ頭を下げた。

 大家さんの奥様は、辛い事実に動じることなく、かといって気遣いを見せるでもなく、続けざまに家元さんの罪を刺す。

「あないな事件や。無関係のお人でも、平静とはいきまへん。うちの人から聞きました。家元はん、劇団の方が高所から気絶して落ちかけはったのを支えて、肩痛めとったんやて?

……人助けはええことや。大いにしたらよろし。

けどな、息子と嫁と孫がいる婆として、人様の大事な息子さんの危機を、これ以上見過ごすわけにはいかん。

家元はん、悪いことは言いまへん。あんさん、親元へ帰りなはれ」

 

「っ、嫌や!!!」

 

 苦しげに不規則な呼吸を繰り返しながら、それでも弾(はじ)かれたように、家元さんは、それだけははっきりと否を示した。

「あ、いや……それは……それだけは、出来ないでござる……。自分は、まだ。忍者として、まだ」

 そう。家元さんは、お祖父様まで脈々(みゃくみゃく)と紡(つむ)がれてきた忍者という血を、歴史とサブカルチャーの中、失われつつあるその姿を、繋(つな)げたい、広めたいと。それが、彼の夢であり、目標。

 それが反射的に口をついて出るのに。

 

 

 一度は鎮火(ちんか)したものの、火元は燻(くすぶ)っていただけの怒りだ。再び噴火(ふんか)するのは容易(たやす)かった。

 涙なぞ、今のでとどめを刺されて、何処(どこ)かへ吹き飛んだ。

 

 

 沈める。

 確実に無慈悲(むじひ)に容赦(ようしゃ)なく完膚無(かんぷな)きまでに。この発酵(はっこう)ではなく腐敗(ふはい)に突き進む茶葉を、私が沈める。

 決意し勢い良く立ち上がると、家元さんに手を差し伸べ、一旦立ち上がらせて。戸惑う家元さんを放置し、無言で、片脚を後ろへ振り上げる。

 

 

 

 家元さんは、己の股の中心にある私のつま先を見た後、声もなく崩れ落ちた。

 

 

 

 

「死にたかったんでしょう?殺してあげますよ」

 私も家元さんと同じ、泥男を否定した殺人犯だ。今更正しいふりをしたところで、私の地獄での罪状に変化はないでしょう。

「が……ぐっ……」

「さ、もう一度。私は非力なインテリ職の女なので、急所を数撃たないと、家元さんの意識を刈り取ることも出来ないんです。ほら、蹲(うずくま)らずに協力してくれませんか。私がここまでサービスしてあげているんですし」

「待て待て待て彼女さん…いやこっちが関係を間違えたことが怒りの原因なら呼び方は改める!だからこれ以上はやめてやってくれ。冗談抜きで本当に死ぬぞ!フリじゃねえ!!」

 脂汗(あぶらあせ)を流し、先程の過呼吸のなりかけを上回り、苦悶(くもん)する家元さんと私の間に、棟梁(とうりょう)さんが入り込み、必死に私を止めにかかる。

 周囲の男性が全員内股になり、股間(こかん)を押さえて顔を青ざめさせ、その背後では、迅速(じんそく)に救急車の手配がなされていた。消費期限切れの茶葉を復活させてほしいなど、要求するのは筋違いでしょうに。

「言ってあげますよ。言われたいみたいですから。

『どうしてお前なんかが生きてるんだ』

『何故私を見殺しにしたんだ』

『なんで助けてくれなかったんだ』

『そら見たことか。お前程度が重大な選択をした結果がこれだ。様(ざま)は無いな』

まだ必要ですか」

 恩人が暴力を振るわれた上に、悪しざまに罵(ののし)られているというだけではなく。人として黙っていられなくなったのだろう、棟梁(とうりょう)さんは顔を顰(しか)め、物理的にこちらを家元さんから遠ざけようとする。

 逆らわず歩きつつ、言葉を投げつける。

 

 

「私は生きますよ」

 

 

 世界が泥男となるのを救った、正しい道を選んだ英雄の代償(だいしょう)!あれは仕方のない犠牲。おお、由緒正しき忍者の末裔(まつえい)よ、貴殿はなんと非業(ひごう)の運命を背負ってしまったのか……!そんな痛々しく寒い人物を、貴方が演じるとしても。一生のうち、僅(わず)かでいい。

 

 

「私は、生きます」

 

 

 そしてもし、家元さんの、忍者と生への執着が、爺の性欲よりも粘り弱く、サラサラの小麦粉程度の欲しかなかったのなら。

 

 

 

 笑ってあげます。

 貴方のお葬式(そうしき)で、とびきり美人に。

 

 

 自死に至るまでに、涙や苦しみや哀しみを見飽(あ)きてしまった目でも、貴方の友人がまだ、こちらにいることが分かるように。

 

 

 

 

 大家さんの敷地(しきち)を出て、スマホを取り出す。

 夜行便で愛知へ戻ろう。京都でこのまま、一晩過ごすつもりも当てもなくなった。

「生きる……って、なんやねん」

 塀(へい)越しに、家元さんの呟(つぶや)きを耳が拾う。

 力なきその声に背を向け、到着したタクシーに乗り込んだ。

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