死を忘れることなかれ   作:つけちゃん

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死を忘れることなかれ / あの日

 

 

 家元忍者教室。

 くノ一体験中の一人が、今、危機に晒(さら)されていた。

 

「芽々ちゃん、それ脚(あし)どうなってるの!?」

「は、なしかけ、ない、で、くださ……!」

 ほぼ水平に開脚(かいきゃく)した脚(あし)。必死にロープに縋(すが)りつく腕。

 墓杜芽々を支えるのは、たった一本の綱。手の力だけが、彼女にとって唯一の頼りだ。

 

 

「く、ぬぬぬ……んぐ」

「芽々さん、頑張れー!」

「おねーさん、頑張れー!」

 

 

「「あ、」」

 

 

 ぐらり、ぼちゃ。

 

 

 菓子(かこ)とちびっ子忍者の声援を胸に、両股可動域(りょうまたかどういき)の限界に挑戦していたくノ一は、見事に背中から倒れ込んだ。

水蜘蛛(みずぐも)体験用の浅い池へ。

「……終わった………」

「まあ、運動用のジャージでござろう。泥汚れは一旦乾かした方が落ちやすいでござるから、後で着替えたら、預かって干しておこか?」

 ロープ抜きで泥水の中に立つ道場主に引っ張り上げられる。流石、本物の忍者。

 ──足元は分厚いゴムの安全靴。

 どうせ拘(こだわ)るのであれば、ここはひとつ、自らも水蜘蛛でやってきてほしかった。

 余談だが、家元忍者教室の庭に、水蜘蛛体験用の小さな池を掘ったのは、今回の同行者である望月善。

 彼だけは、この功績により本日の教室料が免除(めんじょ)されている。

「いけいけおねーちゃん!」

「いけるぞ茶子さん!」

 墓杜は、支えられ陸地に辿(たど)り着き、道具を足から外しながら、次の順番だった茶子が水を渡る様を眺める。

 ぽ・て・とおおおぉ!お・こ・ぜえぇぇ!

 ……個性があるのは良いことだ。

 

 

 個性といえば。

 本日の体験希望者に、なかなかに個性的な人物がいた。

「あの、子供を持たれたことのない男性には分からないことなのは仕方がないんですが、親と一緒にいられないなら、その間子供が安全に過ごせる遊び場も、設備として用意してもらっていないと困るんですけど」

 これは若い母親からの発言だったのだが。

 当たり前の話ではあるが、大人向けのコースは、危険が伴(ともな)うので子供は参加不可。また、準備に経費がかかるため、当日キャンセルは参加料返金は行っていない。

 えらいすんませんと笑顔で受け流した家元は、棒手裏剣の実演による危険の可視化ついでに、彼女いない歴と、次代忍者を一緒に育ててくれるお嫁さん募集中である旨(むね)のトークを披露した。

 本人は半ばヤケクソ。接客業というのはかくも辛く苦しいものか、と感想を述べた墓杜達からすれば他人事。

 

 

 閑話休題(かんわきゅうだい)。

 

 

 忍者体験が終了した夕方からが、彼等にとっては本番でもある。

 本日の宿は、家元忍者教室道場。

 寝床はキャンプ用品店からのレンタルシュラフ。食事は道場に隣接(りんせつ)している家元家の台所で作成されたカレー。

 役割分担として、運転が得意な望月が、寝袋の受け取りその他必要品買い出しに車を動かし、御茶屋姉妹が食事の準備。

 墓杜は、泥汚れを落とした後、家元と共に道場を軽く掃除しておく事になっていた、のだが。

 シャワーを借りて全身を洗い、持ってきた替えの服を着用しようとした墓杜は、その時点でやっと、己が重大ミスをしてきたことに気が付いた。

 

 そういえば。着替えのパッケージ、先日の別の出張で使ってしまっていたな、と。

 

「…………………」

 いや、パジャマ代わりとなる、生地が厚めのスウェットならばある。ちょっと外出には向かないほどに草臥(くたび)れてはいるが、気のおけない仲間内でのパジャマ用であれば何ら問題はない。

 品切れ中なのは、肌のデリケートな部分を直に覆(おお)うアレとソレだ。

 厳密(げんみつ)に言えばそれらもあるにはある。現在進行形で泥水を吸ってしまってお洗濯(せんたく)中なだけだ。

 ……危機的状況ではあるが、いつまでも全裸でいるわけにもいかない。ここは同じ女性である茶子へ、ちょっとお遣いを頼むべく、スマホを手に取った。

 冷静に判断し行動が出来たつもりで、やはり動揺していたのだろう。ここで墓杜は、自ら致命傷を負う過(あやま)ちを犯す。

 買い物を依頼したいこと。

 品物は下着の上下(可能なら数セット)。

 予備を忘れてきてしまったため、新たな下着を購入するまで、自分がノーパン・ノーブラであることを。

 茶子菓子女子トーク宛ではなく、全員宛のグループチャットへ書き込み、送信したのである。

 程なくして浴室に駆けつけた茶子から誤爆を知らされ、問題の発言は送信が取り消されたが。

 運転中であったことから、スマホを見ることが出来なかった望月は回避できたものの、掃除中、ポケットで震えたスマホを何気に確認した家元は、ダイレクトに読んだ。

 

 

 とりあえずスウェットを着用した墓杜の、特定の部分を家元が思わず凝視(ぎょうし)してしまったのは、下心あっての事ではないが、男として、仕方のないことであろう。

 

 

    ◇

 

 

「寝袋敷(し)いとく?」

「まだ良いのではないですか。……あ、でも眠くなったら包まれるように、ファスナー部分オープンにして、一枚布のようにしておくのはありかもしれません」

「あ、紗耶ちゃんから連絡きた。明日は合流できるって」

「では全員で映画村でござるな。ガイドよりも詳細な解説をするでござるから、任せるでござるよ」

「町人やお殿様目線ではなく忍者目線での屋敷の解説ってなんかスパイ映画っぽくなりそう」

「『日本家屋のどこが忍び込みやすいか』?」

「そろそろ食事終わったー?一旦お腹いっぱいだろうし、腹ごなしにゲームやるぞ」

「ゲームと言っても、ここにはスイッチもパソコンもプレステも無いでござるが……」

 食事なのかつまみなのか、最初から酔っ払う気しかない品が、床に敷かれたピクニックシートの上に並べられての食事。使う食器は使い捨ての紙製のため、洗いもののことを気にせずにいられるのが良い点だ。

 が、気温的に、小蝿(こばえ)という惨状(さんじょう)が湧くことにまでは、誰も思い至れていない。

 

 

「ふっふっふ……じゃじゃーん!」

 菓子が自信満々に取り出したとあるカードゲームを、拍手で出迎えた。

「おーっ、このカードゲームって『ito』じゃん!」

「誰からお題決める?」

 ところで、四人とも実は頭脳派である。

 そんな彼等の行うitoのお題だ。さぞ高等なものが……

「それじゃあ菓子からのお題は…あそうだ。『芽々さんが履(は)きそうなランジェリーの種類と柄(がら)』。これでいく!」

「あははははは何それおれら答えていいの?」

 繰り出されるかと思いきや、酔っぱらいはやっぱり酔っぱらいだった。

 家元は酔いが一瞬冷めたように硬直(こうちょく)する。

 流石に対象が女性陣ではモラル的によろしくないため、お題は『家元が履きそうな下履(したば)きの種類とその柄』に変更され、続けることになった。

 この男、毎度流れ弾によく被弾(ひだん)する。

「因みに数字が百の時、これなら履きますってやつ何」

「無難なところだと、普通の量販店の綿パンなんじゃないのかな」

「いやここは忍者らしく褌(ふんどし)を推したいです」

 家元本人が指針を示さないのだから、数字の高い低いが当てはめられるわけもないのだが、各自好き勝手な思い込みで答えを決め、出揃(そろ)った回答ときたら。

 越中褌(えっちゅうふんどし)に戦隊ヒーローがプリントされたブリーフ、伝説のしまぱんときた。

 唯一まともなのは、し◯むら メンズボクサーパンツ。

「伝説のしまぱんっていうのは?」

「ああ、いちごぱんつと水玉ぱんつとしましまぱんつの三大巨頭のやつですね」

「その中でもしましまっていうと、数字結構高そうだなあ」

「縦縞(たてじま)ならそうかもだけど」

 やいのやいのと感想を言い合った後、四人は示し合わせたように家元へ視線を揃(そろ)えた。

 

 

「で。実際にはどれ履いてるの」

「……黙秘権(もくひけん)を行使(こうし)するでござる」

 

 

 

 

「菓子ー、今度はそっちのお酒とって」

「あ。誰だだし巻き卵明太チーズの最後の一個食べたの。おれ狙(ねら)ってたのに」

「ぶはははは、目の前でいただいているでござる。油断大敵」

 カードゲームのお題をいくつか出し合い、本日の忍者体験の反省会や世間話などをしながら飲んでいると、アルコールで体温が上がったせいか、墓杜が暑そうに襟元(えりもと)にぱたぱたと空気を送り込んでいるのを、茶子が気付く。

「さっきパジャマも一緒に買ってくるように菓子にお願いすればよかったねぇ」

「私もすっかり失念(しつねん)していました。もう、あっちをどうにかすることしか頭になくて」

 どうしたものかと考えた末、墓杜は、ぽん、と手を打ち合わせ、家主に服を借りられないかと交渉(こうしょう)を開始する。

 性別の差はあれど、二人にそこまでの身長差はない。住人である家元であれば、部屋着の予備もあろう、と予測からだ。

 請(こ)われた家元は、酒の入ったカップを口元へ運びつつ、歯切れが悪そうに視線を母屋へ向け、「面倒でござるな…」とぼそりと呟くや、突然がばり、と、自身が身につけていた薄手(うすで)のTシャツを脱ぎ、墓杜に被(かぶ)せてきた。

「……重ね着したら、余計に暑いです」

「……そういえば、そうでござった」

 半裸になった忍者に、ジト目で文句を言う墓杜。

 問題点はそこではない。

 辛うじて墓杜に、この場で今の厚手のスウェットを脱いで家元のTシャツを被りなおす、としない理性が残っていただけでもましな方だろう。

 

 

 

 家元忍者道場の天井は、梁(はり)が剥(む)き出しになっている部分がある。

 家元が技のデモンストレーションや撮影を行う際などに活用しているそれは、太く立派な木材が使用されており、道場を借りる際、忍者好きの大家が家元へ自慢した一つだ。

 興(きょう)が乗った酔っぱらい達は、家元へ、高所を使用したアクションが観たいと要求し、同じ酔っぱらいはこれを快諾(かいだく)。

 どうせならば臨場感(りんじょうかん)が欲しいと、墓杜がまだ残りのあるラップ芯(しん)を箱から外し、油性ペンで『じゅうようきみつ』と書き記したものに、菓子の髪を結んでいたリボンを穴に通して巻き付けた。

 

 

 家元以外がひとまとまりに立ち、先頭の望月がラップ芯を握る。

 家元は、この集団からじゅうようきみつを獲(と)って来るように、主人から密命を受けており、家元が奪(うば)いやすいよう望月を前面に押し出した墓杜が、忍者側の勢力で内部協力者、という設定だ。

 無駄(むだ)にストーリーが細かい。

 

 

 繰(く)り返すが、酒が入っている。

 急な動作、ましてや高所アクションなど論外(ろんがい)である。

 世の中酒による過(あやま)ちというのは、傍(はた)から見れば何故分かりきった過ちを起こすのか疑問でしかないが……飲んでいる当人達にはそんな思考能力は残っていないから、結果があるのだ。

 

 

「この辺りですかね」

「善くん、あまりぎゅっと握っちゃ駄目だよ、流石に取れないって」

「あそうか」

 家元はスタート地点で鎖分銅(くさりふんどう)の片側の重み、そして、皆の立ち位置を観察し。

 ──踏み込んだ。

 

 

 だ だんっっ!!!!

 

 

「……!」

 気付いたときには、家元本体は、望月の眼前に迫(せま)っていた。

 僅(わず)か二歩でトップスピードに乗った忍者から、じゃらり、と鳴る鎖の音と、天井の梁(はり)へ向けて投げられる影。

 意識と視線が、一瞬、それに持っていかれる。

 上だ。天井を見上げかけたその時。

 

 

 とん。

 手の中に握っていた筒に、軽い衝撃(しょうげき)。 

 はっ、と正面に向き直った望月は、今まさに空中で、ラップ芯を括るリボンを、口で咥(くわ)える家元を見た。

 

 

 目が合う。

 ニヤリ、と上がる口の端。

 

 

 梁(はり)へ巻き付くにつれ、短くなる鎖のタイミングに合わせ、ぐん、と宙へ浮き上がる身体。

 そのまま彼等の頭上を飛び越すと、反対側のマットのうえに、受け身をとりながら転がって着地した。

 

 

 

「す………っげええ」

「教室でのデモは非参加型でしたから。迫力が全く違いましたね」

「今は半裸だけど、実際はもっと色々な道具仕込んである忍者服着たままやるってことでしょ?」

「ぶっ、半裸。間違ってないけど」

 友人のかっこいい姿に一気に盛り上がり、家元の元へと集まるも……なんだか、忍者の様子がおかしい。

 すわ、着地に失敗してどこか打ったのだろうかと心配して覗き込めば、相当顔色が青いではないか。

 逆蠕(ぜん)動運動による飲食物の逆流。

 不自然に膨(ふく)らむ頬(ほほ)。

 

 

 …………これは。

 

 

「げろげろげろげろ…………」

「だと思ったああぁーー!!」

 アルコールをしこたま摂取(せっしゅ)して激しい運動をすれば、回るのも早くなる。

 バケツと雑巾(ぞうきん)やエチケット袋を探して動き回る四人。

 だがこの四人にも、酒は入っている。

「お姉ちゃん、まっすぐ歩こぉー」

「あるひてふよおおぉ」

「バケツに水汲んできますね」

「芽々さんそれ日本酒。ホースこっち」

「ふひひひひ、残念善君、それ消火栓ー!」

 当然の帰結である。

 しっかりと蓋(ふた)を閉められていなかった果実酒とお茶のボトルがひっくり返り、床で新たなカクテルが生み出されたが。

 家主は一人、惨状(さんじょう)を知ることなく、吐瀉物(としゃぶつ)から離された平和な固い板張りの上で、ぐーすか鼾(いびき)を立てていた。

 

 

    ◇

 

 

 アルコールと汗と食べ残し。

「ぅう〜ん…」

「ぐふっ」

 家元に朝を報せたのは、望月からの踵(かかと)落としだった。

 本来顔があるべき場所に、望月の足がある。

(………今はそれよりも)

 そろり。首を望月とは反対側の隣に向ける。

 明らかに男物のシャツを身に着けている、細身の身体と流れる黒髪。その肢体にしっかりと巻きつけられた、己の片腕。

 彼女の着ている見覚えの有りすぎるシャツは、どう見ても家元本人の物だ。

 腕と手のひらに伝わる感触が、薄手のシャツのすぐ下の姿を明確に伝えてくる。

 そして家元は、上半身裸。

(自分は一体、昨夜何をしたでござるかーー!!)

「うぅん……」

「!!」

 墓杜が半覚醒(かくせい)状態になり始めているのか、身動ぎをする。何がまずいわけでもないが兎(と)に角(かく)まずいと、家元は体を強張(こわば)らせる。

 腕を抜くか?いや完全に目覚めさせてしまったら言い訳のしようもない。

 全員一度に目が覚めて起き上がってくれないだろうか。その隙にさっと何事もなかったように装えばいい。

 等と家元は考えてみるが、事実は覆(くつがえ)らない。

 彼は心の底から、昨夜の記憶が全員の頭から消えていてくれと願った。

 

 

 悩んでいたところで、良い案が浮かぶわけでもない。

 現実逃避でもしようと天井を見上げてみれば、今度は、梁(はり)にぐるぐると巻き付いた鎖が目に飛び込んでくる。

 半分ぼうとした意識で面倒な片付け作業手順を思い浮かべ、家元は、始める前からうんざりする。

(何故やったし。アホでござろう自分)

 強いて言うなら、仲間からの「現代忍者の、かっこいいとこ見ってみったい」コールが直接的な要因だろうか。

 家元が朝からげんなりしていることなど知らない面々は、夢から目覚める様子もない。

 茶子の背中には、ぴとっと妹の菓子がくっつき。茶子は墓杜の頭を抱き込むように。

 抱え込まれた墓杜は、茶子のふくよかでボリュームのある胸に顔を埋め、安らかな寝息を立てている。

 羨ましい上にけしからん眼福な光景に、家元の体を流れる関西人の血が、彼の口をついて出た。

 

 

「いやそれは都合が良すぎるでござろう!」

 

 

 

    ◇

 

 

 

 忍者体験を終え、それぞれの日常生活へと戻って数日。

家元の元へ、宅急便のダンボールが届いた。

 先日自身の嘔吐物(おうとぶつ)で駄目(だめ)にしてしまった代わりのズボンを中心に、何点かネットで服を購入したのだ。

 不思議なことに、配送員の方より、手違いによる遅延の詫(わ)びを告げられたのだが、お急ぎ便等でもなかったため、家元にはそこまで遅かったという感覚はない。

 だが適当に箱を開け、家元は、配送員の言っていた言葉の意味を悟る。

 品物の中身が、菓子が配送先を間違えたものであろう内容物だったために。

 

 あの日の墓杜からの誤爆LINEメッセージが脳内に蘇(よみがえ)る。伏せ字部分の値まではっきりと。

 

 

『申し訳ないんですけど、買い物を依頼していいですか。

品物は下着の上下です(可能なら数セット)。

サイズは●の✕✕になります。

予備を入れていたつもりだったのですが、どうやら忘れてきていたようで。

新たな下着を買ってくるまで、私、ノーパン・ノーブラになってしまいました』

 

 

「自分、もしかせぇへんでも。これらが間違って届いた旨と、自分宛ての別荷物と勘違いして中身を改めた旨を、墓杜殿に白状しないとならぬのでござろうか………」

 

 スポーティーな上下。

 大人っぽい黒のレース。

 繊細な花模様。

 伝説のいちご。

 

 己の運のなさに、可愛らしい布地のパッケージを前に、忍者はちょっぴり涙した。

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