真柴百合香、小学六年の秋、某日。それは彼女にとって、四葉という枠組みを超えた更に上位の組織からの干渉を受けた日であり、良い退屈凌ぎになったと語る日の一幕。
百合香は退屈していた。日々の魔法研究と練達は時間をかけ、自分が手を加えるだけで万事が万事、上手くいってしまう。何もかもが思い通り。ことが精神という分野に根差す限り、百合香の思い通りにならないことなどそうはあるまい。
疑似人格の定着と外部保管は既に成功の目途が立っている。自分を実験台とした結果、自身の精神内に存在する司波達也の激情をベースに構築した男性人格、四四八とは演算領域のキャパシティを一切損なうことなく共生ができていた。
ちなみに、これがのちに“
男性人格との共生と並行して分解と再成の術理も、夢の仮想現実内での鍛錬により熟達しているため使用に問題なし。望んだことを望んだままに実現できる能力、異能と呼ぶべき魔法の才覚。
十一歳にして百合香は“魔法”に飽きてしまっていた。
“傲岸だろう、不遜だろう、なんて嫌みな悩みでしょうね。でも、つまらないものはつまらないのだから、仕方がないではありませんか。”
無論、この認識を外界に晒したことはない。何しろ、百合香は生まれてから一度も自分の嘘を見破られたことがないのである。演技も、偽証も、承認も、認知でも。百合香の手の内から零れるものは……。
そこで百合香は司波達也のことを思い出す。明確なイレギュラー、自分と同格、あるいは上回るほどの異質さを有した存在のことを。
彼と対峙する事態になったとき、今の自分がどれだけ抗えるだろう。そう考えたとき、百合香のうちから退屈と憂いが消え、表情は気づかぬまま微笑みの形を取っていた。少し、魔法へのモチベーションが回復したところで、自室に備え付けのヴィジホン、テレビ機能と通話機能を有した現代ではメジャーな通信端末へ着信が入る。
唐突な、事前の伺いもない着信コール。
今や四葉で確固たる地位を築いた百合香にこうして直接、連絡をできる人間は限られる。
実の両親である父と母、自分の師である司波深夜、そして──。
『先日のお茶会ぶりですね、百合香さん』
「はい、お久しぶりです。“真夜さま”」
百合香は丁寧に一礼し、ゆったりと姿勢を正した。それを鷹揚に眺める四葉家現当主、四葉真夜。百合香が魔法の実力で司波深夜を凌駕した九歳の頃より、百合香は真夜と私的な交流、繋がりを持つに至っている。それは四葉においても貴重な精神干渉系魔法の使い手を管理するという名目あってのこと。加えて、百合香が深夜と特に親しいという点も真夜の気を惹くには十分な要素だった。
しかし、こうして前触れもなく急な連絡をするのは珍しい。百合香は内心で首を傾げ、“はて何が気づかれたのだろうか”と考え込む。
達也の持つ“分解”と“再成”を誰にも伝えないまま習得したこと?
あるいは
それとも人格改変、魔法演算領域改造の魔法を習得しつつあることが察知でもされたか?
いいや、アメリカ方面と大亜連合内に内通者を造っているのがバレてしまった?
さて、どのことだろうかと少しワクワクしている百合香に、真夜は急な連絡の理由を述べた。
『本来なら、こうも性急に連絡をするなんてことはしたくなかったのだけれど……。ごめんなさいね、百合香さん。どうしてもお断りしきれなくて』
そこで百合香は訝しんだ。真夜が断りを入れることのできない人物?十師族においても、一目置かれる四葉家に対して?あまりに自然な傲慢、自負であったが、百合香の思考は普通の魔法師としては正当なものだ。
日本の魔法師社会において絶対なる組織は十師族。その枠組みこそ最高位であり、次点でようやく師補十八家が数えられるくらいだ。
だというのに、真夜の言い方では十師族以上の枠組みがあるかのような物言い。不可解がっている百合香に、真夜は可笑しそうに笑みこぼれると簡潔に、だが核心については語らずに通達する。
『我々のスポンサー様から、貴女にお呼びがかかりました。これまでの実績を踏まえ、一度は顔合わせをしておくべき、と。貴女に興味をお持ちになったようですね』
「……四葉のスポンサー、ですか?そのような方がいるとは初耳ですが」
『ええ、一般には明かされていませんし、国内でも知る者はごく少数でしょうから』
四葉の当主が、暗躍と諜報に長けた一族の長が言う秘匿事項の重み。百合香は澄んだ目を真夜へ向ける。それを訝しんでのものと思ったのか、真夜は呼び立てられたことの理由を解説した。
「聞いたことはありますか?英作叔父様は生まれたばかりの貴方を“四葉の最高傑作”と評したのです。その言葉通り、貴女は四葉の研究において、多様な成果、貢献を果たしました』
「……そのように称していただき、わたくしとしては光栄ですが、それもこれも師である深夜様と一族の皆さまのご助力あってのもの。そのようにわたくしは認識しております」
『あらあら、随分と謙遜しているようですね。まぁ、その認識の誤差について正すのはまた別の機会にするとしましょう。百合香さん、今週の土曜日、葉山さんをあなたの元へ向かわせます。彼の案内で、四葉の後援者である人物と面会をするように。なお、この件は極秘事項として扱いなさい。お父上である
四葉真夜の最側近である執事、葉山を寄越すという重大事。そして、真夜の口ぶりから理解した。これは四葉の枠組みに収まらない案件である。赦す、赦さぬ、という意思決定すら四葉の権限の範囲外。十師族すら及ばぬ権威者との面会。
百合香は一つ頷いて、真夜の指示を受諾する。
「承知しました、今週の土曜。後援者様のもとを訪ねさせていただきます」
『ええ、仔細は葉山さんにお聞きするように。それでは、次はもう少し他愛のない雑談にでも華を咲かせましょうね』
「はい、その時を楽しみにしております。真夜様──」
伝えられた土曜日、百合香は迎えに来た執事、葉山に案内されて都心近くの高級住宅街へと訪れていた。一見して平凡な街並みだったが、百合香の鋭敏な知覚力が告げている。この街そのものが巨大な結界を構成していることを。
住宅の並び、引かれた道筋、植えられた街路樹、空中の架線すらも人払いを目的とした結界の一要素として機能している。情報を遮断する魔法的な結界と人間の錯覚を利用した非魔法的な結界。場の構成として、この一帯は完成していた。並の、いや十師族に相当する術者であっても、結界の中央へ辿り着くのは至難であろう。
葉山の案内で、百合香はある一軒家に到着した。そこそこ大きいが、目立つというほどでもない、周囲が高級住宅街ということもあり、この家は周囲の環境に埋没している。ただ、それは見かけだけのこと。
古式魔法に造詣の浅い百合香をして感嘆させる堅牢さ。百合香が門をくぐろうとしたとき、先導していた葉山が姿を消してしまった。
姿を消した案内役の身を案じている暇もなく、次の異変が生じる。
“カァ、カァ!”、と漆黒の羽根を幾重にも散らして、数えきれないほどの鴉の群れが百合香に向かって殺到する。なるほど、入門にあたっての“試し”ということのようだ。
心理偏光。精神の内側で眠る、もう一人の自分。男性人格である四四八を百合香は起こした。“彼”は目覚めた瞬間に目前に迫る幻覚の術式を分解、一瞬で霧散させた。
そのまま突如として門の内側の風景が歪み、平衡感覚が喪失する。くらり、と体がふらついて膝を突きそうになったところで、人格をまた切り替える。
分解をしようにも術式を感知できない幻覚に対し、百合香が適任だと任せたゆえの交代。降りしきる存在しない雨粒、晴天に轟く雷鳴。濡れていないはずなのに雨が降っているように意識が誤認する。
これらは複合して、被術者である百合香を転倒させるためのものだったのだろう。けれど、この一連の魔法に精神干渉を混ぜられていることが仇となる。百合香は、死神の魔法式を手にした時より精神干渉において高い耐性を得ていた。視覚的な錯覚と精神への誤認、それが一致してこそ百合香に掛けられている魔法は真に効果を発揮するようだが……。
精神への掛かりが甘いことが幸いした。倒れることも、膝を突くこともなく、百合香はこうして平静を保っていられる。まさか、四葉の一族以外で此処まで精神、いや幻術に長けた者がいるとは、感心しながらも百合香はこの入門試験?をそろそろ解くことにした。
特化型CADを抜こうとして、百合香は腕を動かすのを中断する。
諦めたわけではない。ただ、“乱暴に解呪する”までもないと断じただけのこと。
“眼”に意識を集中する。見開き、周囲の環境と景色を広く、遠く視界に納める。魅了の魔眼が桜色の光輝を薄く発した。空間に掛けられていた古式の術理が、最新にして極点の魅了の魔力に屈して圧倒される。
術同士の拮抗は起こりもせず、周囲の風景が正常に回帰した。
術が解除されたとき隣には案内役である葉山翁が佇み、離れた玄関の前辺りに薄墨色の作務衣を纏った坊主頭の男性が片膝を突いている。どうやら、あの御仁が、先の魔法による幻惑を為した術者だと百合香は確信する。
「……僧侶、いいえ、こういう場で言うなら御庭番といったほうが良いですか?」
「ええ、しかし、かの御仁の立場からするとどちらも本職というべきでしょうが」
「葉山さん、こうしてわたくしが試されることを察していましたね?」
「申し訳ございません。ですが、これが東道閣下からのご依頼でしたゆえ。無礼な振る舞いはどうかご容赦ください。お叱りはいかようにも……」
葉山の口から、東道閣下という初めて聞く名前。これが彼に今できる最大の助力であることを理解したうえで、百合香は得心がいった。
「……貴方は四葉の人間ではなく、
「──は、ご慧眼の通りで御座います」
葉山が嬉しそうに微笑んでところ、膝を突いていた僧侶?坊主?らしき男性が立ち上がって、百合香たちの方に歩み寄る。どことなく胡散臭い笑顔を浮かべた彼は坊主頭をペシリと叩いて、感心しているようだった。
「いやぁ、さすがは四葉家の秘蔵っ子。僕の術がこうも綺麗に解かれるとは」
「恐れいります、
百合香は此処で言外に言っている。“忍術遣いですね?”と。確信を以て。それを受け、百合香の眼前の僧侶、いや九重八雲は観念したのか、苦笑しながら自己紹介をする。
「御庭番、って言うほど忠義者じゃないんだけどね。僕はただの一介の忍びさ。あと、九重寺を預かる和尚もやってる。気が向いたら、是非にご喜捨でも頼むよ」
「九重寺……では貴方が、あの今果心と名高い九重八雲様ですか──?」
古式魔法、その中で特に忍術遣いとして高名な術者の登場に百合香は驚きを隠せない。いいや、敢えて“驚き”を装った。百合香が驚いたのに機嫌を良くしたのか、九重八雲は軽快に百合香の傍まで迫っては親し気に距離を縮めようとする。
「今日はいきなり、小さな女の子を化かしてくれ、なーんて性格の悪い企みに引き込まれたわけだけど、いやぁ、これがどうして中々悪くない。思いがけず、純情可憐でなんと麗しきご令嬢と出会えたことか!俗世のしがらみというのも、こういう良縁を運んでくれるものだから、そう悪くないねぇ」
無遠慮に近づこうとする八雲を牽制するように葉山が前に立とうとするが、百合香は視線だけでそれを制して、折り目正しく、万人が魅了されるほどに洗練された所作で自己紹介を仕掛けた。
「はじめまして、九重和尚。真柴百合香と申します、どうかお見知りおきくださいませ」
表現は適切である。自己紹介をする、した、ではなく仕掛けた。九重八雲は悪戯っぽく距離を詰めて、慌てさせようとしたのだろうが、その前に一歩、距離を百合香が詰めたことで主導権を奪取されたらしい。傍から見ていた葉山ですら、目を見張る立ち居振る舞い。
八雲は困った顔で肩を竦めながらも納得する。
「なるほど、閣下がじきじきにお呼びするわけだ。君はとびきり優秀で、非常に異質だ。きっとこれから僕たちは長い付き合いになるだろうね」
「ええ、実に喜ばしいことです、九重和尚」
百合香の笑顔に対し、九重八雲は目を細めて胡散臭い微笑を露わにする。
「僕のことは良ければ、八雲の方で呼んでくれると嬉しいねぇ、“お嬢”?」
「お嬢?……はい、今後ともよしなに。八雲和尚」
お嬢、という変な呼び名に引っ掛かりはしたものの、百合香は敢えてそれに触れず悠然と対応する。下手に反応してしまえば、八雲の術中に嵌ることを予期しての対応だった。
これにて、試しは無事に終えたらしい。葉山の先導で、百合香は邸宅の奥へと歩を進める。その途中、葉山がこの先に待つ方について多少、教えてくれた。いわく、日本には古くから異能、特異な術、怪異、妖魔などの管理、統制する“元老院”が存在するという。
その元老院の中でも特に有力な四人、四大老。その一人がこの先で自分を待つ相手だというが──。
『入るがいい……』
厳かながら力のある声を聞き、葉山がふすまを音なく開いた。百合香は葉山の視線の後押しを察して淑やかに入室する。そこで百合香は四葉のスポンサーである老人と相対した。眉目秀麗という質ではないが、風格のある相貌。頭は僧形に整えられており、自然と他を圧する雰囲気を醸し出している。
特筆すべきは、白く濁った左目。
百合香が直感する、あれは自分の眼と同じ“精神に作用する類いの魔眼”であると。それも制御ができていない。いいや、制御し使いこなすことに意義を見出していないのだと感じ取る。
百合香は自身の視線を切った。魔眼持ち同士が見つめ合うことの作用、そして、自分の魅了の魔眼を向けることを無礼と断じられないように。
視線をそらした百合香の挙動に対し、何故か眼前の老人は懐かしそうに目を細めていた。何に感慨を持ったのかは分からないが、百合香はまず自身から礼を尽くすことにする。
「──ご挨拶させて頂いてもよろしいでしょうか?」
眼前にいた老人は重々しく頷き、それを確認してから百合香も名乗りを奏じた。
「お初にお目にかかります。真柴家が長女、真柴百合香でございます。この度はお招きにあずかり誠に光栄です」
「うむ、東道青波である。……百合香よ、久方ぶりになるな」
にっこりと微笑む百合香に対し、東道青波が口にしたのは再会を喜ぶような不思議な語り口であった。百合香は首を傾げ、その違和感について尋ねてみることとする。
「失礼ながら、いくらかお尋ねしても──?」
「嗚呼、構わん。その方が抱いた疑問は、こちらとしても尋ねておきたいことであるからな」
「……然らば、東道閣下は“以前のわたくし”と面識があったのでしょうか?」
「然り。二年ほど前に私は
百合香はそこで息を呑む、と同時に過去の自分がこの状況を用意したのを理解した。なるほど、二年前の自分は己の有する男性人格のことを明かし、自分が宿した異能についてもある程度、伝えたように見える。
問題は、何処まで明かしてあるのか、自分はどんな記憶を消したのかについてだが。百合香は微笑を浮かべ、好奇心に胸を躍らせる。久しぶりに退屈が紛れる、なんという僥倖でしょう。
「不躾ながら、あと二点ほどお聞きしたいことが──」
「構わん、この場においては其方の疑問を晴らす事こそ肝要。なんなりと聞くがよい」
「でしたら、わたくしは“どこまで”閣下に仔細をご説明していたのでしょうか?」
当然のごとく自身の真価、目的、あるいは実力を隠していることを告げたにも関わらず、東道青波は平然とその問いに切り返す。
「狂気の支配と夢界の生成。そして、司波達也の異能を複製してある、ということまで聞き及んでいる。まぁ、尤もこれが真実であるか否かは私にも判断できぬし、其方も判断できぬ事柄であろう」
「ええ、そうですね。自身のことながら、なんて性格の悪いこと──」
微笑んだ百合香に対し、東道青波も愉快そうにくつくつと肩を揺らしている。存分に笑い尽くしたところで、百合香は表情を引き締めて最大の疑問について切り込んだ。
「東道閣下、もう一つ。これは確認という形になってしまいますが、わたくしと交わした契約は“分解”の魔法に関わるものでしょうか?」
「相も変わらず話が早いことよ。……嗚呼、察しの通り、“分解”の方だ」
司波達也の生得魔法、“分解”と“再成”。どちらも世界を一変する特異な術式であるが、特に世界を危険にさらすのは“分解”の方だ。僅かな重量がエネルギーに直接変換されることで日本のみならず、世界、いや地球という惑星が甚大な被害を受ける可能性があり得る。
百合香はそこで過去の自分が提示した内容を理解した。元老院との密接な繋がり、個人的なホットラインの獲得のため、分解の術式を元老院側の術者に付与する、というのが契約の大まかな内容だろうと。
世界を滅ぼしうる怪物を増やすこと、それは百合香に好意的な分家ですら許容できぬ蛮行である。世界を破滅させる怪物を造り出せることを知られれば、百合香の一族における立場は瓦解するだろう。しかし、過去の自分は元老院に近づくこと、ひいては元老院側が四葉と拮抗する力を手にすることを望んでいたらしい。
当時の自分の酔狂、いやリスク分散の考えもあったのか。
ともかく、四四八のことを知られ、共生していることを見抜かれている以上、できないと言うことは不可能だった。
「“分解”の魔法式を他者に付与することは可能です。しかし、相応の下地、せめて分離魔法に長けた演算領域の持ち主でなければ、魔法の行使は叶わないでしょう」
「それなら問題はない。既に見込みのある分離魔法に適正を持つ者は用意してある」
「……随分と段取りが、いえ、わたくしの提言でしょうか」
「ああ、其方の要望通りだ。もっとも、元老院側の術者という縛りで探すのには苦労こそしたが、まぁ、問題ない」
百合香はあどけなく、小首を傾げて東道青波へ聞いてみる。この世界を壊してみたいのかと。
「東道閣下は今の世界を滅ぼしたいのですか?世界に何かご不満が?」
「いや?さしたる不満もない」
「でしたら、世界を滅ぼす災厄を懐に納めようとする必要もないでしょう」
そこで政財界、ひいては日本の裏社会において妖怪とも呼ばれる老爺が靄がかった白い眼光を滾らせる。
「四葉家だけに世界の行く末を決める切り札を握らせるわけにもいかんだろう。出された切り札に対して切り返せるだけの
「
「脅威が倍になろうとも必要な抑止力というものだ。盤面をひっくり返すことのできる力というものは、リスクを承知で手中におさめておくに限る」
「……達也さんにも元老院のことをお知らせになるのですか」
「……いや、現時点では開示は控えておく。なに、司波達也が其方と同格の器を持つというのであれば、あちらから接触する機会を得るだろう。それは一年後か、あるいは数年後か。その時まで元老院のことは敢えて秘匿とする」
「それでは、二人目のことを達也さんが知ることは──」
「いや、司波達也は気づくだろう。何しろ……四葉の次期当主に最も近しい者の傍に侍っているのだから」
そう言われて、百合香は二人目の分解の使い手が、公的にはどういった立場を得るのかを理解して嘆息する。
「折角の切り札をわざわざ手元に置くのではなく、わたくしの傍仕えにするのはいかがなものかと」
「抑止力として機能させるためだ。なに、案ずることはない。其方の役に立つであろう。四葉にはガーディアンとして派遣することを既に通達してある。まぁ、実際の立場は元老院側、私直轄の人間であるゆえ必要に応じてこちらに呼び戻すこともあるだろうが、基本は其方の最側近として扱え」
断ることはできそうになかった。せめて分家の人間に気づかれないよう、幾つかの仕掛けを施しておこうと百合香は覚悟を決める。つまり、百合香の護衛として選ばれた魔法師は達也に対しての抑止力であり、百合香を一番近くで監視する東道閣下の“眼”でもあるのだろう。
現当主、四葉真夜の傍に仕える執事、葉山のように──。
「──入れ」
東道青波の呼びかけに、ふすまの近くで控えていた青年の声が透る。
「失礼いたします、閣下」
現れた青年は線の細い、涼やかな麗貌をした色男という印象を思わせる。美しい、と形容する類いの男性像。一般的に言うところの美形、というものらしい。普通の女性なら見蕩れて、気後れしてしまうほどに整った顔立ちの青年だったが、百合香は興味もなさそうに冷静な表情で観察している。
「これは“
「──お初にお目にかかります。百合香お嬢様。
それが
彼は、折り目正しい自己紹介の挨拶を済ませると恭しく頭を垂れた。一切の感動も、一握の忠誠も、一抹の関心すら小さな主へ持たぬままに。
あからさまな不敬、中途半端に礼儀作法をなぞっている分、その様は慇懃無礼とさえ言えた。けれど、彼の態度は百合香を軽んじているのではなく、空虚だからこそだ。その証拠に本来の主君筋である東道青波を一瞥もしていない。
此処で処分されても構わないというくらい、この時点の
「いかなる万難辛苦、悪意、脅威からも、この手で守り抜くと誓いましょう」
「──そう」
百合香はつまらなそうに、一応の返事を返す。また自分に無条件でかしずく存在が増えた、ああ、こんなもの望んでもいないのに。
そう思いながらも、百合香は東道青波にあてがわされた執事を連れて、四葉へと戻っていった。
宗冬を連れ帰った百合香は葉山と真夜の協力の下、四葉の誰にも知られることなく“第二次人造魔法師実験”が敢行される。
精神干渉による演算領域の改変。分解の魔法式をイメージ記憶として、深層心理に焼き付け刻印する二人目の怪物を生み出すための実験。
実験は成功に終わった。
被験者は分離魔法を得意としていた
実験を行った側である百合香は、そこになんら感慨を持たなかった。
同じく被験者である
彼は司波達也のように感情を削り取られたわけではない。
これは宗冬が事前に甚大な喪失をしていたことに起因する。
数カ月前、宗冬は血のつながった兄弟たち全て、自分と同型の調整体たちを亡くしていた。理由はなんてことのない有り触れた実験の失敗。宗冬はたまさか偶然と運に恵まれ、壊れずに済んだだけのこと。
しかし、実験の失敗で精神の壊れた同胞、自身の兄弟にあたる者たちを宗冬は自分の手で処断した。共に笑い、苦しみを分かちあい、同じ釜の飯を食べた、かけがえのない同胞たちを。発狂して襲い掛かってきたがための正当防衛。そんな一般論は宗冬の精神を救わない。
自分自身の手で兄弟を手に掛ける。
決して償うことのできない罪過。
癒えずに残り続ける心理的な傷痕。
その時の甚大な精神的ストレスが、宗冬の認知を歪めてしまった。この世の全ては軽い、空虚な紙風船。総じて軽いものだと。
必然、宗冬は百合香の魅了の魔力に嵌らなかった。魅了に酔いしれるための心が枯れているのだ。魅了されようにも心は動く余地を持たない。
この世界のあらゆるものに“重さ”を感じ取れず、生きているという実感やこだわり、執着を失った宗冬は唯々諾々と真柴百合香の執事となった。元老院、自分を買い取った主人の命令だ。この少女に仕えることもその一環。ただ、執事として役割に忙殺される事は、宗冬にとって幸福なことだった。なにせ、同胞の死に思い悩まなくて済むのだから。
分解、世界を滅ぼす魔法を手にしても宗冬の心は現世に重さを見出せない。
我がままで、気ままな主人に尽くす日々。
そんな日常を繰り返す中、やがて宗冬の心に変化が生じていく。
変化し続けていく感情がなんなのか。宗冬の寂寞とした心中に答えは存在しない。自分の抱いている感情の名前すら分からぬまま宗冬は執事として懸命に研鑽を積む。
ある日、百合香はきまぐれに宗冬へ
だが、宗冬はこの時、決めたのだ。
たとえ、人の道に背くことになろうとも。間違いであったとしても。
彼女の執事として
なにもかもに価値や意義を見出せぬ主人の胸中を慮り、宗冬は誓った。
“俺だけは主の絶対であり続ける”と。
作者の励み、執筆の原動力になるため、良ければ感想やここすき評価などお願いします。