第四魔法科高校の優等生   作:悪事

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 真柴百合香の行動原理は2092年の夏に定められた。

 百合香のあらゆる謀略の根底に根付いたそれは百合香本人であっても蔑ろにすることはできない。



五話

 

 

 

 2092年8月11日、沖縄に大亜連合の艦隊が侵攻。

 

 大亜連合から事前の宣戦布告も無しに戦端が開かれ、市街地や軍事拠点などに大幅な損害が発生。のちに一連の戦闘行為や被害などは総じて沖縄海戦と語られている。

 

 戦局は当初、不意打ちを行った大亜連合側が有利だったが、国防軍・恩納空挺部隊によるゲリラ戦と“取り残された血統(レフト・ブラッド)”の軍人たちの勇戦によって大亜細亜連合の上陸部隊は壊滅し、残存兵はのきなみ投降した。

 

 

 この時のゲリラ戦での奮闘が結果として取り残された血統(レフト・ブラッド)、沖縄に駐留していたアメリカ軍がハワイへと引き上げた際、取り残された戦災孤児である軍人たちの社会的待遇を改善したのは、まさしく不幸中の幸いと言えるだろう。

 

 

 同時に、この沖縄防衛戦では魔法師も多大な貢献、大きな戦果を出したことで軍関係者が魔法の軍事的価値を再認識、のちに魔法装備を主兵装とした実験的な旅団である独立魔装大隊が設立されるきっかけとなった。

 

 

 きっかけ、そう魔法の軍事的価値の再認識はあくまで表向き。

 

 本当の設立理由は四葉家の、十師族の血統とはいえ十二歳の少年が訓練された多数の敵兵をほぼ一人で掃討したことにより国防軍側が十師族を頂点とする民間の魔法師戦力に脅威を覚えたことに端を発する。

 

 旅団長である佐伯広海少将は十師族という名目上は民間に分類される国内最強の魔法師戦力に対抗するべく、国防陸軍第101旅団を組織。沖縄の防衛戦で風間少佐などと肩を並べたことにより司波達也も同旅団に特尉待遇で所属することになるが、それはまた別の話となる。

 

 

 

 

 沖縄海戦。四葉にとっても予想だにせず、対応できなかった想定外の出来事。司波達也という規格外の魔法師がいなければ、四葉の次期当主候補である深雪や、当主の姉である司波深夜も死亡していた可能性もある。

 

 

 そんな四葉にとっても重大事件となった沖縄での防衛戦において、真柴百合香はどのような立場にあったのか。

 

 

 結論から言うと──。

 

 

 この沖縄防衛戦において、真柴百合香は最初から最後まで部外者だった。

 

 百合香が作っていた大亜連合の内通者は今回の一件に関与していなかったため、事前に沖縄侵攻の情報は得られず仕舞い。USNAも、日本の国防軍も、沖縄の一件についての対応は一様に後手に回らざるを得なかった。

 

 結果として百合香が沖縄で起こった事態について知ったのは戦闘が全て終了した後であり、少女は舞台に立つことも舞台裏で推移を視ることもできなかった。ゆえに百合香は何もできぬ蚊帳の外に置かれたまま司波家の皆を案じることしかできず、全てが終わった後になって深雪や深夜が無事だという情報と桜井穂波の訃報を宗冬から聞かされた。

 

 

 

 

 当時、十二歳の真柴百合香は四葉家にとって、最も重要な魔法師の一人となっていた。精神干渉の技術や特殊な魔法的措置など百合香は既に替えの利かない存在である。だから、いくら夏のバカンスやショッピングなどを望もうと四葉の村の外へ出ることは困難であり、百合香は中学一年の夏休みを四葉の村で過ごす他なかった。

 

 そんな夏季休暇の最中、百合香に告げられた重すぎる情報の数々。沖縄に大亜連合が侵攻、司波深夜や深雪が巻き込まれた事。そして、ガーディアンが殉職したというところで百合香は、ついに冷静ではいられなくなった。

 

 

 

 

 

「は──?」

 

 色素の薄い、桜色に例えられる瞳を大きく見開いて百合香は宗冬が寄越した報告内容をたった一言で聞き返す。それが自身の聞き間違いであることを願って。しかし、残酷な現実は変わらず、挙げられた情報は百合香が聞いた通りの内容でしかなかった。

 

 

 沖縄防衛戦にて司波深夜、深雪たちを守り、ガーディアン・“桜井穂波”が死亡。

 

「……報告は以上になります」

 

「聞こえています、その上でもう一度聞いているのです……」

 

 

 百合香の内心の混乱、嘆きが周囲の事象を無意識下で改変し、世界情報(イデア)を狂わせていく。真柴百合香が生まれ持った狂気の属性。それが制御を経ず無意識に世界へ放出された瞬間、情報基盤は一時的に歪み個別情報体(エイドス)が名状しがたい情報に改変された。

 

 大気はおどろおどろしい極彩色に染まり、物質的情報的な距離が歪曲し、方角などは空転していくようだ。室内にあつらえられた精緻なアンティークの品々が冒涜的な有機性を帯びる。脳髄を搔き混ぜられ、臓腑を練り上げられるような支配性の高い錯覚。常人ならば、立つこともままならぬほどの悪魔的な精神波。

 

 百合香の禍々しい事象干渉力が世界を曝露し、周囲の環境を冒涜的なモノに書き換えていたのだ。その有り様は、まさしく神意。古き時代でいう権能めいた神秘的で有無もいえない上位存在の意思が発露した結果。

 

 激情に駆られている邪神めいた美貌の主人を前に、欠片も怖気づくことなく幽雫宗冬は報告を再唱する。

 

「お嬢様…………沖縄へ大亜連合が宣戦布告なく侵攻。巻き込まれた司波深夜様、深雪様を守るべく桜井穂波が義勇兵として出撃……敵艦隊は陸軍との協力によって撃沈したものの桜井穂波が魔法の過剰行使によって亡くなった、とのことです。」

 

「────」

 

 百合香は顔色を蒼白なものとし、息を呑む。

 

 報告にわざとらしく達也の情報が抜けているのは、この際、別にかまわない。達也の活躍を疎んだ四葉内部の人間が削ったというだけの話なのは明々白々。重症くらいは負ったかもしれないが、死にさえしなければ達也の身体には傷痕も残らないだろう。もっと言うなら、彼を殺し尽くせるのは同じ分解の使い手か、極まった精神干渉の術者だけ。

 

 大亜連合の有象無象に後れを取るのは在り得ない。

 

 

 けれど、桜井穂波は違った。要人警護、防衛に特化した調整体。通常火器や対魔法師武装のハイパワーライフルでも、BC兵器でも桜井穂波の防禦を越えることはありえまい。つまり外的要因で死ぬことがない以上、彼女の死因は決まっていた。

 

 誰かのために殉じての死。

 

 主人のためなら命を惜しむことのない桜井穂波だからこその最期。

 

 自分ではなく誰かを守るのに長けているからこそ、桜井穂波という女性はガーディアンとして四葉で最も優秀な魔法師であり、最も“死”に近い人だった。

 

 

 当然ながら彼女も理解していたはず。

 

 過剰な魔法行使は演算領域に致命的な損耗を招きうる。

 

 調整体である自らの生命活動の維持すらままならぬほどに。

 

 

 知っていたはずだ。なのに死んだ、ということは、それが桜井穂波の選んだ(マコト)だったのだろう。

 

 

 桜井穂波の遺志を予測してしまったところで百合香の激情から絶対零度の温度が抜け、失意という虚無の心理状態が少女の心を満たした。

 

 

 宗冬は己の視界に映った小さな動き、一条の小さな光の軌跡を目で追った瞬間に心を奪われた。時間の感覚が凍結する、理性は空白に溶けた、本能は色褪せる、反射行動なぞ出来るはずもなく。

 

 元老院より訪れた執事が目撃したのは、真柴百合香の形容すら許さぬ美貌に流れた一筋の光。それは未だ幼き少女の悔恨と悲嘆によって零れ落ちた一滴の悲涙だった。

 

 

 その一滴の声なき慟哭を宗冬は網膜に焼き付けた。

 

 涙を流し、調整体を悼む“真柴百合香”を美しい、と。宗冬は感じてしまった。

 

 もっと見ていたい。見てはならない。

 

 見せてはならない。見なくてはならない。

 

 見るべきでなかった。見てしまった。

 

 

 

 自分自身に誓いを立てる。決して破れぬ心からの誓いであり断固とした決意。

 

 

 “俺”が守らなくては。

 

 “俺”は守り通して見せる、今度こそ。

 

 

 この世界のあらゆる悲劇と残酷な願望、悪辣な企み。その全てから、この少女を守らなければ──。

 

 

 同胞殺しによって罪悪感に苛まれた青年はあらゆるものを無為に眺め、世界の重さを実感できずにいた。しかし彼は今此処に胸を灼いている痛痒と情熱を抱く。かつての同胞たちを殺した罪悪感を越える制御不能の感情の濁流、百合香の流した落涙が宗冬の心に熱をもたらす。

 

 理屈を超えた感情の波濤。死んだ心にすら鼓動を蘇らせる奇跡。

 

 

 もしかすると──。

 

 

 人はそれを■と呼ぶのかもしれない。

 

 

 言い表せぬ感情が沸き上がり、百合香の悲嘆に胸を痛めた宗冬は思わず執事としての領分を越えてしまった。

 

「……お嬢様、どうか涙をお拭きください」

 

 宗冬に言われて、百合香は初めて自分が泣いているのに気が付く。呆然と瞳の縁を指でなぞり、聞いている方が恐ろしく思うほどに空虚な呟きを落とす。

 

「泣いている?……わたくしが、どうして?」

 

 

 自分の感情に合理的な説明がつかない。意味が分からない、自分は何故、泣いているのか。もう一人の自分である四四八は沈黙したままだ。

 

 

 真柴百合香は四葉の最高傑作。最も優秀な魔法師として完成していた。あらゆるものに満ち足りていた。幸福、栄光、成功、喜びと称賛。望めば何もかもが手に入る。だが、それゆえに百合香は何かを永遠に喪うという経験に乏しかった。

 

 

 だからこそ──。

 

 耐えがたい喪失。永遠の別れ。百合香はそういった事象にひどく脆弱であり、耐性を持ち合わせていない。人間として未だ成熟していない心理的な急所。もっとも真柴百合香はまだ十二歳の少女なのだ。こういった精神的に未成熟な面があるのは当然のことだが、四葉という魔法師の名家の人間にとっては許されざる瑕疵に違いない。

 

 精神面での急所をまだ持ち合わせている百合香は感情の抜け落ちた空虚な言葉を連ねていく。

 

「……泣く必要が何処にあるというのです…………だって、あの人はただのガーディアン、ただの調整体です。わたくしが悲しむ必要なんてどこにも……どこにもないはずなのに」

 

 自身に言い聞かせるような呟き。

 

 少女は自分の裡より溢れ出る理解不能の嘆きに困惑を隠せない。

 

 宗冬は百合香を慮って慰めの言葉をかける。不要であると、無意味であると分かっていながら、宗冬は黙っていることができなかった。

 

「お嬢様……親しき者を喪ったとき人は泣いてよいのです。弔いのために、悔いを後に残さないために。涙を流さなければ、前に進めないのだから」

 

 宗冬の語る内容は、痛いほど自身に返ってくる。“彼女に対してご高説を述べられる立場なのか”と自責しながらも青年は幼い女主人を気遣った。

 

 尤も彼が語る凡庸な一般論は百合香には通じない。魔法師としての立場と重責が彼女にそれを赦さない。調整体の死にいちいち動揺していては、とてもではないが四葉の魔法師として生きてはいけない。“死”を割り切らなくてはならないのだ。

 

 だというのに、百合香は納得ができない。司波深夜と桜井穂波の主従は、百合香にとって理想の信頼関係だった。あれ以上は望めない、あれ以上がこんな世界に二つと在り得るわけがない。百合香の幼き視点で観測した深夜と穂波の間柄は憧れというフィルターによって、過剰なまでに神聖視されていた。

 

 深夜と穂波と共に居られたひととき、三人の茶会はもう出来ない。あの三人で卓を囲むことはもう無いのだ、と理解した時、百合香は両手で顔を覆った。

 

 

 声なく悲しみに暮れる百合香に宗冬は自分の意思を以て、調整体としての誇りと在り方を語る。

 

「調整体にとって、自身の役目を完遂することは結果が死に繋がったとしても不幸ではないのです。たとえ、死に至ろうとも与えられた役目を全うすることこそ本懐。それも命じられて自由意思なく行うのではなく、自らが決めて成し遂げたならば調整体の生き方としてはこれ以上ない幸いであります」

 

「幸福?……それが、そんなものが幸せだと?」

 

 百合香の澄んだ声に赫怒の熱が込められる。宗冬の双眸を桜色に輝いた百合香の視線が射貫いた。たとえ十師族級の魔法師でも見つめられれば最後、発狂は免れない狂気に彩られた百合香の魔眼。魔法ですらない強力無比な百合香の精神に対する干渉力。魔法よりも原始的で強制力の強い狂気の異能。

 

 

 そんな百合香の怒りと敵意に満ちた眼差しを目にしても、宗冬の態度は、精神構造は一向に揺るがなかった。何故なら、彼は既に百合香に対する■で狂っているのだから。狂気は二重に掛からない。純粋に百合香を想う■あればこそ、狂気の異能は無効化される。

 

 

 ■の実在を信じられない百合香は宗冬が発狂しない理由が分からなかった。思考する生物なら、必ず精神が砕けるはずなのに。だというのに、彼の心は壊れない。どうして、どうしてなの?

 

 桜井穂波のことも、幽雫宗冬のことも。

 

 解からない、ワカラナイ、判らない、分からない。なんで、なんで──。

 

「では、どうしてわたくしは泣いているのですか。彼女が幸福なら、なおのこと涙なんて流す必要が……!」

 

 理屈としてはそうだ。されど、世界には理屈だけでは解決できないことでもある。それはきっと理屈よりも単純で分かり易くて認めがたい感情論に由来していて──。

 

「お嬢様が彼女を、桜井穂波を大切に思っていたからではないかと愚考します」

 

 

 百合香と視線を交わし続けている宗冬は、どうか自身の言葉が彼女の心に伝わってほしいと願いを込めて、桜井穂波の生き様を敬意を以て評した。

 

「お嬢様、間違いなく桜井穂波は幸福のうちに生き抜いたのです。結果が死であろうとも、そこに憐憫はあってはなりません。不幸だったなどと決めてもなりません。……彼女は幸福だったのです。これだけは誰であろうと否定してはならない彼女の(マコト)なのだから」

 

 

 宗冬が滔々と語り終えたとき、百合香は後ろめたさから宗冬に向けていた視線を逸らした。

 

 これがただの魔法師なら、百合香も“知った風なことを”と断じられただろう。しかし、桜井穂波の遺志を代弁したのは彼女と同じ調整体である幽雫宗冬だった。調整体でない百合香は、彼の言葉を否定するだけの材料を持ちえない。

 

 百合香は、自分の執事である宗冬に完膚なきまでに言い負かされた。宗冬からすれば言い負かそうとか、論破しようとする意思は皆無だったろう。しかし、傲慢にも調整体の幸福を決めてかかっていた自分よりも、調整体としての幸福を知る宗冬の言葉に引け目を覚えるのは道理である。

 

 

 

 百合香にとって自身へ最初の敗北を刻んだのは同格である次期当主候補の人間ではなく、自分の側近である執事、幽雫宗冬という青年であった。

 

 少女は痛々しい涙の痕を残した顔で歯噛みする。なんて世界はままならないのだろう。真柴百合香の初めての苦悩。

 

 天賦の才を有し、望めば、欲すれば、全てが思うがままになってしまったゆえの弊害。世界が自分の思い通りにならないというありふれた挫折を百合香は中学一年にして痛烈に味わったのだ。

 

 

 サンルームでのささやかな三人だけのお茶会。真柴百合香と司波深夜、そして桜井穂波。些細なことで笑い、語り合った時間。

 

 もう決して帰ってこない幸福だった頃の光景。日常の一ピース。初めての喪失と共に百合香はまた一つ、四葉の魔法師として完成に近づいた。もう、痛みと喪失に無知だった少女には戻れない。調整体たちの献身と殉じる覚悟を百合香は知ってしまったから。

 

 

「……ならば、わたくしも調整体たちに報いましょう」

 

 

 この瞬間より百合香は自分にある誓いを課す。

 

 全ての調整体の未来に報いることを。全ての調整体たちに幸福を。

 

 魔法師としての呪縛、定められた運命から解放するのだと。

 

 

 中学一年の夏、百合香は自分が目指す果て、叶えるべき理想の形を定義した。

 

 “全ての調整体たちに救済をもたらす”。

 

 “世界の全ての人々に魔法を与える”。

 

 

 善意からではない。自分に課した誓いと、誰かのため命を使い果たした彼女への敬意のために。必ずや誓った理想を現実のものとする。

 

 そのためだったら何でもしてみせよう。あらゆる者を騙しとおし、偽りで世界を塗りつぶそう、必要なら嘘を並べ立てるし、幾重もの謀略を張り巡らせる。

 

 

 理想を現実に、魔法を手品に貶めよう。

 

 

 世界から魔法幻想を根絶し、ただの普遍的な技術(テクノロジー)に堕とす。

 

 

 それこそが真柴百合香が胸に秘める唯一の真であるのだから──。

 

 

 





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