百合香が第四高に入学して、はや一カ月が過ぎた。
百合香の学生生活は順風満帆そのもの。何らかの波風が立つということもなければ、己を脅かすような、言い換えれば自分と競い合えるスケールの魔法師との出会いもなく──。
百合香にしてみれば、退屈極まりない日々を過ごしている。
友人や先輩との関係も、必要そうなものは創ったうえで百合香は退屈だと感じてしまっていた。自分を
千葉の道場のことを思い出す。あそこは面白かった、百合香が自分の才を振るっても、意地と負けん気で突っかかってくるエリカや千葉家のご兄弟たちがいたから。
翻って、今の第四高の生活に百合香は何ら刺激というものを感じない。
幸福だと思うべきなんだろう、と百合香は黙考する。四葉家という悪名高く、後ろ暗い家の人間である百合香に思惑こそあれど距離を詰めてくる同級生、慕ってくれるクラスメート、先輩風を吹かしてくる生徒会の先輩たち。
どなたも、
でも──。
崇敬も、畏怖も、憧れも、全て見慣れているものばかり。つまらない、と百合香はため息をついて、第四高のカリキュラムを静かに惰性で熟していく。
カリキュラムの成績はどれも高水準。人間の限界領域に迫る極限の数字が児戯のようにぽんぽんと叩き出される。世界的に見ても、同じ成績や記録をマークできるものは十人にも満たないだろう。
誰もが素晴らしいと賞賛し、百合香は微笑みながら謙遜を嘯く。
もし、単に愛想よく高成績を出し続けるだけの優等生であれば、鼻持ちならぬエリート様で終わっていたかもしれない。だが、百合香は
長年、教育に携わっていた教師ですら舌を巻く正確なアドバイスと個々人の特性に適した指導。
特に百合香は特殊過ぎて使いどころが限られる、ピーキーな魔法特性の者たちを優先して教導した。一般的な評価基準に照らし合わせると無能一歩手前、使いどころの限られる特殊な先天的特性を持つ魔法師、そういった者たちにこそ彼女は時間を費やしたのだ。
いっそ献身的ともいえる指導の裏には、単なる暇つぶしと特定の分野でいいから自身に比肩、凌駕してくれる存在を欲してのことでもあったのだが、その事情を知らぬ者たちは百合香を善良な、慈悲深い令嬢として扱うようになっていた。
僅か一カ月という期間で百合香は第四高における自身の支持基盤を獲得していた。今年度の新入生総代ということもあり、自分の側近である宗冬と共に生徒会へ加入。多くの生徒たちの悩み、魔法の訓練の相談、助言など。
多忙でこそあったが、百合香は表面上そつなく日々を過ごしていく。毎日、朗らかに笑いながらも、心のうちではいつも退屈そうに空虚な眼差しで世界を視つめていた。
主人の無聊と倦怠を理解しているのは、最側近の執事である宗冬くらいであったろう。
その反動というのか、百合香は第一高校からの報告、特に達也の苦難奮闘を特に面白がって聞くようになっていた。他者の生活を娯楽のように捉える、当然のごとく褒められた所業でないのは確かだ。しかし、百合香を第一に考える宗冬は主人の詮索好きを窘めはせず、達也の不運と波乱万丈な高校生活に同情を寄せていた。
だが、とうとう面白がったり、同情している場合でないことが報告に挙げられる。
「──困ったことになりましたね」
揶揄いが混じった、どう聞いても困ってなさそうな独白が百合香の私室に木霊する。場の空気を引き締めるため、傍仕えの宗冬が百合香の額面上の言葉に同意した。
「ええ、由々しき事態であるかと。お嬢様、今回の件、こちらで対応なされますか。それとも
宗冬がそんな非常時の備えを使うかどうか献策しているのは直近の報告に関係する。
第一高校、入学二日目に発生したトラブルにより生徒会長、七草真由美に目をつけられた司波達也は生徒会の役員である男子生徒を決闘で下してしまったことで、風紀委員に参入してしまう。一科、二科の差別がはびこる第一高で、二科生が風紀委員になることが、どういった結果をもたらしてしまうのかは火を見るより明らか。
七草真由美の考えていることは凡そ予想が付く。一科、二科の差別構造の改革のため、自衛ができ、腕の立つ二科生を選抜したつもりだろう。だが、リスクが高すぎる。司波達也が怪我、もしくは失態を晒せば、生徒会長の立場は危ういものになっていたはずだ。
まぁ、実際はそうはならず、達也は二科生でありながら一科生と渡り合っていたそうだ。司波達也の実力のほどを推察した七草真由美の観察眼は、百合香としても素直に見事と評するしかない。
結果として彼は風紀委員として部活連の勧誘期間に実力の一端を示してしまった。
この際、ブランシュと関わりのある剣道部に関わったことは目をつむるとしても、それよりも重大なことを達也は行っている。
問題は此処からだ。
達也はパラレルキャスト、CADの並列起動の際に生じる混信を利用した魔法阻害の術理、キャストジャミングを晒してしまったのである。それも軍用物資である特殊鉱石、アンティナイトを使用しない安価なものを。
手軽に魔法を阻害することのできる技術、現代の反魔法主義者たちが喉から手を出してでも欲する秘匿情報。こうした魔法を無効化する対抗魔法、技術の情報は、軍事情報としても特に価値が高いものだ。
それを司波達也はたかだか学生同士の諍いの仲裁目的で行使したのである。それも公衆の面前でだ。美月の報告によると、達也はその知ってはいけない類いの極秘情報をとある喫茶店でクラスメイトたちに事細かに説明したという。
報告を聞いた百合香は思わず冗談かと聞き返し、隣にいた宗冬はその内容に愕然とした。二人は達也が一般の生活、普通の学生生活に思った以上に浮かれているらしいと共通の認識を持つに至る。
尤も、達也に言わせると、これは誰もが気づく余地のある魔法だと言う。
魔法師が一度は試そうとするCADの同時運用。その失敗の原因である混信を分析、再現すれば、誰でも到達できると簡単そうに言っていたが、そんな高精度の分析ができる術者など、そこらに転がっているはずもない。
達也は長らく四葉一族の中で落ちこぼれ、第一高校でも劣等生とされたゆえに認識が歪んだようだが、魔法の分析と魔法式の研究において達也を上回る者は存在しない。この分野においては百合香でさえ、彼の足元に及ばないのである。
これが精神に関することなら立場が逆転するのだが、それは置いておくとして──。
「剣道部の人間、達也さんと接触したという……誰だったかしら」
百合香の問いかけに対し、宗冬は挙げられた報告内容を復唱する。
「対象者は壬生紗耶香。第一高校の二年、二科生。同校の剣道部に所属しております。そこから思想汚染を受け、ブランシュに加入してしまったようです。父親は内閣情報管理局に籍を置く壬生勇三。ブランシュへの所属も父親の指示による監視目的かと探りを入れましたが、結果は白。単に二科生として扱われる日々の鬱屈から表面上、平等を掲げる反魔法団体の思想に傾倒したものと確認が取れております」
「……その、壬生紗耶香さん?最初から剣道部に所属していたのかしら。剣術部を追い出された、とかではなくて?」
「はい、一年生の頃より剣道部に所属しているようです」
「分かりませんね──」
百合香の困惑する表情に宗冬も内心で頷いていた。わざわざ、魔法科高校に入って魔法を使わない競技である剣道部への所属。そして、そこから反魔法団体へ傾倒。壬生紗耶香の遍歴は生粋の魔法師一族、四葉の生まれである百合香にとっては不可解なモノだった。
魔法とは無関係の、それこそ素直に剣道の強い高校にでも通っていれば良かったのではないか、という考えが過ぎるのも無理からぬことだが、宗冬が主人の思考に補足を入れる。
「おそらく、御父上の影響ではないでしょうか。壬生紗耶香は、父親と同じ魔法の資質を使うことなく眠らせたままにすることに抵抗があったのでしょう。二科生とはいえ、難関校である第一高校に入学できたということは、それなりの資質はお持ちであったものかと」
「──ふふ、これが第三高なら差別されることもなかったでしょうに」
百合香の言うことも一理あったが、宗冬は壬生紗耶香という少女の在り方を不運であったとしか考えられない。自分の中に何らかのギフトがあって、それを使わず、試さずにいられるだろうか。そのうえで中学時代に認められ、自身が研鑽してきたものを無価値にもできない。
魔法の資質は父親との繋がり。剣道は自分が磨き上げた道。
二律背反、どちらも捨てられない選択肢。
結果、この二者択一に壬生紗耶香の心は引き裂かれ、その隙間に悪党が付け込み、彼女はブランシュに所属してしまった。
宗冬としては哀れだと感じたが、それも主人の御心に比すれば些細なもの。重さを比べるまでもなく軽い、実に軽いものだ。ゆえに話し方もどことなく深刻さが薄れ、他人事として語られている。
「今後の対応についてはどういたしましょう。周公瑾を通じてブランシュに圧力をかけられますか?」
「此処で彼らに第一高校から手を引かせても校内に反魔法主義の思想を残しかねません。それはよろしくないでしょう。……仕方ありません、膿を出すタイミングを決めて第一高校の問題はあちらの生徒たちに任せます。真由美さんや克人さんにも華を持たせてあげないと」
「七草と十文字へ直接のリークを?」
「いえ、リークは達也さんを通じて行います」
「……七草と十文字の両家から達也、並び深雪様が詮索されるやもしれませんが」
「いくら探っても司波家と四葉との繋がりまでは辿りつかないでしょう。それより先に達也さんが九重寺の門弟であることを探り合てる公算が高い。ええ、そうね。そういう
楽しそうに手を合わせる百合香の傍らで宗冬は小さく頷いた。彼は、九重寺との繋がりを匂わせることで達也たちを“忍術遣い”として誤認させようとする主人の意向を理解する。確かにそれなら情報通なのも、特殊な魔法特性も、ある程度は説明をこじつけることができる。
「ブランシュの決起日を決め次第、達也さんへ“
「達也が大人しくブランシュの動向を座視するとは思えませんが……」
ブランシュの決起日を待たず、達也がアジトを襲撃することを考慮しての宗冬の忠言。ただし、それを行った場合、一斉に膿を出し切るには及ばず、校内に反魔法の思想が残留する恐れがあった。
百合香は鷹揚に微笑んで──。
「別にブランシュが第一高校から消えるなら、経過に拘りはありませんよ。中途半端な幕切れも良し。まぁ、その分、達也さんには学内で反魔法主義者たちと過ごすことに耐えてもらわなくてはなりませんが──」
桜色の虹彩が名状しがたい光輝を発する。制御しきれない百合香の事象干渉力が、
幾人もの人の想い、行動、幸運と願いを俯瞰したうえで百合香は冒涜的に嗤った。
「さぁ、
百合香の手によって管理され尽くした混沌。綿密に計画された事件。ブランシュ、第一高校の生徒たち。その裏の周公瑾と百合香たちを始めとした四葉の人間。盤面を俯瞰できる彼女だけは、この先に起こり得ることを想定したうえで奇想天外な物語の成就を願っていた。
「……達也も第一高校の生徒たちも皆、ブランシュの脅威を前にしてさぞ奮闘なされるかと。大いに活躍し、またお困りになるはずです。それが彼らの結束を、一科と二科の区分を超える一助となる。お嬢様の筋書き通りに……」
「そうね。誰も彼も翻弄されてくれれば、わたくしとしても
蠱惑的な表情を浮かべる百合香の傍に侍る宗冬が主人の愉悦に満ちた声を聞き、そっと何かを祈り、配慮するように目をつぶった。主人の空虚な在り方が、変わることを静かに願って──。
再び、彼が目を開けたときには人間らしい情動は表面上存在せず、玲瓏な貴種に仕える完璧さを体現した一人の執事が静寂を纏って佇んでいた。
作者の励み、執筆の原動力になるため、良ければ感想やここすき評価などお願いします。