カムイモシリの守り人   作:Haruyama

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守る者は、影を歩く

 

 アシリパとウイルクは、私にとって狩猟の仲間であり、家族だった。

 ある日、ウイルクは静かに言った。

 

「アシリパを頼んだよ」

 

 それだけを残し、彼は姿を消した。

 

 やがて私は、組織を通じて第七師団へ潜ることになった。アイヌの中でも狩猟技術が高く、手先が器用だという理由だった。戦時下で人手は足りていなかったらしい。七歳の子供であっても例外ではなかった。

 

――銃の扱い、騎馬隊の陣形、筋力鍛錬。

 教えられるままに身体へ刻み込んだ。

 

 才能があったのかもしれない。だが違う。

 生き残るために、覚えるしかなかっただけだ。

 

 師団に入った時点で、私は「女」を捨てていた。

 

 アイヌの中で私が見てきた女の役割。和人の社会で見た女の扱い。

 どちらの枠にも収まる気はなかった。だから男として振る舞い、男として技術を身につけた。

 

 だが身体は成長する。

 誤魔化しきれなくなる前に、私は十歳で離脱した。

 

 

 アシリパのいるコタンへ帰る。

 

「アサム! おかえりなさい!」

 

 あの声を聞いた瞬間だけ、私は少年兵ではなくなる。

 祖母にだけ事情を話し、他には「別のコタンへ技術指導に行っていた」と伝えた。それでいい。アシリパは何も知らなくていい。

 

 

 それからの日々は穏やかだった。

 共に山へ入り、獲物を追い、他のコタンへ技術を教えに行く。

 

 だがある日、和人の兵が出入りしているという知らせを受けた。

 後ろ姿で分かる。

 あれは兵士だ。

 

 短刀に指をかけ、チセへ向かう。

 

 

「! 帰ってきたか」

 

 祖母は穏やかだ。アシリパも警戒していない。

 

「アサムだ」

「俺は杉元佐一だ」

 

――杉元。

 

 記憶のどこかに引っかかる名。

 アシリパが言う。

 

「アサムは杉元と同じシサムだ」

 

 杉元の目がわずかに見開かれた。

 

 

 

――夜。

 

 二人を寝かせ、杉元を外へ呼ぶ。

 

「アシリパに何を吹き込んだ」

 

 昼間とは違う声で問う。

 杉元は金塊の話をした。

 

 

ウイルクが殺されたこと。

金塊を取り戻し、敵を討ち、残りをアイヌに返す条件で協力していること。

 

 私は黙って聞いた。

 嘘を見抜く訓練は受けている。

 

 だが、そこに打算よりも覚悟が見えた。

 

 

「…疑わないのか」

「アシリパが受け入れた。なら私も信じる」

 

 私の基準はそこだけだ。

 だが一つだけ。

 

「約束してくれ」

 

 杉元が視線を上げる。

 

「アシリパの手を穢すようなことはさせるな。あの子は生粋のアイヌだ。これからの時代を担う存在になり得る」

 

 杉元は少しだけ目を伏せた。

 

「…あの子には帰る場所がある。そんなことはさせない」

 

 その言葉は、嘘ではない。

 私は頭を下げる。

 

「アシリパを、よろしく頼んだ」

 

 ウイルクが私に言った言葉を、今度は私が他人に託す。

――それが正しい選択かどうかは分からない。

 

 

 だが私は知っている。

 守るとは、傍にいることだけではない。

 手を離す覚悟もまた、守るということなのだと。

 

 

 

 

―――…

 

 アシリパと杉元が旅立ってから、アサムはコタンに残った。

 

 守る者がいない場所は、すぐに荒れる。

 だから自分がいる。

 

 しばらくして、第七師団の兵・谷垣源次郎が怪我を負い、コタンに逗留することになった。

 元マタギらしく、山の話になると話が合った。

 

「四つから山に入ってる? そりゃ早ぇな」

「生きるためだよ」

 

 淡々と答える。

 手当てにはアイヌの知恵と、町で学んだ医術を併用した。

 

「それはアイヌのやり方か?」

「一部は。あとは町で」

 

 谷垣はそれ以上踏み込まなかった。

 

 

 やがて尾形百之助と二階堂浩平が現れ、事態は動く。

 祖母とオソマが人質に取られ、緊張が走る。

 

 

 そのとき、アサムは山に出ていた。

 

 

銃声。

 

 風向きで距離を測る。

 戻ろうとした矢先、別動の第七師団と遭遇する。

 

 その中に、異様な存在感を放つ男――鶴見中尉。

 アサムは身を潜めた。

 

 尾形が部下を撃ち、逃走。

 だが追撃はない。二階堂の処理を優先している。

 

「……」

 

 嫌な匂いがする。

 コタンへ戻る途中、罠にかかった男を見つけた。

 尾形だ。

 括り罠が足首を締め上げている。

 

 

「無理に動くと、骨いくよ」

 

 銃口がこちらを向く。

 

「外す。撃つなら、その後で」

 

 

沈黙。

 

 

 尾形は撃たなかった。

 手際よく罠を緩める。

 

 

「……この罠、お前か」

「そう」

 

 外れた瞬間、尾形は距離を取る。

 だが立ち上がった瞬間、わずかによろめく。

 

「肋骨にヒビ。さっきのか」

「……」

「歩ける? 無理なら肩貸す」

 

 尾形は数秒、計算するようにこちらを見る。

 

「借りる」

 

 その判断が、彼らしい。

 

 

――

 

 目を覚ますと、簡素なクチャの中だった。

 痺れは消えている。

 

「軽い痺れ草を塗っただけ。暴れられると面倒だったから」

 

 火の前でアサムがつみれ汁をよそっている。

 

「食べる?」

 

 尾形は受け取るが、視線は外さない。

 

「お前、アイヌじゃないな」

「うん」

 

即答。

 

「第七師団を知っているな?」

「少しね」

「鶴見の名を出したな」

「あの場にいたから」

 

 尾形の目が細まる。

 

「……数年前、子供を囲った噂がある」

 

 アサムは沈黙。

 

「その中に、妙に出来のいいのがいたと」

「さぁ」

 

 否定もしない。

 尾形は確信に近い推測を抱く。

 

「なぜ助けた」

「君が面白そうだった」

「……面白い?」

「鶴見中尉を撃たなかった」

 

 尾形の眉がわずかに動く。

 

「撃てたはずだ」

「……」

「なのに撃たない。合理だけで動いていない」

 

 尾形は笑わない。

 

「お前は何がしたい」

「見たいだけ」

「何を」

「君が、どこへ行くのか」

 

 沈黙。

 子供の顔をしている。

 だが目は違う。

 

 

「同行させろ、と?」

「利用価値はあると思うよ。君にも、私にも」

 

 尾形は鼻で笑う。

 

「裏切れば撃つ」

「構わない」

 

 即答。

 その迷いのなさが、逆に警戒を鈍らせる。

 尾形は立ち上がる。

 

「歩けるんですか」

「問題ない」

 

 二人は外へ出る。

 

 

 

――利害の一致。

 

 信頼ではない。

 それで十分だった。

 山の風が、静かに二人の背を押していた。

 

 

――――――――

 

 コタンへ戻ったアサムは、祖母と谷垣に別れを告げた。

 

「……アシリパを追うのか」

 

 谷垣は問いながらも、半ば確信している。

 

「すぐには。寄る場所がある」

「俺は必ずフチのもとへ帰すと約束した。いずれ追う」

「……また、いずれ」

 

 多くは語らない。約束はそれで十分だった。

________________________________________

 

 尾形との待ち合わせ場所。

 

「待たせました」

「あぁ」

「どこへ?」

「サッポロだ。装備を整える」

 

 二日かけて到着。夜は更けていたため宿を取る。

 

 

一部屋。

 

 最低限の確認を終え、尾形は先に横になる。壁際で寄り掛かったままのアサムに視線を向ける。

 

「寝ないのか」

「……」

 

 数秒の沈黙のあと、アサムは布団へ入った。

――尾形の隣に。

 

「……何の真似だ」

「こうしないと眠れない」

 

 声音は平坦。尾形は黙って見つめる。

 

挑発ではない。

依存とも違う。

ただ事実を述べているだけの顔。

数拍の沈黙。

 

 やがてアサムは布団を出る。

 

「やっぱり迷惑ですね。外に出ます」

 

 尾形は小さく息を吐いた。

 

「待て」

 

 布団を軽く叩く。

 

「眠れないなら来い。ただし勘違いするな」

 

 アサムは一瞬だけ目を見開くが、何も言わず戻る。背を向け、一定の距離を保つ。触れない。

 

 だがしばらくして、指先が尾形の手に触れた。無意識だ。握るわけでもなく、ただ触れている。尾形はそのまま放置した。

 

 

「……生きてるか確認してるみてぇだな」

 

 小さく呟く。反応はない。もう眠っている。尾形は天井を見つめる。

 

甘さはない。

情欲もない。

ただ、空洞が隣に横たわっている。

 

「不思議な奴だ」

 

 それだけだった。

________________________________________

 

翌朝。

 アサムは先に目を覚ましていた。

 

衣服の隙間からのぞく古傷。

切創、抉り跡、火傷。

どれも偶然ではない。

 

「……」

 

 指先でなぞる。

 

穢れ。

罪人。

そう呼ばれた過去。

だが感情は浮かばない。

 

「男と思われるなら、それでいい」

 

 説明は不要だ。理解もいらない。

 

 尾形が起きる。

 

「起きていたか」

「おはよう」

 

 普段通り。何もなかったかのように。

 尾形はわずかに安堵する。

 

「――土方って知ってます?」

「……土方歳三か」

 

――土方歳三。

 

「茨戸にいるらしい。会いに行きませんか」

「会ってどうする」

「用心棒として雇ってもらう」

 

 尾形を見る。

 

「あなたの腕なら通る」

「お前は」

「一人で十分でしょう」

 

 即答。

 尾形は目を細める。

 

「俺といる意味がない」

 

 苦笑するだけで、説明はない。

 

「……面識があるのか」

「あちらが覚えていれば」

 

 声がわずかに低い。尾形は察する。

――弱みか、過去か。

 だが追わない。いずれ分かる。

 

 準備を整え、二人は宿を出た。

 

 

並んで歩く。

触れない距離。

だが昨夜の温度は、確かに残っている。

恋ではない。

執着でもない。

ただ――

生きていることを確認するための、体温。

 

 

それを互いに否定しないだけの関係だった。

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