それからしばらくして、土方歳三の号令により一同が集められた。縁側に腰掛ける土方を中心に、
牛山辰馬
家永カノ
永倉新八
そして尾形とアサム。
土方は新聞を畳み、静かに口を開く。
「現在こちらにある刺青の暗号は六人分。牛山、家永、俺、油紙に写した二人分――白石と辺見。そして史戸那が茨戸で手に入れた一枚だ」
「変人とジジイとチンピラを集めて、もう一度蝦夷共和国の夢を見るってか?」
尾形が鼻で笑う。
「一発は不意打ちで殴れるかもしれねぇ。だが政府相手に戦い続ける算段はあるのか?」
静まり返る空気。
「一矢報いるだけが目的なら、あんたについていく連中が哀れだ」
土方は薄く笑った。
「のっぺら坊は、アイヌなんだろ?」
尾形の言葉に、その場の全員が反応する。
「鶴見中尉はそこまで掴んでいたか」
永倉が呟く。
「のっぺら坊が殺したアイヌ七名。遺品に共通点があったそうだ」
尾形が淡々と語る間、アサムは俯いたまま、誰とも目を合わせない。永倉が気づく。
「史戸那。聞きたくなければ耳を塞いでおれ」
アサムはゆっくり顔を上げた。
「……いえ。いつまでも過去から目を逸らすわけにはいきません」
静かな敬語。
「それに――私を仲間に入れたのは、暗号を解く鍵の一人だから……でしょう?」
その場の数人が息を呑む。土方は否定しない。
「最終的に決めるのはお前だ」
アサムは目を閉じる。
――すべては八年前に遡る。
だがそれを語るつもりはない。
「それで。土方さんは、のっぺら坊を何者と?」
話を戻す。土方は静かに言った。
「極東ロシアのパルチザンだ」
家永が首を傾げる。土方が説明する。
ロシア帝国に抵抗する武装組織。
アイヌに成りすまし、金塊を樺太経由で持ち出そうとした可能性。
「つまり失敗が今回の発端か」
牛山が唸る。
「監獄の外にいる仲間も?」
「パルチザンの可能性が高い」
その言葉に、アサムの古傷が疼く。
(……パルチザン)
知られてはならない。
その名と、自分の過去の繋がり。
北海道にすら居られなくなる。
だから、黙秘する。
________________________________________
話題は自然と史戸那へ移る。
「史戸那は何歳だ?」
牛山が問う。アサムは淡々と答える。
「十五、六ほどです」
「若ぇな……」
「戦争は数度経験しております。内乱も含めて」
静かに続ける。
「最初は第七師団在籍中に一度。その後、国内外で数度。最後は三年前です」
永倉が頷く。尾形は横顔を見る。
(……八歳で、人殺しに慣れたのか)
それは“慣れ”ではない。
壊れだ。
土方も視線を向ける。首筋の傷跡。あの年で背負うには重すぎる。
(……この子が第七師団支部を壊滅させたという噂は本当か)
数百人の兵士相手に、一夜で壊滅。
のっぺら坊以上の凶悪さ。
「尾形さんは日露戦争へ?」
アサムが突然問う。
「ああ」
一瞬の沈黙。そして、淡々と。
「出征前に、実の兄を殺しました」
空気が凍る。
「たまたま部隊にいましたので。首を掻き切っただけです」
“だけ”。
その軽さが異様だった。
「……やはり私は変ですね。子供の頃から、何百人も殺しているのですから」
苦笑する。永倉が立ち上がり、そっと頭を撫でた。
「責めるな。お主は歴史の荒波に呑まれただけだ」
その言葉に、アサムの胸が痛む。被害者は彼らのはずだ。自分は加害者だ。憐れみも畏れも、受け止めきれない。
「史戸那。外の空気を吸ってこい」
土方が言う。強がりが透けて見えるからだ。
アサムは小さく頷き、外へ出る。
________________________________________
「……とんでもねぇ爆弾だな」
牛山が息を吐く。
「少年兵として第七師団に叩き込まれた。そこらの兵より使える」
永倉が言う。
「尾形。最近知り合ったのか」
「ああ。目的は知らねぇ」
“興味があったから”。
それだけ。
隠し事が多すぎる。
「ジイさんは知ってる風だな」
「史戸那は自分を明かさん。我らも同じだ」
土方は視線を外へ向ける。木陰で猫と戯れるアサム。無邪気に笑っている。
「……あの子の心は、今も戦場に置き去りだ」
誰にも届かない声で呟く。
この先どれだけ血が流れようとも。
あの子の心は、戦場から戻らない。
死ぬまで。
そして――
縁側からそれを見つめる尾形の目は、
獲物を観察する狩人のそれだった。
愛ではない。
理解不能な存在への、異常な執着。
壊れないでほしい。
だが壊れる瞬間を見たい。
その矛盾が、静かに膨らんでいく。
________________________________________
一方、土方の勧めで外へ出たアサムは、木陰にいた猫とじゃれ合っていた。元より動物と触れ合うのは好きだ。血の匂いから離れられる、束の間の休息だった。
(……そういえば何も言わずに来たな。あの子は元気だろうか)
あの子――幼い頃に世話をしていたオンネウ、オジロワシのことだ。今は立派な成鳥となり、狩りの際には上空から獲物の位置を知らせる頼もしい存在だった。
いまもコタンの空を飛んでいるのなら、それだけで安心できる。
鳥は自由だ。呼べば来るかもしれない――そんな淡い期待を抱かせるほどに。話を終えた尾形が歩み寄る。猫と遊ぶアサムを見て、わずかに口元を緩めた。
「ホント、年相応の見た目じゃないな」
改めて年齢を聞いてから見ても、鍛え抜かれた肉体も背丈も、どう見ても二十前後だ。十代半ばでここまで仕上がるのは異常に近い。
「そうですか? 何歳くらいだと思っていたんですか」
「……二十前後」
「実年齢がそれだったらよかったのにね」
猫を抱き上げながら、ぽつりと言う。
「早く大人になりたい」
「……? なぜだ」
「そうすれば、尾形さん達の役に立てるし。馬鹿にされずに済む」
(お前を馬鹿にできる奴がどこにいる)
血に塗れた世界で必死に生き抜こうとしている少年を、誰が笑える。
猫が小さく鳴き、頬にすり寄る。温もり。確かな命の感触。
「……冷え込んできた。中に入るぞ」
気づけば日が暮れていた。猫に別れを告げ、アサムは部屋へ戻る。
________________________________________
室内で、アサムは黙々と短刀を磨いていた。柄に刻まれた文字に尾形が目を留める。
「誰かからもらったのか?」
「殺した兄の物ですけど」
あまりに平然とした声だった。
「血の繋がった人は、もういない」
「……親もか」
問うた瞬間、尾形は自分の過去を思い出す。実母と父、異母弟を手にかけた男が、何を聞く資格があるのか。
「親の顔、知らないんですよ」
「……この前言っていた病弱な母は?」
「ああ、その人はアイヌです。私は生後間もなくコタンに捨てられていたんで」
なぜこんな生を与えられたのか。孤児でありながら、血縁を辿り、殺した。
「……どうやって見つけた」
「簡単ですよ。赤子の腕を炙った男女を知らないかって町中で聞けば、すぐに」
淡々と続ける。
「相当恨まれてたんでしょうね。だったらその場で殺せばいいのに、生かすとか笑える」
子は親を選べない。
年月を経て、受けた痛みをそのまま返した。
「実の兄を殺したと告げたら、なんて言ったと思います?」
尾形は黙る。
「この世の者全員に呪われ地獄に堕ちろ、だって」
刃を磨く音がやけに大きく響く。
「その時、すごく心が軽くなったんですよ」
呪われることを許された気がしたのだ。
「ああ、だったらこれからも罪を犯し続けて、世の中に呪い殺されてもいいなって」
愛された記憶はない。
愛を知ることなく死ぬのも当然の報いだと、そう思っている。
尾形は刻まれた文字を見る。
(……勇気、か)
いつかその意味を、アサム自身が知る日が来るのか。
「結果的に十人くらい殺しました」
血が僅かでも繋がっていると知れば、どこへでも追い、命を奪った。
「私は、“普通の生活”を知らない」
この刺青人皮争奪戦に参加した以上、もうコタンには戻れない。役目を果たし、目的を遂げる。それだけだ。
短刀を鞘に納め、尾形を見る。その瞬間、尾形は無言でアサムを抱き寄せ、横になった。
「?」
何も言わず、頭を撫でる。猫を抱いた時と同じ温もりに、アサムは身を預ける。
「……前に言いましたよね。こうじゃないと眠れないって」
初めて共に眠った夜のことだ。
「息遣いとか、鼓動とか、温もりがあるから。ひとりでも眠れますけど、人と行動するなら、こっちの方がいい」
「……そうか」
「嫌なら言ってください」
尾形は答えず、さらに引き寄せる。
「俺でいいなら、構わない」
その声音は穏やかだったが、腕に込められた力はわずかに強い。
――理解できるのは、自分だけだ。
――この世界で、お前を受け止められるのは自分だけだ。
そう思った瞬間、それは好意ではなくなる。
アサムが誰かを選ぶことを、尾形は許せるだろうか。
コタンへ戻ると言い出したら。
自分から離れようとしたら。
その想像だけで、胸の奥が冷える。
「……俺から離れるな」
低く、ほとんど命令のような声音。
アサムは気づかない。
それが優しさではなく、囲い込みであることに。
尾形の執着は、守ることから所有へと傾き始めていた。
離さないと決めた手は、やがて選択肢を奪う。
だがアサムは理解していない。
尾形の感情を「利用」と解釈し、先回りして心を閉ざす。
互いに似た傷を持ちながら、その傷を抱えたまま、互いを縛ろうとしている。
温もりの下で、静かに歪みが生まれていた。