そもそもの目的を考えればこうせざるを得ない。
果たしてそれは正論か、あるいは無理やりの理由づけか。
結果として貴方は薄暗い湯船の中にいそいそと隠れるように足先を入れる。
湯船の温度は少し熱め、しかしそれがひどく心地よい。
肩まで浸かれば貴方は思わず伸びた声をあげながら沈み込んだ。
「ぶふっ!? な、なんスか今の声!? きゃわわ!? 人間ちゃん今鳴いてたっスよね?」
まさに夢心地、しかし貴方はすぐ隣からする水音によって現実に引き戻される。
本来なら久方ぶりに温かい湯に身を預けながらくつろぐのであるが、今の貴方にそのような余裕はない。
「もう一回! もう一回その声出して欲しいっス」
貴方は固く目を瞑り、湯の中に身を深く沈め拒絶の姿勢を取った。
「そ、そんな~、今の声、疲れ切った時もう一回聞きたいっス、ヒーリングしたいっスよぉ~」
風呂は静かに入るものだと貴方は訴えたくなったが、それはできない、というよりは目を向けるどころか意識することすら、今の貴方にとっては非常にまずい。
「人間ちゃんってば~」
貴方の腕に彼女の手が触れる。
普段はもっと密着することすらあるというのに目を塞いだ貴方にはやけに艶めかしい想像を掻き立ててしまう。
つい、貴方は目を開く。
画像
貴方は裸、もちろん彼女も裸。
貴方は慌てて目を瞑る。
この極まった状況で貴方が出来ることと言えば目を瞑り湯に深く浸かることだけだ。
「なんで目を瞑っちゃうんスか~、せっかくの裸なんだから見せ合いっこするっス~」
湯の熱と頭の中の熱、貴方は上下に茹でられたような心地になる
しかしそれではすぐにでも茹だってしまい、自分の限界を迎えてしまうことを貴方は容易に理解してしまっていた。
――もしや自分は早まってしまったのであろうか――
そんな風に呟く貴方のすぐ横でコロコロと彼女は笑う。
「うーん……、ドキドキも大事だけど、人間ちゃんにリラックスしてもらうために予約したんス、なんならちょっと外で待つっスよ」
その言葉は彼女の善意による言葉であり、それが貴方を逆に吹っ切れさせた。
――人の裸をいちいち気にするのは温泉のマナー違反だろう――
貴方は顎まで浸かっていた湯船から胸上を出し、頭にタオルを載せるジャパニーズスタイルを繰り出した。
――気を遣わなくていい、このまま一緒にただ温泉を楽しむべきであろう――
温泉はなにより寛ぐべきであったことを思い出した貴方は湯船の中で大きく伸びる。
「そういえば人間ちゃんの世界って、一緒にお風呂に入って何をするんスか?」
――温泉とは別に何もしなくてよい――
「うーん……?」
貴方は素直に彼女の用意してくれた機会に感謝し、久方ぶりの温泉を楽しんだ。
それをみた彼女は貴方に倣い、途中から静かに湯船に静かに身を沈めている。
「なんか静かっスね……」
――静かなのは嫌いだろうか――
「いや……、なんか落ち着くっス」
同じ湯気、同じ熱、同じ静けさ。
「フフ……、人間ちゃんただでさえ無防備なのに、もうお湯にふやけてプニプニな魂が全部丸出しっスよ」
――人を公然わいせつのように言うのは止めるべきであろう――
言葉数は少なく、この時と場所を貴方は彼女と共有した。
「なんていうか分かってきたっス。湯気が互いの輪郭どころか心の境界まで溶かすようなこの感じ……、めちゃリラックスって感じっス」
貴方は曖昧な声をあげるがそれは同意の声であった。
――
「なんか溶け合ってるみたいっス……、淫魔基準だとだいぶ危ないっスよこれ……、これもうかなりセックス寄りじゃないっスか?」
――
貴方は曖昧な声をあげるがそれは否定の声であった。
「そうっスかね……? 同じ温度を感じて……、同じ拍子で息を吐いて……、同じ熱に体を預ける……、一緒に同じキモチいいを感じてるんスよ?」
その独特な視点は彼女が淫魔であるが故の視点にだと貴方は感じるが、それを否定する気持ちはさほど湧かなかった。
――そういう考えもあるのだろう――
ここが温泉だからであろうか、妙に素直な心地になる貴方。
その言葉を置いて貴方と彼女の間に沈黙が流れる。
しかしそれは心地の良い無言であった。
しばらくして、口を開いたのは彼女だった
「……何もしなくても許される、……なんて、いいんスかね」
ポツリと呟く彼女の声がやけに寂しく反響するのでつい、貴方は彼女の横顔を見た。
それは彼女の気のゆるみから出た一言だったのだろう、貴方が見ているのに気づくと彼女は少し気まずそうな表情を浮かべた。
「……なーんて、ちょっと仕事のことでブルーになったっスよ、いけないっスね、つい気が緩んで……」
――ここはそういうところで、自分しか隣にいないのだから構わないだろう――
「そうっすかね……」
――むしろ、そういった毒は吐いて楽になるのもいいだろう――
どこか軽い気持ちで彼女に話しかける貴方。
そんな貴方の気の抜けた顔を彼女はどこか安心したような顔でこちらを眺めていた。
「……人間ちゃんは絶対お家に帰るっスよ? 私……、がんばるっスから」
――今も十二分に貴女の献身に支えられている――
それを聞いた彼女は貴方をまるで大事な壊れ物を見るような目で見ながらゆったりと近づく。
その動きは緩慢なはずであるのに、貴方はその柔らかい表情を見て無警戒で受け入れてしまう。
貴方の肩にしだれかかる彼女を横にしても、不埒な考えは、湯気の向こうで形を失っていた。
「どうか、貴方の日々が穏やかでありますように……、なんてカッコつけすぎっスかね?」
祝詞と告げるように柔らかく微笑む彼女に貴方は――