貴方は淫魔の国へ渡る   作:ばばばばば

188 / 281
3-46 ボス戦1

 その時である。

 

 

 

 壁から轟音が鳴り響く。

 

 砕けるヒビと差し込む光。

 

 密室を暴くように、大穴が開いた。

 

 

「一人で十分だ、外を見張れ」

 

「はっ!」

 

 

 穴の外から会話が聞こえる。

 

 

「……解せんな」

 

 

 コツコツと響く硬質な足音が、この閉所に反響する。

 

 

「お前の目的は結局なんだ? ここまでのことを仕出かして一体何を望んだ?」

 

 

 彼女は半身をずらす。

 

 体を盾に隠すように握り込まれた手にはまだ、紅い宝石が握られていた。

 

 

「……さぁ、アンタの鼻を明かしてやりたいと思っただけかも知れないっス ――よッ!」

 

 

 彼女は握り込まれた拳を弱弱しく振り抜く。

 

 

 そこにはなぜか赤い宝石でなく、光を放たないこぶし大の鈍石が放られていた。

 

 

「愚かしい……」

 

 

 工場長にぶつかる様に投げられた礫は、避けるように軌道を変え、その後方に跳ねた。

 

 

「へっへへ……」

 

 

 彼女は膝から崩れ落ちて、地面へ倒れ込む。

 

 

「そんな程度の癇癪がお前のしたいことだったと?」

 

「さぁね……」

 

「理屈として知りたいだけで理解したいわけではない、――言え」

 

「分からないっスよ……、そんなことを言うアンタだけには……」

 

 

 貴方の前で行われる会話。

 

 理解できないだろうと言われた工場長は感情のない目で彼女を見た。

 

 

「分からないか……、一つお前に話をしてやろう。魔力のない淫魔の話だ」

 

「その魔力のない淫魔は必要とされなかった。誰からも蔑まれ、軽んじられ、価値や意味を求められなかった」

 

「そいつは、力で勝つことを最初に諦めた」

 

 工場長はゆっくりと歩く。

 

 砕けた壁の破片を踏みしめる音だけが、閉所に響いていた。

 

 

「知恵で立つ者には勝てない。力でねじ伏せる者にも勝てない。だから、そいつは数字を覚えた」

 

「誰が失敗し、誰が成功し、誰の成果が記録に残り、誰の責任が記録から消えるのか」

 

「魔力がないなら、魔力のある者を動かせばいい。才能がないなら、才能のある者を所有すればいい。傷を探し、脅し、屈服させ、支配する」

 

 

 彼の視線が、地に伏せた彼女へ落ちる。

 

 

「そうして私は、お前を見つけた」

 

「魔力は低い。立場も弱い。だが、ありえないほど使える部品をな」

 

「お前は私を上へ押し上げるための、実に都合のいい部品だった」

 

「――――だから分からん」

 

「お前は、その価値を私以外の何に使った?」

 

「出世でもない。保身でもない。復讐でもない」

 

「お前は一体何を欲した?」

 

 

 その言葉を聞いて彼女は咳き込むように笑った。

 

 

「……やっぱりアンタには、一生分からないっスよ ――ゲフッ……」

 

 

 工場長は彼女を足蹴にする。

 

 

「魅了で聞き出せば、その死に体では保たんだろう。だから、わざわざこうして聞いてやっている」

 

 

「嫌っスね」 

 

 

 彼女は、血の混じった息でそう笑った。

 

 

 工場長は、しばらく彼女を見下ろしていた。

 

 その目に怒りはない。

 

 

 苛立ちはある。

 

 だがそれ以上に、理解できない不具合を前にした時のような、冷えた観察だけがあった。

 

 

「……いや、待て」

 

 

 その声は小さかった。

 

 けれど、その一言で彼女の笑みがわずかに強張った。

 

 

「お前は工作魔法陣に執着していた」

 

 

 工場長はゆっくりと視線を動かす。

 

 

 砕けた壁。

 

 変質した床。

 

 半ば崩れた工作魔法陣。

 

 そして、地に伏せた彼女。

 

 

 

「監視を掻い潜り、私の承認を無視し、供給を断たれてなお、自分の魔力で陣を動かした」

 

「……」

 

「ならば、何かを作ったはずだ」

 

 

 貴方の心臓が、大きく跳ねる。

 

 

「どこへ隠した?」

 

 

 

 彼女は答えない。

 

 ただ、肩を震わせながら笑っている。

 

 

 

 その言葉で、貴方の意識が一つのものへと吸い寄せられた。

 

 

 

 紅い宝石。

 

 彼女が作り上げた、貴方のためのたった一つの道具。

 

 彼女が愛おしげに口づけを落としたもの。

 

 

 だが、彼女の手にはもうない。

 

 

 彼女が投げたのは、光を放たない鈍石だった。

 

 

 鈍石。

 

 ――違う――

 

 

 あれは、ただの石ではない。

 

 

 

「体内か。術式か、それとも壁か? ……いや、ここに立てこもった時点でどこかに隠したのか?」

 

 

 工場長はゆっくりとあたりを見回す。

 

 その視線は貴方を探していない。

 

 彼女の身体と、工作魔法陣と、変質した壁だけを見ている。

 

 

 

 

 工場長はまだ、貴方の存在に気づいていない。

 

 

 

 

 貴方は息を殺したまま、床へ目を向ける。

 

 工場長の背後。

 

 砕けた壁の破片に紛れて、こぶし大の鈍石が転がっている。

 

 

 光はない。

 

 美しさもない。

 

 何の変哲もない石にしか見えない。

 

 

 だが、貴方にはもう分かっていた。

 

 

 彼女は投げたのではない。

 

 渡したのだ。

 

 

 貴方は、床を這うように動いた。

 

 

 隠匿魔法に包まれた体は、未だ誰にも見えていない。

 

 けれど、貴方は息を止めて動いた。

 

 

 指先が、鈍石に触れた。

 

 

 冷たい。

 

 ざらついている。

 

 その表面は本当に、ただの石くれにしか思えない。

 

 

 

 けれどその奥に、かすかな熱があった。

 

 まるで、誰かの掌の温もりを閉じ込めたような、微かな熱。

 

 

 貴方はそれを握り込む。

 

 

「答えろ」

 

 

 工場長の声が落ちる。

 

 

「お前は何を作った?」

 

「いやぁ……、アンタは何を言っても満足しなさそうっスからね……」

 

 

 工場長の靴が、彼女の指先を踏んだ。

 

 

「ッ、ぐ……!」

 

 

 小さな音だった。

 

 だが、貴方の耳には骨の軋む音まで聞こえた気がした。

 

 

「どこへ隠した」

 

「……さぁ」

 

「言え」

 

「嫌っス」

 

 

 彼女の唇が歪む。

 

 笑おうとしているのだと分かった。

 

 

 

 

「そんなに知りたいなら……、()()()()()()()()()()()っスよ……」

 

「吐かなければ、お前の体をそうするつもりだ」

 

「ふふっ……、()()()()()()()()()()()っス、あとは、()()()()()()()()()かどうかだけっスよ……」

 

 

 その言葉を聞いて、工場長は空いた穴から外にいた淫魔に言葉を吐き捨てる。

 

 

「……今すぐ工場周囲の出入りを制限しろ」

 

「はっ!」

 

 

 工場長は、彼女の言葉を額面通り挑発として受け取ったらしい。

 

 だが、貴方の受けとったメッセージは違う。

 

 

 割って中身を見ろとは、おそらく紅い宝石の隠し場所を示している。

 

 役目は終わった。

 

 あとは、ちゃんとたどり着くかどうか。

 

 それはきっと、彼女を見捨てて逃げろという助言だった。

 

 

 そして、それを念話で直接伝えられないほど、彼女は弱っているということ。

 

 

 工場長は彼女の髪を掴み、無理やり顔を上げさせる。

 

 

 

「くだらん」

 

「ゲホッ……」

 

「いずれ見つかる。その間にお前の体を開けばいい」

 

 

 

 貴方の手の中で、鈍石は静かに熱を持っている。

 

 彼女が命を削って作ったもの。

 

 彼女が最後に貴方へ渡したもの。

 

 

 彼女の言う通り、このまま逃げれば、貴方は生き延びられるかもしれない。

 

 

 魔法の地図は手元にある。

 

 彼女が貴方のために用意した逃げ道もある。

 

 

 だが、彼女は目の前で踏みにじられている。

 

 

 彼女を救う力など、貴方にはない。

 

 あるのは、手の中の鈍石だけ。

 

 

 

 それは選択と呼べるのだろうか。

 

 

 貴方は――

 

 

 

彼女の意思に従い逃げる。

 

彼女を救える方法を探す。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。