床の中央に何重もの円と線で構成された巨大な魔法陣が刻まれた部屋。
それは床そのものに埋め込まれた回路であり、通路であり、加工台であり、巨大な機械の内側を上から見下ろしているようでもあった。
明るい場所で見るその光景は、いつもよりも工学的なものに貴方には感じられた。
(ようやく着いたっス)
工作室の中に入った瞬間、彼女の肩からわずかに力が抜けた。
「はーい、入室者確認」
だが、その安堵は一瞬だけだった。
壁際の死角からの声。
そこには汚れのない外套を着た淫魔が一人、記録板を抱えて立っていた。
「あっ、はい、今準備します」
何も知らずに歩いていく淫魔のその後ろに彼女はついていく。
(……あれが監視員っス)
彼女の歩調が僅かに変わる。
何気ないようでいて、まるで彼我の距離を確認するような足運び。
――陽動をするらしいが、どうするのだろうか――
(……一人相手ならどうにかなるっス)
「……じゃあ、手伝うっス、私はそっち側でやるんで」
「いやー、助かるよ」
「あれ? 二人でするんだ。 まぁいいや、じゃあ作業を開始していいですよー」
自然な流れで彼女は監視員の傍に近づく。
彼女は何かを仕掛ける気だと貴方は気づいた。
不意に彼女は膝の力を抜き、沈み込むと――
「はいはーい! 追加監視に入りまーす」
――部屋の扉が開かれ、もう一人の人影が工作室に現れた。
彼女の動きが止まる。
「あれ? なんで来たの? もう交代の時間だっけ?」
「いやいや、監視員は二人体制になるって工場長から聞いてたでしょー」
「あー、そういえば、でもあれ午後からじゃなかったっけ」
「そう思ってたんだけど、使用者の名前見たら友達の名前があってついきちゃった♡ それに上にもちょっと様子を見とけって言われてるし」
突然現れた監視員は意味ありげな目で彼女を見る。
(……二人目は聞いてないっスね、しかも相手が悪いっス……)
彼女の尾が固まったまま動かない。
どうやらこれは予想外の事態であると貴方は察してしまう。
「まぁ、人手が増えるならいいか、あぁごめんごめん、君らは気にしないで続けていいよ」
笑顔を浮かべて近づく淫魔にも貴方は見覚えがあった。
いつか工作室の不正利用を手伝ってもらった淫魔。
彼女が気を付けろと言っていた人物である。
「わたしもそっち行くー」
まるで仲の良い親友を見つけたかのようにスキップしながら彼女の後ろにつく淫魔。
「同じところで監視しても仕方ないでしょ、もう~」
「ちょっとお喋りぐらいイイじゃない?」
「ほどほどにね、私は向こうに行くから」
初めにいた淫魔が離れていき、彼女とその淫魔だけがその場に残された。
その淫魔は無言で魔法陣に向かって立つ彼女の背後から耳打ちをするように囁く。
「なんか面白いことしようとしてるんでしょ? ねっ、お願い? 私にだけこっそりおしえてよ~」
「面白味のない不正っスよ、現場の破損した部品をこっそり修理に来たんス」
落ち着いた口調で答える彼女に対して、淫魔はおかしそうに口元を弧に歪める。
「嘘はいけないな~、んふふ、なんか今さ工場長が面白い動きしてんだよねぇ~、ねぇアナタ、本当になにか知らない?」
「さぁ? とうとう日ごろの怠慢で更迭っスかね」
「キャハハ! そんなもったいないことしないでしょ!」
彼女の顔を覗き込むように首を回すその淫魔は、目を輝かせて見つめ続ける。
「前はつまんないと思ったけど、やっぱりホントは面白いでしょ貴女」
「他者を笑わせるのは苦手っスけど、よく笑われる質ではあるっスよ」
のらりくらりと言葉を躱す彼女を見て、初めからいた淫魔は不審げにこちらを見る。
「ちょっと~、仕事の邪魔しちゃダメでしょ」
「えー、もうちょっとだけだから~」
街中ではしゃぐ様な屈託のない笑顔を浮かべる淫魔を横目に彼女は魔法陣に手をつく。
「……じゃあ、仕事をするっス、外殻部品の構成確認から入るっスよ」
「あっ、うん……!」
無理やり会話を打ち切る様に作業を始める彼女。
貴方は少し距離を離れて彼女の顔を見る。
その表情はどこか強張っているように貴方は見えてしまう。
(……無理っス。今は引くっス、……これじゃ本命には届かないっス)
――想定外のことが起きたのだ。仕方がないだろう――
(そう……、そのはずっス……、この対応も一時的な対応ですからチャンスはきっとくるっス)
焦ったような彼女の声はまるで自分に言い聞かせているようにも貴方は感じた。
彼女は不用意なことはせずに作業を続ける。
無から有を生み出すその作業は極めて迅速、かつ正確に行われた。
貴方はそれをただ眺めることしかできない。
「おわったぁ~!」
「あれ? もう終わり? おー、ずいぶん効率よくやったねぇ、さすが設計部のエリートは違うねェ」
「んっ……!? ま、まぁいつもこれを期待されると困るというか……、き、きょうは手伝ってもらったしね!」
「そんなもん? じゃあ搬入はいつも通り、こっちで進めるからもういいよ」
「あっそれなんだけど直接現場に届けてもらえないかな」
「あぁ、それじゃあここに申請書いてね」
作業を終えた淫魔達は部屋の隅でまだ話し合っている。
しかし彼女はそんな会話の中、口数少なくそのまま部屋の扉へと歩いていく。
――もう行くのだろうか――
(……現場が心配っス、ちょっと急ぐっスよ)
急に早足で歩きだす彼女に遅れまいと、貴方はその後ろについていこうとするが、背後に足音が聞こえる。
「ちょっとー、もう行っちゃうの~?」
しかし彼女を間延びした声で呼び止める者がいた。
「現場開けてきてるっスから……」
彼女は振り返らずに短く言葉を返すと、足を止めずに歩き続けるが――
「そっか、そっか、まぁそうだよね、今さ、アナタの現場面白いことになってるかもだから急いだほうが良いかもだよ?」
「おもしろいこと……?」
――その言葉に、彼女の足が止まる。
「そう、急な監査が入ったの、しかも工場長直々に」
「……そうっスか」
「フフフ……、えー、リアクションうっす~、せっかくおしえてあげたのにさぁ……」
平坦な反応、しかしそれは動揺を押し殺した取り繕いだと気づいてしまう。
「けどさぁ~アンタそういうヘマは絶対しないでしょ? ねっ、ねっ、最後のお願い! 何やっちゃったのか教えて! お願いだよ~」
彼女は不意に足を止めて相手の淫魔を見据える。
(閉鎖空間、相手は魔法陣の内側……)
それは、誰かに向けた言葉ではなく、ただの確認事項のような思考だった。
貴方はそんな彼女の心の声を聞き猛烈な不安を抱く。
「おぉ?」
彼女は部屋の隅から隅へと、正確に視線を滑らせ、相手のいる始点へ動かす。
まるで機械が空間を把握するように、ここに在る全ての物体を見透かす程の凝視
「ンフフ……、いいね、いいね」
彼女の体に何か害意のようなモノは一切感じない。
しかし、それがやけに貴方の嫌な予感を強くする。
そう、それはまるで機械のように巨大で、無機質で、一切の情が失せたような――
――大丈夫だろうか?――
彼女はびくりと肩を揺らして、自身の行動に驚いたような表情を浮かべる。
「……忠告助かるっス、現実逃避でボーっとしてたっスよ、精々媚び売ってお情けを貰うとするっスよ」
彼女は一息で言い切ると、今度は振り返らずに部屋から出ようと歩き出した。
「えー、なんだよもー、結局はいつもみたいに煙に巻くの?」
その言葉に彼女はへらりとした笑いを返してその場を去る。
対峙した淫魔は、まだ何かを言っているようではあるがすでにその声は、扉を隔て遠い。
(助かったっスよ、人間ちゃん)
――先ほどは、何かしようとしてたのだろうか?――
貴方の控えめな質問に、彼女の調子はやはり軽い。
(いやっスね、もしかして私が実力行使しようとしてたとか人間ちゃんは考えてるんスか?)
貴方は気まずそうな顔で彼女から視線を外す。
ズバリ言えば、まさにそのことを貴方は危惧していたのだ。
――最初の監視員の陽動というのも実際はどうするつもりだったのだろうか――
(……まぁ、ちょっと魔力を使って魅了しちゃおうって腹ではあったっスけど、アレ相手は流石に無理っスよ)
それは実力行使と言わずして何と言っていいのか、貴方は迷った。
(ホントなら監視員を魅了して、あの子を適当に言いくるめて帰せばそれでよかったんすけどね、どうも予定が狂ったっス)
――たしか、監査とやらが入ると聞いたが大丈夫なのだろうか――
(あぁ、あの子は大げさに言ってたっスけど、そんなに心配はいらないっスよ、多分釘を刺しに来ただけっスよ、チョーおっかない人っス)
貴方を落ち着かせるように言い含める彼女
しかし貴方はどうにも嫌な予感がして仕方がなかった。
貴方はその不安を彼女に問いかけようとするが、それは阻まれた。
「ご、ごめん! ちょっと話し込んでて」
そんな貴方達に追いすがる人影。
「まさか監視が二人もいるなんて……」
「まぁ、仕方がないっスよ」
「で、でもそのせいで部品の修理が……」
彼女は貴方から既に視線を切り、手元にあった部品を回してニヤリと笑う。
彼女の手には複雑な光の反射を内部で繰り返し、虹色に輝く部品があった。
「あっ、いつの間に!?」
「魔法陣を拡大して部屋の中を領域に組み込んだっスよ」
「うへぇー、全然気づかなかった……、専門でもないのによくやるよ」
驚きの表情を浮かべる淫魔は、軽口のように彼女に語り掛ける。
「ほんともったいない、製造部に行けば? その腕なら引く手数多でしょ」
「あんな魔力お化けの巣窟でやっていける気がしねぇっスよ……、こっちの魔力のキャパの浅さは知ってるっスよね」
「うーん、精密作業ならいけそうなもんだけど……、確かにあそこ、新人はレーンで量産部品の製造だしたしかにキツイかぁ……」
「そうそう」
「あっ! そうだ! じゃあ設計部はどう! 魔力はあんまし使わないし! 設計もやれるじゃん!」
「そりゃそうっスけど、資格取得の段階で魔力の低い淫魔は弾かれるじゃないっスか」
「くっ……、幼年期で職業を振り分けられる淫魔社会の弊害がっ……!」
和やかな会話をしているが、彼女の足の動きは早い。
「うー……、ウチに来てくれたら絶対よくするのに……!」
「気持ちだけ受け取っとくっスよ、……じゃあ現場もかなり空けちゃったんで戻らせてもらうっス」
「あっ、ごめん、忙しいよね」
「また何かあったらよろしくっス」
(じゃあ人間ちゃん、早くこっちにくるっス)
彼女の体に摑まる貴方、彼女はそれを確認すると、すぐさま加速してきた道を引き返す。
それは、何でもないと言ったにしては、あまりにも早い速度。
貴方は――