あらかじめ日記を手に入れたいから未来デパートの商品転売してるけど、魔王って呼ばれてるっぽい 作:評価を…評価をクレメンス
黒瀬薫は、自分の人生に絶望しているわけではなかったが、ひどく退屈はしていた。毎朝、満員電車に詰め込まれて出社し、上司にはペコペコ頭を下げる。帰宅後はAmazonを眺めながら、次の給料日を指折り数える日々だ。20代の貴重な時間を切り売りしているというのに一向に貯金は増えず、欲しいゲームやフィギュア、限定アイテムをカートに入れてはため息とともに削除する、そんな虚しいルーティンを繰り返していた。
その夜も、黒瀬はベッドに寝転がってAmazonを巡回していた。買うあてのない高級家電をウィッシュリストに放り込んでいると、ふいに通知欄へ一通のメールが届く。件名からして、いかにも胡散臭かった。
『未来デパートへようこそ! 今なら初回購入者限定、ひみつ道具一品を特別価格でご提供!』
黒瀬は三秒ほど画面を見つめ、鼻で笑った。天下のドラえもんを騙るスパムとは、ずいぶん舐めた詐欺もあったものだ。とはいえ暇を持て余していたため、冷やかし半分でリンクを踏んでみる。すると、AmazonのUIを丸パクリしたような画面に、見覚えのある道具がずらりと並んでいた。タケコプター、ほんやくコンニャク、どこでもドア、もしもボックス。無駄に詳細な商品説明に加え、レビュー欄には「西暦2117年版より耐久性が落ちた」「子供が並行世界から戻ってこない」などと、やけに手の込んだ悪ふざけが並んでいる。
初回限定価格、980円。その値札が貼られていたのは「もしもボックス」だった。黒瀬は半ば呆れながらも注文画面へ進み、クレジットカード情報の入力で少し躊躇したものの、ご丁寧にAmazon Payまで使えるらしい。どうせ980円の遊びだ、妙な請求が来たらカード会社に連絡すればいい。そんな軽いノリで購入ボタンをタップした、まさにその直後。玄関のインターホンが鳴り響いた。
早すぎる。注文完了から三秒も経っていない。警戒しつつドアを開けると、そこには配達員の姿はなく、巨大な段ボール箱だけがポツンと置かれていた。周囲の廊下を見渡してから、黒瀬は箱を部屋へ引きずり込み、カッターでガムテープを裂く。中から現れたのは、どう見てもあの「電話ボックス」だった。
ここまで大掛かりなセットを用意されれば、試してみたくなるのが人情だ。黒瀬は受話器を握り、最初は「もしも一億円持っていたら」と言いかけてやめた。もしこれが本物だった場合、金絡みの願いは出どころの証明やらで面倒なことになりそうだ。ならば、もっとファンタジー寄りで、現実では絶対にあり得ないことを願えばいい。
「もしも、自分が人類最強の身体能力を持った、黒髪の爆乳美女だったら」
言い切った瞬間、世界が揺れるようなエフェクトも、謎の光に包まれるような演出もなかった。だが、受話器を置いた黒瀬は、自分の手が明らかに小さく、そして白くなっていることに気づく。視界の端には長い黒髪が揺れ、胸元には見覚えのない圧倒的なふくらみが鎮座していた。慌てて洗面所へ駆け込むと、鏡の中には息を呑むほど整った顔立ちの美女が、こちらを見つめ返している。黒瀬が口を開くと、鏡の女も同じように唇を動かした。
「……は?」
声まで完全に女のそれになっていた。適当にオーダーしたはずなのに、無駄に完成度が高い。腰まで届く艶やかな黒髪、透き通るような白い肌、長い手足にくびれたウエスト、それでいて胸だけは暴力的に大きい。黒瀬はしばらく自分の顔を触っていたが、ふと片手で洗面台を持ち上げてしまい、さすがに笑えなくなった。
試しに夜の河川敷へ出て走ってみると、ペダルを全力で漕ぐ自転車をあっさり追い抜いた。助走なしで跳躍すれば数メートル先の地面へ着地し、百円玉を指先でひしゃげさせても全く痛まない。おまけに、はるか遠くの看板の文字まで裸眼でくっきりと読めた。「人類最強」というガバガバな注文を、このボックスは律儀に限界突破のスペックで叶えてくれたらしい。
部屋に引き返すなり、黒瀬はすぐさま未来デパートのサイトを開いた。ついさっきまで胡散臭いスパムだった画面が、今や宝の山にしか見えない。3万円、5万円、12万円。未来の世界ではただの日用品なのか、拍子抜けするほど安い価格設定の道具も多かった。彼女は押し入れの奥から積みゲーを引っ張り出し、未開封のフィギュア、限定版のBlu-ray、レアカードからプラモデルまで、片っ端から写真に撮ってフリマアプリへ出品した。
数年がかりで集めた趣味のコレクションは、一週間足らずで綺麗さっぱり現金に変わった。惜しくないと言えば嘘になるが、その金で買える代物が桁違いすぎる。ほんやくコンニャク、暗記パン、着せかえカメラ、空気砲、四次元ポケットの廉価版。どこでもドアだけは少々値が張ったが、それでも車を買うよりはるかに安かった。黒瀬は給料と売上金を全額突っ込み、買える限りの道具を買い漁った。
やがて彼女は、買った道具をいちいち取り出して使うことすら億劫になった。未来デパートには、ひみつ道具の修理パーツや人体への埋め込み用ユニットまでごく普通に売られており、マニュアル通りに処置すれば自分自身の体に統合できるのだ。黒瀬は翻訳機能を喉へ、記憶補助チップを脳へ、収納スペースを体内空間へとインストールし、移動系のガジェットも自分仕様に調整した。見た目は美しい人間のままだが、中身は完全に22世紀のガラクタ置き場と化している。
それでも不具合は一切起きなかった。むしろ快適すぎた。あらゆる言語を自動で理解し、怪我をしても瞬時に再生、疲労すら感じない。世界中のどこへでも一瞬で移動でき、必要とあらば顔も体格も自在に変えられる。荷物は見えない亜空間に放り込み、いざとなれば普通の人間など指一本で制圧できる。黒瀬はソファに深く腰を沈め、長い黒髪を指先で弄びながら、自分の身体を見下ろした。
「……大抵のことは出来るわね。何これ、神様みたいじゃない」
ふいにこぼれたその呟きが、妙にしっくりきた。かつての自分なら「神様みてえだな」とでも軽口を叩いたはずだが、今の姿にはこの女言葉の方が馴染む。何より、出来ることが爆発的に増えすぎたせいで、世間に対して遠慮する理由が少しずつ摩耗していた。会社に籍は残っているものの、毎朝満員電車に揺られ、理不尽な上司に頭を下げる生活など、もはや滑稽にしか思えない。
だが、未来デパートのラインナップには、さらにその上が存在した。どれだけ画面をスクロールしても値段の桁がおかしい商品があり、その頂点近くに鎮座しているのが「あらかじめ日記」だ。そこに書いた未来が必ず現実になるという、もしもボックス以上にタチの悪い、因果律そのものを私物化するような反則アイテムだった。
黒瀬は価格欄のゼロの数を数えようとして、途中で投げ出した。テキストをコピーし、検索エンジンに貼り付ける。表示された単位を見て、彼女は思わず黙り込んだ。
「無量大数円?」
冗談ではないらしい。未来デパートは堂々とそのイカれた金額を提示している。試しにもしもボックスを使って「私が無量大数円を持っている世界」へ改変しようとしたが、決済残高には1円も反映されなかった。どうやら未来デパートのシステムは、世界改変や時間操作、アイテムの複製、価値の操作といった行為をすべて検知し、不正取得資産としてブロックする仕様らしい。商売に関してだけは、やけにガードが堅い。
黒瀬は頬杖をつき、商品一覧から、床に転がっているガラクタへと視線を移した。金が欲しいなら、作ればいい。理屈は単純だが、真面目に働いてどうにかなる額ではない。そこで目に留まったのが、試しに買ってみたものの性能が微妙で、すでにお役御免となった十数個のひみつ道具だった。
未来の基準では型落ちの安物で、下手すれば子供騙しのおもちゃに過ぎない。だが、ここは21世紀だ。海水から飲料水を精製する装置、空間を圧縮して大量の物資を収納する箱、壊れた物体を分子レベルで復元する修復機。今の黒瀬にはゴミ同然だが、喉から手が出るほど欲しがる人間は腐るほどいる。
「そうね。私がいらない物を、欲しい奴に高く売りつければいいだけじゃない」
彼女は足を組み、未来デパートの購入履歴と、床のガラクタを交互に見つめた。最初の取引相手として、そこらの個人はスケールが小さすぎる。企業相手でもいいが、技術を理解させる手間がかかるし、下手に裏をかかれて強奪でも企てられたら面倒だ。だったら最初から、一番金を持っていて、一番こういうオーバーテクノロジーを欲しがり、一番派手に大騒ぎしてくれそうな組織に持ち込めばいい。
「まずは日本政府ね。いくら出せるか、聞いてあげる」
しがない社畜だった黒瀬が、国家を相手取る世紀の転売屋として暗躍を始めるまで、あと数日だった。