あらかじめ日記を手に入れたいから未来デパートの商品転売してるけど、魔王って呼ばれてるっぽい   作:ゲケエベレッケ

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名刀電光丸

日本の中心、総理大臣官邸の奥深く。分厚い防弾ガラスと堅牢な壁に守られた執務室で、時の総理大臣は深夜まで書類の山と格闘していた。部屋の隅には、最高レベルの訓練を受けた数名のSPが彫像のように控えている。

 

静寂に包まれた絶対の安全地帯。その前提が崩れ去ったのは、唐突だった。

 

「――あ、やっべ。座標の入力ミスった」

 

壁の中から、場違いなほど軽薄で、若い女の声が響いた。

SPたちが弾かれたように壁へ銃口を向ける。総理も何事かと目を見開いた。声はスピーカーからではない。間違いなく、物理的な隙間など一切ない『壁のコンクリートの内部』から聞こえていた。

 

「まあいいか。ちょっとめんどくさいけど」

 

本来なら肉体が壁と融合して即死するような、ゲームのバグさながらの致命的なエラー状態。彼女の強靭すぎる肉体と能力からすれば、力任せに壁を粉砕して抜け出すことも、再び空間を繋ぎ直して転移し直すことも造作もなかった。

だが、彼女が選んだのはもっとも「手っ取り早く、かつハッタリの効く」方法だった。

 

声の直後、分厚いコンクリートの壁に、音もなく無数の幾何学的な線が走った。

次の瞬間、壁全体がサイコロステーキのように細切れになり、パラパラと砂上の楼閣のごとく崩れ落ちた。空間の次元そのものを対象とした、どこでもドアの機能の応用による不可視の斬撃。

 

もうもうと舞う粉塵の中から、場違いな足音が響く。

現れたのは、艶やかな黒髪を揺らす、豊満な胸と完璧なプロポーションを持った絶世の美女だった。

 

だが、部屋にいた誰一人として、その美貌に目を奪われる余裕などなかった。

彼女が足を踏み入れた瞬間、執務室の空気が凍りついた。いや、大気が彼女の存在という圧倒的な質量に押し潰され、悲鳴を上げているようだった。

 

生物としての格が違う、という生易しいものではない。

そこに立っているのは、歩く終末そのものだった。彼女がもしその気になり、しなやかな指先でパチンと音を鳴らせば、それだけでこの国が、いや、世界そのものが明日を迎えずに消滅する。そんな理不尽で絶対的な暴力の気配が、呼吸すら許さないほどの圧力となって空間を支配していた。

 

「あ、あ……」

 

百戦錬磨のSPたちは、銃を構えた姿勢のまま白目を剥いて泡を吹き、次々と床に崩れ落ちた。本能の奥底が恐怖で焼き切れ、精神がシャットダウンしたのだ。

ただ一人、かろうじて意識を保っていた総理大臣は、椅子に縫い付けられたように動けず、ガチガチと歯の根を鳴らしていた。高級なスラックスの股間には、生温かい染みが急速に広がっていく。失禁していることへの恥辱すら、今の彼には微塵も感じられなかった。ただ、目の前の理不尽な死の具現に怯え、息をすることしかできない。

 

「ごきげんよう、総理大臣。深夜の残業お疲れ様」

 

絶望的な沈黙の中、黒髪の美女は朗らかな、しかし酷く冷たい笑みを浮かべて口を開いた。

 

「安心しなよ、命を獲りに来たわけじゃない。ただ、ちょっと『取引』がしたくてね」

 

彼女は怯え切った総理のデスクまで歩み寄ると、無造作に一つの物体を放り投げた。

ガチャン、と重たい音を立てて書類の山の上に転がったのは、漆黒の鞘に収められた一振りの日本刀だった。

 

「とりあえず、それは名刺代わりの試供品だ。さっき、そこの壁を刻むのに使った代物でね」

 

実際にはどこでもドアの空間転移を複数の願望器系ひみつ道具で補助した世界を断つ斬撃だがそんなのに突っ込む度胸のある人間はいなかった

 

その中身は、未来デパートの安売りセールで買い叩いたジャンク品、『名刀電光丸』。レーダーと自動制御機能を備え、所持者が目を瞑っていても相手を自動で斬り伏せるチート武器だ。玩具のような元のデザインのままでは舐められると判断し、彼女の能力で外装だけを厳めしい日本刀の姿に偽装し、システムを定着させてある。

 

彼女自身にとっては、自分の空間斬撃のほうが遥かに早くて強いため全く不要なガラクタだが、現代の地球の軍事力からすれば、たった一振りで戦局をひっくり返せるほどのオーバーテクノロジーの結晶だった。

 

「詳しい話は、また今度ゆっくりしよう。それまでに、そのオモチャの性能でも確かめて、うちの商品の価値をよく理解しておいてくれ」

 

恐怖に凍りつく総理にそれだけ言い残すと、彼女は退屈そうに背を向けた。

何もない空中に手をかざすと、空間がガラスのようにひび割れ、彼女の自室へと繋がるゲートが開く。

 

「じゃ、また来るから」

 

ヒールを鳴らし、世界を滅ぼせる怪物はあっさりと次元の裂け目へと消えていった。

残されたのは、崩壊した壁の残骸と、小便の匂い、そしてデスクの上に鎮座する異次元の兵器だけだった。富士の裾野、地図には存在しない自衛隊の地下極秘実験施設。

徹底した情報隠蔽の下、そこに集められたのは私を含めたごく少数の政府高官と、防衛省のトップ、そして選りすぐりの研究班のみだった。

 

■■■■

 

朝日に照らされる東京の街並みは、ひどく美しかった。

空気を肺いっぱいに吸い込み、吐き出す。ただそれだけのことが、涙が出るほど楽しかった。生きているのは素晴らしい。世界は美しい。私は、この世界に生きるすべての人々を心の底から愛している。

極限の恐怖を味わったことで、私の脳はどこか致命的にイカれてしまったのかもしれない。だが、そうでも思わなければ、自らの足で立っていることすらできなかった。

 

一体、マジでなんなんだ、彼女は。

 

艶やかな黒髪、目を奪われるほどの美貌とプロポーション。だが、そんなものは表層の薄っぺらい皮でしかない。

あれは、世界の終わりそのものだった。歩く終末だった。息をする『死』そのものだった。彼女が少し機嫌を損ねていれば、あのしなやかな指先がパチンと鳴っていれば、私はおろか、この国も、地球という星すらも、宇宙の塵になっていたと確信できる。理屈ではない、生物としての絶対的な格付けを魂の根源に直接刻み込まれたのだ。

 

「……総理」

「……ああ」

 

意識を取り戻した屈強なSPたちと、私はただ抱き合って泣いた。国を守る最強の盾であるはずの彼らが、恐怖の余韻に子供のように声を上げて嗚咽し、私もまた、濡れたズボンの冷たさすら忘れて共に泣き崩れた。恥も外聞もない。あれの前に立って、今こうして呼吸をしているだけで、私たちは十分に狂気的なまでの幸運に恵まれていたのだ。

 

互いの生存を確かめ合った後、私は直ちに彼らへ最高レベルの箝口令を敷いた。

壁の崩壊はテロリストの爆破未遂とでも偽装する。絶対に、あの存在を公にしてはならない。

もし『あれ』が気まぐれにこの地球を歩き回っていると世間に知れ渡れば、それだけで人類は恐怖に発狂し、世界は絶望から自壊するだろう。私たちが世界を滅ぼさないためにできる唯一のことは、沈黙することだけだった。

 

そして、執務室のデスクに残された一振りの日本刀。

彼女が名刺代わりだと言って置いていった、得体の知れない試供品。

防護服に身を包んだ特殊部隊と研究員たちを極秘裏に呼び出し、回収と検証の指示を出す。

 

「総理、危険です。むやみに検証を行うのは……何らかの罠や、未知のウイルスが仕込まれている可能性が――」

 

事態を把握しきれていない側近の一人が青ざめた顔で制止するが、私は心底からの呆れと共に首を振った。

 

「罠だと? 未知のウイルスだと?」

 

乾いた笑いが漏れる。

 

「そんな回りくどいもの、あの次元の化け物が必要とするわけがないだろう。彼女は壁を空間ごと切り刻んで現れ、虚空に穴を開けて消えたんだ。私たちを殺すのに、罠などというチャチな小細工は要らない。ただ瞬きをするように、世界を滅ぼせるんだから」

 

そうだ、彼女にとって我々は、アリの巣を眺める人間以下の存在でしかない。

だからこそ、私たちは彼女の機嫌を損ねてはならない。言われた通りに、この武器の性能を全力で検証し、彼女の言う『取引』のテーブルにつく準備をしなければならないのだ。世界を存続させるために。

 

私は震える手でタバコに火をつけ、漆黒の鞘に収められたその刀が、厳重な保管ケースに収められていく様をただ静かに見つめていた。

 

■■■■

 

私の手には、あの夜、彼女が置いていった漆黒の鞘の日本刀が握られている。

防弾ガラスの向こう側から、アサルトライフルを構えた隊員が私へ向けて引き金を引いた。

 

カンッ、カンッ、カンッ!

 

火花が散る。恐怖を感じる暇すら無かった。

私の意志など全く関係なく、腕が、いや、刀そのものが勝手に動き、飛来する5.56ミリ小銃弾を的確に、かつ完璧に弾き落としていたのだ。戦闘の素人であり、初老の域に達したこの私の身体で、である。

 

「……信じられん」

 

防衛省の幹部が息を呑む音が、マイク越しに響いた。

だが、悪夢のような検証はこれで終わりではなかった。

 

次は遠隔操作による爆弾の起爆実験だ。

私の数メートル先に設置された爆薬が火を噴いた瞬間、刀は再び独りでに跳ね上がった。

刃が虚空を薙ぐ。すると、爆発の炎と衝撃波が、まるで見えない壁に押し潰されたかのように、空間ごと縦に真っ二つに切り裂かれたのだ。熱風すら私の肌には届かない。爆発という事象そのものを、この刀は斬り伏せ、殺したのだ。

 

その後も、閃光手榴弾や催涙ガスなど、視覚や聴覚を奪う絡め手の兵器が次々と投擲されたが、結果は同じだった。発動するより早く、刀が不可視の斬撃を飛ばし、空中で機能ごとスクラップに変えてしまう。

 

ただ、何度か実験を繰り返すうちに、素人の私にもなんとなくこの異常な武器の制限が直感として理解できた。

あくまでこれは、飛来する脅威を迎撃・切断する局地的な防衛システムだ。バンカーバスターのような地中深くを破壊する規格外の質量兵器や、広範囲の酸素を奪い焼き尽くす気化爆弾といった、逃げ場のない戦術級の面制圧兵器の直撃を受ければ、おそらく全ては防ぎきれずに死ぬ。

 

だが、裏を返せばそれだけだ。

戦術級兵器でも持ち出さない限り、この刀を持つ者を殺すことは不可能。言い換えれば、これを装備した兵士一人が、単独で戦術級兵器そのものと化すということだ。

 

実験終了後、施設内の最高機密会議室は重苦しい沈黙に包まれていた。

 

「……総理。これは、現代の兵器体系を根底から覆す異常な代物です。もし他国に渡れば、あるいは量産でもされれば、国家のパワーバランスなど容易く崩壊します」

 

制服組のトップが、顔面を蒼白にしながら絞り出すように言った。

そんなことは分かっている。分かっているが、彼らは分かっていないのだ。

 

「これをどうにかして解析し、量産して我が国の防衛に役立てる……とでも言いたいのか?」

 

私は胃の腑から込み上げる嘔吐感を必死に飲み込み、テーブルの中央に厳重に安置された試供品を見つめた。

 

「いいか、これはあの化け物が、我々に対する単なる取引のサンプルとして置いていったただのオモチャだ。彼女はこれを、まるでその辺の石ころでも投げるように無造作に放り投げたんだぞ」

 

空気が一段と冷え込んだ。

 

あの終末の具現、死の化身。彼女がもし、本気で我々と取引をするつもりなら、我々に拒否権など最初から存在しない。罠などという生ぬるいものでもない。

 

「彼女が再び現れた時、我々が取るべき行動は一つしかない。この国の予算をどれだけ切り崩してでも、彼女が提示する要求を呑み、絶対に機嫌を損ねないことだ。あれは、人類が小細工を弄してどうにかなる次元の存在ではないのだから」

 

私の声は、ひどく掠れていたかもしれない。だが、あの夜を共にしたSPたちだけは、深く、絶望的な面持ちで無言のまま頷いていた。

 

地下の極秘実験施設から場所を移し、さらに深い、核シェルターを兼ねた官邸地下の非常時対策室。

 

 円卓を囲むのは、私を含む数名の閣僚と、防衛・公安の最高責任者たちのみ。分厚いコンクリートの壁に囲まれた空間は、あの『電光丸』の検証報告書を前にして、文字通り凍りついていた。

 

「……以上が、試供品『電光丸』の性能評価と、それがもたらす戦略的影響の予測レポートです」

 

防衛省の分析官が、血の気のない顔で報告を終えた。

静寂が降りる。誰も口を開こうとしない。いや、開けないのだ。提示された未来図が、あまりにも絶望的すぎた。

 

「つまり……」

 

沈黙を破ったのは、外務大臣だった。彼の声は微かに震えている。

 

「このオモチャ一つで、世界のパワーバランスが根底から覆る、と?」

 

「オモチャ、という表現は不適切かと存じます」

 

分析官が冷徹に訂正した。

 

「これは、一個人の歩兵を、小火器を完全に無効化する『無敵の戦術ユニット』へと変貌させます。単なる局地戦の優位ではありません。我々が最も危惧すべきは、国家元首や軍司令官を狙う『斬首作戦』において、これが絶対的な威力を発揮するという点です」

 

スクリーンに、自動で銃弾を弾き、爆発を切り裂く電光丸の映像が繰り返し流されている。

 

「現代軍事理論には、『戦略的伍長』という概念があります。一人の下士官の戦術的判断が、情報化社会において国家の戦略的結果を左右するというものです。本兵装は、この概念を極限まで、それこそ暴力的なまでに押し上げます」

 

分析官は手元の資料を叩いた。

 

「もし、核兵器を持たない小国や、あるいはテロリスト集団がこの兵装を手にしたとします。彼らは、たった一人の工作員を敵国の中枢に送り込むだけで、大国の国家元首を確実に暗殺できる。これはもはや、非核の戦略兵器と同等の抑止力であり、強制力です」

 

「……安全保障のジレンマ、か」

 

防衛大臣が苦虫を噛み潰したような顔で呟いた。

 

「その通りです。たった一人の剣士の接近を恐れるあまり、各国は過剰な防衛体制を敷かざるを得なくなる。相互不信と、終わりのない対抗技術――新型の範囲攻撃兵器や電子戦技術の軍拡競争が引き起こされるでしょう」

 

「待ってくれ」

 

公安委員長が声を荒げた。

 

「銃弾をすべて弾き落とす暗殺者など、防ぎようがないじゃないか! 屋外での演説やパレード、群衆との直接的な対話など、暗殺のリスクが高すぎて事実上不可能になる!」

 

「ええ。結果として、世界の指導者たちはどうなるか。気化爆弾やバンカーバスターの直撃にすら耐えうる、地下深くの強固なバンカーに常駐するしかなくなります。公務や外交はすべてバーチャル空間や遠隔通信を介して行われるようになる」

 

分析官の言葉に、私は思わず自らが今いる地下室の壁を見回した。

我々はすでに、その未来の入り口に立っているのだ。

 

「指導者が民衆から物理的に隔離されれば、政治の透明性は低下し、独裁化が助長され、社会の分断は加速します。……さらに恐ろしいのは、これが国内の治安維持に及ぼす影響です」

 

スクリーンが切り替わり、人口過密な東京の市街地の地図が映し出された。

 

「もし、本兵装を持つ工作員が都市部に潜伏した場合、警察のSWAT部隊はおろか、自衛隊の小火器でも制圧は不可能です。では、どうするか? 治安当局は最終手段として、『気化爆弾などの大質量・広範囲兵器を市街地で起爆する』という決断を迫られます」

 

「馬鹿な!」

 

誰かが叫んだ。

 

「たった一人の暗殺者を排除するために、周囲の市民や街区ごと焼き払うというのか!」

 

「それしか方法がないのです。治安維持のために重武装化と過剰火力が正当化されれば、都市におけるコラテラル・ダメージは桁違いに跳ね上がります。市民の生活空間は、常に重火器による破壊の脅威に晒されることになる」

 

絶望的な沈黙が再び落ちた。

銃器という近代以降のセキュリティの根幹が無効化される。その結果、人類は小火器による精密な治安維持を放棄し、周囲一帯を巻き込む無差別な範囲攻撃に依存せざるを得なくなる。

 

「さらに」と、分析官がトドメを刺すように言った。

 

「この兵装が、どのような技術で構成されているのか全くの未知数です。もし他国がこの技術の存在を知れば、その独占やリバースエンジニアリングを巡る、熾烈な諜報戦と覇権争いが勃発します。製造技術や対抗策を握った国家が、新たな地政学的優位を確立する。それに伴う紛争を、果たして防げるでしょうか?」

 

分析官は深く息を吐き、報告を締めくくった。

 

「総理。この『電光丸』は、単なる白兵戦用の武器を超えています。たった一人で国家の指揮系統を確実に崩壊させ得る兵器です。本兵装の存在は、銃火器の歴史を終わらせるだけでなく、人間社会の政治的コミュニケーションのあり方や、安全保障の概念そのものを非可逆的に変容させてしまいます」

 

報告が終わり、ただプロジェクターのファンの音だけが虚しく響いていた。

たった一本の刀が、世界のシステムを終わらせようとしている。

 

「……そして、忘れてはならない」

 

私は、カラカラに乾いた喉から声を絞り出した。

全員の視線が、私に集まる。

 

「これがもたらすディストピア的な未来予測は、あくまで『この刀の技術が世に出回った場合』の話だ。だが、我々が真に恐れるべきは、この刀ではない」

 

私は、あの夜、壁を切り裂いて現れた黒髪の美女の姿を脳裏に蘇らせた。

息をするように世界を滅ぼせる、あの理不尽の化身。

 

「彼女は、この世界を崩壊させる兵器を『試供品』と呼び、名刺代わりに置いていった。……彼女自身が、その気になれば指先一つで我々を、いや地球ごと滅ぼせるほどの力を持っているにも関わらず、だ」

 

私はテーブルの上に組んだ手を強く握り締めた。

 

「彼女が求めているのは『取引』だ。我々は、あの歩く終末の機嫌を損ねることなく、彼女の要求を呑まなければならない。世界のパワーバランスなどというチャチな問題ではない。これは、人類という種が明日も存続できるかどうかの瀬戸際なのだ」

 

地下の冷たい空気が、さらに温度を下げたように感じられた。

 

直後

 

ガタン

 

官邸地下の非常時対策室。その分厚い鋼鉄の扉が、無遠慮な作動音と共に開かれた。

 

入ってきた大柄な白人男性を見て、室内の空気が文字通り凍りついた。防衛省のトップが息を呑む音が聞こえる。

 

「やあ、遅れてすまないね。深刻な会議の真っ最中だったかな?」

 

合衆国大統領。SPも、側近の姿すら一人もない。単身での、常軌を逸した極秘訪問だった。

 

「……大統領。なぜ、あなたがここに」

 

私が呻くように問うと、彼は肩をすくめて円卓に近づき、厳重に保管された『電光丸』をガラス越しに見下ろした。

 

「我が国の情報網を甘く見ないでいただきたい。富士の地下での君たちの実験映像は、昨日の夜には私の手元の端末に届いていたよ」

 

スパイか。いや、もはやそんなことを責める気すら起きなかった。

 

彼は決して悪い男ではない。親日家であり、日本の文化もこの国の人々も愛してくれている。だが、それ以上に『アメリカ合衆国』を深く愛している。自国の国益が絡めば、昨日までの友人に平然と銃口を向ける冷徹さを併せ持つ、絶対に背中を見せてはいけない相手だ。

 

「……護衛もなしに、よく我が国の中枢へ来られましたね」

「護衛など無意味だろう」

 

大統領は鼻で笑った。

 

「もし君たちがその気なら、私がこの部屋に入る前に、私の首は胴体から離れて床を転がっているはずだ。この兵器がそういう次元の代物であることは、映像を見れば嫌でも理解できる」

 

大統領は空いていた椅子を引き、ため息をつくように深く腰を下ろした。普段のメディア向けの力強い態度は鳴りを潜め、そこにあったのは、途方もない現実に直面し疲労しきった一人の老人の顔だった。

 

「……なあ、総理。ヤバくないか、これ」

 

大統領の口から漏れたのは、世界のトップらしからぬ、あまりにも率直な本音だった。

 

「ええ。世界を終わらせかねないほどに」

「最悪、この刀一本なら我々で破壊すればいい。ドロドロに溶かすか、マリアナ海溝の底にでも沈めれば、この技術を巡る軍拡や覇権争いによる世界の崩壊は、一旦は防げる。だが……」

 

大統領は顔を上げ、私と視線を合わせた。互いの目の中に、同じ色を見た。

国家を背負う者としての、純粋な『恐怖』だ。

 

「問題は、こんなふざけた代物を、試供品だと言って息をするように置いていった存在だ」

 

私も、彼も、この世界を愛している。綺麗事だけではない、泥水もすするような政治の世界にいながらも、ギリギリの均衡で保たれたこの世界の安定を、秩序を、平和を、本気で守りたいと願っている。

 

だが、彼女は違う。

世界の安定やパワーバランスなどという概念すら、彼女にとってはただの紙切れ以下だ。こんな因果律を歪めるような代物を、ただのオモチャのように持ち込み、世界のルールを根本から蹂躙していく化け物。

 

「彼女は、取引のためにまた来ると言ったのですね」

「ええ。我々に拒否権はありません」

 

大統領は組んだ両手に額を押し当て、重々しく口を開いた。

 

「我々は、人類史上最悪の存在と向き合わねばならない。テロリストでも、敵対国家でもない。ただの気まぐれで、この世界の前提を無自覚に破壊する災厄そのものだ」

 

彼はゆっくりと顔を上げ、静かに告げた。

 

「以後、我々合衆国と日本政府は、この未知の脅威に関する情報を完全共有し、共同で事態にあたる。対象の呼称は……そうだな」

 

大統領の青い瞳が、暗い光を帯びた。

 

「『魔王(アークエネミー)』。我々の愛する世界を根底から崩壊させる、絶対的な敵だ」

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