あらかじめ日記を手に入れたいから未来デパートの商品転売してるけど、魔王って呼ばれてるっぽい 作:評価を…評価をクレメンス
黒瀬は、次の一手に少し迷った。タイムふろしきの次に、また似たような修復系のアイテムを出しても芸がない。せっかく目の前に日本政府のトップが揃い踏みしているのだ。もう少しだけ、彼らの肝を冷やしてやりたいという悪戯心が湧いていた。
「そうね。じゃあ次は、これにしましょうか」
何もない虚空へ右腕を差し込み、ずぶずぶと肘のあたりまで沈めこむ。高町を含め、室内にいる全員の視線がその異常な光景に縫い付けられた。黒瀬は見えない空間を探るように少し腕を動かすと、やがて片手で持てるサイズの、無骨な銀色の箱を引っ張り出した。
見た目は、頑丈な金属製の工具箱に近い。角には無数の擦り傷があり、側面には未来デパートのバーコードらしい謎の文字列が印字されたシールが貼られている。黒瀬はそれを会議机の上にドンと置くと、まるで不要になった中古家電でも紹介するような手つきで蓋を叩いた。
「『四次元収納箱』。型落ちのジャンクね。容量はせいぜい100立方メートルくらいで、生き物は入れられない。入口より大きな物も無理だし、中で時間が止まるような高級機能もついてないわ」
誰も、すぐには口を開かなかった。
黒瀬はその重苦しい沈黙を、「性能が低くてがっかりされた」のだと勘違いした。未来デパートのカタログでは、同じ棚に数万立方メートルを丸のみにする上位機種が平然と並んでいるため、彼女の主観では100立方メートルなど本当に「ゴミみたいな容量」に過ぎないのだ。
「そんな顔しないでよ。安物なんだから仕方ないでしょう?」
官僚の一人が、引きつった声でようやくスペックを聞き返した。100立方メートルという数字に間違いはないのか。箱の外寸は変わらないのか。収納した物の質量はどう処理されるのか。黒瀬は自分が知っている範囲のカタログスペックだけを適当に答え、分からない質問には遠慮なく「さあ? 知らないわ」と切り捨てた。
実証実験として、会議室の外からウォーターサーバー用の大型ボトルや予備のパイプ椅子が次々と運び込まれた。箱の口径を通るサイズであれば、それらは呆気ないほど次々と内部へ吸い込まれて消えていく。机の上に置かれた小さな工具箱へ、どう物理法則をねじ曲げても収まるはずのない数十倍もの体積が飲み込まれていく光景に、技術担当の官僚たちの顔色から血の気が失せた。
黒瀬はパイプ椅子に深く腰掛けたまま、その滑稽な反応を眺めていた。タイムふろしきの時よりも、ずっと分かりやすくていい驚き方だ。彼女は少し機嫌を良くすると、箱をひっくり返すようなジェスチャーをして、中に放り込んだ備品を指定した順番通りに空中に吐き出してみせた。
「こういうの、欲しい?」
まるで新作のスイーツでも勧めるような、あまりにも軽すぎる口調だった。
高町は一拍の沈黙を置き、感情を殺した声で「政府として、極めて大きな価値がある」とだけ答えた。物流の概念崩壊、災害時の圧倒的な対応力、医療物資の瞬間輸送、離島や山間部への補給。平和利用だけでも用途は無限であり、そこに軍事転用や基礎研究の価値まで含めれば、もはや即答できるような金額に収まる代物ではない。
黒瀬はそこまで聞いて、楽しそうに銀色の箱へ頬杖をついた。
どうやら自分の想像以上に、現代の人間は「物を運ぶ」とか「物を置く」という行為に多大なコストと労力を割いて苦労しているらしい。未来の学生が単身パック代わりに使うような引っ越し用品で、一国のトップが揃いも揃って真顔になっている。
「へえ。じゃあ、これも高く売れるのね」
その無邪気な一言に、官僚たちの背筋がわずかに強張った。
黒瀬が「売れる」と判断したということは、日本政府だけが独占的な買い手になるとは限らない。つい先ほど本人が口走った通り、他国や巨大多国籍企業へ持ち込む可能性が跳ね上がったのだ。
高町は即座に、タイムふろしきと収納箱を日本政府が買い取る場合の条件整理に入った。価格の算定基準、法的な所有権、使用範囲の制限、構造解析の可否。そして、「将来的に同種の技術を第三国へ販売する場合には、日本政府との事前協議を義務付けたい」——その提案が出た瞬間、黒瀬の表情が露骨に冷ややかなものに変わった。
「嫌よ。なんでそんな面倒な条件、飲まなきゃいけないの?」
秒殺だった。高町が静かに理由を尋ねると、黒瀬は心底不思議そうな顔で小首を傾げる。自分の持ち物を誰に売るかというだけの話に、なぜいちいち日本政府の許可を取らなければならないのか、本気で理解できないらしい。
「私が自分のお金で買った物でしょう? 誰に売ろうが私の勝手じゃない。とりあえず一番最初に日本に持ってきてあげたんだから、それで十分筋は通したと思うけど」
背広を着た官僚の一人が、必死の形相で安全保障上のリスクをまくし立てた。大量の物資を手のひらサイズで運べる技術が敵対国家やテロ組織に渡れば、既存の税関や物流管理は完全に無力化される。タイムふろしきにしても、他国の軍用機材や重要インフラの復旧に使われれば、世界のパワーバランスそのものが崩壊する。
黒瀬は、一応最後まで黙って聞いてやった。
しかしその美しい顔には、危機感や感心よりも「面倒臭い」という感情が全面に張り付いていた。世界情勢の均衡を守るために未来デパートを利用し始めたわけではないし、誰に何を売ればどの国が迷惑するかなど、これっぽっちも考える気はない。
「それ、あなたたち側の都合でしょう?」
室内が、水を打ったように静まり返った。
黒瀬は別に喧嘩を売るつもりで放言したわけではなく、本心から「それだけの認識」だったのだ。国同士の泥臭い事情は国同士で勝手に処理すればよく、自分の楽しいお買い物ライフに持ち込まれても鬱陶しいだけだ。
高町は、販売そのものを禁止したいわけではない、と慎重に言葉のトーンを下げた。少なくとも日本政府には優先的に情報を回してほしい。危険性の高い物品については、販売前に共有してほしい。その程度ならどうかと、事実上の譲歩案を提示する。
黒瀬は長い黒髪を弄りながらしばらく考え、「まあ、気が向いたらね」とだけ答えた。
契約でも確約でもなく、完全に彼女のその日の機嫌次第。官僚の何人かは明らかに屈辱的な表情を浮かべたが、高町はそれ以上、絶対に深追いしなかった。
「じゃあ今日は、タイムふろしきとこの箱、ここに置いていくわ。値段はそっちで適当に出しておいて。変な額を言ってきたら、いつでも持って帰るから」
黒瀬はしなやかに立ち上がると、二つのオーパーツを机の上に無造作に残した。正式な売買契約もまだなのに置いていくのかと確認する職員に対し、彼女は「逃げないでしょう、天下の日本政府なんだから」と笑い飛ばした。
それは国家を信頼しているというより、「仮に持ち逃げされたところで、自分なら指先一つでいつでも取り返せる」という、圧倒的強者ゆえの傲慢な余裕だった。
退出の直前、高町が一つだけ尋ねた。今後も日本政府との取引を続ける意思はあるのか、と。
黒瀬は重厚な扉の前で振り返り、少しだけ目を細めて笑う。
「面白ければ、また来るわ。ちゃんと高く買ってくれて、面倒な説教をしないならね」
ヒールの音だけを残し、黒瀬は部屋を出ていった。案内役の職員が慌てて後を追う。扉が完全に閉じても、室内ではしばらくの間、誰一人として声を発することができなかった。
最初に重い息を吐き出したのは、警察トップだった。
身元の確認と保護を急ぐべきだ。24時間体制の監視が必要になる。別の官僚は、海外勢力との接触を合法的に制限できる特措法の検討を急ぐべきだと矢継ぎ早に言葉を重ねる。
だが高町は、机の上に残された銀色の箱へじっと視線を落としていた。先ほどまであの女が片手でおもちゃのように弄んでいたそれは、今やこの国で最も厳重に管理すべき最高機密の一つと化している。その隣には、無生物の時間を不可逆的に巻き戻す布まで置かれていた。
「監視は必要でしょう。ただし、彼女を絶対に刺激しないでください」
警察関係者が、意外そうな顔で高町を見る。高町はしばらく黙考してから、黒瀬がこの官邸へ足を踏み入れてからのすべての言動を脳内で反芻した。
傲慢で、気まぐれで、政治的・社会的な常識が欠落している。しかし、こちらに対して明確な敵意や悪意を向けている瞬間は、ただの一度もなかったのだ。
「彼女は、日本政府を『敵』だとは思っていません。だからこそ、あんなピクニックのような態度でここへ乗り込んで来られるんです」
それを御しやすい好材料と見るべきではないか、という楽観的な意見が漏れた。高町はゆっくりと、しかし断固として首を横に振る。
敵意がないことと、味方であることは、決してイコールではない。
「……むしろ厄介極まりない。黒瀬さんは、私たち国家権力を微塵も恐れていないんです。日本政府だから特別にルールに従うという常識も薄い。『今はとりあえず自分が日本人だから最初に売ってあげる』。その程度の、薄氷のような気まぐれな好意でこちらを選んでいるに過ぎない」
防衛省の幹部が、国家に対する重大な脅威として本人の身柄を拘束する「最悪の選択肢」について口を開きかけた。高町はそれを鋭い視線で制し、「それは直ちに思考から除外してください」と切り捨てた。
能力の底が全く見えない相手に強制手段を用いるという自殺行為以前に、現時点の法解釈において、彼女はただの「変な布と箱を持ってきた一般市民」であり、犯罪者ですらないのだ。
何より、高町には背筋が凍るような別の懸念があった。
黒瀬が見せつけた道具の異常な性能よりも、彼女がそれらを幾度となく「ジャンク」「安物」と呼んでいた事実の方が、はるかに重くのしかかっていた。もし仮に、本当に未来の技術の「底辺」がこれなのだとすれば、彼女がカタログで見ているという上位の代物が何を可能にするのか、現代人の想像力など容易く超越してしまう。
「彼女は、巨額の資金を欲しがっています。それだけなら、我々にとって強力な交渉材料になる、という見方もできますが」
財務省の官僚が絞り出すように言った。高町は少し考え、再び静かに首を振った。黒瀬の目には、金銭そのものに執着する俗物的な欲望は見えなかった。
「違います。彼女は金持ちになって贅沢をしたいから転売しているわけではない。『どうしても欲しい商品を買うために、必要な資金を集めているだけ』なんです」
では、その彼女が買おうとしているモノとは、一体何なのか。
その問いに答えられる者は、この部屋には一人もいない。タイムふろしきや四次元収納箱を「型落ちのジャンク」と笑い捨てる規格外の存在が、わざわざ国家を相手に小銭稼ぎを始めてまで欲しがる代物。
会議室の空気が、さらに一段階、絶望的な重さを増した。
黒瀬本人は、「欲しい物が高い」としか言っていない。価格も、用途も、商品名すら、一切明かしていなかった。
「タイムふろしきの確保が最優先ではありません。四次元収納箱の解析でもない」
高町は、机上の二つのオーパーツから顔を上げ、室内の全員を真っ直ぐに見据えた。
今後、海外の諜報機関も巨大企業も、遅かれ早かれ必ず黒瀬薫という特異点に辿り着く。それまでに日本政府が採るべき戦略は、オーパーツを何個買い叩けるかというような、ケチな次元の話では決まらない。
「『黒瀬薫との関係性を、何があっても絶対に壊さないこと』。それを、我が国の最優先事項としてください」
その頃。
総理官邸を出た黒瀬は、先ほどまでの白熱した会議のことなど、すでに脳内のキャッシュから消去していた。
スマートフォンで未来デパートのサイトを開きながら、次は何を売りつければ高く売れるだろうかと、楽しげに商品一覧をスクロールしている。数分前まで一国の安全保障の根底を揺るがしていた女にとって、それは単なる「休日の仕入れ先選び」でしかなかった。