あらかじめ日記を手に入れたいから未来デパートの商品転売してるけど、魔王って呼ばれてるっぽい 作:ゲケエベレッケ
三月の東京。
満員電車の中でも、オフィスの休憩室でも、あるいは居酒屋のカウンターでも、行き交う人々のスマートフォンに映し出されているのは、ここ数日の間に世界をひっくり返した異常なニュースの数々だった。
「なあ見たか昨日の総理の演説。あれ絶対、中身別の何かにすり替わってるだろ」
「見た見た。ウクライナのキーウから生中継のやつでしょ? 通訳なしで現地のブラックジョーク飛ばして、広場の大群衆から大爆笑かっさらってたじゃん。いつからうちの総理、あんなコミュ力お化けになったんだよ」
「ネットじゃリアルタイムのディープフェイク説まで出てるらしいぞ。でもウクライナの大統領なんか総理と熱い抱擁交わして、『彼は我々の魂を誰よりも理解している名誉ウクライナ人だ!』とか言って泣いてたし」
「おかげで内閣支持率、計ったみたいにストップ高だよな。今まで散々叩かれてたのに、手のひら返しエグすぎ」
日本の一般市民にとって、それはただの「劇的で痛快な国際ニュース」だった。
長引く戦争が一瞬で調停に向かい、自国のトップが世界的な英雄として扱われている。誇らしいという空気が日本中を満たし、停滞していた社会に奇妙な熱狂を生み出していた。
そして、その熱狂の中心にいるのが、突如として現れた謎のリーク系アカウント。
『マオウノゲボク』
X(旧Twitter)を開けば、トレンドの上位は常に異様な文字列で埋め尽くされている。
「今日のトレンド1位『マオウノゲボク』じゃん。2位が『なろう系ハッカー』で、3位が『ロシア軍の晩飯のメニュー』って……平和かよ」
「マオウノゲボクってネーミングセンス、絶対日本人だろ。異世界転生してきた凄腕ハッカーが現実に無双してるみたいで最高に面白いんだけど」
「CIA製の軍事AI説とか宇宙人説まで出てるらしいぞ」
「昨日なんて、アノニマスみたいな世界的ハッカー集団が声明出してたぜ。『あれは俺たちの仕業じゃない。あんな神の手みたいな芸当、人間には不可能だ』って」
「情報番組のコメンテーターも『彼らは現代の神ですね』とか言ってたな」
大衆にとっては、これは極上のエンターテインメントだった。
絶対的な強者と思われていた大国の軍事機密が、まるで丸裸にされるようにSNSで暴露されていく。安全な極東の島国から高みの見物をしている一般市民にとって、それは痛快なショー以外の何物でもなかった。
しかし、そのお祭り騒ぎの裏側で、一部の人間たちは顔面を蒼白にして震え上がっていた。
「……笑い事じゃないぞ。ロシアの最高レベルの暗号通信が、タイムラグなしで平文になって流れてるんだぞ」
「ってことは、もしその『マオウノゲボク』が本気出したら、銀行口座も企業の機密も全部筒抜けってことかよ……!」
「サイバーセキュリティ株、朝から乱高下しすぎてチャート壊れてるぞ」
「うちの社長なんて、会社の資金を金の延べ棒に替えろって叫んでたぞ」
ITの専門家や富裕層が疑心暗鬼に陥る一方で、日本経済は奇妙なほど安定していた。
むしろ――
かつてのバブル期すら凌駕する勢いで、静かに、しかし確実に成長していた。
「なんか最近、株価バグってない?」
「アメリカは資源価格とか乱高下してるのに、日本市場だけ妙に安定して右肩上がりなんだけど」
「倒産する企業減ってるし、国からの補助金も増えてるし……財源どこだよ」
「ネットじゃ、日本政府が市場を裏でコントロールしてるって陰謀論まで出てるぞ」
「ははは。うちのポンコツ政府にそんな超技術あるわけないだろ」
アメリカが情報優位を振りかざして世界市場から利益を吸い上げる一方、日本政府は極めて静かに裏金を蓄え、国内経済の地盤を強化していた。
すべては。
次に来る魔王に備えるために。
だが――
世界の秩序を裏からかき回している張本人が、こんな場所にいるなど、誰一人想像すらしていなかった。
■■■■
手放したはずの愛しいコレクションたちが、再びワンルームのアパートに積み上げられていく。
部屋の中心で、人類最強の肉体を持つ黒髪の美女は、歓喜のあまり床を転げ回っていた。
「ああああ! おかえり私のプレミアソフトたち! もう二度と手放したりしないからね!」
日本政府とアメリカから巻き上げた莫大な資金の一部を使い、彼女は買い取り業者に流したレトロゲームやフィギュアを、倍以上の値段を叩きつけて強引に買い戻したのだ。全能の力よりも、世界の覇権よりも、彼女にとっては目の前のドット絵のゲームカートリッジのほうが遥かに価値があった。
満面の笑みでひとしきりコレクションを愛でた後、彼女はふとタブレット端末を手に取り、日課のソーシャルゲームを起動した。
画面に表示されたのは、硬派なタワーディフェンスゲーム『アークナイツ』。現在、絶賛コラボイベントの開催中である。
しかし、数十分後。彼女の美しい顔は、タブレットを握り潰しかねないほどの怒りに歪んでいた。
「……だからさあ! 毎回毎回、コラボイベントの最終面だけ難易度おかしいでしょ! これ絶対初心者がストーリー最後まで見れないやつじゃん!いや私はクリアできるけど新規バイバイじゃねえか!」
彼女は画面の向こうの開発運営に向けて、熱烈なお気持ち表明を口走っていた。
しかしぶつぶつと文句を言いながらも、彼女の目は完全にゲームの深淵に魅入られた廃人のそれだった。完全にハマり直している。
一旦頭を冷やそうと、彼女は情報収集も兼ねてX(旧Twitter)のアプリを開いた。
世界中が自らの蒔いた種で大混乱に陥っているなどとは露知らず、彼女の興味はもっぱらエンタメ情報のトレンドに向けられていた。
「よしよし、今日はニンダイ(Nintendo Direct)の発表日だから、当然トレンド1位は……は?」
画面に表示されたトレンドランキングを見て、彼女はピキッと青筋を立てた。
不動の1位であるはずのゲームの祭典を押し退け、堂々のトップに君臨していたのは、全く見覚えのない文字列だった。
【トレンド1位:マオウノゲボク】
「……誰だよマオウノゲボクって。どこの新人VTuber? それともなろう系アニメの新作? なんで私の愛するニンダイが、こんな中二病全開のワードに負けてんの!?」
彼女は激怒した。
彼女にとっての重大事は、ファンタジーハッカーよりもニンダイのトレンド順位なのだ。
怒りに任せてスマホを放り投げた彼女だったが、その後、デリバリーで頼んでおいた大好物の飯である『蒙古タンメン中本』の激辛ラーメンを胃に収めると、嘘のようにすっかり落ち着きを取り戻していた。
心地よい満腹感に包まれながら、彼女は次なるゲーム、最新作の『ポケモン ZA』のランクマッチへと潜っていく。
「ふふふ……さあ、私の相棒の力を見せてあげるよ」
彼女が画面内で繰り出したのは、お世辞にも人気やメジャーとは言えないポケモン、マッギョだった。
だが、彼女のプレイングは常軌を逸して洗練されていた。今作の対戦環境において、彼女はマッギョというポケモンの『システム的なバグにも似た優位性』を完璧に理解し、愛していた。
「このフィールドに同化するペラペラな見た目。ちっちゃくて見えにくいっていう視覚的なヘイトの低さ。そこに『じゅうでん』による最強の火力バフを乗せて、電気タイプでありながら敵の電気タイプを完封できる絶妙な耐性。とにかく敵の頭数を減らした方が有利に働くシステムと、このマイナーな性能の噛み合い方が本当に芸術的……!」
彼女はうっとりと呟きながら、対戦相手のメジャーな強ポケモンたちを、地味で平べったいマッギョで次々と薙ぎ払っていく。純粋なステータスの暴力ではなく、環境とシステムをハックし、絶妙に噛み合ったマイナーキャラで強者を蹂躙する。これぞ、彼女が最も愛するゲーム体験だった。
数時間のランクマッチで満足いくまで無双した彼女は、ふとテレビの経済ニュースに目をやった。
『――アメリカ市場はかつてない活況を呈しており、政府主導の謎の投資ファンドが莫大な利益を上げているとの観測が……』
ニュースキャスターが、興奮気味にアメリカの超好景気を伝えている。
その莫大な富の源泉が、彼女の提供した暗号解読ツール(本人はただの翻訳機だと思っている)による完全な情報優位によるものだとは露知らず、彼女は感心したように頷いた。
「なんか知らんけど、アメリカの連中、超儲かってるみたいだね。いいスポンサーじゃん。よし、足元見て次は二十億くらいふっかけてやろう」
悪びれる様子もなく極悪非道な値上げを決定すると、彼女は部屋の隅に転がっているジャンク品の山を漁り始めた。
「まあ良いや。次はこのへんのジャンク品でもまとめて売るか」
彼女が手に取ったのは、未来デパートの『世紀末ウェポン・お得セット』に入っていた代物たちだった。
「えーと、地球破壊爆弾に、ジャンボガン、熱線銃、あとはペンシルミサイルか」
並べられたのは、どれも強力な破壊兵器ばかり。
だが、彼女にとっては無用の長物だった。なにせ彼女自身の肉体が人類最強であり、指を鳴らして空間を裂いたほうが遥かに早く、強力なのだ。こんな物理的な銃や爆弾など、いちいち取り出して引き金を引く手間がかかるだけのオモチャでしかない。
「自分で使うには面倒なだけのゴミだけど、あいつらなら喜んで高い金出すでしょ。売りつけるための、ちょっとした策もあるしね」
彼女は妖艶な、そして世界を震え上がらせるほどの邪悪な笑みを浮かべた。
売れ残りの在庫処分。ただそれだけのために、彼女は再び世界のトップたちを絶望の淵へと叩き落とす準備を完了する。
「それじゃ、集金と行きますか」
パチン。
軽快な指の音が、再び世界を揺るがすための合図となった。
■■■■
フラッシュの瞬く光と、万雷の拍手。官邸の吹き抜けのホールを包み込む空前絶後の熱狂は、この老齢の政治家がこれまでの人生で味わったことのない規模のものだった。
ウクライナを泥沼の戦争から救い出した「奇跡の調停者」。
その栄誉を讃えるための共同記者会見と、各国要人による表敬訪問は、盛大かつ熱を帯びた空気の中で行われていた。カメラの放列と、合衆国やヨーロッパ諸国の特命全権大使たちの羨望と敬意の視線に見守られながら、総理大臣は安堵の息を密かに吐き出し、官邸二階から、登壇しようと階段に向かった
――その次の瞬間だった。
何の前触れもなく、空間がくり抜かれたように「黒い穴」がポッカリと空中に口を開けた。
爆発音も、閃光もない。ただ日常の光景の中に、絶対的な異物がごく自然に混入したのだ。
どす黒い空間の裂け目から、【黒門】の中から、吐き気を催すような腐臭と共に『それら』が雪崩れ込んできた。
緑褐色のごつごつとした肌、ひしゃげた鼻、不釣り合いに発達した凶悪な筋肉。手には赤黒い染みのこびりついた粗悪な刃物や棍棒が握られている。ゴブリンの大軍だった。
ファンタジーの産物などという牧歌的なものではない。彼らの血走った黄色い眼球に宿っていたのは、文明や理性を真っ向から否定する、醜悪極まりない純粋な「悪意」そのものだった。
言葉は通じない。交渉の余地はない。この世界の生き物とは絶対に相容れない存在だということが、その姿と匂いを一目見ただけで本能の底から理解できた。
「ギャアアアアッ!」
耳障りな奇声と共に、ゴブリンの先陣が回廊の下、無防備なマスコミや各国の要人たちが密集するホールへと滝のように飛び降りていく。
歓声は一瞬で悲鳴に変わり、フラッシュの光がパニックによる怒号と逃げ惑う人々の波に塗り潰された。
総理の思考が凍りついた。
(黒い門…魔王の仕業か……)
もしそうなら、逃げても無意味だ。
あの存在が本気なら、世界は終わる。
そして彼らも魔王に操られる被害者なのかもしれない。
(……だが)
逃げ遅れた女性記者。
振り上げられる鉈。
その瞬間。
理屈は消えた。
腰には――
名刀電光丸。
だがバッテリーはレッドゾーン。
いつ止まってもおかしくない。
国家のトップとしての正解。
それはSPに守られ避難すること。
それなのに。
次の瞬間。
パリンッ――
官邸二階のガラス手すりが粉々に砕けた。
初老の男は刀を握りしめ、
悪鬼の群れへ
真っ逆さまに飛び出していた。