修学旅行の班決めを欠席したら、なぜか孤高の美少女と二人組にされていた 作:古野ジョン
僕の一日は洗面所から始まる。冷たい水が寝ぼけた頭を覚まし、柔らかなタオルが自分の輪郭を思い出させてくれるのだ。
「……」
鏡に映る自分の顔を見る度、僕は違和感を覚える。忌々しいほどに輝く
僕は一歳の頃からずっと日本で暮らしてきたし、自分のことを根っからの日本人だと思っている。だからこそ、昔から自分のエキゾチックな見た目が苦手だった。皆が持っているおもちゃを自分だけ買い与えられていないような、そんな気分だったのだ。
「こらっ、早く朝ごはん食べなさい! 昨日はお休みしたんだから、遅刻しないでちゃんと行かないとだめでしょっ!」
リビングから母親の声が聞こえる。誤解のないように言っておくと、僕はこの人のことは嫌いじゃない。アメリカからはるばる慣れない島国にやってきて、僕のことを一所懸命に育ててくれたのだ。嫌いどころか、心の底から愛している。
「すぐ行くよ、母さん」
「再来年から一人暮らしなんだからちゃんとしなさいって言ってるでしょ!」
「分かってるってば!」
僕はタオルを置いて、炊きたてご飯の匂いが漂うリビングに向かったのだった。
***
日差しの照り付ける通学路から逃れるようにして、空調の効いた校舎に足を踏み入れた。今日の日付は七月七日。あと一、二週間もすれば夏休みだ。
スラックスと白いワイシャツに身を包み、リュックサックを背負って学校の廊下を歩いていく。校舎の隅っこにある二年一組の教室が僕の目的地。昨日の月曜は休んだから、気分的には久しぶりの登校だ。
「おっ、ベアト! おはよっ!」
「おはよっ」
教室に着いて扉を開けると、近くにいたクラスメイトが挨拶をくれた。
「きのう休んでたよな? また学会とか行ってたん?」
「うん、そんなとこ」
「いいなー、お土産ないの!?」
「う~ん、流石にクラス全員分は無理かな」
「ちぇー」
クラスメイトがわざとらしくがっかりするのを見て、思わず笑ってしまう。僕は理由があってよく学校を休むのだけど、クラスの皆はとっくに慣れているみたいだ。事情を理解してもらって有難いけど、一方でどこか疎外感を覚える自分がいるのも事実だった。
「さて……」
適当なところで会話を切り上げ、僕は自分の席に向かって歩きだす。窓際からひとつ右の列、その最後方が僕の席だ。そして、その左隣の席に座るのが――
「おはよう、
「……おはよう」
二年一組でもっとも気高き女子生徒、夜ノ森
僕が椅子に座ってリュックサックの中身を取り出している間も、夜ノ森さんは黙々と本を読んでいた。この人は旅行記や外国文学が好きみたいで、今日もそれに類する文庫本を手にしている。読書する姿もとても麗しくて、担任の教師が四月から席替えをサボっていることに感謝してしまう。
「ねえねえ、夜ノ森さ~んっ!」
読書の邪魔をする輩に、夜ノ森さんが眉をひそめた。にやけ面を浮かべて机の前に立つのは、シャツを着崩した男子生徒。耳につけたピアスを揺らし、夜ノ森さんの顔を覗き込む。
「班分けの話、考え直してくれた~っ?」
「……何を言っているの? 修学旅行の班はもう決まったでしょう」
「え~っ、そんなお固いこと言わないでよ~! いーじゃん、うちの班来ない?」
「だから、班はもう……」
「ねえねえ、いーじゃんってば~!」
「……」
ヘラヘラと顔を寄せていく様を見て、僕はつい心配してしまう。夜ノ森さんを、という意味ではない。心配なのは、むしろ――
「いでっ!!?!!?」
「あら、演技派ね」
……男子生徒の方だったのだ。夜ノ森さんは強烈なデコピンを炸裂させた。まるで名人の抜刀のように、誰にも悟られることなく。
「ちょっ……何すんだよ!?」
「これくらいで怒る人なんて、とても怖くて一緒に旅行なんて出来ないわ。ごめんなさいね」
「えっ、そんな――」
「用は済んだかしら? 私、読書の最中に邪魔をされるのが一番嫌なの」
「……ご、ごめんなさい」
夜ノ森さんの視線は、既に手元の文庫本に戻っていた。皆はこの人を
「昨日はどこに行ってたのかしら?」
「へっ?」
今度は僕が不意打ちを食らった。夜ノ森さんは文章を目で追いながら、僕の不真面目な出席態度を咎めてきたのだ。
「夏風邪で休んだのではないのでしょう?」
「……うん。ちょっと研究会があって」
「それで、どこに行っていたの?」
「えっ?」
「わざわざ公欠をとったのだから、また遠出をしたのかと思ったのだけれど」
僕が休んだ次の日、夜ノ森さんはいつも必ず同じことを尋ねてくる。欠席してまでいったいどこをほっつき歩いていたのか、と。
「札幌だよ。飛行機でね」
「札幌……何か美味しい物でも食べてきたのかしら?」
「ううん、一泊二日の弾丸だったから」
「……そう」
夜ノ森さんの返事は端的だった。僕の回答がお気に召さなかったのだろう。
ここで会話を切り上げても良かったのだけど、ホームルームまでにはまだ時間がある。少しでも夜ノ森さんの心証を良くしようと思い、僕はちょっとしたトリビアを披露することにした。
「まあ、本当に観光らしいことはほとんどしなかったんだけど。実は温泉に寄ったんだ」
「温泉? 結構なことね」
夜ノ森さんから淡々と言葉が紡ぎ出されたことに、僕は安堵する。あなたと会話を続けてもいいわ、というお許しを得たような気分だったからだ。
「その温泉、ちょっと面白いんだよ。どこにあると思う?」
「札幌ではないの?」
「いや、実は空港の温泉に行ったんだ」
「……空港?」
少しだけ、夜ノ森さんの顔がピクリと動いたような気がした。
「新千歳空港には温泉があるんだよ。昨日の帰り、飛行機の便まで時間があったからさ」
「そう。私たちが額に汗して校庭を走らされている間、あなたは涼しい顔で心身を休めていたのね」
「そっ、そんなつもりじゃ――」
「でも、覚えておくわ。もし北海道に行くことがあれば、の話だけど」
気付けば、夜ノ森さんの表情は元通りになっていた。少しでも心に残るような話が出来た……のだろうか。微かな手応えだけを感じて、僕は教室の前方に視線を移す。
旅先について聞かれること以外に、僕と夜ノ森さんの間に会話はほとんど存在しない。きっと彼女にとって、僕は欠席の多い不届き者に過ぎないのだろう。実際その通りではあるし、それについて異議を唱えるつもりはない。
一方で、僕にとっての夜ノ森さんは札幌なんかよりもよほど遠い存在だった。たまたま隣席に座っているからある程度の会話を持つことが出来るだけで、僕は彼女について深く知らない。高嶺に咲き誇る花の香りは、地上にまで降り注いではくれないのだ。
「ん」
始業に備えて教科書を取り出そうとしたら、その下に何枚かのプリントがあることに気がついた。僕が休んでいた昨日、クラスメイトが親切に配達してくれたものだろう。
数枚のA4用紙を取り出す。夏休みに関する注意事項、模試の案内、そして……修学旅行のグループ表か。きのうの班分けを休んでしまったから、誰と一緒なのか見当もつかないな。
「どれ……」
グループ表に顔を寄せる。学校を休むことが多い僕にとって、友人と呼べる存在は多くない。「余り物」である自分を引き取ってくれたお人好しな班はあるのだろうか。
女子だけの四人班、男女混合の五人班、男子だけの五人班、男女混合の六人班……なんだか断片的にクラスの人間関係を把握することが出来て面白い。だけど……どこにも僕の名前がないな。
「うん?」
プリントの一番端っこに、妙に縦幅の小さいグループがあることに気がついた。こういう班分けは四、五人ずつというのが定番なのに、この班を構成するのはたったの二人だけ。
妙だなと訝しんだ僕を、名簿の上段に書かれた名前が納得させた。班長として記されていたのは「夜ノ森咲月」の文字。孤高の美少女は大所帯を好まないのだろう。
さて、こうなると気になるのがもう一人の班員だ。夜ノ森さんのお供に選ばれた幸せ者はいったい誰なのか。彼女と共に京都の街を歩くことを許されるなんて、羨ましいという言葉では言い表せないほど――
「……えっ?」
僕の名だった。夜ノ森咲月という名の下にプリントされていたのは、間違いなく僕の名前だった。追良瀬ベアトリクス隼人、という長ったらしい名前がたしかに刻まれているのだ。
「ちょっと、夜ノ森さん――」
「おーいお前ら、座れー」
事情を問おうと試みた僕の声は、ちょうど教室に現れた担任によってかき消された。僕たち二年一組の生徒は全員で彼女の方を向いて、ホームルームを迎える。
「……」
横目で見る夜ノ森さんの様子は、いつもと何ら変わりなかった。気高く、美しく、凛々しい。そんな彼女が僕と二人で修学旅行を迎えるというのだ。なぜ? 答えなど知る由もない。
織姫と彦星もこんなにもどかしい思いをしたのだろうか。そんな戯言が心に浮かぶほど、七夕のホームルームは長く感じられたのだった。