空は、まるで夜の名残を払い落とすように澄み渡っていた。
雲ひとつない青が、地平線の向こうから静かに広がり、世界を新しく塗り替えていく。
朝日を受けた屋根瓦がきらりと光り、遠くの木々は風に揺れながら、まるで今日という一日の始まりを祝福しているかのようだった。
空気は冷たく、それでいてどこか柔らかい。深く吸い込めば、胸の奥まで透明になっていくような気がした。
そんな朝日を窓越しに照らされる中、祥太は喧しい着信音を耳にしながら受話器を手に取る。
依頼主は『幸野さちよ』と『想田まり』、2人はそれぞれウェディングプランナーと担当する花嫁とのこと。
「花嫁のティアラが無くなった、ですか」
「一応、式が始まるまでに見つからなかった時用に別のティアラを用意しているのですが、私としても彼女にはどうかそのティアラで式に出ていただきたい、という思いがありまして。どうか探偵さんに見つけていただきたく、至急お電話させていただいた次第です」
「……ご依頼、承りました。それでは、そちらの住所など聞かせてもらえますか?」
祥太は幸野から伺った情報を紙にメモしていく。
探偵事務所から式場までの距離は、そう遠くはない。
「13時に式が始まりますので、どうかそれまでに見つけていただきたいです」
「了解しました。ただいまそちらに向かいます」
よろしくお願いします、という互いの言葉を最後に受話器から手を離す。
時刻は11時。これから準備をして移動する時間を含めると、約1時間で探すことになりそうだ。
盗まれたのかただ紛失したのか、いずれにせよ時間内に見つけ出すのは容易な話ではない。
物探しに事務所を介すな、と言いたいところだが、折角の依頼を受けた以上はやるしかない。
「はぁ……俺は探偵"代理"なんだがな」
眠たい目を擦りながら、即座に髭を剃る、伸びに伸び切った髪を後ろに束ねるなどして身支度をする。
幸い世間は休日なので、本業はそこまで滞ってなく、十分この仕事に専念できる。
「依頼が来たから行ってくる。念の為にアイテム補充させてくれ」
近くで新たなアイテムの発明をしているジェットにそう伝え、断りもなく帯状の布をいくつか掻っ攫っていく。日常茶飯事であり、彼もさほど気にしていない……のだが。
「これ、持って行けよ」
いつも無視するはずが珍しく今日は気にかけており、手に溢れそうなほど持っていた小さなチョコと飴とガムを3個ずつ、祥太に渡した。
「……唐突にどうした」
「寝不足の奴が頭なんか回るわけないんだから、ちょっとでも糖分摂取しとけ」
「それを言うならジェット"君"もだろうが……まあいいや、有り難く受け取っておくよ」
「ジェット"先輩"な?」
訂正を求める声など耳も傾けず、祥太はヒラヒラ手を振って事務所から外出する。
この時、いつもの面倒な依頼だ、などと思っている祥太には知る由もなかった。
この依頼が、新たな物語の始まりだと言うことを──。
「お待たせしました。先程お電話した久遠です」
10分後くらいに、結婚式場へと到着する。
入った時点で豪勢で煌びやかな雰囲気を強く漂わせたロビーには、必死に探し物をする正装の女性と、その隣にウェディングドレスの花嫁がいた。彼女らが依頼者で間違いないだろう。
それと、もう2名──
「……って、何でお前までこんなところにいんだよ。小林」
「ギクッ──!」
1人は、小豆色の髪をピンクのリボンで束ねた少女──小林みくる。
薄茶色のジャケット、帽子、ローファーを身に着けたその姿は、ドラマやアニメ、漫画で見るようなコテコテの名探偵のような彼女は、祥太が昨年度に担任を請け負った生徒だ。
そして、もう1人。
明るい茶色の癖っ毛。春の季節に合った薄紫の薄着の服。ピンクの花模様が施された小豆色のベレー帽を被った、みくると同い年くらいの少女。
生徒の顔はある程度知っているのだが、彼女に関しては見覚えがない。確かに我が校にはいない、みくるとは他校の友人の間柄なのだろうと勝手に悟った。
「く、久遠先生……こ、こんにちはぁ」
「はいこんにちは……じゃなくて。また名探偵気取りで人様に迷惑かけてんのか。探偵テストに向けて勤しんでるのはいいが、友達まで巻き込んで、お前いい加減にしとけよ」
「なっ……め、迷惑なんてかけてないですもん」
祥太の叱責にみくるは不服そうに口を尖らせる。
それもそのはず、式場には急な事情があって偶然訪れたばかりで、探偵ごっこをするつもりなど毛頭なかったのだ。
ただ、そんな訴えが祥太に届く未来が見えず、みくるは不満そうな顔を浮かべている。
「あぁ、わざわざありがとうございます探偵さん。あれから式場内を探し回って入るのですが、一向に見つからず……」
そう俯くウェディングプランナーの幸野の元に、花嫁の想田が階段を下りて近づいていく。
「……幸野さん。探偵さんがいらしてくれたところ悪いのですが、もう諦めようと思います」
「え……?」
「予備のティアラもありますし、これ以上色々な人に迷惑はかけられませんから」
想田の言葉に、祥太は反動的に眉を顰める。
どうしてもそのティアラで式に出て欲しいので至急探して欲しいと言われてすぐさま足を運んだというのに、当の本人にそんなつもりはないのが癪に障る思いでいた。
『迷惑はかけられない? 今の発言で既に迷惑を被ったのだが』と訴えようとする言葉を必死に引っ込めていたところに、みくるの隣にいたもう1人の少女がこの輪に入ってくる。
「あの、困っている事があればお手伝いします!」
「……えっ!?」
堂々としたその台詞に、周囲は思わず困惑する。
その中で、何故かみくるが一番驚きの声を上げていた。
「……お前の差金?」
「違います! 本当に誤解なんですっ!」
◯
場所をロビーから控え室へ移動し、改めて事情を一から説明してもらった。
花嫁が式で身につけるはずのティアラが突然なくなっていたとのこと。室内の鏡の近くに飾ってある金のティアラは、式が始まるまでに見つからなかった時用の別のもののようで、無くしたのは銀のティアラだそうだ。ここまでは先程電話で話してもらったのと同じ内容である。
ティアラなんて高価でそれなりに重量のある代物を、ただの個人のうっかりで無くすとは思えない。推測ではあるが、誰かに盗まれたと考えるのが妥当だろう。
「キュアット探偵事務所の御二人が同じ現場で事件の謎を──まさか、これが本当の探偵テスト……!? 私、この2人に試されてる……!?」
「何ぶつぶつ言ってんだ」
「あ、いえ何も……!」
幸野と想田の証言にメモを取りながら小声で呟いていたみくるは、祥太の指摘で慌てた表情を見せつつもすぐに真剣な表情へと変え、拳を胸に当てた。
「絶対に、私が見つけてみせます!」
いつもと違うみくるの立ち姿に、祥太は目を見張る。
祥太のいないところで何か自信のついた出来事があったのか、或いは隣の友人の前で情けない格好は見せられないと己を鼓舞したか。
いずれにせよ、いつになく真剣な彼女を見て不意に緊張感が走る。
肩肘張るような悪いものではなく、面白みのある良い緊張感。
──なら、やってみろ。
祥太は不敵な笑みを浮かべた。
「まりさんが最後にティアラを見てから、この部屋に出入りしたのはあなた方3人。この中に、ティアラを盗った犯人がいます!」
しばらくして、みくるは幸野を含めた3人の関係者を集め、語り始める。
その第一声が3人の中に犯人がいるという堂々とした決めつけだったのは、流石に迂闊だった。
「そんな、あり得ないです!」
「で、ですよねー! ちょっと話を聞こうかなー、なんて……」
なんてぎこちない誤魔化し方をしつつ、チラッと祥太に目を向けてみると……地の底まで呆れかえったと言わんばかりの目をしていた。
「……30点」
「あはは、ですよねー……」
これが学校の定期テストならば、30点など赤点を取るレベルだ。とはいえ、はじめに関係者を集め証言を出させる態勢を取ったことは素直に及第点を上げたい。
ここからはみくるに代わって、祥太が進行役に周る。
「まあ、どの道お話くらいは聞かせて貰わないとですので」
そうして3人にそれぞれ事情を聞く。1つ目の議題は、式場に訪れた目的について。
まずは宇津見将太というカメラマンは職業柄、花嫁を撮りにやってきたという。
次に藤井ともか。彼女は想田にブーケトスを自身に向けるようお願いしていた。ブーケトスは花嫁が手にしたブーケを投げ、受け取った人に幸せをお裾分けするというジンクスを持った、未婚の女性にとっての憧れのイベントであるわけだが、そんなヤラセじみたことをしていいのだろうか。
「まり、OKって言ってくれたよね!」
「ともかが珍しく遅刻しないで来てくれたから、つい」
最後に幸野さちよ。式場の準備により、この部屋を出入りしていたのだと言う。彼女も仕事柄、真っ当な行動である。
「皆さん、ここに来た時も今と同じ服装でしたか?」
「ええ。ティアラを隠せるようなものは何も……」
「……帽子。帽子の中に入れたとかは?」
みくるが閃いたように提案する。
その線の可能性もなくはないが、そこはあまりに単純で見つかりやすいのではないか。
少女が宇津見の帽子を借り、仮のティアラで確認する。
「うーん、入らない。これじゃあ運べないよ」
「じ、じゃあ、ともかさんのバッグは?」
「これも入らないよ。幸野さんのポーチも無理そうだね」
「そんな……」
推理が見事に外れたおかげか、みくるが徐々に焦り始める。
少しばかり頭を整理させる必要がありそうだ。
「一旦、休憩としましょう。すみませんがその間、我々に考える時間をください」
ありがとうございました、と挨拶をした後、関係者らを一度解散させる。みくる達もこの場を後にし、結果的に祥太と想田がこの場に残る形となる。
もうティアラは諦めます、とまたも撤退を促すようなことを言ってきたが、関係者らを呼び集めてまで推理を試みた以上、そういうわけにもいかない。
「それに、私としては既にティアラの目星はついています」
「そうなんですか?だったらどうして……」
「……まあ、職場体験ってヤツです」
祥太は飾られた白いブーケを見て、砕けたように答える。
「どうかあの子達にお時間貰えませんか? 勿論、式には間に合わせます。それまでに答えを見つけられなかった場合、私が答えを出します。その間、どうかお願いします」
そう言って、頭を下げて懇願する。
そんな彼を見て、想田はとんでもない、と頭を上げるよう促した。
「お優しいのですね。子供に対してそこまで気にかけるなんて」
「職業病みたいなものです。ただ、未来ある卵達にここで折れてもらっては困りますから」
◯
それから程なく祥太も部屋を後にして、みくる達の元へ向かう。
噴水や花壇など充実した広場に、みくると少女はいた。
話の内容までは細かく聞き取れなかったが、少女がみくるを励ましている声が聞こえていた。
『悩んでるだけじゃ始まらないよ』
『一歩踏み出せば答えは付いてくる! 一歩の勇気が答えになる、だよ!』
その言葉を聞いたみくるの表情に先程の迷いや焦りはどこにもなく、凛とした探偵の表情に成り代わっていた。
「小林、まだやれるな?」
「はい!もう一度全部調べ直します!」
「私も手伝います!あ、えと……私、明智あんなって言います!」
「久遠祥太だ……悪いね、事件なんかに巻き込ませちゃって」
「い、いえ!そんな──あっ」
あんなの言葉を遮るように、突風とも言えるそよ風が靡き出す。
直後、みくるの髪を結んでいたリボンが解け、花壇の方まで飛ばされてしまった。
「今日2回目だ。さっきも植え込みの中に女の子のリボンが入って……」
「植え込みの中に、花──」
みくるは聞いた言葉を繰り返し、あんなは自身が発した言葉をなぞる。
その直後、点と点が繋がったようにはっとした顔で互いを見つめた。
「「見えた! これが答えだ!」」
──推測が、確信に変わった瞬間だった。
「先生っ!」
「分かったか?」
「はい! すぐに皆さんを呼びますので協力をお願いします!」
「……よし、了解した」
今度はもう、失敗しない。
そう言わんばかりのみくるの強気な表情に、祥太は思わず笑みがこぼれた。