桜がピークを迎える時期。
世間は今日から新学期、新生活を迎える。
小林みくるは中学2年生に進学し、久遠祥太も始業式ということでスーツで身を包み、教員として新たに忙しくなっていく。
「本当に良いんだな?」
その中で1人。
2027年からタイムスリップして来た明智あんなには、そうした春が訪れるわけではない。
キュアット探偵事務所に独り取り残されることになってしまうあんなに、祥太は気遣いの一言をかける。
「大丈夫です! ジェット先輩がいるし!」
「あの発明バカが頼りになるとは思えんがな……」
遠い目をするにも理由は一つ。只今絶賛、発明に没頭中だからだ。
しばらく研究室に篭りっぱなしなので、あんなに構っている時間を確保してくれるかが怪しい。とはいえ、ポチタンがいるから退屈になることはないと思ってもよさそうだが。
「それに、私がこの時代の学校に通って、時代が変わっちゃったりなんかしたら良くないですし」
確かにそこは懸念点ではあり、ただそれはそれとして本人の意思の方が大事だと思ってもいる。だが、あんながそこまで想いを曲げないと言うのなら、これ以上は訊かないでおく。
「んじゃ、ボイスメモはあらかじめ常に持ち込んでおくし、小林にも持たせるよう言っておいたから、何かあったら連絡してくれ。あと、小林に遅刻するなよと言っておいてな」
「はい! いってらっしゃーい!」
あんなの返事を最後に、祥太は事務所に背を向けて外出していった。
◯
教師と生徒、ないしは教員同士の話し声、カタカタとキーボードを叩く音、コピー機がプリントを吐き出す音。
始業式当日の職員室は早朝からやけに賑やかだ。
「グッドモ──ーニン!マイフレンド!!」
そんな中、雑務をこなす祥太の横で金髪の教員が喧しい挨拶をかけてくる。
山本ルイ、英語教科を担当する、祥太とは中等部の頃からの付き合いの同年代の教員。
──相変わらずうるさい。
「……周り見ろ。今でけぇ声出して暇そうにしてんのお前だけだぞ」
「暇じゃねーよ。久遠にちょっかいかけれるくらい忙しい」
「それを暇って言うんだよ。邪魔だ離れろ」
目を細めてにこりと笑うルイは、相手の怪訝な表情など見て見ぬふり。
溜め息を一つ吐いて、自身の頭を掻く祥太は、顔が近いルイを引き離すようにくるりと椅子を回転させる。
「お前、ちゃんと飯食ってんの?朝っぱらからずっと作業してんじゃんか」
「言ったろ。朝飯なんかこいつ1個で十分だ」
「ゼリー飲料だけじゃねーか! ちゃんと食え──いや、きちんと食べなサーイ!!」
「うるせぇ、急に母親になるな」
祥太の溜め息は止まらない。何だか妙に懐かれているが、成人済みの派手でうるさい金髪野郎に懐かれたところで何も嬉しくない。
生徒は春休みだと言うのに働き詰めだった祥太を、少しでも休ませようというルイの優しさは理解しているが、今はただただ時間が惜しい。
「そりゃ心配だろ。ダチとして」
そう言うルイの口調はあまりに朗らかで、祥太は少し言葉に詰まった。
何気なくと放たれた「友人」という単語に、あの頃の光景が脳裏を過ぎる。
「……そりゃどうも」
仕方ないなと手を上げた時、職員室の扉から1人の女子生徒が入ろうとする。
「失礼します。久遠先生はいらっしゃいますか?」
「生徒会長?」
鋭い眼差しでこちらを探すは中等部の生徒会長、金田れい。
背筋を伸ばした佇まいの彼女の元へ、祥太は足を運ぶ。
「理事長がお呼びです」
「は? 理事長が?何で」
「久遠〜、お前なんかやらかしたんじゃねーのー?」
「ンな覚えねぇよ」
ルイに離れた席から煽られ、ムッとする祥太。
だが呼び止められた以上は出向くしかない。
「ったく、わーったよ。ありがとな、金田」
「久遠、後で一緒に昼飯食おうなー!」
「はいはい」
〇
「小林……?」
理事長室に入ってからの開口一番がソレだった。
自分だけ呼ばれたと思っていた祥太だったが、意外な先客もいたことに思わず呟いた。
みくるも祥太の顔を見るなり驚いた表情を見せる。
「え、久遠先生も!?」
「お二人とも、私がお呼びしました」
自席に座る理事長が、簡潔に教えてくれる。
「お前、今度は何したんだ」
「だから何もしてませんって! いつも迷惑かけてるみたいに言わないでください!」
「久遠先生、今回はみくるさんが失態を犯した、とかではありません。お二人に頼み事があってお呼びしたのです」
「頼み事?」
「聞きましたよ。みくるさんが寮を出て探偵事務所に配属したと。夢に一歩近づきましたね」
理事長の誉め言葉に、みくるは誇らしげに笑みを浮かべる。
「そこでと言っては何ですが、お二人に幽霊騒ぎの事件を解決して欲しいんです」
「幽、霊……?」
みくるが青ざめながら事長の言葉を復唱する。
「どうした」
「あ、いえ……じ、事件とあらば任せてくださいぃ~」
「ありがとうございます。久遠先生もそれでよろしいですか?」
「……まあ、彼女が引き受けるなら」
か細い声で答えたのがかなり不安なのだが、みくるがそれでいいならと祥太も同意した。
「あぁ、それと理事長。私が探偵事務所を営んでいることは引き続き他言無用でお願いします。教員と兼任してることなど、あまり広めたくありませんので」
「分かっていますよ。私達だけの秘密ということで」
それから理事長室を出て、祥太は早速事件の捜査をするみくるの跡に続く。
正直、仕事のタスクは残っているのだが、理事長からの依頼を受けた手前、早めに解決しておいた方がいい。
理事長から仕事の依頼が来てた、と言い訳しておけばどうにかなるだろう。というか、一応事実だしと溜息をついて、ぎこちなく歩くみくるを見る。
「俺も幽霊の噂は聞いたことある。高等部の中庭で何度も変な人影見たって話だろ?」
「ふみゅ──!」
「ったく、誰が第一発見者なんだかは知らないが、非現実的なものを適当に広めるのはやめてもらいた──」
などとぼやいていると、みくるが変な声を上げて廊下の隅っこに蹲る。
「さっきから何でそんな怯えてんだ」
「お、怯えてませんよぉ! ち、ちょっと話聞いてびっくりしちゃっただけで……」
「……もしかして、おばけ嫌い?」
「そ、そんなわけ──あります。怖いんですよぉ、話を聞くだけでも嫌なんですー……」
「じゃあ何で引き受けた……」
とはいえ、みくるの性格上、理事長の頼みとあらば断るわけにはいかなかったのだろう。おばけが苦手だの怖いだの、個人的な理由を言い訳にしたくはない。ただ、話を聞くだけでビビり散らかしているのは言い訳も何もないと思うのだが。
「と、とりあえず、このことをあんなに知らせないと──」
みくるはプリキットボイスメモを取り出し、あんなに連絡を試みる。
廊下の窓から差し込んでいた春の光が、段々と雲に覆われていく。
桜の花びらが風に乗って舞い上がるたび、胸の不安が余計にざわつく。
プリキットボイスメモが軽快な着信音を鳴らし続けた後、途端にプツッと音を切らした。
「……あれ? 出ない……?」
みくるは眉を寄せ、もう一度かける。
しかし結果は同じ。
呼び出し音すら鳴らず、ただ無機質なエラー音だけが返ってくる。
「どうして……?」
祥太が横目で見て、呆れ半分、心配半分の声をかける。
「繋がらないのか?」
みくるは弱々しく頷く。
あんなの身に何か起きたのだろうか。そうだったとしても、彼女には何かあったら連絡してくれと朝方伝えたはずなのに。
祥太もプリキットボイスメモを手に取り、同じく連絡を試みたが、こちらも結果は変わらずだ。
祥太は眉間に皺を寄せ、手の中のボイスメモを見つめる。
教員として業務中に持ち場を離れる、探偵としても調査を放り出すなど本来あってはならないことなのは分かっている。
──だが、彼女の身に何か起きた可能性はゼロではない。
そうであれば、あんなに探偵事務所を任せきりにさせた、顧問である祥太の責任だ。
朝、元気に手を振っていた姿が脳裏に浮かぶ。
あの笑顔が、今は逆に胸をざわつかせた。
「……くそ」
思わず小さく吐き捨てる。
教員としての責務と、探偵としての責務。
どちらを優先すべきか、天秤が揺れ続ける。
そんな祥太の横で、みくるは唇を尖らせ、プリキットボイスメモをぎゅっと握りしめていた。
「……もういいです」
ぽつりと落ちた声は、いつものみくるより少し低い。
「とりあえず、私達だけで調査しましょう」
みくるは顔を上げた。
その表情は、明らかに不機嫌さを帯びている。
「……明智君はいいのかよ」
「だって……あんな、出ないんですよ? 何回かけても。でもだからって、このまま立ち止まってるわけにはいかないじゃないですか」
確かに、一理ある言葉だ。
だが、その裏にある感情は別のものだった。
「心配なのは私だって同じですけど……あの子なら大丈夫です、きっと」
そう言いながらも、みくるの声はわずかに震えていた。
“きっと”という言葉に自信はなく、むしろ自分に言い聞かせているようだった。
「だから、とりあえずは幽霊騒ぎの調査を優先しましょう」
祥太は付近の時計に目をやる。
幸いにも始業式の後、生徒は下校時間となる。
今後もこのまま出ないようであれば、午後に中抜けして探偵事務所に戻るという手もあるが、考え得る限りそれが合理的だろう。
「……分かった。俺もこまめに繋げてみるから、小林は調査に専念してくれ」
みくるは頷くと、くるりと背を向けてスタスタと早い足取りで歩き出す。
その背中は小さく震えている。
そんな彼女を追うように、校舎の奥へゆっくりと歩き出した。