探偵と疫病神 〜異能蔓延る世界にて、されど探偵は悪と踊る〜 作:Haganed
鬼。それは日本で最もよく知られた妖怪の名。
強さや恐ろしさの象徴として挙げられ、かつての人々はその存在を酷く畏れた。
そして2100年代の現在、新たな鬼の伝説がこの世に生まれ落ちていた。
「
その名は、今や誰もが知っていた。
深みがかった暗く青い巨体、妖しく光る青いツリ目、2本の黄色い角、心臓に穴が空いたような丸い漆黒。その全てが鉄鬼悪王であると知識が訴える。
宮津はその姿を見た途端、すぐに思考が逃走一色に染まった。すぐにでもこの場から走り出さなければ……そう考えていた最中、電話の向こうからマコトの声が発せられる。
『良いのか? そこでボサっとしてて』
宮津の現実が、即座に逃走を選んだ。使用していたパソコンを手放した事も気にせず、生物的本能のままに逃げ始める。悪王はただ、宮津が逃げた方へと振り向き、ゆっくりとその歩を進めた。
まるで重い鉄が落ちたかのような足音を1つ聞く度に、宮津の足は更に限界を越えていく。海に面した一本道を走り続け、ようやく辿り着いた曲がり角も安心できないと延々と走り続けた。
走って走って走り続けて、宮津は廃棄物集積場へと足を踏み入れる。あらん限りの力で扉を越え、車の影に身を潜めてじっと耐えようとした。
『おい』
「ッ!」
電話を即座に切る。記憶から抜け落ちていた事実を否定し、この場を乗り切る願望に迫った。心音の鼓動が鮮明に聞こえ、外部に遅れないよう必死に抑え込む。
何十秒経ったか、或いは分か。海風の音が目立つ中、ふとあの足音がしない事に気付いた。
(逃げ、きれた? 助かっ、た? は、は、ははははっ! なんだ、実際は対した事な)
直後、何かが擦れ合うような音と、すぐあとでガキンッと何かがぶつかったような音を拾った。
「へえ?」
間の抜けた声が引き金となったかのように、何かが引き取られていく音と共に、宮津のもとに飛来するモノがやって来る。
重い物が地面に落ちた音を伴って、鬼が空から降って来た。
「ヒュ」
宮津が咄嗟に口を蓋する。が、判断を下すには悠長すぎた。
迷うことなく悪王は宮津が隠れている場所を突き止め、その大きな手で彼を握り捕らえる。
「は、離せ! 離してくれ!」
手の中でもがく宮津であったが力が緩まる事など起きず、しかし悪王はその望みを叶えるかのように、 彼を小屋に向けて投げた。
「ぐへえッ」
粉塵が舞う。勢いよく叩き付けられ、トタン小屋の外壁が歪んでいた。痛みで涙を滲ませる宮津は、自身の左手で右肩を掴む。15秒ほど手のひらで被ったあと、その手を離すと、肩で息をしながらも宮津はゆっくりと立ち上かった。
そのタイミングで悪王が彼を再度捕らえ、懇願の声が発せられる。人としての矜持をかなぐり捨て、生き長らえる事に執着した声であった。
「たっ、助けてくれ……命は、命だけは!」
手にかかる力が更に強まり、肉体が悲鳴を挙げる。
「あ゙ぁ゙っ…………たっ、たのむ。たすけ」
「命が惜しいか?」
悪王が、訊いた。人ではないバケモノの声が、妖しく光る青い目が、目の前の卑怯者に訊いた。
遮二無二に首を縦に振り、危機から逃れようとしている宮津に対し、何一つ表情を変えない悪王は彼を軽く地面に叩き付ける。
背中から落ちた宮津は、肺から空気の全てが抜けたかのような虚脱感と苦しみを与えられたものの、ここぞとばかりに体勢を変えて地面を這おうとした。しかし悪王は、体勢を変えられる前に踏みつけて抑えた。
「ああ゙ッ!」
「では取引だ。
悪王の手の甲が開き、細い棒状の物が出現する。宮津の服を剥がし腹を露出させると、悪王は迷うことなく細い棒状のそれを宮津の腹部に当てた。
空気の噴射音が短く発せられる。
それを聞いた悪王は拘束を解き、宮津を解放した。 想定していた最悪が来ないことを不思議に思い、自身の体をまさぐる宮津であったが、その疑問に対し悪王が答える。
「異能を使ってみろ」
意味を理解できなかった。悪王が言外に「やれ」と言っているので、彼はおそるおそる異能を発動してみる。
でない。
発動を試みる。でない。
もう1度。またしても出ない。
もう1度。異能が発動しない。
発動を試みる。現実は変わらない。
いつものように異能を発動できない。
手足を動かすぐらい簡単にできた筈の事であったのに、何も起きない。
「出ろ。出ろ。出ろ────出ろ!」
必死の形相で念じた。現実は非情であった。
「キサマァッ! 私に何を」
「命の対価は」
ゆっくりと悪王の人差し指が宮津に向けられる。
「お前の絶望だ」
悪王が挙を振りかぶった。
「まっ、待て────
朝の陽射しで目が覚めて、朝の支度を済ませて事務所へ。移動中、この依頼で関わった相手に起きた出来事に思いを離せる。
三上兄妹は俺たちと別れたあと、歩いて最寄りの交番へと辿り着き、英一さんは自首をしたと電話で英里さんが言っていた。事情聴取等でここ数日多忙な様子だった為、英里さんは今日こっちに向かう模様。
スフィンクスの彼女は今の所音沙汰なし。薬を捨てると言っていたが、これからの彼女がどうなるのだろうかと疑問に思う。とはいえ、あのまま服用を続けていたらODになっていたのは明白だった。あの宮津幸長以外の良い先生の所で相談できていたらいいのだが。
丸日プレジションはというと、今回の1件で異能持ちの迫害という事実に追い越まれていた。会社側も一応対処はしていたようだが、正直遅かれ早かれこうなっていた可能性はあるので何とも言えない。倒産の時期も早まっているのだろうと、あの疫病神はうそぶく。
そして宮津幸長。色んな意味で黒幕な奴。私兵のレネゲイドは警視庁所属のブレイバーが。今回の黒幕たるヤブ医者は鉄鬼悪王、もとい俺が徹底的にぶん殴って重傷だが命に別状はない。とはいえ異能を使えない今、あのヤブ医者は延々と絶望の中で生き続けるのだろう。俺もいずれ、無情で無慈悲な結末がやって来るのかもと考えた。
そんな事を考えていると、いつのまにか事務所に到着していた。階段を登った先、鍵のかかっている扉の前で英里さんが待っていた。彼女も俺に気付いて一礼し、2人でそのまま事務所へ入り、お茶を用意して対面に座ったところで、彼女が口を開いた。
「先日は、ありがとうございました。兄を見つけ出してくれて、本当に」
「本気の依頼は真摯に向き合うのがウチですから」
座ったまま、彼女が一礼をする。
「とはいえ、これからが大変です。警察の聴取は勿論、マスコミや世間の風評と対峙しなければなりません。気が滅いることもあるでしょうが、どうか心を強く保ってください」
「はい」
「ただ、もし今後何かしらの被害を受けた場合、その際はこちらにお電話ください。腕の保証が出来る弁護士がお相手いたします」
「はぁ………」
知り合いの弁護士の名刺を渡した。どう反応していいか分からない時の顔をしている。この辺の事は探偵より弁護士とかの領分だ、俺が再び首を突っ込むことも無いしな。
それから依頼達成報酬と危険手当を合わせた44万を受け取ったあと、また互いに一礼して英里さんは去っていった。やる事がひと段落して腕と背を伸ばす。
「あとは報告書だな。どうせだし、ちゃちゃっと」
「いぇーイ! お疲レー!」
封筒に入った44万を即座に投げて黙らせる。
「なんの用だ疫病神。とっとと地下に閉じこもってろ」
「ねぇ今回ボク何もしてなイ」
「テメェが来たら面倒事が来るっつってんだろ。いいから封印されてろや」
「さっき上がったばっかりだからイヤー」
「駄々こねてないでさっさと」
突然、電話が鳴った。嫌な予感がしている。でも取らないと業務の怠慢になるので、電話に出た。
「はい。こちらソウマ探偵『探偵さん助けてください!』
かなりでかい声だ。ノイキャン発動してるし、余程のことな様子。
「失礼ですが、お名前をお伺いしてもよろしいですか?」
『あの、スフィンクスの。新居島です』
「あぁ、ニイジマ様でしたか。それで、私に何か御用でしょうか。」
『そう! そうなんですよ! あのあと、O交番に行って、フカザワっていう警官にクレームを言おうしたんです! そしたら、居たには居たけど襲われた日は非番だったっていうし、もう私何が何だか!』
「そうでしたか。それは、とても怖い思いをされたのですね」
俺は俺を褒めたい。言葉を詰まらせずに、そう答えられたことに。
『それで、誰か怪しい人が居ないか調査して欲しいんです! お願いします!』
「…………分かりました、お受けしましょう。詳しい話は現地でお伺いします」
『ありがとうございます! な、なるべく急ぎでお願いします!』
電話の相手はそこで通話を切り、俺は1つ息を吐いて疫病神へ視線を向けた。
「ン?どしたノ?」
「────そこから1歩も動くなよ」
「えっ、何なにちょッ」
このあと、事務所から疫病神の叫び声が響き渡ったが、特に通報はされなかった。
ここまでの読了、ありがとうございました。
今作は月毎に1エピソード投稿する形を取らせていただきます。
更新予定日を記載しますが、進み具合によって予定日から大きく間を取ることもあるので、ご理解いただきたく思います。
今月分の投稿は以上となります。
次の更新予定日は4月上旬後半〜中旬の間を予定しております。
では、また4月にお会いしましょう。