人と結婚したポケモンがいた
ポケモンと結婚した人がいた
昔は人もポケモンもおなじだったから普通の事だった
──シンオウ神話より。
これは、走馬灯だ。
僕は、今死の淵にいる。
そうだ、たしかお医者さんから、もう長くないって言われて。
それでついに来るべき日が訪れたのだ。
頭の中で再生されたのは、子供の頃の記憶だ。
「うわぁ、お母さん、これってポケモンの新作だよね! 買って、買って!」
幼い僕が必死で指をさす。
その先には、ゲームコーナーに並んだ、新作ゲームのカセットパッケージだ。
忘れもしない。あのとき、自分は運命の出会いを果たした。
「お母さん、このポケモン、かっこいい! このポケモンが欲しい!」
パッケージの正面には、ルギアが描かれていた。
どうして自分はあの時、新作のポケモンを欲しがったのか。
貴重な誕生日プレゼントにこれを選びたくて、一晩中、母にすがりついたのか。
あの瞬間、心を奪われたのだ。
ルギアというポケモンに。
僕にとって、一番最初に出会ったポケモンはルギアだった。
そして生涯、自分の不動の一位でありつづけたのもルギアだった。
もしも、と心の中で願った。
もしも神様が僕の願いをかなえてくれるのならば。
来世は、ポケモン世界に転生したいものである。
そして一度でもいいから、ルギアに会ってみたい。
★
どうやら僕はポケモン世界に転生してしまった。
分からないはずがない。
母親に抱っこされたまま、まわりをみていると、イーブイの姿が視界にうつったのだから。
ひゃっほおおおおおおい!!
ありえない、自分の妄想が叶ってしまうなんて。
僕にとっての人生のピークは今ここだろう。まだ生まれたばかりであるが。
ありがとう、神様。
カントー地方のハナダシティ。そこが2度目の、僕の生まれた場所だ。
さらに2度目の人生は、前世の病弱な肉体とは違い、健康的な肉体である。
しかも両親に恵まれ、温かい家庭で育った。
僕は順調にこの世界で、自分の人生を歩み始めた。
5歳になるころには、初めてモンスターボールを手にして、ポケモンを捕まえた。
最初のポケモンは確かコラッタだった。
10歳になると、ポケモン勝負に熱中して、ジョウト各地のジムをめぐったこともあった。何かの大会に数回ほど参加させてもらって、そこそこ名を馳せたこともある。
忙しない毎日だった。だが充実していた。
……もちろん、ポケモンだいすきクラブにも加入し、熱心に日夜活動したりもした。
しかし15歳になったころ、僕は心機一転し、家族と共にジョウト地方のアサギシティに移住する。
穏やかに過ごしたいと、気が変わったのだ。
もちろん、ポケモン愛はいまだ途切れることはない。
そうして今現在、16歳を迎えた僕は、アサギシティで静かに暮らしている。
★
「ポケモンの世界に転生したのだから、ルギアに会ってみたい」
この世界に転生してから、何度そう思っただろうか。
しかしそのたびに、つい自己否定してしまう。
「僕のようなやつになんて相手してくれないさ」
ルギアは伝説のポケモンだ。
ジョウト地方において、偉大な海の神として信仰されている存在だ。
僕のようなどこの馬とも知れぬ男など、近づけばエアロブラストでぶっ飛ばされてしまうだろう。
『ポケモンだいすきクラブ』の集会でルギアを熱く語るくらいでちょうどいい。
「待てよ、いずれ原作主人公にゲットされるのでは?」
僕の中で、焦りが生まれる。
もしそうなってしまえば、二度とこの世界でルギアと出会えないかもしれない。
嫌だ、そんなのは死ぬより嫌だ。
僕はすぐに行動に移した。
手持ちポケモンであるラプラスにまたがり、40番水道を横断し、数時間かけて、うずまき島に到着した。
うずまき島は4つの入り口がある。
ルギアがいる最深部につながっているのは、4つのうちの1つだ。
北東にある入口がその一つである。
僕は、手持ちのメガニウムに<フラッシュ>を使わせ、内部を照らしながら、進んだ。そうしてあっさりと、最深部の洞穴まで着く。
最深部は、滝つぼがある広大な空間だった。
きょろきょろと、僕は周囲を見渡すが、何もいない。
そこで、僕は思い出す。
原作の金銀、もしくはHGSSにおいて、ルギアと出会うには、ぎんいろのはねというアイテムが必要である。
だが、勢いのままに訪れた僕は、ぎんいろのはねを所持しているわけもなく……。
「……一旦、帰ろうかな」
そもそも、ぎんいろのはねを使用したところで、ルギアを呼べる確証はない。
それどころか、原作通り、このうずまき島にルギアが生息しているかも定かではない。
だんだんと、自分の中にあった熱意がしぼんでいく。
「ぎゅうぎゅぐぐぐ」
その時である。そばにいたメガニウムが、不安そうに鳴いた。
「どうしたの……」
メガニウムの視線の先には、天井の隙間から降り注ぐ、滝がある。
メガニウムは、「なにかある」とそう訴えているようだった。
滝つぼに入った僕は、水浸しになりながら、滝に近づく。
目視して気が付いたが、どうやら滝の裏側に、空間があるらしい。
「まあ、せっかくだし、隅々まで探索してみよう」
僕は、滝の裏側に足を踏み入れた瞬間、奇妙な音が聞こえた。
ぐるる、という低くうなるような声だ。
奥にポケモンがいる。それもかなり巨体だろう。
バンギラスだろうか?
いや、バンギラスはこんなところに生息しているはずがない。
その正体は、すぐに明らかになった。
薄暗い空間の中、地面に巨大な生き物が寝そべっている。
洗練された、美しい白いフォルム。一対の翼。背中から生えた青色の骨板。
ルギアがそこにいた。
一歩一歩とルギアに近づくにつれ、背筋に鳥肌が立つ。
自分の何倍以上もの、大きな体。
その場にいるだけで、周囲をすくみあがらせるプレッシャーだ。
一目で、そこらの草むらから出没するポケモンと格が違うと、本能で理解させられる。
自分の体が、伝説のポケモンという圧倒的上位存在に、畏怖しているのだ。
だが、それ以上に感動してしまう。
ついに待ち望んだ、ルギアを目撃できた。
目的は果たしたので満足だ。引き返そう。
そうして、踵を返そうとした瞬間である。
ルギアは首を上げて、僕の方を向いた。僕の気配に気が付いたのだろう。
その瞬間、僕はその場から一歩も動けなくなった。
ルギアの瞳には、敵意が宿っていた。
自分の住処に勝手に踏み入ったことによる怒りが、瞳の中にあった。
「ピギュゥゥ」
メガニウムが、僕をかばうように、ルギアの対面へ移動する。
ルギアは体を起こして、相手を威嚇するように、翼を広げる。
洞窟中に、暴風が吹き荒れる。
やがて風は、ルギアの口に収束していき、エネルギーの塊に圧縮されていく。
おそらくあれは、ルギアの専用わざである<エアロブラスト>だ。
「下がって、メガニウム! あれを喰らったら……」
僕も、メガニウムも、ルギアの威圧感にただ動けずにいた。
そうしてルギアの口から<エアロブラスト>が放たれそうになる。
「ぎゃぁ……ぁす」
だがその攻撃は不発となった。
突然、ルギアは攻撃を中断したのか、<エアロブラスト>が霧散したのだ。
そのまま弱ったような鳴き声を上げて、ルギアはふらふらと倒れた。その場を支配していたプレッシャーが、ふっと消える。
「……いったい、なんだっていうんだ?」
そこでようやく僕は気がついた。
ルギアは全身に傷を負っている。
薄暗い空間だったから、ルギアの体が鮮明に見えていなかったのだ。
素人目でも分かるほどに、重傷だった。
頭のてっぺんから尻尾の先端にかけて、さまざまな傷がある。
特に胸のあたりのものは、ひどかった。
「ひどい、どうしてこんなことに……」
なぜルギアがここまで重傷を負ったのか、わからない。
ただひとつわかることは、このまま放置すれば、ルギアは死んでしまうことだろう。
僕はゆっくりと、ルギアに近づいた。
弱りきったルギアはまぶたをうっすらと開けて、僕をにらみつけてくる。
「大丈夫、僕は君を傷付けない。だから攻撃しないで」
僕は努めて優しい声で、ルギアに敵ではないことを伝える。
自分の言葉が伝わっているのかわからない。伝わっても信じてくれるかわからない。
それでも、そうするしか自分にはできない。
僕はバッグから、すごいキズぐすりを取り出して、ルギアの体に塗りたくった。
「痛むかもしれないけど、我慢して」
最初は、胸部にある大きな傷だ。
次に、胴体部分、頭、足と翼、しっぽの順に処置をほどこしていく。
傷に触れるたびに、ルギアは「グルルル」と痛みに堪えるように声を出して、体を揺らす。
そしてその間、僕のメガニウムがルギアのおでこをペロペロと舐めて、落ち着かせようとする。
くわえてメガニウムの首の花びらは、リラックス作用がある香りを放つ。
その香りのおかげで、ルギアは暴れる様子を見せなかった。
そうして、その場で自分ができるだけの、処置を終える。
僕はメガニウムを連れて、ルギアから離れた。
その頃になると、ルギアは僕たちに敵意を向けることはなくなった。
★
その翌日も、僕はうずまき島に足を運んだ。
昨日と同じように、滝つぼの裏にある隠された空間に、ルギアがいた。
僕の気配に気が付くと、ルギアは首を起こす。そして僕と隣に連れたメガニウムがやってきたのを確認すれば、首を地面に倒して、ねそべる。
そこには、敵意も警戒心もない。
僕は昨日処置した傷の様子を確認したあと、バッグからあるものを引っ張り出す。
「はい、これ」
それは、ポフィンである。
シンオウ地方で特に好まれている、きのみで作られたお菓子だ。
ルギアは、警戒するようなまなざしで、ポフィンを見つめる。
「昨日からずっとここにいるでしょ。たぶん、何も食べていないよね? 食べなよ。栄養を摂取しないと、傷も早く治らないし、元気にもならないよ」
僕がそう言えば、ルギアは渋々、ポフィンを口にした。
すると、ルギアは目を見開き、ぴくり、と硬直する。
次に僕が手に持っていたタッパーに、目を輝かせながら視線を送る。
そして目にもとまらぬ速さでタッパーに顔を近づけ、中にあるポフィンをたいらげていく。
どうやら、ルギアはポフィンがとても気に入ったようである。
それから次の日も、その次の日も、僕はうずまき島に踏み入り、奥地にいるルギアの様子を見に行った。
時々キズぐすりを使ったり、ポフィンをあげたりした。
ルギアの体にあった傷はどんどん治っていく。
そしてメガニウムはすっかり、ルギアに懐いたのか、じゃれようとする。
ルギアは、仕方ないといった様子で、相手をしている。まるでメガニウムの兄か姉のように見えた。
そうして一週間が経過する頃には、ルギアの傷は完治した。
胸にあった深い切り傷は、傷跡すら残っていない。
それは僕の治療のおかげというより、ルギアの驚異的な自己治癒力によるものだろう。
「それじゃあ、ルギア、元気でね」
すっかり元気になったルギアに、僕は別れを告げる。
メガニウムが「きゅぅ」と寂し気につぶやいた。
ルギアに背を向ける。
僕の中で迷いが生じた。
やっぱり、明日で最後にしようか。
いや、きっぱり今日でおしまいにしよう。
だが、そんな煩悶を打ち破るように、背後から声が聞こえた。
『待て、人間よ』
僕は振り返った。
ルギアと視線があった。
『一つたずねよう。なぜ、私を助けた?』
★
「もしかしてこの声は、ルギア……? 頭に響くこの感じは、テレパシーなのか?」
『ああ、そうだ。念力でお前に語りかけている』
声が、頭の中で響いている。変な感じだ。
『初めは、住処に踏み込んだ不届きものだと思っていた。だが私の予想は外れた。お前は何の対価も求めず、私の傷を癒し食糧を与えた。なぜだ?』
率直な質問だった。
「ただ、助けたかっただけだよ」
いっぱしのポケモントレーナーとして、倒れているポケモンがいたら放っておけるわけがない。
それに、推しのルギアが怪我しているとなれば、世界の果てから飛んで駆けつけるだろう。
僕の答えにルギアは眉をひそめる。
『それが理解できぬ。人間とは愚かな存在だ』
「愚か?」
『ああ、そうだ。人間とは自らの利益をなによりも優先する。
そして他を傷付けることをいとわない。あまつさえ、他の生きるものを隷属させ、自分の道具のように使役し、戦わせる。
どこまでも傲慢で、強欲で、利己的な存在だ』
「……そ、そうなんだ」
他の生きるものとは、ポケモンのことだろうか。
使役し、戦わせるとは、ポケモン勝負のことだろうか。
どうやらルギアは、人間に対して、ずいぶん偏見を抱いているらしい。
『……まあ、この話をするのはここまでにしよう。
命の恩人であるお前に対して、人間をこき下ろすような発言をするのは、あまりに無粋というものだ』
「はぁ……」
『さて、本題に入ろう。
人間よ、お前は私の命を助けた。
お前が傷を癒さなければ、私はこの洞穴の奥で、朽ち果てていただろう。
ゆえに、お前は私の命の恩人だ。
よって私は、お前に恩を返さなければならない』
ルギアは、ずいっ、僕に顔を寄せてくる。
『お前の望みはなんだ。私が命にかけても、なんでも叶えてやろう』
目の前の、伝説のポケモンは、僕にそう言ってくる。
僕は命の恩人だ。だから自分の命に釣り合うほどの恩返しをしたい。何でも言うことを聞くと。
僕は、ごくりと唾をのみこんで、ある願いを口にした。
★
『……本当にこんなささやかなものでいいのか?』
さわさわ、と手に柔らかい感触が広がる。
「一度は、こうしてみたかった」
僕は両手で、ルギアの頭をふにふにと触っている。
僕が口にした願いはこうだ。「ルギアの体を触ってみたい」と。
くしゃくしゃと毛をなでてみる。
もみもみと頭をもんでみる。
とにかく、手触りがいい。
しばらくペタペタとルギアの体を撫でつづけていた僕は、満足して手を離した。
するとルギアは、不服そうに顔をしかめる。
『こんなものでは、私の恩返しはまだ終わっていない。私の命を救ったのだ。私の命に釣り合うほど、もっと大きな願いを口にしろ』
「うん、正直、もう満足かな」
『なんだと?』
「僕は別に見返りを求めて、ルギアを治療したわけじゃない。君が助かったのなら、それで十分さ」
ルギアは僕の言葉に、目を見開いた。
そして戸惑っているのか、ぐるる、と弱々しいうなり声を上げる。
『人間とは強欲だ! そのような利他的な行動を取るはずがない。私を恐れているのだろう。だから偽善に走っているのだ! 本音を話せ』
「いいや、素直も素直だよ」
僕がそう言うと、ルギアはまたしても信じられないといった風に、目を見開く。
だから、僕はつづけた。
「ルギアは……人間は、全員が自分勝手な存在だって思っているかもしれない。けど、みんながみんなそういうわけじゃないってことを、分かってほしいかな」
僕がじっと見つめると、ルギアは目をそらした。
『……お前は、奇妙な人間だな』
少しでも、人間への偏見がなくなってくれるといいのだが。
「じゃあ、僕はもう帰るよ」
『待て、人間。お前はこれから家路につくのだろう。ならば、そこまで送迎してやる』
意外な提案だった。
ルギアが背中に乗せて、家まで飛んでくれるらしい。
思わずその提案に頷きたくなるが、僕は首を横に振る。
「ううん、別にいい。それじゃあ」
これ以上何かをルギアに求めるのは、間違っているような気がしたのだ。
ルギアは、少し落胆したような表情を見せた。まだ恩を返し切れていないと不服なのだろう。
「最後に知りたい。お前の名前はなんという」
「カナタ。ありふれた名前だよ」
そうして、僕はルギアに別れを告げた。
その後、数日間はぼんやりと空を眺めるような日々を過ごした。
あのルギアとの邂逅を忘れられない。
ルギアを自分のポケモンにするチャンスだった。
それを、自分には畏れ多いと思って遠慮したせいで逃してしまったのだ。
「……今から、もう一回うずまき島に行ってこようかな」
そしてルギアに自分のポケモンにならないか、勧誘するのだ。
しかし、それはそれでみっともないように思える。
なにより、ルギアはポケモンを従わせるトレーナーをひどく嫌っているようだった。
「もう、別にいいか……」
そんな嫌悪の感情があるならば、たとえ命の恩人(ルギアはそう思っている)だったとしても、手持ちにするはよくない。
だから、もういいのだ。
★
それからさらに数日経ったある日、両親が一か月間仕事の都合で家を空けることになった。
二人は荷物をまとめ、さっと家を出ていってしまった。
そんなわけで僕は一人寂しく、家で過ごすことになる。
まぁ、もっともポケモンたちがいるのだから、寂しさなんてありはしない。
いつものようにパソコンでネットサーフィンしていると、と玄関のインターホンが鳴った。
誰だろう。
そういえば、今日、宅配の注文していたのだ。それが届いたのだろう。
意気揚々と玄関口を開けた僕は、戸惑った。
「初めまして。こちらが巣……ではなく、カナタ様のご自宅でしょうか」
「……ん? はい、どちら様でしょうか」
最初に目に映ったのは、さらさらときらめくような、美しい銀髪だった。
そして、紺色の綺麗な和服……?
顔立ちの整った、銀髪の美しい女性がいた。
身長は僕より一回り大きい。
時代錯誤な紺色の和服を身にまとっていて、どこか浮世離れした風情を感じる。
僕は一瞬だけ、この美人さんに見惚れてしまった。
「実は……覚えておられないかもしれませんが、昔助けて下さったお礼を申し上げたくて、訪ねさせていただきました」
「はい……」
こんな綺麗な人と昔どこかで出会ったのだろうか。しかも助けた?
だめだ、まったく心あたりがない。
「ぜひ、ご自宅に上がらせて、お話したいと思いまして」
「別に構いませんけど」
銀髪の女性は、透き通った青色の瞳で僕をじっと見つめてくる。
それに気圧されて、僕はつい頷いてしまったのだ。
そして、僕は謎の銀髪女性を玄関口へ通した。
彼女は、まじまじと自宅を見渡している。
……怪しい。やはり、家に上げるべきではなかったのか?
つい彼女を上げてしまった自分のチョロさに情けなくなる。
「どうぞ、コーヒーしか出せるものはありませんけど」
彼女をリビングのテーブルに座らせる。
それから二人の分のコーヒーを用意して、僕も席に着いた。
「に、苦い、なんだこれは……?」
彼女は、コーヒーを口につけた瞬間、顔を歪ませた。
「ん? シロップいりますか?」
「しろっぷ? なんだそれは……じゃなくて、それはどういったものでしょうか?」
んん? なんなんだこの人、さっき一瞬、口調が変になったぞ。
それに、シロップを知らない? この人、とんでもない箱入り娘だったりして?
といった風に違和感を覚えつつ、本題に入った。
「僕のことを知っているって?」
「はい、カナタ様には昔助けていただいたのです」
それから彼女は、語った。
自分は命を落としそうになったことがある。それを通りがかった僕が助けた。
そのお礼をしたい、と。
「それっていつのこと? 場所はカントー地方?」
僕がそう尋ねると、彼女は口をもごもご動かしてから、こう答えた。
「いいえ、わたくしも覚えておりません。もうずっと昔のことなので。ただ、あなたの顔と助けていただいたことだけは覚えております」
うーん、どう考えても、おかしい。
なんなんだ? この人?
「そうだね、気持ちは嬉しいんだけど、昔のことだし、お礼とかはいらないよ」
「そ、そんな! わたくしの気が収まりません」
僕の態度に、彼女はひどく慌てふためているようだった。
「じゃ、じゃあせめて、あなたのことをお話してほしいです。カナタ様のことを知りたいです」
鬼気迫るような勢いを彼女から感じた。
だから僕は気が乗って話した。
幼少期の話、トレーナーとして活動していた日々のこと。
彼女は一生懸命、耳を傾けて、聞いているようだった。
初対面の不審な人物。
ここで彼女を追いはらうのが、賢明な判断なのだろう。
しかし僕は、なぜだかわからないけれど、彼女を追いだすことができなかった。
そうして1時間程度、彼女に自分のことを語って聞かせた。
★
「うわ、いきなりひどい雨が降ってきたな」
一通り話し終えて、彼女を帰そうと思った時、それは起きた。
突然、ごうごうと雨が降り、強風が吹き付け、落雷が発生した。
テレビをつけると、アサギシティ周辺に嵐が出現しているらしい。
「外はこのような状況です。なのでここで一晩泊めていただきたいのです」
銀髪の女性は一礼した。
美しい所作だった。
一瞬、綺麗だと思ってしまって、僕はまたしても彼女のお願いに頷いてしまう。
彼女は破顔して、嬉しそうにほほ笑んだ。
僕の中で、違和感が強まっていく。
この世界にはない、前世で知っているとある昔ばなしと、今の自分の状況がそっくりなのだから。
僕の一番好きなポケモンは、ルギアだ。
自分にとって、なによりも尊く、絶対の存在。
もはやファンだから好きとか、そういうレベルを超えた、信仰の領域まで至ってしまっている。
だから、僕は罪悪感を感じている。
自分の推測が正しければ、僕はとんでもない選択ミスをしてしまった。
もし彼女が人間に姿を変えてしまったのなら?
僕に恩返しをするという、ただそれだけの理由で。
ならば僕は、彼女が本来あるべきだった姿を変えてしまったことになる。
世界で一番大好きだったこのポケモンを。