「お料理を作らせていただきます」
彼女はそう言って、キッチンに向かった。
だがキョロキョロと困ったように、周囲を見渡している。
「何を作るつもりなの?」
「……肉を焼いたものです。あと野菜を切ったものです」
それは、はたして料理と呼べるものなのだろうか?
もっとこう、カレーとか肉じゃがとか、なにかあるじゃないか。
「そうだね、今日は肉じゃがを作ろう。食材は冷蔵庫にある」
「れい……ぞう……こ?」
「よし、僕がやるから、一緒に手伝って」
「あ、はい……」
彼女はしょんぼりと肩を落としていた。 それから僕らは二人で肉じゃがを作っていく。
「包丁は、こう握るんだ。そうそう。手を切らないようにね」
「はい」
「力みすぎたらだめだよ。いいね、それを鍋に入れて」
「わかりました」
彼女はおぼつかない手で、ぷるぷると手を震わせながら、包丁を動かす。
……別の生き物の姿を取っているから、当然だろう。
僕たちは、二人で肉じゃがを作った。
お椀に二人分のものをすくって、彼女と一緒にテーブルに座って、食べた。
「どう?」
「美味しいです」
「それはよかった」
「やり方は覚えたので、明日の朝はカナタ様のために作らせていただきます」
「本当に全部やり方は覚えたの?」
「う、それは……」
彼女は言葉に詰まっている様子だった。 わざわざ無理しなくてもいいのに。
「明日も二人で作ろうね」
僕がそう言えば、彼女は驚いたように目を見開いて。
「はい」 と、柔らかな表情でほほ笑んだ。
その時、僕はなんだか気恥ずかしくなって、うまく言葉が出なくなった。
★
その翌日も、嵐は続いた。
相変わらず、外に出られないような激しい豪雨。
転んでしまいそうな強風が吹き、雷雨が鳴っている。
「嵐が止むまで、この家に滞在してもよろしいでしょうか?」
彼女はそう頭を下げて、頼みこんできた。
僕は、それを承諾した。
……たとえ断って、彼女を家から追い出したところで、また違う姿にでもなって、僕の元にやってくるだろう。
その日の朝は、ふたりでカレーを作った。
昼は、昨晩の肉じゃがの余りもの。
母は出張前に、ありったけの食材を家の冷蔵庫にぶちこんでいる。 料理は好きだが、買い出しはめんどくさい。そんな僕の性格に配慮してくれていたのだろう。
その日は、一日彼女と家で過ごした。
一緒に、ゲームをしたり、ネットで動画を見たりした。
彼女はゲームに触ったこともなければ、ネットというものを知らないので、そのたびに新鮮な反応を見せていたのだ。
夕食はキムチチャーハンだ。
さっと簡単に作れるし、美味しいのでめんどくさがりにとっては最強だ。
彼女は少しぎこちない手でスプーンを動かしながら、こう言った。
「こんな風に、誰かと一緒に食事をするのは久方ぶりでございます」
「そう?」
「もうずっと長い間、一人で過ごしているのです。食事を取るのも、床につくのも、一人なのです」
どこか寂しそうな顔をした彼女は、キムチチャーハンが乗ったお皿に視線をよこしていた。
「カナタ様はお優しい方です。あなたのような人間はそういません」
心臓が、どきりとした。
目の前にいるのは、年上のクールな銀髪美女。
整った顔立ちも、艶のある銀髪も、スラリとした体も、和服越しから分かる豊かな胸も。
はっきりいって、すべてが目に毒だ。
しかも慌てふためいたり、緊張したり、そんな態度にギャップを感じる。
「僕はそんな大したやつじゃないよ」
落ち着け。落ち着け。深呼吸するんだ、僕。
「そんなことはありません」
彼女は、きっぱり断言した。
「あなたは何の見返りもなく、わたくしを助けてくださいました」
「……」
「わたくしにとって、あなたは特別なのです」
僕は、どう答えればいいのかわからなかった。
その翌日も、その翌々日も嵐は鳴りやまなかった。
僕は彼女を家に泊めつづける。 その頃になると、彼女を追い出そうだなんて考えられなくなっていた。
★
彼女を家に泊めて、4日目のことだった。
「食材がなくなった。買い出しにいこう」
いくら母が冷蔵庫に食料を詰め込んでくれたとはいえ、一人分でだいたい1週間持つか持たないかぐらいだった。
彼女が滞在したことで、その消耗が想定していたより早く訪れてしまった。
僕が出かける準備を整えていると、彼女は「少しお待ちください」とひとりで外に出ていく。
10分ほど待つと、彼女が家に戻ってくる。
「いきましょう」と彼女が言う。
外に出ると、不思議なことに嵐がやんでいた。
まるで嵐なんて嘘だったかのような、快晴の青空が広がっていた。
「あなたと一度、お出かけしたかったのです」
そう言って、彼女は自分の右腕を僕の左腕に絡ませる。
手を離そうと思ったけれど、それは無理だった。
彼女の力は、僕よりもずっと強かった。
多分、抵抗してもすぐに抑えつけられてしまうだろう。
絡ませた腕を彼女は自分の方向へ引き寄せる。
それに引っ張られて、僕は彼女の体にもたれかかるような形になる。
僕の方が、一回り身長が小さいので、頭が彼女の首筋にぶつかる。
「……恥ずかしいからやめて」
「こうすれば、あなたのことをいつでもお守りすることができます」
お互いの体が密着して、彼女の体温を感じる。
どこか海の風のような匂いが、彼女からした。
心臓がどきりとした。
まずい、まずい。
薄々気が付いている。彼女の正体が何なのか。
だから冷静さを保つのだ。
その態勢のまま、僕と彼女は歩き出した。 通りがかった人たちからすれば、僕らは付き合いたての熱愛カップルのようにしか見えないだろう。
そうしてアサギシティ内の食料品店に入っても、彼女は絡ませた腕を離してくれなかった。
近所の人たちが、こっち向いてなにかヒソヒソ言っている。
あれでは、しばらく噂が出回るぞ。
買い物を終え、自宅に着いたときに、ようやく彼女は解放してくれた。
それから彼女は自宅を出た。 10分ほどたち、また彼女は戻ってくる。
その瞬間、雨が地面を打つ音が聞こえた。
強風がごおごお吹く音と、ごろごろという雷鳴も。
窓から外をのぞくと、さきほどまで快晴だった空が、嵐に包まれていた。
★
その日の深夜、ベッドにもぐりこんだ僕は眠りつこうとしていた。
その時、コンコン、と部屋のドアがノックされる。
ベッドから起き上がって、ドアを開けた。
そこには彼女がいた。
「どうしたの?」
僕がそう尋ねるけれど、彼女はうつむきながら黙るだけだった。
それから彼女は意を決した表情を浮かべて、僕を正面から見つめてこう告げる。
「わたくしを妻にしてください」
「ん、んん!?」
彼女は僕の手を掴んで、ずい、と顔を寄せた。
心臓がばくばくと速くなる。
あ、やばい。
深呼吸、深呼吸。
だが冷静になろうとすると、彼女はさらに追撃してくる。
「わたくしと睦み合っていただきたいのです」
手を掴んだまま、僕を部屋のベッドまで連れて行こうとする。
まずい。据え膳食わぬは男の恥やら何とかいうが、流石にこれはまずい。
いや、食われるのはむしろ僕の方?
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待って! 段階っていうものがある! 一回落ち着こう!!」
僕は反射的に、彼女の手を振り払い、宥めようとする。
「わたくしは魅力的なメス……ではなく、女ではないのですか?」
「違う違う、そんなことはないよ。ただ、僕たちは付き合っている恋人でもないし」
「なら、わたくしと恋人になってください」
「だから待つんだ。君と会ってまだ4日だ。おたがい何も知らないわけで、そんな急に距離を詰められても、恐いよ」
僕がそう言うと、彼女はまるで感情が抜け落ちたような表情になる。
それから頭を下げた。
「カナタ様、申し訳ありませんでした。あなた様のお気持ちを考えず、自分の都合であなたに迫ってしまいました」
「いや、いいんだ。わかってくれれば」
彼女は今にも泣きそうな顔で、僕の部屋を去っていった。
僕は後悔した。
「恐い」と彼女にそう言ってしまったことに。
それが、彼女を傷つけてしまったことに。
★
それからいくら経っても、眠れない。
だから僕は起き上がって、リビングで水でも飲んで落ち着こうと思った。
リビングへ向かう途中、彼女が寝ているであろう部屋の前を通りがかる。
そこはいわゆる誰も使っていない空き部屋だ。
来客である彼女の寝室となっている。
僕はなんとなく気になって、部屋の前に立ってみた。
気配を感じない。
不審に思って、部屋のドアを開くと、彼女の姿がどこにもなかった。
「いない? どこに?」
家の中にはいない。
一応、僕は合羽を着て、外に出た。
外は、ほとんど雨がやんでいた。
強風も雷もなく、 嵐は止んでいるようだった。
ふと空を見上げて、僕は愕然とする。
夜空に、巨大な影が旋回している。
それはうなり声をあげて、空に向かって吠えた。
澄んだ夜空は、あっというまに暗雲に覆われた。
そして土砂降りの雨が降り、強風と雷鳴がどこからともなく出現した。
それから飛翔する影は、家のすぐ近くの森林に降り立つ。
僕は息を殺しながら、雑木林の中に入る。
木の陰に隠れながら、地面に降り立ったそのポケモンを確認する。
できれば目をそらしていたかった。
彼女はただの人間で、僕は彼女と出会ったことを忘れているだけ。
そうだったら、どれほどよかっただろう。
ここ数日の異常な嵐は、彼女が毎晩ああやって作り出したものだったのだろう。
そのポケモン──ルギアは姿を変えていく。
巨大な体が小さな人影へ。和服を身にまとった、美しい銀髪の女性に。
ルギアはこちらの方へ振り返る。
彼女と目が合った。
「……カナタ様」
僕は木の陰から姿をあらわした。
「見てしまわれたのですね。わたくしの正体を」
「うん、ずっと前から気が付いていたよ。ルギア」
ルギアは諦観の念を浮かべながら、言った。
「そうなのですか、ならば滑稽です」
「そんなことないよ。こっちがもっと早く切り出すべきだった」
「カナタ様、あなたの番……ではなく妻となり、あなたが生涯を終えるまで守り、支えるつもりでした。 しかし自分のことを知られてしまった以上、もう、あなたの元にいられません」
僕は近づいて、彼女の手を握った。
それからこう言い放った。
「ちょっとお話しようか」
★
すぐに僕はルギアを連れて、家に戻る。
それからテーブルに座らせて、話し合うことにした。
「どうして人間の姿に化けて、僕と結婚しようって考えたの?」
「……そうするのが、一番だと思ったのです」
「よくわからない」
「わたくしはあなたに命を救われました。死ぬはずだった命。それに匹敵する恩を返さなければなりません。だからあなたが死ぬまで尽くそうと思ったのです」
僕は、少し意地悪な質問を投げかけた。
「もし僕がロクでもない人間だったとしても、それでも僕と結婚したい?」
ルギアは、その質問に答えることはなく、代わりにこんな話をした。
「わたくしは人間を信じられません」
「それはどうして?」
「昔は、信じていました。けれど裏切られて、もう一度信じても、また裏切られて。それを何度も何度も繰り返して、もう疲れてしまったのです」
ルギアはつづける。
「だけど、カナタ様なら信じられます」
「僕は普通の人間だよ。君が他の人のことをあまり知らないだけだ」
「なおさらです。そう思えるカナタ様は、悪意や私利私欲に走ることはないでしょう」
それからルギアは、自分の心境を吐露した。
「命を救って下さっただけではありません。 この家でも、わたくしのような得体のしれない者に親切にしてくださいました。 肉じゃがの作り方を教えていただきました。 誰かに、あんな風に初めて物を教えてもらったのは初めてです。 カナタ様と一緒に過ごし、ますます嫁入りして尽くしたいと思ったのです」
ルギアは本気で覚悟を決めて、僕のもとへ訪れたのだ。
彼女の真剣なまなざしに、僕は言葉を失った。
「けれど、わたくしがポケモンだと知られてしまいました。今や、その願いは泡沫のように消え去ったのです」
ルギアは、自嘲するような笑みを浮かべる。
僕は、彼女がそんな風に自分自身を下げてしまうのが、許せなかった。
「僕は、元の姿の君が好きだった」
ルギアというポケモンが大好きだった。 この世のなにより尊いとさえ思っている。
「本当の姿で僕のところへ来てほしかった」
俗にいう「推し」というやつなのかもしれない。 だからこそ、彼女を恋愛対象として見てはいけないと強く思う。
自分の心が、違和感を訴えかけてくるのだ。
僕が愛したルギアではない、と。
これは彼女が本来あるべき姿ではない、と。
「僕のために自分の姿を変えてほしくなかった。僕のようなちっぽけな存在に、君は縛られるべきじゃない」
だから、人間となったルギアが僕の妻になろうとしている現状を受け止めきれなかった。
「君はありのままが一番だと思っている。だから君を僕の妻にすることはできない」
「……私は自分でこの姿を選びました」
心が張り裂けそうになった。
「ごめん。だけど君は、僕に縛られず自由に生きてくれたらそれでいい」
罪悪感に襲われた。
彼女に、そんな自分の姿を歪める選択をさせてしまった自分に。
「ありがとう、ルギア。僕に恩を返そうとしてくれて。それだけで十分なんだ。さようなら」
僕は別れを告げると同時に、感謝を伝える。
「さようなら、カナタ様。あなたは素晴らしい方です。あなたという人間と出会ったことを、わたくしは決して忘れません」
ルギアは最後にこう言い残した。
「できれば、肉じゃがの作り方をしっかり覚えたかったものです」
それからルギアは、ぺこりと一礼して、去っていった。
★
「本当に、これでよかったのかな?」
ベッドに寝転がった僕は、そうつぶやいた。
やはり、いくら目をつむっても眠れなかった。
「いや、間違っていない。ルギアは、完璧で何者にも汚されてはならない、神聖な存在なんだ」
必死に、自分へ言い聞かせる。
「人間の姿に変身? それも嫁として? だめだ、だめ。ルギアはルギアのままが本人のためなんだ」
いくら理由を並べ立てても、腑に落ちない。
ふいにある考えが、浮かんだ。
それは並べ立てた数々の理由を、すべて打ち消していくものだった。
──じゃあ、ルギア本人はどう思っているんだ?
ルギアは僕に恩を返そうとした。
だから彼女は自ら進んで人間の姿になった。
そして僕の妻になろうとしていたわけで。
すべて、彼女自身の選択だ。
けれどそれを否定することは、本当にルギアを尊重したものなのか?
──「わたくしを妻にしてください」
あの時、覚悟をこめた瞳で、ルギアはそう言った。
海の神ではなく、人間として、僕に尽くすと彼女は告げたのだ。
人間の姿にはなってほしくなかった?
推しとファンという関係のままでいたい?
ルギアというポケモンが好きなのに、僕は、そのルギア当人の意思を拒絶してしまった。
それは本当に正しいことだったのか?
喉が渇いた。お茶を飲もう。
僕はベッドから起き上がって、リビングに向かう。
リビングの冷蔵庫を開いたところで、僕は声をだした。
「あ」
冷蔵庫の一番上の段には、サラダボウルがある。
その中には、料理が入っていた。
サラダボウルを手に取った僕は、サランラップを外して、中身を確認した。
肉じゃががサラダボウルに詰め込まれている。
ひどく見栄えがわるかった。
ジャガイモやにんじんも、形はいびつだったり、ぐちゃぐちゃにつぶれている。 肉だって、挽肉のようになっている。
──「できれば、肉じゃがの作り方をしっかり覚えたかったものです」
これは、僕が作った物ではない。
……おそらく彼女が作ったのだ。
深夜、ひとりでこっそりと。
さしあたり、明日の朝の朝食として僕に食べさせるために。
指で肉じゃがの汁を触れて、なめてみる。
「……まずい」
いったい何を調味料に使ったら、こんな味になるのだろう。
甘さと辛みと塩味が混ざった、カオスな味付け。
適当にそこらへんの塩やら砂糖やらを混ぜ込んだのだろうか。そうとしか思えない。
「まだまだ下手っぴじゃないか」
そういえば、僕は思っていたのだ。
明日も明後日も、彼女に料理を教えてあげようって。
まだまだ教えることはたくさんあった。
だって彼女はとにかく不器用なのだ。
包丁を持てば、あっというまに食材を細切れにしてしまうし。
塩と砂糖を間違えるなんてあたりまえ。それどころか水とサラダ油を間違える。
彼女は人間じゃないから、分からないことだらけで。
けど戸惑いながら、苦手意識がありながらも、一生懸命に僕と一緒に料理を作ってくれた。
……本当に、本当に、楽しかったのだ。
「……あれ?」
途端に、空虚な気持ちに襲われる。
僕は、リビングの空間をぐるっと見渡す。
何の変哲もない。
だけど、何か物足りない。
そうだ、彼女がいない。
ルギアはもう去ってしまった。
僕の脳裏に、ここ数日間の記憶が蘇る。
……僕は一度でも、彼女自身と向き合っていたのだろうか?
キャラクターとしてルギアではなく。
僕が出会って、助けて、恩返しに来たルギアに。
本当に、一度だって……。
気が付けば、僕は家を飛び出して、走り出していた。