むかしむかしのこと。
あるところに、一匹のポケモンがいた。
そのポケモンは、物心がついたときから、自分は海の底にいることに気がついた。
(寂しい。ここからでなければ)
ポケモンが、一番初めに知った感情。
胸の中が空洞になっていくような、居心地の悪い感覚。
それは、孤独による寂しさだった。
その寂しさが嫌で、ポケモンは必死に海の底から抜け出し、天高く空へ飛びあがった。
ポケモンは強大な力を持っていた。
翼を羽ばたかせれば、嵐を生み出すことができる。
どんな荒れ狂う海だって、口から風の力を吐き出せば、あっという間に鎮めることもできる。
しかしポケモンは穏やかな性格だったので、ひっそりと生きていた。
いつしかそんなポケモンの元へ人間たちが集まってくる。
人間たちはその強大な力に信仰を見出し、崇拝の念を送ってくる。
そして彼らはポケモンを『ルギア』と名付け、海の神様だと祭り上げた。
ルギアはとても賢い種族であり、テレパシーで人間とも会話できる。
自分は同族を知らない。
しかし人間はたくさんいて、数が多い分、面白いやつがいたりする。
だからルギアは人間が好きだったのだ。
しばらく平穏に暮らしていたルギアだったが、ある時、外の人間がやってきてこう言った。
「お前は強い存在だ。だからお前を捕まえて使役する。そうすれば、どんな国と戦争しても勝てる」
外の人間たちは、ルギアと仲良くしていた人間たちの村を滅ぼして、彼女の元へ訪れたのだ。
彼らは、ポケモンを従え、ポケモンたちにルギアを襲わせる。
ルギアは翼を軽く羽ばたかせた。
すると暴風が吹き荒れて、襲いかかってきたポケモンたちを吹き飛ばし、人間たちを海の底へ沈める。
「……人間はたくさんいる。だから悪い者はいるのは仕方がないことだ」
ルギアは人間を信じていた。
だから、たまたま運が悪かったのだ。
ルギアは、必死でそう思い込むことにした。
それからルギアは別の場所へ向かい、そこで移り住むことにする。
そこでも人々はルギアを信仰し、彼らの祈りを聞き、こたえつづけた。
「たしかに人間は過ちを犯すかもしれないが、それでも彼らは素晴らしい」
ルギアはそう思い直した。
だが人間たちとの関係はすぐに破綻してしまった。
そこでも、ルギアの力を求めた人間たちは、己の欲に駆られて、襲いかかってきたのだ。
「人間にも良い者がいる。あのような者たちはごく一部だけだ」
ルギアは、どうにか言葉を絞り出し、そう口にする。
だが、その気持ちはしだいに薄れていった。
それから、何度も、何度も同じことが繰り返された。
ある時は人間に裏切られる。
またある時は襲撃を受ける。
そのたびに、関わった周りの人間たちやポケモンは傷つき、死んでいく。
何度も、何度も。
ある時、ルギアは独り言をこぼした。
「もう人間を信じられない」
ルギアは疲れ果ててしまったのだ。
「人間なんて嫌いだ」
しかしそれでも、人間にどこかで信じたい気持ちがあったのかもしれない。
『清らかな心を持つ者の訪れを待っている』
去り際、そんな言葉を言い残して、<うみなりの鈴>をその場にいる人間に手渡した。
それからルギアは、海の中心にぽつんとある、人のいない孤島で暮らすことにした。
その奥地で、ルギアはじっと過ごす。
人もポケモンもいない。孤独な空間。
ルギアは、自分で望んでそこで過ごす。
もう何かを信じるのが怖くなって、ひとりでいたくなった。
どれだけ長い間一人で過ごしていたのだろうか。
────寂しい。
そう思った。
その気持ちは、時間が経つにつれて、強まっていく。
それでもルギアは、そこから出ない。
自分はもう人間が嫌いなのだ。
人間とは一切関わらない。
人間なんて信じない。
そう思えば思うほど、ルギアは寂しさを堪えきれなくなって────
ある嵐の夜、ルギアは、ついに我慢ができなくなって、自分の住処から外に出た。
そこでも、ルギアは現実を突きつけられた。
できれば、あの時のことを思い出したくもない。
突然自分は、背後から奇襲を受けた。
敵は、紫色の人型ポケモンだった。
そのポケモンは、ルギアに匹敵するほどの強さを持っていた。
激闘の末に、どうにか相手を退けることはできた。
しかしその代償として、ルギアは命に失いかけるほどの重傷を負ってしまったのだ。
「引け、ミュウツー、あれを手に入れるのはまた後でいい」
そのポケモンを従えていた男は、帽子を深く被りながら去っていった。
ルギアには追撃する余力もなかった。
そのまま、自分の巣に戻ったルギアは、その場で倒れこんだ。
自分は死ぬだろう。この洞窟の奥で朽ち果てるのだ。
ルギアは、心の中でつぶやく。
誰か助けて。
ひとりで死にたくない。
寂しくてたまらない。
胸の中が空っぽになって、うみなりがどんどん遠のいていく。
かつかつ、と足音が聞こえた。
誰だろう、とルギアは思って、足音がした方向へ顔を向ける。
そこでひとりの人間と出会った。
「大丈夫、僕は君を傷付けない。だから攻撃しないで」
その人間は手を差し出してくる。
ルギアは疑いの目を向けた。
どうせ、この人間も自分を裏切り、利用しようとしてくるだろう。
「痛むかもしれないけど、我慢して」
なぜだ?
「たぶん、何も食べていないよね? 食べなよ」
なぜ、この人間は自分を捕まえようとしない?
「翼を触ってもいい?」
強大な力を持つ自分に、なんの見返りも求めない?
「一度でもこうしてみたかったんだ」
ルギアは垣間見た。
彼はどこにでもいそうな少年だ。
特別な何かがあるわけでもない。
ただ、自分に善意を向けてくれている。
少年が訪れる時間、ルギアの中にあったはずの寂しさが、ふっと消える。
それにルギアは彼といる間、居心地の良さを感じていた。
そんな感覚を味わうのは、はたして何百年ぶりだっただろうか。
少年が去った後、ルギアは胸が痛くなるような寂しさに襲われる。
それは死んでしまいたいほどの苦しみだった。
もう一度、あの人間と一緒にいたい。
だからルギアは、自分の姿を美しい人間の女に変えて、彼に近づくことにした。
「これは命を救ってくれた恩返しだ。だから人の身となり、カナタというあの人間を傍で守ろう」
そう、建前を言い放って。
本音は違う。
孤独になりたくない。
ただ、それだけのことだった。
★
「こうなることなんて、わかっていたはずなのに……」
うずまき島の奥底にある、滝つぼ。
そこに、和服を身に纏った美しい白髪の女性がたたずんでいる。
天井に垂らされた鍾乳石から、水滴がしたたり落ちて、彼女の肩を濡らした。
────どうして? 自分はあんなことをしてしまったのだろう。
ルギアは思い返した。
人間の姿となり、カナタという少年の元へ訪れてから、日々のことだ。
はっきり言って、自分の計画はずさんなものだった。
自分はポケモンなので、人間社会の常識も知らない。
そもそも数百年、地上に上がっていないので、人間の文明がどのように発展しているのかすら知らない。
きっと人間となった自分は、さぞおかしな存在だっただろう。
しかしそんな自分を、カナタは迎え入れた。
「あんなことは、初めてでした」
料理の作り方を教えてもらった。
人間の体で細かい動きをするのには慣れていないから、ひどく不器用だった。
それでも彼は優しい目で、失敗しまくる自分を見守ってくれた。
こーひーという飲み物や、しろっぷという甘い液体のこと、げーむというからくりのことも。
ルギアが知らない、人間社会の様々なことを教えてくれた。
「楽しかったのです。あんな気持ちになったのはいつ以来でしょう……」
彼と過ごした時間は、4日だけだった。
数千年生きたルギアにとって、4日など、人間の時間感覚でいえば、まばたき3回ぐらいの体感だろう。
しかし、ルギアの脳裏には、その時の思い出が焼き付いている。
「だから、ずっと一緒に居たいと思うのはおかしいことなのでしょうか?」
カナタといるとき、ルギアは孤独感を感じなかった。むしろ、何かが強く満たされる。
だから、もっとカナタとの時間が欲しかった。
あと1週間。もっと1か月先まで。いや、1年……5年……10年……。
「あの方の伴侶となって、生涯死ぬまで傍で守り続けたかった」
それはポケモンという種族として、歪んだ在り方だった。
人間という異種族と番になり、交わるなど、それは果たして生物の本能として正しいことなのか。
自分は頭がおかしいことをしている。
彼が自分を怖がったのも、あたりまえだ。
「しかし、もう全て終わったことです」
自分は、彼の期待を裏切ってしまったのだ。
──「僕は、元の姿の君が好きだった」
彼は自分が海の神であることを望んでいたのだ。
かつて人間たちが自分へ信仰を見出した、気高く、強大な海の神に。
「……そうですね、わたくしは間違っています。この姿は仮そめ……こんなものは人間たちが信仰する神の姿ではないのでしょう」
本当は、そんな大層な存在じゃないのに。
ただ強い力をもっただけの、孤独な存在なのに。
人間の姿だったら、海の神ではない、ありのままの自分を見てくれると思った。
だから、人間の姿に変身して、彼に近づいたのだ。
しかしそれは自分のエゴで、その間違った選択が決裂を生んでしまったのだ。
ルギアは、目を閉じた。
彼女の中にうずまくのは、後悔と孤独感だけだった。
そしてルギアは元のあるべき姿に戻ろうとした。
しかし、なぜか躊躇ってしまう。
もう少し、このままでいたい。
そう思ったのは、彼が自分を追いかけてくれるのを期待しているから?
こつこつ、と足音が聞こえた。
やがて足音の主が姿をあらわす。
ルギアは目を見開いて、その場で崩れ落ちそうになった。
「カナタ……様?」
★
息を切らしながら、正面を向く。
ルギアがいた。
人間の姿に変身した彼女の姿だ。
「どうして……?」
ルギアは、両目を揺らしながら尋ねてくる。
「ごめんね」
僕は、ゆっくりと一呼呼吸置いたあと、そう答えた。
「なにがでしょうか? カナタ様が謝ることなど、どこにありましょう」
「いいや、ある」
「だって、すごく辛そうな顔をしているじゃないか」
ルギアは、今にも泣きそうな表情だった。
まるで迷子になった子供みたいで、途方に暮れているように見える。
「大好きな推しを曇った顔にさせてしまった。これじゃあ、ファン失格だ」
ルギアは、虚を突かれたように口を開いて、それからにこやかな笑みを作る。
けれど、それはどうみても無理をしているようにしか思えない。
まくしたてるような早口で、彼女は言う。
「お気になさらないでください。
わたくしは悠久の年月を生きた、海の神なのです。
ずっとこの島の奥地で、孤高に生きてきました。
しかしそれは、わたくしの正しいあり方なのでしょう。
これまでの自分の日常がまた戻って来るだけなのです。
あなたは人で、わたくしはポケモンであり、信仰される神」
しだいにルギアの取り繕ったような笑みが崩れていく。
「共に過ごすなどと、しょせんは叶わぬ夢物語なのです」
声が震えて、彼女の目じりに涙が溜まっていく。
「あ」
ついに涙が決壊したように、零れおちた。
「……申し訳ございません、このような、見苦しい姿をあなたに見せてしまって」
ルギアは和服の袖で目元をぬぐう。
けれど、涙は次から次へとあふれてくる。
「あなたが信仰する、海の神ルギアとして接するべきだったのでしょう。
けれど、わたくしはカナタ様に対等に見ていただきたかったのです。信仰の対象ではなく、一個人として」
僕は、ルギアへ近寄る。
「愚かな願いだと、罵っていただいて構いません。ただ、もうひとりでいるのが嫌になったのです」
僕は黙り込んだまま、ルギアの手をそっと握った。
すると彼女は、はっとしたような顔で「カナタ様?」と口にした。
「やっぱりどう考えても僕が悪い。今まで君のことをちゃんと見ていなかったよ」
ルギアの綺麗な顔は、悲痛な表情と涙でぐしゃぐしゃだった。
「僕にとって、一番好きなポケモンが君なんだ。
けれど、それは『ルギア』という偶像が好きなだけだったんだよ。
君個人と向き合ってはいなかった」
僕は、ルギアというキャラクターが好きだった。
だというのに、彼女の意思を尊重せず、認めようともしなかった。
どうしてそうしたのか、理由は明確だ。
「君のことを知ろうともしない。
なにが好きで、なにが嫌いなのか。
君はなにをしたいのか、なにを思っているのか。
君の意思も選択も無視したんだ。
すべては自分の中にある、『ルギア』という偶像が壊れないようにね」
伝説ポケモンらしい、かっこよく、堂々としたたたずまい。
どこまでも高潔で、誰よりも孤高で、並みはずれて強大。
それが僕の頭の中にある、理想のルギア像だった。
「君が人間の姿になったことに、僕はすごく怖くなった。『自分のせいで、ルギアは間違った方向に変えてしまったんじゃないか?』って。けどね、そんな風に思う時点で、僕は傲慢だったんだ」
自分の中にあった理想像が崩れてしまうのが嫌で、彼女を拒絶してしまった。
一言でいいあらわすなら『解釈違い』。
まったく、くだらない。
彼女こそがルギアだというのに。
僕の言葉に、ルギアはぽかんとした表情をする。だがすぐにこう反論する。
「いいえ、違います。わたくしは海の神なのです。人間の姿になるなど、神としておかしい」
「いや、おかしくはないよ」
「え?」
「君は望んで、その姿になったんだよね? じゃあ、それでいいんだ」
僕は、この4日間で共に過ごしたルギアの姿を思い返す。
「君は自分の知らないことになると、いつも慌てふためく。
それに手先が異常なまでに不器用だ。
包丁で野菜を切るどころか、まな板を粉砕してしまうし。
塩と砂糖をいつも間違う」
「うう……」
「けど、それは君らしさで、けっしてダメなことじゃない」
ルギアは、僕の言葉に愕然としているようだった。
「僕は、伝説ポケモンのルギアじゃなくて、目の前にいる君のことを尊重したいんだ」
僕は、正面から彼女を見つめる。
伝説ポケモンとしてのルギアではなく。
僕が出会って、助けて、共に過ごした彼女として。
ようやく、ようやく、今この瞬間、自分はルギアと向き合えることができた。
「君がなにを考えているのか教えてほしい。どうしたいのか。僕に何を求めているのか。ぜんぶ」
「わたくしは……」
ルギアは堰を切ったように、言葉をつむいだ。
「わたくしは、カナタ様と一緒にいたいです」
「うん」
「あなたが死ぬまで、ずっとお傍に」
「そう、なんだ」
「どんな強敵があなたを襲ってこようとも、わたくしが守ります。
あなたが苦しんでいるときも、悲しんでいるときも、困っているときも。
いつまでも寄り添い、カナタ様と共にあります」
僕は、こう質問する。
「それは命を助けられた恩を返すため?」
それが一番確認したいことだった。
義務や責任で僕の元にいるのならば、いくら彼女を尊重したくても、否定しなければならない。
「いいえ、違います。ひとりで生きていくのが怖いから」
しかし、ルギアが答えたのは、まったく別の理由だった。
「カナタ様と一緒にいれば、心が満たされるのです。ですが、あなたと離れると寂しさに襲われるのです。それが嫌でたまりませんでした」
ここでようやく、僕はルギアの本心を知ることができた。
「ごめんなさい、わたくしは嘘をつきました。本当はあなたと一緒になりたいから、夫婦になろうとしたのです」
ただの命の恩人に対して、どうしてそこまで執着するのか。
それは孤独から逃れたい、という感情があったからだろう。
僕はそれを知って、心臓がどきりとする。
推しである彼女からの、強く求められている。
それがとても嬉しかった。
「……つまり、ルギアは僕を異性として好きってことなの?」
「それはわかりません」
ルギアは自分の胸元に手をあてる。
「これが恋と呼ぶべきものなのか、愛といえるものなのか、わたくしには判断できないのです。ただカナタ様といると心がやすらぎます」
「……そうだね、話してくれてありがとう」
ルギアは、せつなげにほほ笑んだ。
「カナタ様、最後にお話ししてくださり、ありがとうございました。自分の想いを伝えることができて、もう……心残りはございません」
ん、ちょっと待て、少し誤解しているようだ。
「僕は君と別れるつもりなんて、さらさらないんだ」
「え」
「でなければ、こうやって君を追いかけたりなんてしないよね?」
切なそうにしていた彼女の顔が、崩れて、みるみるうちに明るくなっていく。
「本当に……? その言葉を信じてもよいのですか」
僕は、迷いなく断言する。
「僕も君と一緒に居たいから」
「カナタ様……」
「君もそれを望んでくれるなら」
「喜んで」
僕はもう片方の手を、空いたルギアの手に添える。
するとルギアの瞳から、ぽたぽたと涙がこぼれおちる。
それは、悲しいから涙を流したのではないのだ。
「君は伝説のポケモンで、すごい存在だ。僕は君と釣り合うような人間じゃない。それでもいいの?」
彼女は、強大な力を持ち、かつて人々から信仰されていた伝説のポケモン。
一方僕は、どこにでもいる普通の人間だ。
せいぜい少しポケモンバトルが強いくらいしか、価値がない。
「はい、カナタ様のお隣にいたいと、わたくしは切望しております」
そんなことはどうでもいい、と言わんばかりに、ルギアは泣き笑いで返事した。
その答えを聞けただけで、十分だ。
「ルギアには選んでほしいことがある」
ならば、彼女の意思で決めてもらわなければならないことがある。
「本来の姿で、ポケモンとして僕と過ごすか。今の人間の姿のまま、僕と一緒にいるのか。君の意思でどっちを選ぶのか、決めてほしい」
彼女は、僕と一緒になりたいといった。
それはポケモンとして、生涯のパートナーとなり共に過ごすのか。
あるいは、人の姿となって、人間として僕と関係を築くのか。
どちらか2つを、ルギア自身が選ばなければならない。
「ルギアは、どっちがいい?」
ルギアは、少し迷ったようなそぶりをしたあと、口を開く。
「わたくしは────」