『漢気一つでど根性!! 鋼鉄!! ヒーロー科! 鉄哲徹鐵!! バーサス、漢気一つでど根性!! 硬化!! ヒーロー科! 切島鋭児郎!!』
「えっうそ」
「どした?」
レイはテレビから聞こえてきた名前に殆ど反射で顔を上げた。死んだような顔でカップラーメンに給湯器で湯を入れていた別宮が辛うじて反応する。昼間だというのに活気がまるで死んでいるQILデスクスペースに、人間らしい理性が少しだけ戻ってきた。
「いや……知り合い……同中の奴の名前が聞こえて。思わず」
「テレビ? なん、なに……五輪? 友達オリンピアンじゃん」
「いや本物か分からんす……うわ、え、ん? ガチっぽいな」
「すげ。LINEしたら?」
「嫌ですよめっちゃミーハーじゃないですか」
別宮の本気かボケか分からない発言に突っ込む者はいない。二人の他にここには覚書と空井がいたが、覚書は点滴に繋がったままソファに転がっており、空井は両目をバキバキにしながらキーボードをガタガタやっていた。余裕と元気がないのである。
先日からQILは脳無の解析にてんてこまいの日々を送っていた。個性の研究所ゆえ、人間や一部動物の解析こそしたことはあれど怪物の解析は流石に初めてである。大人しい素振りとはいえ麻酔薬のまるで効く様子のない化け物に厳戒態勢を敷きながら、警察や政府、関係各所にせっつかれている報告書を急ピッチ・研究員総出で作成しているのだった。普通ならひと月以上は欲しい情報量を一週間足らずで纏めあげているのは、ひとえに公権力の圧力と研究員たちの能力の賜物である。もちろん、犠牲になった睡眠と健康で文化的な生活のことを忘れてはいけない。
元気かなあ、と過去に思いを馳せる純粋なレイを尻目に、別宮は3分待ちながら椅子にふんぞり返るように座った。テレビの奥の
「あ"ーー」別宮は細い声で溜息みたいに黒い気持ちを吐き出した。フタを止めていたテープを剥がす。湯気を伴って広がるジャンキーな匂いに刺激されたのはしかし、食欲ではなく嘔吐中枢だった。
「うわダメだ食ったら吐く」
「えっ大丈夫ですか」
「ン、平気。コレどうしよ、誰か……しくったなレイくんしかいねえ」
「すみません」
「悪くないから謝んな。所長、所長」
「あ?」
「カプラあげます」
「あー……? 無理……食えん」
空井は終始ゾンビみたいな反応で、最後だけ言葉を思い出して返事をした。お上からの圧力を一手に引き受けている彼は自分が人間であることを忘れるようにしていた。でないとお偉いさんに暴言を吐きかねないからである。点滴に繋がっている覚書は論外だ。因みに彼は病人なのではなく、点滴しとけば食事しなくていいと思っているダメなタイプの医者が立場を濫用しているだけなので、この論外という単語には労りではなく一種の侮蔑が含まれている。
揃いも揃って胃腸のレベルが低すぎる……と困り果てた別宮を救ったのは、「寄越せ」の一言で手の内のカップを攫っていった女性の姿だった。あまりのイケメン具合に男どもは為す術もない。
「ういるさん」
「少し休憩……凪乃がな」
「あーーーもう疲れた! 脳無って書きすぎてゲシュタルト崩壊起こしそうです、てか誰がこんな名前にしたんですか警察? どう見ても脳みそ丸出しくんじゃないですか脳あるじゃないですか、私書く度呼ぶ度パラケルスス先生に申し訳なくなるんですけど今すぐ改名して」
「お疲れ様です」
マシンガンみたいな勢いの愚痴に別宮は斉木の苦労を偲んだ。モニターで流れているテレビの上にレイヤーを重ねるように戻ってきた凪乃は「うわ体育祭やってんじゃん」と棘のある口調で言った。多分、別宮と似たようなことを考えたのだろう。
食事すら一種のタスクだと思っているのか、3分もかけずにカップを空にして割り箸を挿した斉木は「しんど…」と自分のデスクで突っ伏した。どうやら本当に疲れているらしい。研究員の中でもバイタリティはトップレベルの彼女にしては珍しく、レイと別宮は心配そうに彼女を見た。
「大丈夫すか」
「ああ、うん……身体は平気なんだが。その……」
「?」
「倫理が……」
「あー……なるほど」
「ういる先生は優しすぎなんだって」
「ヘルシンキ宣言が恋しい」
「この世界にもあるんです?」
「個性発現以前の発布」
「ゴミじゃん」
普段高圧的な口調と態度で覆い隠している(少なくとも彼女はそのつもり)の素の性格が疲れで前に出ていて、レイと別宮は顔を見合わせて苦笑いした。それ自体は別に珍しいことではないのだけれど。
脳無の解析作業にあたって、研究員たちはその製作者の悪意に晒されていた。別宮は一通りのモダリティ機器で中身を“見た”が、彼(もしくは彼女)からは消化管と生殖器が摘出されていたし、凪乃が走らせた次世代シークエンサーからは少なくとも5人以上の別の人間の遺伝情報と10以上の個性因子由来と思われる配列が検出されている。形質の導入か転換かは知らないがとにかく、他から超再生の個性を無理やりぶち込まれた死体の細胞は、がん化したそれに挙動が酷似していた。同じ穴の狢だからこそ、同じ科学という言語を使うからこそ分かるおぞましさがあった。
間違っても素人が適当に死体を弄んでできたものではない。かといって知識があるからといって当然のように作れていい代物でもない。専門家が何年もトライアンドエラーを繰り返して生み出されたものだった。それを一番分かるのが、つまり一番製作者に考え方や分野が近いのが斉木で、だから彼女はメンタルをやられていた。もし自分がこれを作ろうと思ったら。殺した命の数、切り貼りした死体の数、100や200では到底足りない筈だ。それ以前にまず自分の人道的精神を破壊するところから始めなくてはいけないけれど。どんな人生を歩めばこんなものを作ろうと思えるのだろう。否、彼女や他研究員らの倫理観はここではない場所でずっと以前に形成されたものであるから、この世界ではそう珍しくもない話なのだろう。
斉木は深い溜息を吐くと、そんな益体のない――警察や捜査関係者からすれば喉から手が出る程欲しい――思考をやめた。考えた所で仕事が片付く訳でも世界が良くなる訳でもない。結局余計なことを考えず仕事だと割り切ってしまうのが早いし傷つかないのだ。空井の姿こそが社会人の最も完成された姿である。
「ま、明らか正気の人間の所業じゃないスし。ふとマトモに戻っちゃうと確かにしんどい。睡眠不足のドリンク漬けで頭おかしくなっちゃってる間に全部終わらすのが吉です」
「はは、言えてる。あっぱらぱーの間にさっさと終わらせるかァ」
「終わったら全員で3日くらい寝ましょ」
「え それってサイコーじゃん」
「フ!」
「拾わんでいい拾わんでいい」
笑い合う4人に空井は静かに顔を上げて、少ししてまた仕事、公安委員会からの問い合わせメールの返信に戻った。覚書もまた、至近距離にあるソファの背を死んだ目で見ながら、彼らの会話を静かに聞いていた。ここが将来、現在解析中の人造兵器の生産場にならないようにしなければと思う。QILは、容易にそういう使われ方をされてしまいうる場所で、いざとなればそうやって使うために国が作った機関だった。