君にヒーローアカデミア   作:おぷと

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Ep. 3 マリッジ

 

 

 

「おや。おはようございます、お加減いかがですか」

「……。ど、うも」

 

 神野区での戦いから一週間と少し。ラグドール、もとい知床知子は国立個性究明研究所にいた。

 

 ラグドールが目を覚ましたのはヴィラン連合に攫われたところを助け出されてから3日経った頃だった、らしい。誘拐された合宿所の夜から突入まで3日あったので、実質一週間近く、ラグドールは瀕死の状態で持ち堪えていたことになる。何か間違えば死んでいたらしいところを踏みとどまったのは、仮にもプロヒーローとしての矜恃だったのだろうか。

 どうにも伝聞調になるのは、正しく彼女はそれらを伝え聞いただけだからだ。ラグドールはその一週間の出来事どころか、目を覚ました直後は何もかもを上手く思い出せなかった。治療の過程で合宿3日目で敵に意識を狩られる直前の所までは戻ってきたけれど、攫われていた間のことは今でも思い出せていない。

 

「お声が少し嗄れているようです。お水は飲めそうですか」

「……。はい」

「よかった。では今お持ちしますね」

 

 その日ラグドールが目覚めたとき、宛てがわれた病室――といっても病院ではないので、どちらかというと一個室といった方が正しい――には、二人の女性がいた。ここに厄介になることを決めたときに、できるだけ女性を宛てがうようにすると医師が言っていたのを思い出す。

 今しがた出ていったのは暗澱さんという額から生えた2本の角が愛らしい人で、ラグドールの身の回りのことを請け負ってくれていた。恐ろしく手際がよく看護師か何かかと思っていたが、どうもそうではないらしかった。

 そしてもう一人。ベッドサイドに椅子を持ってきて、かといって何の世話をするでもなく読書に耽っている長髪の女性。生形さんというらしい。彼女はラグドールの視線に気付くと、そこで漸く単行本をパタリと閉じた。

 

「もう。どうしたのラブリーちゃん」

「あ、……ううん。ごめんなさい」

「ああ、いいえ、違うのよ。わたくしが綺麗で見とれていたならいいのだけれどね? だって迷子のお目目なのだもの……」

 

 生形は困ったような、慈しむような顔でラグドールを見た。多分、母親なのだろうなと思わせる立ち居振る舞いをするひとだった。マンダレイとも虎ともまた違う、乳臭い匂いのする母性がある。

 

「当てちゃうわね。何か不安に思っているでしょう」

「……」

「お姉さんに聞かせてちょうだい」

 

 そう言って彼女はラグドールの両手を取った。まるきり娘か小さな子に聞かせる言い方だった。まさかラグドールの実年齢を知らない訳でもあるまいに。困惑するラグドールに生形は今度は両手でラグドールの両頬を包むのだった。手を握られたときはあまり思わなかったが、彼女の両手はひんやりと冷たかった。スキンシップの多い人なのかもしれない。

 そのとき、ふと異物感にラグドールは目を眇める。生形があら、と左手だけ離した。指輪だ。

 

「……ご結婚、されてるのね」

「ええ。痛かったかしら、ごめんなさいね」

「ううん……」

 

 ラグドールは目を伏せた。流子を皆で揶揄いつつ私も結構焦ってたなあと思って、それが過去形なことに気がついて、なんだかもう全部駄目な気分になった。ギリギリで保っていたのがついに決壊したのか、漸く落ち着いて考えられるようになったからこそなのか。よく分からない。

 普通に生きてても結婚できなかったのに。これからどうなるんだろう。個性がなくてヒーローなんて続けられるの? 収入は? プッシーキャッツは? みんなに迷惑をかけたくない……。現実がちゃんと見える女性だからこそ、色んなものがのしかかっているのを、彼女は正しく認識できてしまっていた。

 生形はじっとラグドールが口を開くのを待っていた。まるでラグドールの心の中が全部分かっているみたいだった。

 

「……私、も、結婚、したかっ、くて、」

「ええ」

「でも、ヒーロー、辞めたくなッ、ひ、なかった、いそがし、から、不利なのしっ、知ってたっ、けど」

「ええ」

「こせっ、わたしの、個性、なくなっ、ちゃった、ぁ、ヒーロー、辞めたく、なかったのに……!!」

「そうね」

 

 生形はラグドールの涙を流れる度律儀に拭ってくれた。右手をしとどに濡らしながら、左手で頭から背中にかけてゆっくりと撫でる。それがあんまり優しくて、ラグドールはついに彼女に縋りついてわんわん泣き出してしまった。

 

「起きたんだってねともこちゃん、おは……よォ!?!?」

「あら凪乃ちゃん」

「え、ちょっちょっとりりちゃんなに泣かして、め、ちょ、メダ子ちゃ〜〜〜〜!!! りりちゃんがともこちゃん虐めてる〜〜〜〜!!!」

「ち、ちがくて」

「あらあら」

 

 暫く泣いていると、誰かから聞いたのかテレビモニターに凪乃がやってきて、ぎょっとしてメダ子に告げ口しにどこかへ戻っていった。詳しく年齢を聞いたことはないが、きっとラグドールよりは年若い彼女がやってきたことで、ラグドールはこれ以上は泣けなくなってしまった。生形は「短くてごめんなさいね」とこっそり囁くと、彼女が生形に縋り付いた形跡を隠すように彼女の掛け布団をふんわりと被せ直した。

 程なくして、報せを受けたメダ子がやや呆れ顔で部屋に入ってくる。

 

「患者さんのお部屋で騒がないの。璃々栖さんも何やってるんですか」

「やん、そんなに怒らないで。女の子は泣き顔だってキュートでしょう?」

「何の弁明にもなってませんからね」

「もう。いけず」

 

 メダ子は可愛らしく口を尖らせた生形をスルーして、ラグドールに「飲めそうですか」と盆に乗せて持ってきたコップを示した。相変わらず彼女はニコリともしなかったが、声には心配そうな色が含まれていた。コップの隣には林檎のうさぎ切りが乗った皿がある。ラグドールはひとつ頷いて水を口にした。冷たさが心地よい。

 

「……あの、愚痴聞いてもらってただけなの。それでちょっと」

「あ そうなの? よかった……いやよくはないか。抱え込んでない? 平気?」

「もう平気。にゃ」

「ほんとかにゃあ〜〜??」

 

 モニターの平面の様々な位置・角度から訝しげにこちらを覗く凪乃に、ラグドールはついふっと笑った。上手だなと思う。きっとこの研究所で、プッシーキャッツでのラグドールと同じような立ち位置にいるのだろう。年下の子に気を遣わせてどうする、と自分に喝を入れる。笑ってもらうことこそラグドールの原点(オリジン)だった。

 

「覚書くん何時から?」

「予定では15時と」

「あ、さっき押してるって言ってた」

「あらそれはいいわね!」

「は?」

「恋バナしましょ恋バナ! 折角女子が4人も集まってるんだから」

「恋バナ!?!? やるやるやるやるやる」

「ええ……仕事大丈夫なんですか」

「平気よちょっとくらい」

 

 生形は貰い物のお菓子を当人達だけで食べてしまおうと提案するような、本当に気軽な口調で言った。今現在QILには神野の事件で押収(?)されてきた脳無たちがひとつ残らず搬入されていて、研究員の数より脳無の数が多いみたいな世紀末の様相で、とてもじゃないが口が裂けても“ちょっとくらい平気”などと言える状況ではなかったし、メダ子はそれをよく分かっていたのだが、彼女は溜息ひとつで「まあいいか」と容認した。彼女が笑っている、それ以上の何があろうか。QILはヒーローのためにある研究機関だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、押しているらしかったのにきっちり時間通りに部屋にやってきた覚書にお叱りを受けた3人が追い出された後、ラグドールは寝ていたベッドに腰掛けるようにして彼と向かい合った。彼はきっと赤く腫れていたラグドールの目に何も言わず、患者を安心させる低く穏やかな、けれど必要な緊張感をもたらす声で自己紹介と説明を始めた。

 

「セントラルでも少しお話ししましたが、改めて。国立個性究明研究所所属、個性科医の覚書いいます」

「どうも、プロヒーローラグドール……知床です。この度はお世話になります」

「こちらこそ。病院よりはスッキリした顔されてますけど、具合は宜しいですか」

「お陰様で。……本当に」

「はは……ま、あの子らが良う働いたのなら幸いです。途中で辛なったらいつでも仰ってください」

 

 彼は首から下げた名札を持ちながら言った。名前のところに記と書かれている。軽妙な関西弁はラグドールの心と言葉の距離を近くしてくれるのに、患者と医師として最適な距離感を詰めることも離すこともせず設定するような、不思議な魔力を持つ喋りをする人だった。

 

「さて、本題に入る前に確認というか。釘刺さしてください。知床さん、今回僕の誘いに応じてくださった本意みたいなの、聞いてもいいですか」

「……。個性を取り戻せる可能性があるとすれば、ここしかないので」

「ありがとうございます。その通り、ではあるんですけど」

 

 覚書はそう言うと目線を外して、迷う素振りを見せた。ラグドールはそれがポーズであることにすぐに気がついた。伊達に見ることを仕事にしていない。

 

「変に期待を持たせるのは趣味じゃないので初めにお伝えしておくんですが、必ず個性が戻ってくるとは思わんでください。可能性が0でなくて、何もしないよりは確率が高いというだけです。取り戻せたら儲けもんくらいのスタンスでおってください」

「はい。……覚悟の上です」

「それならよかった」

 

 その返事があまりに明け透けで、ラグドールは少し面食らう。普通もう少し取り繕うものではないだろうか。嘘がないと分かりやすい点はいいけれど。覚書はメダ子が先程お盆を置いていた机に1枚の紙を伏せて置きながら、何処吹く風、何食わぬ顔をしていた。

 

「助け出されたときのご自分の状況、どこまで聞いてます?」

「詳しくは……虎が助けてくれたとだけ」

「そうですか……弱ったな」

 

 覚書は片目を眇めると人差し指の関節でこめかみを押さえた。それから、ンーと唸ると、一層真面目な顔をしてまた口を開いた。

 

「警察と病院があなたにしてくれた配慮を無駄にするみたいで心苦しいんですけど、情報提供はちゃんとやりたいんで。心の準備いいですか」

「は……はい」

「プロヒーローたちによって発見されたとき、あなたは服を着ていない状態で、大きな培養槽のような装置の中で何かの液体に浸かっていたそうです」

「……そう、ですか。それが、何か……」

「……。その場には、あなたの他に、たくさんの脳無が同じような装置に格納されていたそうです。うちで調べたところ、脳無とあなたが浸かっていた液体は、成分がほとんど同じものでした」

「……」

「恐らく、ですが。あなたは脳無の素体にされそうになっていた」

 

 ラグドールの大きな目、その瞳が揺れる。呼吸が一瞬止まって、身体を強ばらせるも、彼女は一度目を閉じて息を吐き切り、その後強い視線で覚書の言葉の続きを待った。彼女は強い人間だった。覚書はそれに柔らかく笑いかけた。

 

「だからこそ可能性があるんです」

「どういうことですか」

「脳無ってね、ベースとなる人間に別の人間の器官と個性を無理くり入れて作られとんですけど。他人の器官も個性も、移植したらほぼ100パー拒絶反応が出るんですよ。それをめちゃ頑張って抑え込んで成り立たせてるんです」

「はあ」

「でも自分の個性には拒絶反応なんかないです。ちょっと考えてみてほしいんですけど、オールフォーワンが拐ってまで欲しがるくらい便利な個性を、ノーリスクで脳無に組み込めるのに、わざわざ取りっぱなしにするか? って話です。コピーでもなんでもして入れるでしょ、普通。勿体ない」

「……!」

「寧ろ便利な個性を使える脳無を作るために、あなたを素体に選んだ可能性の方が遥かに高い。じゃなきゃそれこそ、あなたより虎さん辺りを素体にした方が、丈夫な脳無に仕上がると思いません?」

「確かに……」

「何より、『私ならそうする』ってうちの頭が言うとんです。クソ犯罪者どもと同じ思考回路を僕らが持っとるとは思いたくないですけど……同じ学問やっとると考え方が似るのも事実です。ま要するに、やから多分、因子は残ってるはずなんですよ」

 

 それはラグドールにとって、神からの福音、人生のしるべ、パンドラの箱に残ったひとさじの希望にも等しい報せだった。自然と何かが喉の奥から込み上げてくる。唇を引き結んで感動に耐えるラグドールに、覚書はしかし似つかわしくなくなんとも言えない表情をしていた。この男は医者のくせに、いやだからこそか、人に希望を持たせるということがとにかく苦手なのである。

 

「水刺して悪いですけど、さっき言うたことは忘れんといてくださいね」

「勿論……もちろんです。それでもいい、可能性があるだけで嬉しい」

「あー……、左様で……。まあ、うん、えっとそれで。続きですけど」

 

 覚書は途端に視線をウロウロと下の方で彷徨かせて無理やり話を進めた。ラグドールの彼の印象が、仕事のできて有能な権威のある医師から、少し身近な人間らしいひとに一歩近付く。

 

「言うても残ってるってのは所詮は推理、推測に過ぎないので。真実はいつもひとつかもしれんけど、確かめる手段は限られてますから……実際に残ってることを確認するところからです」

「はい」

「ただ、本来ならこういうのは、全部お話ししてからが筋なんですけど……すみません、規約がどうしてもね。ほんとはさっきのお話も、若干抵触してたりして。保身ばっかりで申し訳ない。雇われなんでね、我々」

 

 そう言うと覚書は机の書類をひらりと裏返した。ラグドールがサッと一読すると、要するにここで見聞きしたことには全て守秘義務が生じることと、検査や治療で何が起きても自己責任である旨が書かれていた。一番下に、直筆でサインするための欄がある。

 ラグドールは何も言わず、すぐにペンを取った。迷う時間すらなかった。プルスウルトラ、母校の教訓。覚書はやっぱりなんとも言えない、犠牲者でも見るような目でそのペン先を見ていた。「どうも」覚書はラグドールから契約書を受け取ると、同じサイズの真っ白な紙を取り出す。不思議なことに次の瞬間、契約書をコピーでもしたかのように同じ内容が紙に記されていた。「控えです」コピーした側の方をラグドールに渡してくる。そういう個性なのだろう。

 

「ほな続きです。本来人間の個性因子は、一部にしか発現してないだけで全身に存在してるんですけど、脳無作るときはどうも、さっき言った拒絶反応を抑えるためか因子をわざと発現部位に絞って局在させてるっぽいんです。以前伺った知床さんの個性の特徴聞く感じ、恐らく脳――前頭葉か後頭葉、次点で目かその神経ってとこかな」

「はい」

「そっから細胞を取ってくる必要があります。本来脳の細胞取るってなったら、開頭手術が必要になります。頭切って、頭蓋骨型抜きして、膜剥がして脳ミソ取る、って流れですね」

「……はい」

「ただ、うちの研究員の個性を使えば、薬一粒飲むだけで済みます」

 

 あと便取ってもらわなあかんけど、と彼は付け加える。その後空白が生まれたのは、覚書が言葉を選ぶ必要があったからだ。空気を読んだラグドールが相槌を打った。

 

「……凄い個性の方がいらっしゃるんですね」

「はは。聞いたら喜ぶんちゃうかな。……リスク、ですが。実害はほとんどないと思っていいです。人によっては風邪っぽくなるのと、場所が場所だから頭痛と眼痛、違和感くらいかな。意識障害とか、重篤な合併症出たらすぐに()()()()()()()

「……都合が」

「良すぎるでしょ。やからあなたのリスクらしいリスクは寧ろ、この説明を聞いてしまったことです。一応機密なんで、拷問されても他言無用で頼みますよ」

 

 覚書は肩を竦めてみせた。ラグドールは険しい顔をしている。

 

「詳しい機序は知りたかったら。どっちか言えば聞かん方が身のためかな、漏洩的な意味で……まあ、結局、僕らを倫理的に信用できるかどうかです。要するにその薬ひとつで、あの人……僕らは、あなたの身体を好きにできると思っていいです。勿論不安やったらセントラルの脳外科の先生に頼むこともできます、自費やけど。どっちも嫌やったら止めたっていい。守秘義務は続行ですけどね。どうされますか」

 

 覚書は眼鏡の奥の糸目で観察するようにラグドールを見ていた。外側だけだと、挑発するようにも、馬鹿にしているようにも、突き放しているようにも思える。しかしラグドールは、たとえ個性が失われていても人や状況を見ることが得意だったから、その何れのようにも捉えなかった。

 ラグドールは、パチパチと2回瞬きすると、ぐるんと首を回した。それに覚書が身構えたのに、「ねこねこねこ……」と独特な表現で笑う。

 

「先生、思ったより可愛い人にゃのね?」

「ん、え?」

「私、貴方たちに何回も救われてる。個性が使えなくたって分かることはたくさんあるにゃ。どう見たって、私に何か理不尽なことをする人たちじゃない」

「……あ、ああ。あの3人。サボるだけの成果は挙げてくれたようで」

「貴方もにゃ、先生」

「…………。」

 

 何も言えなくなった覚書にラグドールはふふ! と楽しそうにまた笑った。「先生独身? 唾つけていい?」「堪忍したってください……」白衣の腕で顔を隠して逃げる覚書をラグドールはますます気に入ってしまった。しっかりしている様から勝手に年上だと思っていたが、年下かもしれない。童顔だし。

 

「QILの皆さんにお世話になります。なんだったら、好きなだけ研究に役立ててください。少しくらい痛くても平気にゃ、ヒーローだもん」

 

 ラグドールは座ったまま深く頭を下げて、それからにっと歯を見せて笑顔を作った。対する覚書は上手く笑えなかったみたいな顔をして、少し考えてから、「分かりました」とだけ言った。

 

 

 

 

 

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