「そーいえばレイくんさあ」
「はい」
「LINE見てない感じ?」
「え、なんか連絡ありましたか」
「や、そうじゃなくて私用のほう。通知溜めてるから、らしくないなーって」
「え誰から……?」
レイは今世ではとんと縁のない緑のアイコンを思い浮かべた。本気で思い当たる節がないらしく、「怖……」と大して寒くもないくせ二の腕を擦る。
いつものデスクスペース、昼下がりも過ぎて16時前といったところ。当然だが人員は大体実験や外勤に出払っていて、ツッコミ不在の会話に耐え兼ねた空井は渋々口を挟んだ。
「当然のように他人のLINE状況を把握するな」
「所長はわたし相手に隠し立てしたい何かがあるんですか?」
「プライベートって言葉知ってる?」
「?」
「その きょとん……みたいな顔やめなさい」
「冗談です、心配しなくても言う人と状況は選びますよお」
「まず見るのがアウトなのよ」
「いや助かります、ありがとう凪乃ちゃん」
「いーえー」
「こっちは懐が深すぎる」
「オレケータイ見る癖なくて。部屋戻ったら確認します」
「お前本当に16歳か?」
「どう使っていいか分かんないんですもん。友達いねーし」
「レイくんさえ良ければ今確認する? 出せるよ」
「え いいんすか。お願いします」
凪乃が可愛い声ではーいと返事する。当たり前みたいに進んでいく頭のネジが緩めな会話に空井は あれこれ俺がおかしいのか? おじさんだからか? と自分の常識を疑う羽目になった。
モニターにスマホの縦画面がそのまま映る。遠隔操作の状態になっているのだろう、凪乃が画面上でアプリアイコンを実際に押す仕草をすると、緑一面にお馴染みのロゴの画面になる。彼女は芸が細かいのである。「さーて誰からかな〜?」程なくして何のカスタムもされていない初期UIでトークルームが5つ程並んでいる画面が出てきた。本当に最低限しか使っていないらしい。一番上に一週間前の日付で5の数字がついていた。名前は、
「切島、えいじ……切島鋭児郎!?!?」
「あーアイツかあ。オリンピアン……何だろ、スタンプ送信になっとる」
「オリンピアン??」
「な、え……ま、ちょっと」
「いきなり挙動不審に……」
「思っきり原作キャラですけど!? 接点あったんだね!?」
「あ そうなんすね。確かに、主人公庇って死……親友とかやってそうな奴でしたけど」
「誤魔化せてないぞ」
のんびりと言うレイと空井に今度は凪乃が取り乱す番だった。これだから原作知らない勢は。11人もいて誰も結末を知らないのは、そもそも漫画なりアニメなりで作品にマトモに触れたことがあるのが凪乃とメダ子くらいのものだからだった。あとの面子は、そういう作品があるのは知ってるとか主題歌なら知ってるとか、お試しで1巻だけ読んだとか、ミリしらならやったとか、誰もがダークマイトと対峙することになるミームなら知ってるとかの有様なのである。メダ子は体育祭までは読んだ記憶があるが保須の辺りからは知らないらしい。かく言う凪乃も、履修したのはアニメ4期の文化祭終わりホークス初登場くらいまでで、その後はSNSやネットニュースなどでなんかヤバいことになってたらしいとしか知らない。寧ろそれを断片的に知ってしまっているので、彼女だけは変に焦ってしまうのだった。
こんなことならもっとハマっておくんだった、と、彼女は何度思ったか知れないことをまた思った。なんでわたし、否自分たちだったんだ、とも。世紀末超人社会とは言え、転生特典なのか知らないが概ね強個性が貰えるのなら、もっと他にこの場に立ちたがる人もいるだろうに。凪乃は二次創作文化に明るかった。
凪乃がうおお……とキャラに関われるというオタクミーハー心と関わってしまっていいのかという危機感とでおかしなことになってしまったので、操作権のない二人はモニターの前で顔を見合わせる。
「誰なの?」
「中学のときの友達……みたいな」
「みたいな?」
「オレは友達だと思ってるけど、向こうとか周りからは精々知り合いくらいかな、的な。だからなんでだろうって」
「あー……中学どこだっけ」
「結田付(むすたふ)ってとこです、千葉の」
「ほお。またわざわざ」
「まあ近いすし。東京で『万が一』起こされたくなかったんじゃないですか」
「お前はそんな奴じゃ、」
「あはは、知ってます。でも、全員そうは思わんてことも知ってます」
空井の言葉を遮って笑ったレイはあっけらかんと言った。千葉なら良いって訳でもねーだろーになー、と、キャスター付きの椅子で滑走してまた戻ってくる。ご機嫌にその場で一回転して見せても、空井の顔は晴れないままだった。
「……。コーヒー淹れてきますね」
レイは柔らかな声で立ち上がる。話ミスったな、とボリボリ首の後ろを掻きむしった。
○
切島と芦戸が中学生の頃、同級生に明らかにワケありなんだろうなっていう子がいた。
「26番、テラシ レイ です。よろしく」
もうまずだって名前から違う。席順名簿で異彩を放つ全部カタカナの5文字は、この子だけ間違えてカナ表記されちゃったのかなと誰もが一度は疑った。聞けば本名だという。このご時世、妙ちきりんな名前はそこまで珍しくもないとはいえ、外国の響きを一切持たないその名前はやはり周囲からひとつ浮いていた。
どっこい本人は至って、寧ろ不思議なくらい普通の男の子だった。いや、単に普通というと語弊があるけれど。見目がよくて素行に問題がなくて、成績もよくてコミュニケーションに難のない、普通の男の子である。
なのになぜワケありなのかといえば、彼は学校行事に参加せず、登下校の際には必ず黒塗りの高級車と黒スーツの男が送り迎えに来ていたのと、個性の影響で給食を全く口にしないという2点があったからだった。
切島とは3年のとき同じクラスになった。といっても、所属するグループが違ったので、そこまで話したわけでもない。彼は温厚で勉強がよくできて、人付き合いが比較的淡白なタイプの子たちとつるんでいた。
契機は春の暮れ、初夏に片脚を突っ込んだような頃だった。
学生の大敵、進路希望調査。切島はそこに一度国立雄英高等学校と書き込んで、けれど目指すものの高さと自分を比べて躊躇していた。なのに時間は進んでいく。志望校を親にすら明かせず、だから他の受験生がするように塾に行くという選択肢もなく、けれど本当に雄英に行くなら勉強を始めないといけない。
切島はどちらかというと努力を隠すタイプだ。だから地元の工業高校に進むのならしなくてもいい猛勉強を、他人の目がある教室でするのはかなりの抵抗感があった。されども自室だけでは限界がある。
そんな彼がたどり着いたのが図書室であった。
「……おう」
「ども」
テラシはそこの常連だった。彼は切島とは違って、読書のためにそこに通っているようだった。テラシも切島にとってはあまり見られたくない人の目ではあったが、彼があまりにも此方に興味がなさそうだったから、ここが妥当な落としどころだった。少なくとも駅前のスタバでやるよりは遥かにいい。中学生は未だ世界が狭いのだ。
図書室は静かで、窓を開けていれば冷房をつけなくても涼しかった。2人だけなので、初めは何か話した方がいいかなと気を揉んだ切島だったが、話すためにきたのでもそういう場所でもないし、相手も話し掛けられるのを望んでいないかなという気遣いで結局黙っていた。でも不思議と気まずくはなくて、それがどうしてか居心地がよかった。
「ん、おつ」
「お疲れ。また明日」
ただ切島も相手も根が良い奴だったから、挨拶だけは初日から欠かされたことはなかったけれど。
ところで結田付中学校ではこの時期、1年と3年は遠足があった。2年生の修学旅行の代わりみたいなものだ。
バスで学校まで帰ってきたあと、切島は計画して置き勉した教科書を菓子分容量が減ったリュックに詰めて図書室に向かった。こういう日に休まないでいられるのも切島の一種の才能であった。
いつものように扉を開けると、テラシが驚いた顔でこちらを見た。切島も今日は流石に彼はいないと思っていたので、きっと同じような顔をしていた。
「……よ」
「おう……」
ややぎこちなく普段使っている席に移動する。テラシは切島のリュックサックにもう一度目を丸めて、落ち着かない様子でチラチラ切島の方を見ていた。
「あの!」
「うお!? おう!」
「え、遠足、だったんだよな、今日」
緩い不可侵条約を破ったのはテラシの方だった。彼は頬をやや紅潮させ、意を決した顔で切島の返事を待っていた。心臓の音がこちらまで聞こえてきそうである。
「おう」
「どこだったん」
「ドイツ村」
「ドイツ村?」
「あれ知らねえ? 県外だっけお前」
「ん、東京」
「近えじゃん」
ツッコミを入れながらも切島は東京ドイツ村を簡単に紹介した。アトラクションやふれあい体験もあるが基本的に季節の花を楽しむための、ドイツ感のない千葉にあるテーマパークである。遠足の行き先として悪いわけではないが、多感でかつ地元で行き慣れた中学3年生には物足りないと言わざるを得ない場所だった。がしかし、テラシがあんまり楽しそうに――それこそ、小説にでも耽るように想像して感嘆するので、切島はそれを言い出せず、曖昧に笑うに留めるのだった。
「1年はランド行ったらしいんだけどさ」
「ランド?」
「ディズニー」
「ああ」
「そっちは分かんだ」
「流石にね。いーなあ、オレ行ったことない」
「嘘だろ」
「やっぱ県民だとよく行くの?」
「んーまあ。定番だし」
切島はリュックのベルトを片方だけ肩に引っ掛けて、いつも使っている椅子からテラシの座る近くにやって来た。「あ」テラシは完全に やってしまった、のニュアンスの あ を漏らした。「悪い、勉強しに来てんのに」「いやこっちでやろっかなって」「……。そか」短い返事だったが表情はどことなく安心したように見えて、切島は破顔した。別にヒーローになるのに必要でも十分でもない条件だけれど、きっとそれこそ切島の持つ武器のひとつだ。
「どっか難しいとこ受けんの」
「え。……まあ、一応」
「ふーん」
テラシは切島の取り出した英語の教科書を見ながら言った。曖昧な返答に彼はそれ以上踏み込まず、一度閉じていた読みかけの本をぺろぺろと捲り始める。夢を叶えるゾウと書いてある。
「……雄英。目指、……してて」
「雄英。……えっと、ヒーロー科?」
「おう」
周囲の友人にも声高に宣言できない希望先を言おうと思ったのは、彼が自分に興味がなさそう、たとえあっても精々が頭の片隅に留める程度だろうと思ったからだった。きっと、誰かに言ってみて、無責任にでもいいから肯定されたかった。
謎に間が空いたので、まさか雄英すら知らないのかと身構えた切島だったが、流石にそんなことはなかったらしい。実のところ、テラシは切島の言葉や表情から最も難関であるヒーロー科なのかと推測したのではなく、なんか聞いたことあるけどヒーロー養成学校とかだっけ? という当てずっぽうにも近い思考からそう口にしたにすぎないのだが、生憎切島がそれを知ることはない。
「いいじゃん。応援する」
案の定、テラシは切島が望んだ通りの言葉を返してくれた。だというのに気持ちは上手く晴れない。切島はニカッと笑った。
「あんがとな。お前は、って、訊いてもいいか」
「……うーん」
テラシは人差し指と中指で開いたページを次に捲って、前に捲って、また次に捲って、それから軽い調子で、「駄目」と言った。最初から答えが決まっていたみたいだった。
「ダメかー」
「まだね」
「まだ?」
「ヒーローな(る)んでしょ? じゃあまだ」
「いや、まだ決まった訳じゃねえけど……まだ仲良くねえからとかじゃねんだ」
「うん」
気が変わったのかそう言うとテラシは小説をパタンと閉じた。座ったまま椅子を傾けて、すぐ近くの本棚に無造作につっこんでいる。
「代わりじゃないけど、力になれることあったら言って。オレ勉強も運動も超得意だから」
「スゲー自信」
「へへへ。夢追ってる奴応援したいのは本当、ほれ」
「うお」
テラシが急に何かを投げてきた。緩い放物線を描いたそれを切島は危なげなくキャッチする。飲み物の缶のようだった。
「やる。勉強頑張って」
「え、あ。おう! サンキュ、またな!」
そのままスクールバッグを指と肩に引っ掛け、切島の挨拶に空いた片手で応えながらテラシは帰っていった。手元の缶には大きくBlackと書いてある。大人なのか子供なのか、よく分からない同級生だった。
「……なんかあった?」
夏休み前。あれからまた挨拶くらいしか交わさない、同じ空間を共有するだけの、友人とも知人とも言えない、仲間とも少し違う関係に戻っていた2人だったが、切島がヴィランと相対した……できなかった次の日、彼はそう声をかけてきた。破ったのはまたテラシのほうだった。
「なんで?」
「……なんていうか。におい……上手く説明できない」
出来心で尋ね返した切島にテラシは口をもにょつかせた。切島は数学の式を書いていたシャーペンの芯をしまって机に転がす。彼は入口の傍で立ったまま、心配そうに、でも気まずそうに、切島とワックスの張った床との間で視線を行き来させていた。
中学生の切島には、少し時間が必要だった。
「……昨日、さ」
言うのと言わないのと、どちらが格好悪いかを考えて、切島は言う方を選んだ。最終的に決め手になったのはそこではなくて、結局のところ切島は自分のことを全くの他人と思っていてもおかしくない相手から向けられた心配を無下にできない男だというだけだった。少し時間が空いたので、テラシは今日の獲物を既に物色し始めていた。相変わらず一番手前にある、よく売れて名前の知れた本を集めた棚から選んでいるらしい。『私を離さないで』『ざんねんな生き物事典』『これからの正義の話をしよう』。
切島は昨日の出来事をゆっくりと語った。テラシは切島の斜め前の席に座って、時折「うん」と穏やかな相槌を打ちながら聞いていた。適当に最後に引っ掛けた本を持ってきていたが、あまり読むつもりもないようだった。
「切島さ」
「おう」
「そんとき足動いたとして、どうするつもりだったん」
恐らく初めて名前を呼ばれた。切島は、こいつ俺の名前知ってたんだなと思った。テラシのことをそういう人間だと思っているのではなくて、覚えられていなくても不思議ではないという意味である。
「割って入って……」
「それから?」
「……分かんねえ。なんか言うとか」
テラシの両目の視線が切島を射抜く。切島は何となくそれがいたたまれなくて逃げるように目線を落とした。彼の持ってきた本の表紙の、黒い正義の二文字がいやに目に入った。
「オレは、ヒーローとかそういうの、全然詳しくないけど。切島はオレが今まで会ってきた人の中でも、特にヒーローっぽい奴だなって思う」
「!!」
「でも、うーん。だからこそ? 死んだら駄目だろ、お前みたいのは」
「死ッ……!?」
「? そういう職業じゃねーの?」
「そ、うだけど……」
切島が視線を外したからか、テラシは椅子にふんぞり返って天井とかを見ながら言った。平然としていた。
「無策で突っ込んで死ぬより、動けなくて生きる方が生き物として賢いよ」
「……。そういう問題じゃねェんだ。ヒーローは市民を守らないといけねえ。それでもし死んじまったら、それは鍛錬不足のせいなんだから自己責任だ」
「それって、ヒーローの仕事はつまり自己犠牲ってこと? もしお前がヒーローだったら、女子2人の代わりに死ぬのが正しくて、仕事だったってこと?」
そのままの間抜けなのびのびとした格好のまま、テラシは切島に尋ねてきた。黒のような青のような灰色の目がこちらを見ていて、切島は不思議と赤い目じゃないんだなと思った。彼はそれを縁取る睫毛すら白い毛の色をしているから、きっとこの前何かで見たアルビノというやつを思い出したのだろう。
切島はヒーロー科の面接のつもりで少し考えてみた。雄英の受験に面接はないけれど。高々14年の人生、その内で人助けについて考え始めたのなんてごく最近の話だ。目の前の教科書に正解は載っていないし、経験から導き出せる答えも当然持ち合わせていない。……オールマイトなら、紅頼雄斗なら。きっと。
「弱いと、どっちかしか取れない。そもそも選ぶことすらできなかった。もし俺がちゃんとヒーローなら、女の子守って、死なねえ」
切島は静かに、でもしっかりした声で答えた。反面テラシは、不満そうにも見える難しい顔で「…………なるほど」とだけ答えた。ヒーローとしては100点満点の回答だったろうが、彼にとって望むものではなかったようだ。
「なるほどて」
「なんか、うん。根本的にこう……考え方っていうか、頭のつくりが違うってことが分かった」
「えっ」
「あ、ごめん、喧嘩売ってるとかじゃなくて。やっぱどう足掻いてもオレはヒーローになれねーなと。なる気もないけど」
お前凄いね、尊敬する……。テラシはついに長い脚を机に掛けて言った。若干疲れが滲んだような、喉の底が震えた声だった。
「カルネアデスの板、って知ってる?」
「なんかの映画か?」
「違う、思考実験の名前」
「思考実験」
「トロッコ問題とか。そういう系」
「あー」
テラシはギィゴ、ギィゴと傾けた椅子を鳴らしながら喋った。あなたは船に乗ってるときに難波して海に投げ出されました。漂流中、運良く木っ端になった船の残骸にしがみつけました。後から別の乗客がやってきて、自分も掴まらせてくれと言ってきました。その木の板には人一人分を浮かせる力しかありません。さあどうする? ってやつ。*1
「お前は迷いなく木の板譲って、なおかつ自分とその人両方救けるために日頃から訓練しておくべき、みたいなことを考えるってことだろ」
「まあ……うん、そうなるか」
「どうやってそいつ殺して生き残るか考えてるオレなに? ってなるわ」
「お前が? そうは見えねェけど」
「そりゃオレだって殺したかねーけど。救けたいよか生きたいが勝るよ、やっぱ。生物の定義で宿命だろ、生きるって」
テラシは乗り上げていた脚をおろし、椅子の上で胡座を組んだ。本人はそう言うが、切島には彼が、たとえ緊急時だったとしても、他の誰かを差し置いて自分こそが生き残るのだと声高々に主張できる人間には思えなかった。そうしている光景を想像しようとしても思い描けないのだ。それどころかそう考えるせいか、彼の言葉すら何か言わされているような、自分を利己的だと思いたい言い訳のように思え始めてくる。テラシが切島の方を見ずに言ったからかもしれない。
「自分のことほっぽりだして赤の他人をまず生かすって、生き物としては結構破綻してる気がする」
「スゲー言う」
「だから綺麗で貴重なんだろうね。人間ぽい」
切島はぽかんとテラシの横顔を眺めてしまった。綺麗、と口にする彼は明確に笑っていたわけではなかったけれど、何かを……切島の中にも確かにある人間の善性をきっと慈しんでいた。それにしても不思議な言い回しをする奴だと思う。先程彼自身が言った『根本的に考え方が違う』人間に、切島も今正に直面しているのだ。
「お前、一般人なんかになっちゃったら多分すげー苦労するぜ。なんせ生き物として破綻してんだから。悪いこと言わんからヒーローなっときな」
そう当然のように言うので、切島は理解に数秒かかって――だって通常、進路の話で“悪いこと言わないから”なんて言われたら、後に続くのは普通科行けとか地元にしとけとか現実を見ろとか、要するにヒーロー科は止めておけという旨が続くのがセオリーなのだから、言葉の処理が多少バグるのも無理はない――ぶはっと吹き出した。
「えっ。笑うとこ?」
「いや、ふふ、違……、なんか変なツボ、入って、く、わり」
つまり切島は、この不思議な隣人に、お前が如何にヒーローに向いている心根をしているのかということを物凄く迂遠な表現で大真面目に、真正面からロジカルに説かれたという話であった。誰に肯定されたでも否定されたでもないのに自信のない本心に、時間をかけて染み入ってくる。笑いながら、なんだか泣きたい気分だった。
テラシは笑い続ける切島に不可解そうな顔をして、しかしやがて「まーいいや」と呆れたような笑みをした。
「はー……なんかスッキリした」
「そりゃよかった」
「
断言した切島にテラシは灰色の目を丸めた。「……そ」返事は素っ気なかった。お互い、それで十分だった。
○
それから。
喋りすぎたのか喉が渇いたから帰ると言ったテラシに切島が自販機で奢ると返し、道中で彼が気分がいいからと、ひとつ教えてくれた。
『お前、恐怖と戦うとか、恐怖に打ち勝ってこそとか思ってるだろ』
『甘いな。恐怖はお前の味方だぞ』
『トップレベルの対人系スポーツアスリートとか、トップヒーローとかの脳を調べたら、扁桃体ってトコがめちゃ発達してんだって。恐怖を感じるための部分なんだけど』
『そこからシグナルが出て身体が動いたり強ばったりすんだけど、逃げるのも戦うのも固まるのも、全部自律神経がそうさせてる。結果は違うけど、シグナルは同じ。どうやって結果を変えるのかまではオレは知らないけど、多分それこそ訓練だ』
『つまり』
『トップにいける奴は、恐怖心がない奴じゃない、恐怖に勝った奴でもない。めちゃくちゃ怖がりで、かつ正しく怖がれる奴だ』
乱破にぶっ飛ばされた切島は、自分の身体で抉れた壁に埋れるように静止していた。ぱらぱらと硬化して割れた皮膚が床に落ちる音がした。
「……」
「? 頭を打ったか」
切島の変化に天蓋だけが気付いて片眉を上げたが、すぐに興味をなくして目の前の攻防に視線を戻した。最早脅威でないことに変わりはない。
シンプルさで言えばクラス内でも一二を争う個性を持つ切島と言えど、ヒーロー科で自分の個性と向き合えば嫌でも自分の個性への理解が深まる。切島は呼吸をするのと同じくらい自然に皮膚を硬くできるけれど、言い換えれば呼吸と同じくらい無意識に個性を使っている。たとえば衝撃に備えるとき、炎の中に突っ込んでいくとき、一瞬で間合いを詰められたとき、目の前に銃弾が飛んできたとき――
(恐怖は、俺の、味方)
1年前の出来事がふっと一度頭を過ぎっただけで、酷い有様だった切島の心が驚く程に凪いだ。怖いと思っている、それは変わらない。けれど同時に何故か“やらなければならない”と思っていて、ただそれはその想いが恐怖より強いとか弱いとかそういう次元でなく、ごく当然なものとして切島の頭にあった。
そうすると不思議なもので、急に思考が回り出す。ヴィランの考え、攻撃の癖、ファットガムの能力と意図、――自分が何をするべきか。それらが一目でなんとなく分かる。それは考える余裕ができたためではない。怖いから、死にたくないから、殺させたくないから、勝手に頭が動いて弾き出すのである。窮鼠が猫を噛むように。火事場で馬鹿力が出るように。
判断とほぼ同時に、切島はファットガムと乱破の間に躍り出た。恐れ方を覚えた凡人ほどに厄介なものもそうない。