君にヒーローアカデミア   作:おぷと

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Ep. 6 エリとミリオと社会科見学

 

 

 

 

 

 

「お着替え!」

「あります」

「2日分!?」

「うん」

「靴下!」

「あります」

「おやつ!」

「リュックに……」

「トランプ!」

「いいのかな、かいてない……」

「いいさ! 準備は完璧なんだよね!」

「ルミリオンさん、ハンカチとティッシュ」

「おっと! 危ないところだったよね!」

 

 ありがとう! と通形はエリに満点の笑顔でお礼を言った。エリは不器用ながらも、へにゃ、とほんの少し相好を崩す。ミッドナイト先生が作ってくれた校長の描かれた可愛いしおりとにらめっこしながら、二人はお泊まりの準備の最終確認をしていた。行き先は、国立個性究明研究所である。

 

 

 

 発端は実は通形のほうである。銃弾によって個性を失うも、通形は誰よりもヒーローの心を持った男だ。なにせあのオールマイトの後継に最も相応しい男と言われる程の人間である。彼がヒーローを諦めるはずがない。

 だがその朗報が彼に運ばれたのは、彼自身の執拗な情報収集というよりは周囲の人間の善性故であった。否、彼をヒーローに戻してやりたいと思わせる彼の人徳は無論あってこそとは言えるけれど。

 ラグドールという()()の話はすぐに通形の耳に入り、彼は入学直後の例の講演で貰った名刺の連絡先に電話をかけた、という次第だった。これはまだ通形が入院中の出来事であった。

 なにせ銃弾の解析を依頼されたのは他でもないQILであるので、話はすぐに通った。治ってからでもと提案したQIL側にできるだけ早くと返答した彼に応じ、東京からわざわざ飛んできてくれた斉木が同意の上で()()ところ、

 

「やはりな、残っていない」

 

 ラグドールのときとは違い、彼からは個性因子が完全に失われてしまっていた。

 ヒーローにとっては余命宣告よりも辛い事実を斉木は平然と言ってのけた。この女は本質的にはマッドと付くタイプの科学者なので、最低限の形式的な道徳はあっても基本ノンデリなのである。ちょっと、いやかなり絶望する通形に、彼女は片眉を上げて下唇を軽く突き出した。

 

「どうかしたかミスター」

「いや……はは。ちょ、っと。スミマセン」

「? まあいい、まずはさっさと退院してくれ。物理的にも心理的にも色々手を出し辛くてかなわん」

「へ?」

「なんだ」

「どうにか、できるんです、か」

「は? お前がしろと言ってきたんだろう」

 

 斉木は、コイツは何を言っているんだ? という完全に呆れ返った目で通形を見た。

 

「銃弾の中身のサンプルは僅かだが凍結保存で残している。心許ないがまあなんとかするよ、本当なら中身の個性持ち本人に協力を仰げれば尚やりやすいんだが……捜査については知らんがどう考えても被害者だしなあ。最悪、お前の部屋を隅々まで探して個性消失以前のお前の髪の毛なり何なりを手に入れて、配列を再現すればいい」

 

 銃弾の個性持ちの細胞を確立できれば便利なんだが、いや寧ろ後者のアプローチの方が早い可能性すらあるな、そういえばコスチュームを作る際に本人の細胞を利用することが稀にあるのではなかったか凪乃に確認を取らせるか、いやしかしこっちは正直その後が問題なんだよなやはり前者か……ぶつぶつと頭の中を垂れ流して自分の世界に入ってしまった斉木に、通形は暫く声を掛けられなかった。上手く言葉が出てこなかったのだ。

 

「あの」

「なんだ」

「ありがとう、ございます……!!」

「まだ何もしとらんがね」

「それでも……! 個性因子が全く残ってないのに個性を戻すなんて、ド素人の俺ですら大変だって分かる。お引き受けくださったことに、感謝させてください!!」

 

 通形は勢いよく頭を下げた。感動で目尻に涙が浮かんでいた。

 斉木は困ったような、戸惑ったような顔をして、「止めてくれ、子供に泣かれるのが一番堪える」と、優しい声で告げた。

 

「こ、子供……」

「うん? 高校生なのだろ」

「まあ、一応はそうですが」

「なら子供だ。それに、別に慈善活動のつもりでもねえから、あまり気にされても困る。私はヒーローじゃないから」

「……? というと」

「なに単純な話さ。ここで止めたら負けたみたいで腹が立つだろ。どうして私が他人の細胞で銃弾作るような他人の褌大関の倫理観ゴミクズ馬の骨野郎に勝ちを譲る必要がある? しかもお前らヒーローは勝利したって話じゃないか、冗談じゃない」

 

 斉木はケッ、と忌々しそうに床を蹴っ飛ばした。カツンとヒールの音がよく響いたのを覚えている。

 通形は、その理不尽というものに腹を立てる感情こそが慈善の心のあらわれではないかと思ったが、あんまり子供だと思われたくなかったので言わないでおいた。

 

 

 

 さて常識的配慮と情報不足により銃弾の個性の持ち主をあたることを諦めた斉木と違って、事件に濃密に関わっていた通形はそれが誰であるのかを知っていた。よくよく、知っていた。

 自分だけの問題であれば、通形はそのことを綺麗さっぱり忘れてしまえた。しかし実際にエリの協力によって助かるのは、今のままで苦労するのは通形ではなく斉木たち研究員であることを通形は理解していた。ヒーローだからこそ、通形は葛藤した。

 

 悩める青年の事情に一番先に気付いてほどいたのは意外にも周囲の大人や同級生ではなく、厚意で面倒を見ていた子供、つまりエリ本人だった。大人の機微を読み損ねると最悪死んでいたような環境にいたのだ、彼女は誰より表情を読むのが上手かった。

 彼女の心配を上手く躱す通形に、思いもよらないところから助言が来た。

 

「本人に聞いてみませんか。君や僕たちの行為を非人道的と断じるのは、君の仕事ではないはずだよ」

 

 エリを見てくれている個性訓練士の言葉だった。何の説明もしていないのにいきなり本心を言い当ててきたその男に通形は「もしかして心が丸見えなんだよね!?!?」と女子みたいにはだけてない胸元を押さえた。「んふふ」とその男、相澤操太は楽しそうに笑う。彼の個性は読心ではないので単にQILの情報共有と自分の担当児の経緯を鑑みて事情を察しただけなのだが、まれにおふざけでこうやって段階を踏まずに心を鷲掴みにするような言動をするので、仲間内では畏敬と少しの悪意を込めてよくメンタリストSouTaと呼ばれていた。まあつまるところ、毎回と言っていいほどエリに付き添って気遣う姿に、信頼され気を許された証拠である。

 

「……でも」

「でも?」

「エ、……彼女は優しい。俺が困ってるって言ったら、無条件で承諾してしまうかもしれない」

「大事な人を助けたくて何が問題なの?」

「だっ、」

「って、僕なら思いますけどね」

 

 訓練によく使われる教師寮の一室で、操太はエリから片時も目を離さずに言った。個性の都合なので通形は気を悪くしなかったし、初めてではなかったので慣れていた。よく見ると時折、セットされた髪がふわりと浮き上がっている。

 その躊躇を、責任を持つ者として当然の庇護と捉えるか、罪悪感故の大人のエゴと捉えるか。きっとどちらも正解で、どちらも間違いだった。

 

「操太くん」

「はい、……うん、綺麗に治りましたね、凄い! 流石です」

「えへ……」

「では次は、元の傷に戻してみましょう」

「う」

「それでまた治す」

「……あたまが……」

「ふふ、混乱するよね、分かる。けど、これが一番できなくちゃいけないし、できたら何でもできます。失敗しても取り返しがつくのが、エリちゃんの個性の強みだよ」

「……はい。がんばる」

「その意気です」

 

 訓練に集中していたエリは、幸いにして二人の話を聞いていなかったようだ。エリは操太が医療用メスで傷を付けた彼自身の腕を治す訓練をしていた。

 彼ら二人と違って個性の使用感を共有できない通形が興味本位で聞いた話によると、彼女の個性『巻き戻し』は現時点で3つの軸を持っているらしい。即ち、単純な時間軸、その個体の発生から始まる成長過程の軸、そして人間、のみならず生物が辿ってきた進化・変異の軸。個性への理解が進めば更に増える可能性もあるそうだ。このうち、彼女は1つ目の軸の巻き戻しを練習していた。操太に言わしめて基本のキ、というのも、他2つを含め全ての巻き戻しは1つ目の巻き戻しの対象になるのである。故にこれができれば多少の暴走は怖くなくなる、とのことだった。分かってはいたが改めて規格外の個性である。

 それにしても、いくら自分で操作して治せるからと言って自分の身体を教材にするとは、兄だけでなく弟も中々クソ度胸の持ち主らしい。曰く、彼なりの責任の持ち方なのだという。

 

 通形は考えた。悩んで悩んで、訓練が終わる時間ギリギリでエリが「ルミリオンさん、見てて」と操太の腕を傷がない状態、ある状態、ない状態、と巻き戻せるようになったのをキラキラのお目目で披露してきたのを見て、この優しい子にできるだけ侵襲なく平穏にいて欲しい想いを振り切って、彼女自身に尋ねてみることに決めた。通形は、エリが自分のことを憎からず思っていることを尊重できる男で、一刻も早くそんな彼女の平和を守れるようになりたいのだった。

 

 

 

 

 こうして、彼女の二つ返事を踏まえ、折角だから二人まとめておいでと言ってくれたQILのご厚意のもと、検査やサンプル採取のための2泊3日が計画されたというわけであった。

 二人は旅行かばんとリュックを携えて、お互いの右手と左手を繋いで、新幹線に乗った。人だらけ、初めての場所だらけで緊張していたエリは通形の手を最後の希望みたいに強く握りしめていたが、目的地に近付くにつれ慣れたのか落ち着きを見せていて、かえって通形の方が緊張する始末となってしまった。乗り換えた先、最寄りのバス停から徒歩5分、6歳児とそれに合わせる青年の歩みのスピードで、そんな彼を知ってか知らずかエリはぽつぽつと通形に話しかけた。

 

「操太くんがね」

「うん」

「当日いないのごめんなさいって」

「そう、いらっしゃらないんだよね……エリちゃん、不安じゃない?」

「……ちょっと。でもね」

「うん」

「優しい人ばっかりって、言ってた」

「そっか」

「うん」

 

 二人は手を繋いだまま、ゆっくり敷地内に入っていった。お互いの存在を確かめるみたいだった。

 

 

 

 

「えーっと、通形さん? と……君がエリちゃん?」

「はい」

「うん……」

「斉木と相澤から話は聞いています、二人とも遠いところようこそ! 担当のテラシ レイです」

「わ……」

「わ?」

「若いんだよね!?!?」

「わあ」

 

 通形はクリクリの目をひん剥いて言った。驚き桃の木である、こんなことなら入口前の植木に桃でも生らせておくんだった。通形はTPOを弁えられる男である。レイはくくくと喉を鳴らして笑った。

 

「まあ、その通りで。16なんで」

「年下!!」

「気軽にレイって呼んでください、なんなら全然タメでいいですし。エリちゃんも。オレも名前で呼んじゃうからおあいこ」

「レイさん?」

「はーい」

 

 レイはしゃがんでエリと話した。「髪似てるね。エリちゃんのがキラキラで綺麗だけど」「レイさんのは、雪みたい。きれい」「えっ嬉しい好きになりそう。エリちゃん好きな人いる?」「えっ。う……」「いるんだ!」通形が少し呆気に取られた間に恋バナまでしている。しれっと発覚した衝撃の事実に気絶しそうになりながら、通形はエリを抱き上げた。気分は娘に彼氏ができた父親である。

 

「あっ。すみません」

「だっだいっ、大丈夫なんだよね! エリちゃんあとでその話詳しく教えてね!!」

「え?」

「ふ、あはは! 聞いてはいたけどほんとに仲良しなんですね」

「勿論なんだよね!」

「うん」

 

 二人は顔を見合わせ、それぞれの方法で力強く肯定した。レイはそれに表情を一段柔らかくしながら続けた。

 

「よければそのままで、研究所と研究員を簡単に案内させていただこうと思ってます。斉木が今すぐ対応できないこともあるんですが、通形さんは何度かこちらに通ってもらうことになるわけですし。エリちゃんも探検みたいで楽しいかなって……あ嫌ならお菓子とか食べながら待っててもらうのでも全然アリなんですけど」

「俺はありがたいけど……エリちゃん、疲れてない?」

「……たんけん、してみたい、です」

「おっけ、決まり」

 

 こうして、エリちゃん一行のQIL探索が幕を開けた。

 

 

 

 

「そういえば、玄関で紹介やらスキャン? やらをしてくれた女の子は、この研究所のマスコットキャラクターかい?」

「ふたつ結びの……」

「ああ! 彼女はうちの研究員ですよ」

「え!」

 

 玄関のは彼女が自作したプログラムですけど、とレイは続けた。白衣の下、背中側に手を入れて何かを取り出す仕草をする。

 

「雷(いかずち)凪乃さんという方で。運が良ければ……凪乃ちゃーん」

「はーい!」

 

 レイが持っていたのはタブレットだった。彼が呼びかけると画面がパッと明るくなり、そこにエントランスで二人が見た女の子が映っていた。

 

「さっきはじっとしててくれてありがと! 二人の生体データはバッチリ登録したから、これからはいつでもQILに遊びに来てね! あでもお友達は連れてこられないから注意だよ、全自動追尾レーザーで焼き殺されちゃう!」

「!? 殺意が高いんだよね!?」

「わたし凪乃、凪乃ちゃんって呼んでね!」

「通形ミリオだよね! よろしく!」

「エリです」

「わーー本物! エリチャンカワイイヤッター!!」

 

 凪乃はタブレットの画面にベタ! と貼り付くように顔を近付け、たかと思えば今度はピョンピョン跳び跳ねてエリの可愛さを(?)喜んだ。本物? と首を傾げる通形の傍ら、褒められたらしいことを分からないなりに理解したエリはあの……えっと……とちょっぴり頬を赤くして慌てたあと、

 

「なの、ちゃん、も……かわいい、やったあ?」

「ヴッ」

 

 凪乃は急性心筋梗塞でも起こしたみたいな勢いで胸を押さえ込んで倒れた。可愛さの前に人は無力である。血を流したわけでもないのにダイイングメッセージで『かわいさの暴力』と書いていた。赤いサインペン。マトモなツッコミもいないのにフルスロットルでボケ倒している。同じ芸人(?)の通形は彼女に一気に親近感を抱いた。自分もボケなので突っ込めないけど。

 

「彼女は受付や渉外、加えてシステム周りを担当してくれています。凄い人なんですよ、こんなだけど」

「あはは……ええと、一応確認なんだけど、本当にAIやプログラムじゃないんだよね?」

「はい。“個性”ですね」

「驚いたな……かなり希少だよね」

「そう聞いてます」

 

 レイは適度にスルーして解説役の務めを果たすと、完全に反応待ちになってしまった凪乃をどうにかすべくタブレットをエリに向けた。「起こしてあげて」エリがちょっと困りながらも液晶をタップすると、うんとかすんとか言いながら画面内の凪乃が若干身動ぎした。今度は長押し。すると凪乃はさながらMiiみたいに、首根っこを指に押さえられた状態でワタワタする。最後にエリが指を離すと、飛び降りるようにして着地した。相変わらず芸が細かい。

 

「ふっ! かつ! 起こしてくれてありがとうエリちゃん!」

「えっと……どういたしまして」

「あーんかわい。案内わたしもやりたかった! けどそろそろ戻んないとみんな寂しくて泣いちゃうだろうからお暇」

「仕事進まなくて叱られるの間違いじゃ?」

「ほら凪乃ってアイドルだから? 愛だよ愛。それじゃあミリオくんにエリちゃん、また話そうね!」

「あ、……いっちゃった」

 

 嵐のような女性であった。タブレットには一般的なホーム画面が表示されている。凪乃がいた時の方が寧ろ画面はシンプルだったのに、なんとなく寂しさを覚えるのはきっと錯覚ではない。

 

「アイドル?」

「ああ。なんでも夢なんだそうで、バーチャル・アイドル」

「舞台の上で、歌ったり踊ったりする人のことだよ」

 

 レイは「あ」と上擦った声を漏らした。彼女の出自を忘れていた訳ではないのだが、というより自分も孤児の出なのにあまりに常識があることを今更少し反省した。エリは少し考えたあと「じろうさん? 妖精さん?」「近いね、その二人を合わせた感じ」「それは…………すごい」とまたひとつ新しいことを勉強した。

 

「きっとなれるね」

「……うん。そうですね」

 

 

 

 

 

 

「――ここを行くと西棟です。こっちは特殊な部屋がある棟で、基本的にはお二人に来てもらうことはない……というか緊急時以外は立ち入り禁止と覚えておいてください」

「来たらだめ?」

「そう」

「何の部屋があるんだい?」

「えーっと。病原体の実験してたり、放射線を扱ってたり、やべぇ薬品とか置いてたり、実験動物がいたり、とかまあそんな感じです」

「おお……」

「危ない?」

「そうそうそう」

 

 東棟に入っている関連施設や企業で働く皆さんに可愛がられたあと、中央棟から伸びる連絡通路を三人は歩いていた。「めっちゃ理解早いね天才じゃん。将来一緒に働きてえ〜、研究員とか興味ない?」「ヘッドハンティング!?」「……うーん」「エリちゃんヒーロー、ヒーローは!? 興味ない!?」「すごい必死」「う〜〜ん」レイは心優しく気配りの上手い好青年だが、隙あらばエリを口説く(?)ので通形は中々気が抜けなかった。引く手数多なエリは両頬に手を添えて困ってしまいながらも真剣に悩んでいる。今のところ一番の候補はお歌を歌うひとだった。

 

「このマーク」

「わっかがいっぱい、と、……プロペラ?」

「中央棟にも貼ってある部屋があるんだけど、これ『この先危ないよ』のマークね」

「わかりました」

「見たことはあったけど……本当に研究所に表示があるんだね」

「心配しなくてもゾンビは出てきませんよ」

 

 レイはころころ笑うと、「生体認証で開くんで」と、パネルに手のひらを置きカメラに虹彩を認識させて扉を開いた。通形のみならずエリも揃って首を傾げる。二人の疑問が口にされる前にレイが解説を入れた。

 

「うちには凪乃ちゃんがいるので、大抵のアクシデントは彼女の指示に従ってもらえれば大丈夫なんですけど。逆に言うと、彼女と連絡がつかないときが一番の非常事態なんです。そういうとき、ここに逃げ込んでくださいってこと」

「危ないのに?」

「からこそ、かな。色々事情があって」

 

 眉尻を下げてお茶を濁すレイに、通形はそれ以上突っ込まないことにした。エリは八斎戒の一室を除いて雄英での生活を常識としてインプットしているので、ここにはものすごいロボット兵器が置いてあって、だから普段は危険だけど、有事の際にはそれが起き出してきて研究所を守ってくれるのかなという理解に落ち着いた。

 その場で立ち止まったままの三人に扉は10秒ほどで閉まり始める。そのとき、向こう側から「ぅぉぉおおお」という男の声が聞こえてきて、閉まりきる直前でこちらに滑り込んできた。

 ゼハー、ゼハーと奇妙な呼吸の荒らげ方をして、男は壁に両腕をついた。少しして「ぉあ……?」顔を上げる。固まった3人と視線が交わった。クマの酷い顔、ボサボサの髪、汚れの跡が残る白衣、頼りない字体で『中ボス』と書かれたTシャツ。限界研究員の模範的な姿。

 

「ゾンビ……?」

 

 エリの呟きがぽつんと空間に落とされた。

 

 

 

「何やってんすか別宮くん」

「あのあのあの誠に……平に……陳謝……えっと……俺がQILの恥です……?」

「いやそこまで気に病まなくても」

 

 レイは呆れながら背中に隠れようとする別宮に視線をやった。レイが容赦なく中央棟への道を戻る上、別宮は彼よりも少し背が高いので微妙に隠れきれていなかった。誰もいないと思って一瞬パジャマで外に出て人がいたみたいな恥ずかしさが半分、知らない人が怖いのが半分。どちらも年下の子供なのに。強個性持ちになって多少改善を見せたとはいえこの男は根っこがどう足掻いても陰キャなのだ。

 

「マジでごめん……頭回ってなかった」

「何徹目ですか」

「多分3とか」

「頼むんで死なないでくださいよ。お二人ともすみません、彼は別宮さんといって……ほら挨拶しないと、このままだと別宮くんゾンビでQILの恥の人ですよ」

 

 話に置いてきぼりのままレイの後ろを着いていっていた二人を振り返ってレイは別宮に勧めた。別宮は自分の衣服のありとあらゆるポケットに手を突っ込んで、その内のひとつからストラップのついた名札をデロデロ取り出して首から下げた。

 

「驚かせてスンマセン、別宮 ラジオっていいます。肩書きはSE……えっと、機械触る人です。メインはメンテだけど、組む方もやるしマシンも弄ってる。なんならスポイト握らされてるし溶接面持たされてる。便利な技術屋というか、マア小間使いみたいなモンです。ベンリ・ベックマン」

「副船長!?」

「あ、知ってる? あとついでにレントゲンが撮れるよ」

「がいこつ?」

「そう、分かるの凄いね」

「ん……あ、エリです」

「通形です」

「これはどうも」

「どうも」

「どうもどうも」

 

 三人は名刺交換するサラリーマンみたいにペコペコ頭を下げあった。頃合いを見てレイを皮切りに一団はまたゆっくり進み始める。

 

「すごいくま」

「あ。ホホホ……お恥ずかしい」

「寝てない?」

「うん、ちょっとね」

「やっぱり、国内最高峰の個性研究所ともなれば激務なんですね」

「え? ああいや、うーん。まあ仕事はしてるけど」

「?」

「徹夜は俺の責任、や責任ていうか……趣味? ですかネ」

 

 別宮はヘラっと苦笑した。対人経験が浅い人間がする曖昧な笑い方だった。

 

「うちはホワイト……まあちょっとかなり灰色がかってるけどトップはいい人だし、俺自身社畜根性では全然なくて。仕事のために徹夜なんかするようなできた人間じゃないです、徹夜のために仕事してるんです」

「え、ええと……変わったご趣味をお持ちなんですね……?」

「そうスかね。通形さんは寝る前スマホ弄らないタイプですか」

「え? そうですね、たまにくらい?」

「健康人間だァ眩しい……ま要するにその延長というか。気になること知らない・やらないまま寝るの気持ち悪いんですよ。情報の入出力は睡眠より快感なんです、早い話がそういう中毒なワケです。awake中毒」

 

 良い子は真似しないでね、と別宮は通形からエリに視線をずらして言った。彼女は依然通形の腕に抱えられているので、少し隣を見るだけでよかった。

 

「別宮、さん? は……」

「はい」

「わるいひと?」

「!? エリちゃん、」

「うーん。どちらかと言えばそうですかね。どうして?」

「夜更かしは、悪いことだって」

「あー。確かに、エリさんの健康にとっては悪い。わるわるですネ」

「わるわる」

「はい。でも悪いことって、実は楽しンです。コレ内緒なんですけど」

 

 別宮は口の前で人差し指を立て、shhと歯間から息を吐いて音をたてた。「6歳の女の子に何を教えてるんですか」レイの呆れ声にも素知らぬ顔である。

「人生楽しんだもん勝ちって言うでしょ」「じんせいたのしんだもんがち」エリは復唱した。言葉の意味は分かったが、まるで知らない言葉のように聞こえた。

 

「……でも。……むずかしい」

「うーん良い子! 雄英育ち!」

 

 通形はこの会話をいつ止めるべきかハラハラと見ていたが、結局何も言わないでいた。右も左もヒーローしかいないあの特殊な環境では、決して教えることのできない知恵だと思ったから。

 

「よし。わるわる超絶初心者のエリさんに、ささやかながら第一歩目のアドバイス。友達や家族、好きな人、誰かそういう大切な人を誘って、天体観測をしましょう」

「てんたい、かんそく」

「おすすめは特に寒い冬の日。沢山の服、帽子にマフラー、手袋、温かい飲み物と魔法瓶の水筒を忘れないよう前日までに準備すンです。よく晴れた夜と見晴らしのよい場所を探して、この日この場所と決めて出かけます。事前に星や星座のお勉強ができればなお完璧、前準備は入念であればあるだけいい」

「それは……別に、悪いことでは」

「いいえ? 無理に今でなくとも大人になってからやればいいことですし、どうしてもというならプラネタリウムに行けば宜しい」

 

 通形の意見に別宮はピシャンと反論した。レイの背後に隠れたがっていたのが嘘のようなスピード感である。学会発表の質疑応答で鍛えられた専門家の悪いところがモロに出ていた。「子供の今、夜にやるから悪い(楽し)ンですよ」とびきり優しい言い方で添えられた言葉に通形は遂に撃沈した。小さな悪事にすら経験のない子供への教示。純粋な善意からの言葉とも捉えられるところ決してそうでないと分かるのは、通形がそれこそ天体観測のようなことをしっかり経験してきたからだった。彼に限らずQILには皮肉屋が多いのである、なにせここは科学者の巣窟なので。別宮なんかまだ可愛い方だ。

 とはいえ。

 バコン!!

 

「い"ッッ、〜〜〜〜〜っっ」

「流石に寝不足が過ぎます」

 

 レイが思いっきり別宮の頭をはたいた。彼は怪力なので相当に痛かったことだろう。実はこれはとても珍しいことで、別宮は叩かれてなお何が起きたのか状況を飲み込みかねていた。優秀な研究員の脳の入った頭から実に良い音が鳴って、良い子の通形とエリはおろ…と揃って気の毒がった。

 

「すみません、度々失礼を。悪い大人の良い例と覚えてください」

「えっと……めちゃくちゃ痛そうだけど……」

「気にしないでokです、ああ見えて戦闘要員なんで」

「うん? せん、え?」

 

 予想だにしなかった単語が飛び出してきて、通形は上手く聞き取れなかった。レイは、可愛い後輩から割とマジめに叱られたのが思ったより辛くて泣きそうになっている別宮を仮眠室に放り込むのに忙しく、通形は結局深く聞けなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「次は1階に降ります」

「たしか入口は2階だったよね」

「はい」

「なにがありますか」

「工学系のラボですね。オレたちは工房とか、アトリエって呼んでます」

「あとりえ」

「通常は、芸術家や美術家が作業をする場所を指すんだよね」

「はい。なので厳密に言うと実態とは異なるんですが、そう呼ぶと喜ぶので」

「?」

「今から会う方ですよ」

 

 エレベーターに乗り込みながら3人は会話した。まだまだ色々なことを知るべきエリに通形は度々このようにして解説を挟んだ。その際に毎回、レイに失礼にならないように配慮してアイコンタクトを送るのだが、その気遣いの強さ故なのかはたまた彼自身のユーモアのためか、つぶらな瞳でパチパチパチパチ! と過剰に瞬きをするので、レイはその度笑いを堪えるのに必死だった。通形はこういう、なんでもない振る舞いに人柄がよく滲む人間だった。

 

 1階で降りると、これまで案内されてきたような社会人のオフィススペースや理系の研究所とは一風変わった空間が広がっていた。

 まず暗い。歩くのには十分困らない程度だが、採光窓がないのか全て人工の明かりで賄われているような閉鎖的な視界。そして広い。恐らく階層を丸ごとぶち抜かれている。しかし広々としているわけでは決してなく、それはとにかく物が多いためであった。入り口近くには宅配業者のロゴ入りで伝票が貼り付けられたままのダンボールがそのまま積んであって、そこから少し距離を挟んで、壁に固定された机の上に散らばる部品とガジェットらしき何かとか、腰丈くらいのよく分からない装置とか、何かの端材とチェーンソーと木くずとか、挙げはじめるとキリがない程ゴチャゴチャ色々置かれている。よく見ると、なんとなくブース分けされているのが分かった。静かに、でも確かにある何かの機械音と、鼻の先につくオイルのにおい。

 エリは通形の服を少しだけ握った。

 

「怖い?」

「……すこし。でも」

「うん」

「おんなじくらい、ワクワクが、あります」

「! そうだね」

 

 まるで、ファンタジーフィクションに出てくるスチームパンクな機械工の住処。

 エリが未知に対して、恐怖と同時に好奇心を抱けるようになったのは、間違いなく雄英高校諸氏、そして今傍にいるこの男の尽力の賜物だった。

 3人が更に進むと、少し整理されて開けたスペースがあって、そこにはやはりファンタジックなデザインで統一された調度品と、

 

「お人形さん……」

 

 ゴシック・ロリィタに身を包む、小さな少女が座っていた。彼女はニコ、と清楚に微笑むと、その桃色のちいさな唇を開いた。

 

「いらっしゃアい」

「!」

 

 その口から紡がれたのはテノール。低音声域では説明しきれない、根本的な厚い声帯の震えによる発声。

 

「利作くん、今日は正装なんですね」

「まーね。お客さん来るって聞ーたからア、キャワっしょ。ふたりがそ? キャワちゃんいんじゃアん、アガんね」

「はい。ああ紹介しますね、()は御吏田(みりた)利作(りさく)さんです。工学系の研究員ですね」

「……かれ?」

「おれ男オ。よろぴ」

 

 御吏田はこちらに指先を伸ばしたピースをした。通形がよく見ると、彼女、否彼の首に喉仏があった。その俗っぽい仕草と、重力と湿度を感じる口調に、書籍や液晶の奥から出てきたような容貌とのギャップを上手く統合できない。

 一方のエリ。先入観……というよりは単純に知識がないだけだが、その上適応力の高い彼女はすぐに彼のアウトラインをそういうものとして認識した。

 

「よろぴ?」

「よろしく、の旨ですね」

「なるほど……よろぴ」

「え〜ヤバいマジでキャワ。おれもキャワちゃん抱っこしてい?」

「きゃわ?」

「かわいーねってこと!」

「んむ……みりた、さん? も、きゃわ、です」

「えへへエ♡ あ、よかったら下の名前で呼んで。りーちゃんでもリサリサでも利作でも」

 

 エリは凪乃のときもそうだったが、ラボに来てからあまりに可愛い可愛いと褒められるせいで、今までのように謙遜したり引っ込み思案になったりするよりは同じ褒め方で返すほうが反応が良いことを既に学んでいた。

 通形からなし崩し的にエリを受け取ることに成功した御吏田は、「そっちのおまえもねエ」と置いてけぼり気味の通形に対してついでのように付け加えた。初見で人形と見紛った通り御吏田の身長は150cm程度と低く、彼がエリを抱えていると子供が子供を抱き上げているようだった。

 御吏田がエリとイチャイチャしていると、ピリリリ、と甲高い着信音が鳴った。レイが電話を取ってはい、はい、と何度か返事をして通話を終える。

 

「すみません呼ばれました、御吏田さん。あと頼めますか」

「定期審査? 常タイミングクソだな奴ら。いいよオ、任せな」

「ありがとうございます。通形さん、エリちゃん、最後までご案内できずできず申し訳ございません」

 

 すみませんすみません、いえいえありがとうございました、と頭を下げあった後、レイはにこやかに手を振って戻っていった。

 

「お詫びになんでも見せるよオ、元からなんでも見せたけど。キャワちゃんなんか見たいのある?」

「え、えっと……」

「あの、すみません。ここって何を作る施設なんでしょうか」

「……そだねエ」

 

 通形の質問に、御吏田は少し間をあけて答えた。エリと話すときに比べてテンションがやけに落ち着いている。なんとなく、目が笑っていない気がする。

 何か知らないが嫌われているらしい。通形は基本的に人に好かれやすいので、ヴィランでない人間からのこういう対応の感じが久しぶりで、なんだか懐かしい気持ちになっていた。雄英とヒーロー界隈に慣れきった証拠とも言えた。

 

「ガクセーさんに喋っていいんか分からんけどオ、濁すのめんどいし喋ってい?」

「え……はい」

「個性工学」

「!」

「だからマジなんでも作るよオ。なんでも」

 

 まア座んなよ、と勧められ、通形は御吏田の正面の席についた。エリはそのまま御吏田の膝の上にいる。どこからともなくドローンが静かにやってきて、通形にコーヒー、エリにココア、中央にクッキーを準備してそのまま去っていった。

 通形は授業で習った知識を思い出す。個性工学とは、広義にはその名の通り、個性因子を工学に利用することを試みる分野を指す。ヒーローコスチュームや雄英サポート科で作っているようなアイテムのうち、本人の細胞や個性因子を用いたものもここに含まれる。

 ただ、“学生に話していいか分からない”という枕詞がつくということは、御吏田は狭義の個性工学を指したのだと通形には思われた。すなわち、使用者自身の個性を組み込み利用範囲も本人(ヒーロー)ただ一人に絞られるようなヒーローアイテム以外の、組み込む個性と使用者が限定されないモノを作る分野だ。サポート系個性工学と比較して新しい、言い換えれば未開拓のブルーオーシャンであり、発展すればより便利な世の中になるのは自明である一方、人間の持つ最大のアイデンティティである“個性”が褪せてしまうと専らの話題で、小論文テーマの格好の的として使われているような分野だった。

 

「サポもやってっちゃやってっけどねエ。おれいちおサポ科卒だし、雄英」

「OBの方だったんだよね!?」

「敬え。ま、企業が投げるような訳ありで、(コレ)出せて、おもろい案件だけ。あとはウチのに頼まれるのをちょいちょい、て感じイ。おけ?」

 

 御吏田は首を傾げて通形に確認をとった。こてん、という擬音が聞こえてきそうで大変可愛らしい。傍にこれまた可愛らしいエリが添えられているので割増で可愛く見えた。

 通形は御吏田に初見で嫌われている理由がなんとなく分かった。単純に自分と彼の相性がよくないのだろう。通形も、隠す気もなく功利主義的で、良心や規範ではなく自身の興味が第一に置かれているのだろう彼の性質は得意とは言えそうになかった。悪い人では確実にないし、良い人とも人によっては呼べるだろう、素晴らしい才能と業績を持っていて尊敬もできる。ただ、自分と話せば不快にさせるしなる、そういう人のようだった。相手からも、恐らく同様の評価なのだろう。

 

「サポ科出て個性工学かア……て顔」

「え! いやそんな」

「はアい抜き打ち面接ウ。個性工学について己の意見を述べよ」

「……正直、発展していくのが怖いな、と。法整備が待たれるっていつも書いてます」

「なんで?」

「“個性”は個性なので」

「……。今のおまえからその言葉出るのやべエね。本気でそう思ってんだ、参考になりまアす」

「はあ」

「反対意見にもたまには耳貸さないとねエ、共感はできないけどオ」

 

 御吏田は白い手袋をつけたまま、クッキーを1枚手に取るとエリの口元に持っていった。エリはクッキーが全然いらなかったが、彼女は感情にとても聡く御吏田が完全に善意でそうしているのが分かったので、気を遣って小ちゃく小ちゃくひとかじりした。御吏田はそれで満足して欠けたそのクッキーを丸ごと口に放り投げる。間接キスは気にしない派らしい。

 

「何見せよっかア。キャワちゃんて何好きなん、甘いの? ぷいきあ? スパイスと素敵なもの?」

「ん……素敵なもの、かな。ワクワクさん」

「!?!?」

「? りさく、さん?」

「きゃ、キャワちゃ、そのレジェンドの名前(ワクワクさん)って、どこで……」

「? えと、こうちょうせんせい」

「ねづっち底が知れないよオ」

 

 御吏田はエリの頭の上に自分の頭を乗せた。子ども相手とはいえ距離が近いどころの騒ぎではない。エリもエリで、どうしてか御吏田を怖いと思わないのが不思議だった。

 

「あんまり、思いつかない、から……ルミリオンさん。見たいのありますか」

「えっ。うーん、俺は……やっぱりサポートアイテムが気になるよね」

「……ふウん。りイ、いいよオ、今ちょうど一件受けてる。レジェンドに適うかは分かんねけどねエ」

「れじぇ……?」

 

 行こっかア。御吏田はエリを抱えたまま立ち上がった。安定感はあるし本人も余裕の顔だが、大きさの不均衡と細腕で重そうに見える。「あ、代わります」通形の善意での申し出を御吏田は笑顔で黙殺した。

 

「おまえ、足速い?」

「え? ええと、まあ、人よりは……?」

「そ、じゃいいやア。着いてきな、置いてんの壊すなよオ」

「えっ、ちょ!?」

 

 ヒールなのに音もなく走り出した――滞空時間が長く一見飛んでいるように見える――御吏田を、通形は慌てて追い掛けた。突然のことに現役ヒーローのスイッチが入って、うっかり透過の個性が使えるときと同様の動きをしかけたのを慌てて地道に走るルートに切り替える。御吏田の動きは明らかに常人の、研究に明け暮れるただの一般人のそれではなかった。

 

「ウィルちゃんとかレエくんがやる気? だから協力してっけどオ、おれやっぱおまえのこと気に食わなアい」

「っぜぇ、」

「ごめんちょっと嘘だわ。おれが気に食わないの、おまえってかヒーローなんだけどオ。おまえヒーローのテンプレみたいな奴だからさア」

 

 エリを姫抱きにした彼は、先行していたのをわざわざ通形の正面まで戻って、後ろ向きに飛びながら話しかけた。エリは自分を抱く上等な衣服の感触に複雑そうな顔をした。ヒーローとお人形さんがなんだかバチバチしている。

 

「ここまでしてヒーローにしがみつく理由は? 警察は? 自衛隊は? 救急隊ではダメなん? 人間の価値イコール個性か? ムコ(無個性の略・蔑称)やパンピは超常社会の役に立たない?」

 

 御吏田の大きな宝石のような両目が通形を見ていた。ふたりは吸い込まれそうな顔で彼の顔を見た。

 通形は速度を落として呼吸を整えた。御吏田が遅れてパニエを浮かばせて着地するように足を止める。

 

「はあ、は……、これは、俺の考えですが」

「うん」

「事故や災害も勿論怖いですが、一番は人の悪意だと思っています」

「……」

「悪意が波及しやすい今の個性社会では、壁が必要です。それがヒーローだと思っています。だから俺はヒーローでいたい」

「おまえである必要ある? このヒーロー飽和の時代に」

「……、……。」

「……ふウウウん?」

「あの、」

「キャワちゃん?」

「あります、えっと……」

 

 エリは御吏田のパフスリーブをちょこんと摘んで引いた。

 自分にとってのとびきりのヒーローが、おまえはヒーローかと訊かれて頷けないでいる。個性がないという理由だけで。彼は無個性になって尚誰よりも自分を守ってくれた、否今も守ってくれている、最高のヒーローなのに。

 エリは御吏田を説得しようとして、上手く言葉が出てこなかった。もにゅもにゅと口の中で何ごとか言っているのを二人が聞くだけの時間があって、唐突に御吏田が相好を崩した。目も笑っているように見える。彼はコツ、コツと足音を鳴らしながら通形の傍まで歩いて、エリを引き渡した。

 

「いじめてごめんねエ」

「いえ、そんな」

「えーっと……ミリオ? よく見ると名前ちょう似てんじゃんウケる」

「はあ」

「キャワちゃんは……エリ。エリイね、覚えた」

「あ、えっと」

「大事にしなよオ、お互いに。中々出会えるもんじゃない」

 

 それこそ人形のようにこれまであまり表情を変えなかった御吏田は今このときだけは柔らかく笑っていた。通形に抱かれたエリの頭を撫で、「かがめ」と端的に命令して通形の頭も撫でた。満足すると振り返って「こっちイ」と今度は歩いて案内を再開する。自分勝手なのだ。

 

「ミリオヒーロー続けるつもりのくせに足遅くね? 訓練サボんなよオ」

「ええと、実は機動力は以前とそんなに変わってなくて……」

「嘘オヤバ。鍛錬付き合っちゃろか? エリイ連れてきてくれんならだけど」

「あの、失礼ですが、利作さんはどうしてそんなに足がお速いんでしょうか」

「ん〜? ま、長いことやり合ってたのが最速だからなア、多少は引き摺られるってゆーか」

「……? それは、」

「着いたよオ」

 

 そこには複数のモニターとコンピューター、そこから伸びるそれ以上の数のコード、雑に散らばったツールボックスの中身、そして精巧なマネキンに着せられたパワードスーツがあった。

 

「ロボットみたい」

「みたいってか実際ロボだよオ」

 

「よっとオ」御吏田は立った棺桶のような保護用の仕切りからマネキンごとスーツを取り出すと、ヘルメットだけ外して通形に渡してきた。コードが繋がったままになっている。「被ってみな」

 

「本当はエリイに体験してほしいとこだけどオ、流石にサイズ違いすぎるから」

「ありがとうございます」

「被れたら2、3歩 歩いてみ。エリイはこっち見てて」

 

 御吏田はマネキンの両手を持って立位を保つようにしていた。通形が指示に従うと、一瞬遅れてマネキンが同様に歩行行動をとった。立ち止まるとマネキンも止まる。通形とエリには動きが完全にリンクしているように見えた。

 

「わ、あ……! 歩いた!」

「あの、これ、マネキンに仕組みとかないですよね、」

「んむ。重いだけの人形オ」

「…………」

 

 明るい歓声を上げたエリと裏腹に、通形は絶句していた。サラっと紹介しているが、凄いなんて言葉では片付けられない技術だと分かったためだ。はっきり言って天才の所業である。

 

「怪我で下半身不随なったヒーローからの依頼なんだけどさア、見た目より調整メチャ大変なんだよね。しょーじき動かせないってだけならどうとでもなんだけど、感覚も一緒に死んでるから動いても脚の位置も格好も分からんし、何より重心取んのがムズいムズい。気イ抜いたらすウぐ転ぶ」

「ど、どうとでも……」

「へエ、さっすが雄英生、優秀ウ。お察しの通り、今の“科学”だけじゃ脳波から意図した動作を再現なんてまず無理だ」

 

 通形はヘルメットを御吏田に返した。御吏田は平気そうな顔でマネキンを元の位置に戻していたが、恐らく人間一人と同じ質量を持っているはずである。

 

「“他人に自分と同じ動きやポーズをさせられる個性”があってさ。リンクさせるって面では思ったより、つかほぼ全く役に立たなかったんだけど、運動野のシグナルを対象に出力する際のプロセスを流用させてもらってる」

「個性の一部分だけを使うようなこともできるんですね」

「ワハハ、トーゼン! 寧ろおれたちの十八番だよオ、何の研究所だと思ってんの」

 

 御吏田はひとっ飛びで立った棺桶のてっぺんに登って座ると、両脚をプラプラ揺らしてけらけらと笑った。エリがぽやっとした顔で彼を見上げている。

 通形は個性工学への考え方を真っ向から裏切られた気分だった。もっと個性を丸ごと機械に移して代替させるようなものだと思っていた。だからと言って、人間の個性因子を利用しているという本質は変わりないのだが。

 けれどこれがもし普及したならば。人生が変わる人がきっと沢山いる。

 

「みイんな頭が固いよねエ、個性と“個性”が真に同一だって、信じきってる奴が沢山いる。人間て元からもっと七色だったはずなのにね、歪で愚かで可愛いねエ」

 

 通形の中にもある葛藤を一笑に付して、御吏田は高所から飛び降りた。エリに、「おれとミリオどっちがいー?」とニコニコ両腕を広げたが、彼女は申し訳なさそうな、けれど意思の宿る瞳でそれを拒否した。

 

「あの。歩いても、いいですか」

 

 通形と御吏田は顔を見合わせた。「いいよオ」「勿論だよね!」子供向けではない会話の中で、彼女はこれがどういう人のための発明なのかをちゃんと理解していた。2人はそれぞれエリの右手と左手をとって、彼女の歩幅でゆっくりとアトリエを後にするのだった。

 

 

 

 

 

「お届けものでエす」

「おや、まあまあ。これはどうも」

 

 デスクスペースのソファにて、物腰柔らかな口調で3人を出迎えてくれたのは、なんと少年だった。御吏田のように単に背が低いのではなく、本当に子供の造形をしていた。エリと同じくらいか少し年上だろうか。

 

「通形くんとエリくんですね、お話は伺っております」

 

 少年はニコニコしながら着席を促した。通形とエリがそれに従って座ろうとしたとき、「お前はこっちイ」と御吏田が通形の首根っこを掴んだ。

 

「お前は今からせんせーにありとあらゆる検体を採られるんだよオ」

「ぐえっ」

「おじーちゃんあとヨロ」

「はい」

 

 身長差に構うことなくズルズルと引き摺られていく。「行ってらっしゃい」首を絞められている通形の苦しみが見えていないかのように穏やかにニコニコ2人に手を振る少年。彼も中々癖が強そうで、通形はエリを一人置いていくのを少し心配に思った。

 対するエリ。彼女はこれまでずっと一緒だった通形と引き離されて少し不安を覚えていたが、それとは別に少し緊張していた。御吏田に何故かおじーちゃんと呼びれたその少年は、サラサラなプラチナブロンドを携えた王子様のような子どもなのである。

 エリはこれまで、同年代の子と接したことが全くない。病院にいたとき、他の入院患者を見かけたのが精々だ。どうしよう。何を話せばいいのかな。よく分からないけど、なんとなくどきどきしている。

 

「はじめまして、エリくん。ぼくは、長生(ちょうせい) エリック 八千代(やちよ)といいます」

「……?」

「ふふふ。名前をね、ふたつ持っているんです。エリックと八千代。長生が苗字」

「すごい。……」

 

 長生は指を2本立てて笑った。エリは言葉通りに目をキラキラさせたが、何かに気付いてすぐに睫毛を伏せて黙ってしまった。

 長生は彼女の様子を僅かな間だけただ見て、

 

「エリくんは」

「へ?」

「お名前です」

 

 エリは目を丸くした。誰にも訊かれたことのない質問で、今正にエリが気にしていた、密かな彼女の負い目。気遣いの完璧な大人には話さない、子ども同士のひそひそ話。長生は立ったままだったエリを手招きしてソファの隣に呼び、小さな声で話したかったエリは素直に頷き駆け足をした。

 

「エリだけ。ただのエリ」

「どうして?」

「……おとうさんとおかあさんといたときは、多分、みょうじあったの。けど忘れちゃった。し、誰も呼ばない」

「そうですか」

 

 エリは自分の服の裾を握った。寂しいような、けど初めて誰かに話せて落ち着いた、ような。不思議な気分。長生はそう間を置かず「どんなのがいいですか」と尋ねた。

 

「どんなのって、苗字?」

「はい」

「……自分で、つけられないとおもう」

「貰う人を選ぶんですよ」

「選ぶ」

「はい」

「…………。」

「誰のもほしくない?」

「ううん。違うの」

「うん」

「……みんな、優しいから、私が欲しいって言うと、きっとくれようとする。なんとかしてくれる」

「はい」

「けど、そうじゃなくて……これ以上、迷惑かけたくない」

「そうですか」

「……」

「じゃあ、エリくんが迷惑をかけたい人を、探さないといけませんね」

 

 エリはまた目を丸くした。言葉の意味は理解できるのに、触れたことのない概念だからどうしても理解が遅れるのだ。長生は混乱しているエリに、くすっと全女子を虜にしそうな王子様の吐息で笑って、

 

「エリくんが『迷惑をかけ』て生じる罪悪感は、きっとこの先も消えません。慣れて薄れて小さくなるか、諦めて迷惑をかけている自覚ごと忘れてしまうか、どちらかです」

「うん」

「嫌でしょ」

「……わかるの?」

「はい」

「凄いね」

「フフ。ありがとう」

 

 長生は柔らかく目を細めた。彼は操太のように心理学に精通しているのではないが、エリのような複雑なバックグラウンドを持つ子供を仕事相手にしていた時期があるため、こういう子の思考回路にある程度心当たりがあるのだった。優しさだけでは人が救われないのを彼は知っていた。

 

「ぼくたちのようなのはね。決して奪わせてはならないが、守られることに慣れてもいけない。強くなくてはいけない。分かりますか」

「……うん」

「賢い子だ。いつか、エリくんが弱くて貴重だからでなく、きみの良いところに、強さに惚れ込んで傍にいてくれる人を見つけなさい。それができたなら、その人に対しては、『迷惑をかける』ことが、別の名前できみの中にあるはずです」

「名前をもらうことも?」

「はい」

 

 エリは暫く考えて、握っていた拳を解いた。エリは長生が、その見目に反して、普段エリにものを教えてくれる先生や高校生たちと同じくらい人生を経験している人であるのを分かったが、同時に彼の言葉が彼らと同じ大人として・庇護する者としての教育でなく、エリと彼が同族である故の実経験に基づく助言であることを肌で理解していた。彼はもしかしたら中身は大人かもしれないけど、きっとエリと同じように、子供の頃に戦火に放り出された人だった。

 

「もちろん、ただのエリで一生通したっていいし、以前の苗字を頑張って探し当ててもいい」

「うん」

「強くなる前でも、長生ならあげられますし」

「……、!!」

「フフ」

 

 エリは常識に疎いが、それでも女の子なので、長生の言葉の意味を推し量って両頬をぽ、と赤く染めた。長生のこれは最早癖のようなもの、というのも、彼の前職場には全てに絶望して死に向かう子供があまりにも多すぎたから。仕事の僅かな合間に、無理やりにでも子供の恋心をこじ開けて、人生に目的を持たせるようにしていた、その名残りだった。彼は言うなればプロの初恋キラーなのだ。あまりに酷い男なのである。

 しかしエリは、

 

「……だめ」

「おや。振られてしまいました」

「えっと。あのね、」

「はい」

「結婚したら、ともだちじゃなくなっちゃう。やちよくんは、初めてできた、同じくらいのともだちだから」

 

 これに今度は長生の方が面食らった。暫くぽかんと放心して、それにエリが 何かまずいことを言ったかもしれない……と気を揉んでいるとき、その不安をぶっ飛ばすくらいに勢いよくあっはっは!! と大笑いした。

 

「ははは、フフ、光栄です、嬉しいな」

 

 と、口元に手を宛てて本当に嬉しそうに、それこそ好きな人に告白でもされたみたいに長生は喜んだ。それがあんまり綺麗で、エリは間違えて結婚を了承してしまったのではないかと不安になる程だった。

 

「困ったことがあったら、いえなくても、いつでも遊びに来てください。おともだちですから」

「うん。やちよくんも」

「フフ、ええ、ええ、もちろん」

 

 それから、何を搾り取られたのか、げっそりして心做しか体積が少し減って見える通形が戻ってくるまで、エリは長生とずっと話していた。夢中になっていて、長い時間が経ったことにエリは全然気が付かなかった。

 長生は、世界中の人がどんな個性を持っているのかを調べる仕事をしているらしかった。エリから雄英に来て初めて童話の絵本を読んだことを聞き出した彼がしてくれた、童話にまつわる個性は希少ながら、なぜか世界中で見られるという話が、エリのいちばんのお気に入りだ。切り口が大衆受けしやすいのは勿論、個性人類学的な観点からも大いに注目に値するテーマで、それだけで面白いことは確約されている話題ではあったが、エリがこんなにも気に入った理由は、自分の学習が次の学習に繋がったことを実感してしまったことだ。学ぶことが楽しいことを、エリは知ってしまったのだった。

 

「がいこく……」

「行ってみますか?」

「……私も、行けるの?」

「はい。誰でも、どこへでも、行っていいんです」

「それは、……ちょっと、こわい」

「はい」

「……だれかと。いっしょに、行きたい」

「いいですね」

「……あの。その。やちよくん」

「はい。では、エリくんがぼくの背を抜いたときに、また誘ってください」

「! うん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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