2話 任務
――校舎。
夕陽の差し込む教室に、三つの影が落ちていた。
「……いやでもさぁ!」
納得いかない、と声を上げたのは灯だった。
「まあ落ち着きなよ、灯」
「うぅ……槍牙ぁ!透真が役に立たないよぉ!」
勢いよく槍牙へ飛びつき、その腕にしがみつく。
「……」
「なんとか言ってよぉ!」
槍牙は少し考え――静かに灯の頭を撫でた。
「ふぇ」
間の抜けた声が漏れる。
「えへへー」
遅れて甘える声。
「はぁ……槍牙は甘いな」
「違うよ!透真が固いだけ!このアホ!昭和脳!」
「なんでそこまで言われなきゃいけないんだよ……」
槍牙は反応せず、窓の外へ視線を向ける。
差し込む光の中で、猫を撫でるような手つきが続いていた。
「ねぇ、槍牙」
「なんだ」
「やっぱり今度の任務の割り当ておかしいよね?」
透真が口を挟む。
「最初もこんなもんだったろ」
「俺らの術式的には妥当だ。
槍牙は戦闘、灯は救出と雑魚処理。
俺は安全確保とサポート」
一息置く。
「合理的な配置だろ?」
「「……」」
沈黙。
「……つまり?」
「各々の術式に合ってるってこと」
「あー。なるほど?」
「よくわからん」
「もうやだこの二人」
透真は小さくため息をついた。
その時。
教室の扉が開く。
「お前らー席着けー」
渋々と槍牙から離れる灯。
安堵する透真。
そして最初から座っている槍牙。
「前にも言ったが任務を開始する。目的は一般人の救出、および呪霊の討伐だ」
教室の空気がわずかに引き締まる。
「恐らく二級相当。ヘマするなよ」
「はーい」
三人の声が重なった。
「十分後に車出す。準備しとけ」
教師はそれだけ言い残し、去っていった。
扉が閉まる。
「あの人いつも適当だよね」
「術師にまともなやつがいたと思うか?」
「それもそっかー」
会話の横で、槍牙はすでに立ち上がっていた。
「あ!待ってよ槍牙!」
「相変わらず速いなマジで」
二人も慌てて後を追う。
校舎を出る頃には、空はすでに夕闇へ沈み始めていた。
用意された車両へ乗り込み、街を離れる。
流れていく街灯。
次第に減っていく人影。
窓の外の景色は、静かに色を失っていった。
灯がシートにもたれながら呟く。
「なんかさ、任務って感じしてきたね」
「今さらかよ」
「だって訓練ばっかだったじゃん」
透真は端末へ視線を落としたまま答える。
「今回は実地だ。気を抜くなよ」
前方の席で、槍牙は何も言わない。
ただ窓の外を見ていた。
やがて車は速度を落とす。
街外れ。
人気の途絶えた区画に、一つの巨大な建造物が姿を現した。
三年前に閉鎖された大型商業施設――蒼葉スクエア。
割れたガラス。
沈んだ照明。
闇に飲み込まれた入口。
車が静かに停止する。
ドアが開き、夜の空気が流れ込んだ。
その傍らで、一人の男性が端末を操作していた。
三人へ気付き、顔を上げる。
「お疲れ様です」
補助監督が、穏やかに頭を下げた。
「こちらが今回の任務現場、蒼葉スクエアになります」
淡々とした説明が始まる。
「昨夜より内部で異常な呪力反応を確認。現在、二級呪霊の存在が推定されています」
灯が小さく息を呑んだ。
二級。
訓練任務としては、決して軽い相手ではない。
「……それと、もう一点」
補助監督の声がわずかに沈む。
「施設内部に一般人が取り残されています。確認人数は五名」
夜風が吹き抜け、壊れた看板が軋んだ。
「内部では呪力による空間認識の錯誤が発生しています。侵入後、出口の判別が困難になる可能性があります」
透真の視線が自然と建物へ向く。
「対象呪霊は建造物との同化傾向を確認。大規模戦闘は建物崩落および二次被害へ直結します」
一拍の沈黙。
「――本任務は、討伐より救出を優先してください」
端末が閉じられる。
「被害の最小限化が最重要事項です」
補助監督はイヤホンへ手を添えた。
「これより――帳を降ろします」
その瞬間。
空気が沈んだ。
世界の輪郭が鈍り、外界の音が遠ざかる。
見えない膜が空間を覆い、夜そのものが閉じ込められる。
灯が思わず周囲を見回した。
「……なんか、嫌な感じ」
誰に向けたわけでもない呟き。
槍牙は答えない。
ただ――施設の暗闇を、じっと見据えていた。
「準備が整い次第、突入をお願いします。」
次の瞬間。
世界は完全に外界から切り離された。
---
「いや、なにもなくない?」
「そんなこと言うなよ灯」
中に入っておよそ二十分。
救出対象の一般人が見当たらないのは理解できるが、呪霊の一匹すら見当たらない。
槍牙が口を挟む。
「…違和感」
「え?」
「同じ景色ばかりだ」
灯と透真が辺りを見渡す。
「確かに、そうなのかな…?」
灯は多分、と言葉を漏らす。
「うん、槍牙の言う通りだと思う」
「え、じゃあ術式持ちってこと?」
「恐らく等級ミスだな…」
えええっと驚く素振りを見せる灯。
「…何らかの条件下で発動か」
赤い非常灯の下を進むたび、靴音が妙に遅れて反響した。
距離感が狂う。
一歩踏み出すごとに、通路の奥行きが伸びたり縮んだりしているようだった。
「……気持ち悪」
灯が小さく呟く。
「視覚と感覚がズレてる」
「目を信用するな」
透真が即座に返す。
「呪力感知を基準にしろ。迷ったら止まる」
槍牙は無言のまま歩き続けていたが、不意に足を止めた。
右手がわずかに上がる。
――停止の合図。
三人同時に構えを取る。
前方。
シャッターの半分降りた店舗跡。
暗闇の奥から、微かな呼吸音が聞こえた。
「……人?」
灯が声を潜める。
透真は頷かない。
否定もしない。
「確認する」
ゆっくりと近づく。
シャッターの隙間。
覗き込んだ瞬間――
「っ、助けて……!」
中から掠れた声が上がった。
反射的に灯がしゃがみ込む。
「大丈夫!救出に来ました!」
奥には三人の男女。
疲労と恐怖で顔色を失っている。
「まだ他にもいますか?」
「わ、分からない……逃げてたら、ここに……」
透真が周囲を警戒したまま低く言う。
「灯、保護を。槍牙――」
言い終わる前だった。
――ギィィィ……
頭上。
天井材が軋む。
次の瞬間。
通路全体が、生き物のように脈打った。
「来るぞ!」
床が波打つ。
壁面が膨張し、配線と鉄骨が肉のようにうねり始める。
店舗の看板がねじれ、文字が溶ける。
蒼葉スクエアそのものが――呼吸していた。
「建物同化が終わってる……!」
透真が舌打ちする。
「灯!一般人から離れるな!」
「了解!」
槍牙の足元から呪力が静かに立ち上る。
次の瞬間。
壁面が裂けた。
そこから現れたのは形を定めない影。
柱と天井と配管が絡み合い、人型を無理やり模した異形。
顔の位置に並ぶ、無数の監視カメラ。
レンズが一斉に三人を捉えた。
空間が閉じる。
退路が、消えた。
「……はは」
灯が乾いた笑みを漏らす。
「これ、二級じゃなくない?」
透真が短く答える。
「等級ミス確定だな」
槍牙が一歩前へ出る。
呪霊が動いた。
施設全体を巻き込みながら。
床が跳ね上がる。
「散開!」
透真の指示と同時。
通路が裂け、鉄骨が槍のように突き出した。
槍牙が一歩踏み込む。
足元に呪力が沈み――
次の瞬間。
地面から純呪力結晶の槍が生成された。
透明な蒼色の槍。
握る。
重心確認。
そして。
振り抜く。
――轟音。
迫っていた鉄骨ごと呪霊の腕部を粉砕する。
「うわっ火力高っ!」
「建物壊すな!!」
透真が即座に叫ぶ。
砕けた壁材が崩れ落ちる寸前、空間に薄い膜が展開される。
「支える!槍牙、出力落とせ!」
透真の術式が崩落を抑え込む。
槍牙は短く息を吐き、構えを修正した。
破壊ではなく――貫通。
最小動作。
最小被害。
呪霊が咆哮する。
天井全体が歪み、監視カメラの群れが一斉に回転した。
視線。
固定。
標的変更。
「灯!」
「分かってる!」
灯は一般人の前へ立つ。
呪力が柔らかく広がり、周囲の瓦礫を弾いた。
「動かないでください!今出ます!」
床が溶けるように沈む。
逃がさない。
建物そのものが捕食しようとしていた。
「透真!」
「ルート作る!」
透真が床へ掌を叩きつける。
呪力が走り、 歪んだ空間認識を強引に固定。
「直線三十メートル!今だけ本物だ!」
「了解!」
灯が一般人を誘導する。
その瞬間。
背後から巨大な壁面が落下した。
槍牙が振り返る。
生成。
二本。
三本。
地面から突き出した槍を――
掴み、投げた。
空気が爆ぜる。
射出ではない。
純粋な身体能力による投擲。
呪力結晶槍が壁面を貫き衝撃を分散させる。
崩落が止まった。
「……マジで人間?」
「集中しろ!」
透真が怒鳴る。
呪霊が形を変える。
通路全域。
逃走経路そのものを閉鎖。
「救出優先だ!」
透真の声。
槍牙は頷く。
前進。
呪霊へではない。
出口方向へ槍を生成。
地面。
壁。
天井。
連続生成。
突き出した槍が強引に空間を裂き、一本道を作り出す。
「道できた!走って!」
灯が叫ぶ。
一般人が走る。
その背後で。
呪霊が完全に覚醒した。
商業施設全体が持ち上がる。
「……ちっ」
透真が歯を噛む。
「もう限界だ、抑えきれない!」
「出口まで何秒!」
「十五!」
槍牙が最後尾へ下がる。
振り返る。
呪霊と真正面。
無数のレンズが収束した。
攻撃予兆。
施設ごと潰す一撃。
槍牙は静かに息を吸う。
――救出完了まで、あと少し。
「槍牙!!」
灯の声。
一般人が帳の目前へ到達する。
透真が叫ぶ。
「全員出た!」
一瞬の静寂。
槍牙の目が細まった。
次の瞬間。
呪力が爆発的に跳ね上がる。
「……よし」
低い呟き。
足元。
床一面。
数十本の槍が同時生成された。
「ここからは――」
握る。
投げる。
踏み込む。
生成。
連撃。
「――遠慮いらねぇな」
槍の雨が施設内部を穿った。
柱が砕ける。
壁が崩れる。
建物の核へ一直線。
最後の一本。
全身の回転を乗せ――投擲。
音が消えた。
---
帳の外。
轟音。
蒼葉スクエア上層が内側から崩れ落ちた。
「……あー」
灯が乾いた声を漏らす。
「壊れちゃったね」
透真が額を押さえる。
「完全に始末書案件だな……」
瓦礫の煙がゆっくり晴れる。
その中から――人影が現れた。
一歩。
また一歩。
槍牙だった。
だが。
「……槍牙?」
灯の声が揺れる。
右肩から制服が裂け血が滴っていた。
腕には深く抉れた裂傷。 脇腹にも黒く滲んだ血痕。
歩けているのが不思議なほどだった。
「大丈夫?」
「問題ない」
一歩踏み出した瞬間。
僅かに体が揺れる。
「いや全然問題なくない!!」
灯が駆け寄る。
透真も即座に支える側へ回った。
「最後、直撃もらったな」
「……建物ごと来た」
淡々とした返答。
補助監督が慌てて通信を入れる。
「救急搬送準備を!負傷者一名!」
槍牙は崩れた施設を一度だけ振り返った。
呪力反応――消失。
任務完了。
そこでようやく力が抜けた。
長かったですか!読んでくれてありがとう!