327人殺した転生美少女の俺は、誰も殺していない ~首を刎ねると、現代日本で目を覚ます~   作:里奈使徒

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第9話「容疑者リスト」

 数日後。

 

 ヴァンは憲兵本部の前に立っていた。石造りの建物が曇り空に溶け込んでいる。灰色の壁が湿気を帯びて鈍く光っていた。

 

 正面には王国の紋章。両脇に衛兵。槍の穂先だけが、靄の中でかすかに光を返している。

 

 出入りする憲兵たちが、怪訝そうな目でこちらを見ていく。

 

 ヴァンは懐に手を入れた。ロケットの冷たさを指先で確かめる。妻の髪。娘の髪。まだ、ここにある。これだけは、いつでも確かめられる。それだけでいい。

 

 手を離した。

 

 門をくぐる。

 

 受付のカウンターに近づく。若い憲兵が顔を上げた。ヴァンは折り畳んだ紙を一枚、カウンターの上に置く。

 

 若い憲兵が手を伸ばす。一瞬ためらってから、紙を開いた。

 

 視線が止まる。

 

 憲兵の表情が変わっていく。読み進めるほど、眉間の皺が深くなっていく。唇が引き結ばれる。喉仏が上下した。一度だけ、ヴァンを見上げた。何かを確かめるような目だった。

 

「……確認する」

 

 紙を丁寧に折り直し、胸ポケットにしまう。憲兵は何も言わず、奥へ消えた。

 

 

 長椅子に腰を下ろす。

 

 廊下を憲兵たちが行き交っている。軍靴が石床を叩く音。書類を束ねる音。どこかで印章が押される音。

 

 壁の時計が秒針を刻んでいる。

 

 ヴァンは壁に背をもたれ、腕を組んだまま動かなかった。待つことには慣れている。焦っても何も変わらない。それは長い年月が教えてくれたことだ。

 

 

 十分が過ぎる。

 

 

 廊下の奥で、足音が変わった。複数ではない。一人。だが、重い。一歩ごとに近づいてくる。

 

 角を曲がって現れたのは、白髪交じりの男だった。五十代半ば。深い皺が顔に刻まれている。鋭い目。憲兵の制服だが、階級章が違う。

 

 大佐だ。

 

 周囲の憲兵たちが、一斉に背筋を伸ばした。

 

 男はヴァンの前で足を止めた。手には、あの紙が握られている。皺が寄っている。何度も読み返したのだろう。ヴァンの目を、まっすぐに見た。

 

「書いたのは、お前か?」

「ああ」

「来い」

 

 それだけ言って、背を向けた。

 

 

 ◇

 

 

 執務室は質素だった。

 

 机と椅子。書類棚。壁には地図と手配書。窓から差し込む光が弱い。年季の入った部屋だ。長い時間、この男がここで戦ってきたことが伝わってくる。

 

 大佐は机の向こうに立ち、ヴァンを見下ろした。

 

「座れ。話を聞く。その情報は、どこで手に入れた?」

「半年、追った」

 

 大佐はそれ以上聞かず、手元の紙に視線を落とす。

 

 目線が動く。速度が落ちていく。ある箇所で、指が止まる。

 

「……お前は何者だ?」

「ヴァンだ。賞金稼ぎをしている」

「……ヴァン。猟犬のヴァンか?」

「ああ」

 

 大佐は黙ったまま、こちらを見つめている。

 

 沈黙。壁の時計だけが、かちかちと音を立てていた。値踏みされていることはわかった。

 

「……半年でここまで掴んだのか。なぜ、憲兵に来た?」

「一度、仕掛けたが失敗した。奴には護衛がいる。単独では無理だ。憲兵の力が必要だ」

「……護衛だと!?」

「あぁ、強力なギフト持ちだ。攻撃を無力化された」

「……なるほど。いいだろう。協力を許可する」

「感謝する」

「ただし、条件がある。単独行動は禁止だ。必ず憲兵と組んで動け」

「わかった」

「お前の情報をもとに、うちのギフト持ちが容疑者を絞り込む。現場だけでは絞りきれなかったが、行動パターンがあれば話は別だ。お前も現場検証に同行しろ。半年追った経験を使え」

 

 大佐がベルを鳴らした。

 

 

 ◇

 

 

 しばらくして、扉が開く。

 

 二人が入ってきた。

 

 一人は女性。金髪が窓からの光を受けて淡く輝いている。凛とした顔立ち。憲兵の制服を隙なく着こなしている。若いが、目に迷いがない。

 

 もう一人は痩せた男だった。四十代くらい。目の下に深い隈。書類の束を抱えている。

 

「お呼びですか、大佐?」

「セリア、彼が猟犬のヴァンだ。いわく付きの犯罪者を幾人も捕まえた賞金稼ぎだ。レッドジョン捜査に協力してもらう」

 

 セリアがこちらを見た。青い瞳が、値踏みするように動く。

 

 ヴァンは立ち上がり、軽く頭を下げた。

 

「よろしく頼む」

「こちらこそ。よろしくお願いします」

「こっちはマルコだ。うちのギフト持ちだ。ヴァンが半年かけて集めた行動記録がある。マルコ、これをもとに現場を検証し、容疑者を絞り込め。セリアとヴァンは護衛につけ」

「了解しました」

 

 セリアが答えた。マルコは黙って頷く。

 

 

 ◇

 

 

 貧民街。

 

 空は鈍い灰色だった。雲が低く垂れ込め、陽の光を遮っている。

 

 最初の犯行現場は、崩れかけた廃屋だった。

 

 板で塞がれた窓。傾いた屋根。壁には黒ずんだ染みが残っている。血痕だ。

 

 そして、壁の一角に。

 

「R.J」

 

 乾いた血文字が、薄暗がりの中で浮かび上がっていた。ヴァンはそれを一瞥して、目を逸らした。半年で何百回見たかわからない文字。だが、慣れることはなかった。

 

 マルコが部屋の中央に立ち、目を閉じる。

 

 空気がわずかに歪む。見えない波紋が、マルコを中心に広がっていくようだった。冷気ではなく、何かが空間から抜けていくような感覚。

 

 ヴァンとセリアは入口で周囲を警戒する。背中合わせに立ち、路地の向こう、建物の影、屋根の上へと視線を配った。

 

 数秒後。

 

 マルコが目を開けた。顔色が少し青ざめている。手帳に何かを書き込んだ。

 

「次」

 

 それだけ言って、廃屋を出る。

 

 

 ◇

 

 

 それから三日間、現場を回り続けた。

 

 廃屋。路地裏。橋の下。貧民街のあちこちに、レッドジョンの爪痕が残っている。どの現場にも血文字「R.J」があった。

 

 マルコは黙々とギフトを発動し、手帳に書き込んでいく。初日は少し青ざめるだけだった。二日目には口数が減り、足取りが重くなった。三日目には、次の現場へ向かう道中も黙って歩いていた。この男が何を見ているのか、ヴァンには想像もつかなかった。

 

 ヴァンとセリアは、その背後を守り続ける。

 

 

 ◇

 

 

 最終日の夕暮れ。

 

 最後の現場を終えた時、マルコは手帳を閉じた。

 

「終わった。明日、リストを提出する」

 

 

 マルコが先に帰り、二人だけになる。

 

 夕焼けが街を茜色に染めている。崩れかけた建物の影が、長く伸びていた。

 

 石畳を並んで歩く。靴音だけが響いている。三日間、必要なことしか話さなかった。それでも、沈黙が不自然ではなかった。

 

「……なぜ、レッドジョン捜査に協力を?」

 

 セリアが聞いた。

 

 ヴァンは足を止めない。

 

「個人的な理由だ」

 

 それ以上は言わなかった。

 

 セリアは横目でヴァンを見た。何も読み取れない顔。でも、その目の奥に、何かが燃えているように見えた。火ではない。もっと冷たく、もっと長く燃え続けるものが。

 

 セリアも、それ以上は聞かない。

 

 二人の影が、茜色の石畳の上で重なり、また離れた。

 

 

 ◇

 

 

 翌日。

 

 憲兵本部。会議室。

 

 窓の外は曇っていた。灰色の光が、部屋の中を冷たく照らしている。

 

 テーブルの上に、一枚の紙が広げられていた。

 

 容疑者リスト。

 

 マルコが三日間かけて作成したものだ。

 

「百二十人。全ての犯行現場と縁がある人物です。この中に、犯人がいます」

 

 マルコが言った。大佐が受け取り、目を通す。

 

「間違いないか?」

「間違いありません」

「セリア、このリストの者を一人ずつ洗え」

 

 セリアはリストを受け取った。

 

 目を通していく。名前が連なっている。知らない名前ばかりだ。

 

 商人。職人。日雇い労働者。物乞い。娼婦。様々な職業の人間がいる。

 

 ページをめくった。

 

 指が止まる。

 

 最初は、見間違いだと思った。

 

 目を擦る。もう一度見た。

 

 変わらない。

 

 そこに、名前がある。

 

 ルーシェ――旧市街、ハイム通り。

 

 自分の家の住所だ。

 

 

 息が止まった。

 

 血の気が引いていく。指先から、頬から、熱が消えていく。

 

 紙を持つ手が震えている。止められない。

 

 周りの音が遠くなった。大佐の声も、時計の音も、何も聞こえない。

 

 ただ、その四文字だけが視界を占めている。

 

 見慣れた文字。毎日呼んでいる名前。今朝も呼んだ名前。

 

 ――嘘だ。

 ――何かの間違いだ。

 

 でも、名前は消えない。何度見ても、そこにある。

 

「……どうした?」

 

 大佐の声がした。遠くから聞こえるようだ。

 

 顔を上げた。大佐がこちらを見ている。ヴァンも。マルコも。

 

 全員の視線が、自分に集まっている。

 

「い、いえ……」

 

 声が出ない。喉が詰まっている。

 

 唾を飲み込んだ。

 

「何でもありません」

 

 大佐の目が細くなった。眉がわずかに動く。

 

 だが、それ以上は追及してこなかった。

 

「明日から確認を開始する。ヴァン、引き続き同行を頼む」

「ああ」

 

 セリアはリストを持つ手に、力を込めた。震えを止めるために。指先が白くなるほど、握りしめた。

 

 

 ◇

 

 

 夜。

 

 セリアは家に帰る。

 

 玄関を開けると、温かい空気が頬を撫でた。台所から、スープの匂いが漂ってくる。湯気が、ランプの灯りの中で白く揺れていた。

 

「おかえり、セリア姉様」

「おかえり、姉さん」

 

 奥からルーシェの声がした。

 

 セリアは口元を緩める。

 

「ただいま」

 

 食卓についた。イリスがスープをよそってくれる。ルーシェがパンを切っている。

 

 いつもの光景。いつもの夕食。

 

 ランプの灯りが揺れている。三人の影が壁に映っている。

 

 スプーンを口に運んだ。温かい。美味しいはずだ。

 

 でも、味がしない。熱だけが舌に触れて、すぐ消えた。

 

 ルーシェが笑っている。イリスと軽口を叩いている。金色の髪が揺れる。いつも通りだ。何も変わっていない。変わっているのは、自分の目だけだ。

 

 ――この子が、容疑者?

 

 スープの中に、自分の顔が映っていた。

 

 あり得ない。あり得るはずがない。

 

 レッドジョンは幾人もの首を断ち、腕利きの憲兵すら殺している。あの妹にそんな戦闘力があるはずがない。よほど強力なギフトでなければ、不可能だ。

 

 ただ、ひとつだけ引っかかる。

 

 ルーシェのギフトは、まだ発動していない。少なくとも、そう聞いている。

 

 もし――発動済で、隠していたとしたら?

 

 ギフトに飲まれる。憲兵なら誰でも知っている現象だ。凶悪なギフトが目覚めた瞬間、人が変わる。善良だった者が、別人になる。そういう事例を、セリアは何度も見てきた。目の前で変わった者も、いた。

 

 セリアは頭を振った。考えすぎだ。

 

 ルーシェは毎日家にいる。夜に外出することもあるが、酒場で働いていると言っていた。アリバイはあるはずだ。

 

 ――でも、確認したことはない。

 

 

 スプーンが止まった。

 

「姉さん、どうしたの?」

「大丈夫よ。ちょっと疲れただけ」

 

 笑顔を作る。頬の筋肉に、力を入れた。

 

 ルーシェは納得していない顔だ。でも、それ以上は聞かなかった。

 

 

 食事が終わる。

 

 

 セリアは自分の部屋に戻った。

 ベッドに腰を下ろした瞬間、膝から力が抜けた。憲兵だから。それだけが、手を動かす。

 リストを取り出した。ルーシェの名前を見つめる。

 

 ――違う。絶対に違う。

 

 そう言い聞かせた。何度も。何度も。

 

 でも、不安は消えない。

 窓の外で、月が雲に隠れようとしていた。

 

 さっき食卓で見たルーシェの顔が、瞼の裏に浮かぶ。笑っていた。何も知らない顔で、笑っていた。

 

 セリアは、リストを握りしめたまま動けなかった。

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