327人殺した転生美少女の俺は、誰も殺していない ~首を刎ねると、現代日本で目を覚ます~ 作:里奈使徒
ファーストフード店のドアを押した。
冷房の風。明るい照明。カウンターの向こうにメニューが並んでいる。
――ああ、文明。
ルーシェは深呼吸した。
この空気。この匂い。何度来ても感動する。異世界はいつも埃っぽいか、薪の匂いがするかのどちらかだ。この人工的な冷たさが、たまらなく好きだった。
今日の滞在時間は五時間ある。
三百人。半年かけて、ようやく上限が五時間になった。今日は思う存分楽しむ。
まずは腹ごしらえだ。
カウンターでハンバーガーセットを注文した。
ポテトはLサイズ。ドリンクはコーラ。トレーを持って席につく。窓際の二人がけ。日差しが差し込んで、テーブルが温かい。
――ん?
視線を感じた。
「ねえ、あの子めっちゃ可愛くない?」
「外国人? モデルかな?」
隣のテーブルの女子高生が声を潜めているつもりで全部聞こえている。
――やめろ。中身は三十二歳のおっさんだ。
後ろの席からも聞こえてくる。
「俺、声かけてこうかな?」
「やめとけって」
「いや、いける」
――いけねえよ。
包みを開けた。
肉の匂い。チーズの匂い。ケチャップとマスタードが混ざり合う、あの香り。
一口かぶりついた。
肉汁が口の中に広がる。パンのふわふわした食感。野菜のシャキシャキ。ソースの甘さと酸味。
「……っ」
涙が出そうになった。
この味だ。この味が食べたかった。
異世界の飯は不味くはない。でも、こういうジャンクな味がないのだ。塩と香辛料だけの素朴な味付け。それはそれで悪くないが、たまには背徳的な味が欲しくなる。
ポテトを頬張る。塩気と油。最高だ。
コーラを流し込む。炭酸が喉を刺す。げっぷが出そうになって慌てて口を押さえた。
――危ない。美少女がげっぷとか、絵面が最悪だ。
中身は三十二歳のおっさんなのに、こういうところは気を使ってしまう。四年も経つと、この体に馴染んでくる。
十五分でセットを平らげた。腹が膨れる。
幸せだ。
ポテトの残りをつまんでいると、
「ねえ君、一人? よかったら一緒に食べない?」
声をかけられ、顔を上げた。
大学生くらいの男が二人。チャラついた髪に、自信だけは満々の顔。
無視してポテトを口に放り込んだ。
「あれ、日本語わかんない? 外国の人?」
「めっちゃ可愛いんだけど。モデルさん?」
「ねえ、L〇NE教えてよ」
一人が向かいの椅子を引いて座り、もう一人がトレーを押しのけて隣に滑り込んでくる。
挟まれた。退路がない。
隣の男が、馴れ馴れしく手首を掴んできた。振り払おうとした拍子に、ポテトの袋が倒れる。数本がトレーから転がり落ちた。
――限られた時間で、限られた金で買ったポテトだぞ。
――鎌を出して脅してやろうか? いや、銃刀法違反だ。
じゃあ素手で……ちゃらちゃらした大学生だ、油断しきっている。一発くらいかませそうだが、少女が男二人をぶちのめしたら大騒ぎだ。
警察が来る。貴重な時間が潰れる。
――どうしよう?
「彼女、困ってるみたいだけど」
男の重厚な声。
振り向くと、背の高い男が立っていた。
端正な顔。仕立てのいいスーツ。静かにこちらを見ている。
「は? 関係ないだろ」
隣の男が立ち上がろうとすると、
スーツの男が穏やかな笑顔のまま、その肩を掴んだ。
ぎり、と音がする。
「……っ」
大学生の顔が歪んだ。よほど痛いのだろう、立ち上がれそうにない。
「嫌がってる相手の腕を掴むのは、よくないと思うよ」
そう言って、スーツの男が手を離した。
大学生は肩を押さえて後ずさる。
二人は目を合わせた。何か言いたげだったが、スーツの男が一歩踏み出すと、舌打ちして去っていった。
「Are you okay? Do you need any help?」
ナンパ男たちを追い払った後、スーツの男がこちらに向き直った。
爽やかな笑顔。流暢な英語で、こちらを気遣う声が柔らかい。
――イケメン、リア充、全てを煮詰めたような男だ。
神は二物を与えるのか?
ルーシェが黙っていると、男は少し首を傾げた。
「Pardon, tu parles français?」
――英語で反応しなかったからフランス語か。うろ覚えだが、たぶんそうだ。
答えずにいると、男は諦めない。
「¿Hablas español?」
――次のはさっぱりだ。何語だ? このまま黙ってたら何ヶ国語出てくるんだ。
あまり人と関わりたくはない。でも、助けてもらったのは事実だ。
――中身はおっさんだが、淑女として答えてやろう。
「あの。日本語、わかります。ありがとうございました」
「……えっ。日本語、上手ですね!」
――三十二年喋ってたからな。
「以前からお見かけしていたんですが……一人で大丈夫ですか? よければ駅までお送りしますよ」
――おっさんにエスコートは要らない。これ以上、俺の貴重な時間を削るな。
「大丈夫です。本当にありがとうございました」
「そうですか……あ、自己紹介がまだでしたね。僕は藤堂雅人といいます。よければお名前を?」
――個人情報はさらしたくない。だけど、助けてもらった義理がある。名前くらいは答えるか。
「……ルーシェです」
「ルーシェさん。素敵な名前ですね!」
藤堂はふと、ルーシェの手首に目を落とした。さっき掴まれた方だ。
「赤くなってますね。大丈夫ですか?」
藤堂はそっと手を取って確認する。
指先が丁寧で、紳士的だ。だが、男に触られて喜ぶ趣味はない。
「……大丈夫です」
慌てて手を引いた。
「またお見かけしたら、声かけますね」
藤堂は爽やかに笑って、軽く会釈すると、自動ドアをくぐっていった。しつこくなく引き際まで完璧である。
手を取った動作も、嫌味のない自然な仕草だった。前世の俺が同じことをしたら確実に事案だっただろう。イケメンという生き物は、同じことをしても許される。
実に不公平だ。
これだからイケメンは――爆発しろ。
気分が悪い。せっかくのハンバーガーが台無しだ。
――気分転換しよう。こういう時は漫画に限る。
◇
次に向かったのは、漫画喫茶だった。
「三時間パックで」
受付を済ませ、個室に入る。
壁一面の漫画。パソコン。リクライニングチェア。ドリンクバー。
ここは天国だ。
ルーシェは棚の前に立ち、背表紙を眺めた。ここに来るたびに、少しだけ報われた気がする。
前世で読んでいた漫画の続きがある。
四年分。積み上がっている。
手に取ったのは、異世界転生ものだった。
主人公がトラックに轢かれて、チート能力を貰って、美少女に囲まれて無双する話。前世では三十巻まで読んでいた。今は五十巻を超えている。
読み始めた。
ページをめくる手が止まらない。
――チートすぎるだろ。俺の方がハードモードだわ。
心の中でツッコミを入れながら、どんどん読み進める。主人公が苦もなく敵を倒すたびに、なんとも言えない気持ちになった。
三十一巻。三十二巻。三十三巻。
気づけば二時間が経っていた。
――やばい。全然進んでない。
まだ二十巻近く残っている。今日中には絶対無理だ。
名残惜しいが、切り上げることにした。続きはまた今度。棚に戻す時、少しだけ手が惜しんだ。
◇
漫画喫茶を出ると、外はまだ明るかった。
電車に乗る。
目的地は病院だ。
こちらへ送った人たちがどうしているか、気になっていたのだ。
転移者たちが運ばれる病院がある。コウメがギフトで医師や職員を操り、身元不明の患者でも受け入れるようにしている。場所はコウメから聞いていた。時間もある。寄ってみることにした。
病院に着く。
白い外壁の、大きな建物だ。
受付で転移者の病室を聞くと、職員は何の疑問も挟まず病室番号を教えてくれた。患者の容態まで丁寧に説明してくれる。
――身内でもない赤の他人に、だ。しかもこっちは身元不詳のおまけつき。個人情報保護なんてあったもんじゃない。
――コウメさん、怖いぞ。
エレベーターで上がり、廊下を歩く。消毒液の匂いと、静かな足音だけが続く。
いくつかの病室を回った。
ルーシェが顔を見せるだけで、泣き出す人もいた。手を握って離さない人もいた。
みんな、元気になっていた。向こうの世界で朽ちかけていた顔が、ここでは血の色を取り戻している。その変化がルーシェには何より応えた。
廊下を歩くたびに、胸の奥が少しずつ軽くなっていく。
最後の病室の前で、足が止まった。
――この感覚。
ギフトの気配!?
まだ目覚めていない。でも、芽吹きかけている。扉の向こうから、かすかに。
ドアをノックした。
「どうぞ」
中に入ると、ベッドが二つあった。
一つには大人の女性が横たわっている。
栗色の髪。痩せているが、顔立ちは整っている。三十代くらいか。
もう一つには少女がいた。十歳くらい。金色の髪。目を閉じて眠っている。その頬に、かすかな赤みがあった。
――この子だ。ギフトの気配は、この子から出ている。
大人の女性がこちらを見た。目が見開かれる。
「あなたは……」
「寝てていい。無理しないで」
「あの時のこと、覚えています。あなたが鎌を持って現れて……『おやすみ』って」
「……うん」
「怖かった。でも、痛くなかった。気づいたら、ここにいた。娘が重い病気で。お金もなくて。もう駄目だと思ってた。でも、ここでは治るって。お医者さんが言ってくれた」
女性の目から涙がこぼれた。
「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」
「お礼を言われることじゃない。私は……私のためにやってるだけだ。コウメさんから事情は聞いてるでしょ?」
「それでも、あなたは私たちの天使です」
胸が詰まった。
この人を斬った時のことを覚えている。
廃屋の中。小さな娘を抱きしめて、震えていた。
「娘さんは?」
「さっきまで起きてたんですけど、薬で眠っちゃって」
「よく眠れてるみたいだね」
「はい。この国に来てから、ぐっすり眠れるようになったって。向こうでは、夜中に何度も咳き込んで。私も眠れなくて」
今は違う。二人とも、穏やかな顔をしている。向こうで見た顔とは別人のようだ。
ルーシェは立ち上がった。
「また来るね」
「はい。待ってます」
ルーシェが背を向けかけた時、女性が声を上げた。
「ルーシェさん……私はミラです。娘はエリ。覚えておいてください」
「ミラさん、エリちゃん……うん、覚えた」
ミラはルーシェをじっと見た。
「ルーシェさん……エリに、少し似てるかもしれない。大きくなったら、エリもこんな風になるのかなって。……なんか、親近感わいちゃった」
――悪くない気分だった。
扉を閉める前に、もう一度だけ二人を見た。
◇
病院を出ると、まだ少し時間が残っていた。
コンビニに寄った。
今度は食べ物じゃない。お土産だ。
棚を眺める。何がいいだろう?
目に留まったのは、ポテトチップスだった。
うすしお。コンソメ。のり塩。
――そういえば、最近気づいたんだ。
ギフトがレベルアップしていた。使い続けることで、少しずつ成長しているらしい。
新しく得た能力は、片手で持てる程度の物を持ち運びできること。日本から異世界へ、異世界から日本へ。
――これなら、ギフトとして見せられる。
今まで、本当のギフトは口にできなかった。
【天国への扉】の詳細を他者に知られれば、能力が消滅する。だから「まだ目覚めてない」と言い続けるしかなかった。
十六歳でギフトなし。
遅い方だ。露骨に何か言われるわけではないが、同年代からの視線が少し痛い。二十歳を過ぎれば貧民街行きが決まる。まだ猶予はある。でも、そろそろ何か言い訳が必要になりそうだった。
まだ試したことはない。今日、初めて試してみよう。
三種類とも買った。
レジで会計を済ませ、袋を受け取る。
――イリス、どれが好きかな?
あいつは何でも「普通」とか「別に」とか言いそうだ。でも、きっと全部食べる。
――セリアにも。最近元気ないし、少しは気分転換になるかもしれない。
ここ数日のセリアの様子が頭をよぎった。
食欲が落ちている。笑顔がぎこちない。ポテチごときで解決するような話じゃないかもしれないが、何もしないよりはましだろう。
ふと、時計を見た。
そろそろ帰らないと。
日が傾いて、足元に長い影が伸びている。
人気のない路地に入った。左右を確認する。誰もいない。
右手に意識を集中した。淡い光とともに、鎌が現れる。
壁に向かって、一閃。
壁に、赤黒い文字が滲み出た。
「R.J」
コンクリートの上でぬらりと光っている。日本でも、これだけは変わらない。石畳でも、コンクリートでも、血が描く文字は同じだった。
ルーシェは文字に手を触れた。
視界が白く弾ける。
◇
異世界の廃屋に戻っていた。
手を見た。
ポテチの袋を握っている。
――成功だ。
鎌を消した。廃屋を出て、家へ向かう。
夜だった。星が出ている。月が細い。石畳を踏むたびに、さっきまでいた世界の感触が遠くなっていく。
家の前に着いた。窓から明かりが漏れている。
玄関を開けた。
「ただいま」
イリスが腕を組んで立っている。
「ルーシェ、遅い」
「ごめんごめん」
奥のテーブルに、セリアがいた。
ランプの灯りの下、両手を組んで座っている。こちらを見ていた。目の下に隈がある。顔色が悪い。
――ここ数日、セリアの様子がおかしい。
仕事が忙しいだけなのか、それとも何か別の理由があるのか?
「姉さん、大丈夫? 最近ずっと顔色悪いよ」
「え? ああ……ちょっと仕事が立て込んでて」
「……そう」
追及しても答えてくれないだろう。セリアは昔からそう。弱みを見せない人だ。
――気分転換になればいい。ポテチ、喜んでくれるかな?
代わりに、袋を持ち上げた。
「これ、お土産」
「お土産?」
イリスが近づいてきた。セリアも立ち上がる。
袋からポテトチップスを三袋取り出した。
「何これ?」
「食べ物だよ。開けてみ」
袋を渡す。
イリスは裏返したり振ったりしている。開け方がわからないらしい。
「ここを引っ張って」
教えてやると、恐る恐る引いた。
ぱさっ、と袋が開く。
中を覗き込む。黄色い薄い破片が詰まっている。
「……これ、食べられるの?」
「食べられる」
イリスは一枚つまんで、口に入れた。
ぱりっ。
イリスの目が見開かれた。
「……おいしい」
「だろ」
「何これ? すごく塩辛い。でも止まらない」
イリスがぱりぱりと次々に口に運んでいく。
セリアも一枚手に取った。
「本当だ……おいしい。でも、見たことない。これ、どこで?」
来た。
ルーシェは肩をすくめる。
「私のギフト。最近、目覚めたんだ」
セリアの手が止まった。
「ギフトが……目覚めた?」
「うん。物を召喚できる。遠くにある物を、手元に呼び寄せることしかできないけど」
セリアが身を乗り出した。目が真剣だ。
「……本当に、それだけ?」
「え?」
セリアの声が低い。食卓の空気が変わった。
「他に能力はないの? 召喚だけ?」
「それだけだよ。離れた場所にある物を呼び寄せるだけ」
セリアの肩から、目に見えて力が抜けた。
強張っていた表情が緩む。目尻が下がる。口元に、小さな笑みが浮かんだ。
ここ数日ずっと張り詰めていた顔が、初めて本物の表情をした。
「……よかった」
セリアの目が潤んでいた。
「おめでとう、ルーシェ」
「ありがとう、姉さん」
なぜそんなに安堵しているのかは、わからない。でも、その顔を見て、ルーシェも少し肩の力が抜けた。
イリスはそんな二人には目もくれず、ポテチを頬張っている。
「それより、これ美味しい。もっとないの?」
「あと二袋ある」
言い終わる前に、イリスが袋に手を突っ込んでいた。
「あ、こら。一人で食べるな」
「早い者勝ち」
「イリス!」
セリアが呆れた顔で笑う。
三人でポテトチップスを分け合った。
気づくと、セリアは途中からフォークを持ち出していた。
一枚ずつ丁寧に刺して食べている。
――箸でポテチ食べる人と同じ匂いがする。真面目な人間はどの世界でも真面目だ。
◇
夜。
ルーシェは自分の部屋で、天井を見上げていた。
今日は充実していた。
ハンバーガー。漫画。ミラとエリ。そしてポテチ。
日本はやっぱり最高だ。
目を閉じる。
ミラの顔が浮かんだ。涙を流しながら「ありがとう」と言っていた。
エリの穏やかな寝顔。
――あの二人も、元気になるといいな。
送った者たちが、幸せに暮らしている。
それだけで、十分だった。
――よし。また頑張ろう。
もっと送れば、滞在時間も伸びる。次はもっと長くいられるぞ。
今度は何をしようか? 前世で積んでいたゲームを消化するのもいい。温泉旅行もいつかしてみたい。
夢が広がる。
ルーシェは微笑んで、眠りにつこうとした。
突然、扉がノックされる。
「ルーシェ、起きてる? ちょっといい?」
セリアだった。こんな時間に、何だろう?
「明日、朝の十時に憲兵所に来てもらえる? レッドジョン捜査の聞き取りで」
「……ど、どうして私が?」
「ふふ、心配しないで。捜査の過程で名前が上がっただけよ。疑ってるわけじゃないの。形式的なものだから、すぐ終わるわ」
セリアの足音が、遠ざかっていく。
「……え?」
胸の奥で、何かが冷たくなった。