327人殺した転生美少女の俺は、誰も殺していない ~首を刎ねると、現代日本で目を覚ます~   作:里奈使徒

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第12話「追跡/目が、違った」

 ヴァンは憲兵本部の資料室にいた。

 

 埃っぽい空気。窓のない部屋。壁一面に棚が並び、羊皮紙の束が詰め込まれている。蝋燭の灯りが揺れるたびに、古い紙の匂いが立ち上った。

 

 机の上に、一枚の書類を広げている。

 

 ルーシェ。十六歳。女性。金髪碧眼――

 

 指が止まった。

 

 金髪碧眼。その四文字を、視線がなぞる。ほんの一瞬だけ、別の顔が浮かんだ。すぐに打ち消す。今は関係ない。

 

 旧市街ハイム通り在住。ギフトは召喚――遠方の物を手元に呼び寄せる能力。最近発動。犯罪歴なし。定職なし。貧民街へ行った理由は「姉の手伝い」と尋問で答えていた。

 

 容疑者リストに載っていた情報は、それだけだった。

 

 ヴァンは書類を睨んだ。

 

 姉のセリアは憲兵で、レッドジョン捜査班の一員。妹のイリスは十四歳。両親は五年前に他界し、姉が家計を支えている。月に一度、姉と共に貧民街の炊き出しに参加している。

 

 普通の少女だ。どこにでもいる、貧しい家の娘。

 

 だが、ヴィクターは言った。「次に嘘をつけば、焼ける」と。そして最後の質問に、少女は答えられなかった。

 

 その夜、ヴィクターは殺された。

 

 偶然か?

 

 傭兵の勘が、否と告げている。首の後ろが、じわりと熱くなる。長年戦場で磨いた感覚だ。この感覚が外れたことは、ない。

 

 扉が開いた。

 

 ヴァンは書類の上に腕を置いた。さりげなく、文字を隠す。

 

 セリアだ。

 

「何か見つかりましたか?」

「いや。まだだ」

 

 セリアは部屋に入ってきた。棚の間を歩き、別の資料を探している素振りをしている。足音は落ち着いている。呼吸も乱れていない。だが、視線だけが制御できていなかった。ちらり、とこちらの腕の下に向く。一度ではない。

 

 ヴァンは立ち上がる。書類を折り畳み、懐にしまう。

 

「少し外を回ってくる」

「どこへ?」

「貧民街だ。聞き込みをする」

 

 一瞬の間があった。

 

「……私も行きましょうか?」

「いや、一人でいい」

 

 部屋を出る。

 

 背後で、セリアが何か言いかけた気配がする。言葉になる前に消えた。振り返らなかった。

 

 

 ◇

 

 

 貧民街は、昼でも薄暗かった。

 

 建物が密集しすぎて、陽の光が届かない。路地は狭く、曲がりくねり、どこへ続いているのかわからない。腐った木材と泥の匂い。どこかで子供が泣いている。生活の音だけがある。希望の音は、しない。

 

 ヴァンは歩きながら、住人たちに声をかけた。

 

「金髪の少女を知らないか? 十六歳くらい。碧い目をしている」

 

 最初の男は、ヴァンの顔を一瞥して歩き去った。次の女は、聞こえなかったふりをして路地の奥に消えた。三人目は首を横に振ったが、目は合わせなかった。

 

 ここの住人は、よそ者の質問には答えない。生き延びるために、そう学んできた。

 

 五人目の老婆が、足を止める。

 

「金髪の……炊き出しの子かね?」

「炊き出し?」

「ああ。憲兵の姉ちゃんと一緒に来る子だよ。月に一度、広場でスープを配ってる」

「その子が、夜に出歩いているのを見たことは?」

「夜は……」

 

 老婆の目が泳いだ。唇が一度閉じる。ヴァンは懐から銅貨を数枚取り出し、無言で差し出した。老婆の視線が、銅貨とヴァンの顔の間をゆっくりと往復する。

 

「見たことがあるなら、教えてくれ」

「……一度だけ。三月くらい前だったかね。夜中に目が覚めて、外を見たら……あの子が歩いてた」

「どこへ向かっていた?」

「貧民街の奥だよ。廃屋が並んでるあたり」

「一人だったか?」

「ああ。一人だった。でも……なんだか、様子がおかしくてね」

「おかしい?」

「うまく言えないけど……目が、違った。昼間の優しい目じゃなかった。怖くなって、すぐに窓を閉めたよ。それっきり、夜は外を見ないようにしてる」

 

 老婆は銅貨を懐にしまい込み、足早に去っていく。

 

 ヴァンは路地に立ち尽くした。

 

 ――夜中に、貧民街の奥へ。

 

 ――目が、違った。

 

 風が吹いた。湿った空気が、路地を抜けていく。ヴァンはゆっくりと、廃屋が並ぶ方角に目を向けた。灰色の建物が、靄の中に溶けている。

 

 状況証拠が積み上がっていく。だが、まだ足りない。決定的な証拠が必要だ。

 

 

 ◇

 

 

 夕方の酒場は、煙草の煙と安酒の匂いが混じり合っていた。

 

 ヴァンはカウンターの隅に座り、杯を傾けながら今日集めた情報を頭の中で並べていく。

 

 金髪の少女。夜中に貧民街を歩いていた。目が違う。尋問での反応。嘘をつき続け、最後の質問に沈黙した。ヴィクターの死。尋問の翌日。レッドジョンの手口。内通者。情報筒抜け。

 

 一つひとつは薄い。しかし並べると、輪郭が浮かんでくる。

 

 まだ線ではない。だが、霧が晴れ始めている。それでも止まれない。止まり方を、あの夜から忘れた。

 

 酒場の扉が軋った。重い足音が近づいてくる。

 

 隣に、誰かが座った。

 

 ガルシア大佐だった。

 

「飲んでいるか?」

「ああ」

「ヴィクターの件、聞いたか?」

「現場を見た」

「そうか。王都から、新しい尋問官が来る。一週間後だ」

「また殺されるかもしれんな」

「ああ」

「レッドジョンに近づく者は、消される。もう何人目だ?」

「お前も気をつけろ。単独行動は控えろと言っただろう」

「わかっている」

 

 わかっている。だが、組織で動けば情報が漏れる。内通者がいる以上、単独の方が安全な場合もある。

 

 二人で黙って酒を飲んだ。

 

 大佐が、ゆっくりと杯を置く。

 

 懐から折り畳んだ紙を取り出した。カウンターの上に、静かに置く。

 

「……これは?」

「マルコが死に際に作ったものだ。憲兵に潜む鼠の候補リストだ。三分の一まで絞り込んである」

「……どうして俺に?」

「調べたと言っただろう。お前のことを」

「……何を調べた」

「奥さんと娘さんは……残念だった」

 

 杯を握る手に、力が入った。

 

「……それを、俺に言うか」

「許せ。組む前に身辺を洗うのは当然の手順だ。私情は挟めん。だが――家族を殺された者にしかわからないものもある」

 

 沈黙が落ちた。酒場の喧騒が、遠くなる。

 

「そのリストの中に、私が長年信頼してきた憲兵が何人もいた。身辺調査を終えた者でさえ、だ。だから組織内では動けん。組織の外にいるお前にしか、渡せなかった」

「……借りができたな」

「あとはお前の力量に任せる」

 

 ヴァンはリストを手に取った。広げる。名前が連なっている。

 

 鼠の候補。三分の一。憲兵の中に必ず一人いる。

 

 ――このリストを使えば、動かせる。レッドジョンの護衛ごと、別の場所へ。

 ――護衛が消えた夜に、独りで動く。

 

 ――これで、釣れる。

 

「一つ頼みがある」

「言え」

「このリストの者どもを、ダミーの場所へ動かしてほしい。理由は聞くな」

 

 大佐はしばらくヴァンを見ていた。

 

「……いつだ」

「三日後の夜」

「わかった」

 

 大佐は立ち上がり、杯を一気に干した。足音が遠ざかっていく。

 

 ヴァンは一人になったカウンターで、リストを見つめた。

 

 折り畳んで、懐にしまう。

 

 安酒を飲み干した。苦い。

 窓の外では、雨が本降りになっていた。

 

 

 ◇

 

 

 ルーシェは自宅の椅子に座ったまま、動けずにいた。

 

 昨日の尋問から、一日が経っていた。体は無事だ。なのに、胃の奥に石が詰まっているような感覚が抜けない。あの部屋の冷たさが、まだ皮膚に残っている気がした。

 

 最後の質問が、頭の中で繰り返される。

 

「レッドジョンについて、何か知っているか?」

 

 ヴィクターは言った。「後日、再開する」と。あの男が戻ってきたら、次はない。

 

 次は何を聞かれる? どう答える?

 

 答えなんか、あるはずがない。

 

 玄関の扉が開いた。イリスの声がした。

 

「ただいま」

「おかえり」

 

 イリスが足を止めた。

 

「……顔色悪い」

「大丈夫。ちょっと寝不足なだけ」

「嘘」

「嘘じゃないって」

「嘘。目が泳いでる」

「……本当に大丈夫だから」

 

 イリスは何も言わず、台所に向かった。籠を置く音がする。しばらくして、戻ってきた。手に湯気の立つカップを持っている。

 

「……飲んで」

「え?」

「ハーブティー。気持ちが落ち着く」

「……ありがとう」

「別に。セリア姉様が帰ってくるまで、寝てなさい」

 

 足音が階段を上がっていく。

 

 カップを両手で包んだ。温かさが、指先から染み込んでくる。

 

 ――こんな温かさを、いつまで受け取っていられるんだろう。

 

 ヴィクターが戻ってきたら、今度こそ逃げられない。

 

 カップに口をつけた。ハーブの香りが鼻を抜ける。

 

 窓の外では、雨が降っていた。

 

 

 ◇

 

 

 夜。

 

 雨は止んでいた。

 

 ルーシェは窓から外を見ていた。雲が切れて、月が顔を出している。

 

 セリアはまだ帰ってこない。仕事が長引いているのだろう。イリスは自分の部屋にいる。夕食は二人で済ませた。セリアの分は温め直せるようにしてある。

 

 静かな夜だ。だけど、心は静かではない。

 

 ――逃げるべきか?

 

 その考えが、昨日から何度も頭をよぎっている。この街を出れば、尋問からは逃れられる。ヴィクターの目が届かない場所まで行けば、影も見えない。

 

 でも、それはセリアとイリスを捨てるということだ。

 

 毎日帰りを待ってくれるセリアを。何も言わずにお茶を淹れてくれるイリスを。

 

 ――逃げない。

 

 そう決めたはずなのに、先の見えない不安が胸の奥に居座り続けている。

 

 ふと、息が止まった。

 

 窓の外。向かいの建物の屋根。

 

 誰かがいる!?

 

 目を凝らした。月明かりに照らされた屋根瓦。煙突の影。風が雲を動かす。月が陰り、また明るくなる。

 

 誰もいない。

 

 気のせいか。

 

 カーテンを引いた。両手に、わずかに汗が滲んでいた。

 

 

 ◇

 

 

 同じ頃。

 

 向かいの建物の屋根から、影が消えた。

 

 音もなく。気配もなく。

 

 月だけが、その場所を照らし続けていた。

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