327人殺した転生美少女の俺は、誰も殺していない ~首を刎ねると、現代日本で目を覚ます~   作:里奈使徒

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第14話「対峙/……エリ」

 夜の貧民街。

 

 ルーシェは廃屋を出たところだった。

 

 今夜も一人、いつものように送った。血を拭った鎌を消し、路地に出る。手のひらに、鉄の匂いがまだ残っている。

 

 今朝、セリアが早くに出ていった。レッドジョンの有力な容疑者が見つかったと言っていた。捜査がそちらに向いている。自分への疑いは、なくなったようである。

 

 またいつも通りの夜に戻れる、そう思っていた。

 

 冷えた夜風が頬を撫でた。月は雲に隠れている。闇が深い。

 

 一歩、二歩。

 

 三歩目で、首筋が粟立った。

 

 殺気!?

 

 体が勝手に横へ跳んでいた。耳元を風圧が掠め、背後で矢が壁に突き刺さる硬い音。脇腹に、一瞬だけ熱さが走った。

 

 考えるより先に、足が路地を蹴っていた。

 

 角を曲がる。

 

 三歩先に、影が立っていた。

 

 人ひとりがやっと通れる路地を、男がひとり塞いでいる。腕を組み、こちらを見下ろしている。巨体が、行き場のない路地をさらに狭くしていた。

 

 あの尋問室にいた男だ。ヴィクターの隣で、壁にもたれていた男。

 

「久しぶりだな」

「……尋問室にいた、人……名前は……」

「ヴァンだ。覚えなくていいぞ、レッドジョン」

 

 心臓が喉元まで跳ね上がる。

 

 それでも、口が開いた。

 

「……レ、レッドジョン? 何のこと?」

「やめろ。時間の無駄だ。現場は見ていたぞ」

 

 見られた!?

 

 何か言い訳を。頭が高速で回転する。でも、何も出てこない。現場を見られたのは致命的だ。

 

 ――言い訳は無理か。

 

 逃げられない。前を塞がれている。背を向ければ、この距離では追いつかれる。

 

 やるしかない!

 

 右手に意識を集中した。胸の奥で、何かが応えた。指先から光が滲み出す。柄が、刃が、闇の中で輪郭を結んでいく。

 

 【天国への扉(Heaven's Door)】。

 

 鎌が、手の中に現れた。

 

 ――隙を作れ。逃げるだけでいい。

 

 がむしゃらに斬りかかる。

 

 ヴァンは動じなかった。一歩も引かなかった。ただ、半歩だけ体を開いた。それだけで、鎌はヴァンの脇を空振った。

 

 返す刃で薙ごうとした。

 

 手首を掴まれた。力ではない。角度だ。関節の逃げ場をすべて潰す、無駄のない一手。骨が軋む。指が開く。鎌が路地に落ちる音がした。

 

 体が反射で半歩退く。それだけだった。

 

 足音はしない。風を切る音すらない。なのに、背中に衝撃が走った。

 

 壁に叩きつけられる。肺の空気が一瞬で押し出される。視界が白く明滅する。後頭部を打った。石壁の冷たさと痛みが同時に来る。

 

 ――振り返ってすらいないのに、もう捕まっている。

 

 いつの間にか襟首を掴まれた。

 

 ヴァンの手が、ゆっくりと伸びてくる。

 

 ――やばい。やばいやばいやばい。どうする? どうすればいい?

 

 この人、格が違いすぎる。

 

「ま、待って、殺さないで。私はレッドジョンじゃない……!」

「……往生際が悪いな。来い」

 

 襟首を掴まれ、引きずられた。足が地面を引っ搔く。抵抗できない。廃屋の扉が蹴り開けられた。

 

「ここを見ろ。お前がやったことだ」

 

 床に、それがあった。

 

 生首だった。目が半開きのまま、虚空を見ている。

 

 ――いつもは、できるだけ見ないようにして、帰る。

 

 顔を背けようとした。

 

 ヴァンに強引に頭を掴まれた。髪を引っ張られる。強制的に、顔を向けさせられた。そのままぐいと押し下げられ、生首との距離が一気に縮まる。

 

 目が、合った。半開きの、濁った目と。

 

「ひっ……!」

 

 体が震えている。足に力が入らない。涙が滲んできた。

 

「……死体が怖いか? お前が殺した相手だぞ」

 

 背中を壁に叩きつけられた。

 

 うぐっ!

 

 さらに首を掴まれ、片手で持ち上げられる。足が地面から離れた。爪先が虚しく空を掻く。太い指が喉に食い込んでいる。気管が潰れる。息が、吸えない。

 

 苦しい。

 

 ヴァンの顔が目の前にあった。

 

 尋問室では無表情だった。壁際の置物のように感情が読めない男。

 

 今は違う。

 

 目が燃えている。瞳の奥に、黒い炎が揺れている。

 

 憎悪だ。

 

「殺しが怖いなら、なぜミラとエリを殺した!」

 

 押し殺した声。低く、重く、震えている。怒りを抑えているのではない。抑えきれない怒りが、声を絞っているのだ。

 

 ――ミラ。エリ?

 

 息が止まった。あの病室が、一瞬で脳裏に蘇った。栗色の髪の女性。眠っていた少女。「覚えておいてください」と言った、あの声。

 

 このヴァンが、二人の。

 

「俺の妻と娘だ」

 

 空いた手が、懐から何かを突き出した。

 

 ロケット。蓋が開いている。

 

 近い。顔のすぐ横に突きつけられている。蝋燭の残り火が、中の肖像画をぼんやりと浮かび上がらせていた。

 

 女性と少女。栗色の髪。柔らかな目元。

 

 やはり、そうだ。

 

 ロケットの中の女性は微笑んでいた。穏やかな、温かい顔。病室で見た顔と、同じだ。

 

 廃屋の中で小さな娘を抱きしめて、震えていた。あの人だ。

 

 ロケットの中の少女は、幼い目をしていた。

 

 病室で眠っていた、あの子だ。

 

 息が止まった。喉を絞められているからではない。もっと深いところで、何かが詰まった。胸の奥に、鉛のような重さが落ちてくる。

 

 ――この人が。

 

 ――あの二人の、旦那さん?

 

 生きていたのか。ミラは確かに、死んだと言っていた。

 

 ――違ったのか。

 

 ヴァンの指が首に食い込む。視界の端が暗くなっていく。肺が、空気を求めて痙攣する。

 

 それでも、口が動いた。

 

「あ……」

 

 声にならない。喉が潰されて、空気が漏れるだけだ。もう一度、絞り出した。

 

「だん……な、さん……」

「い、き……て……」

 

 息が続かない。一語ごとに、意識が遠くなる。

 

「た……の……?」

 

 長い沈黙があった。

 

 ヴァンはゆっくりと息を吐いた。目を閉じ、また開く。瞳の奥の炎が、少し静まっている。

 

「……お前には聞きたいことがある」

 

 指の力が、わずかに緩む。

 

 空気が、喉に流れ込んだ。

 

「ごほっ、ごほっ」

 

 むせるように咳き込む。止まらない。喉が焼けている。涙が滲んだ。

 

「もう一度聞く。レッドジョン、妻と娘をなぜ殺した?」

「そ、それは……」

「言え。答え次第では、すぐには殺さんぞ」

 

 答えられない。言葉が出てこない。

 

 沈黙が続く。

 

 ヴァンの手が、ゆっくりと首から離れた。足が床に降りる。そのまま懐に伸びた。ナイフが抜かれる。刃が、暗闇の中で鈍く光った。

 

「ひっ……」

 

 体が、勝手に壁に縮こまった。

 

「死にたくないか?」

 

 こくこくと頷いた。

 

「なら答えろ」

 

 答えられない。何を言えばいい。真実は言えないのだ。

 

「……殺して、ない」

「まだしらを切るか! その度胸だけは認めてやる」

 

 ナイフが、頬に触れた。冷たい。薄く、皮膚が切れる。

 

「ひぃっ……! え、えーと、ま、待って……あの、あの……」

 

 ナイフが、今度は心臓に向けられた。刃先が、服越しに食い込む。息が止まった。

 

「あ……」

 

 恐怖で言葉が出ない。

 

「レッドジョン、そのまま黙っているなら、指から始めようか? 一本ずつ、ゆっくりと」

 

 次は指にナイフがかかる。深く食い込みそうになる。

 

「ひっ! う、嘘ついて、ごめんなさい……私が、レッドジョンです」

「やっと認めたか。殺人鬼レッドジョン」

 

 ヴァンがこちらを見下ろした。冷たい目だった。しばらくの沈黙。

 

「憲兵として立派な姉がいて、温かい家庭もある。そんな恵まれた奴が、なぜ貧民街で首を落とす?」

「そ、それは理由があって――」

 

 真実は言えない。言えることと言えないことがある。

 

「……いや、いい。言い訳は聞きたくない。半年かけてお前を追い、お前の行動を分析してきた。お前の殺しの動機はわかっている。貧民街の弱者ばかりを狙い、首を落とす。殺して絶望から救ってやったつもりか? 笑わせるな。神にでもなったつもりか、薄っぺらい偽善者が!」

 

 吐き捨てるような声だった。

 

「ち、違う。神だなんてそんなこと思ってない。ただ私は彼らを——」

「よせ。お前の主義主張には興味がない。俺が聞きたいことは一つ。人生に絶望している者を進んで殺していたお前が、なぜミラとエリを選んだ? あの二人は絶望していない。ミラは娘のために必死に生きていた。エリは病の床で、それでも笑っていた。大病を患いながらも、生きることを諦めていなかった。それなのに——なぜ殺した。なぜ奪った。あの二人の未来を、お前が——!」

 

 声が震えていた。怒りではない。何かもっと深いものが、声を揺らしていた。

 

「……っ」

 

 答えられない。でも、黙ってたらヴァンに殺される。

 

「答えろ。なぜ選んだ!」

 

 ナイフが、また動いた。

 

「なぜ殺した!」

 

 廃屋が、脳裏に蘇った。蝋燭の灯り。崩れかけた壁。小さな娘を抱きしめて震えていたミラ。エリの浅い呼吸。もう終わりだという顔をしていた。あの夜の二人の顔が、瞼の裏に焼きついて離れない。

 

「……奥さん絶望して、いた。私の目には、そう見えたよ」

「ミラが絶望していただと? 嘘をつくな、ミラは儚く見えて、誰よりも芯が強い女だ」

「……最愛の旦那さんが死んだと聞かされて、誰よりも悲しんで絶望していた」

 

 沈黙が落ちた。長い沈黙だった。

 

「つまり全て……俺が招いたことだと……はっ、はははははっ」

「違う、そういうことじゃ——」

 

 笑いではなかった。ただ、確認するような声だった。

 自分自身を嗤う、痛ましい笑いだった。

 

 笑いが、止まった。

 

 ヴァンの目が、変わる。笑いが消えた瞬間、そこにあったのは純粋な殺意だった。

 

 それがナイフに乗り移るように、切っ先がゆっくりと顔に向けられた。刃先が、目と鼻の先にある。

 

 これは本当にやばい。

 

 死ぬ。本当に死ぬ。頭でわかっていても、体がついてこない。前世も今世も、こんな終わり方は嫌だ。まだ、やりたいことがある。食べたいものがある。帰りたい場所がある。

 

 何より大切なセリアがいる。イリスがいる。彼女達を残して死ねない。

 

 体が震えた。足に力が入らない。涙が、頬を伝って落ちていく。

 

「……やだ……死にたくない……助けて……っ」

 

 嗚咽が混じった。情けない声だった。三十二歳のおっさんのプライドは粉々に砕け散る。十六歳の少女の喉で、みっともなく泣いていた。

 

「……最期は惨めに命乞いか」

「ひっく……ひっく……助けて」

 

 ヴァンの服の裾を掴んだ。震える手で。

 

 ヴァンが、ため息をついた。

 

「希代の殺人鬼レッドジョン、か。残念だよ、本当に残念だ。復讐は抜きにしても、貴様には傭兵として興味が尽きなかったんだがな」

「やだ……お願い。死にたくないよぅ」

「くそ……最後まで凶悪な化け物であってほしかったよ」

 

 ナイフが、静かに顔へ向けられた。

 

 金髪が、月のない夜に白く浮かぶ。

 

 ヴァンの手が、止まった。

 

「……エリ」

 

 止まった? どうして? いや、そんなことどうでもいい。

 

 ――泣いてどうする! 少女の体に引きずられるな。中身はいい中年のおっさんだろ。これくらいのピンチ、社畜時代乗り越えてきた。三徹からの早朝出勤、クソ上司からのパワハラモラハラ、理不尽なノルマ。あれに比べれば……まぁ、誰かに殺されそうになったことはないが、過労死で会社に殺されたんだから一緒だ——気合を入れろ。

 

 生き残れる最後のチャンスなんだ。

 

 右手に意識を集中した。

 

 【天国への扉(Heaven's Door)】。

 

 鎌が、手の中に現れた。

 

 考えている暇はない。不意に立ち上がり間合いを詰めて斬った。

 

「……っ」

 

 ヴァンが僅かに後退する。かすった。それだけで十分だ。

 

 鎌を連続で振る。腕が悲鳴を上げる。息が上がる。それでも手を止めない。

 

 だが、少しずつ、かわされ始めた。

 

 ヴァンの目が変わった。先ほどのスキがなくなり余裕が戻ってきている。立て直している。

 

「無駄だ。その程度では俺には届かん」

 

 わかってる。でも——

 

「や、やってみないとわからない。今から最大級の必殺技を出す……あなたにこれが受けられるか!」

 

 鎌を両手で持ち、ぐるりと回して決めポーズ。我ながら意味不明なポーズだが、構えだけは決まっている。

 

「いくぞ奥義、天翔龍追千閃(あまかけるりゅうのついせんせん)

「ほぅ……」

 

 構えるヴァンを置いて、踵を返した。廃屋の奥へ向かって全力で走る。

 

「……っ、小賢しい! だが墓穴を掘ったな。行き止まりだ」

 

 ヴァンの声が追いかけてくる。正面には壁。

 

 指が壁を這う。湿ったものに触れた。ぬるりとした感触。まだ乾いていない血。

 

 「R.J」

 

 意識を集中した。

 

 視界が白く弾ける。

 

 

 ◇

 

 

 最初に届いたのは音だった。エアコンの室外機の低い唸り。遠くの信号機の電子音。異世界の沈黙とは、まるで違う空気の震え方。

 

 空気が肺に雪崩れ込んできた。むせるように咳き込む。喉が焼けている。首を絞められた跡が、呼吸のたびに痛みを訴える。

 

 目を開けた。

 

 蛍光灯の白い光。アスファルトの匂い。

 

 コンビニの前だった。

 

 膝が折れた。前のめりに崩れ落ちる。両手をついた。掌にざらついた地面の感触。冷たいアスファルトが、じわりと体温を奪っていく。

 

 首が熱い。指の跡がひりひりする。背中はずきずきと脈打っている。右腕を動かそうとして、肩に鋭い痛みが走った。上がらない。

 

 脇腹に触れた。指先が温かく、ぬるりとした。

 

 矢がかすっていた。服が裂けている。浅い。致命傷ではない。だけど、じわじわと血が滲み出てくるのがわかった。

 

 今はコンビニの前にいる。

 

 一秒前まで殺されかけていた世界と、蛍光灯の下で菓子パンが並んでいる世界。その断絶が、今さらのように全身を震わせた。

 

 ――なんとか逃げられた。

 

 深夜の住宅街。人通りはない。街灯の光が、アスファルトの上に落ちている。

 

 立ち上がろうとした。膝が笑っている。壁に右手をついて体を押し上げようとして、肩が激痛で悲鳴を上げた。右腕が使えない。左手だけで壁を掴み、歯を食いしばってゆっくりと体を起こす。

 

 視界が、じわりと揺れた。

 

 後頭部だ。石壁に打ちつけた時のダメージが、じわりと主張し始めていた。立っているのに、地面が傾いているような感覚。目の焦点が合わない。

 

 深呼吸した。喉が痛い。肺まで空気が届かない気がする。

 

 コウメの旅館まで、歩くしかない。

 

 一歩を踏み出した。足が重い。二歩目で、膝が折れかけた。壁に左手をついて、どうにか堪える。

 

 脇腹が熱い。歩くたびに、傷が開く感覚がある。服の下で、血が腹に伝っているのがわかった。

 

 三歩、四歩。

 

 壁伝いに歩く。壁から手を離すと、まっすぐ立てる自信がない。首の跡が脈打つたびに、頭の中で何かが軋む音がする。

 

 それでも、足を動かした。

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