327人殺した転生美少女の俺は、誰も殺していない ~首を刎ねると、現代日本で目を覚ます~ 作:里奈使徒
殺人鬼と呼ばれているが、少女はひとりも殺していない。
◇
三十分前。
ルーシェは廃屋の入口に立ち、中を見ていた。
窓のない部屋だ。月明かりも届かない。壁の隙間から夜風が吹き込み、蝋燭の炎が揺れていた。その炎だけが、闇の中でちろちろと踊っている。
廃屋の隅に、男がいた。壁にもたれて座っている。
骨と皮だけの体。擦り切れた服。目に光がない。頬はこけ、唇は乾いてひび割れている。呼吸をしているのかさえ、わからなかった。
ギフトを持たない者は、こうして朽ちていく。誰にも看取られず、誰にも惜しまれず。
男が顔を上げた。
ルーシェと目が合う。
「な、なんだてめぇ……!」
男が目を見開いている。当然だ。金髪碧眼の少女が鎌を持って立っている――そんな光景を見れば、誰だって驚く。
死にかけていても、死にたくはない。それが人間だ。
ルーシェは唇に指を当てる。
「しー」
鎌の刃を男の首筋にそっと当てた。冷たい金属がその肌に触れる。喉仏がひくついた。
男はこくこくと頷く。声も出せないらしい。その喉が上下するだけで、音にならない。
「そう、静かにね――二つ聞く。この世界に未練は? 待っている人は?」
「な、なんでそんなこと……」
「答えて」
「ひぃっ! わ、わかった。話す、話すから……!」
男は長く息を吐いた。肩から力が抜け、壁にもたれ直す。抵抗する気が失せたのだろう。
「……いねえよ。女房も子供も、病で死んだ。俺を待ってる奴なんざ、どこにもいねえ。未練? んなもん、とっくに捨てた。もう何年も、こうやって生きてるだけだ。生きてるっつうか……息してるだけだな」
「そう」
ルーシェの瞳が淡く光った。
【
「おやすみ」
鎌を振り下ろす。
抵抗はない。刃が首を通り抜ける。空気を斬るように、滑らかに。
首が落ちる。血飛沫が壁を染めた。
同時に――壁が光る。
血が意思を持ったように蠢き、文字を描いていく。
「R.J」
手がわずかに震えていた。興奮が残っている。
――斬りたい。
鎌を振るうたび、何かがうずく。もっと斬りたいという衝動。もっと。もっと。この体に刻まれた元のルーシェの名残だ。
指が柄を握りしめる。視界の端が、赤く滲む。
――駄目だ。
深く息を吐いた。指を一本ずつ、意識して開く。
握りを緩めた。鎌が光になって消える。
ルーシェは息を整え、壁の血文字に目を向けた。
「R.J」
ギフトの副作用だ。首を刎ねるたび、この文字が勝手に刻まれる。止めようと思っても、止められない。
憲兵はこれを「Red John」と呼ぶ。違う。「Return Japan」――日本に帰す、という意味だ。誰もわかってくれないが。
死体を見下ろす。
これは抜け殻だ。魂は今頃、日本で目を覚ましている。傷ひとつない体で。
男の顔に目が向いた。首から離れた頭。虚ろな目が、こちらを見ていた。
――くそ。
頭をかきむしった。金色の髪が指に絡まる。
――なんか、飲みたい気分だ。
壁の血文字に手を触れた。
視界が白く弾ける。
◇
次の瞬間、コンビニの前に立っていた。
蛍光灯の光が目を刺す。ガラス越しに並ぶ飲み物。色とりどりのパッケージ。深夜なのに明るい。眩しいほど明るい。
自動ドアをくぐった。
冷房が肌を撫でる。さっきまでいた廃屋とは別世界だ。埃っぽい空気も、血の匂いも、蝋燭の揺らめきもない。清潔で、涼しくて、静かな空間。
――ああ、文明。
レジの店員がこちらを見た。二十代くらいの男。目が合うと、すぐに逸らされた。
雑誌コーナーの客も、ちらちらとこちらを見ている。
――また見てる。
中身は三十二歳のおっさんだ。だが、今の自分は金髪碧眼の美少女で、深夜のコンビニに一人で立っている。前世なら心配する側だった。今は心配される側だ。視線を感じるたびに、背中がぞわぞわする。
冷蔵棚の前に立った。
ずらりと並ぶ飲み物。コーラ、サイダー、ジンジャーエール、エナジードリンク。どれも向こうの世界にはない。
炭酸飲料を取った。黒いラベル。見慣れたロゴ。前世で何百本と飲んできた味である。
レジに持っていく。
店員がちらちらとこちらを見ながら、バーコードを読み取った。視線が、顔と手元を行き来している。
――見すぎだろ。
「百五十円です。――ありがとうございましたー」
店員の声を背に、外に出た。
ガラスに金髪の少女が映っている。缶を持って、立っていた。
――守る側から、守られる側になるって、こういうことか。
なんか、落ち着かない。
缶を開けた。プシュ、と小さな音。炭酸が弾ける匂いが鼻をくすぐる。
一口飲んだ。
炭酸が喉を刺す。甘さと苦さが舌の上で混ざり合う。胃に落ちていく冷たさ。
――これだよ、これ。
一気に飲み干した。二分もかかっていない。
空き缶をゴミ箱に投げ入れた。からん、と音がする。
――落ち着いた。帰るか。
人気のない路地に入った。左右を確認する。誰もいない。
右手に意識を集中した。淡い光とともに、鎌が手の中に現れる。
壁に向かって、一閃。
刃が空を切った。
壁に、赤黒い文字が滲み出た。
「R.J」
コンクリートの上でぬらりと光っている。日本でも、この文字だけは変わらない。
文字に手を触れた。視界が白く弾ける。
◇
廃屋に戻っていた。
血の匂いが鼻につく。蝋燭の炎が相変わらず揺れている。死体は、そのままだった。
廃屋を出る。
崩れかけた家々。泥の路地。うずくまる人影。貧民街の夜だ。
静かすぎる。虫の声すら聞こえない。生きる気力を失った者たちが、ただ息をしているだけの街。
ルーシェは足早に歩いた。
角を曲がると、老人が壁にもたれていた。眠っているのか、死んでいるのか。暗くてわからない。
視線を逸らした。
今日はもう三人送った。これ以上遅くなると、イリスが心配する。
路地の奥で、子供の泣き声がした。
すぐに止んだ。誰かが口を塞いだのか。夜に声を上げれば、何が寄ってくるかわからない。この街では、泣くことさえ許されない。
足を止めそうになる。
――全員は救えない。
わかっている。わかっているが、胸が軋む。
――明日また来る。その時まで、生きていてくれ。
貧民街を抜けると、少しマシな街並みになった。まだボロいが、人が住める家がある。でも、日本と比べれば――どちらも地獄だが。
小さな家が見えてきた。
二階建て。壁はひび割れているが、屋根はある。温かい色の光が窓から漏れていた。
イリスが起きている。
玄関を開けた。
台所から鍋の音がする。ことこと、と規則正しいリズム。湯気と一緒に、野菜を煮込む匂いが漂ってきた。
「ただいま」
「……風呂、沸かしてある」
「ありがと」
「早く入って」
声は素っ気ない。でも、風呂を沸かしてくれている。口と行動が一致しない妹だ。
◇
風呂から上がると、食卓にスープとパンが並んでいた。
イリスはすでに席についている。スプーンを手に、こちらを待っていた。
「いただきます」
「セリア姉様の分、取ってある」
「今日も遅いの?」
「仕事」
それだけ言って、イリスはスプーンを口に運ぶ。
しばらく無言で食べた。
イリスは背筋を伸ばして座っている。スプーンの持ち方も綺麗だ。セリアが教えたに違いない。
ルーシェが音を立ててスープを啜ると、イリスが眉をひそめた。
「行儀悪い」
「ごめんごめん」
――すすらせてくれよ。日本人なんだから。
とは言えない。言えるわけがない。
野菜がたっぷり入ったスープ。人参、玉ねぎ、じゃがいも。味付けは薄めで、素材の甘みが出ている。セリアの好みだ。
「……美味しい」
「……当然」
「イリス、料理上手くなったよね」
「……別に」
「前はもっと塩辛かった」
「うるさい」
「ごめん、本当に上手になったよ」
「……セリア姉様が教えてくれた」
「そっか」
「……ルーシェは関係ない」
「はいはい」
イリスと他愛もない話をしながら、食事を続ける。やがてイリスも最後のスープを飲み干し、二人で食器を流しに運んだ。
イリスが隣に立ち、無言で洗い始める。ルーシェは布巾を手に取った。
水音と、皿を拭く音だけが響く。窓の外は暗い。虫の声がかすかに聞こえる。
ふいに、イリスが呟いた。
「……ルーシェ」
「ん?」
「……ルーシェ、変わったよね」
――気づかれた?
手が止まった。背中を、冷たいものが走る。
「……そう?」
「前は……もっと怖かった」
イリスの声は淡々としていた。でも、その目は真っ直ぐこちらを見ている。銀色の瞳。月明かりのような、冷たい光。
怖かった。
その言葉がルーシェの胸に刺さる。
元のルーシェは、この子に何をしたのか。断片的な記憶しかない。怒鳴り声。泣き声。物が割れる音。でも、それだけで十分だった。
「……ごめんね」
謝る資格があるのかわからない。俺は元のルーシェじゃない。でも、この体で生きている以上、責任がある。
それ以外に言葉が見つからなかった。
「……別に。今の方がいい」
しばらく、水音だけが続く。やがてイリスが布巾で手を拭い、台所を出た。
「……おやすみ、ルーシェ」
「おやすみ」
イリスの足音が階段を上っていく。軽い足音。でも、どこか安心したような響き。
ルーシェは窓の外を見た。星が出ている。向こうの世界と、同じ星。
――今の方がいい。
その言葉が、胸に残る。俺がここにいていい、みたいに聞こえた。
明日も、同じ日が続けばいい。
窓の外の星を、しばらく見ていた。
向こうの世界でも、今夜誰かが死んでいく。
右手が、ふと動いた。鎌の柄を握るように、指が曲がる。
ルーシェは、その手を、もう片方の手で静かに押さえた。