327人殺した転生美少女の俺は、誰も殺していない ~首を刎ねると、現代日本で目を覚ます~ 作:里奈使徒
異世界の空気が、肺から抜けていく。
日本の夜だ。蛍光灯の光。コンビニの看板。自販機の青白い輝き。
いつもなら、心が軽くなる。
でも今は右手が、まだ覚えていた。あの夜の、コウメの首元に切っ先を向けた鎌の感触。
コウメに何と言えばいい?
謝って済む話じゃない。笑って流せる話でもない。
――合わせる顔が、ない。
転移のたびに施設の近くまで足を向けた。何度来ただろう。扉の前まで行って、引き返した。また来ては、引き返した。それでも扉の前で、いつも立ち止まってしまう。
夜のコンビニの前でぼんやりしていると、見知った顔が現れた。
「コウメさん!? なんで——え、なんで?」
「あんたがここ利用しとるのは知っとったから」
「そ、そうだったんだ。じゃあまたね」
気まずくて、その場を離れようとした。
「ちょい待ち。なんでいつものように来んの?」
「そ、それは……」
「それは?」
コウメがルーシェの顔を真正面から覗き込んだ。整った顔が、間近に迫る。
「うぅ、あんなことをしでかした私に、そんな資格はないよ」
「そんなん気にせんで。たこ焼き作っとるさかい。来て」
たこ焼き!? ジューシーなタコ。とろけるチーズ。青のりの香り——異世界では絶対に味わえない日本の味。
ルーシェの口の中に唾液が溢れた。
――いやいや、何を考えている。大罪人が、よだれを垂らしている場合か!
「いや、いい。みんなに合わせる顔がない」
ルーシェは踵を返し、駆け出した。
「ユズがあんたに会いたがっとる」
「ユズちゃんが?」
コウメの言葉に、ルーシェの足が止まった。
「そうや。ルーシェが来んでさみしいって。ユズのためや。頼むから来てくれ」
――そんなこと言われたら、断れないよ。
ルーシェはコウメの背中を追いながら、旅館へと足を向ける。
◇
旅館に着くと、厨房に人が集まっていた。油の匂いと、鉄板の熱気が漂っている。
ボブが鉄板の前に陣取っていた。エプロン姿である。ルーシェに気づくと、大きく手を振る。
「ルーシェ! タフガール!」
でかい声が響き渡った。ボブが近づいてきて、大きな手で肩を叩かれる。痛い。
「あ、あの……この前は」
ボブが親指を立てた。
「No problem! Strong girl!」
全然気にしていない。
ふと視線を感じた。コウメの秘書と目が合う。
「ルーシェ様、お怪我はありませんでしたか?」
「え、私が心配されるんですか……襲った私が言うのもなんですが、あなたこそご無事でしたか?」
「ふふ、あの程度は日常茶飯事ですよ。こちらこそ失礼しました」
淡々としている。
――みんな、普通だ。
ただそれだけのことが、胸に沁みる。
その時、足元に小さな気配があった。ユズがルーシェの足にしがみつく。
「ルーシェおねえちゃん!」
「……ユズ」
ルーシェはしゃがんで、そっと抱き返した。しばらく厨房の隅でユズと遊んでいると——
「いい匂い」
ユズの言葉で、ルーシェも鼻をひくつかせた。
視線の先で、コウメは鉄板の前に立っていた。爪楊枝を二本持ち、くるくると手首を返す。生地がぷっくりと膨らんで、丸い形に仕上がっていく。職人の手つきだ。
じゅうじゅうと鉄板が鳴るたびに、青のりとソースの香りが濃くなっていく。
「できたで」
コウメの声に、皆で座敷に場所を移した。
運ばれた大皿にはたこ焼きが山盛りになっている。青のりとかつお節が散らされ、ソースがたっぷりかかっていた。もうもうと湯気が立ち上る。
ルーシェが爪楊枝を刺す。青のりとかつお節がふわりと舞い上がる。ソースの甘い香りが鼻をつく。
「熱っ、熱っ、ほふ、ほむ……」
――うまい。異世界では絶対に食べられない。
ボブが山盛りのたこ焼きを次々と口に放り込んでいた。ユズがはふはふしながら食べている。秘書が静かに爪楊枝を刺していた。
賑やかで、温かい時間。
たこ焼きパーティ——最高だった。
◇
食事の後。ユズが座敷で眠って、ボブたちも帰り、コウメと二人きりになった。
「コウメさん、ヴァンさんたちは元気にしてる? あれから何も聞けてなくて」
「三人とも元気やで。ミラさんは泣いて喜んどった。エリちゃん、パパにべったりで離れへんらしくて。ヴァンさん、困り顔しながらも嬉しそうやったわ」
「……よかった」
「それとな、ヴァンさんからの言伝や。ヴィクターは死んだで。もうあんたを尋問しようとする奴もおらん。安心してええで」
――ヴィクターが死んだ!? なんで、どうして——いや、今はいい。尋問の続きがなくなった。それだけで十分だ。
「そっか」
「それと、ルーシェに伝えたいことがあるそうや。今度会いにいったらええ」
「うん、私もヴァンさんにはいろいろ聞きたいことあるし、直接会いに行くよ」
「そうしたらええ。案内したる」
ふっと、コウメの表情が緩んだ。
「なんやのど乾いたな。お茶でもいるか?」
コウメが腰を上げかけた時。
「コウメさん」
「ん?」
「あの夜のこと、本当にごめんなさい」
ルーシェは深々と頭を下げた。
「申し訳ないことをした。言葉だけじゃ足りない、私にできることならなんでも——」
「もうええよ」
「でも——」
「ええよ、言うたやろ。あんたは戻ってきた。それだけや」
「コウメさん」
「ほらほら、しんみりな顔せんと。あんたは笑顔が一番や」
コウメがルーシェのほほをつつく。
「ありがとう」
思わず、笑みがこぼれる。
狂ったように鎌を向けたのに。コウメさんを殺しかけたのに。温かく迎え入れてくれた。
……なぜここまでしてくれるのか。
気づいたら、ルーシェはコウメの胸に顔を埋めていた。
コウメは何も言わない。ただ、そっとルーシェの背中に手を置く。
――いいんだろうか? 中身はいい大人の男なのに。でも、コウメさんの温もりには抗えなかった。疲れた男は、こういうのに弱い。
「コウメさ~ん」
コウメの胸に顔を埋めたまま、甘えるように身をすり寄せた。
「なんや、急に甘えてからに。しゃあないなぁ」
コウメがルーシェの頭をそっと撫でる。しばらく、そのまま身を任せていた。
「……コウメさん」
「なんや、どうした?」
「ケンにも謝らないと。怪我させちゃった」
「そうやな」
「ケン大丈夫だった?」
「ケンも元気やで。頭に包帯は巻いとったけど」
「うっ……そっか。ごめんて伝えておいて」
「直接言いや」
「うん、それとボイスレコーダーのこと、礼も言いたい」
「なおさら直接言いや。会いに行ったれ」
ルーシェは小さく頷いた。
◇
旅館を出ると、夜風が頬を撫でた。まだ少し時間があったので、漫画喫茶に寄る。
リクライニングシートに沈んで、積んでいた漫画を開く。
ヴァンの件も片がついた。気持ちは軽くなったはずだ。
でも、頭に入ってこない。あんなに楽しみにしていた『デスマ』の続きなのに。
ヴァンが言っていた。物体を弾き飛ばすギフト。俺を守っていた、誰か。
なぜ助けた? なぜ名乗らない?
――今も、どこかで見ているのか?
俺を護衛していたからといって、味方とは限らない。セリアやイリスに、危険が及ばないか——そればかりが頭をよぎる。
答えは出ない。漫画を閉じる。
窓の外に、東京の夜景が広がっていた。