327人殺した転生美少女の俺は、誰も殺していない ~首を刎ねると、現代日本で目を覚ます~ 作:里奈使徒
日本での特訓も、だいぶこなれてきた。
――うん、嘘です。
武術の基礎の基礎に入っただけで、今でも思い出すたびに震えが止まらなくなる。あの地獄を思えば、坂道を走らされていた頃の方が、まだ人道的だったのではないかと思えてくる。
まさか、基礎訓練の方がましだと感じる日が来るとは……。
とはいえ、実力が伸びているのも事実だ。
身体の使い方が変わった。足の運びも、重心の置き方も、以前とは明らかに違う。ヴァンの指導は苛烈極まりないが、その分だけ確実に身についている。
特訓で身についた技術は、レッドジョンとしての活動にも生きているのだ。
今夜も日課をこなす。
貧民街の住人を日本に送った。以前よりも、ずっと滑らかに。苦痛も、恐怖も、本人に自覚させることなく。
あの子も、何が起こったのか理解できないまま、あちらの世界へ渡った。
廃屋の壁に、血文字が浮かんでいた。
――R.J。
赤黒い文字を、しばらく見つめる。
脳裏に、先ほどの少女の顔が浮かんだ。
絶望に染まった目。
何も信じられないと訴えるような、あの瞳。
けれど、もうこちら側にはいない。
あちらの世界では、別人として生きている。
名前も、身分も、過去も捨てて。誰にも追われることなく、誰にも怯えることなく、幸せに暮らしているだろう。そうであってほしいと思う。
ルーシェは手にしていた鎌を消した。
そして、ゆっくりと息を整える。
深く一回。
浅く一回。
胸の奥に残っていた熱が、少しずつ外気へ溶けていく。
いつもの仕事。
いつもの夜。
何もなかったような顔をして、ここを出る。
それだけだ。
ルーシェは血文字の浮かぶ壁から視線を外し、廃屋の出口へ向かって歩き始めた。
◇
路地に、男が立っていた。
――えっ!?
――ど、どうしてここに人がいるんだよ!
心臓が、跳ねた。いや、跳ねたどころではない。
一瞬、本当に止まりかけた。
廃屋を出た直後、視界に飛び込んできた男。その顔には、見覚えがあった。
確か、名前は……。
「やあ、ルーシェ」
「あ、ああ……」
「どうしたんだい? 俺だよ。テッドだよ」
そう、テッドだ。
姉のセリアの同僚で憲兵。長身に、緩く後ろへ流した金髪。仕立てのいい外套。人当たりのよさそうな、穏やかな笑み。
どこから見ても、礼儀正しく紳士的な男だった。
――なのに。
あの夜の感覚が、鮮明に蘇る。
握手を求められ、何気なく手を握り返した瞬間。
骨まで届くような、異常な握力。
耳元で囁かれた、静かな声。
あの時、皮膚の下にまで染み込んだ不気味さが、今になって再び這い上がってくる。
「こんな時間に、こんな場所で、奇遇だね」
「そ、そうですね……」
「ところでルーシェ、こんな夜更けに何をしていたんだい?」
「そ、それは……」
「そこの廃屋から出てきたけど、何かあるのかな?」
「な、何もないです」
「そう。じゃあ、入って確かめてみよう」
テッドは、ためらう様子もなく廃屋の入口へ向かった。
その足取りに、迷いはない。
ルーシェの顔から、血の気が引いた。
「あ、あのっ、テッドさん! すみません。やっぱり、ちょっとだけ何かありました!」
テッドが、廃屋の中で立ち止まる。
薄暗い室内。
壁に残された、血文字。
テッドはそれを、しばらく黙って見つめていた。
「そう。死体があるね」
「こ、これは、その……誤解です」
「誤解?」
「わ、私、たまたまこの近くを通りかかったんです。そうしたら、廃屋の中から悲鳴が聞こえてきて……それで、慌てて駆け込んだんですけど、もう犯人は逃げた後で。被害者の方も、その……息を引き取られていて」
「ふぅん」
「わ、私、何もできなくて……それで、震えながら外へ出てきたところで、テッドさんに出会ったんです」
「そう。それは大変だったね」
テッドは穏やかに頷いた。
そして、何気ない調子で続ける。
「じゃあ、出てきただけのルーシェが、どうして手に血をつけているのかな?」
「――っ!」
ルーシェは反射的に、両手を背中へ隠した。
「あ、いや、その……出てきた時に、足を滑らせまして」
「足を滑らせて?」
「は、はい。転がり込んでしまって……起き上がろうとしたら、手が血だまりに触れてしまったんです。それで、これは大変だと思って、慌てて外へ出てきたところでして……」
「そっか。それで、どうしてこんな場所に? 君の家、こっちじゃないよね?」
――俺を疑っている?
――そりゃそうだろう。
深夜の廃屋。
死体。
血文字。
その場から出てきた、血のついた手。
しかも、第一発見者を名乗る人間が、こんなにも挙動不審なのだ。疑うなという方が無理な話だ。
――このままでは捕縛される。
――いや、下手をすれば尋問。最悪、拷問コースまであるかもしれない。
そう考えた瞬間、舌が勝手に動き始めた。
「い、いや、実はですね。私、今日はバイト帰りでして。ええ、そうなんです。帰り道を少し間違えまして。いや、でも、この辺りは初めて来たわけではなくてですね。たまたま、ちょっと道に迷っただけで――」
「なるほど」
「それで、途中で酔っ払いに追いかけられまして。いや、別に大したことではないんですけど、ちょっと怖かったものですから。それで逃げていたら、いつの間にかこんな場所に――」
「うん、うん」
テッドは、にこにこと頷きながら聞いている。
――くっ、信じてないな。
質問も疑問もはさまない、ただ相槌を打っているだけだ。そのにこやかな笑顔が逆に怖いぞ。
――言い訳のストーリーが少しベタだったか? 例えがありきたりでよろしくなかったかもしれない。
「……あ、すみません。今のも全部違いますね」
「そうなの?」
「はい。ええと、本当はですね……」
「本当は? 今度は何を聞かせてくれるのかな?」
「実は私、霊感が強くてですね」
「霊感?」
「そうなんです。この辺りで、どうやら人が亡くなったらしくて。その霊が私を呼んでいるような気がしまして。これはいけないと思い、お祓いをしようと……」
「くっ……」
テッドの肩が、小さく震える。
「ええ、その、私、教会の見習いのようなこともしていまして。ですから、こういうことには多少心得が――」
「くっ、くくっ……」
そこで、テッドが堪えきれずに吹き出した。
「あ、あの……?」
「あっははははははっ!」
路地に大きな笑い声が響く。
テッドは腹を抱え、肩を震わせている。
「はははっ……いや、もう……」
ひとしきり笑った後、テッドは目尻に浮かんだ涙を指で拭った。
「もういいよ」
「あ、あのっ。でも、嘘臭いと思いますが事実――」
「もういい。わかっているから」
テッドが、片手を軽く上げる。
ルーシェの口も止まった。
「君の言い訳、ユーモアに富んで楽しかったよ。もう少し聴いててもよかったけど、時間も有限だし、そろそろ本題に入ろうか」
「ま、待って話を聞いて」
「いいから、レッドジョン」
その名で呼ばれた瞬間、視界の隅で、月の光が一段冷たくなった気がした。
反射的に否定の言葉を口にしようとするが、舌がうまく回らない。息を吸うのも、忘れかけていた。
「な、なんの……冗談ですか? レッドジョンって、あの噂の殺人鬼? でも、私、そんなんじゃ……」
「もう、隠さなくていいよ」
「さっきの廃屋の血文字を見て、そう思ったんですよね? 違います。何度も言うように私は発見者で」
「違う。そこの死体を見たから言ったんじゃない」
「えっ!?」
「だから、わかってるって。君のことは、ずっと見てきたから」
「それって」
「君が
「な、何を言っているのやら……」
「最初は、母親と娘の親子だったね。確か、コウメとユズといったか」
「あ……」
喉の奥から、かすれた声が漏れた。
コウメとユズ。
俺がレッドジョンとして活動する原点となった、あの二人の親子。
「な、なぜ……?」
「セリアが、あの二人を助けるために、四方八方へ手を尽くしていたのは知っているだろう?」
テッドは、まるで昔の事件を懐かしむような口調で続ける。
「軍に掛け合って、薬を調達しようとしていた。けれど、軍もそこまでお人よしじゃない。貴重な薬を、何の見返りもなく分けてくれるわけがないからね」
テッドの声は、どこまでも穏やかだった。
「労咳を患っていた二人は、やがて亡くなっただろう。記録にも残らず、そのまま終わるはずだった」
テッドの視線が、ゆっくりとこちらへ向く。
「なのに、なぜか血文字を残した殺人事件が起きた。その二人のね。それ以前に、同じような事件は起きていない。つまり、これが君の起こした最初の事件だったわけだ」
テッドは、楽しそうに目を細めた。
「それで興味がわいてね。俺は自分から、君の事件を追うようになった。その次は、酒場帰りの男だったな」
「……」
「その次は――」
ルーシェが、無意識につばを飲み込んだ。
乾ききった喉が、鈍く鳴る。
次の言葉を絞り出すのに、時間がかかった。
「……違う」
「違わないよ。俺は君が殺す時の儀式も、ちゃんと知っている。君は殺す前に、いつも同じことを聞く」
テッドの笑みが、わずかに深くなる。
「人生に未練はあるか。帰りを待っている人はいるか。君は、殺す相手を前に必ずそう尋ねる」
背中を、冷たい汗が伝った。
――完全にバレている。
――いや、違う。バレていたんだ。
ずっと前から。俺がレッドジョンとして動き始めた、その最初の夜から。
「君さ、疑問に思わなかった? あれだけの犯行を繰り返して、まだバレていないと思った?」
「だ、だから私はレッドジョンじゃない!」
「ん? 往生際が悪いな、ルーシェ」
テッドは、困った子供を諭すように笑った。
「とにかくさ、憲兵もバカじゃない。王立大学を出て、憲兵教練を受けたエリート集団だ。針一本から手掛かりを見つけ出して、犯人を追い詰める。そういう組織なんだよ」
「……何が言いたいんですか。レッドジョンはいまだ捕まってませんよね?」
「フフ、いい質問だ。説明を続けるよ。憲兵にも優先順位ってものがある。貴族が先、次に
「そんなことはない。セリア姉さんなら」
「あぁ、もちろん君の姉さんのような正義感の塊のような者達もいる。でもね、例外は例外なのが現状さ。とにかく身分至上主義の組織であっても、あれだけ挑発されたら本腰を入れる。本腰を入れて調査したら、半年も犯人が見つからないなんてこと、まずないんだよ」
「ち、挑発なんてしてない!」
「ん? おやおや、それは自分がレッドジョンだと認めたのかな?」
「ち、違います。私は違いますが、レッドジョンは、そうじゃないのかなと思って……」
「まあ、いいや。とりあえず、君の疑問には答えてあげよう」
テッドは、まるで講義でもするように、穏やかな口調で続ける。
「血文字を残して、わざわざ見せつけるように殺しておいてそれが挑発以外のなんと? いくら被害者が貧民で憲兵の優先順位に低かろうと、これを許せば憲兵の沽券にかかわる」
「……っ」
ぐぅの根も出ない。でも、あれはギフトの特性上、仕方なく残しているだけなのに。
「しかもさ、君は未練があると答えた人を、本当に見逃しているだろ?」
だ、だって仕方がないじゃないか。
いくら日本が裕福で暮らしやすい場所でも、この世界に未練がある人を無理やり送ることなんてできない。
「だから、レッドジョンの犯行には、実際のところ証拠がたくさん残っていたんだよ」
ま、マジか。
目の前が、すっと暗くなった。
「でもね、安心して。俺が全部消してきたから」
「なっ……!?」
思わず、息を呑む。
「それとさ、君が見逃した人の中には、憲兵に君の情報を売ろうとした人もいたんだよ。ひどいよね。恩を仇で返すなんて」
「そ、それって……私は、もちろんレッドジョンじゃないですが……私の情報が、憲兵に……?」
震える声で尋ねる。
「いや、情報は渡ってない。俺が殺しておいたから」
「はぁ!? あ、あなた、憲兵ですよね?」
「ああ、憲兵だよ。でも、憲兵である前に、俺はレッドジョンの
「
「そう、
テッドのその穏やかな表情を見つめる。
――ああ、そうか。
ヴァンが警戒していた者。
レッドジョンを監視している、何者か。
あれは、テッドのことだったのか。
テッドが、穏やかな笑みをさらに深めた。
「改めて自己紹介しよう」
テッドが、軽く会釈した。
あの夜、家を訪ねてきた時のあの礼儀正しい仕草と、寸分も違わない。
「俺は、テッド・バンディー。犯罪ギルド・ナンバー3、憲兵のスパイとして潜り込んでいる」
スパイ!?
ルーシェの息が、止まった。
「……憲兵所にスパイがいたなんて」
「スパイだけど、職務には忠実だったよ」
「どの口が言うんだ」
「いや、深く潜入するには、組織から信頼されなければいけないからね。本当さ。疑うなら、君のお姉さんに聞いてみるといい。優秀な捜査官、テッド・バンディーの実績をね」
「じゃあ、どうして同じようにレッドジョンを逮捕しなかったんですか?」
「本当はね。君を逮捕しなければいけなかった。実際、そうしようともした。でもできなかった」
「なぜですか?」
「だから言っただろ。君の
テッドは大仰に両手を挙げて宣言する。
「憲兵しているとね、殺人者はたくさん見てきた。殺し方はどれも違う。だけど、動機は大体同じさ。痴情のもつれから、間男への嫉妬で人を刺す。金目当てで強盗に入り、邪魔な人間を殺す。みんな、嫉妬や憎悪、貪欲といった感情を膨らませて、人を殺すんだ」
「それが……何を言いたいんですか?」
「オレ流に言わせると、美学がない」
殺人に美学もくそもないだろ。
「でもね、君は違う」
テッドの声が、わずかに弾む。
「君のテーマは、絶望した者を救うこと。斬る相手には一貫した基準がある」
「……」
「普通の悪党なら、目撃者は口封じのために殺す。けれど、君は違う。自分が捕まる可能性があっても、そのロジックに反する相手は殺さない」
テッドは、楽しそうに目を細めた。
「だから、ずっと見ていた。君が、どこまでそのポリシーを貫けるのか」
背筋に、冷たいものが走る。
「優秀な憲兵に君が捕まりそうになったときは、代わりに口封じもしておいたよ」
おぞましさを感じていた。
けれど、その言葉は、これまでの出来事と妙に符合していた。
「……それで
「フッ、もうごまかさないのかい?」
「そこまでバレているのに、ごまかす意味はないでしょう」
「結構。では単刀直入に言おう。レッドジョン、君をスカウトしに来た」
「スカウト?」
「君が猟犬のヴァンを殺したことで犯罪ギルドからの正式なスカウトが来たのさ」
いや、実際には殺していないけどさ。
くそ、やはり目立ちすぎたようだ。
犯罪ギルド……憲兵から指名手配されている犯罪者たちの集団。多くの犯罪の背後に、こいつらがいると噂されている。
前世でいう、マフィアみたいなものだ。
「スカウトって言っても私はなにもできない。犯罪ギルドで指示されて人を殺すなんて絶対しないから」
「君は、少し犯罪ギルドを誤解しているようだね。別に俺たちは、ギルドの命令で人を殺しているわけじゃないよ」
「違うの?」
「一癖も二癖もある集団だからね。人に命令されて殺すような連中じゃない。血の気が多い奴らばかりだから、命令されたら命令した奴を殺すよ。基本的には、自分が殺したい奴を殺している」
よ、余計たちが悪くないか?
――こんな連中に、俺は狙われているのか。逃げ場は、どこにもない。