327人殺した転生美少女の俺は、誰も殺していない ~首を刎ねると、現代日本で目を覚ます~   作:里奈使徒

4 / 23
第3話「追う者/気のせい、よね?」

 また五人。

 

 セリアは資料の数字を見つめたまま、顔を上げられなかった。また、という言葉が頭の中で繰り返されている。昨日も、その前日も、同じ言葉を聞いた。

 

 会議室には煙草の煙が漂っている。窓から差し込む朝日がそれを白く浮かび上がらせ、埃と混じり合って緩やかに揺れていた。

 

 長机を囲む二十人ほどの憲兵たち。誰もが疲れた顔をしている。目の下に隈を作った者、無精髭を生やした者、虚ろな目で宙を見つめる者。

 

 セリアは手元の資料に目を落としたが、活字が頭に入ってこなかった。ペンを持つ指先だけが、習慣でかろうじて動いている。

 

「被害者は昨夜だけで五名。いずれも貧民街の住人だ」

「犯行現場には例の血文字。『R.J』。レッドジョンに間違いない」

 

 半年で三百三十二人。

 

 もはや異常という言葉では足りない。数字が積み上がるたびに、その重みに感覚が麻痺していく。それが怖かった。

 

「手がかりは?」

「相変わらずです。目撃者なし、痕跡なし」

「引き続き捜査を継続。以上、解散」

 

 椅子を引く音があちこちで重なった。疲弊した足音が、出口へと向かっていく。誰も言葉を交わさない。

 

 セリアも立ち上がろうとしたとき、背後から声がかかった。

 

「セリア。少し残れ」

 

 ガルシア大佐である。

 

 

 ◇

 

 

 大佐の後について本部の廊下を奥へ進む。

 

 すれ違う憲兵たちが次々と敬礼するが、大佐は目もくれずに歩き続けた。軍靴の音だけが、石造りの廊下に反響している。

 

 どこへ連れていかれるのか、セリアには見当もつかなかった。

 

 やがて足を止めたのは、突き当たりの小さな扉の前だった。

 

 他の扉とは違う。鉄製で、鍵穴が三つある。壁と同じ灰色に塗られていて、注意しなければ見過ごしてしまいそうになる。意図してそう作られているのだ、とセリアは思った。

 

 大佐が懐から鍵束を取り出す。三つの鍵を、順番に回した。

 

 重い音を立てて、扉が開く。

 

 中に入る。窓のない部屋だ。

 

 蝋燭が一本だけ机の上で揺れ、壁には地図と書類がびっしりと貼られている。釘で留められた羊皮紙。赤い糸で結ばれた複数の地点。走り書きのメモ。埃っぽい空気が鼻につく。

 

 すでに数人の憲兵が待っていた。

 

 頬に古傷のある男。隻眼の女。腕に火傷痕を持つ老兵――見覚えのある顔もあれば、初めて見る顔もある。

 

 全員、目つきが違う。場数を踏んできた者だけが持つ、鋭い光。油断のない視線が、セリアを値踏みするように見つめている。品定めされているのはわかっていた。それでも視線を逸らさなかった。

 

 その中に、ドグがいた。

 

 心臓が跳ねる。

 

 幼馴染だ。先輩でもある。兄貴分みたいな人で、隣にいると不思議と安心できた。

 

 蝋燭の灯りに照らされたその横顔は、あの日から何も変わっていない。変わったとすれば、目の奥の色かもしれない。以前より、ずっと昏い。

 

 ドグがこちらに気づき、軽く頷いた。

 

「よう、セリア」

「……ドグ先輩」

 

 声が上擦らなかっただろうか?

 

 平静を装って頷き返したが、目が合った瞬間、思わず視線を逸らしてしまう。胸の奥で何かが疼く。それを押し込めて、背筋を伸ばした。

 

 背後で扉が閉まり、鍵のかかる音がした。三つ。重く、冷たい音。

 

「今日からお前も、この捜査に加わってもらう」

「この捜査……?」

「真のレッドジョン対策本部だ。表の会議は形だけだ。本当の情報は、あそこでは出せない」

「なぜですか?」

「情報が漏れている」

 

 背筋を冷たいものが走る。

 

 部屋にいた全員が、微かに姿勢を硬くした。知っていた者も、改めて声に出して聞かされることの重みがある。セリアはペンを握り直した。

 

 大佐が壁の地図の前に立つ。赤い印が貧民街に集中している。

 

「半年で三百人以上。被害者は全員、貧民街の住人だ。社会的弱者だけを狙っている」

 

 大佐が赤い印を指で叩いた。乾いた音が、静かな部屋に響く。

 

「犯行時間は深夜。単独犯。凶器は大型の刃物。一撃で首を断っている。躊躇いがない」

 

 地図から離れ、部屋の全員を見渡す。

 

「犯人像はこうだ。戦闘経験のあるギフト持ち。貧民街の地理に詳しい。夜間に自由に動ける生活環境にある」

 

 大佐が、顔の前で拳を握る。

 

「そして――被害者はほぼ全員、ギフトを持たない者だ。通常、弱者だけを狙う犯人は、自らも非力であることが多い。だがこのレッドジョンは半年で三百人、証拠なし、目撃者なし。追った精鋭すら返り討ちにしている。並の人間に成し遂げられる所業ではない」

 

 セリアの手が止まっていた。メモを取る手が、いつの間にか動かなくなっている。ペンの先が羊皮紙の上に置かれたまま、どこにも動けずにいた。

 

 大佐の目が室内を一巡した。

 

「俺は三十年、憲兵をやっている。Aランクの賞金首を何人も捕まえてきた。Sランクを仕留めたこともある。だが、レッドジョンだけは――」

 

 振り返った大佐の目には、深い疲労が滲んでいた。

 

 この人が、こんな顔をする。それだけで、事態の深刻さが伝わってきた。百の現場をくぐり抜けてきた男が、初めて年老いて見えた。

 

「これまで何度も、手がかりを掴みかけた」

 

 壁際へ歩いていく。そこには四枚の写真が貼られていた。顔写真だ。目を閉じている者、正面を見据えている者。

 

 全員の写真の下には、黒い線が引かれている。

 

 ――死亡を意味する線。

 

 セリアの視線が、その線の一本一本を辿った。

 

「ダリオ」

 

 大佐が一枚目の写真を指した。

 

「服役囚だ。レッドジョンの正体を知っていると言った。無罪を勝ち取れば、全てを話すと。取引の三日前、独房で首を吊った状態で発見された。自殺ではない。爪が全部剥がれていた。最後まで抵抗した証拠だ」

 

「レナード」

 

 指が二枚目に移る。

 

「優秀な憲兵だった。レッドジョンの潜伏先を突き止めたと報告してきた。翌朝、自宅で発見された。妻と子供の目の前で、喉を掻き切られていた。犯人が押し入った形跡はない。玄関の鍵は内側からかかっていた」

 

 密室で、家族の目の前で……どれほどの恐怖だっただろう。

 妻は、子供は。

 目の前で夫が、父が殺されるのを見て――

 

 セリアは唇を噛んだ。

 

「ネイサン」

 

 指が三枚目に移る。

 

「薬師だ。貧民街で働いていた。レッドジョンの目撃情報を持っていると連絡してきた。約束の場所に現れなかった。今日まで、遺体すら見つかっていない」

 

 遺体すら……。

 

 その言葉が、重く響く。どこかで誰かを待っている人間がいるのかもしれない。帰りを信じながら、今日も待ち続けている誰かが。

 

「そして――」

 

 大佐の手が四枚目の写真に伸びた。

 

 若い女性。憲兵の制服を着て、穏やかに笑っている。目元に笑い皺がある。優しそうな顔だ。

 

「ナディア。俺の部下だった」

 

 大佐の声が、低くなった。他の三人を語るときとは違う、わずかな変化。それに気づいたのはセリアだけではないはずだ。

 

「レッドジョンの行動パターンを分析していた。あと少しで、奴の拠点を特定できるところだったが……一週間前、帰宅途中に消えた。翌朝、川で見つかった。首から下だけが」

 

 誰かが息を呑む音がした。隻眼の女が目を伏せ、老兵が天井を仰ぐ。

 

 四枚の写真を見つめる大佐の横顔には、怒りと悔恨が刻まれていた。

 

 深い皺。噛みしめた歯。こめかみに浮かぶ血管。

 

「――レッドジョンに近づいた者は、こうなる」

 

 大佐の声が、静かに続く。

 

「犯行手口はレッドジョンとは違う。手口がばらばらで、血文字もない。だが、レッドジョンに近づく者が次々と消えている。偶然とは思えない」

 

 内通者がいる。

 

 セリアは理解した。組織の中に、裏切り者が潜んでいる。情報を流し、邪魔者を消している誰かが。

 

「憲兵本部に……内通者が、いるということですか?」

「断定はできん。だが、そう考えるのが自然だ。だから、この部屋にいる人間だけで動く。全員、身辺調査を終えた者だ。お前の調査も、昨日終わった。問題なしだ」

「……光栄です」

「光栄なものか。この捜査に関わった者は、命を狙われる。それでもやるか?」

「やります」

「理由は?」

 

 脳裏にルーシェの笑顔が浮かんだ。イリスの横顔も。

 

 食卓で笑い合う二人。くだらないことで言い合う声。朝、寝ぼけ眼で「おはよう」と言うルーシェ。何も言わずにお茶を淹れてくれるイリス。

 

 あの日常を、守りたい。

 

「――妹たちがいます。そんな化け物を野放しにしたまま、妹たちをこの街で暮らさせたくありません」

 

 大佐は黙ったまま、こちらを見つめている。

 

 その目が、セリアの覚悟を測っているようだった。鋭く、冷たく、それでいてどこか温かい目。部屋の全員が、固唾を呑んでいた。

 

 やがて、小さく頷く。

 

「いい目だ。期待している」

 

 

 ◇

 

 

 憲兵本部を出ると、空は茜色に染まっていた。

 

 屋台の匂いが漂い、どこかで子供たちの笑い声が響いている。石畳を歩きながら、セリアはすれ違う人々の顔をつい見てしまう。今日の前と後では、同じ光景が違って見えた。

 

 買い物帰りの主婦。仕事終わりの職人。手を繋いで歩く親子。誰もが普通の顔をしている。

 

 この中に、殺人鬼がいるのかもしれない。

 

 あるいは、次の被害者が。

 

 拳を握りしめた。

 

 ――必ず捕まえる。必ず。

 

 今日は早く帰ろう。妹たちが待っている。

 

 

 ◇

 

 

「ただいま」

「姉さん、お帰り!」

「お帰りなさい、セリア姉様。夕飯、もうできてる」

「ありがとう」

 

 三人で食卓についた。湯気の立つスープと、焼きたてのパンが並んでいる。二人の声を聞いた瞬間、肩の力が少し抜けた。

 

「いただきます」

「セリア姉様、今日市場で安売りしてた。人参がすごく甘いの」

「ほんとだ、美味しい」

「でしょ」

 

 イリスの口元がわずかに緩む。

 

 一口食べた。確かに甘い。人参の甘みがスープ全体に溶け込んでいて、疲れた体に染み渡っていく。体の奥から温かくなるような、素朴な甘さだった。

 

「姉さん、今日も遅かったね」

「ええ……ちょっと、立て込んでて」

 

 スープを口に運ぶ。温かい。でも、頭の中では大佐の言葉が何度も繰り返されている。温かいものを飲み込みながら、それでも冷たいものが胸に居座っていた。

 

 ――レッドジョンに近づいた者は、こうなる。

 

 四枚の写真。その下の黒い線。

 

 このまま捜査を続ければ、自分の顔も、あそこに並ぶかもしれない。

 

 恐怖が、じわりと腹の底に広がる。温かいスープが、急に味を失った気がした。

 

 スプーンを置く。

 

 痕跡なし。目撃者なし。動機も不明。ただ現場に血文字を残す、正体不明の殺人鬼。

 

「……レッドジョン、か」

 

 ガタン、と音がする。

 

 見ると、ルーシェがスプーンを落としていた。

 

 顔から血の気が引いている。額には汗が浮かんでいた。目が泳いでいる。

 

「……大丈夫?」

「だ、大丈夫! ちょっと手が滑っただけ!」

「風邪でも引いた? 顔色悪いわよ」

「へ、平気平気!」

 

 イリスが冷めた目でルーシェを見た。

 

「……バカじゃないの?」

「ひどい!」

「事実でしょ」

「ひどい。ひどい」

 

 思わず苦笑が漏れる。この二人は相変わらずだ。

 

「うるさい。これでも食べな」

 

 イリスがルーシェの皿にパンを乗せた。

 

「こ、こいつって!」

 

 二人のやり取りを見ながら、小さく微笑んだ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 この食卓。この日常。これが、自分の守りたいものだ。

 

 レッドジョンなんかに、壊させはしない。

 

 必ず捕まえてみせる。

 

 ただ……視線がルーシェに向いた。

 

 さっきの動揺は何だったのだろう? レッドジョンの名前を聞いた途端、あんなに顔色を変えて。

 

 ルーシェは何事もなかったように、スープを口に運んでいる。でも、スプーンを持つ手が、まだわずかに震えている気がした。

 

 『どこで』と、喉まで出かかった。

 

 ――気のせい、よね?

 

 自分にそう言い聞かせた。

 

 容疑者リストの作成が、明日から始まる。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。