327人殺した転生美少女の俺は、誰も殺していない ~首を刎ねると、現代日本で目を覚ます~   作:里奈使徒

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第6話「目覚め/止まりや」

 施設に入って、三週間が経った。

 

 庭でユズが走っている。頬を紅潮させ、裸足で朝露を蹴散らしながら。退院した日には、立つのもやっとだったのに。

 

 その背中を見ながら、コウメは次の嵐を待っていた。

 

 その日の午後、山本が部屋に来た。いつも穏やかな顔が、今日は違う。ドアを開けた瞬間にわかった。

 

「コウメさん。入国管理局から、正式な呼び出しが来ました」

 

 ――やっぱり、来たか。

 

 

 ◇

 

 

 入国管理局。

 

 灰色のビルが曇り空に溶け込んでいる。

 

 自動ドアをくぐると、冷気が肌を刺した。プラスチック椅子に座る人々。番号札を握りしめる手。誰も目を合わせない。壁の時計だけが、秒針を刻み続けている。皆、待っている。何かを諦めながら、それでも待っている。

 

 審査室に通された。

 

 六畳ほどの狭さ。窓はない。蛍光灯が壁の染みまで照らし出している。机を挟んでパイプ椅子が二脚。それだけ。隠す場所も、逃げる場所も、ない。

 

 向かいに座った男は、四十代くらいだった。

 

 薄い唇。神経質そうな眉。こちらを見る目に、隠しようのない嫌悪が滲んでいる。

 

「入国管理局の狩谷だ。パスポートは?」

「持ってへん」

「ビザは?」

「持ってへん」

「どこの国から来た?」

「……遠いところから」

「質問に答えろ! 俺はな、お前みたいな奴を何百人と見てきた。密入国者。不法滞在者。この国に寄生して、税金を食い潰す害虫ども」

「……」

「お前らのせいで、真面目に働いてる日本人が割を食ってるんだ。わかるか?」

 

 コウメは黙っていた。蛍光灯がジジ、と鳴る。

 

 向こうの世界でも、こういう目をした奴はいた。

 貧民を見下す目。虫けらを見る目。ただそこに座っているだけで罪人扱いされる、あの感覚。

 

 狩谷が書類をめくった。ページが擦れる音が、やけに大きく響く。

 

「身元不明。パスポートなし。在留資格なし。保険証なし。娘も同様。出生届の記録なし。どこの病院で産んだかも不明。お前、本当に母親か? 人身売買で連れてきたんじゃないのか?」

 

 胸の奥で、何かが軋んだ。

 

 ――この子を、そんな目で見るな。

 

「ユズはうちの子や」

「証拠は?」

「証拠なんかない。でも、うちの子や」

「証拠がないなら、信用できない。お前は収容施設行きだ。ガキは児童相談所に引き取らせる。二度と会えないと思え」

 

 背筋を冷たいものが走った。指先から血の気が引いていく。

 

 ――別々。

 ――ユズと、離れ離れになる。

 

「待って」

「待たない。不法入国者に人権なんかない。さっさと出ていけ。この国から消えろ!」

 

 狩谷が扉に向かう。革靴が床を叩く。

 

 ――あかん。

 ――このままじゃ、あの子を守れへん。

 

「待って!」

「しつこい! 文句があるなら追加で――」

 

 目が、合った。

 

 その瞬間。

 体の奥で、何かが目を覚ます感覚があった。

 何かが弾ける。

 

 熱い。内臓が焼ける。血管を溶岩が流れていく。

 目が痛む。視界が赤く滲む。蛍光灯の白がぼやけて消えた。

 

 ――この子だけは。

 ――絶対に、守る!

 

「止まりや」

 

 自分の声ではなかった。腹の底から絞り出された、獣の唸り。それでいて、どこか静かな声だった。怒りを超えた先にある、揺らがない何か。

 

 狩谷の目が――虚ろになった。

 

 さっきまでの敵意が消えている。人形みたいな、空っぽの目。

 

 ――効いた。

 

 コウメは自分の手を見た。震えている。指先が痺れている。熱い。体の奥から、まだ何かが渦巻いている。

 

 ――うちが、あの男を……操った?

 

 心臓が肋骨を叩いている。息が荒い。冷房の音がやけに大きい。

 

 でも、引き返せない。

 

「うちらは、問題ない。難民申請を受理して」

「……問題ありません。難民申請を受理します」

 

 抑揚のない声。まるで人形の声である。

 

 狩谷は机に戻り、書類に何か書き込むと、部屋を出ていった。足音が廊下の奥へ消える。

 

 コウメは壁にもたれた。冷たいコンクリートが背中に触れる。膝に力が入らない。ゆっくりと息を吐くと、震えが少しずつ収まっていく。

 

 ――これが、ギフト。

 

 目の前を、金色の蝶がひらひらと舞っている。光でできた蝶。自分の瞳から生まれたのだと、なぜかわかった。

 

 向こうの世界では、一度も発動しなかった力。なんで今使えたのか、わからない。でも、使えた。それだけでいい。

 

 拳を握った。

 

 ――この力で、ユズを守る。

 

 

 ◇

 

 

 その夜。

 

 六畳の部屋。ユズは布団で眠っている。小さな寝息だけが響く。

 コウメは窓際に座り、考えていた。カーテンの隙間から街灯の光が漏れている。

 

 ――うちひとりじゃ、限界がある。

 

 施設で噂を聞いた。最近、身元不明の外国人が増えている。収容施設がパンク状態だ、と。

 

 ――あいつらも、向こうから送られてきたんや。

 ――天使さんに救われた者たち。

 

 翌日。

 

 コウメは収容施設を訪れた。

 郊外の古びた建物。壁のペンキが剥げ、窓には鉄格子。門の前で警備員が煙草をふかしている。貧民街の廃屋とは違う。でも、中に閉じ込められている人間の目は、きっと同じだ。

 

 コウメは受付の職員と目を合わせる。

 

 瞳が金色に光った。光が蝶の形をとり、ひらり、と職員の目に舞い落ちる。職員の瞳から色が消えた。

 

「中を見せて」

「……どうぞ」

 

 重い扉を押して、中に入った。

 

 薄暗い廊下。天井の蛍光灯が一本だけ点滅している。消毒液の匂いが鼻につく。病院とは違う匂いだ。清潔さのためではなく、何かを消すための匂い。

 

 部屋を覗くたびに、ベッドが見えた。詰め込まれたベッド。毛布にくるまった人々。天井を見つめている者。壁に向かって座っている者。誰も動かない。声も出さない。

 

 隅の部屋に入った。

 

 ベッドが六つ並んでいるが、人は三人しかいない。二人は毛布を被って眠っている。

 

 少年が一人、窓際に座っていた。

 

 鉄格子の向こうに曇り空。少年はそれを見ているのか、見ていないのか。痩せている。十歳くらいか。シャツが大きすぎて肩からずり落ちそうだ。

 

 コウメは少年の前にしゃがんだ。

 

「自分も、向こうから来たんやろ?」

 

 少年は答えない。じっとこちらを見ている。窓からの薄い光が横顔を照らす。品定めされているのがわかった。値踏みの目。子供の目ではなかった。

 

 沈黙。十秒。二十秒。

 

 廊下の足音が遠くで響いて消えた。

 

 少年が先に口を開く。

 

「……あんた、どうやって入ってきた? 面会申請もなしに、ここにいる。普通じゃない」

「ギフトや。向こうの言葉、わかるやろ?」

「……ああ。あんたもあの世界から来たんだな」

 

 それきり、口を閉じた。

 

 ――こいつ、腹の中を見せへん子やな。

 

「名前は?」

「ケン」

「ケン。取引せえへんか? うちがここから出したる。代わりに、自分のギフトをうちらのために使ってくれへんか?」

「……俺のギフトは発動したことがない」

「一緒に探っていこ。発動の仕方」

「……何を手伝えばいい?」

「出てから話す。まずはここを出よ」

 

 コウメは眠っている二人に目を向けた。

 

「あの二人も、向こうからか?」

「ああ」

「起こし。全員連れ出す」

 

 廊下に戻り、すれ違った職員と目を合わせた。

 

 金色の蝶が舞う。瞳から色が消える。

 

「この三人を、今すぐ外に出して」

「……了解しました」

 

 鉄格子の向こうに、夜の空が見えた。ケンが先に歩き出す。眠っていた二人がその後に続く。誰も振り返らなかった。

 

 

 ◇

 

 

 夜。

 

 ユズが眠った後、ケンと話し合った。

 部屋の電気は消してある。月明かりだけが二人の顔を照らしていた。隣からテレビの音が微かに聞こえる。

 

 ケンは壁に背をつけて座り、腕を組んでいた。向こうの世界で生き延びてきた者の目が、月明かりの中で静かに光っている。

 

「うちらは、この国で生きていく」

 

 ケンが頷いた。

 

「送られた者は、俺たちの同胞だ。全員で生き抜く」

「作戦は?」

「まず、仲間を増やす。他の部屋にもまだいるはずだ。全員、向こうから来た奴らだ」

「どうやって集めるん?」

「あんたの力を使う。役所の人間を操って、住民票を作る。少しずつ、足場を固めていく」

「……任せとき」

 

 コウメは窓の外を見る。

 

 星が輝いている。向こうの世界と、同じ星。

 

 ――ありがとう、天使さん。

 ――あんたがくれた命、絶対に守り抜く。

 

 狩谷の顔が、ふと浮かんだ。虚ろになる前の、憎悪に満ちた目。

 

 ――あいつは、必ず来る。

 ――来たら、また止めたる。

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