327人殺した転生美少女の俺は、誰も殺していない ~首を刎ねると、現代日本で目を覚ます~ 作:里奈使徒
夜明け前の貧民街は、今夜も静かだった。
見慣れた路地だ。廃屋が続き、石畳は割れ、泥が靴底にまとわりつく。場所には慣れた。だが、ここにいる者たちの目だけは、何度見ても慣れない。
廃屋の前で足を止めた。他の建物と変わらない。崩れかけた壁。傾いた屋根。ただ、扉の隙間から蝋燭の灯りが漏れていた。
誰かがいる。
音を立てないように中に入った。
六畳ほどの空間だ。壁の隙間から夜風が吹き込み、蝋燭の炎が揺れている。
隅に老人がいた。
壁にもたれて座っている。骨と皮だけの体。目に光がない。膝の上に、何かを抱えている。古びた布の包み。大事なものを包むような、丁寧な折り方だ。
ギフトを持たない者、弱すぎるギフトしか持たない者は、こうして朽ちていく。珍しくないはずなのに、慣れる気がしない。
ルーシェは近づいた。
「二つ聞く。この世界に未練は? 待っている人は?」
いつもの質問だ。これだけは必ず聞く。
老人が顔を上げる。虚ろな目が、こちらを見た。
「……もう、誰もおらん。女房も、息子も、先に逝った。俺だけが残された」
老人は天井を見上げた。蝋燭の炎が、その横顔を照らしている。しわの深さだけが、この人の歴史を語っていた。
「もう何年も、こうやって生きとるだけじゃ。生きとるっちゅうか……息しとるだけじゃな」
笑った。乾いた、諦めきった笑い。
「そう」
ルーシェの瞳が淡く光った。右手に意識を集中する。淡い輝きとともに、鎌が現れた。月明かりを受けて、刃が鈍く光っている。
「おやすみ」
鎌を振り下ろした。
抵抗はない。刃が首を通り抜ける。空気を斬るように、滑らかに。首が落ちる。血飛沫が壁を染めた。
同時に――壁が光った。
血が意思を持ったように蠢き、文字を描いていく。
「R.J」
ギフトの副作用だ。送るたびに、必ず刻まれる。
鎌が光になって消えた。部屋には血の匂いだけが残っている。
――また一人、日本に送った。
抜け殻を一瞥して、廃屋を出る。
路地を歩き始めた。
その瞬間。
轟音。
数十歩先の建物の壁が崩れた。煉瓦が砕ける音。木材が軋む音。悲鳴に似た金属音。地面が微かに揺れた。
咄嗟に足が止まる。
「なんだ今の!?」
振り返ると、路地の奥の建物が崩れていた。粉塵が夜の空気に広がっていく。
貧民街では珍しくない。古い建物が夜中に崩れることはある。だが今夜の音は、街全体に響くほど大きかった。
大音量のせいか、いつもより早く明かりが灯り始めた。近くの廃屋の隙間から、人影が顔を出す。
――人が集まってくる前に。
ルーシェは踵を返した。来た道とは別の路地へ、足早に歩き出す。振り返らなかった。
角を曲がった瞬間。
「ルーシェ?」
心臓が止まった。
ドグだった。憲兵の制服。手にランタンを持っている。顔を上げ、目が合った。
――よりによってドグさんかよ!
「こんな夜中に、ひとりでこんな場所で何してんだ?」
「あ、えっと」
頭が真っ白になった。何か言え。何か言え。
「仕事の帰りで。そしたらさっきすごい音がして、なんか気になって」
「仕事? こんな時間まで?」
「居酒屋の閉め作業で。遅くなっちゃって」
「嘘をつくな。この辺りの居酒屋はとっくに閉まってる時間だぞ」
「え、えーと、そうでした。そ、その……」
ドグの眉が、わずかに動いた。
「……まさかマルク通りの裏手に行ったんじゃないだろうな」
「え?」
「あそこに不良どもの溜まり場がある。酒と煙草で夜通し騒いでる。セリアには内緒で行ってたか?」
「ち、違います! そこじゃないです!」
「じゃあどこに行ってた?」
「え、えーと……その、どこといいますか」
言葉が出てこない。頭の中が空白になっている。
「正直に言え」
正直にレッドジョンしてましたとは言えるわけがない。
仕方がない、マルク通りだと思っているなら、それでいく。
「……ちょっと、興味があって。えへっ♪」
「ったく」
「いたっ!?」
げんこつが頭に落ちてきた。ドグは昔からこうだ。
「セリアには言わんでおいてやる。二度とこんな場所をうろつくな」
「……はい」
ドグが路地の奥へ歩き去ろうとして、ふと振り返った。
「気をつけて帰れよ」
それだけ言って、闇の中に消えていった。
ルーシェは動けない。足が震えている。
――危なかった。
ドグの背中が闇に消えてから、ようやく歩き出した。今度こそ、振り返らない。
◇
同じ頃。
貧民街の路地。
ヴァンは瓦礫の中に立っていた。賞金稼ぎである。
レッドジョンを追って、半年。
この廃屋に今夜来ることは、わかっていた。三週間、動きを追い続けた。曜日ではない。間隔でもない。ただ、貧民街の死体の出る場所が少しずつ移動している。その先を読んだだけだ。
建物の壁が崩れている。さっきまで自分がいた足場だ。
矢を放った瞬間だった。壁が内側から弾け飛んだ。
落下した。咄嗟に受け身を取ったが、膝を打つ。痛みは確認した。致命的ではない。
見えない力だった。
――ギフトだ。
矢は明後日の方向に飛んでいた。瓦礫の向こう、路地の隅に落ちている。
ヴァンは立ち上がった。膝が痛む。後回しだ。
粉塵の向こうに、人影がある。レッドジョンだ。まだ近い。弓で狙えなくとも、ナイフを抜く。この手で殺すと、決めていた。ミラのために。それだけは、曲げない。
走り出した。
その瞬間。
足元の石畳が弾けた。見えない力が、前方から叩きつけてくる。ヴァンは後方に吹き飛び、瓦礫の上に背中から落ちた。
息が詰まる。夜空が見える。
起き上がった。歯を食いしばって、立つ。体が悲鳴を上げている。
構わない!
ミラが死んだ夜も、立った。エリが死んだ夜も、立った。これくらいで膝をつくわけにはいかない。
逃げられる――せめて、顔だけでも。
ヴァンは踏み出した。
また弾けた。今度は強い。体が地面を転がる。頭が石畳を打つ。視界が明滅した。
体が言うことを聞かない。
レッドジョンの姿は、もうなかった。
周囲を見回した。誰もいない。気配すら残っていない。何度弾き飛ばされても、相手の姿は一度も見えなかった。
ヴァンは仰向けのまま、しばらく動けなかった。
頭を打っている。視界がまだ揺れている。膝の痛みに、それが加わった。肋骨も一本、いっているかもしれない。
それでも立てる。立てれば、まだ動ける。夜風が頬を撫でた。
レッドジョンは単独ではない。強力なギフト持ちが、背後で見張っている。
――俺より強い。それだけは、認めざるを得なかった。
ヴァンは拳を握りしめた。爪が掌に食い込む。痛みに気づいて、少し力を緩めた。感情で体を傷つけるのは愚かである。
矢を拾い、袋に戻す。証拠は残さない。それだけは習慣だ。
一人では無理だ。ならば、組む相手を探す。
憲兵か、賞金稼ぎ仲間か。
どちらでもいい。レッドジョンの首さえ取れるなら。
ヴァンは歩き出した。夜の闇に、その姿が溶けていく。