327人殺した転生美少女の俺は、誰も殺していない ~首を刎ねると、現代日本で目を覚ます~   作:里奈使徒

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第8話「猟犬の過去」

 ヴァンは酒場にいた。

 

 深夜の店内に客はまばらで、酔漢の笑い声が遠くで響いている。カウンターの隅。薄暗い照明。安物のエールが入ったジョッキを傾ける。

 

 酒は不味い。水で薄めてある。でも、飲まないと眠れない。

 

 窓の外を見た。月が出ている。星が、瞬いていた。

 

 ふと、妻の声が蘇る。

 

 ――星が降る夜に、また会いましょう。

 

 ジョッキを置いた。目を閉じる。

 

 記憶が、勝手に流れ出した。

 

 

 ◇

 

 

 十年前。

 

 ヴァンは傭兵だった。

 

 戦場に立っていた。焼け落ちた村の跡地。昼なのに空は灰色で、煙が太陽を隠している。血の匂い。死体の山。耳をつんざく怒号と悲鳴。

 

 敵兵が突っ込んでくる。ヴァンは短剣で喉を切り裂いた。血が噴き出す。返り血が顔にかかった。

 

 次の敵。また斬る。

 

 次。また次。

 

 何人殺したかわからない。数える意味もない。終わったかどうかで判断する。それだけでいい。

 

 戦いが終わった時、周りには戦友の死体が転がっていた。

 

 ヴァンだけが立っている。

 

 空を見上げた。灰色の雲。雨が降り始める。血が洗い流されていく。顔に張り付いた赤が、雨に溶けて足元に落ちた。

 

 ――この生活、いつまで続くんだ?

 

 答えはなかった。

 

 

 ◇

 

 

 八年前。

 

 傭兵をやめた。

 

 戦場を離れ、小さな町に移り住む。賞金稼ぎとして働き始めた。危険な依頼は避ける。殺しの仕事も断った。生活できる程度に稼げれば、それでいい。

 

 平穏な日々。血の匂いのしない日々。

 

 それで十分だと思っていた。

 

 ある日。

 

 市場で買い物をしていた。昼下がりの人混み。

 焼いた肉の匂いと、山積みの果物の甘い香りが混じり合っている。売り子の声が飛び交い、荷車の車輪が石畳を軋ませていた。

 

 野菜を選んでいる時、誰かとぶつかった。

 

 肩に柔らかな感触。籠から林檎が転がり落ちる。

 

「あ、すみません」

 

 女性だった。

 

 栗色の髪。穏やかな瞳。慌てて頭を下げている。頬が少し赤い。

 

「いや、こちらこそ」

 

 林檎を拾い上げ、差し出す。指が触れた。

 

 女性が顔を上げる。目が合う。

 

 太陽みたいな笑顔。

 

「お怪我はありませんか?」

「ああ、大丈夫だ」

 

 女性は会釈して去っていく。

 

 ヴァンは立ち尽くしていた。市場の喧騒がどこか遠くなっている。

 

 ――綺麗な人だった。

 

 指に、まだ温もりが残っている。

 

 

 ◇

 

 

 それから何度か、市場で会った。偶然だ。いや、偶然を装って会いに行っていた。

 

 女性の名前はミラ。町の仕立て屋で働いている。

 

 少しずつ話すようになった。天気の話。町の話。くだらない話。

 

 ミラは笑うと、少し恥ずかしそうに俯く。それが好きだった。

 

「ヴァンさんは、何のお仕事を?」

「賞金稼ぎだ」

「危険なお仕事ですね」

「そうでもない。ひとくちに賞金稼ぎといってもピンからキリでな。命のやり取りをする危険なやつもいれば、俺みたいに楽な相手専門の生け捕り屋もいる」

 

 嘘ではない。傭兵時代とは違う。もう、人は殺さないと決めていた。

 

「それなら、安心ですね」

 

 ミラは微笑んだ。

 

 その笑顔を見た時、心が決まった。

 

 この人を、守りたい。

 

 

 七年前。

 

 ミラと結婚した。

 

 小さな結婚式。町外れの古い教会。木の扉を開けると、蝋燭の灯りが揺れている。狭い聖堂に長椅子が十脚ほど。天井は高く、埃っぽい光の筋が窓から斜めに差し込んでいた。

 

 春の陽射しがステンドグラスを通して二人を照らす。赤と青と金色の光が、石畳の床に模様を描いている。参列者は数人。でも、それで十分だった。

 

 オルガンが低く響く。古い木と、花の香りが混じり合っている。

 

 ミラは白い服を着ていた。花を持って、笑っている。手を取ると、指が震えていた。緊張しているのだ。自分も同じ。

 

 うぬぼれでなければ、愛しんでくれているのだ。

 

 こんな幸せが、自分に許されるのか?

 

 傭兵時代、何人も殺した。無慈悲に、容赦なく。その報いが、いつか来る。そう思っていた。

 

 そんな心の奥の燻りを知ってか知らずか、ミラがこちらを見つめ微笑んだ。

 

「愛してるわ」

「俺もだ」

 

 それでも今は、この幸せを抱きしめていよう。

 

 

 六年前。

 

 娘が生まれた。

 

 自宅の寝室。産婆が帰った後、部屋には三人だけが残された。

 

 ミラはベッドに横たわっている。汗で髪が額に貼り付いていた。疲れ切った顔。でも、目だけが輝いていた。

 

「あなた、抱いてみて」

 

 小さな赤ん坊。

 泣き声がうるさい。壊れそうなほど小さい。

 

 恐る恐る手を伸ばす。

 

 赤ん坊が泣き止んだ。こちらを見ている。黒い瞳。小さな手が、ヴァンの指を握る。力強い。こんなに小さいのに。

 

 涙が出た。なぜかわからない。戦場で一度も泣かなかった男が、こんなに小さな手一つで泣いている。

 

 娘の名前は、エリ。

 

 この子を守る。絶対に。

 

 そう誓った。

 

 

 五年前。

 

 エリは歩けるようになり、言葉を覚えた。

 

「パパ、遊ぼう!」

 

 小さな手が、ヴァンの指を引っ張る。

 

 公園で遊んだ。木陰でかくれんぼをして、芝生の上を転げ回る。ミラも一緒だ。三人で笑った。エリが転んで泥だらけになって、それでも笑っていた。

 

 こんな日々が、ずっと続けばいい。

 

 本気でそう思っていた。

 

 

 四年前。

 

 エリが病気になった。

 

 高熱が続く。咳が止まらない。日に日に痩せていく。あんなに元気だった体が、目に見えて小さくなっていく。

 

 医者に診せた。

 

 古い診療所だった。薬草の匂いが充満している。壁際に薬棚が並び、瓶の中で乾燥した草や粉末が眠っている。窓は小さく、昼間なのに薄暗い。

 

 エリは粗末なベッドに横たわっていた。顔色が悪い。額に汗が浮かんでいる。ミラがその手を握っている。エリの手は、以前より細くなっていた。

 

 医者は白髪の老人だった。エリの胸に耳を当て、脈を取り、瞼を開いて瞳を覗き込む。

 

 その顔が、少しずつ曇っていく。

 

「枯死病です」

「そ、そんな……治るのか?」

「薬はあります。使えば、症状を抑えられます」

「いくらだ?」

「月に、金貨百枚」

 

 息が止まった。

 

 金貨百枚。しかも一ヶ月で。

 賞金稼ぎの稼ぎでは、到底払えない額だ。働き詰めに働いても、半年かかる。その間、薬が途切れたら。考えかけて、頭を振った。

 

 ミラが震えていた。エリを抱きしめて、声を殺して泣いていた。

 

「なんとかする。絶対に、なんとかする」

 

 

 ◇

 

 

 三年前。

 

 傭兵に戻った。

 危険な依頼を受ける。報酬が高い依頼。殺しの仕事も、また受けるようになった。

 

 家族のため。エリのため。

 

 血の匂いが、また体に染みついていく。戻ってくるのに時間はかからなかった。体は覚えていた。

 

 家を空ける日が増えた。

 一週間。二週間。一ヶ月。

 

 ミラは寂しそうだった。でも、文句は言わない。ヴァンが帰るたびに、同じように笑って迎えた。それが、かえって胸に刺さった。

 

 エリが聞いた。

 

「パパ、いつ帰ってくるの?」

「すぐに帰ってくる。待っていてくれ」

 

 嘘だった。すぐには帰れない。でも、言うしかなかった。エリの目が、信じきっているから。

 

 

 ◇

 

 

 ある夜。

 久しぶりに家に帰った。エリは眠っている。ミラと二人、屋根に上がった。

 

 肩が触れ合う距離で並んで座る。星が出ていた。雲がない夜。秋の夜風が頬を撫でていく。二人の間に、言葉のいらない静けさがあった。

 

「星が、降ってきそうね」

「ああ」

「あなたが、遠くに行っても、私たち待ってるから」

「ミラ……」

「星が降る夜に、また会いましょう」

「俺は、どこにも行かないよ」

「でも、もし行くことになったら、約束してね。星が降る夜に、また会おうって」

「ああ、約束だ」

 

 ミラの肩が、ほんの少し、ヴァンに寄りかかった。

 

 その夜、二人で星を見続けた。

 

 

 ◇

 

 

 一年前。

 

 大きな依頼が来た。

 報酬は金貨三千枚。破格だった。これだけあれば、しばらく薬代が払える。家族と過ごす時間も、作れるはずだ。

 

 ただし、期間は三ヶ月。遠い町に行かなければならない。

 

 ミラに相談した。

 

「行ってきて。私たち、待ってるから」

「パパ、頑張ってね!」

「必ず、戻ってくる」

 

 そう言い残して、町を出た。振り返らない。振り返れば、行けなくなる気がしたから。

 

 

 ◇

 

 

 三ヶ月後。

 

 依頼は完了した。報酬を手にする。

 

 金貨三千枚。重い袋。

 

 急いで町に戻った。馬を走らせ、夜も休まず、三日で帰り着く。

 

 早く会いたい。ミラに。エリに。

 

 町の入り口が見えた時、嫌な予感がした。

 

 夕暮れの通りを走る。茜色の光が、石畳を染めていた。息が切れる。人を押しのけ、路地を駆け抜けた。

 

 家に着く。

 

 足が止まった。

 

 家は荒れ果てていた。

 

 窓が割れている。ガラスの破片が、夕日を受けて光っていた。扉は蝶番ごと外れ、内側に倒れ込んでいる。

 中は家具が散乱していた。椅子が砕け、食器が床に散らばり、カーテンが引き裂かれている。

 

 壁に血痕があった。床にも。点々と続いて、奥の部屋へと消えている。

 

「ミラ! エリ!」

 

 叫んだ。返事はない。自分の声だけが、空っぽの家に響いて消えた。

 

 近所の老人に聞く。

 

 扉から顔を出した老人が、ヴァンを見て固まった。

 

「……あんた、生きてたのか」

 

 三ヶ月。その間に、俺は死んだことになっていたらしい。

 

「あの家族なら……戦争の影響で、物価が高騰したんだ。薬代も、急に倍以上に上がって。奥さん、払えなくなって……借金をしたらしい」

「それで?」

「返せなくて、借金取りに追われて……貧民街に落ちたって聞いた」

「貧民街だと!?」

「でも、もう……」

 

 老人は言葉を濁した。その目が、答えを持っていた。

 

 ヴァンは駆け出す。

 

 

 ◇

 

 

 貧民街を探し回った。

 

 崩れかけた建物。泥の路地。うずくまる人影。

 何時間歩いたかわからない。何十人に声をかけたかも覚えていない。

 

 そのうちの一人が、答えた。

 

「ああ、あの親子なら……レッドジョンにやられたよ。血まみれだった」

「……どこだ?」

「え?」

「現場は、どこだ?」

 

 俺の顔は、きっと鬼か亡者の顔をしていたのだろう。男は震える手で、方角を指した。

 

 

 ◇

 

 

 廃屋に着いた。

 

 扉は壊れている。中は暗い。屋根の隙間から月明かりが細く差し込んでいた。血の匂いがする。

 

 足が進まなかった。体の奥が、知っていた。この扉を開けたら、何かが終わる。

 

 それでも、開けた。

 

 床に、血文字。

 

「R.J」

 

 血だまり。乾きかけた血が、床を黒く染めている。

 

 何かが落ちていた。

 

 青い花の髪飾り。

 

 拾い上げた。金具が曲がっている。花弁が一枚、欠けていた。

 

 指先に、かすかな香りが残っている。

 

 ――笑うと、少し恥ずかしそうに俯く。

 

 隣に、布人形が転がっていた。

 

 片腕がちぎれかけている。綿がはみ出していた。汚れて、色褪せて、それでも元の形を保っている。握ると、中の綿が潰れる感触。

 

 軽い。こんなに軽かったのか。

 

 ――パパ、遊ぼう。

 

 膝が折れる。

 

 床に座り込んだまま、二つを胸に押し当てた。

 

 血の匂いと、かすかな花の香りが混じっている。

 

 月明かりが、血文字の上を横切っていた。

 

 ヴァンは動けない。声も出なかった。涙も出なかった。ただ、抱きしめていた。

 

 

 ◇

 

 

 誰かがジョッキを置く音がした。

 

 ヴァンは目を開ける。

 

 酒場にいた。ジョッキは空になっている。客はさらに減り、隅で酔い潰れた男が一人、いびきをかいているだけ。

 

 立ち上がった。金を置いて、店を出る。

 

 外は夜だ。

 

 空を見上げる。

 

 星は関係なく降り続いていた。

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