「うん。じゃあそこの部分のお手本は――――こんな感じだよ。わかるかな?」
中等部向けレッスン当日。
参加生徒は10名程度の規模で行われたそれは、賀陽さんの事前準備もあり特段問題なく進行された。
生徒たちの意欲も高く、皆賀陽さんの説明や手本をよく見聞きし、自らの糧にしようと貪欲にレッスンへと取り組んでいる。
「すみません先輩。ここの部分なんですけど、自分でやるとどうしてか動きが小さく見えてしまって……」
「えっとね。多分手足に意識が集中しすぎちゃってるのかな。そういう時は手足の先端からさらに向こうの空間を通すイメージでね――――」
「あっ……出来ました! ずっとうまくいかなかったのに……すごいっ! ありがとうございます!!」
現在は1人ずつに回って困りごとを解決しているようだが、これがまた凄い。
積み重ねた技能の確かさと、直接は使っていないがあの模倣能力故に、他人の動きの理を解く能力が高いのだろう。
的確に問題点や意識を指摘して、その場で改善まで導いている。
『ありがとうございました!!』
「うん。みんなお疲れさま。これからも一緒に頑張ろうね」
「…………」
しかし、講師参加の目的だった賀陽さん自身への好影響は思うように得られてはいなかった。
時折手本のために踊ってみせたりしているが、個人レッスンの時と比べても加減している。
指導の為という名目に期待した変化とは逆方向のものだったが、これも一つの情報だ。
賀陽さん達を見守りながら次に打つ手を考えていると、レッスンは終了時間となり、横一列に並んだ生徒達から元気な挨拶をもらっていた。
その後掃除や片付けが始まり、レッスン室に一つ置かれたモップを賀陽さんが真っ先に手に取ってしまったことでそれに気づいた後輩達が慌てて賀陽さんを取り囲もうとしている。
手に持ったタブレットを床に置き、騒ぎの元へと近づく。
指導では迷うこともなかったくせに、こんなことであわあわと慌ててしまっている賀陽さんからモップを奪い取った。
「アイドルの皆さんは各々の片付けを。掃除はしておきますので」
「あっ、ダメだよプロデューサーくん。使ったのは私なんだから私がやらないと」
モップを取り返そうと伸ばしてきた手をかわし、逃げるようにさっさとモップがけを始める。
というか真面目なのは知っていたが変なところで頑固だなこの人。いや、性格のせいでパフォーマンスにブレーキかかる人間が頑固じゃないはずもないのだが。
しつこく後ろを追いかけてくるため、どうにか言いくるめようと背を向けたまま言葉を投げる。
「俺はあなたのプロデューサーですから。あなたの手足みたいなものなので良いんです! ほら、追いかけてこないでさっさと荷物片付けてください!」
「そんな都合のいいこと言ったって騙されないからね!」
「効率の話です! ほら、中等部の方々も見てますよ!」
「う……きみこそかっこつけてないで大人しく渡してよ!」
「ぐぅ……う、うるさいですね。というか汗落としながら後ろからついてこないでくださいよ! 仕事が増えます!」
「そ、そんなに汗かいてないもん!」
どうにか納得させようとあれこれ言い合いながらモップをかけてしまうがこの件については強いこだわりがあるようで、どうにも埒が明かないため仕方なく折れることにし、足を止め振り返る。
それが良くなかった。
「わかりました……では残りの部分だけお願いしま――――っぐう!?」
「わぶっ?」
緩やかに減速していたため派手な衝突とはならなかったが、必死にモップを取り返そうとしていた賀陽さんは急に止まることが出来ず、人ひとり分の衝撃を正面から受け止める。
万が一にも怪我などされる訳にはいかない。転倒しないようしっかりと抱きとめた。
「っ……すみません。意地になりすぎました。お怪我は無いですか?」
「ご、ごめんねっ……!? あっ、汗っ」
『わぁ…………』
「――――!?」
腕の中で右往左往する賀陽さんと色めきたつ中等部生徒達。
カオスだ。とゲンナリしながら賀陽さんの体をそっと押して引き離す。
「それほど汗はかいていないのでしょう? 別に気になりませんよ。ほら、残りお願いします」
「う、うん。そっか……」
手短にそう伝えると未だ浮ついている賀陽さんにモップをしっかりと握らせ、タブレットを置いておいた部屋の隅へと戻る。
それにしても暑い。少し羽目を外して動いてしまっただろうか。
袖で拭ってしまおうと腕を顔の前に持ち上げるも一瞬だけ余計なことを意識してしまい、平静を装うように腕を下ろした。
「あのっ。賀陽先輩のプロデューサーさんですよね」
「え? はい、そうですが……」
そんなことをしているといつの間にか背後に2人の女生徒が近づいてきていたらしく、声をかけられてそれに気付いた。
ついさっき賀陽さんから指導を受けていた2年生だ。
賀陽さんではなく俺に一体何の用だろうか。
「わ、私たち、賀陽先輩のこと好きになってっ、次のライブとかってもう決まってるんですかっ!」
「あぁ……なるほど。それはとてもありがたいですね。次のライブですか…………」
そこまで話しながらちらりと賀陽さんの方を伺う。
ちょうどモップを片付けてこちらへと戻ってこようとしているところだったようで、丁度目が合った。
それが少し気恥ずかしく、ゆっくり視線を外すと向こうも似たような反応で視線を小さく逸らしながらもこちらへと小走りで近づいてきた。
「どうしたの?」
「なるほど……これもアリか」
「え?」
自分の話でもしていたのかと考えたのだろう。少し気まずそうに話に入ってくる賀陽さん。
そんな彼女を憧れの目で見つめる2人の女生徒を見て、一つ思いついたことがあった。
選抜試験までに場数を踏む必要はあると考えていたが、望む相手がいるのならば渡りに船でもあるだろう。
「直近の定期公演を狙っています。賀陽さんなら問題なくライブの権利を勝ち取ることでしょう。是非見に来ていただければ」
「わあっ! 楽しみですっ! 先輩、頑張ってください!」
「中庭でやるんですよね! 絶対最前列で見ます!」
「う、うん……頑張るね!」
無邪気な期待の表情を向ける後輩たちとそれを受け取り微笑みを返す先輩。
傍から見ると実に理想的な風景だ。だが実状がそうではないことは流石にもうわかる。
賀陽さんには負担をかけることになる。それでも乗り越えてもらわなくては何も始まらない。
☆☆☆
「プロデューサーくん」
「……今更撤回は出来ませんよ」
「うん。わかってる」
廊下を並んで歩きながら少ない言葉を交わす。
隣を歩く賀陽さんの表情は今ひとつ読めない。
何を隠し、何を装うのか決めかねているのかもしれない。
だが彼女の心に負荷をかけていることは確かだ。
それでもやってもらう。
この程度を乗り越えられなければ我々に未来はないのだから。
「事務所、着きましたね。伍藤さんは外出中ですか」
時刻は夕方。薄暗い部屋に灯りをつけ、賀陽さんの隣の椅子に座り、向きを変えて向かい合った。
切り出し方を考えていると賀陽さんは溢すように言う。
「……やるよ。言ったから、きみを信頼してるって。だから不安でもきちんとやるの。……あの子達をがっかりさせたくは、ないんだけどね」
視線を落としたままそう言う賀陽さん。
あのライブの日と同じ、頼りなく小さな姿。
当然このままでは上手くはいかないだろう。
だから彼女が迷わずに進むために行先と荷物を預ける。
「賀陽さんには、あなたが輝くことで笑顔になる人がいることを知ってもらいます。特に、アイドルを目指す生徒の中にも」
「……想像できないなぁ」
「でしょうね。あなたはことさら初星の生徒の前でアイドルとしての力を発揮することを忌避している」
「きみは、知ってるの?」
「はい」
ようやく目が合う。
ゆっくりと上げられた賀陽さんの瞳は一段と不安に揺れていた。
そしてようやく腑に落ちたという色を見せる。
他の生徒達と関わらせてきたこと。強引にライブの話を持ち掛け、期待を寄せる後輩を招待したこと。その理由を。
これは彼女に根付いた後悔。
アイドルという競争の世界ではありふれた悲劇だ。
賀陽さんに嵌められた枷の中でも最も明確で、致命的なもの。
「その上でですが。あくまで俺個人としては彼女――――今は普通科に通っている彼女が、アイドルを諦めた責をあなたが負う必要など無いと考えています」
「…………」
この沈黙は彼女が見せる精一杯の否定だろう。
俺の言葉を切って捨てることができないが、責任から逃れることを受け入れることもできない。
つくづく頑固な人だ。
こちらのせいにして、自分を納得させてしまえば少しは楽になるというのに。
「まぁ、あなたがそれを言われてはいそうですか。と納得するタイプでは無いことも承知していますよ」
「え……うん」
説得を諦めるようなこちらの言葉に間の抜けた疑問の声を上げつつ、賀陽さんは首肯する。
無理なものは無理だ。
だからこそ、今回の目的は話した通り。
「たとえあなたの活躍を望まない人がいたとしても、それ以上にあなたを心待ちにする人がいたとしたら、結局はどちらかを選ぶしかない。その時、俺は賀陽さんのことを好きな人たちを選んで欲しいんです」
そうしてこそ目の前の女性は眩く輝く。
「次のステージで私が凄いライブをして、あの子達がアイドルを辞めたくなっちゃったら?」
「自分が凄いライブを出来ると思っているようでなにより。……まぁ、そうしたら全部終わりですね。ですが、そうはならないと思いますよ」
「それはどうして?」
こちらが出したあまりにあっさりとした結論と、そうはならないという推測に対し、まっすぐこちらの目を見て賀陽さんは問う。
その質問に対する回答は俺にとっては信頼に足る根拠で、ひどく曖昧なこの感覚は他人に話すには始めてのものだ。
「あの2人にも見えたからですよ。確かな"輝き"が」
他者にとっては信じるに値しない理由だろうが、自分でも不思議ながら彼女には話すことが出来た。
楽観的が過ぎるだろうか。
だが賀陽さんはこちらの感情を見逃すことはないのだから、意思を伝えるだけなら言葉は大して必要無い。
これはきっとそういった能力への信用なのだろう。
「…………うん。そうだと、いいな」
「仮にダメだったらどうにかフォローに努めますよ」
「もう……そんな簡単に言っちゃだめでしょ?」
本気ではあるものの空手形を切るこちらに賀陽さんは仕方ないなぁと諫めるようにそう言った。
ようやく少しだけ賀陽さんの表情が柔らかくなり、いつの間にか強張っていた体から力が抜ける。
自分でも気がついていなかった肉体の反応は正直で、露骨に見せてしまったことで連鎖的にしまったという顔をしてしまい、申し訳なさそうな様子を見せつつあった賀陽さんも、こちらの態度が可笑しかったのか小さく笑ってくれた。
☆☆☆
「お疲れ様です。準備はいいですか」
「うん。バッチリだよ」
「それにしても、あっさりとオーディションに勝ちましたね」
「私も、試験には自信があるんだ」
労いの言葉に、それほどの気負いもなく賀陽さんはそう返す。
未だ迷いの中にいる彼女でも、確かに積み重ねてきた実力への自負はあるようで、実に頼り甲斐のある言葉を聴かせてくれる。
定期公演。
賀陽さんの自信通り、苦戦もなくオーディションで1位を取り、無事定期公演の権利を得ることに成功した我々は、仮拵えのテントの中で本番直前の最終確認をしていた。
「短い期間でしたが、多少の広告の成果はありましたね。学園生が多いですが、外部からも賀陽さんに興味を持ってくださった方が見に来てくださっています」
「……プロデューサーくん、凄いね。いつの間にそんなこと」
テントの幕を小さく開き、幾らかの客入りのあるステージを見せる。
賀陽さんは集まっている人数を見て気持ちの良い驚きを示してくれた。
そしてすぐにそれに気づく。
「ええ。彼女達も」
ステージの真正面その最前に2人並び、今か今かと開演を心待ちにしているのがわかる期待の表情。
それを確かめた賀陽さんの方がピクリと小さく揺れる。
流石にまだ不安は拭えないかと、何か声をかけようとするこちらに気づいた賀陽さんが小さく微笑んでそれを制した。
「うん……大丈夫。気づけたから」
「それは、何に?」
「2人のあの表情をね。私は見たことあるなって」
「……そういえば、あなたはずっと昔からとっくにアイドルだったんですよね」
初星学園の門戸を叩くよりも前から。
それを考えると背を叩くような真似をしなくても、そのうちにでも彼女は自らでこの地点まで来られていたのかもしれない。
「楽しみですね」
「?」
「始まるんです。動き出すんですよ、全部、これから」
「そっか…………うん」
「……賀陽さん?」
目を細めてこちらに微笑む様子がどこか不思議で首を傾げていると、端末に設定したアラームが定刻を知らせた。
浮かんだ疑問を頭の隅へ追いやり、最後に一つだけ必ず伝えなければいけないことを話すため、立ち上がった賀陽さんに向き直る。
「賀陽さん。ライブの前に、俺からおまじないを一つ受けてみませんか?」
「おまじない? なんだろ……うん、お願いします」
了承を受けたため、紙に書いた文字を見せながら、ステージに出て最初にする挨拶でこうしてほしいというお願いを伝える。
かなり突然な提案にも関わらず、賀陽さんはこちらに何らかの意図があるものとして否定せずに説明を促してくれた。
「賀陽さんがあなたを望む人たちのために全力を尽くそうと思っていても、きっとあなたはあなたを望まない誰かを蔑ろにすることはできない」
「……うん。私を見て、アイドルを辞めていった子達を、夢を奪った責任を私は無かったことにはできないかな」
「ですから、そんな甘くて、色んなことを背負ってしまおうとする"賀陽継羽"さんを、俺のところに置いていってください」
「…………できるかな?」
「はは。わかりませんね。ですがここはひとつ試してみませんか?」
「保証はしてくれないんだね」
可笑しそうに笑いながらそう言うと、賀陽さんは目を閉じ深く息を吸って、吐いてを繰り返した。
どこかで見たことのある仕草だなと思い、記憶を探って思い至る。
これは彼女が模倣を行う時のルーティンだ。
つまりおそらくは。
「――――じゃあ、行ってくるね」
「…………はい。行ってらっしゃい」
再び目を開いた賀陽さんの雰囲気にそれほどの違いはなかった。
あくまで自分自身の延長線上にある存在の像を結んだだけで、他者の模倣ではないのだから当たり前なのかもしれない。
それでもステージへと向かっていく彼女の姿はいつもよりもくっきりとした存在感を見せていて。
「これは……期待できそうだ」
呟きながら、体が熱くなっていくのを感じていた。
『みなさーん! 初めましてっ! 初星学園2年賀陽
☆☆☆
プロデュースを始めてから最初のライブを見届け、垣間見えた希望に胸を高鳴らせて良い気分で家へと帰る。
そのつもりだったのだが。
「あの子のライブ、見てたわよ。なぁに?あれ」
「……やっと彼女はスタートラインに立てました。これから一気に伸びる。俺がそう導きます」
「ふぅん。ま、精々足掻きなさいよ。プロデューサーなんでしょう? ごっこじゃなくて」
「言われるまでもありません」
「そ。でもね。役目を果たせないのならさっさと辞めちゃいなさい。……あの子ほどの才能を腐らせていいはずがないもの」
「……重々承知していますよ」
時刻は夕方を少し超えたあたり。
既にほとんどの生徒は学園からいなくなっているような時間、何故かレッスン室で一人の女生徒と話をすることになっていた。
彼女の言葉からは隠しきれない気位の高さが感じられ、鞭のような声でこちらの至らない部分を容赦なく叩いてくる。
脳を溶かすような甘く妖艶な声音は心に染み込むように届けられ、それ故に確かな痛みを与えてきた。
「これでもあなたのことは評価しているのよ? あの子に誰かを頼ることを教えたのだもの」
「…………」
急な方向転換のように聞こえるその言葉。
だがこれは次なる鞭へ向けた素振りにすぎないことを知っている。
故にこちらに出来ることはただ言葉無くその時を待つのみだった。
「だからそれで十分。その程度もできないならあなたはもう要らないわ」
「……何を言われようと俺が賀陽さんのプロデューサーです。誰にも渡すつもりはありません」
「あら。威勢のいいこと。でもあなたのような子供にその言葉に見合う力があるのかしらねぇ」
独占の言葉を聞いた女はつまらなそうに自らの髪を指で弄びながらこちらへと近づき、その陶磁器のような指をこちらの顎へと伸ばし、その細さからは想像できない力で持ち上げ、至近距離で視線をぶつけ合わせる。
そしてその美しい姿には似つかわしくない言葉を脳髄に流し込むように口にした。
「あの子の足を引っ張るようなら――――殺すわ」
「……はぁ。アイドルならもう少し発言はどうにかならないですか」
「愛するファン達も支えてくださるスタッフの方もここには居ないわ」
「俺があなたのファンだと言ったら?」
「ご褒美でしょう?」
「……無敵ですか」
「無敵よ」
確固たる自己を持ち、終始自分のペースを崩さない人間を相手にするのは実にやりにくい。
そう考えると途端に賀陽さんが恋しくなってくる。と、そこまで考えたところで日中の接触を思い出してしまい、思考が散らばり始めたため頭から追い出す。
目の前の女性はこちらの挙動を怪訝そうに見ていた。
「なぁに? 本当に私に魅了されちゃったのかしら」
「は? 何の話ですか?」
「……なんだか目の前で他の女のこと考えられたみたいでつまらない……もういいわ。帰る」
どうしてかテンションが急降下したと思ったら、別れの挨拶なども残さずさっさと部屋を出て行った。
なんというか嵐のような人だ。というか初めから他の女性の話をしていたじゃないかと思うのだが。
学園のみならず学外でも知名度のある彼女だが、まさかここまで強烈なキャラを持つ人だとは思っていなかった。
「あ…………お礼を言いそびれた」
散々に言われたい放題してはいたが、彼女には情報提供の礼をしなくてはならないと考えてはいた。
その情報というのは、今回賀陽さんとも話した賀陽さんが立ち止まってしまった過去の話。
中等部から学園におり、賀陽さんを意識しており、賀陽さんを同じレッスンで長く見ているために、同等の実力を持つ。それらの条件を満たす生徒ならば過去の出来事を知っていたりするのではないかと"最初"に当たったのが彼女であり、その出来事を微妙に解読しにくい言いまわしで教えてくれた相手だった。
「"