初星学園アイドル科 賀陽継   作:pocket_ぽけ

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H.I.F前夜。それぞれが過ごす時間と想い。


決戦前夜 それぞれの時間

「ーーーーっ、はっーーーー」

 

 ステップと乱れた息遣い。

 美麗な濃紫の長髪は乱れ、前髪は汗で額に張り付き、肩は荒く上下している。

 

 彼女がどれだけの時間を続けてレッスンしていたのか。それを知るのは窓から覗く月のみ。

 灯りすらつけず、彼女はただ一人、自らを研ぎ澄ませ続ける。

 

 その容姿や普段の振る舞いからは程遠い泥臭さ。

 それでも月明かりを呑み込む紫の刃は、恐ろしいほどに美しく、見るものを絡め取るような妖しさを纏っていた。

 

 他人には見せないその姿も、誰もを魅了する武器になり得るというのに、彼女はそれを是とせず、孤独の中で鍛錬を続けている。

 

 星の裏側など決して見せてはやらない。

 ただ煌びやかな姿だけを記憶と心に焼き付ける。

 それこそが『天竜静音』というアイドルなのだと彼女自身に刻んでいた。

 

 彼女の望む静寂。

 不躾にもそれを破る者がいた。

 

「……相変わらず心配になるほどの鍛錬をしますね」

「止めるつもり?」

「いえ。それをしないという契約でしたので」

「ふぅん」

 

 いつの間にかレッスン室にいたその"女性"は感情を読み取らせない表情と声音で女王へと語りかける。

 身を包む織り目正しいスーツのように、一片の隙すら見せるつもりはないといった様子だった。

 女性へと返した問いへの回答に静音はつまらなそうに鼻を鳴らして後片付けを始める。

 

「終わるんですか?」

「白々しいわね。そのタイミングを伺ってここに来たのでしょう」

「そうですが……静音さんは天邪鬼なので」

「……いい度胸じゃない」

 

 あくまでフラットなまま吐き出された女性の言葉に、静音は怒気を滲ませた笑顔を浮かべる。

 しかし、それを見せても女性の様子が全く変わらないことを察するとため息をつき怒気を引っ込め、要件を話せと視線で促した。

 

「H.I.Fのステージ順が発表されました。静音さんの出番は後半です。なかなか良い順番と言って良いでしょう」

「順番なんて私には関係ないわ」

 

 女性の言葉に興味なさげに返す。

 すると予想していたように女性は続けた。

 

「静音さんが気にかけている賀陽さんは一番手だそうですよ」

「……そ」

「残念そうですね」

「出来るだけ対等な条件でやり合いたかったもの」

「一番手はどうしても採点の基準になりますからね。それに後半になれば印象も薄れる。本戦に出場するほどのアイドルならば跳ね除けられる障壁でありますが、不利には違いないでしょう」

 

 静音の言葉を肯定するように女性は話す。

 それを聞いた静音は何かを考えるように目を閉じる。

 少しの沈黙が続いた後、期待を滲ませた声がその沈黙を破った。

 

「それでも、あの子なら……」

「随分と買いますね……私としては正直なところ今の彼女"たち"があなたに勝ちうるとは思えませんが」

「……H.I.F当日はは妹が応援に来ると嬉しそうに語っていたわ」

「……? 確かに身近な人間の応援で調子を上げるというのはあり得る話ですが、静音さんと彼女の勝敗を覆すほどの要素にはなり得ないでしょう」

 

 真っ当な反応だと静音は感じた。

 同時に賀陽継羽が隠し持つ最大の可能性は、彼女の核にある熱望、無垢で強固な願いを目にしたことがなければ察することができないものだろうとも。

 しかし同時に、これは勝手な理想を彼女に押し付けているだけなのかもしれないと感じる時もある。

 

「どちらにせよ当日を迎えれば自ずと答えは出るわ。私はただ最善に、そして最上級に」

「はい。できる限りを尽くし、そして勝利しましょう」

「ええ。頼りにしてるわよ? 根緒プロデューサー」

「こちらこそ。ステージを降りるその瞬間まで、互いに出来る限りを尽くしましょう」

「――――当然よ」

 

 求道者と仕事人。

 姿は静かに、冷徹に。

 それでいて水面下で煮えたぎらせた情念を共有して、一番星へと手を伸ばしていた。

 

☆ ☆ ☆

 

 学生寮。夜のとある私室に楽しげな話し声が聞こえていた。

 部屋の主はレッスンで使い古したシャツとハーフパンツを寝巻きに纏い、ベッドに腰掛けてリラックスした様子でスマートフォンを耳に当てている。

 

『明日すっごく楽しみにしてるから! 頑張ってねお姉ちゃん!』

「応援してくれてありがとう。お姉ちゃん、燐羽ちゃんの応援があればもっと頑張れるよ。燐羽ちゃんも学園まで気をつけて来てね」

『わかってるよぉ〜。来年からは私ももう中学生なんだから』

「ふふ、ごめんね。それじゃあそろそろ寝よっか」

『うん! 明日、頑張ってねお姉ちゃん! おやすみなさいっ」

「ありがとう。おやすみなさい」

 

 通話終了ボタンを押し、スマホを胸に抱いてベッドに倒れ込む。

 部屋が静かになると、途端に心臓の音だけがやけに大きく聞こえた。

 

「あ…………」

 

 一度気づいたことで、ハッキリと自覚する。

 大舞台を前に今自分は緊張しているのだと。

 思えば久しぶりの感情だ。

 

 いつしか彼が言ったように、私はステージを前にしてもあまり緊張することはない。

 こんな風に落ち着かない気持ちになるのは私の立つステージに初めて燐羽ちゃんが応援に来てくれた時以来だった。

 

「頑張りたいなぁ」

 

 決意を固めるように思いを口に出す。

 すると鼓動はより強く主張を始めた。

 

「……そっか」

 

 緊張とは、重圧とは背負うものの大きさと多さだとどこかで目にしたことがある。

 妹のためだけにアイドルをしていた過去と今の私では緊張の程度が違うのもあたりまえだと腑に落ちた。

 みんな叶えたい大切な願いだったり、それを見てもらいたい人がいて、だから怖いんだ。

 

「……今日はちょっと寝つき悪そうかな」

 

 何か緊張を解く方法はないかと考え、なんとなく勉強机の方に視線が流れる。

 いつも交換日記を置いている場所。

 しかし頼ろうかと思ったものの、そういえば今日くらいはお休みしろと言われて持って帰っていないことを思い出した。

 

 いい案だと思った分、手元にないとなると余計に耐え難く感じるようになってしまった。

 どうしたものかと横になったまま悩んでいると、胸に抱いたスマホが振動した。

 

 画面を見ようと動かす手は忙しなく、そこに映るものに期待しているのだと自分でもわかる。

 そして通知欄を見て胸が跳ねる。

 プロデューサーくんからメッセージが届いていた。

 

『明日は事務所ではなく直接講堂へ向かってください』

 

 大舞台前日だというのにいつも通りの事務的な文面だなぁと少し笑顔になる。

 

『わかりました。連絡してくれてありがとうね』

 

 こちらもいつも通りに了解の返事を打ち込み、送信ボタンを押そうとして指が止まる。

 このまま送ったらこのやりとりは終わりだろう。

 いつもはそうしている。だけど今はもう少しだけ彼とお話ししたかった。

 そうすればこの緊張もきっと楽になるだろうと、何かに言い訳するように一人考えて。

 

『わかったよ。プロデューサーくんは今何してるの?』

 

 メッセージを打ち込み直して、今度こそ送信ボタンを押す。

 そこまでしたところで、急に迷惑ではないかと不安になるもののすぐにメッセージが返って来て少し安心する。

 

『明日の流れを最終確認中です』

 

 変わらず端的なメッセージ。

 

「ふふっ……」

 

 いつもの無表情でこのメッセージを打つ彼の姿が目に浮かんで、つい笑みが溢れてしまう。

 暖かい気持ちになりながら短い文章を眺めていたが、返事をしないでいると心配させてしまうかと我に帰って返事を送る。

 

『いつもありがとう。プロデューサーくん』

『継さんに明日勝ってもらわなければ報われませんね』

『え〜〜!! 本番前日のアイドルにプレッシャーかけて来るなんてひどいプロデューサーだよぉ』

『こんなプロデューサーと契約してしまった不幸を嘆くと良いでしょう』

 

 口が悪くて素直じゃない、でもいつも懸命に私を支えてくれる男の子。

 彼が送ってくれる言葉の一つ一つが怖さを遠い場所へと連れて行ってくれる。

 

『私はとても幸運でした』

 

 いつのまにか打ち込んでいた言葉は少し気恥ずかしいものだったけれど紛れもなく本心で、数分前とは違って不快ではない緊張を感じながら送信ボタンを押す。

 軽快に投げ合っていたやりとりが止まる。

 少しの間が空き、帰ってきたメッセージを見てまた笑顔になる。

 

『であれば僥倖です。では夜も遅いのでもうお休みしてください。くれぐれも夜更かしなどしないでくださいよ』

 

 もう寝るようにと促される。

 気がつけば緊張も気にならなくなっていた。

 それでももう少しだけと望んでしまい、画面の端に映る通話ボタンに視線を引かれるが、流石にこれ以上は迷惑だと終わりのメッセージを入力し、名残惜しさを感じながら送信する。

 

『は〜い。おやすみなさいプロデューサーくん。きみも無理しないでね』

 

 それで終わり。

 時間にして10分にも満たない文字だけのやり取り。

 それだけで安心できる。

 不思議だった。私にとって彼は一体どういう存在なのだろう。

 

「んん~~っ…………」

 

 ベッドに投げ出した体をグッと伸ばし、脱力する。

 布団に入り、部屋の電気を消す。

 そしていつものように身近な人のことを思い浮かべながら眠るのだ。

 その時に思い浮かぶ人が増えたことはきっと私にとっても、"継さん"にとっても良いことだろうと思いながら意識を闇に沈めた。

 

☆ ☆ ☆

 

 スマートフォンを机に置き、チェアに体を預ける。

 明日に向けた最終確認はほとんど終えた。

 再三のチェックを行ったため見落としも無いはずだ。

 目元が重い。ここ数日はかなり忙しく、睡眠時間が不足しているのを感じていた。

 だから今日くらいはゆっくり休もうと考えている。

 

「幸運…………それは、どうだろうな……」

 

 天井を見つめながら先ほど送られてきた言葉について考える。

 賀陽継羽という女性にとっての幸運。

 その言葉は彼女の願いに近づくことができた実感の表れなのだろう。

 しかし思い返してみればこの数か月、学園を訪れる前まで、あるいは彼女と歩き出す前までに抱いていた自信などとうに消え去っていた。

 

 確かに彼女の問題を解決し、アイドルとしての軌道に乗せたのは自分だ。

 ただ価値があったと思えるのは最初の一歩だけだった。

 それ以外のプロデュースや継さんへの働きかけは、例えそれがなかったとしても彼女ならば自らの足でH.I.Fの舞台までたどり着けたのではないかと思う程度のものでしかない。

 学園で過ごす中で見てきた他のプロデューサー達ならもっとうまくやれたのではないかと度々考えてしまう。

 

 幸運だったのは俺の方だ。

 賀陽継羽という才能にフリーライドして実績を得ているのは俺だ。

 『明日勝ってもらわなければ報われない』

 それは継さんの方だ。

 そして明日が本番である以上もうこちらからできることは無いに等しい。

 彼女に報いたいのに、もう彼女に任せ、結果を委ねることしかできない。

 それがどうしようもなくもどかしい。

 

 俺はもう報われているのだから。とそこまで考えた時、ふと疑問が浮かび上がった。

 

「報われる……俺は何を求めてプロデュースを……。いや、俺は、あの輝きを――――」

 

 しまった。と。

 今、気づくべきではなかった。

 いつしか最初の衝動すら忘れていたこと。

 極上の原石を、普通のアイドルという容れ物に押し込んでいたこと。

 

 手の痛みなど知ったことがないとばかりに肘置きを力いっぱい握りしめる。

 机に置かれたルーズリーフをすべて破り捨ててしまいたくなる。

 盲目。愚か。短慮。自惚れ。自らを責め立てる言葉ばかりが頭の中を駆け巡り、心の業火へとくべられていく。

 しかし暴れだしたいくらいに沸騰した思考は、机に置かれた一冊のノートによってすべてが申し訳なさへと置き換えられた。

 

「――――甘えるなよ」

 

 自らに言い聞かせるようにつぶやく。

 こうなった以上何もすることはないなどとは言っていられない。

 そもそも、プロデューサーとしてそのような瞬間などありはしない。

 アイドルにかける言葉すべて、アイドルの目にするものすべて。

 何もかもが彼女にとって良いものになるように万全を尽くすべきだったのだ。

 

 これまでずっとかかり続けていた霧は晴れた。

 それは痛みを伴うものだったが、彼女には――――賀陽継羽には関係ない個人的な激情だ。

 

 勝ちの目はゼロではないだろう。

 しかし敗戦処理を考慮に入れる必要がある。

 健闘の末の敗北。次の勝負への期待。

 H.I.Fが終わっても歩みが終わるわけではないのだから。

 継さんには勝敗問わず前向きに次へと動き出してもらわなければならない。

 

 そのための最大の障害は――――俺自身だ。

 抱いた後悔も、滲む悔しさも。すべての負の感情を。

 敏い彼女にただ一つさえ悟らせてはならない。

 気づかれてしまえばそれは彼女の傷になる。

 

 明日の出来事を。会話を。彼女の反応を。

 出来る限りを想定し尽くせ。

 お前はここまで手を抜き続けてきたんだ。

 休みなど取れる立場ではないだろう。

 

 長く、尚足りない夜の時間が始まる。

 昏い感情と痛みを抱えたまま。

 

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