「ぷ、プロデューサーくん……」
「少し見ないうちに随分とガチガチに」
「いよいよと思ったら……流石に緊張しちゃったみたいだねぇ……」
「何故他人事みたいに語っているんですか……」
H.I.F当日。会場である講堂にある楽屋内。
スタッフの方々との打ち合わせを終え、戻ってきたこちらをひどく強張った面持ちで継さんが出迎えた。
よくわからないことを言う継さんに呆れながら近づくと肩が震えているのに気づく。
「……まあ無理はないですか。今日は賀陽継にとって最大規模のステージですから」
「プロデューサーくんがなんだか優しい…………いつもなら今頃皮肉を言われてそうなのに」
「失礼ですね。俺もステージ前で緊張するアイドルに優しい言葉くらいかけますよ」
「……きみも緊張してる?」
「していません」
「ふふっ。素直じゃないいつものプロデューサーくんだ」
「それで嬉しそうにしている意味が分かりませんが」
こんな状況でも変わらず奇特な人だ。
それに相変わらず人のことを良く見ている。
大人とのやり取りから離れて馴染んだ相手と話しているが故に緩みが出たのだろうが気を抜いている隙はなさそうだった。
昨晩、自らの過ちに気づくと共に夜明けまで練り続けた軟着陸プラン。
こんな直前まで考えてもいなかった、この大会に継さんが敗北した場合のプロデュース方針。
自らの失敗を修正するための方策。
それはたとえ今日勝ったとしても、必要な仕事だった。
「――――らしくはないかもしれませんが、話を聞いてください。大舞台に担当アイドルを送り出す。プロデューサーとしての役割です」
しかしあくまでも揺らいだのは自らのプロデュースの正当性への信用だけだ。
"賀陽継羽"のアイドルとしての実力が三年生を含めた本戦参加者の中でも最上級にあることは変わらず信用している。
俺の責任で敗北するか、そのミスすら跳ねのけて自らの才を証明して勝利するか。それは変わらず二つに一つだ。
少なくともその信を口にして、アイドルを鼓舞することは嘘にはならない。
こちらが心持ちを切り替え、真剣みを帯びた空気を感じ取ったのだろう。
継さんは立ち上がり、目の前まで歩み寄って柔らかくこちらの伝えたいことを話すよう促した。
「うん。聞きたいな」
体が固まるほど緊張していたとしても、誰かを思いやる時の彼女はこんな風に振る舞える。
人に与えるばかりで自分を顧みない女性だからこそ、余計に報われてほしいと思わずにはいられない。そしてそのようなことを考えていることに自嘲する。いつの間にやら随分と肩入れしてしまったものだと。
「継さんはどんな自分が一番好きですか」
しかし担当アイドルを好きでないプロデューサーなどいるはずがなかったのだ。
気づけば、自分はずっと彼女の輝きを追っていた。
「どんな時、自分を好きになれますか」
もっと、その好意を伝えてこればよかった。
そうしていれば継さんがありのままの自分を認められたかもしれない。
「俺は……願いを語る継さんが好きです」
身体の前で組まれた両手をそっと持ち上げる。
緊張で冷え固まった手に自分の熱を分け与えるように、優しく包み込む。
「妹さんの話をするときの楽しげな声が好きです」
真っ直ぐ好意を伝えるなど、これまでの人生でしたことのない体験だ。
恥ずかしさでもう彼女の顔を見てはいられない。
「誰かを気遣う、その優しい目が好きです」
それでも、今、これから、伝えられるようになりたいと願うことが出来たから。
未だ迷いも悩みもある。
だとしても今日この日を迎えることへの恐れが無いことに気づけたのだから。
「プロデューサーくん……?」
顔を上げて目にした継さんの表情は困惑の色が強い。
日頃の自分とあまりにもかけ離れた言葉は伝わってほしい時に望むように伝わってはくれない。
それでも奥歯に力を込め、その目に真っすぐ視線を叩きつける。
わからないならば何度でも教える。届かないなら届くまで投げかける。
「俺はっ! 今日、この日、煌びやかなステージに立つあなたを見られるのが楽しみなんです! 大舞台でスポットライトを浴びて、照明よりも眩いあなたの輝きを見られるんじゃないかと誰よりも期待している!」
最愛の妹に捧げる、賀陽継羽の願いを叶えるステージ。
たとえ賀陽継というアバターをもってしてもその輝きの奔流を留めきることなど出来るはずはない。
「見せつけてください。ファンの人たちに、俺に、そして妹さんに。これが自分たちが愛するアイドルなんだと、他のアイドルファンに胸を張れるような姿を。それは他でもないあなたにしかできない仕事です」
「……そう、だよね」
今はまだこれだけしか言えない。
他の誰かでは代わりが効かないのだと。
賀陽継に期待する人々の願いを叶えられるのは賀陽継羽だけなのだと。
それ以上を望むのは今ではない。
そして、どうやらこちらの意図は正しく伝わったようで、握った手から伝わっていた戸惑いが解けていくのを感じ取った。
独白するように継さんは言う。
「……欲張ってもいいのかな」
その言葉の真意は読めない。
それでも指先に血が通い、徐々に熱を取り戻していく。
「……時間です」
最後に至近距離で継さんを見つめ、瞳に込められた力を確かめ頷くと、そっと両手を手放した。
そういえば一つ言い忘れていたことがあったと思い出し、口にする。
「衣装。とてもよくお似合いです」
「あ――――うん。ありがとう。自信、ついたよ」
スポーティな印象を与える紺と白を基調とし橙をアクセントに入れた初星学園を代表する衣装。
普段の彼女はあまり着ないパンツスタイルだが、もちろんよく似合っている。
それを伝えると意外そうな反応をしたのち安心したように微笑み、小さく深呼吸をした。
準備が済んだようだ。
「行きましょう」
「うん」
二人並んで歩き出す。
前を向いたまま、継さんは小さく息を吸って。
「……見ててね。きちんと届けるから」
「もちろん」
迷いの消えたその言葉はきっと"賀陽継"のものだろう。
だが今はそれでいい。
楽屋を出て、連れ添って舞台袖へと向かう。
一つの仕事が終わった。
まだやることはある。それでも今はこの祭典を、担当アイドルの晴れ舞台を楽しもう。
☆☆☆
『"Hatsuboshi Idol Festival"を――――ここに開演する!!』
学園長によるオープニング。
この舞台へ辿り着いたアイドル達を讃え、ファンへの期待を最高潮へと高める厳かでありながら親しみのある演説。
ステージ脇で聞きながら、観客席の強烈な熱気を素肌に浴びて、身が固まりそうになる。
ちらりと隣を伺えば、彼は珍しいことにいつもの仏頂面を忘れて興奮を露わにしていた。
今日の彼はいつもよりも疲れた様子で心配だったが、こうして活力を目にすると少し安心する。
いよいよだ。
舞台が暗転し流れ出す音楽と重なり合うクラップ。
縦横無尽に飛び交うレーザー光と、観客席に灯る小さな光。
「期待してます」
「うん! 行ってきます!」
プロデューサーくんは笑みを浮かべて言った。
それにいっぱいの笑顔を返して、ステージの中央へと駆け出す。
『ワァァァァァァァァッ……!!!!』
私が現れたのが見えたのだろう。観客席前方から伝播するように歓声が広がり、空気を叩く。
これまで浴びたことのない規模の熱狂に鼓動は強かに胸を打つ。
でも、もう恐れはない。
観客席の一角へと視線を投げる。
プロデューサーくんが教えてくれていた。
あの場所に燐羽ちゃんがいるのだと。
アイドルを届けよう。
いつか燐羽ちゃんが憧れたあの人にも負けない立派なアイドルを。
彼と作り上げた"アイドル"を。
それが私がこの学園に来た理由。
けれど、それだけではこの場所には立てなかった。
きちんとファンに向き合えなかった私に、向き合う方法を彼が教えてくれた。
そうして、今この場所に私はいる。
音楽とクラップが途切れ、一瞬の静寂。
――――スポットライトが、"私"を照らした。
「賀陽継です!! 最高のライブを見せるよ! みんなの心に届くようにっ!!」
私に少し似てて、ずっと素敵な彼女の力を借りれば、自分を信じることができる。
胸を張ってパフォーマンスをすることができる。
目線には思いやりを、声に楽しさを乗せて。
ダンスは自信満々にカッコよく。
アイドルが好きだと胸を張って言える女の子。
この曲はそんな彼女の大得意で大好きな曲。
私にとっても、きっと今日この舞台に立つすべてのアイドルにとってもそれぞれの思い出がある特別な楽曲だ。
その名を力強く、そして高らかに宣言する。
「"Campus Mode!!"」
このステージもいつか素敵な記憶として思い出せるものになったらいいなと、欲張りな願いを胸に宿して歌い出した。
☆☆☆
「すごいよ……"お姉ちゃん"っ……!!」
大きな講堂のステージ。
肉眼では表情も十分には読み取れない距離で歌い踊るアイドル。
それでも確かに届いている。
「可愛いっ―――カッコいいっ!!」
軽快に躍動するダンス。
感情や表情すら幻視させる楽しげな歌声。
勢いのある展開の中でも幾度となく差し込まれるファンサ。
極限まで高められた技術は、明確な色を、感情を、熱を観客へと伝える。
一切誤解の余地を持たないパフォーマンスは会場の人間全てを一つにすることすら可能にした。
そうして自分だけでなく、ファン全員の心に一つの偶像を作り上げるのだ。
一番手の難しさはそれを行う困難さにある。
目的、期待、熱量など、開演直後の観客は全くのバラバラで、ライブが進むにつれてそれは統合されていくものだ。
学園長の口上により多少なりとも場は温まっていた。
それでもこの場にいる人間の酷似した表情が、上がった声がステージのアイドルの持つ確かな実力を証明する。
「前見せてくれた時と全然違う…………」
少女の胸中に湧き上がったのは正直な感想。
彼女が最後に継のライブを直接目にしたのは継が中等部の頃だった。
その時も、大好きな姉がアイドルになってステージで踊る姿に興奮し、歓喜していた。
しかし、胸を打つ音、全身に広がる痺れるような感覚がその時とは桁違いの衝動を訴えている。
あの時の自分はきっと心からの感動を得られてはいなかったのだと、ただ姉を見ていたにすぎなかったのだと気づかされていた。
「本物の……アイドルだ――――!!」
この日、本当の意味で少女はアイドルへの憧れを芽吹かせた。
自らの足であの場所に立ちたい。
たくさんのファンに囲まれて、幸せいっぱいの笑顔になりたい。
そして姉と並んで立てるアイドルになりたいと。
"賀陽燐羽"の新たな願いが、無垢な夢が形を得た瞬間だった。
☆☆☆
「この辺りなら立ち見していても構わないそうです」
「ありがとう。プロデューサーくん」
「暗いので気をつけてください」
講堂の後方、人の目に触れにくい暗がりへと継さんを案内する。
観客達はステージに釘付けで、つい先ほどまでパフォーマンスしていたアイドルがそこにいても気づく様子はなかった。
その代わりとして周りがあまりにも暗い。
隣に立つ継さんの表情すら見えないほどだ。
「ライブ直後に立ちっぱなしですみません」
「大丈夫だよ。披露したのはたった一曲だから」
「たった一曲だからこそ、後のことなど考えずに全力を注いでいましたよね」
「……えっ、え〜っと……あはは」
「いつものステージとあれだけ違えば誰でも気づきますよ。らしくない無茶をするものです」
話していると次のステージが始まる。
ユニット部門のブロックのようで一年生と三年生のデュオユニットが強い情念を思わせる視線を互いに交わし、歌い出した。
楽曲の披露中は何も言わずにステージに集中して楽しみ、あるいは学び。
合間には今日の心持ちについての話や、披露されたパフォーマンスについて語り合う。
「今の方、凄まじい気迫でしたね」
「……あの先輩はこのH.I.Fが終わったら100プロに入るみたい。一番星になれなかったらこれが最後の学園でのライブになるって」
近くに人は居ないが、話し声がステージを楽しむ人に迷惑をかけないようにと思うと、自ずと小声になる。
互いの言葉を度々聞き返しているうちに、二人の距離は肩が触れ合うほどになっていた。
「賀陽さんは、どうして張り切っていたのですか?」
「……ん〜。一つは燐羽ちゃんが見てくれてたからだよ」
こちらのいつもと違う呼びかけに一瞬間が空きつつ、一つ目の理由はとそう答えた。
言い方からして他にも理由はあるのだろう。
特に急かすようなこともせず続きを待っていると、次のステージが始まる。
それが終わると彼女は再び口を開く。
「二つ目は、ファンのみんなのおかげかな」
「……アイドルのようなことを言いますね」
「うん……自分でも少し不思議だけど……」
そこで区切り、耳元で小さく息を吸う音が聞こえる。
迷いの見える音。しかし逡巡ののち、彼女は綺麗に整えきれないまま、もう少しだけこちらに近づいて心の内を吐露した。
「私は、自分は、その……与える立場だと、思ってたの」
「……傲慢な言葉ですね」
「う……で、でもね。今日のきみの話を聞いて、ステージに立ってファンのみんなを見て。なんだか、暖かかったんだ」
肩に彼女の熱がダイレクトに伝わってくる。
俺よりも体温の高く、それでいて柔らかな身体。
彼女は独白を続けた。
「私ももらってるんだなぁってって思ったら、ね……お返ししないといけないって」
「……そうですよ。でもそれは、あなたが最初に与えたから、ファンもあなたに返したいと思うんです」
「そう、なんだ…………」
「はい。綺麗事のようですが、それはアイドルとしての一つの理想系です。その想いでいつもよりも力が発揮できたのならば誇ってください」
彼女のモチベーション向上。その理由は拍子抜けするほどに普通のアイドルらしいもので、プロデュースをしていて初めて、普通のプロデューサーらしい言葉をかけたような気がした。
本来ならアイドルとしてステップアップしていく上で、もっと早い段階で気づき、自らの糧とするような話だ。
この舞台に立つ前に彼女に経験させたかった感覚なのだ。
そこにどうしても口惜しさはある。
だとしてもそれに自ら気づき、パフォーマンスを高められた。それは大きな一歩だ。
賀陽継をメッキのアイドルではなく、心根から魅力的なアイドルにするために。
「……えっと」
「……? 何か?」
また一人のステージが終わった頃、未だ肩に触れる熱がもぞもぞと何か言いたげに動いた。
先ほど以上に何か言いにくそうにしている継さんの方へと視線を送る。
ちょうど暗闇に目が慣れてきた。
いつからかこちらを見ていたらしい彼女とぱちりと目が合い、継さんは一瞬驚いた表情を見せる。
しかし互いに目を逸らすことはなく、至近距離で見つめ合うことになる。
空色の瞳が時折ステージライトを吸ってきらりと光る。
他人とこんな距離で見つめ合うなど初めてで、甘い居心地の悪さを覚えつつも、その瞳の美しさに釘付けにされて、視線を外すことができないでいた。
継さんもこちらの目を、その奥を覗くような姿勢のまま動こうとはしない。
「プロデューサーくん……」
継さんの声だけが聞こえる。
この時、ステージでは現一番星のパフォーマンスが終わったところだったらしい。
そんなことにも気づかないほどに意識はたった一人に奪われていた。
結局、俺も継さんも。アイドルへの関心などそんなものなのだ。
ライブの最中だとしても他のものに意識を背けられる程度には。
簡単に担当アイドルを成功させられるという自惚れも、その部分が原因の一つだったことは違いないだろう。
――――だがそれはその後数十秒までの話だった。
好意、興味、夢。そういったものには誰しもに、きっかけとなった強い感情の発露がある。
それは得てして不意に訪れるものらしい。
俺は身をもって体験することになったわけだ。
「あのね……」
かなりの合間が開き、意を決したように彼女が何かを言おうとした時だった。
「は――――――――?」
「…………ぇ」
気が付かなかった。
いつから自分はステージを見ていたのか。
小さく溢れた彼女の声がいつから聞こえなくなっていたのか。
ただ、何か大きな力が俺を押し流したことだけは理解できた。
そこには"アイドル"がいた。
ただの人間一人。
矮小なはずの少女たった一人が、その場にいる無数の人間の意識を奪っていた。
『――――お利口に"待て"ができたじゃない。褒めてあげるわ』
宝石のちりばめられたパーティドレスのような豪奢な装い。
濃紫の長髪、その一本。
一言を話した後の間隙に、口元に浮かべられた蠱惑的な笑み。
彼女の姿、仕草、呼吸。そのすべてがこちらを惹きつけてやまない。
『ご褒美よ。一切合切を捨てて、あなたの全てで受け取りなさい』
その一言でざわめきが消える。
継さんのパフォーマンスが場のコントロールだとすれば、彼女のそれは"支配"だ。
彼女で思考を埋め尽くす。それ以外の自由を許さない圧倒的なまでの存在感で君臨する。
"天竜静音"という存在を骨の髄まで刻み付ける無二の振る舞い。
『ウォォォォォォォォォッ!!!!』
一瞬の静寂。それを切り裂くような怒号にも似た歓声。
そして始まる彼女のステージ。
ステージ上の彼女は、自分だけを見ていればよいと言わんばかりの自信に満ちた笑顔を浮かべながら歌っている。
この場所こそが世界の中心であると。
感動、歓喜、興奮。そのどれも今の感情を表すには足りない気がした。
ただ一つ確かなことがある。
彼女のステージに魅了され、体は過去類を見ないほどに熱くなって。
――――暴れだしてしまいたいくらいに、悔しかった。