「……継さん?」
「行こう。プロデューサーくん」
小さく袖を引かれ、意識が現実へと戻った。
尚も胸の奥では先ほど見た光景が熱を持ったまま燻っていた。
それでも継さんの存在が俺をプロデューサーで有ることを強いている。
そのまま腕を引かれ、講堂の出口へと導かれる。
まだH.I.Fは終わっていない。
それでも今大会の結果はこの場にいる誰もが理解していた。
ならば敗者が人知れず二人立ち去ったとしても、気には留める者はいないだろう。
手を引かれるがまま、継さんの後ろを歩く。
黄昏時。夕陽に照らされた中庭を抜け、その間彼女はこちらに背を向けたまま言葉も発さずにいた。
ただ時折こちらの手首を握る力が強まったり、逆に頼らないほど小さくなったり。
繋がれた手だけが、彼女の中で渦巻く感情を代わりに伝えていた。
「どこへ行くつもりですか」
「…………」
継さんは答えない。
行く当てもなく飛び出してきてしまったと言った様子だった。
仕方がない。
「あ……」
掴まれた腕を握り返し、足を止めさせる。
振り返った継さんは悪さが見つかった子供のようなバツの悪そうな顔でこちらを見た。
何故そんな表情をするのだろうか。何が彼女を動かしたのだろうか。
わからないが、少なくともそのままにはしておきたくなかった。
「事務室へ帰りましょう。あそこなら落ち着いて話が出来るでしょう」
「うん」
手を放し、今度はこちらが前を歩いて校舎へと向かう。
二人分の足音が続く。
その時ひときわ大きな歓声が漏れ聞こえた。
背中越しにびくりと肩を揺らした気配を感じ取る。だが何もかも確かめるつもりはない。
未だ心は煮えたぎり、頭は焦燥に満ちているのだ。自分自身キャパシティを超えた感情に余裕がなかった。
互いに口を開くこともないまま歩き続けた。
じきに到着した校舎は当然ながら静まり返っている。
靴を脱ぎ、二人とも靴下のまま昇降口を抜け、人気のない廊下を進めば事務室はすぐだった。
「ふーー……」
部屋に入り、さっさと椅子に座り込むと自然と息がこぼれる。
数か月で大分馴染んだ少し埃っぽい部屋の匂いに体から力が抜ける。
一息ついたところで継さんの様子を伺おうと視線を動かすと入り口で立ち尽くしていた。
「疲れているでしょう。座ったらどうですか」
「…………」
促してもぼーっとどこかを見つめたままで動く気配が無い。
そのまま好きにさせておくべきか、行動の真意を問うべきか。
どちらにせよまずは彼女にもリラックスしてもらうべきかと思い当たり、お茶でも淹れようかと疲労感で重い腰を上げる。
その時ふと一つの考えが浮かび、入り口とは反対側へと向かった。
到着した部屋の端で備えられたロックを外し、右側へと引く。
少しガタつきのあるそれを開ききると、日が暮れても未だ暑さを残す風が吹き込んだ。
「あ……」
そしてどうやらこの行動は正しかったようだった。
小さな声が零れた。
背後に滑るような足音と、ぽすりと椅子に腰かける音が聞こえる。
ひとまずは少し安心していいらしい。
冷蔵庫から取り出した麦茶を二人分のコップに注ぎ、テーブルへと運ぶ。
継さんはいつも座っている向かいの場所ではなく、俺の椅子の隣に腰掛けていた。
「どうぞ」
「うん……ありがとう」
継さんは差し出されたお茶に口をつけ、小さく喉を鳴らしながらゆっくりと飲む。
それを確かめ自分も一気に呷った。
よく冷えた液体が火照った体に染み込み、いくらか涼しくなる。
互いに十分に落ち着けた頃合だろう。
しかし何を話すべきか。という悩みに反してするりと言葉が口をつく。
「凄い、ライブでした。正直、心を奪われましたよ」
「そうだね…………」
それが何を指しているのかなど言うまでもなく。
"天竜静音"。彼女のステージのことだった。
今も目を閉じれば浮かび上がるほどにその姿は鮮明に焼き付いている。
その声を思い出すだけで興奮がありありと甦る。
これまで自分はアイドルのプロデュースを行ってきたはずだ。
だが先ほど見せられたあの姿は自分の知るアイドルとは隔絶した違いを感じた。
「アイドルの本質とは夢を追う者。プロデュースのための建前はあれど、俺は心の中ではそう定義していました」
コップを握る力が強くなる。
アイドルの定義。その前提が覆された。
建前と思っていた言葉に真実があることを完膚なきまでに理解させられたのだ。
「彼女は確かに夢を見せていた。あの場にいた全員に。きっとあれが――――」
「――――本当の、アイドル。なんだよね」
言葉が継がれる。
しかし興奮交じりだった俺の声、そのニュアンスは引き継がれることは無く。
酷く暗い声音で継さんがそう続けた。
「正直、今でもわからないよ。アイドルが何なのか。何がみんなをそんなに夢中にさせるのか」
「…………なら、どうしてあなたは」
そんなに暗い顔をしているのか。悔やむような色を見せるのか。
あのステージに感化され、あるいは差を見せつけられ。
その因果によって彼女に変化をもたらしたというのならば理解できる。
しかしそうでないのなら、何が一体継さんをこうさせているのかがわからなかった。
そんな困惑が表情から伝わったのだろう。
継さんは少し迷いの様子を見せた末に、問いかけを投げてきた。
「天竜さんのステージ。凄かったね」
「……? そうですね」
先ほども話した内容を改めて問われ、よくわからないまま一応答える。
「今日、きっと一番楽しかったんだよね」
「それは…………はい。すみません、あなたの担当プロデューサーだというのに」
「ううん。大丈夫」
申し訳なく思いながらそう答えると、継さんはこちらを気遣うように微笑みながらそう言った。
いつもよりも力の無い笑みだ。
そんな表情のまま、意を決したように継さんは語る。
「…………きみを見てたの。ステージに行く前と、帰って来てから。そして観客席ですぐ傍で話している時も。出会ってから今日までと同じように」
継さんは俺と同じだった。強い願いを抱き、それを叶える手段としてアイドルを志した。
たった一人の為。アイドルとしては歪な動機が、それによる後ろめたさが自らを正しいアイドルとして認められず、アイドルと向き合う機会を失っていた。
そんな彼女にとってアイドルとは俺以上に他人事だったのだ。
「ファンの人達のこともきちんと見てきたよ。みんな私のライブを見たり、お話したりするとすっごく嬉しそうにしてくれて、目をキラキラさせてるの。昔の燐羽ちゃんと一緒で、みんなアイドルが大好きなんだろうなって思ったんだ」
眩しいものを見るようにそう語る。
この表情も何度も目にしたことがある。
真っすぐにアイドルを目指す学園生だったり、彼女を慕うアイドルファン達。
そんな人たちを見る時、時折継さんはそのような表情を見せていた。
そして、最後に継さんは言う。
「だからわかったの。だってきみの目が、あんなに輝いていたから」
「俺が……?」
彼女が他のアイドル達や応援するファンへ負い目のような感情を抱いていることはわかった。
しかし何故自分が出てくるのかはわからない。
継さんはそれ以上語ることはなく、寂しそうに目を伏せている。
何か言葉をかけるべきとはわかっている。
だが彼女の抱えているものに見当がつかず、適切な言葉がわからない。
思考はグルグルと巡り続けるも、答えは出ないまま沈黙が広がっていた。
時計の音すらこちらを急かし立てているように感じ始めた頃にその沈黙は小さな呟きで破られる。
「……燐羽ちゃんに、会いたいな」
その声に視線をあげると、力のない笑みを浮かべてこちらを見る継さんがいた。
これは本音であると同時に彼女からの助け舟なのだろう。彼女自身、自らの感情に揺さぶられ穏やかではないはずなのに。
であればそのくらい叶えなければとうとう俺に存在価値など無い。
「――――行きましょう」
音が鳴るのも構わず、勢いをつけて立ち上がる。
助け舟に飛び乗りたくなるほどに焦っていた。
それはクラス行事で役割を得られなかった人間が、舞い込んだそれに飛びつく様な哀れな振る舞いで。
その自覚が自尊心をガリガリと削る。
それでも何も出来ないでいるよりはよっぽどマシだった。
座ってこちらを見上げている継さんの手を取り、早足で講堂に向かって歩き出す。
「ありがとう、プロデューサーくん」
「一番星の授与式も終わる頃のはずです。空いている楽屋を借りて、妹さんに来てもらいましょう」
「うん」
「急ぎますよ」
二人を会わせてどうなるのか。そんなことは考えられてはいない。
それでも、この息が詰まるような停滞に居続けるよりはよっぽどマシなはずだと根拠もなく信じて行動するしかなかった。
そうすることしかできなかった。
☆ ☆ ☆
楽屋に到着し、継さんには妹さんへと連絡を送ってもらうと妹さんからはすぐに了承を得られた。
余計な騒ぎを起こさないよう教師が案内してくれるとのことで二人楽屋で到着を待っている。
その間会話はなく、時折継さんに視線を送るとステージ前の焼き直しの様に身を固くしていた。
その姿が不安を助長させる。
妹の言葉一つを原動力にここまで走り続けられる人間に、どう転ぶのか不確定なそれを与えようというのはもはやギャンブルに等しいのだと理解してしまったからだ。
更なるエネルギをもって再起する未来もあれば、熱を失う未来も容易に思い浮かんでしまう。
答えの出ない未来の可能性に溺れそうになっていたそな時、部屋の戸がノックされた。
「どうぞ」
その音に肩を跳ねさせた継さんを横目にすぐさま入室を促す。
「失礼するわ」
「え……」
そうして入ってきたのは待ち望んでいた妹さんではなく。
――――それはむしろ今最も会わせたく無い、招かざる客だった。
「天竜さん……!?」
「ごきげんよう、賀陽さん」
継さんが驚きながらその名を呼ぶと、天竜静音はいつもと変わらない様子で優雅に返した。
その胸元には新たな持ち主のもとで誇らしげに輝く一番星のピン。
こうして目にすると悔しさが湧き上がり唇を噛む。
天竜さんはそんなこちらの様子に気づいたようで、どうしてか一瞬ステージ上で見せる様な微笑みを見せたのちに継さんの方へと視線を戻した。
その一瞬だけで胸が跳ねる自分に呆れる。
どうやら本当に彼女というアイドルを好きになってしまったらしい。
「……一番星、おめでとうございます」
「あらあら! 随分珍しい顔を見せてくれるじゃない。ふぅん……これはどうなのかしらねぇ……?」
「何かご用事があるんですよね。すみませんが妹と約束があるので、手短にお願いします」
初めて見る継さんの姿だと思った。
険を隠さない声音。
天竜さんと接する姿は初めて見るため、これがいつも通りの接し方という線もあるが、彼女の反応を見るにそういう訳でもなさそうで。
「ええ。そうするわ。本当はじっくりいじめてあげようかと思っていたのだけれどぉ…………ふふっ。その様子なら必要はなさそうだもの」
「何を……」
相変わらず思わせぶりな発言ばかりでいまひとつ意図を捉えづらい相手だ。
勝手に納得した様子で満足気に笑っている。
一方、継さんは好き放題に話す彼女の意図が読めずに困惑した表情を浮かべていた。
「あら……無自覚? 別にそれでもいいけれど……なら、一つだけ」
意外そうにしながらも、それならそれで構わないと言う。
そしてさらに意地の悪い笑みを深め、継さんのすぐ目の前に立った。
一体何を言うつもりなのかと不安に駆られたものの、静観する。
俺も、継さん自身も気づいていない何らかの心情の変化を感じ取っている彼女の言葉には興味があった。
しかし発された言葉にどういった意図があったのかは結局わからなかった。言葉の意味ではなく、それを継さんへと伝える意味が。
「今のあなたのままでは、どれだけ頑張っても私には敵わないわぁ」
「……」
天竜さんの発言に継さんは何も言わない。
あるいは言い返せなかったというのが正しいのかもしれない。
口を開きかけて、一瞬こちらを見たような仕草ののち、口をつぐんでいた。
「でも安心して頂戴」
天竜さんはそう続け、溜めるように間をとる。
ステージでも見た、最も力のある言葉を口にしようとする時の彼女のテクニックだ。
二人揃って続く言葉に意識を集中させられる。
それを確かめるとようやく言った。
「あなたのファンも、ここにいる彼も、あなたの妹も、私のものにしてきちんと幸福にしてあげる。それならあなたも安心でしょう、賀陽さん?」
「っ、そんなことーーーーっ!」
理由はわからない。
だがその言葉は継さんの中の何かに触れたのだろう。
食ってかかるように瞳を見開き、天竜さんへと何かを言おうとした。
その時だった。
俺も継さんも気づいていなかった。天竜さんだけは気が付いていたようだったが。
本来の招待客。心待ちにしていた少女がその場に到着していたことに、
「そんなことない!! お姉ちゃんはすごいんだっ!! あなたにだってーーーー"一番星"にだって負けないっ!!」
「燐羽ちゃん!?」
彼女の名は賀陽燐羽。
賀陽継羽にとって最愛の妹であり、アイドルを志したたった一つの理由。
そんな彼女が一片の曇りもない無垢で真っ直ぐな瞳を"一番星"へと向け、姉への揺らがぬ信頼を言ってのけた。
直接目にするのは初めてだが、写真などは継さんからたくさん見せてもらっていた。
継さんによく似た濃紺の髪は可愛らしく二つ結びにされており、中学入学前の年齢を考慮しても小柄な少女。
煌めく瞳は年上相手に啖呵を切ってのけた緊張に揺れながらも、決して天竜静音から視線を逸らすことはない。
しかし体の横で強く握られた小さな手は小刻みに震えていた。
「あら……あなたが賀陽さんの?」
「っ…………」
まっすぐ向けられた視線に侮るような真似はせず、発する圧力を引っ込めることなく対峙しながら問う。
燐羽さんのような少女が浴びるには酷な程の威圧感が彼女にはある。
目の端に涙を浮かべ、それでも歯を食いしばる少女。
――――彼女は、大切な妹をそんな状況に置くことをよしとする人間ではない。
「ぁ……お姉ちゃん……」
「あら、何かぁ?」
妹を自分の背に隠すように継さんは立ちはだかる。
強い眼差しで天竜さんを見据える継さんに、わざとらしく煽るように問うた。
対する継さんはそれに腹を立てることも、竦むこともしない。
定められた出来事を説明するように、確信を感じさせる声音で一番星に告げた。
「私が"一番星"になります。この子達の願いを叶えるのは……私です」
「素敵な啖呵! 冬が楽しみだわぁ! ねぇ賀陽さんのプロデューサー?」
突然こちらに振られる。
おそらく足を引っ張るなと釘を刺しているつもりなのだろう。
賀陽さん達に向けるものとは違い鋭い視線をこちらへと向けてそう言った。
燐羽さんは勇気を見せ、継さんは決意を示した。
二人分もの極上の輝きは、俺の心に熱を灯すのに十二分だ。
だから、プロデューサーらしく斜め後ろからの手段でこの場を収めさせてもらおう。
外部からの刺激もこれ以上は必要ないのだから。
「妹さんがいらっしゃったのでお引き取り願っても?」
「……今いいところじゃない」
「あなたがいたらお二人が落ち着いて話せないでしょう」
「……そう」
ボルテージの上がりきっている天竜さんにさっさと冷や水を掛ける。
くるりと反転しこちらに背を向けたが、背中に哀愁が漂っていた。
気分の浮き沈みが激しい人だ。
熱を冷ましてやればこの嵐も素直に引っ込むだろうと思ったが案の定だった。
「じゃあ、失礼するわ……」
「はい。お疲れ様です」
とぼとぼと部屋を出ていく天竜さんの背を見送り、未だ戦闘モードから戻ってこれずにいそうな継さんと軽くアイコンタクトを取る。
いつまで気を張っているのかという皮肉を込めた視線を送ると、ようやく体から力が抜けたようでふわりと少し疲れを感じさせる笑みを見せた。
それに安堵しこちらも同じように返す。
「では後はお二人で」
「きみは居てくれてもいいんだよ?」
「いえ。落ち着いて話しにくいかと思いますので」
「あ……うん。ありがとうプロデューサーくん」
継さんは良くとも、燐羽さんにとってはよく知らない男だ。
安心して二人の時間を過ごしてもらいたいと、言外に伝えると継さんはいつも通りにこちらの意図を察して頷いた。
そうして部屋を後にする。
二人の想いは互いに向いていることを確かめられた。
ならば懸念はもう無い。
廊下に出て、扉を背にし目を閉じる。
継さんにも何らかの変化が訪れようとしている。
『私が"一番星"になります』
彼女が自らの意思ではっきりとそう宣言したのは初めてだった。
その変化を良いものとするか、悪いものとするかはこれからの行動次第。
そしてそれを大きく左右するのはプロデューサーである俺だ。
今日俺自身も大きな影響を受けた。
一番星、天竜静音のステージ。
アイドルである彼女自身に魅了されたのはもちろんだが、それだけではないと感じていた。
記録で見た彼女のステージとは全く異なる、彼女用にチューニングされた舞台演出。
少し前に彼女にプロデューサーが付いたとは聞いていた。
間違いなくそのプロデューサーの手腕だろう。
担当アイドルの理解度。魅せ方。使える手札。それらすべてが限りなく高水準だった。
勝つためには、継さんだけではなく俺自身のプロデュース力を高めることが必須になってくる。
プロデューサーが劣っていたから負けた。そんな結果には絶対にしたくはない。
重圧は増した。
だがそんなものは胸にともった炎を前に燃料にしかなり得ない。
「――――"一番星"賀陽継」
今日目にした一番星。その高みへと至った時、彼女はどれだけ眩しい存在になるのか。
頂点で光り輝くアイドル。
それを一番近くで見ることが出来た時、俺の本懐は達成される。
そんな確信があった。