「来てくれてありがとう」
終演後、帰り支度を終え一人で姿を現した賀陽さんは柔らかく微笑みながらこちらへの感謝を口にした。
お客さんもとっくに引き上げており、辺りはライブ時とは打って変わって静かだった。
会場の裏口は一層暗く、頼りない灯りに照らされた彼女の姿は先ほどのライブを思い出させ、どうしようもなくやるせない感情が噴出した。
「さっきのは一体……。違う、あなたならもっと……」
言葉がまとまらない。
こぼれ出た声は自分の声とは思えない程に動揺を含んだ色で。
目の前の女性に伝えたい思いの形すらわからず、霧のように大気へと溶けていく。
必死に何かを伝えようとするこちらを見た賀陽さんは一瞬驚いたような表情を見せすぐに小さく微笑み、言葉を引き出すように穏やかに問いかけた。
「私に期待してくれていたんだよね」
「……当たり前です。プロデューサーにとってスカウトをするということは最大限の期待に他ならない」
「……今日の私のステージはそれに応えられていなかったよね?」
「っ……相違、ありません……」
予感があった。互いの道が交わるか。未来を変えられるのか。それを決する場が今だと。
だというのに、どうしてそんなに気を遣うようにそれを口に出来るのか。彼女にとっても、自身の実力に対して突きつけられる事実は痛みを伴わないものではないはずなのに。
「……きみは一生懸命だね。そんなにも心が荒れていても、大人であろうとしてて。私より年下なのに」
「俺からしたらこんな時まで他人を慮るあなたの方がよほど大人に見えますよ……。こんな格好をして、背伸びをして接しようとした上で、あなたの気遣いの対象にしかなれない自分が惨めでしかたがない」
俯くと、下ろし立てのスーツに身を包む自身の姿が視界に入り、今すぐ全てを破り捨ててしまいたくなる。
眩しいものを見るような顔で話す彼女の言葉は、自身の未熟さを暴き立てられているようで、胸の内に湧き上がったどろついた感情がどうしようもなく溢れ出る。
それを聞いても尚、態度を変えずにこちらに優しい目を向ける賀陽さんの姿が余計に胸を掻き乱す悪循環だ。
「――――だから、ここまでにしよう?」
さればこそ、この結末は必然だ。
何かを変えるどころか、それを彼女に期待させることすら出来ていなかったのだろう。
突きつけられた事実に心が崩れる姿を幻視した。
刺すような痛みを訴える胸元を右手で握りしめる。
「っ……」
その時、指に触れた硬質な感触が、自らの心の中に沈んでいた意識を現実へと引っ張り上げた。
『この学舎はお主のような未来ある若人を護り、脇目も振らずに夢へと走れるようにするために作った場所じゃ。しかしお主がこれから立つのは半分はこちら側じゃ。プロデューサーとして、添い遂げると決めたアイドルの未来を護る。その覚悟はあるか?』
かつて学園の門戸をくぐるときに投げかけられた問い。
その問いの重さを、今になって理解した。
手にした一人のプロデューサーであるという証。
それが弱きへと流されようとする自分自身を決して許しはしない。
揺れるな。感じているのは失望ではなく悔しさだ。彼女はこんなものではないと、正しく導けば他の誰よりも輝けるという信頼。
であればこの胸に灯った願いは何も変わってはいない。
「思い上がらないでください。俺はまだあなたに何もしていない」
「そんなことないよ。きみもわかるでしょ?」
痛みを拭い、恐れを振り払う。
この瞬間こそがプロデューサーである自分の最初の戦場。
そして相手は目の前に立つ彼女ではない。極上の原石を霞ませたままにしようとするくだらない運命だ。
それを変えられるのは他ならない自分自身だけだと信じ、もがくのを止めるなと自分へと言い聞かす。
言葉を選びとり、彼女の真意を見落とすまいと注視する。
聞き分けのない子供へ言い聞かせるような声音は、これ以上踏み入るのを躊躇させた。
だが足は前へ進む竦む思いより背を押す願いが勝るから。
――――だからこの最悪の選択肢を選び取れる。
「誰よりも自分勝手な願いを持っているくせに、利口ぶらないでくださいよ」
「…………え」
その言葉は間違いなく彼女を傷つけただろう。
このような方法しか選べない自分が嫌になる。
それでもやらなければいけない。
彼女が纏う分厚い鎧を剥ぎ取り、雲隠れしている"賀陽継羽"を少しでも引き出さなければ今後も先ほどと同じような空虚なステージを繰り返すだけだと判断したから。
「アイドルとファンの関係は様々で、これが正しいという答えはない。ですが一つ確かなことはあります。一線で活躍するアイドルとファン達は互いがそれぞれの形で互いを強く求めている」
「……私はそうじゃないって言いたいんだよね。私がファンの人達を軽く見ているって」
過去にも誰かに言われたことがあるのだろう。
続く言葉を予想して自らそう問う。
まるで聞き分けの良すぎる利口な子供のようだと感じた。それはおそらくあながち間違いではない。
そしてようやく確信する。彼女は万能で都合の良い人間などではないのだと。
さらに言えば彼女の抱える問題は目標とするアイドル像がないことなどではなく。
「違いますよ」
「……違わないんじゃないかな。私は燐羽ちゃんの為にアイドルになろうとしてるんだから。ファンの皆のことを二の次に考えてるのは間違いないでしょ?」
綻びが見えた。
俺の否定を気遣いだと捉え、自罰的にそう返す賀陽さんの瞳がかすかに揺れたのを見逃さなかった。
目の前の相手が自らに対して心を砕いたことに対して見せる反応が不安であること。
いくらか特殊。特にアイドルとしては珍しい性質ではあるが、そういった人間は一定数存在する。
探り出した彼女の性質。それは。
「あなたが他者をどう思うかではなく、『あなたに対して』、他者があなたを一番に気に掛けることを忌避しているのでしょう」
「――――――――」
息をのむ音が聞こえた。
彼女自身、明確に自覚してはいなかった自身の性質。
初めて言葉にされたそれが、異様に自然に腑に落ちたことにまた驚いているはずだ。
「アイドルとは沢山の人々にとっての一番になる存在です。それになりたいと願っているにも関わらず、自分を見るななど、酷く矛盾していて理解できませんね」
だが経緯は想像できる。
おそらくは良好すぎた家族関係、両親から与えられた十二分な愛情と歳の離れた妹の存在に起因したものだ。
「結論を言いましょう。今のあなたがアイドルになろうとするのならば、あなたは選び取るしかない。アイドルになり、ファンと妹さんのために他のアイドルを踏み躙るのか、または妹さんの願いを捨て、アイドルを諦めるかを」
極端で露悪的な選択肢。
それでも、曖昧なままでは進むことが出来ないのであれば選ぶしかない。
残酷な選択を強いることに後ろめたさは無論ある。
そうすることを選んだ以上、この先に自分自身が望む未来はないであろうことも理解している。
彼女がアイドルとして花開いたとしても、俺との関係はもはや取り返しのつかない状況になるだろう。
俺自身にとってもこれは最悪の二択だった。
「……みんな頑張ってることを私は知ってるの」
「でしょうね。たった一度の青春を賭けて初星学園の門を叩いているのです。しかしアイドルとして座ることのできる椅子の数は限られている。誰もがというのは夢物語だ」
賀陽さんは目を伏せながら辛そうにそう呟いた。
彼女にアイドルへの熱があったのならば、ユニットを組み、仲間を輝かせながら自らも輝くことの両立。彼女の技術であればそれも可能だっただろう。
しかし、それは意味のない仮定だ。
彼女の在り方ではどちらかを選ぶことしか出来ない。
「アイドルを、私たちを応援してくれる人たちにも楽しかったって、満足だったって思って欲しいの……」
「二択を選ぶことが出来れば、あなたならば簡単でしょう」
後悔の滲んだ目でライブ会場へと視線を向けながらそう言う。
この願いが叶うことは保証できる。
決断さえしてしまえば彼女ならば容易に叶えられる。
他のプロデューサーがつこうが、例えつかなかったとしても。
「燐羽ちゃんの望みを叶えてあげたいの」
最後の言葉はまっすぐにこちらへとぶつけられた。
彼女と出会ったあの日と同じ、どうしようもなく俺を魅了した強い意志に輝く瞳。
自分の胸元を握りしめていた右手が力なく落ちた。
役目は果たされた。
ゆっくりと深く息を吐き、目を閉じる。
この先彼女は最上への階段を瞬く間に駆け上がっていくことだろう。
大きなステージの上で照らされる未来の姿が暗闇の中に見えた気がした。
その隣に俺はいない。
「なら、ステージで証明してください。その願いが飾りではないことを」
込み上がる熱を自覚しながらもせめて最後まで悪を貫こうと、背を向けながら捨て台詞のように吐き捨てる。
俺への怒りが、嫌悪が少しでも彼女を突き動かす燃料になったのなら、彼女の中に何かを残せたのならばという女々しい願いを込めて。
「――――待って」
力を失った右手が背後から掴まれた。
これ以上ここにいるべきではないと。醜態を見せ、先の発言の説得力をなくすような真似をしては台無しだと。僅かに残る冷静な思考はそう訴えるのに。
与えられた熱を、手にしてしまった暖かさを振り払うことが出来ない。
「……なんでしょう」
なんて往生際の悪い言葉だと自嘲する。
この期に及んであり得ない何かを期待している自分の浅ましさに。
結局、まだ俺は彼女を見くびっていたのか、それとも自らが、能力という価値を見せていない相手から求められることをあり得ないと考えていたのか。
ここから先の出来事は理解も制御も出来ないものだった。
「どうしていなくなろうとするの? 私は君の願いも知っているんだよ」
「それこそご自身に確かめたらどうですか。望まない選択を強いる相手です。気に入らないでしょう。信頼できないでしょう。そんな相手をプロデューサーにするなどあり得ない」
「私の気持ちを勝手に決めないで」
「今更ですね。散々勝手なことを言って、勝手な結論を押し付けた。それにあなたもそれには納得していたでしょう」
「そうだね。でも君への感情は別だよ」
「っ……」
グッと。想像よりも強い力で右手を引かれ、強引に彼女の正面に向かい合わされる。
目に映った賀陽さんの表情は初めて見る怒りの色。
しかしそれ以上に悲しみを孕んだもので、それが自身へと向けられていることを目の当たりにすると、言葉になりかけていた反論すらどこかへと消え、何も言えなくなってしまった。
そして黙ったこちらの様子を見て、考えをまとめたように賀陽さんは握った手を胸元へと持ち上げ、意を決したようにまっすぐこちらの目を見て話す。
「これから先、たくさん辛い選択をしないといけなくなるんだよね」
自分に向けられた願いの輝きがこんなにも眩しいことを初めて知った。
「きっとたくさん迷って、たくさん間違えるの」
これから先、俺はこの目に逆らうことは出来ないのだろう。
その意志を前にすればきっと信じることしか出来ない。
「だから、きみが私を望んでくれるなら」
柔らかい表情、少し照れたように赤らんだ頬、闇の中で光を反射して輝く濃紺の髪。彼女を構成する全てが俺の脳髄を痺れさせる。
この時感じた高鳴りを、一生忘れないだろう。
「私も、きみがいい。きみに一緒に選んで欲しい」
「……一緒に選びましょう。選ぶことに伴う罪は俺が背負います」
「全部、一緒に。だよ」
付け加えた俺の言葉を仕方ない子とでも言いたげに否定しながらそう返す賀陽さん。
「……なら共犯者ですね」
「きみ、わざと悪い言い方するところあるよね……。そういうのやめた方がいいよ、誤解されちゃうから」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2年2組『賀陽継羽』
明るく心優しい2年生。
学園でもトップクラスのスキルを持つ優等生だが、アイドルとしてはいまひとつ活躍できずにいる。
彼女自身の価値観とアイドルとしての在り方のミスマッチによって力を発揮しきれていないようだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ようやくスタートラインに立つことが出来る。
俺も、賀陽さんも。
まずは彼女が迷わずに前へ出られるよう、方法を考えなければ。