4月○○日
【前置き】
本日から賀陽さんの意識改革に向けた取り組みとして、この交換日記をやっていただきます。
基本的に平日は毎日やり取りを出来るよう、その日の活動終了時間までに記入してこちらへと渡してください。
手渡しできない場合は事務所の机に置いていただければ結構です。
【本文】
早速質問ですが普段食事はどうされていますか?
栄養バランスの良い食事はアイドルの基本です。不足した栄養素があるようでしたら補うものを持ってきます。
それと学食で好きなメニューを教えてください。俺はカレーです。
☆☆☆
「交換日記?」
「はい」
ある日の放課後。
いつも通りに事務所を訪れた継羽を迎えたプロデューサーは一冊のノートを手渡しそう言った。
渡された側は手元のノートと持ち主との間を何往復か視線を彷徨わせ、不思議そうな表情を浮かべていた。
「何か?」
「えっとぉ…………」
「『コイツに交換日記とか似合わねえな』とか思ってそうな顔ですね」
「う……、はい……ごめんなさい」
彼女には珍しくわかりやすい表情だったためその意図を言い当ててみると、継羽は意外にも素直に受け入れ失礼な反応と謝罪した。
対してプロデューサーの反応といえばからりとしたもので。
「いえ。良い兆候でしょう。思っていることは素直に表に出すようにしてください。交換日記の目的もそれですから」
「う、うーん……。なんだか変なことになってる気がするけど……」
失礼な反応を歓迎されたことに如何とも言い難い居心地の悪さを覚えつつも渋々といった様子で頷く。
またプロデューサー側も別の内容で思案していた。
先ほどは感情を表に出すことを良い兆候と表現したものの、別に継羽はそれを苦手としているわけではない。
あくまでも他者を気遣う。あるいは他者と限られた何かを奪い合う。そういうシチュエーションにおいて過剰なまでに自己をひた隠しにすることが出来てしまうことが問題なのである。
それを再確認した上で、交換日記というアプローチに本当に効果はあるのかという疑念が浮上したわけだ。
「とはいえまずは互いを知っていくくらいの軽い気持ちでやっていけば良いでしょう」
「うん。きみのこともきちんと知りたいから。これからよろしくね」
「……はい。しばらくは気長に続けていきましょう」
「ふふっ。楽しみだなぁ」
向けられた好意がくすぐったくてプロデューサーが視線を逸らすと、継羽は楽しそうに笑いながらそう言った。
「何を書こうかな…………ぁ」
「どうしました?」
受け取ったノートを胸に抱きながら内容に思いを馳せていた継羽が何かを思いついたように小さく声を溢した。
耳聡くもそれを聴き逃さなかったプロデューサーが問いかける。
「ううん。なんでもないよ。……あ」
心から何ともないような様子でそう答えてまもなく、気づいたように継羽の表情が固まった。
対面するプロデューサーの威圧感たっぷりな笑顔に気圧されたと言い換えても良いだろう。
「ご自分で気付けたようで何よりです。ですが初回ですからこちらのスタンスをきちんと伝えるのを兼ねて敢えて言いましょう」
「……はい」
「いいですか? ……"それ"を辞めろと言っているんです!」
「はぃ……ごめんなさいぃ……!」
身を縮ませて謝る賀陽さんの姿は流石に少し気の毒だったため、これ以上の追求は無しとした。
一つ咳払いをして仕切り直す。
「それで……何を思いついたのですか?」
「本当に大したことじゃないんだよ? 私一人でも出来るし……」
「聞かせてください」
「う、うん……」
まっすぐお願いすれば簡単に折れるあたり、彼女の言う通りそれほど大したことではないのだろう。
そういった状況においてはやたらと押しに弱い人なのはなんとなく理解していたが些か心配になる。
意に沿わないプロデュースでも頷いてしまいそうというか、いや彼女においては意に沿うプロデュースが彼女自身にも分かっていない状況ではあるが。
そんなことを考えながら、まごついている賀陽さんをじっくり待っているとようやく、そして何故か恥ずかしそうに口を開いた。
「きみに……付き合ってほしいの!」
☆☆☆
「私は購買でも良かったんだよ?」
「せっかくなら色んな中から選ぶ方が楽しいでしょう」
賀陽さんの爆弾発言から1時間足らず。
俺たちは天川のショッピングモールへと足を運んでいた。
平日の夕方時ということもあり、主婦層であったり近辺の学生たちが多く見られ賑わっている。
人の目が多い状況を再認識したことで改めて危機感に駆られ、賀陽さんの方へと向き直り話しかける。
「あなたはアイドルなのですからくれぐれも発言には注意してください」
「さっきも聞いたよぉ」
「あそこまでベタな言葉足らずを恥ずかしげもなく披露できる人相手です。再三注意したくもなるでしょう」
「気づいてなかったの〜〜!」
会話から察することの出来る通り、事務所での賀陽さんの発言について再度注意を促していた。
彼女の意はこうだ。
「せっかく交換日記をするならそれ用に新しいペンが欲しいなって思っただけなの……! お、お付き合いだなんて言ってない!」
「はい。よーく分かっていますよ」
「……なんか怒ってる?」
「何故そう思ったのか理解に苦しみますね」
「やっぱり怒ってるよぉ」
そう言って体を小さくする賀陽さん。
実際別に彼女に対して怒りの感情を抱いているつもりはない。
あくまで、あんなにもわかりやすく誤解だと理解できる発言に対して多少、いや僅かとはいえドキドキしてしまった自分自身が気に入らないだけだ。
だからこそ別にへこむ必要もないのだが、他人の機嫌にまで責任を負おうとするタイプなのだろう。
しょぼしょぼに萎れた表情で隣をぽてぽてと歩いている。俯いたせいで長い髪が顔の前に垂れて不気味だ。
「幽霊みたいで怖いですよ。せっかくの綺麗なお顔が隠れてしまいますから。ほら、背筋を伸ばしてください」
「え……う、うん……」
こちらの言葉に未だ幾らかの気まずそうな反応を見せながらも、どうにか普通に隣を歩いてくれるようになりひとまず安心する。
彼女を満足させる為に来ているというのに凹ませてしまっては意味が無い。
「文具店は1階のようですね。行きましょう」
「あ、調べてくれたんだね」
「雑貨屋もあるみたいですからそちらも見ましょうか」
「うんっ」
そうして幾らかの時間モールを見て回る。
文房具店を覗き、気に入ったものに目星をつけつつ一旦雑貨店へと向かう。
「あ、これ可愛い」
文具店とはまた違った品揃えで賀陽さんの反応は先ほどよりも色良い。
屈みながら陳列された棚を眺める表情は明るく、こうしているとまるで普通の少女のようだ。
そんなことを考えながら様子を伺うと、賀陽さんが棚の一点で視線を止めていた。
「何かありましたか?」
「あ、ううん……じゃなくてっ」
「ギリギリセーフとしておきましょう」
「ふぅ〜。えっとね。この便箋が素敵だなって。ごめんね、ペン選びに来てたのに」
賀陽さんが遠慮がちに指差す先にあるのは淡い紺色の便箋だった。
「構いませんよ。せっかくなら手に取って見てみましょうか」
「あっ……ありがとう」
棚から1セット取り出し、賀陽さんへと手渡す。
少し驚いた様子でそれを受け取るとじっくりと観察始めた。
時折小さく微笑んだり、懐かしそうな表情を浮かべる横顔が少し眩しい。
それが便箋ではなく、その向こうに誰かを見ているのだと察させた。
「誰か手紙を贈りたい人でも?」
「えっ!? どうしてわかるの?」
「まぁ、なんとなくですね」
「そっかぁ……やっぱりきみはすごいね」
便箋に視線を落とし、端に細やかに印刷された蝶を優しくなぞりながら賀陽さんは話した。
「燐羽ちゃんに、あげたいなって」
「やっぱりですか」
「う……えへへ」
賀陽さんは恥ずかしそうに頬を染めて笑う。
「うん。ペンはこれがいいかな」
似た色のボディに一部真鍮で縁取られたシックなものを選び、こちらを見てそう言う。
じゃあ行こうか、と便箋を棚に戻そうとするのを見て不思議に思い尋ねる。
「そちらは買わないんですか?」
「うん。今日はペンを買いに来たから」
「気にする必要は無いのですが」
「えっと……恥ずかしいんだけどお小遣いも心許ないんだよね」
「…………」
またか。と少し呆れながら賀陽さんの持つペンを取り上げる。
こちらを立てようとしてくれているのか知らないが、隠そうとする部分と見せる部分を取捨選択している小賢しさが余計に腹立たしい。
たとえこちらが連れ出したペンよりも心躍る買い物をしていたとしてそれを不満に思うほど狭量なつもりもない。
「もとより交換日記用の文具は経費とするつもりでした。お金の問題というのでしたらこれで問題ありませんね」
「えぇっ!? そ、それは」
「別に便箋もプレゼントしても構いませんが」
「ま、待って!?」
便箋にまで手を伸ばそうとするこちらを静止する賀陽さんの言葉を今度は大人しく聞き入れる。
「そうですね。こちらは賀陽さんが買われた方が妹さんも、賀陽さん自身にとっても喜ばしいものでしょう」
「あ、う、うん」
ペンへの強引さに対して、あまりの引き際の早さに賀陽さんは激しく困惑している様子だった。
狼狽える姿に溜飲を下げつつ、どうしたものかと迷っている賀陽さんに助け舟を出す。
「好きなようにして良いんですよ。これもプロデュースの一環ですから。あなたが満足できることを最も重要です」
「そ、そっかぁ……うん。じゃあ買っちゃおうかな」
「はい。では行きましょうか」
賀陽さんの選択を見届けるとさっさと背を向けレジへと先導する。
歩き出すと賀陽さんはぽつぽつと後ろを着いてくる。
チラリと肩越しに所在を確認すると、偶然視線が合った。
少し拗ねたような表情を浮かべた賀陽さんが呟く。
「……もう。やっぱりきみは強引だよ」
「あなたが強情でなければそうする必要もないんですがね」
「もーっ! 憎まれ口禁止だよ!」
買い物を終え連れ立ってモールを歩く。
横目で賀陽さんの様子を伺うと、楽しげな様子で辺りを見回していた。
「随分と新鮮そうに見てますね」
「実はここにはあまり来たことないの。生活に必要なものは購買で買えちゃうから」
「服などはどうしていたのですか?」
「学園で過ごしてると制服にレッスン着にパジャマくらいあればあんまり困らないんだよね。あとは先輩からお下がりもらったりとか。実家もそこまで裕福ってわけでもないし」
「……なるほど」
「あ、別に買い物出来ないほど貧乏ってわけでもないからね。私があんまり買い物に出かけようとしなかっただけで……」
言われてみればイメージ通りではあった。おそらく彼女は入学以来ほとんどの時間をアイドル業と学業に割いてきたのだろう。
それは彼女のダンス技能から考えても自然なことだ。
きちんとした指導を受け始めたのは中等部入学以降。それであれだけのテクニックを身につけているのだ。その理由を才能だけでは片付けられない。
しかしーーーー。
「もったいないですね。技術ももちろん大事です。パフォーマンスの土台ですから。ですがアイドルにとって学生として過ごした楽しい思い出も大きな武器になります」
「うん……」
自分の4年間を振り返ったのだろう。
必要なものを得られなかったことを悔いるように賀陽さんは呟く。
もちろんそれを後悔のままにさせるつもりはなかった。
「ですから、これから積み上げていきましょう。今日みたいに」
「いいの?」
こちらの提案に対して賀陽さんは遠慮気味に問う。
「ええ。プロデュースに必要なことですから」
「そっかぁ。……嬉しいな。今日は楽しかったから」
「また気を遣って話してません?」
「もおっ! 本心だよ!」
「くくっ。それならよかったです」
気軽なやり取りを行えている。
少しでも心の距離が縮まっていれば今日の目的としては十分だろうと満足げに頷く。
しかしこれは賀陽さんの振る舞い改善のみを目的としたものではない。これから行なっていくプロデュースを思えば、彼女からの十分な信用は必要不可欠なのだ。
そのために手っ取り早く好意を引き出したい。という打算を多分に含んだ言葉。
我ながらあまり誠実とは言えないやり方だ。
だからと言って方法を改めるつもりもなかった。
狙うは夏のH.I.F優勝。
なりふり構っていられる時間は無い。
「どうかした?」
「いえ。そろそろ帰りましょうか」
考え込んでいたのが顔に出ていただろうか。
何かあったかと賀陽さんから心配な声が投げかけられる。
何事もないように返して帰りのバス停へと向かった。
外は既に夕暮れ時で、街は寂しげに紅く染まっている。
賀陽継羽のプロデュースが始まる。
彼女が願いを叶えたその時に見せる無二の光彩。
それを確かめる為尽くそう。
☆☆☆
4月○○日 賀陽継羽
お疲れ様です。って、なんて書き出せばいいか迷っちゃった。
今日はお買い物に付き合ってくれてありがとう。
本当に楽しかったよ。
今もきみにプレゼントしてもらったペンで日記を書いてます。
便箋も今晩早速燐羽ちゃんへ向けて書くつもりだよ。
せっかくだからきみの事も書いてもいいかな?
素敵なプロデューサーくんが私にも付いてくれたよって報告したいな。
食事はいつも食堂で食べてるよ。
よく食べるのは日替わり定食かな。
栄養も考えて作ってくださってるし、旬のお魚が美味しいの。
今の時期だと鰆の日は少し幸せな気持ちになります。
きみはカレーが好きなんだ! なんだかちょっと子供っぽくて意外……だなんて言ったら怒らせちゃうかな?
4月○△日 プロデューサー
お出かけを楽しんでいただけたようで何よりです。
食事も言うことありませんね。流石です。
あとこれは決して怒っているわけではありませんが、カレーが子供っぽいという意見は些か疑問ですね。
そもそもカレーというのは数々のスパイスを細かく調整する必要のある繊細な料理でーーーー(以下略)
pixiv投稿分は一旦以上となります。
ここまで読んでいただいた方はありがとうございます。
引き続き更新していきますので気が向いたときにでも見ていただければ幸いです。